カテゴリ:☆☆続『狂おしく悩ましく』 > 荒川s問題など

メールから関連部分を抜粋します。

【以下引用】

中野フラク解体?

岸・水谷両氏(以下「両氏」)が何故「荒川S事件」のクロ説にこだわり続けるのか?
その〈由来〉が少しづつ見えてきた。
やはり「あと一歩まで中野氏を追い詰めた」「それをやりきれなかった無念」「その結果の返り討ち」という思いにありそうだ。

貴ブログでも繰り返し書かれているが、両氏の声明や『敗北』本ほかの一つのトーンは、中途半端であいまいな「中野=スパイ」論にある。
「栗×スパイ事件」(1997年)は両氏によれば「スパイとしての『格上げ』」に驚いた本人が前進社に駆け込んで「発覚」した事件だ。いわば「おかしいと思いながら結果としてスパイに情報を流していた」ところから一転して「スパイとしての報酬と待遇」を提示されたということか?
岸氏らのスパイ対策委員会はそれを逆手にとって、栗×氏の指導下の二人の『前進』編集局員をも槍玉に挙げて「思想闘争」をやったとされる。
両氏「声明」や『敗北』本によれば、中野氏の対応が一部断片的に繰り返し語られている。

しかし実際の進行や標的は、「中野氏本人をも含む?『中野フラク』解体」にあったというのが今日的には明らかだ。
栗×氏に連座させられた二人の「若手」の一人には、後に中野氏から深い謝罪の手紙が寄せられたという。「守れなくてすまなかった」という内容だと聞く。労働組合の指導者としての中野氏の仲間への思いの深さと、当時そこまで追い詰められていた「中野フラク」の窮状が垣間見られる。
97年は自称「左派」の絶頂期のひと時でもあったということか?

それにしても両氏の「暴露」のあいまいさは理解の外だ。この時清水議長はどんな対応をしたのかが分からない。清水氏が割って入って彼に押さえ込まれたのでその経緯を語れないのか?未だに清水氏らの救済者としての出番を期待しているのか?
 今回は、両氏の「中野主敵」論について書いてみた。
… … … … … … … …  

【注】「栗×」としたのは、以下の意味がある。
1.事件そのものが、スパイ神保による「格上げ」(明示な形でのスパイ化)を提示された栗×氏が自ら申告して発覚したという経緯による。〈誘いに乗りかけた〉という話だが、最大限に言って〈乗りかけた罪〉にとどまる。処分としては「一定期間の謹慎・活動停止」が打倒だろうか?
 しかも公式には秘密裏に処理されて、当時に戻って検証する材料は乏しい。
2.同じことだが、すでに20年が過ぎた。「刑が終わって一定期間を過ぎれば、記録は残るが法的には『前科モノ』ではなくなる」。
3.さらに11年、東日本大震災での被災者支援のトラック部隊での活動で、「9条改憲阻止の会」(その後の経産省前テント村など)で「復帰」したこと。「大赦または名誉回復」。
4.ブログ「資料蒐集」(抜き書き云々)などでの「反党分子」の「実名報道」のいやらしさへの嫌悪。(「革命」の名によるスパイ行為ともいえる両氏への軽蔑)
 
                             (労働者派)

【間に合わせ】に転載しておきます。
おおむね言いたいことを言ってくれています。
ただあくまで「想定」だから、「これが正しい」という話ではありません。
とはいえ議論の「バランス上」、一度は言っておきたい話です。
勝手に段落・行換え、行明けしました。

「マル共連二軍」から


【以下引用】
0374 すえいどん 2016/03/05 14:25:38
>>357

荒川スパイ説の荒唐無稽
流砂10号158頁 水谷・岸「敗北本を語る」
>荒川74年9月保釈、当時の群馬県委指導部のQに「オレは党の情報をいっ
ぱい知っている。権力と取引できる。完黙と言うことにして話すことができる
」と語った。Qは聞き捨て、封印。しかし革共同の声明に接し、封印してきた
記憶を反芻…未決中に党の情報を売った動かぬ証拠

御両所、気は確かかと言いたいです。
伝聞証拠の最たるものであり、およそ不合理不自然で信用性は認めがたい。そのQと言うのはだれなのか。

この時点で荒川が指導部に対し裏切ったことを自慢げにいうということがありうるのか。

現場にいなかったのに起訴された荒川に
「自供した奴がいるのではないか。党には完黙したと言うことにして権力と取引した奴がいるのではないか(指導部がそのあたり点検しないと)」
と言われ、点検できないQが沈黙したというならわかりやすい構図。

