カテゴリ:☆☆続『狂おしく悩ましく』 > 中核派の「新綱領」と「党史」

【ブログ注】『情況』最新号で語られています。詳細は以下


情況 2024年春号 [第6期6号] | 模索舎 A5 240頁


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【読後感】
岩本愼三郎『党はどこに行ったのか』 | 菅孝行

勝者なき「内ゲバ」の決算に一筋の光を見る
-岩本愼三郎『党はどこに行ったのか』 | 長島由紀夫


終わりなき葬送、過ぎ去らない惨苦
『自伝的革命論〈68年〉とマルクス主義の臨界点』 | 幸村燕

川元祥一著『部落差別の原因-国家による天候支配の思想=仏教の「殺生禁断」』
| 小林孝吉


 
……… ……… ………

【注】以下は目次です。「特集 食」 略しました

【連載】

川元祥一と文学者たち 第五章 | 河村義人
戦前は続いているのか?非断絶の戦時(16) | 髙井ホアン
情況喫茶 傍流からの展望 弐 | 中牟田聖司×髙田輝
解説 ウクライナ戦争論争 | 横山茂彦
【特集外】
ハマスと熱心党 安彦良和『イエス』と相澤文蔵の古代ユダヤ民族史研究 | 矢田部健史
マイケル・サンデルとトーマス・ヒル・グリーン | 野沢文哉

市田良彦の『フーコーの〈哲学〉』を徹底読解 後編
戦術談義 運動の技術/現場の工夫
| かわすみかずみ/ヨナカシンヤ/ひょっこり/小峰ひずみ

〈誌上インタビュー〉重信房子『パレスチナ解放闘争史』刊行記念
イスラエル批判を反ユダヤ主義と見なす論理を打破するために | 高橋順一

「#FreeKazehitoSeki」
ガザ虐殺抗議グラフィティを描いて勾留されたアーティストについて | 本誌編集部

コンビニから男性向け雑誌が追放される!? | 中山美里

『自伝的革命論〈68年〉とマルクス主義の臨界点』刊行記念対談I
| 笠井潔×長崎浩

部落差別とは何か | 川元祥一
漫画が伝える戦前の「原風景」 『鬼畜米英漫画全集』の刊行に寄せて | 髙井ホアン

〈独占インタビュー〉浴田由紀子
爆弾闘争50年 東アジア反日武装戦線元兵士が次世代に残す証言



【映画評】代島治彦監督『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』
腑に落ちぬ幾つかの事柄 | 菅孝行
川口君追悼とは真逆の虐殺者免罪映画 | 水谷保孝

【追悼】
追悼 桐島聡さん | 友常勉

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【ブログ注】ひとまずはコメント抜きで全文紹介します。「反戦反戦論」というそうです。

週刊『前進』

革共同第31回全国委員会総会 清水丈夫議長の発言 反戦闘争としての反戦闘争を断固として実践しよう

週刊『前進』04頁(3312号02面02)(2023/09/25)


革共同第31回全国委員会総会
 清水丈夫議長の発言
 反戦闘争としての反戦闘争を断固として実践しよう


 革共同は8月、第31回全国委員会総会(31全総)を開催し、政治局報告(3309号に全文掲載)と全国委員の活発な討論を経て「反戦闘争の爆発で11・19へ」の路線・方針を決定、直ちにその実践に突入した。総会討論での清水丈夫革共同議長の発言を紹介します。(「共産主義者」217号にも掲載。編集局)

権力打倒へ行き着く闘い

 今回の総会で戦争が始まっているということを、厳密な意味で確認しました。ただ戦争に突入している階級闘争というのは、戦後のわれわれには経験がない。もちろん、ベトナム戦争、古くは朝鮮戦争における階級闘争はありました。けれども今、帝国主義の中心と旧スターリン主義ロシアのような大国が、正面からぶつかるような世界史上から言っても考えられないような大戦争が現実となっている。今回、党として整理した反戦闘争論の内容で断固進んでほしいと思います。
 その上で、さらに進んで言うと、日本自身が戦争の主体となるような世界戦争がウクライナ・中国で始まっているということについて、党の確認としてだけではなく、全労働者人民のものにしていく努力が絶対に必要だと思います。要するに、戦争下の反戦闘争がどんどん発展していけば、必ず国家権力とぶつかるわけです。今回、「反戦闘争としての反戦闘争」ということが強調されているゆえんはそういう点にあるわけです。
 つまり、戦時下の反戦闘争とは権力とぶつかっていく、あるいは権力打倒に行き着く以外にないものなのです。この反戦闘争は、党が本気になってやれば、どこまでも発展するし、どこまでも大きくなる。そういう点で、この反戦闘争のもっている権力との激突は、闘争の全過程にわたり、最後的には内乱に勝利するまで発展する。革命に勝利するところにまで行き着くような闘いを、われわれは今から始めるんだということについて、一人の共産主義者として、厳粛に確認しないといけない。
 いま世界戦争が迫って、労働者をまき込もうとしていることについて、共産主義者はどういう態度をとるのか。党や組織と言うまえに、一人の共産主義者として、「絶対に許せない」という精神を確立する必要がある。これを完全に組織的にがちっと固めて、敵階級をぶっとばす、そういう力にしていかないといけない。

「平和的状態」から脱却を

 だから、ひっくり返して言うと、「反戦闘争としての反戦闘争」という提起について、ストレートに断固やるというふうにはなかなかいっていない現実もあります。もちろん、それはそれぞれの苦闘や格闘の中から来る、さまざまな言葉となって表現されています。
 しかしやはり、この提起は、まず反戦闘争——反戦のデモ・反戦のストライキをやらなければならない、という問題としてとらえないといけない。その点は党が命がけで闘うという場合に、少しでもあいまいさや迷いがあったら絶対に闘えないからです。
 このことは、日本では戦後の長い間、平和的な状態が続いてきたことも影響しています。70年以上にわたって、日帝が直接戦争に参戦しない状態が続きました。共産主義者とはいえ、われわれも、長い間、ある意味で「戦後の平和的状態」に慣れ切ってきたということがあるわけです。
 だけど、ここまで日帝が踏み込んできた以上、われわれは覚悟して進んでいかなければならない。戦争に反対する闘争というのはガチガチに尖(とが)っているんですよ。
 また、別の角度から言うと、『何をなすべきか』でレーニンが言っていることをよく学ぶ必要があります。結論的に言えば、労働者階級というのは、戦争と決定的に闘える階級なんだということです。戦争の情勢が動いているということについてよく分かっていて、政治的にすぐれた階級なんです。労働者階級は、反戦闘争を決定的に闘える唯一の階級なんです。
 それが同時に、反戦闘争というのは、労働者以外のありとあらゆる階層、極端に言えば、ブルジョアの個人であってもごりごりに議論すれば味方に引き入れられる。反戦闘争とは、一方で幅が広く、大統一戦線を形成することができる運動なんです。今日、いろいろな議論がありましたが、行動の統一、つまり実際に行動に移して、デモ・スト、その他のいろいろな運動をやるということが必要です。これらの点を確認してほしい。

