カテゴリ:☆☆世相さまざま > 車中・車窓から

事件の真っただ中、経産省前では相変わらず脱原発のテント村が続いている。
テント自身は来週にも撤去の判決が出るかもしれないという緊迫した状況だ。

経産省前での抗議行動や霞が関デモも続いている。

そうなのだけれど、仕事中にデモに遭遇すると思わずホッとする。
「暗雲覆う」今日の状況下で、小規模であれ「デモ」が行われていることに胸が熱くなる。
あえていえば何でもいい。
政府に真っ向から対決する旗が翻ることに意味がある。

とはいえ改めて思う。
大変な事態なのだけれど、とはいえすべてが押し流されているわけではない。
安部発言や国会情勢も大変な状況だけれど、とはいえ安部の発言自体も「まっすぐに貫徹」できているわけではない。そういう目で見れば、事態はまた別の姿を見せてくる。

戦後の長い「軽武装の平和」は、装備や国内法だけでは覆えない「闘えない国」を作り上げてきてしまっている。「派兵しない国」が享受してきたポジションを捨てても、「ジャーナリスト」をはじめ、情報収集と色んなパイプを「戦争国家」として作り上げるには、あまりに幼い議論しかできない政治だ。
 「軍隊は民衆を守らない」
 沖縄戦の、戦後の沖縄売り渡しの事実。
 「戦争と兵士」
 「戦争と慰安婦」「戦争と生活」等々をめぐる諸問題。
 現実の攻防戦がどこにあるのかを、「戦争的な冷徹な視線」で見渡す力量が問われているという大事な側面に、今は私の限られた力(あまりに限られた力)を注ぎたい。

やはりたまたま。
今度も車が無いので、休憩室にいる。

元大工というじいさまがテレビに釘付けだ。
大工さんは韓流ドラマの「トンイ」が大好きだ。

嫌韓や嫌中の中でも動ぜずにトンイや韓流ドラマを見続ける。
しだいに何人かがいっしょにドラマを観ようと輪になってくる。

何という話をするでもなく、いっしょに観続ける。
何となく温かい思いが空気になって伝わる。

港区の慶応大学のそばで(少し)若い女性をゲットした。
まだ午前の9時台、こんな時間に珍しいお客さんだ。

 「乗りたいんだろうな」と思いながらスピードを緩めて近づいていくとようやく直近になって手を挙げた。「乗るんだったら早めにはっきり手を挙げろよな」とぶつくさ思いながら停車する。「こっちは交通戦争をやってるんだから、へんな遠慮は事故につながるんだよ。機械的に動けよ」。腹の中で思う。

 行き先は南麻布か元麻布らしい。そう遠くはない。
 
 軽い世間話をひとつしながら向かうと、麻布2の橋あたりで渋滞にぶつかった。
 先頭になって警察車両が邪魔をしていることが分かった。
 私、「この先に韓国の大使館があるんでその関連でしょうかね」
 お客「そうですね。よくデモっていうか街宣車が来るんでその警備でしょうかね」

 話が進んで行くと、彼女は「デモ」と言いかけては「街宣車」と言いなおす。「うーん?」

 何かのはずみで私が言う。「右翼といっても大半は、車で騒ぐだけだからこんなに警備をしなくってもいいんでしょうけど。あまり騒いだら捕まえればいいんだから。そのための法律も作ったんだから」
 
 彼女「えっ。街宣車でも届け出がいるんですか?」
 私「日本は警察で成り立っている面もあるから、警察の許可なしになかなか動けませんよね」。     
 「警察も困っているんじゃないでしょうかね。このままじゃ、公安警察は要らないっていうことになっちゃうから。だからどうでもいい街宣車に張り付いて警備の実績を上げなくっちゃいけない」
  「たまに、原発反対のデモなんかでは時々捕まってるらしいけど、若い人が騒いでくれないからあまり捕まえるわけにもいかないし」

 突然話題ががらりと変わった。
 彼女「なんか戦争の話が出てきて嫌ですね」
 私「そうですね。きな臭いですね」

 そんな話題になってきたころ、目的地に着いてしまった。
 彼女「もっとお話しが聞けたら良かったんですけど」
 「朝から大事な話を聞かせてもらって…」
 今日一日元気で過ごしたいなとお互いに顔を合わせながら次の仕事へ。
 
 

 今朝は出庫が1時間以上遅れてしまった。
 新人が帰ってこない。私の乗る車が無い。で、しょうがない、休憩室で待ち続ける。
 たまたま遅出の人や徹夜明けの乗務員がたむろしている。出番が違うので知らない人もいる。

 (比較的)若手が、端に立って話している。携帯のタブレットを手に、時々それをいじりながら年寄りたちとの会話を進めている。

 話は「イスラム教の教えとは何か」だ。
 「普通のイスラムの教えでは首を切ってはいけない」。うーん大変な話題を落ち着いてしている。
 年寄りたちが、何かを言うたびに、少し首をひねりながら的確に答えようとしている。