Qの反対尋問をしないと使えない証拠であることは明らか。これを鬼の首でも取ったように持ち出すあたり、はなはだ疑問(伊藤律スパイ説破綻の本などご参照ください) 【以上引用】

 『争論』記事の主要部分を転載する。

【以下引用】

岸・水谷両氏の「あらかじめスパイ説」の虚構

1『救援』縮刷版による「新事実」

『流砂』に掲載された「Q氏の40年ぶりの新証言」と岸・水谷両氏による補足的「分析」による荒川氏の「あらかじめスパイ」論が崩壊した。

今回明らかにしたい事実は、「荒川氏の保釈は75年前半である」ことだ。

(『救援』縮刷版によると75年前半。75年6月説もあるが、議論としてはこれでも十分過ぎるのでとりあえず75年前半説とする。つまり1月~6月。詳細は後述)
…【中略】

2 両氏の「あらかじめスパイ」説
…【中略】

3 「荒川だけ保釈」云々はデマ
今回明らかになった事実は上記の②の虚構=デマの崩壊だ。
結論は以下のとおり。
 
荒川氏の保釈は、両氏説から3か月~半年以上あとの75年前半である。
 
このとき奥深山氏はすでに出所していたこと。また星野氏は未だ逮捕もされていなかったこと。
よって「同じく起訴され裁判闘争をたたかっている星野文昭さん、奥深山幸男さんと切り離して荒川だけ保釈となったこと」論はまったくの虚構であること。
 
【以下略】

詳細は以下から


 とりあえず知人からのメールを転載します。

【以下引用】
 栃木の小学生殺害の判決のように、自白尊重の姿勢が中央は強すぎます。
 水谷さんは経験からする、推測が中心。
 そして、荒川さん本人の反論も、決定打に欠ける。

 いずれも、それなりに説得力はあるものの、確信させるだけの内容とはなっていない。

 いわゆる、物的証拠が一つもない。状況証拠だけです。それを、中央も荒川さんも出さないから、推定無罪としか言いようがないわけです。

 荒川さんがスパイだとしたら、それこそとんでもないことですが、それ以前に相当な範囲でガラス張り化されているわけだし、腐敗も進んでいるわけで、それらについて臭いものに蓋状態の方が、余程問題ではないかと私は思います。

以下は知人宛のメールからの抜粋です。(一部補足)


【以下引用】
  「資料蒐集」に「荒川自白文書」がアップされました。繰り返し読んだ結果は、「抜き書き」ソノモノの正体が不明という結論です。[カッコ]では「ほぼ原文」とか原文批判も交わり、「口述」のはずが「書いている」になったり。反中央のフラクの部分が異常に長かったり。
 異常に多い[カッコ]の注を除けば、文書としての体をなしていないのが最大の特徴でもあり、その点への説明はぜひ欲しい。

  分かったことは以下です。
 ① [カッコ]の筆者は原文を脇に書いているようでもあり。少なくとも読んでいる。
 ②[カッコ]は「抜き書き」の作成者か提供氏と「蒐集」の共作でありそうで、少なくとも意見の交換をしあう仲らしい。

 全体として、荒川パンフのいう互いに複数の(坂木氏らによる)〈捜査報告書〉(ワード化)と荒川氏の〈意見(書)〉(手書き)、をまぜこぜにしたものとも読めます⁉
 
 先ずは蒐集氏と文書の提供氏に、原文の構成と「抜き書き」の性格と構造を解説して欲しいところです。(できれば『抜き書き』作成者も)

 まずは「抜き書き」部分の原文集のそれぞれの日付またはタイトルが必要です。

 荒川パンフによれば、まず「反党活動」を追及されたということで、「日付」は大きな意味をもっています。

 流れの中では、荒川氏の手書きの「自白文書」または、自白の署名の有無は事の核心になりそうです。荒川氏の特徴ある字体は、多くの関係者にとって「すぐ分かる」そうです。
 たった1枚のコピーかスマホ写真でいいのです。

 【補足】蒐集氏の解説への初歩的質問の追加
1、「そのため、同文書の抜き書きが作成され、限定された範囲で共有されていた」とあるが、これは「準公文書」と言う意味か?それとも規律を犯して秘密裏に作成・共有されたものか?