戦争の根源は米帝大没落

 もう一つは、この「反戦闘争としての反戦闘争」を徹底的に闘うためには、党員全体が「どうしてこの戦争が起きているのか」「誰のために、誰の利益のために行われているのか」、それを一人ひとりがきちっと確認することです。そのことを運動の中で生かしていくことが必要です。
 そういう点では、「現代の世界戦争」とわれわれが言う場合には、まずアメリカ帝国主義の危機を決定的に確認しなければならない。アメリカ帝国主義の力量は戦後史の中で最もボロボロになっていて、「世界の帝国」としての力を発揮することもできないようなところに来ていること。これを一人ひとりが実感して確認してほしい。
 その上で、今の米帝の危機の深さはどこにあるのか。戦後、帝国主義とスターリン主義の相互対立がずっと展開してきたわけですが、その中身が変わってきている。もはや基軸国としてのアメリカが基軸国としての役割を果たせなくなっている。歴史的に見れば、戦後の特異な発展も帝国主義の基本矛盾の爆発を避けられず、1974~75年恐慌と2008年リーマンショック以降の恐慌、この二つの大恐慌に襲われたのです。これを米帝は、どういう形で乗り切ってきたのか。
 端的に言えば、経済の金融バブル化(財政・金融の超緩和政策)なんです。これを軸にして、前期においてIT産業とか、後期になると、五つの大会社(GAFAM)、情報通信関係を中心とした重要な産業が登場する。それが言わば種になって、金融バブルがそれ以上に産業的な発展も含めて、経済成長を支えるというような力を発揮して乗り切ってきました。
 しかし今や、IT産業も過剰資本・過剰生産力の壁にぶつかってしまった。二つの恐慌からの乗り切り策としては金融バブル化と一対のものとして、グローバリゼーションということが重要な役割を演じます。これは新自由主義のもう一つの側面なんです。
 新自由主義(最末期帝国主義の絶望的延命形態)においては一方で、労働者階級に対しては搾取の自由ということでメチャクチャな合理化を行い、失業者がどれほどたくさん出ようが構わないという資本攻勢がかけられる。こういうような精神で、国内階級闘争に向かうわけです。もう一方では、グローバリゼーション、つまり資本がもうかるところでもうけていいというような攻撃がかけられる。そこで問題になったのが中国市場でした。

中国侵略戦争の超重大性

 二つの恐慌を乗り切る過程で起こったことは、帝国主義が中国(スターリン主義)市場に乗り込んでいく。そのことをとおして中国から利益を吸い上げることでした。その結果として、中国は米帝に続いて世界の経済大国になってしまった。グローバリゼーションは中国を思わぬ経済大国にした。さらに言えば、軍事大国にしてしまった。この結果、アメリカもふき飛ばされる危険性さえ出てきてしまった。
 中国市場に依存してアメリカが延命するというやり方は、もう続けられない。このままいったらもっと大国化する、アメリカも手が付けられなくなってしまうかもしれない。もし、米帝がこのままの状態を続けたら、世界の帝国主義として、ほとんど存立不可能なところにまで追い込まれたということなんです。これが、新自由主義の行き着いた先の大破綻なのです。
 その結果、アメリカの軍部を中心に、「今のうちに中国をたたかなかったら戦争に勝てない」「逆にやられてしまう」という声が出てきたのです。いまやアメリカ帝国主義支配階級、軍部は帝国主義の生き残りをかけた戦争として中国侵略戦争を実際に計画し、軍事演習を激しく展開しているのです。
 中国侵略戦争というのは、アメリカ帝国主義の生き残りをかけたものすごい攻撃として展開している。これらのことをはっきりさせて、われわれはこれと全力で闘う。ぜひとも、この反戦闘争の重要性、大きさを確認してほしいと思います。

【ブログ注】以下はしばらくは『前進』関連です。

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2000年6月5日開設 毎週月曜日 定期更新 週刊『前進』

【以上転載】© Copyright.


 

【ブログ注】全学連(中央派)のツイッターから

              PDFを起こしたもの。赤字は当ブログによる。

 

全学連さん (@Zengakuren) / Twitter

 

高原氏による全学連運動の破壊に対する弾劾声明 全日本学生自治会総連合中央執行委員会 - Bing

[PDF]

15 3 10

 

                                                                   2021年3月15

 

  高原氏による全学連運動の破壊に対する弾劾声明

                                                    全日本学生自治会総連合中央執行委員会

 

 全日本学生自治会総連合中央執行委員会(以下、全学連中執)は、310日に行われた高原氏によるSNSでの委員長解任報告と「辞任届」の公表を徹底弾劾します。

 

 一つに、今回の全学連中執と高原氏との対立の核心は、「辞任届」に主張されているようなものではなく、高原氏の全学連委員長としての仲間に対する姿勢と運動方針をめぐったものです。

 具体的には、高原氏の、仲間と向き合わない総括をしたり、戦略を立てるあり方、仲間を駒のように使うあり方です。こうしたあり方は、全学連委員長として運動全体に責任を取ろうとする誠実な態度が高原氏に欠如する中でおきたことです。この問題は、京都大学で懲戒処分を受けて苦闘している学生と向き合わずに空論的な方針を先行させたことを仲間から弾劾された際、その批判に向き合うことなく逃亡し、全学連の総力をあげて処分撤回闘争に取り組むという方針に敵対するという形で極致に達しました。

 

 また、高原氏が「辞任届」で全学連中執メンバーの主体性を否定していることも弾劾されるべきです。「辞任届」に「SOBの方針はMSLの方針となり、中央執行委員の大部分の意見ともなる」と書いていますが、許し難い言葉です。SOBの影響下にあるから全学連中執で議論することは意味がないとする言動は、全学連中執とそのメンバーの主体性・独自性を否定する許し難い侮辱です。まさに上述の学生と向き合わず仲間を駒のように扱う彼の限界性がここにも現れています。

 

 全学連中執は、高原氏の言動を間近で見てきた上で、その在り方を弾劾し、最後は決別することを判断しました。

 

 二つに、高原氏による310日の解任報告と「辞任届」の公表は、全学連中執との議論を蔑ろにして行われたものであり、全学連運動を破壊する敵対行為かつ仲間を売り渡す行為です。

 

 3月6日、高原氏は、全学連ウェブページに掲載することを前提に、「辞任届」を提出してきました。その中身は、あることないことを書き連ねて特定の仲間への悪評を流布するもので、公表されれば、常日頃から処分・逮捕などによる弾圧で学生運動の解体を狙っている国家権力・大学当局へ情報を提供し、仲間を売り渡す行為になるものでした。一方で、上述したような高原氏による仲間への裏切り行為に対する反省は、全くみられませんでした。

 

 全学連中執のメンバーはこのことに驚愕し、このような無責任な「辞任届」を受理することは出来ないと判断しました。そして、彼と共に運動をしていく信頼関係は完全に崩壊していることを確認した上で、38日に高原氏の全学連委員長からの解任を決議しました。

 

 そして、「辞任届」の受理ではなく解任であるという仲間からの厳しい批判を突き付けられてなお、自らの問題点を省みることもないどころか、「辞任届」に組織の内情暴露をさらに加筆した文書をネット上に公開するに至りました。絶対に許すことはできません。

 

 310日の件を受け、敵対・裏切り行為を開き直る高原氏を全学連から追放します。

 

 三つに、全学連中執は、高原氏との対立の表面化以来、自らも無縁ではなかった高原氏のようなあり方と決別して、現場で苦闘する学生と徹底的に団結することで、これを乗り越えていく方針をとってきました。その最大の軸として、京大処分撤回闘争に連帯し、全力で闘い抜いてきました。京大の有志学生が昨年主催した12月処分撤回阻止緊急集会の成功は、

 

 学生が団結して闘うことで、大学当局に弾圧の手出しもさせない「解放区」を作りだすことが可能であることを示しました。集会に全国から結集して参加した全学連の仲間は「1人の仲間も見捨てない」と分断を乗り越えて処分撤回で闘う中にこそ、学生の強固な団結が生まれ、全国大学に学生自治会を建設していく展望があると掴みました。

 

 また、昨年から継続してきた学費減免運動も、コロナ禍で高額な学費に怒る学生と結びつきながら発展してきました。全学連は、高原氏を完全に乗り越えて運動を拡大しています。

 

 

 最後に、全学連はこれからも街頭やキャンパスで地道な闘いを積み重ね、独自の問題意識を持って決起する学生とも討論し、結びつきながら学生運動の発展に向けて行動していきます。「1人の仲間も見捨てない」という法大闘争の精神を継承し、処分・弾圧と闘う学生の団結した闘いで全国大学に闘う学生自治会を甦らせ、大学改革粉砕、改憲・戦争阻止、新自由主義打倒に向けて闘っていく決意です。

