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岩本本=『党はどこへ行ったのか』関連で紹介しておきます。関西派の『未来』から。
【ブログ補足】ついでに堅実全面発展論文の見出しだけを別に紹介します。これも『未来』から。
 革命闘争と革命党の事業の堅実で全面的な発展のために
 
 本論文は、一九七三年八月『前進』に発表された。革命的情勢への過渡期の成熟に備え、革命党の三つの義務をうちだし、二重対峙・対カクマル戦の革命的対峙段階戦取の展望をあきらかにした画期的な論文である。
 
 

一 革命闘争と革命党の事業の堅実で全面的な発展のために…
タイトルからして、いかにも清水丈夫氏が大嫌いな表現にも思えます。

 革命闘争と革命党の事業の堅実で全面的な発展のために
 
 本論文は、一九七三年八月『前進』に発表された。革命的情勢への過渡期の成熟に備え、革命党の三つの義務をうちだし、二重対峙・対カクマル戦の革命的対峙段階戦取の展望をあきらかにした画期的な論文である。
 
 
 第一章 あらゆる面にわたる革命闘争と革命党のたたかいの堅実な前進
 ((A)早稲田解放闘争の全人民的な発展 (B)沖縄におけるたたかいの前進と定着化 (C)労働戦線における逆拠点化のたたかい (D)政治闘争と経済闘争での戦略的な前進 (E)あらゆる面での党建設の堅実な発展)

 第二章 戦後世界体制の解体的危機と革命的情勢への過渡期の成熟
 第一節 戦後世界体制の崩壊的危機のふかまりと世界革命の現実性((A)戦後世界体制の特質 (B)戦後世界体制の崩壊的危機のいっそうのふかまり (C)反帝・反スタ世界革命の現実性)/第二節 日帝の統治形態の反動的転換の攻撃と大衆の政治的活性化((A)日帝のアジア侵略と侵略体制の攻撃の全面的激化 (B)小選挙区制とあらゆる面での反動攻勢 (C)七〇年代階級闘争の革命的、内乱的発展)/第三節 革命的情勢への過渡期の成熟とそれに応じた党の三つの義務 ((A)レーニンの革命的情勢の規定の問題 (B)革命的情勢に応じた革命党の三つの義務の問題 (C)七〇年代中期の高揚と爆発の展望とわれわれの任務)

 第三章 革命の本格的な準備、二重対峙・戦略的前進・党建設のたたかいの一体的な推進
 第一節 基本戦略――総路線の物質化のたたかい((A)反帝国 主義・反スターリン主義の基本戦略のために (B)七〇年代革命の総路線の現実的な勝利 (C)基本戦略――戦略的総路線についての指導上の問題)/第二節 二重対峙・戦略的前進・党建設のたたかいの一体的な推進((A)二重対峙・対カクマル戦の革命的対峙段階の戦取 (b)基本戦略――戦略的総路線の物質化めざす戦略的前進 (c)革命的情勢に応じた党の独自の建設 (D)当面する秋のたたかいの圧倒的勝利めざして前進しよう)
 

ついでにその全体像も
本多延嘉著作選全七巻総目次
(2009/10/01)
 
第一巻目次
 
 (『前進』600号、601号、1972年9月11日、18日、大幅加筆『共産主義者』24号、1973年1月)
 
Ⅱ 革共同全国委員会に結集せよ
 
Ⅲ 三全総の旗のもとに
 
Ⅳ 中国文化大革命批判
 
Ⅴ 10・8羽田闘争から七〇年代激動へ
 
 
第二巻目次
 
Ⅰ 戦争と革命の基本問題
 
Ⅱ カクマル反革命打倒 反ファッショ解放戦争勝利へ
 
Ⅲ 中間主義党派批判
 
Ⅳ 天皇制・天皇制イデオロギー粉砕
 
 
 
第三巻目次
 
Ⅰ 戦略的総反攻を宣言する
  1 1・24精神を爆発させ、あらたな報復戦に決起せよ(『革共同通信』7号1974年3月4日)
  2 3・22狭山闘争の大爆発かちとり、春期大攻勢に総決起せよ(『革共同通信』9号1974年3月18日)
  3 赤色テロルの嵐で春期大攻勢の本格的激化かちとれ(『革共同通信』13号1974年4月15日)
  4 反革命虐殺者に血の復讐を(『革共同通信』18号1974年5月20日)
  5 報復戦のあらたな高揚へ(『革共同通信』22号1974年6月17日)
  6 カクマル印刷所ホヲトクついに崩壊(『革共同通信』28号1974年7月29日)
  7 機関紙戦争の完全勝利を突破口に反革命中枢機関を解体せよ(『革共同通信』41号1974年10月28日)
  1 『武装』の発刊にあたって(『武装』創刊号1974年2月5日)
  2 前進社第二ビルの革命的開設に際しての革共同政治局の訴え(『革共同通信』33号1974年9月2日)
  1 吉川文書にみるカクマルの惨状(細川耕一の筆名にて(1)『革共同通信』8号1974年3月2日(2)同10号 3月25日 (3)同12号 4月8日 (4)同15号 4月29日 (5)同18号 5月20日 (6)同21号 6月10日)
  2 「松井文書」にあばかれた反革命カクマルの腐敗(『革共同通信』42号1974年11月4日)
 