2、「抜き書き作成者によるかなり詳しい各種の註」という説明は「〔〕内は、後から補ったもの」と同一のことと読んでいいのか?蒐集による追加はないのか、などなど。

3、とりあえず、「自白文書」を言い換えて「告白集」とでもいうことにしようか?

批判に耐え、それなりの説明や説得力をもつには、それなりの分量も必要でしょうが、他の機会か他の人に任せましょう。

それにしても「ほんとにしつこいな」

 今や、中央派への批判を措いて、「シロかクロか」の議論が「元白」の間で異常に焦点化してしまったようで。
 岸・水谷の両氏にとってこういう形での蒸し返しがどんな意味をもつのかが分からない。

 ここで『流砂』10号を紹介したことにも色んな意見があります。

 両氏の「対談」は読みましたが、いくつかの政治局にかかわる新事実には注目しました。
 ただ、「理論的・実践的」議論はパス。もっと事実に即して語れ、です。
 内容については前掲の目次から想像してください。

 その上で、「荒川スパイ事件」への異常なこだわりにはうんざりします。
 ここでは「良くぞ言った両氏のデマ」というにとどめます。
 とりあえず、両氏の「クロ説」が「根拠のない暴言・妄言」、「底の知れたためにする言説」だということが明らかになったということ。いわば「妄想の世界」。

  「流言飛語(りゅうげんひご)」というのが適切でしょうか?

 両氏のクロ説の〈自滅〉によって、「推定無罪」論は、相対的にもうひとつ「よりシロに近いものになった」と言えるでしょう。
 とはいえ、「流言」は人を惑わし毒を撒き散らすもの。大事な仲間の中に混乱やいがみ合うことになるのですが。

投稿から関連部分を転載します。
【以下引用】… … … … … … … … 
岸・水谷両氏の「新証拠」を読んで両氏による「クロ」説が「根も葉もない」妄言であることだけは分かった。「ためにする」ものと断定したい。
13年の実刑が権力によるサジ加減〉だなどとよく言えたものだ。言うに事欠いて…。「いくら嫌いな奴だからと言って言ってはいけないこともある」。長期・重刑を耐えて闘ってきた人に対する「同志」としての礼を失ったら、「イスト」としても終わりだ。

「争論」に『流砂』10号での岸・水谷両氏の「対談」の骨子が紹介された。
   クリックしてみてください。

投稿から関連部分を転載します。
【以下引用】
… … … … … … … … 
『流砂』10月号の岸・水谷両氏の対談「自著を語る」を読んだ。

荒川スパイ事件については、彼らのこだわりや論理が読めば読むほど分からなくなる。
 
『流砂』で「補強された」スパイの「証拠」はあまりにひどいし、(未決拘留を合わせて)獄中15年3か月をスパイのための下獄とするなど噴飯極まりない。どうしたらこんな突拍子もないことを考えたり公言できるのだろう?
 見方を変えると、「対スパイ対策委員会」のレベルがこんなに低劣なものだったとはとうんざりする。
これでは本格的なスパイの摘発などできるはずがなかったろう。中央の中枢に近いところにスパイがいる、そんな気がするけれど、彼らにはそのスパイに踊らされるのがいいところだったろう。
 
もっといえば、「内部かく乱分子」として左翼世界でもう一度脚光を浴びたい、という願望を顕わにしたとでもいうしかない。そうでも言わなければ我慢できない。
腐敗の極みだ。
【以上引用】

10月19~20日に不起訴・釈放とのこと。「その喜びと勝利感があふれる中で10・21闘争は大成功した」(『前進』ブログ版から)

 戦争法粉砕の国会闘争を先頭で闘った全学連(全日本学生自治会総連合、斎藤郁真委員長)も11・1集会への大結集を呼びかけています。全学連はこの秋、法政大、京都大、東北大、広島大、沖縄大を先頭に反戦ストライキと自治会建設をかちとるために全力で闘っています。
 安倍政権は戦争法粉砕の闘いの前進を恐れ、スパイ化攻撃と闘う全学連の指導的な4学生をデッチあげで不当逮捕するなど、全学連への弾圧を強めています。警察の弾圧とスパイ化策動は、戦争への道です。絶対に許せません。4学生を必ず奪還しよう。11・1集会に参加し、労働者とともに銀座をデモしよう。(『前進』から)


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