 

 全学連中執は新たな執行体制で団結をうち固め、4月新歓を意気軒高と闘っていきます。

 

           全国学生のみなさん、全学連に結集し、大学・社会を変える闘いに共に立ち上がりましょう。

 

                                                                                  以上
【ブログ注】
①何か「雑魚扱いしやがって」と聞こえるのが悲しい。
②中核派の慣例に習って「反省」らしきものも口にしているが、例によって…。
③肝心なSOBはどう言うのだろうか?
④決議によれば高原君の文は、--
「辞任届」に組織の内情暴露をさらに加筆した文書--
  公表はもちろん、受理すら拒否する理由としてはあまり説得力がない気もする。
  これが軽く半年を超える決裂の隠蔽の結末かと思うと、虚しい。
  どうせ外に知れることなら、もっと早く自然体で別れれば良かったのに…
  
  
⑤ま、「反革命」とか「転向分子」とかの恒例の表現がないのが救われる?
  行間にも、今の若者らしい空気が漂っていて、それだけにこんな話になることがなおさら憐れみを誘う。
  「もっと自由に開放的にあれ」…先ずは「全学連」などという旧態依然の「僭称」を辞め…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

【ブログ注】闘うあるみさんから無断転載

 

革共同中央派の、辺野古闘争からの逃亡(富田晋の栄光と逃亡)

 2015.06.02

 さて、沖縄・辺野古現地で革共同はどう行動したか…って、そりゃ「やぐらの闘い」では、85年の10・20三里塚第一公園や、11・29浅草橋戦闘で活躍した、鎌田雅史元全学連委員長が、やぐらから落ちて怪我をするということまで起こっている。関西からも全国からも、それなりに「辺野古現地闘争」に参加していたわけだ。その代表格が、現在IJBS労組 の書記長の富田晋氏である。
 彼はやぐらの闘いから、その後の環境アセスメント阻止行動を、ウエットスーツに身をつつんで果敢に闘った。ウヨさんの世界でも有名だが、「A級戦犯が祭られている以上、自分は靖国には参拝しない」という意味の昭和天皇の話をメモしていた「富田侍従長」の孫であり、親は「元全共闘」である。東京で「ひきこもっていた」のを、中核派系(当時はそこまで党派色はなかったが)のリサイクルショップの沖縄・名護支店である「じゅごんの家」に行き、辺野古での闘いを真面目に取り組むことになる。「じゅごんの家」はHPを作って積極的に現地情報を発信し、私も良くチェックしていた。当時はそれ以外に、辺野古現地の運動情報を使えるHPやブログは、無かったのだ。もともと「いいヤツ」だったから、現地での人間関係も悪くなく、昨日書いた、あちこちで大阪行動などの、辺野古の情勢を本土に持ち帰って運動する団体にも、彼と親しい人間は多かった。「ウエットスーツで迎えた成人式」と報道され、あつこちから「講演」の依頼もあった。
 平夏芽氏が女性問題を起こして精神を病み、脱落・逃亡した後も、彼は現地を支え続けていた・・・ハズだが、なぜか08年の秋に「解雇撤回闘争」なるものを始め、大々的に自らのHPを使って「支援」を呼びかけ出す。その時の混乱は、私が当時書いた記事
富田晋君を支持したいがこれじゃ出来ん(前篇)  (後編) に書かれている。ここでも「ヘリ基地反対協」等からは何の説明もなく、いわば「わけがわからん状況」であった。

 後で事情が分かったため、本来はこれをフォローすべく記事を書かねばならなかった(いや、書いたかも知れない)のだが…富田晋の「解雇」の真相とは・・・

 私が彼と初めて会った時、彼は「命を守る会 書記長」という肩書の名刺を持っていた「何じゃこりゃ」と思いながらも見ていたが、はっきりいって人口6万(中心街だけでは、もっと少なくなる)程度の名護市で小さな「リサイクルショップ」で食っていけるわけでもない…で、「専従の活動家」として「給料」をもらっていたわけだ。(その他、東京の「本家」からの援助もあったであろう)で、そのまま真面目に辺野古の運動に関わっていればよかったのだが、「本家」がだんだん中核色を強く出していく…富田晋も「11月集会」に呼ばれて発言するようになる。そのうち一緒に店を切り盛りしていた女性との間に、子どもが出来た…辺野古のオジー・オバーからの「信頼」も厚かった彼のところに「まるで自分の孫が出来たみたいだ。」と祝福された・・・そこらへんが彼の「絶頂」だったのだろう。

 やがて彼は「中核系」の独自路線を運動内で全面に出すようになる…ただその「理屈」はある意味、正しいところもあるので、前述の記事では私も「評価」はしている。しかしやがて彼は「独自の運動」で忙しくなったせいか、昼間他の人が海上阻止行動をやっている間、冷房の効く「拠点」で寝っ転がってTVばかり見ているという生活が続く。時には「自分の家」に帰って、子どもと過ごしていたということもあったそうな。これでは周りで真面目にやっている人から見れば面白くない・・・当然、「苦情」も出る・・・そこで安次富さんたち中心メンバーが「お前もっと真面目にやれ 」ときつく言った。当然である。
 彼の言っている「独自路線」≒「労働運動路線」も怪しいもので、「うるまユニオン」を立ち上げ、辺野古に来ている仲間を「オルグ」して「組合員」にしていったのであるが、「組合員」の誰もが「賃金労働者」ではなかった…それって「労働組合」か

 ぶっちゃけた話、みんなから「持ち上げられ」有頂天になった所に釘をさされたところ、逆ギレした…というのが本当の所である。
 これを「富田晋」一人の問題で止めておけば良かったところを、中核派は「全国問題」「労働運動路線に対する敵対」ととらえ、現地の運動と一線を画すようになる。かくして富田晋は辺野古から「逃亡」し、「党の助力」を得て「労働運動」を行いだす…辺野古をはじめ沖縄北部には、「振興策」+「安い人件費」をあてこんで、企業のコールセンターが多く立地した…ここの労働者をなんとかうまく組織できたのが「IJBS労組」である。(そのこと自体は、評価しよう…しかし彼はこれまで本当の「賃金労働」をしたことがあるのか…悪く言えば、70歳になるまで「労働者」経験がなかった「塩見隆也」元赤軍派議長と変わらないのではないか?)

 ということで、辺野古現地には中央派系の人間は来なくなってしまった。「じゅごんの家」も閉鎖…その後、中央派から完全に距離を置いた人が「じゅごんの海」として再建し、今日に至る。(「じゅごんの海」は、賛助会員方式で運営されている…私もその一人…といっても、要するに「カンパ」で食っているわけだが、その人は曲がりなりにも「賃金労働者」の経験があり、本当の「解雇撤回闘争」を闘ったこともある人だ)

 「中央派」の「辺野古現地に行かない」病は、すさまじい…mixiで友人になった「中央派」の人間は、わざわざ「富田晋」の演説画像をアップした。そこで彼は何と言ったか?「辺野古から来ている労働者が、(シュワブ前テント等の)現地に行って勝てるだろうか?と聞いてきた…違う、勝つためには『安倍を打倒』しなければならないんだ…」????あのぉ~「安倍を打倒」するために、多くの人が辺野古現地へ行き、陸や海で闘っているのに、地元の人間に「そこに行っても仕方がない」というようなことを平気で言ってのけたのだ (その演説画像、保存しておきゃよかったな…
マル共連 でも一時話題になったのだが)