Ⅱ 狭山闘争の歴史的な勝利のために
 
Ⅲ 中ソ論争と現代革命の展望
 
Ⅳ 紀元節複活と日本帝国主義の危機
 
Ⅴ 書評
 
 
 
第四巻目次
 
Ⅰ 戦略的総反攻―その勝利の展望
 
Ⅱ 安保闘争論
 
Ⅲ 東欧におけるスターリン主義の没落
 
 
 
第五巻目次
 
I 勝利の武装進撃を
 
Ⅱ 革命的共産主義運動の理論と歴史(第一篇)
 
Ⅲ 革命的共産主義運動の理論と歴史(第二篇)
 
Ⅳ 日本共産党批判
 
Ⅴ 国際論評
 
 
 
第六巻目次
 
Ⅰ 戦争理論の深化のために
 
Ⅱ 反帝・反スターリン主義世界革命戦略
 
Ⅲ 第三回大会への同盟の歩み 
 
Ⅳ 六七・十・八羽田闘争へ――党建設と諸闘争
 
Ⅴ 大学闘争論
 
 
 
第七巻目次
 
Ⅰ 七〇年代・革命の時代
 
Ⅱ レーニン主義党組織論
 
Ⅲ 現代革命と史的唯物論の再建
 
Ⅳ 安保体制にかんする覚え書
 
Ⅴ 十・八羽田から六八年新宿騒乱へ
 
Ⅵ 破防法裁判闘争
 
 

【白土メモ】
①在日韓国・朝鮮人と在日中国人の法的・社会的地位を同一に表現しているが、不正確だ。
 「戦勝国民」と「敗戦国民」と「第3国人」という国際法的な概念は欠かせない。これは故石原慎太郎が悪意に満ちてまき散らした言葉でもあり、「必須の知識」でもある。
 ひとまず 台湾人日本兵 - Wikipedia
      林歳徳 - 検索 (bing.com) ★⇦【ブログ補足】
②イデオロギーや思想の次元での自己批判の論理
 このレベルでは、『党はどこへ行ったのか』と直近の『前進』論文は、ほぼ同様な視点に立っている。関西派の入管論の総括論文も、長大であるがほぼ似たような感じがする。

③「求められていたのは地域的・持久的・陣地戦的な闘いの方針…」こそもう一つの核心だ。当ブログで繰り返しこだわってきた「第2の7・7自己批判」と「地域入管闘」の問題だ。『党はどこへ行ったのか』という活字化された著書の中で表現されたことはことさら大きいと思う。中央派・清水氏はけして語ろうとしない領域だ。私はこれこそが「血債の思想」に関わる分岐点・分水嶺だと思ってきた。

④突破口に、諸戦線が構築(略)いわば中核派の世界観の転換=「コペ転」の起点と言える。

⑤さて、そうであればあるほど『党はどこへ行ったのか』への絶望的批判は深い。
 清水氏が「…階級的倫理性の問題ですらある。…」とまで言いながら、90年代も相も変わらず地域入管闘という実践的・「陣地戦」的課題の解消・凍結を変えることなく過ごしたこと、このことへの片言隻句の批判すらない。これではせっかくのも意味をなさない。

 とは言え、本『党はどこへ行ったのか』の中やその他で、本多延嘉氏の、幻の『党の堅実で全面的発展』論文の再評価・高い評価を論じている場面もあるので、それに任せて「端折った」と言われるのかとも思えない訳ではない。これもまた、「分量」の問題???とは言え…