 私も輪に入って話を聞く。
 たまに「とはいっても兵士を6千人殺したとか町を爆撃するなんてやりすぎだよね」などと小さくつぶやく程度だ。

 年寄りたちの話は、「結局は、復讐のやりあいっていうことになるんかね」というまとめで終わった。

 みんなが引けたころ、若手と軽い世間話をすることに。
 私は「ウエストサイド・ストリート」の話をしてみた。
 若手もミュージカルの話は疎遠ではないらしい。
 「朝からこんな話を聞いたら、頭が燃え上がって事故になりかねない。『クール、クール、クール。フーリッシュボーイ、クール』だね」
 ほんとにそうなのだ。熱くなってひどい人身事故を起こしたら、「平和」どころの話ではなくなる。

 それにしてもなぜか、この職場の「若者」には「痛みを知る」まっとうな人が多い。偶然か、必然化?何だろう?
 そう。彼もまた「労使協調派」の組合の役員でもある。
 普段からの付き合いがあってこその年寄りたちとの会話だったのだ。
 「スタンド・バイ・ユー」あってこその話だとつくづく思う。

一昔前の中核派なら、入管闘がイスラム教会の防衛に飛んで行っただろうかと思う。

あれは北朝鮮の拉致事件の頃だった。
入管闘が(たった数人だけど)川崎の駅頭で街宣をしたはずだ。
そう、入管闘だけの動員で、党全体の(色んな駅や地域への動員もなかったけれど、形ばかりの行動は有った。

 それがどんな意味があったのかもきちんとした総括は聞いてはいない。入管闘も解散したと聞く。ま、入管闘は「日朝中」だけが「基本的課題」だったのかもしれないけれど。
 「過去の血債」に押し込めて今進行中の「血債」も見据えない限り空洞化も避けられない。

 滞日ムスリムの人々との「生活の共有」というか、「同じ生活空間」にあることをどう改めて認識するか。
 四つ木にはモスクもあり、ムスリムの食品店もある。同僚たちも時に異国情緒を求めて買いに行く。
 つぶれてしまったけれど、私の行きつけの食堂の常連にも廃車を輸出するブローカーのパキスタンのムスリムがいた。
 
 時には酒席をしてみてもいいかなとは思う。(パキスタン人の場合、日本に滞在するときはこっそり飲んだりするのだという話を聞いた。もちろん人にもよるし、出身地域その他でもいろいろ違いそうだ)
 

日本のモスク(イスラム情報サービス)から


 ちょうどお客を降ろしてラジオのスイッチを入れた時、「人質事件」がアップされ、ニュースになっていた。
 こんな時はTBSラジオのニュース解説が少し深読みでいい。
 しばらく車を止めてラジオに耳をすました。

 だいぶしばらくして会社に帰ると、窓口のじいちゃんが騒いでいる。
 「刈谷さん、大変なことが起こっているんだよ」。「どうしたの?」
 じいちゃんは1人興奮して、イスラム国が「要求」した2億ドル?の話をする。
 私は答える。「いや、その額は『イスラム国を叩き潰すための人道支援』の額で大した意味じゃないらしいね。ま、そのうち10分の1か100分の1かで収まるか、それともまったく別な要求になるんだろうね」
 じいちゃん。「イスラム国ってどうしようもない奴らしい。原爆でも持って行って落としてやればいい」
 「参ったね」と思うが、小さな世間だし、このじいちゃんとも今後長く付き合わなければいけないのだからできれば穏便に落とし所を見つけたい。とはいえ周囲には何人かが無関心を装いながら聴き耳を立てていそうだ。
 「イラク戦争の時にアメリカの空軍兵士が叫ぶんだよね」と始めて見た。
 奴らはテレビ画面みたいなものを観ながら「イラク人達め、隠れていないで正々堂々と出て来い。堂々と勝負しろ」とか喚きながら、スイッチを押すんだ。と、ミサイルが飛んでって建物を丸ごとぶっ飛ばすんだ。なにが「堂々と」かね。どうせやるならお互いに刀か槍で体を張ってやんなくちゃね。
 と、脇で聞いていた(少し)若い同僚が、「観た、観た。そんな場面があったよね」と軽く割り込んできた。
 気持ちが通じればいい。互いににやりと笑って、日報の作業に戻り、洗車になる。
 とにかく今日の疲れを取り戻すためにゆっくり休まなくては。
 

 

イスラム国の人質に端を発する日々の中、私自身半ば「平常心」を失った日々を送っている。

「問題をどう立てればいいのか」がほぼすべてと言って良いのだけれど、「何故」そういう設問になるのかがきれいにすっきりと語れないもどかしさがある。

 なぜかというに、
 ①かつての人質事件での「自己責任論」の大合唱に身構えながら、いかに切り返すかと緊張しながら考えてきたこと。
 ②政治過程として、「集団的自衛権」などの政治反動との対決の切迫性。
 ③それとは別の次元で、広範な世論(職場や地域での会話や諸問題)が一斉に噴き出しそうな気配。
 などが同時的に沸いてきそうだからだ。
 ④同じことかもしれないけれど、「日常の煩雑な諸事件と感慨」がある。病気や事故、近親者との関わりは、何が起ころうと揺るがせにできないし、あえていえばそういう視点から照射しなければ、解けない事どもも少なくない。