 沖縄大学に「中核派全学連」が再建されたそうな…ではそこで人を集めて、辺野古現地に行く体制なぞ、なんぼでも取れるのに、全く来ない。別のマイミクさん、辺野古で「沖縄大学の方から、カヌーを教わった」と書いていたので「おお、なんやかんやで中央派も『復活』したか」と思ったら、実は中核派とは全く関係の無い人物であったそうな。来るのは「県民大会」などの大きな集会がある時のみ、自派の方針を訴えるビラを撒くだけ・・・これではカクマルと同じである。(5月9日の「中谷防衛大臣訪沖弾劾闘争」では、カクマルは「真面目」に来ていたのに、沖縄大「中核派」は姿を見せず…この辺はカクマルにすら劣る)

 ネトウヨさんにも教えておこう…「辺野古現地には『革マル派』や『中核派』は来ている」…これは正確ではない。革共同中央派・・・「中核派」から確実に距離をおいた人々が、来ているのだ。

投稿者 あるみさん 時刻 21時28分 かくめいのための理論 | 固定リンク



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革共同中央派の、辺野古闘争からの逃亡(大阪・本土編)

2015.06.01 

  さて私は関西に居たころ、「何か反戦運動やりてぇなぁ~」という気持ちで「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」 に参加、ビラまきや署名活動なりを行っていた。この団体は毎週土曜日、大阪駅御堂筋口の市営バスのターミナル付近で行動している。
 もともと2004年に辺野古でボーリング調査を阻止するための「やぐら攻防戦」に参加してきた人達が、地元に「辺野古基地建設問題」を持ち帰って、「本土」で訴えるために作った団体である。団体を立ち上げたのが8月の始め・・・そのすぐ後に「沖縄国際大学」にヘリが墜落…こんな大変な「事故」が起こったにも関わらず、「本土」の新聞や報道は、オリンピック一色だった…ヘリ墜落事故はだいたい3番目ぐらいの扱いである。
 私はこの団体に、だいたい結成の翌年6月ぐらいから参加しだしたわけであるが、そこにはいろんな人が居た…やぐらの攻防に参加した人だけでなく、ただ反戦の気持ちが強い個人、沖縄が大好きという人から、「法政大学」で黒ヘルをやってて中核派とドンパチやってた人、大井川から西の青ヘルを組織した経歴を持つツワモノ…もちろんここには「前進社関西支社」関連のグループや中核派全学連、「AU(アクト アンド ユナイト)」という、中核派系といわれた若い反戦運動集団もやって来た。なんでも運動を立ち上げた際には、カクマルも来ていたそうな。ま、「辺野古基地建設反対」の気持ちがあれば、誰もが参加できる場であったわけである。
 そういった団体…
京都行動 や名古屋行動、東京行動といったものや、個人、少人数グループで「辺野古基地建設反対」を、辺野古現地にも参加しながら訴え続ける人たちが出てきたのが、このころである

 大阪行動や京都行動では、集めた署名は当時の防衛施設庁(現在は近畿中部防衛局)などに「提出行動」を行い、「基地建設の問題は、沖縄だけの問題ではない!日本の問題である。おなじ役所としてあなた達はどう考えるのか?」などゴリゴリやっていたし、今もやっている。(ただ、役所が開いている平日しか出来ないので、私がそれに参加したのは1回こっきり)・・・そのうち、「渡した署名がどうなっているのか分からない…追跡できる『国会請願署名』をやろう!」と京都の連中が言い出した。いわゆる「請願法」に基づく署名である。当時は小泉の「郵政選挙」で自公が圧倒的多数を誇っていた時代…「請願法」には紹介議員が必要なのだが、どれだけ「紹介議員」になってくれるかも分からない…そんな楽な運動ではなかったが、とにかく現地で繋がった仲間達にも呼びかけ、大々的に全国から署名を集めた。最終的に何筆集まったのかは忘れたが、北海道から九州・沖縄まで、全国規模で署名が郵送されてきた。
 だが、一番の「票田」となる「東京行動」からは、ほとんど音沙汰がない 「東京行動」は、当時現地で闘う「富田晋」氏の本家でもあるが、中核派の影響のみが大きくなっていったようだ…そこから「はじかれた」おっさんが一人で「国会署名運動」をがんばっていたような状況だった。
 10月の国会請願の日、私も年休をとって東京に行った。議員会館をお借りして「総括集会」みたいなことをやったのだが、東京からの参加者は、「労働運動で革命を・・・」という、いわゆる「11月集会」のことばかりしゃべっていた。当時は私も「11月集会」には参加していたので(というか中核派分裂前だから、大阪行動内の中核系は参加していた)が、まわりからは「なんだかなぁ~」という空気がありありであった。

 その後、中核系で後に「中央派」に行く若い連中…全学連からAUまで・・・が、「大阪行動」の中で沖縄のこと、基地のことは何もふれず、ただだた「労働者は・・・団結して・・・資本主義を倒さなければならないっ 」てなことばかり言い出すようになった。おなじ中核系の「大衆運動大好き」人間からも「あれはマイクジャックだ!」と批判されるぐらい、酷くなった。

 そこに辺野古現地で、「平良夏芽脱落」事件が起こる…「違法」環境アセス阻止行動において、海上阻止行動を牽引してきた「平良夏芽」氏が、女性問題を起こした上で精神を病み、「本土」に帰ってしまうというものであった。ただこの時、当事者である「ヘリ基地反対協」からもロクな説明がなかったこともあり、全国の運動は「動揺」した・・・夏目氏は「牧師」でもあって「信望者」も多く、衝撃を受けた人が多いのは良く分かる。ただ後に訊いた話では、「海上阻止行動」が激しさを増す中で、海上阻止行動がまるで「軍隊」のようになったという・・・もちろんその「責任」は夏芽氏にある。

 当然、「大阪行動」の内部からも「平良夏芽」氏の責任を追及すべきである・・・という声が、後に中央派に行く人間(かつ平良夏芽の信望者」から出てきた・・・そのくせ「うつ病」を口実に「会議」には出席せず、裏からメールや電話で人を動かそうという形でやってきた。実際、私のところにも件の人からメールが来たりしている。そして会議では、「夏目氏が精神を病んでいる以上、彼の『責任追及』に力を入れることより、これまで通り運動を続ける」という結論となった。別に「平良夏芽」氏のために運動をしているわけではない・・・辺野古基地建設反対のために運動をしているのだから・・・そうゆうわけだ。
 この「会議」に出ていた「中央派」の人間は、「AU」の若い女性が一人…で、その「結論」を聴いた後、そっと会場から出ていって、後に残った議題については知らんふり・・・でその日から「中央派」系の連中は「大阪行動」に来なくなった。「全学連」はいざしらず、「AU」内部でも路線闘争があったらしく、今大阪行動に来ている人間は、「AU」袂を分けた。現在、「大阪行動」の一部を支えているのは、「再建協」に行った人間ばかりである。

 「中央派」は「大阪行動」に来なくなったばかりではない…関西では「第四インター」系など「反中核」の組合や団体もあって、長いこと非日共系左翼の統一行動とかがとれなかったのであるが、第一次安倍内閣の「教育基本法改悪」阻止運動あたりから、徐々に「1日共闘」をしたりする関係が出来てきた…そのような中で、「中核も反中核も、ノンポリに近いのもOK」という「大阪行動」の果たしてきた役割は大きい…「再建協」側が不十分ではあるものの「第四インターへのゲバルトへの自己批判」を出したこともあり、反戦・反在特そして反橋下の運動では、ゆるやかな統一戦線が組まれたりもしている・・・しかし「中央派」は一切、そのような場に現れない。「自分たち」だけの内輪の集会をこっそり組むだけである。少なくとも関西では、彼らの運動に対する影響力は、ほとんど無いと言ってよい。

これが「中央派」辺野古闘争からの逃亡の「あらすじ」である。次は沖縄における「富田晋」グループの「逃亡」について書く。

 

【ブログ注】闘うあるみさんから無断転載


かくめいのための理論

あるみさんワールドも面白い。ここははやる気持ちを落ち着かせて、ゆったりした気持ちで読みこみたい。

3回連続の予定。記事の中身には06-07年の「党の革命(関西の3・14)」から東西の分裂のころの大衆運動の現場の空気も伝わってくる。

 