⑥この辺について、いくつかの声を紹介してきたい。
 元入管闘「元台湾人日本兵の支援を続けて来たけど、大事なことは生活、仕事の斡旋だったんだよな。法政の守衛を繋いでみて初めて分かった」
 韓国人女性と結婚した元同志「白土よ、お前の書いた”地域入管闘”の”世話役”の話はホントだよ」「神奈川の入管担当の六月もよく勉強しているけど、今回はぜんぜん使い物にならなかった」「結局は俺自身で調べて、俺自身で出向いて、やっとのことでたどり着いた」「途中で挫折しかかった」
 元神奈川 「90年代に関東地方委員会(KC)で、激しい”労働運動論争”があった。こちらは「現場を踏まえて、現場からの声を引き出して」にこだわった。対するは地方委員長の木崎ほかだった。「いわばこちらが『労働運動派』、木崎らが『血債主義派』みたいに言われた」。「だいぶ後で中野路線」が力を持つと、木崎も一変して労働運動派=動労千葉特化路線に豹変した。立場がなんか入れ違ってしまった。けども、全体を通して変わらなかったのは、「上からの」「天下り」の路線か「現場重視」かだったんだよね。

韓国スミダに対する支援への制動
 90年代、日本でも電機労働者の女性たちを先頭に、多くの労働者・労組が支援・連帯に立ち上がった。
 この時、入管闘を仕切っていた「高山」の通達が衝撃を生んだ。
 事実上政治局からの指導として「メンバーが運動に関与する時はそのつど詳しい報告書を提出しろ。
 上からの許可なしに韓国人労働者との接触をするな」という「指導」だったという。
 指導的メンバーから話を聞いた時は耳を疑った。理由や口実はいろいろある。当時の韓国の政治情勢、中核派の公安との「死闘」…。いずれにせよ、中核派のメンバーは、韓国労働者とも在日とも連帯・接触するな、と。⇓ 民主労総との連帯運動を詠う昨今、変われば変わったものだ。昔日の感。

 韓国の労働者と日本の連帯者の人生を変えた闘争 : 文 …

ウェブ2022年8月6日 · //ハンギョレ新聞社. 1989年、日本のスミダ電機の子会社は韓国の工場に1枚のファックスを送り、450人の解雇を通知する。 これに怒ったチョン・ヒョンスク、パク・ソンヒ、チョン・スンレ、キム・スンミの4人の労組幹部は、8カ月にわたる日本のスミダ本社前での …

【まとめ】


【まとめ】幾多の「血債論」の存在とその変貌
 ひとまずのまとめとして、今日「血債の思想」を語る人たちにもいくつかの決定的違い・対立を含んだスタンスがあると言うことがわかると思います。


【ブログ補足】……… ……… ………

①関連部分です 当ブログから。技術上の都合で一貫した表現になっていませんが。……… ……… ………

 新年号論文①「血債論」のリサイクル 【改定】  ...

【お詫び】長くなったので【白土メモ】は別記事に移しました。
 岩本本⑤三つの「血債論」【白土メモ】イデオロギーと運動と
http://yuigadokuson999.livedoor.blog/archives/24356208.html
 
 岩本氏の『党はどこへ行ったのか』についての書評の紹介をもう一つ。

新刊紹介 : 岩本愼三郎著『党はどこへ行ったのか 私と革共同』

赤松英一

 ウクライナ、パレスティナ、ミャンマーなどの激しい戦乱と抵抗・解放の闘い、アメリカ、ロシア、中国などの奥深い混迷と危機、自民党政権の底知れぬ腐敗と悪政などを見るにつけ、(欧米における新たな社会運動の広がりと対比しても)日本における社会運動の長い低迷に心が重くなります。

 もちろん、そんな中でも沖縄(辺野古や南西諸島前線化)や原発さらにパレスティナなどの政治課題や身近な社会的課題に少数でも声を上げ、行動を続ける人々が存在していることは確かであり、心から敬意を表します。

 と同時に、60年代後半から70年代初頭までの時期、日本でも青年・学生を中心に、その世代における意識的部分の主流が革命を目指す運動を激しく展開しながら、それが敗北・挫折し、発展させられなかったことの総括が必要であることを強く感じます。【以下略】
以上、レイバーネットからの転載です。

   新刊紹介 : 岩本愼三郎著『党はどこへ行ったのか 私と革共同』

 
'――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『党はどこへ行ったのか』に見る「血債論」
 全部で2頁程度なのですが、ひとまずはおおむね4割分くらいを引用する。
 段落は当ブログでつけました。漢数字と混在してしまいましたがご愛嬌。