 言いかえれば真正面からの論議を(誰にどこでどういう形で)すればいいのかと、周りにいる「普通の人」との会話と日常をどう調整していくのかで私自身のキャパシティ(容量)を超えた問題をどう整理するのかという問題でもある。

 おいおいその辺を整理することにして、しばらくは私の身辺での事件や感慨を振り返ってみたい。「熱く熱く」と「クールにクールに」の並行作業が難しい。
 

啓蟄が過ぎると春の赴きも一段と進む。
暖かい日にはお客も増える。人間も温かくなるとねぐらから這い出てくるものらしい。
 
春の長雨がつづく。
最近気が付くのは、道路の水溜りが少なくなったことだ。
よく見ると、アスファルトが変わっている。
一見ザラザラな、気泡が噴出したようなアスファルト舗装が続く。
なるほど。これが「防音・吸水」のアスファルトか‥。
 
数年前から道路工事の現場に「防音・吸水の工事中」の看板を見るようになった。
駐車場の舗装には早くから始まっていたように思うけれど、こんなに早く都心の主要感染の改修が進むとは思ってもいなかった。
 
趣旨としては大歓迎だ。
水不足であれ大雨の道路冠水であれ、治水の観点からも望ましい。
都心に降った雨のほとんどを下水に流しておいて、長野や群馬にダムを築いて、しかも下流の枯渇を招いて平然とする東京都(そして都民生活)にはうんざりしていた。
夏の暑さの一因に、「アスファルトの罪」があることも明らかだ。
大地にしみこんだ雨水が蒸発して涼を呼ぶ。それを封じ込めた舗装が憎い。
 
けれども試行としての吸水舗装は長く進展しなかった。
しばらく経つと目詰まりしてしまう。道もタイヤも傷み、粉塵が増すなどの失敗を繰り返していたのだと聴いている。
 
それらの難問をクリアーして本格的に改修が進んでいるのだとすればうれしいことだ。
 
けれど、それならそれで、なぜ、自慢げに大々的な広報をしないでこっそりと進めるのだろう。
疑問だ。技術的・採算的に未完成のまま、ゼネコン救済の公共土木の再活性化を狙ってきたのではないかと疑り深くなる。
真正面から、それらの検証をして欲しいところだ。
 
それはそれとして、交通安全の観点からも、大々的な広報が必要に感ずる。
新技法は雨の日のスリップを減らすという点でも良い。
だからこそその事実を十分に熟知しないと逆に思わぬ大事故になる。
スリップしない平面と、スリップするポイントとのギャップが大きくなるからだ。
危険を忘れて雨の中を飛ばすと大変なことになる。
 
道路の真ん中にあるマンホールのフタ。
道路に書かれた白線ほかのペイント。
そして、またまた掘り起こされる水道・ガス工事の跡。ここでは昔どおりの舗装が多い。
さらに坂の谷部分だけが水を十分含んでいる。
 
交通安全の啓発にも、道路工事の許認可にも、重点的に取り組むべきではないだろうか?
 
「良いことは良い」といい切れないこの消化不良。
何とかして欲しいもんだ。
 

「急いで」というお客。
「どちらまで?」
「そこを右。あとは言うから、急いで!」
 
こんなお客に限って、「あっ、止まって!止めて!」となる。
車の多い交差点の中で停めさせられる。
中央車線からグワーンと急ブレーキ・急カーブだ。
 
そしてこんなお客に限って、支払いにもたもたする。
やおらバッグのチャックをはずし、中から財布を探し出す。
「710円です」
やっとのことで千円札を探し出す。
 
お釣りの290円を渡そうとすると、黙ってあとから十円を差し出す。
いまはやりの「つり銭ぴったり」だ。
あわてて300円に直して渡す。
 
いい加減にしてくれよな~。
 

ここ数日、国会や象徴関連の客が急増している。
補正予算に絡んで、省庁や議員への陳情が増えている。
 
そんな客の、かつ50-60年代の親父に限って、菅直人の悪口を言い続ける。
今日の客は、「運転手さん、菅首相ってほんとに許せないよね」と言い出した。
 
「世界からもらった義捐金の額も使い道も公表していないよね」
「だれがなんに使ったのかも分からないよね」
 
腹の中でせせら笑いながら、話を合わせてみる。
もっと正面から菅打倒を論じられないのか、と。
 
しかも、話をする前に、710円の料金を「千円出すからお釣りは百円でいいよ」と断ってからの演説だ。
 
何を言い出すのか聞くのも一驚だと相槌を続けた。
ま、190円のチップで相槌を強いられたというべきか。
 
この時期、「自民党政権の復帰が必要」などと言い出したら、他の乗務員なら怒り出して、「お客さん、悪いけど、馬鹿を言わないほうが良いよ」と言うかも知れないなと思いつつ。
 
ハイエナのような人生を続ける「えらい人たち」に災いアレ、か。

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