相変わらずの「中央派」沖縄闘争
http://tatakauarumi.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-2fa0.html

 2015.05.31

昨日「沖縄報告会」 をしてきたのだが、事前の宣伝が不十分だったこともあり、十名そこそこの参加であった。(そもそも「歴史は消せない」みんなの会」自体、弱小団体であり、主要にチラシをまいたりすることが出来る人が現在体調不良、おまけに私も先週は体調不良でデキモノ直し…というハンデにハンデが重なったものであるが)


 まず最初に、私が辺野古現地でお会いした香川の「映像作家」の方から、辺野古の闘いの記録をDVDにまとめたものを上映(ただし、「作品」としては未完成)…そして私の「辺野古報告」…やたら写真が多くて、けっこう長い時間をとってしまった。どちらかというと、「辺野古現地に行って、闘うための『情報』をセレクトしたつもりではあったのだが…内容はこれまでブログに書いてきたとおり+「辺野古初心者」のための辺野古紹介も入れた。

 その後、NAZEN香川の若い人による5月15~17日の「沖縄闘争参加」の報告である。さすがに「パワーポイント」を使って、要領よく説明してもらった。(ちなみに報告にはプロジェクターを使ったのであるが、最近のノートパソコンはプロジェクターに繋がるコードがついていないぐらい「薄く」なっている…私も古い「XP」のパソコンをわざわざ持ってきて発表した。プロジェクター側も、USBでつなげるようにならないと、こうしたPC内画面を映写することが出来なくなってしまうだろう…ということで各メーカーや「公共機関」には要請したいものだ)

 さて、NAZEN香川の若い人の報告によれば…どうやら岡山の「マスカットユニオン」の人たちと一緒に行動したらしい…神戸空港から沖縄へ、15日には「辺野古の浜」で集会参加、16日は「戦跡めぐり」と、沖縄の「IJBS労組」等との交流会、17日はセルラー球場での県民大会でビラまき、県民大会参加後、独自デモで自らの「沖縄全島ゼネストで闘おう」アピールをしてきたということだ。なお、そのデモには「飛び入り参加者」もいたそうな。

 私がかなり「時間」をとってしまったため、その後の「質疑応答(ゆんたく)時間はあまりなかった…小豆島からわざわざ参加した方から「では、何をすればよいのか、提起して欲しい」と言われたので、発表者3名からそれぞれ答えた。

 香川の「映像作家」の方と私は、「辺野古の”体験”を本土に持ち帰って世論を動かさないといけない。」と言ったのに対し、NAZENの青年は「沖縄は”ゼネスト”状況にある…飛び入り参加者がいたことが何よりの証拠だ。沖縄でゼネストを!」などと答えた。

 残念ながら、何度も言っているように、高松での否共産党系反戦運動は、今回主催してくれた「歴史は消せない!」みんなの会と、「香川連帯ユニオン」ぐらいが細々とやっているに過ぎない。「脱原発運動」になると、やっと
渡辺さと子 氏とその関係者が来ているくらいである(今回はそこらへんまでも「宣伝」が行き渡らなかった…「原発」と「沖縄」は非常に密接につながってる問題なのに、残念である。ま、「四電前抗議行動」に来ている人で来てくれた方はいるけれども)・・・ここで「小さなこと」で「路線闘争」なんぞ行って、ケンカしても始まらない…「中央派」系の方で、「大衆運動の何たるか」が分かっている人からは「今、沖縄でいきなり『ゼネスト』ができる状況では無い・・・云々」とフォローはあった。とにかく、安保法制改悪阻止も含め「出来ることをやろう」としか、「市民運動」的には言いようがないわけだ。(質問者には悪いが、「出来ること」を自ら考えだして実行することが大切で、「何をすれば良いか?」と提起してもらう場所・場合ではないのだ…そのための「ゆんたく」の場である)


会場には「前進」速報版(2015年第5号)や、「星野さんの絵を見にゆく」チラシが置かれていた。
 それにしても、「富田晋」IJBS労組委員長(だったかな、肩書は)のしゃべっている写真を、久しぶりに見ることができた・・・本来なら彼は、「辺野古現地」でカヌーに乗っていなければならない人だったのだ・・・そこから「逃亡」して、「労働運動」を始めたわけであるが、現地闘争の主体(この場合はヘリ基地反対協議会」から批判されたあげくに、「解雇撤回闘争」なるものを立ち上げて運動を「混乱」させたあげく「逃亡」し、「労働運動」を始めた人間…もちろん、「振興策」の元でコールセンターなどが増え、そこで働く非正規労働者を組織しようという「方針」自体は、まったくもって間違いではないが、それが「辺野古基地反対」現地闘争と全くむすびついていないのだ。それは最近「全学連」を再建した沖縄大学での運動にも言える…せっかく「組織」が出来たのだから、そこで「現地に行く」部隊はナンボでも作れるハズだ!かつての「中核派」はそうやってきて、それが「党の権威・信頼」になっていたのだから…
 もちろん「現地」で真面目に闘うことを「前提」とした上で、「オール沖縄」批判や「ゼネスト路線」を掲げてもらうことは、一向にかまわないだろう…それが「受け入れられてくれるか」どうかは、沖縄の民衆が決めることである。

 私的には、人数が少ないことも含め、かなり「脱力」した報告会ではあった…しかし「ここから」はじめないといけないのだ。

 とはいえ、「ゼネスト情勢があるわけではない」と適格に言った方も、「中央派」がどのくらい「辺野古基地建設反対問題」をネグレクトしているかは、よく理解してないらしい。だから次回はその辺の「事実関係」を明らかにしていく予定である。

【ブログ注】
あるみさんが大阪に移ったのだそうな。いつの間にか??

【ブログ注】
ひとまず O'Hanlon  さんのコメントの続きをまとめました。
>以下の行は私の設問の引用。 時に O’Hanlonさんの強調も。
次の行から O'Hanlon  さんのコメントです。
……… ……… ……… 以下 O'Hanlon  さんのコメント…

 すこし間違いがあります。
「翁長は反安保・反基地闘争を終わらせるために知事になった」は私が書いたこと(翁長の著書『戦う民意 』や発言から判断して)であり、「中央派の記事」ではありません。
また、「県民投票への参加」は間違いです。県民投票はそもそも翁長が「埋め立て許可の撤回を先送りにするために持ち出されてきたもの」だからです。
https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/e/c3422df14ba4604cc194aa5b23019047?fbclid=IwAR1QhW7jVzI10d53HqrbHi9FprIYuhqjhfmvm75Ez0c4r12Wc3U8OEDD_oA

   2020-08-05 14:49:27

 「翁長は反安保・反基地闘争を終わらせるために知事になった」となぜ判断したのか。それは翁長の政治的主張を読めば明らかです。
翁長は安保支持・基地支持の姿勢を明確にしています。しかし現状では沖縄「県」にのみ過重な基地負担が強いられており、このままでは沖縄「県民」の安保支持が揺らぎかねないから、より「品格のある日米安保」を求める、ということが、繰り返し語られた彼の主張です。そして翁長は辺野古より規模が大きい浦添軍港については翁長は推進の立場です。浦添軍港を推進するのは、そこに金秀グループの利権がからんでいるからというのは、それほどうがった見方ではないと思います。

    2020-08-05 15:03:05

>「那覇市職労破壊に手を染めてきた根っからの新自由主義者」
     
>この二つの断定を正しいと思いますか?

 「那覇市職労破壊に手を染めてきた根っからの新自由主義者」については、やや不十分ですが正しいと思います。不十分というのは、翁長は単なる「新自由主義者」ではなく、金秀グループの利権代弁者でもありました。

>翁長氏が政治生命をかけて、最後には生死をかけて「辺野古」にこだわり続けたことをどう思いますか? 何よりも「オール」沖縄の下で熱く燃えた県民の思いに共感しますか?