【以下引用】……… ……… ………
第Ⅰ部 光と影の幾歳月
 第2章70年安保・沖縄闘争という挑戦
  7・7自己批判と血債の思想 (40ページ)
 安保・沖縄問題を中心に70年闘争を見てきたが、7・7自己批判問題については追加する必要がある。
 七〇年七月七日の盧溝橋事件(日帝の中国侵略戦争への全面突入)から33年目の日に、在日中国人青年らの組織である華青闘(華僑青年闘争委員会)が、革共同をはじめとする70年闘争に参加している新左翼党派に対する糾弾闘争に立ち上がった。
 直接のきっかけは革共同の1メンバーの発言だったが、中身は要するに、お前たちは日帝のアジア侵略の歴史を本当に分かっているのか、在日中国人、在日韓国・朝鮮人の置かれている困難な現状、その法的地位、入管問題の大きさを分かっているのかという深刻なものだった。
 このとき本多は破防法で獄中にいたが、残された革共同指導部は清水を先頭に全力で、誠実に自己批判した。革マル派の「被抑圧民族迎合主義」などという悪罵をはねのけて、革共同は70年闘争を視力をつくして戦い抜いたからこそ、このような在日の糾弾を受けたのであり、これに対して徹底的な自己批判を貫徹しえたのである。

 在日、特に在日韓国・朝鮮人は、戦前は「帝国臣民」だったが、戦後は一切の権利を奪われ、47年5月2日、つまり新憲法施行の前日に出された最後のポツダム勅令・外国人登録令によって「外国人」にされた。戦後憲法・戦後民主主義は、沖縄に続いて在日を排除し、以降在日中国人を含め、これを過酷な入管体制のもとにおくのである。

 革共同はこの批判に応えて「入管決戦」方針なども出すが、求められていたのそうした政治カンパニア方針ではなく、地域的・持久的・陣地戦的な闘いの方針だった。
 そしてこの入管問題の焦点化を突破口に、部落、沖縄、障がい者、女性などの諸戦線が革共同内に構築されていった。

 差別と排外主義との闘いがその後たえす課題となり緊張を生んだ。ここには行き過ぎが生まれ、混乱も、過ちも生じた。組織内外における「糾弾主義的」な言動である。
しかしそれは徹底した討議で正していけばよかった。この自己批判=「血債の思想」の重要性について革共同は、その後も長く再確認し、反芻し続けてきた。例えば清水は、98年10月に書いた論文(清水著作選第2巻序文)の中で次のように書いている。
 「…階級的倫理性の問題ですらある。…」【以下略】【以上引用】

【ブログ注】
 【白土メモ】は紹介記事などを含めるとあまりに長いので、以下は別途記事に移すことにしました。

岩本本②の続き=転載分……… ……… ………
③の続き
 言いたいことは、80年代の中核派は、「革命軍戦略」という「単一路線?」であり、三里塚基軸論=排他的・単一基軸(路線)論で押し通してきたことだ。ここでは「準基軸」ともいえる課題として、杉並区議選・動労千葉・部落解放運動=同志会・解同荒本支部があったのも事実だ。
 しかし動労千葉に関しても、その評価の軸は、反対同盟との「労農同盟」を担う、ジェット燃料輸送阻止を闘う動労千葉、と言う面をほぼ一歩も出ないものだった。「反合闘争」「高石闘争」などへの共感や国鉄労働運動や民間労組への共感など、動労千葉がいくら語っても帰ってこない。そんな「政治主義・路線主義」の延長上にしかなかった。少なくとも「党員大衆」の世界では!労働者党員にとっては、情けない屈辱の日々?もちろん、それに従わない少なからずの人もいたことも忘れられない。
 そんなことを前提にして書いてくれたらね!ま、これも分量が溢れるけど。

④最後に一番言いたいこと
 「いつまで『党が党が』と言ってるんだよ!」
 「正しい党」なんてどの面下げて言うのかね?

 本多さんはとっくにいない。あれからもう50年近くになる。レーニン?百年前の話だ。

 「革命党」とは究極は「武装蜂起の党」であり、「内戦・国際戦争」に勝ち抜き、権力を奪取するために何が何でも生き残る「党」のこと。
 残念ながらそんな党を私はもはや構想できない。
 せいぜい、10数年、大衆に溶け込み、世俗的にも複雑な判断と対策を立てられる運動が出来たらと、想いを巡らすだけだ。

⑤そして結論
 なぜ中核派は真っ向から党内論争・党内闘争ができなかったのか?
 どのように、でもいい。
 なぜ中核派はまっとうな「分裂」がなかったのか?

 下記の部分に、ひとまず10次に渡る中核派の「分裂史」を紹介します。
 加えて06年3/14からの関西派と九州はの分裂と「血債主義者」の排除、最後に東北地方委員会のEL5派を入れると十数次の分裂・粛清を重ねてきたことになりそうです。

 言いたいことは、どちらが正しいかとか、という前に、主張ややり方や体質が折り合えず、共存できなくなったら分裂するしかない、ということ。その気になったら、後でまた合流すれば済むことでもある。
 もう一つ。党派闘争も党内闘争も「カンパニア」「囲い込み」は不可欠だということ。
 それぞれの「私」がどちらを選ぶ、ということが「原則中の原則」のはずだ。
 しかし現実には、「排他的囲い込み」が先に立つ。この「囲い込み」は多くの知恵と努力の結実でもある。そして「暴力的」だ。
 実際の分裂を見ると、一方を選んだ人が、時を経て他方に鞍替えするということは極めて少ない。難儀なのだ。
 政治指導部ですらそうで、ましてや「末端や現場」の人にとっては、「結婚相手の選択」も「離婚の自由」もない、というのが実情か?
 じゃあどうする?「自立した共産主義者の結集体」。絵空事か???
 
 「生きる知恵」…かも?
 ……… ……… ………
 以下の項目に関連事項が入っています。当ブログの記事です。
 2017年01月13日

  2017年01月21日

 

 

 (この項終わり)

関西派の橋本利明氏の書評を転載する。特に長いものではないので最初から全文を読んだ方が良さそうです。全文は下記の「未来」をタップしてください。
ここでは気になる所だけを抽出します。
末尾にメモをつけたのが長くなりました。分けて読んでくれた方がいいかも?

【以下転載】……… ……… ………

未来

8面

書評
『党はどこへいったのか~私と革共同~』岩本慎三郎 社会評論社2023年12月刊
     革共同の総括と路線的深化のために
     橋本利昭

岩本愼三郎著『党はどこへ行ったのか ~私と革共同~』は、いい意味で物議を醸す本である。この本とぶつかり、学び、吸収しつくし、われわれの再出発としたい。

3・14決起断固支持

岩本さんは本書で、2006年3月14日の党改革を求めた関西の決起を支持している。「官僚主義と権威主義と印籠政治の弊害を…実力で打ち破る闘い」と。また3・14で打倒された「Y*は生まれた時から腐敗していたのではなく、革共同が生み出し、つくりだした」ものであると、主体的・内在的に総括している。(【ブログ注】Y* 当時政治局員兼部落戦闘同志会の代表でもあった)

それに対して革共同中央は、「Yの腐敗を生みだした責任は関西にある、部落解放運動にある血債とか7・7というものの考え方にある」とすり替えた。3・14決起を簒奪し、改竄するためである。岩本さんはそれに抗議し、2008年冒頭の基本会議で反対を貫き、処分を受けて党を離脱したことを今回明らかにした。(略)

3全総と対カクマル認識

岩本さんは、いわゆる「内ゲバ」と称する左翼内部での暴力行使には抑制的であるべきと反省している。同感である。しかしカクマルについては、「バリケードの向こう側に移行した政治カルト」と規定し、対カクマル戦を支持する。カクマルを、運動組織路線における「サナダムシ路線」と批判する。自ら階級闘争全体に責任を取らず、他の運動に寄生してそれを食い散らして自らの糧とする在り方である。ここから党派闘争の自己目的化、自己中毒化を生む、「永遠の今」「のりこえの論理」「革命的暴力論」に至るカクマルの立場を本多延嘉さんは、「召還主義と解党主義」と規定したことを紹介している。

岩本さんは、カクマルとの決定的分岐をなした革共同3全総を重視している。そして3全総の3つの軸として、反戦闘争・選挙闘争・労働運動を挙げ、労働運動の要点として、戦闘的労働運動の防衛と地区党建設を挙げている。私の理解としては、3全総のもう1点重要な点は統一戦線であると思う。統一戦線戦術は階級(闘争)全体に責任を持つあり方であって、単なる学生戦線の方針であったり、政治術策ではない。

直面する革共同の課題

岩本さんは、「階級的労働運動路線」「新指導路線」「動労千葉特化論」などによる反戦政治闘争の放棄を一番問題にしている。そして、最近、革共同全国委員会機関紙『前進』が、「今や革命の時代だ、反戦闘争としての反戦闘争が重要だ」と言い始めたことに、「遅すぎる」「総括がない」、「総括をする主体性・感受性を失った集団になり果てた」(p.367)と言う。
革共同を自称する今日の革共同全国委員会は、遅すぎる、総括がないだけではない。世界認識・現状認識が根本的に間違っている。プーチン・ロシアによるウクライナ侵略を侵略でないと言い、「戦争を内乱へ」をウクライナにおけるゼレンシキー打倒に帰結させている。