 まず事実認識に違いがあります。翁長が「政治生命をかけて」辺野古にこだわり続けた、とは私は思えません。翁長は言を左右にして「埋め立て許可の撤回」を避け続けたばかりではなく、安倍政権との密室協議に応じて安倍政権を助け、さらに反基地闘争弾圧のために警視庁や大阪府警の機動隊を要請した沖縄県公安委員会に対して何もしませんでした。知事の権限として公安委員を任免することができるにも関わらず、弾圧を許さない公安委員を任命しようとはせず、警察の弾圧を容認し続けたのです。

 「県民の思い」については、翁長の正体についてきちんと報道するマスコミがなかったこと、すべての既成勢力・体制内勢力が翁長の正体を暴露しなかったがためにもたらされたものです。人民をすべての既成勢力・体制内勢力との決別・琉球解放革命(中核派の「沖縄奪還論」は断固として拒否します)へと導く勢力が必要でした。

    2020-08-05 15:43:42

>>1のURL訂正お願いします。

那覇軍港移設は辺野古新基地建設と同根
https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/e/9d02415520552a19daec6fa04a3fb7dc

これもよく読んでください。

>那覇軍港移設容認は翁長雄志前知事が強く主張したことだったことを改めて想起する必要があります。玉城氏の姿勢は「故翁長雄志前知事の容認の立場を引き継ぐ」(19日付沖縄タイムス)ものにほかならないのです。

>これまで繰り返し主張してきたように、「オール沖縄」とは革新勢力を懐柔するために保守勢力がつくりあげた虚構にほかなりません。沖縄県、そして「本土」の革新・民主勢力は、「オール沖縄」のくびきを解き放ち、辺野古新基地と同様、那覇軍港移設にも明確に反対すべきです。

    2020-08-21 08:38:35

>そもそも、あなたは「県民投票に行こう」なのかそれとも中央派も体制内に転落した、論なのか?

 中核派は沖縄においては1968年の主席公選いらい一貫して「革新共闘」という体制内勢力であったと認識しています。
 「革新共闘」は琉球が日本の一部であると認めるものであり、「反復帰・琉球解放」を否定するものです。その意味で中核派も体制内勢力であったということです。

    2020-08-21 08:43:02

>「主観的には辺野古の一点共闘」に政治生命をかけるにせよ、客観的には「終わらせるために」だ。だから主観的にも「終わらせるために」なのだ。上記のような三段階論法をスターリン主義の得意技にしていたことをご存知ですか?

 すみませんがこの部分、主語が抜けているので意味がよくわかりません。わかるように説明お願いします。

>>>たぶんそんなことかと、私があらかじめ「応えた」ことへの回答を下さい。
>つまり仮に O’Hanlonさんや中央派のいう通りだとして、ではどういう態度をとるのか?という問題です。「寝返り転向した革新共闘」とその下の「労働者階級」と無条件に、かつ全面的に決別するのか?あるいはどういう関係を持つのか?断定しっぱなしで済むのか? 話を戻して、「どんな対応をするのか?」、少しでも応えるよう努めてください。

 「労働者階級と決別する」などという馬鹿げた路線があるわけがありません。「労働者階級を体制内勢力から引きはがす」に決まっているではないですか?

>「県民投票に行こう」なのかそれとも中央派も体制内 ?

 県民投票には行かないし、中央派は「沖縄奪還」という「左翼帝国主義」を唱える勢力だと考えます。

    2020-08-22 00:54:29

>「解放革命」とは独立論の一種だとも思える。

 琉球解放革命は、何より反米・反日・反天皇制を強調したものにならなければなりません。中核派が「沖縄奪還」を主張する中、解放派・フロント・ブントが反復帰を掲げたのは正しかったのです。琉球民族解放軍が必要です。

 革マル派も明言はしないものの「オール沖縄」を支持する体制内勢力です。革マル派は県民投票の結果を「沖縄人民の反戦・反基地闘争の一大前進によってもたらされた」とし、自分たちがその戦いを最先頭においてけん引してきたと述べています。さらに日共の「議会主義」だの「反安保の放棄」だのを批判しながら、「オール沖縄」そのものはいっさい批判しないし、辺野古現地闘争には参加していますが浦添軍港については一言もなし。やはり、革マル派は体制内勢力なのです。

    2020-09-17 05:06:39


【ブログ注】勝手にペンネームをつけさせてもらいました。

 

お疲れさまです…【前略】

…コロナ…。

さて、NC(注 中核派の符丁)の「オール沖縄反対論」は、沖縄関係の人にはとても口にできない最悪の論です。私は、沖縄に行くたびに、元中核派であることが恥ずかしくなりました。70年世代の人からも、かつての中核は、すごかった、と聞かされるたびに暗澹たる思いをしました。

基本的に、中核派が、「階級」と「民族」の問題を革命論的(路線的)に止揚できず、歴史的にブレてきた結果ではないか、と私は思います。「労働運動で沖縄闘争に勝利しよう」は、中核派の混迷の結末であり、どんなに公平に見ても、沖縄(現地)的には革マル以下の彼方に中核派は行ってしまいました。少なくとも、現地ではいかに闘うか、いかなる支援を行うか、に尽きます。ある意味、中核派には三里塚闘争の経験と蓄積があり、最も得意とすることろであったはずですが。

しかし、単純な「オール沖縄」で、基地問題が解決できるとは思いません。問題の立て方は、「オール沖縄、か否か」ではないと私は思います。

また、違う観点から言えば、八重山諸島の現在進んでいる自衛隊配備、「先島の最前線基地化」問題については、「オール沖縄」主義者たちは完全に切り捨てています。基本的に自衛隊配備を問題にせず、米軍基地のみを問題にしているところに、「オール沖縄」論の本質があります(沖縄本島と宮古、石垣など離島問題も)。宮古でも石垣でも、現地の反対派に引きずられるように日共…

右から左までの「オール沖縄」の持つ「沖縄ナショナリズム」の危険性について、田仲康博氏は、警鐘を鳴らしています。彼は、「沖縄アイデンティティ論」や琉球独立論についても批判的であり、沖縄左派最後の「本土との連帯論者」だと私は見ています。

田仲康博氏(元ICU教授)

以下を参照ください。講演を聞いて、地域でも来てもらって講演会を行いました。仲間に琉球独立論者の女性がいますが、田仲氏の話を聞いて納得していました。著作も色々出されていますので、参考までに。

 

https://honto.jp/cp/review/dokushojin/08.html 

 

【ブログ注】

 

 「奪還論」とは「沖縄奪還・安保粉砕、日帝打倒」と表現されていた。『前進』などでは「沖縄問題は民族問題ではなく、歴史問題」ともされたと思う。

当時は「帝国主義本国内での民族問題を語るのは反動的」というような議論が圧倒していた。新左翼の世界ではそれが大勢だったと思う。だから「沖縄解放」論が多かった。「奪還=復帰」論自体がそんな批判にさらされていた。今と違って「エスニック」などという概念はなく、民族とは「独立を為しうる力を持った大民族」という意味しかなかったと思う。
 問題はそれ以降中核派の中でも何一つ深まらなかったことにある。
 いや、2つの内戦の中でそんな問題意識も蒸発し、革共同創立以来の蓄積も「実践的に消滅」したというべきなのかもしれない。
  「沖縄を日本革命の火薬庫に」といういいかたもあった。「革命前夜情勢の急速な接近」だっけ? そこから沖縄問題を革命に直結して捉え、いわば日本革命の最短のコースとして捉えて、革命論から逆規定する。当否・正否は別として、見事に破綻してきた現実を長いあいだ認めずにきたその「空洞化」への無自覚・居直りがこのざまだとしか言いようがない。
 言い換えれば「沖縄は日本革命の礎になれ」と要求するもの。
 O’Hanlon  さんの議論のしかたもその延長というべきなのかもしれない。「奪還論」という言葉はたぶん今では中央派でも使われていない、『死語』に近い。また70年に至るあの時代に、復帰運動が沖縄現地で燃え上がっている時に、「復帰はナンセンス」ということの意味を考えて欲しい。歴史を踏まえて欲しい。
 「革命的、革命的」と空回りして自身を神に直結するような選民論に陥って、自縄自縛にいるとしか思えない。
 屋久杉 実感としては、オール沖縄批判は、批判というよりも沖縄県民から相手にされていないことを正当化するための、そして運動に噛めていないことを正当化するための、極めて内向きの論理でしかないと思います。

  こんな論理がまかり通るなら、三全総の路線などあり得ないはずです

民同に支配されているから、ダラ幹に支配されているから、そんな組合運動はナンセンスだと言っているようにしか思えません。

 つまり、自分たちが闘わないことを正当化しているだけです。

 (過去の)三全総路線は、そんな組合でも現場労働者は制動をはね除けて、必死に闘っているわけで、だからこそ革命党として責任をもって、内側から組合を変革するために現場労働者と一緒に闘い、防衛していくっていうことじゃなかったんじゃないですか? 