またパレスチナ問題についてもアメリカ帝国主義の戦争というのみで、シオニスト国家イスラエルによる侵略、パレスチナ人民への迫害を弾劾しない。台湾問題について、軍事的強制併合で恐喝する習近平・中国指導部のスターリン主義そのもののあり方を批判しない。それ以上に一切をアメリカ帝国主義の戦争とし、台湾問題を利用して対中国包囲、戦争挑発を図る日本帝国主義・岸田を正面から問題にしない。
 同書は、事ここに至った責任が一番ある清水丈夫(現革共同議長)をあまり批判していない。革共同にとって「議長」とはお飾りではないはずだ。清水が非合法場面にいたことは言い訳にならない。革共同の変質、今日まったく闘えない「前衛」詐称集団に変質させた元凶は清水丈夫にある。党内で意見が相違する者を「スパイ」規定してきたのも、真剣に党改革を試みる者を「分派」として追放してきたのも、清水である。

日本革命・世界革命にかけたわれわれ共通の思いを実現するため、岩本さんには『党はどこへ行ったのか』の続編を、『党はここにあり』として清水批判をぜひ執筆してもらいたい

戦略的総路線の深化のために

革命的左翼が、60年安保闘争も70年安保・沖縄闘争も日帝を正面の敵として見すえて闘ったという認識に賛成である。今日の革共同全国委員会が、「万年米帝一極支配」論のもと、日本共産党以下の日帝免罪路線をとっていることを徹底弾劾して進まなければならない。

国鉄闘争について、1047名の「和解」について、中野洋の国鉄闘争への絶望の結果という認識に改めて蒙を啓かれる思いである。この点を明らかにした岩本さんの功績は大きい。ただ85年11・29浅草橋戦闘については、清水丈夫と中野洋の具体的責任をぜひ明らかにしてほしい。この戦闘を「信じがたい愚行」と言うだけでは、現場で担いぬいた国鉄労働者や青年労働者・学生は報われない。

30年間に及ぶ武装闘争と非合法・非公然活動の期間については、「党による軍事の一人歩きはダメ」ということに真剣に同意し、反省します。それと同時に、「官僚主義」や「印籠政治」が非合法・非公然活動の中で始まったという理解では済まないと思う。

軍事や非合法活動に手を染めなかったらよかったのか、防衛的性格の軍事活動に限定すべきだったのか、である。回答は、労働者大衆自身の武装や非合法活動をどう形成するのか、そこにおける党と党の軍の役割ということになる。蜂起の軍隊はロシア革命における赤衛隊に見られるごとく、大衆自身の武装を基礎に発展させたものである。代行主義など問題にもならない。


若干の経験と見分に基づいて提起すると、次のような点である。
(1)労働者人民自身が武装と武装闘争の主体であることを貫き、兵たんを人民自身が担いぬく人民の海の組織化における発想の転換が必要である。
(2)戦闘における軍令の絶対性と準備や計画における白熱的討論を保障し、組織すること。
(3)戦士共同体におけるコミューン原則、1人も排除しないあり方、である。

 

【以上転載】……… ……… ………
 
【白土メモ と評】長くなりましたが。
 ①岩本氏についての『前進』紙上での言及は以下。
 故・岸及び水谷両氏の『敗北本』に岩本氏が参画していたという嫌疑によるもので『スパイ』と断罪している。
 革命運動史上最大のスパイ分子に転落した岸・水谷・岩本を 打倒せよ 革命的共産主義者同盟政治局

5月、2006~08年の「党の革命」で打倒・追放された岸宏一と水谷保孝、岩本慎三郎は階級闘争史上、最も極悪で腐敗にまみれた反革命スパイ本を出版した。...
福島に敵対し反原発運動分断する 最大のスパイ岸・水谷・岩本打倒を 革共同東北地方委員会

 岩本氏によれば “事実無根。俺は敗北本にはノータッチ。まったくの無実・無関係“ だそうな。

 ただ敗北本では、「松本意見書」やその処分の経緯の一部については、岩本氏の観点から書かれていることも事実。離れたもの同士、その程度の交流はあったらしい。その上で、「岸・水谷に近い」とか「やはり参画者」として「断罪するのはあまりにも乱暴」というに尽きる。

 本書では「松本意見書」を契機に08年1月に離党した経緯も書かれている。別な見方からすれば、処分・除名への経緯でもある。

②ある意味で、唯一?の「革共同の歴史・正史」でもある。
 革共同の創設から革マルとの分裂、そして「70年闘争」、血債の思想の誕生、…。それぞれ現場感覚とともに描かれていて、それはそれで生き生きとしている。古い人、若い人、中核派系の人、他党派の人、改めて新鮮な想いで振り返ることもできる。後日への遺産?

 この辺は、できることならぽつぽつと引用しながら論じたい。
 ただ難点は、橋本氏の書評にあるように、例えば「浅草橋」についての論評が「片言隻句」で終わるなど、食い足りない。それは多くの論点で共通している。ま、それをやると軽く5割増しの分量にはなるだろうけれど。そして集中砲火を浴びるかも?

「改憲阻止百万人運動」と国鉄闘争への重心の置き方

 もう一つの特徴としては、これらの大闘争・大運動にその中心近くで関わった人として、90年代の課題やその意義を大いに語っていることだ。

 「うっ?!」という反応は私だけではないと思う。
 この時期すでに本社を出て、中核派を辞めていた私にとっては、「あの中核派が、そんなテーマに関わることがあるのか?」という感慨が当時の感覚だった。
 90年の「転換」を経て、90年代中頃は、現場組織やメンバーたちは、「先制的内戦戦略」の「継続か解消・召喚か」で互いに階級的と向かい合うような混乱とにらみ合いのような中で葛藤していたと聞く。
 岩本さんはそんな中で重責を担って上記の「大運動」に参画していたのだそうな。
 私自身とすれば、「それは正しいだろうが、そんなの中核派じゃねえよ」「俺の知ってる革共同じゃねえよ」とうめくしかない。

 「上が決めたのだから、残っていたら率先して関わるかもしれないけどね」
 「でもまた変わって召喚しろと言われたら、またそれに従って、『ナンセンス』と言うのかな」
【ブログ注】
 あまりに長いので、以下は(続く)にしました。26日公開の「党??」にそのまま転載します。

ひとまずお知らせだけ


後日、何らかの感想を書いてみたいなと思ってます。
お世話になった模索舎のページからコピペしました。以下引用
… … ………… ……… ………


党はどこへ行ったのか 私と革共同

142694

[2023年12月/四六判/374頁/]
《RED ARCHIVES 05》
著=岩本愼三郎
発行=社会評論社


目次:
第I部 私と革共同-光と影の幾歳月
第1章 革共同全国委員会の出発-六〇年安保闘争と三全総
第2章 七〇年安保・沖縄闘争という挑戦
第3章 いわゆる「内ゲバ」について
第4章 三里塚二期攻防と先制的内戦戦略
第5章 国鉄分割・民営化と「戦後政治の総決算」
第6章 国鉄一〇四七名闘争始末期-革共同の失われた三〇年(1)
第7章 安保再定義と百万人署名運動-革共同の失われた三〇年 (2)

第II部 革共同の諸問題
第1章 共産主義的政治をとりもどす-松本意見書 No.1
第2章 革共同全国委員会の歴史と教訓-松本意見書 No.2
第3章 迷走する「綱領草案-あるいは革共同の墓標
第4章 二重の敗北としての国鉄一〇四七名「和解」
第5章 党はどこへ行ったのか-「党の革命」「党の階級移行」という茶番劇について

第III部 現代社会を読む-『ピスカートル』からの抜粋
「太陽をとらえた」近代科学の果てに
経産省前テントをめぐる裁判闘争
原子力ムラの闇を照らした光
東京都知事選挙の悲劇と喜劇
憲法と戦争と沖縄
国家緊急権と立憲主義の死
人智をこえた人災から何を学ぶか
菅政権という末期症状
コロナ敗戦と亡国五輪
連合べったりで自滅する立憲
泥沼化するウクライナ戦争と世界大戦の危機
化けの皮が剥がれた自民党政治
GAZA 大量虐殺の果てに

レッド・アーカイブス 顛末記 | 川口 顕 
¥3,300

【ブログ注】
⑴著者紹介から 
1940年生まれ
 59年 東京工業大学に入学 その後に革共同全国委員会に加盟
2008年 革共同を離党
⑵私(白土)の記憶の断片から
革マル派との分裂で中核派を選んだ数少ない人の1人
私が1年生の時、1966年の年末に1か月だけの「マル学同臨時書記局員」として
参勤した時に、親しくお目見えした。秋山全学連の直前の話。
78年に私が『前進』編集局員になった時、たしか岩本さんが編集長だった。あるいはその直後か?
要町の本社2階の狭いながらも2室を使ったEB室で生活を共にした。ま、本命の水谷保孝氏が下獄中
でその臨時代行みたいな感じ?
後に『破防法研究』編集長。
松本意見書はぜひとも
 
時間切れでひとまずアップします。後日改めて追加予定。

関西派は、杉並区議では安田マリ氏(立憲)と山名かな子氏(れいわ)の当選を好意的に伝えている。
 とくに安田氏の紹介が詳しい。昨年6月に誕生した岸本聡子区長にも好意的に言及する。未来第365号 (miraikakukyodo.jp)
 関西派の今回の基本姿勢は、「自公・維新と対決する共同戦線を各地で強化していこう」に集約されそうだ。1面では「左派・リベラルは自己変革を」の小見出しで立憲・共産党・社民党・れいわに言及している。大阪での維新との対決の死活性を基礎に、そのスタンスは明瞭だ。