 白土 当ブログではひとまず以下を参照してください。

 44      ソ連崩壊と反スタの終り
   の中の
 
  ほんの少しだが、白土と水谷氏との民族問題をめぐるやり取りが描かれている。91年?のこと。


その意味でも、故白井朗さんの著作の歴史的意義は大きい。

 参考までに。

ToppageCritic図書室リンクEmigrant
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2010.01.01
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2016年02月09日更新<2001.1.1創設/2009.5.7停止96,037アクセス/2010.01.01再開>2020年9月


                        

                     

【ブログ注】

友人のエイサー氏から話を聞きました。

エイサー 翁長知事誕生からしばらくして、数日間沖縄の知人宅に逗留して色んな話を聞く機会をえました。

ついでに観光もして英気を養ってきました。

翁長知事を生み出した力には保守派の人々が「辺野古の一点共闘」に与して動いたことはだれもが知ることですね。選挙に際しても、その後の色んな動きにもその流れは続いていました。

色んな会合に「私は自民党員」という人たちが顔を出して発言していたと聞きました。

「現役の自民党」という人も少なくない。「限定的」であるにせよ政治的焦点の辺野古・普天間に沖縄保守・自民党員が声を上げること自体、かつてないと言えるのでしょう。

翁長知事誕生を一つの契機に、「文化」の面でも新しい動きがあるようです。

例えば「うちなーぐちを学ぼう」という動きです。首里城の消失ではすごい反響があったと聞きましたが、沖縄の歴史を学び直す、掘り返すという動きです。

「本土復帰」から45年、沖縄も恐ろしいほど変わりました。何一つ変わっていない「米軍基地」とともに変化も大きい。復帰闘争をになった人々も、いまや70代―8090代…。沖縄のおとなたちはいまやほとんどなまりのない「やまとぐち」「共通語」を駆使し、復帰後に生まれた世代にはうちなーぐちを話すことができない人も少なくない。オジーやおばーの言葉を聴くことはできても自分では話せない。そんな世代にもう一度うちなーぐちを取り戻そう、ということのようです。

「沖縄的なものは沖縄的でいいじゃないか」。方言には方言でしか表せない思いや表象もある。

沖縄的な慣習もそれ自体で、ひとまずはそれでいい。変えるにしても本土のシステムや制度・慣習にあわせることはない。

沖縄の中でも、色んな違いや共感の差異も大きいという。地理的や歴史的にもそれぞれの生活史でも、矛盾はもちろんある。

そんな動きも保守の中からも生まれてきた、と。

もともと基地撤去も辺野古も、沖縄を主語にすれば、「なんでそんなものを沖縄に押し付けるのか」「なんで沖縄だけに」は揺るがせにできない問題です。そして「沖縄のことは沖縄に決めさせろ」ということは叫びに近い問題です。

そんな思いや声・動きが「保守」の中からようやく声になり形になってでてきたことは大事だ。それはそれで「保守自身」が問うことでもあり、たんに「革新に移り替われ」という問題でもない。

単なるエピソードや「面白話」に終わらせず、保革あいまっての地殻変動ともいえる動きをしっかりと見つめていきたいと思う。

 

白土 現状の辺野古の厳しさでどうしても論点が絞られて、運動の側からは表に出しずらいことでもある?もちろん語られてはいるが、本土側にゆとりがないのかもしれない。

横須賀 なるほどね。「イデオロギーからアイデンティティへ」とは、沖縄的なものの再発見や再創造という意味や思いもあるということなのか?

 「キャラウェイ王朝」との闘いや復帰闘争以来、基地や対本土の関係で政党の対立や分断が固定化され、保守も革新も2極化・系列化してきたことを「イデオロギー対立」というとしたら、「アイデンティティ」とはもっと多くの広い課題を改めて見つめ直すことでもあるのかもしれない。それは本土側でも似たような問題でもありそうだ。

横須賀 それにしても沖縄と本土の「温度差」はあまりにも大きい。大きな米軍基地を抱える横須賀では「米軍のコロナ」も日常の会話になる。となりの横浜では話題にするにもハードルがある。沖縄の放送も新聞も日常の中で基地がある。これも「構造的な問題」でもあり「構造的差別」の一端だ。やはり沖縄を見据えること、身近に感じることで見えてくる問題は少なくない、小さくない。本土の人間にとっては「本土問題」「自分の身の回り問題」いいかえれば「本土内の問題」でもありそうだ。

  読んでいる限りでは、 OHanlonさんの「解放革命」とは独立論の一種だとも思える。けれど片言隻句だけで、批判されることを恐れて、豊かに語ろうとしない。やっぱり中核派=中央派そのものの論理や発想の一変形の姿ですね。中央派か革マル派? OHanlonさんに聞きたいのは、そんな、人口の半数に近い「保守」を突き跳ねて「労働者階級」や「人民」だけの「独立」論などあるのか?ということですね。もちろん沖縄内の格差や差別ももちろん無視できない。

 

「設計変更」問題も

  「承認撤回」から県民投票、そして今、設計変更問題が県政と政府の激突点のひとつになっている。

 それは知事選勝利の大きな地平だ。安倍政治が「法の枠組み」をあまりに踏みにじってきたとはいえ、「だから無駄」という話ではない。今回はここでまとめることにしたいが、あらためてそのことは確認しておきたい。

 安倍の退陣と遠くない衆議院の解散、そしてコロナ対応での玉城県政と県民生活の現状、それらをめぐってもいろんな火種がある。ま、アメリカ大統領選挙のゆくえも気になる。

ただそれらは別の機会にしたい。

白土 次回は、読者や友人からのコメントをアップしてふくらましていこう。

【ブログ注】
中央派の行動と主張が「一変」したようだ。
今回は2つの行動と記事を紹介するに留める。以下引用……… ……… ………

「復帰」47年 沖縄の怒りと結ぶ 星野さん解放へ新たな団結 辺野古 座り込みで土砂搬入を阻止

 2019527 3038
http://www.zenshin.org/zh/f-kiji/2019/05/f30380101.html

 5月1820日の3日間、「復帰」47年5・15沖縄闘争が闘われた。…【中略】

息の長い闘いが計画崩す

 20日午前7時30分、全国から集まった労働者・学生など120人が名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲート前に到着した。…【中略】… 小雨が降る中、緊迫したにらみ合いが続く。やがて東京交通労働組合などの120人が現地に到着し、合計250人ほどに達した参加者たちが闘争歌「今こそ立ち上がろう」「座り込めここへ」を合唱。これだけの人数を排除するのは機動隊といえど容易ではない。そして午前10時頃、とうとう機動隊が姿を見せることもなく、搬入作業は断念に追い込まれた。なすすべなく退散していくダンプカーをシュプレヒコールで追い払いながら、参加者が大きな歓声を上げた。【以下略】

本年「復帰」47年 5・15沖縄闘争の総括

2019712019731

本年「復帰」47年5・15沖縄闘争の総括―私たちの挑戦と切り開いたもの

 

【ブログ注】

沖縄交流センターから重大な転換論が提起されている。【以下引用】赤字は当ブログの注目点。

 今回はほぼ全文を引用する。

柿本 博人(沖縄労組交流センター代表)

 「復帰」47年の5・15沖縄闘争は、5月18日から20日の3日間を軸に濃密な連続闘争として闘われました。結集した闘う全国の仲間たちの奮闘に心から感謝しつつ、沖縄労組交流センターとしての闘いの総括と感想を明らかにします。

「昨年の延長線上で考えたら、情勢にぶっ飛ばされる」との構えで本年5・15闘争に臨んだ

 昨年の翁長雄志知事の急逝直後の8・11県民大会、それに続く9月県知事選挙、12月から始まった辺野古への土砂投入=埋め立て工事の開始。そして、2月県民投票と3月からの新たな区域への土砂投入という激しい攻防の中で、沖縄情勢は95102110万人沖縄県民大会から始まった地殻変動とも言うべき新たな人民反乱が、さらに「次の段階」に突入していました。
 その核心は、青年・学生、女性の決起の開始でした。さらに全世代にまたがり、世代を超えた決起が新たな闘う団結を芽生えさせていました。はっきりしていたことは、昨年5・15沖縄闘争と比べて次元を画する時代が始まっていることをはっきり示していました。
 これら新しい時代と新たな決起の根底にあるのが、辺野古新基地建設に対する怒りであり、辺野古での闘いへの支持・共感にあるということでした。この辺野古での闘いを様々な形で担っている人々が、沖縄の星野文昭さん解放の陣形を形作っており、星野さんの仮釈放を求める闘いは、辺野古闘争との結合をさらに前進させました。その象徴的出来事が、2月星野さん解放意見広告(沖縄タイムス、琉球新報の地元2紙で掲載)に稲嶺進前名護市長糸数慶子参議院議員が名を連ねてメッセージを寄せるという画期的事態でした。
 こうした情勢の中で、本年「復帰」47年の5・15沖縄闘争の方針は、①「復帰47年」の5・18沖縄集会を、沖縄における新たな情勢と闘いの開始と一体となっていくような集会として実現すること、②辺野古現地の攻防に直接乗り込んで、共に闘うこと、この二つで新たな踏み込みを開始するというものでした。

「復帰」47年の5・18沖縄集会は、現地結集50で、沖縄の新たな闘いの開始と一体となる挑戦権を握った

 「復帰」47年の5・18沖縄集会のメイン講師は、この間の新たな沖縄の闘いを象徴する「チーム緑ヶ丘1207」のお母さん方にお願いしました。一昨年12月7日、「緑ヶ丘保育園」での米軍ヘリ部品落下事故から活動を開始、昨年の4・18「止めよう!戦争」沖縄百万人署名運動総会に講師として招き、12・9「改憲・戦争阻止!大行進 沖縄」の結成集会でも講師を引き受けて頂きました。
 講演は今回で3回目。誰にでも伝わるようにと、新たなDVD映像を準備し、講演の始めと終わりに2本のDVDを上映。
 内容は、「素朴」だが、沖縄闘争の「原点」を確信を持って語りかけるものでした。基地の「県外移設」「本土移設」論を主張するこれまでの運動のあり方とは一線を画する闘いの始まりは、今の情勢を物語るものだと感じました。
 読谷出身の糸数慶子氏には、彼女の自己史を語って頂きました。結びは「沖縄の全基地撤去と星野文昭さん即時釈放のために闘います」と。チーム緑ヶ丘1207や星野暁子さんの思いと強く結びついた内容でした。
 5・18沖縄集会には、星野絵画展参加で結集を呼びかけた新たな女性労働者が参加しました。前日昼、沖縄大学構内で星野解放集会をやりぬいた沖縄大学自治会の赤嶺知晃委員長は、新たな沖大生らの結集を勝ち取りました。また、全電通時代の労働運動を象徴する労働者や、基地の請負で働く労働者の結集をかちとることができました。
 新たな沖縄情勢の土台には辺野古現地の攻防があり、ここに沖縄における星野闘争も完全に重なり合っています。問題は、この情勢の中で、どのような態度で辺野古現地攻防に臨むのかということでした。
 確かに、現地攻防だけでは工事は止まらないのは事実です。それは、選挙でも県民投票でも同じです。そうではなくて、現実の沖縄の労働者階級の闘いの中で、辺野古現地の攻防がどういう位置を持っているかということです。「現地攻防では基地建設は止まらない。職場の闘いが重要」と言うのは、正論だとしても、それだけ行っているならば、現実の沖縄の労働者階級の闘いに背を向けることしか意味しません。県知事選39万人、県民投票42万人と私たちの存在と闘いが別の所にあるとすれば、当然、私たちこそが改めなくてはならないということです。階級的労働運動を実践するとは、こうした転換を明確にすることです。実際、私たちは、昨年からの護岸工事の本格的開始と土砂投入に対して、現地行動への参加を可能な限り追求してきました。
 5・20辺野古現地闘争は、結果的に「奇襲戦」ということで午前中の土砂搬入を阻止することができました。「169台が資材搬入、市民ら50人抗議」との5月28日付沖縄タイムス記事には、「約300人が集まった20日は、3回の資材搬入のうち1回を追い返した。大勢が集まれば工事を止めることができる」との発言が紹介されています。
 私たちは、5・20辺野古現地での決起で、辺野古現地攻防への「再上陸」を堂々と宣言しました。現段階で恒常的な現地闘争体制をとるわけではないし、とれない現実はありますが、節目節目での闘争参加をしっかり行っていくことを決意して、報告と感想とします。

5・20辺野古現地闘争現地攻防にどのような態度で臨むのか

………以下略

 

 

【ブログ注】

上記の「以下は略」はHP自体で上の記事がほぼダブっているので削除しました。

交流センターサイドでの明示の「転換」論がありました。

赤字部分を注意しながら読んで下さい。

発行は昨年6月。旧執行部の木崎氏らが「女性差別事件」の隠蔽を追及されて土壇場にあったころ。天田書記長らの「3人組」が沈没した。

労働運動路線をめぐる攻防は、外から見れば、のたうち回る3人組と混沌を衝いて、「溺れる犬は打て」式に前面化したと言われる。この時期の沖縄闘争での転換論は注目に値する。

 ただ『前進』には反映されたようには思えない。暫定執行部の議論にも、外見では反映されていない。

それに加えて… 

これは私の『前進』離れのゆえだろうか?それとも? 

  

 5・15平和行進

沖縄復帰47年 全国の労組関係者ら

会員限定有料記事 毎日新聞2019518日 西部朝刊

 本土復帰(1972年5月15日)から47年を迎えた沖縄県で17日、平和を訴える「5・15平和行進」が始まった。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の県内移設に向け名護市辺野古沿岸部で埋め立て工事が進む中、全国から駆け付けた労組関係者らが「新基地建設を止めるぞ」と声を上げた。

 米軍基地が集中する沖縄本島中北部を巡るコ…


【ブログ注】

もちろん、現地では「5・15」その日に平和行進がありました。
 5月18日はたしか土曜日。その後実際に辺野古現地への参加があったのか否か、
『前進』を斜め読みする限りでは、那覇での集会やデモを除いて見当たらない。

 

今回はここまで…

やはり棚上げ?(コメントから)

中央派の主張などについて、ブログでは19年止まりのようなので、いろいろ『前進』をめくつて見ました。やはり何もないようですね。
春季や夏季の論文でもこれといった展開は見当たらない。
「再上陸」論はよく言って「棚上げ」状態なのでしょうかね。

2020-09-06 20:37:23 

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