  この点では中央派とは好対照だ。ただ、
  (杉並では)
「左派」「リベラル」を自称する一切の勢力・党派が岸本聡子区長に同調して区議会の「オール与党化」を画策する中、われわれはこれら全てを向こうに回して「杉並から戦争とめよう」のスローガンを鮮明に掲げ、真っ向から勝負を挑み、大激戦を制して洞口区議の再選をかちとったのである。23年春季アピール
 「オール与党化」の「画策」という。ただ、あくまで「画策」だ。洞口氏の発言では、岸本区長への批判はあるが、春季アピールほどの言い回しも無い。微妙なところなのだろう。
  洞口氏のロシアへの表現は、「ひろゆき」でもそうだったが、中央派的にはまた一歩踏み出している。あるいは踏み外している。ただそれは別の場で…

詳しくは直前の記事をご覧ください。

「未来への協働」の出発にあたって 2021年3月28日 – 未来へ

ずいぶんと時間が経ってしまいましたが。

【お詫びと訂正】タイトルで「毛利派」と表記しましたが、「椿派」に訂正・お詫びします。読者からの指摘を受けました。これもまた長く誤ったままアップし続けて誤解をまき散らしてしまいました。23年5月記
訂正の結果、記事のアップの日付が変わってしまいました。悪しからず。



統一地方選23の杉並区議選について簡単に。

結柴誠一・新城節子の両区議の「無所属市民派」を継承する小林華弥子さん(新)。

結果は落選。2344票、定数48人の49位。8票不足(7.333)というほんとに惜敗だった。

他方、都革新の洞口朋子さんは再選を果たした。392632票。

……… ……… ………

新年早々、結柴・新城区議(当時)は任期満了を持って引退することを表明、小林さんを推していた。

すでに小林さんは内部決定を経て昨年の補欠選挙に立候補していた。

小林華弥子

  他方、洞口さんは201942119回統一地方選挙杉並区議会議員選挙で、得票数3,275票で初当選していた。

杉並区議会議員選挙 - 2023423日投票 | 候補者一覧 | 政治山 (seijiyama.jp)杉並区議選docx

 

【ブログ注】結柴氏は、すでに区議会議員中でも最高齢。ようやく念願の後継者を得て、引退を決断し新城さんはそれに合わせて引退したらしい。06年の「党の革命」のなかで、中核派中央(故中野氏や故天田氏)から不条理な辞任を迫られながら、後援会の一致した支持を得て中核派から離脱・対峙し、活動を続けてきた。多くの元中核派や元新左翼系の活動家も支援し、後援会を支えてきた。

 二人の辞任は惜しいね。小林さんもほんとに「あと8票」。残念だ。

 元中核派としては、中央派に対峙するひとつの看板でもあった。その面でもよく頑張ってくれた。

 後援会も安保世代や、それに遡る元社会党・元共産党などの人々がいて、歴史を体現する運動体でもあった。地元でも地道で必要な議員活動をしていたね。

 支持者の中にも、「都革新」と2人がなぜ争うのか?その違いがが理解できないという人も多かった。今でも両陣営の支持者名簿はかなり重なっている。そんな中で、5票、10票と、「都革新」から「票をむしり取ってきた」古参の後援会の人々の存在は大きかった。そんな人たちが今や「後期高齢者」や「冥府の人」になっている。

 昔は「杉並文化人」という言葉があった。下北沢の劇場・劇団に集う演劇世界ほか、若者たちの文化の発信地でもあった。対革マル戦争でも、不屈の地でもあった。そんな文化や歴史、生活感も改めて大事にしてゆきたい。

 総じて、左翼や元新左翼の存在感や可能性を示してくれた。ありがとう。

 特に新城さんには、「結柴問題」とはもう一つ別な位相での決起と決別以来、より古参としては「こんな中核派にしてごめんね」という想いと感謝の念もある。

 あれほど杉並で2人と苦楽を共にしてきた同志たちが、ほとんど共に離脱して支援することということが無かったことに、改めて衝撃は重い。「党派に結集する」「党派と決別する」ってなんだろうね?

桜 今後ともよろしくお願いいたします。小林さんはまったく別の系統から手をつないできた。今後も楽しみにしています。


杉並区議会 党派別一覧

自民

9

公明

6

維新

2

ファースト

2

参政

1

立憲

6

共産 


6

ネット・生活クラブ

2

緑の党

1

れいわ

1

自治市民

1

都革新

1

無所属

11

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