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ガザに心を寄せていただく皆さんへ
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関連する記事を以下、
[2023年12月/四六判/374頁/]
《RED ARCHIVES 05》
著=岩本愼三郎
発行=社会評論社
目次:
第I部 私と革共同-光と影の幾歳月
第1章 革共同全国委員会の出発-六〇年安保闘争と三全総
第2章 七〇年安保・沖縄闘争という挑戦
第3章 いわゆる「内ゲバ」について
第4章 三里塚二期攻防と先制的内戦戦略
第5章 国鉄分割・民営化と「戦後政治の総決算」
第6章 国鉄一〇四七名闘争始末期-革共同の失われた三〇年(1)
第7章 安保再定義と百万人署名運動-革共同の失われた三〇年 (2)
第II部 革共同の諸問題
第1章 共産主義的政治をとりもどす-松本意見書 No.1
第2章 革共同全国委員会の歴史と教訓-松本意見書 No.2
第3章 迷走する「綱領草案-あるいは革共同の墓標
第4章 二重の敗北としての国鉄一〇四七名「和解」
第5章 党はどこへ行ったのか-「党の革命」「党の階級移行」という茶番劇について
第III部 現代社会を読む-『ピスカートル』からの抜粋
「太陽をとらえた」近代科学の果てに
経産省前テントをめぐる裁判闘争
原子力ムラの闇を照らした光
東京都知事選挙の悲劇と喜劇
憲法と戦争と沖縄
国家緊急権と立憲主義の死
人智をこえた人災から何を学ぶか
菅政権という末期症状
コロナ敗戦と亡国五輪
連合べったりで自滅する立憲
泥沼化するウクライナ戦争と世界大戦の危機
化けの皮が剥がれた自民党政治
GAZA 大量虐殺の果てに
レッド・アーカイブス 顛末記 | 川口 顕 ¥3,300
【ブログ注】
⑴著者紹介から
1940年生まれ
59年 東京工業大学に入学 その後に革共同全国委員会に加盟
2008年 革共同を離党
⑵私(白土)の記憶の断片から
革マル派との分裂で中核派を選んだ数少ない人の1人
私が1年生の時、1966年の年末に1か月だけの「マル学同臨時書記局員」として
参勤した時に、親しくお目見えした。秋山全学連の直前の話。
78年に私が『前進』編集局員になった時、たしか岩本さんが編集長だった。あるいはその直後か?
要町の本社2階の狭いながらも2室を使ったEB室で生活を共にした。ま、本命の水谷保孝氏が下獄中
でその臨時代行みたいな感じ?
後に『破防法研究』編集長。
松本意見書はぜひとも。
時間切れでひとまずアップします。後日改めて追加予定。
「どうやら、壁っていうのはパレスチナをどんどん追い詰めながら、同時に、パレスチナという存在そのものを呑み込んじゃおうとしている。かつてはあんなに豊富にあった「あいだ」がもうなくなってきている。壁が目指しているのは、こちら側の拡張で、あちら側をなくしてしまう、ということなんですね。
ぼくの友人で非暴力平和運動のリーダーであるサミ・アワッドは、エルサレムに住んでいたおじいさんを48年の戦争で亡くしている。戦争前、子供だった彼のお父さんはいつも近所でいろんな民族の、キリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒の子供たちと一緒に遊んでいた。互いを区別しながらも、混然と、雑然と生きていた。境界とはそういうものだった。しかし今では、ガザに住むおじさんやおばさんたち親族と、西岸地区に住むサミは、もう何年も会うことすらできない。
日本にもう40年も住んでいるイスラエル人の元兵士で、家具職人をやりながら熱心に平和活動をしているダニ・ネフセタイという人がいます。彼によると、彼がまだイスラエルに住んでいた頃は誰もが自由に西岸地区やガザに行けた。ユダヤ人でも普通に買い物したり、パレスチナの人々と付き合うことができたって。
1967年の戦争の後なのに、イスラエルとパレスチナの境界とはまだそんなふうに両者が混じり合う曖昧な領域だった。両者は顔の見える関係だったし、お互い、どんな暮らしをしているかが見えていた。でも、今ではイスラエル人には壁の向こう側にあるパレスチナが見えなくなっている。【以上転載】
この報告から数年後の「今」を読み解くと、パレスチナ人も、そして特にユダヤ人はなお、互いの顔を忘れて20年、相手を恐ろしい敵・猛獣のように想像して突き放すような20年を過ごしてしまったということになる。生まれたばかりの赤子がハタチになってしまったのだ。
壁を取り払う、壁の向こうにいる互いの生きた姿を日々垣間見る。そんなことから始めない限り、対話も共存も成り立ちそうもない。
第15~16回公判(3月7、9日)でっち上げ供述調書の破綻
★★大坂救援会★★
「星野、奥深山、大坂が死亡した警察官を殴打していた」とするでっち上げ供述調書を多数作成した当時の取調検事・中津川彰の証人尋問が第15回公判で行われました。体調不良を理由に1月の公判に不出頭だった中津川ですが、弁護団・支援の強い怒りに追い詰められ、ついに法廷に引きずり出されました。
違法な取調を「正義」と開き直った中津川 第15回公判
検察官は「中津川元検事は高齢であり、事件に関して何も覚えていない」と主張し、星野裁判での公判調書の採用を求める策略でした。中津川もこれに乗っかり、自らの年齢さえ大きく間違えるほどでしたが、弁護団の反対尋問に追い詰められ、次第に本性をむき出しに開き直り始めました。
父親が取調室でARを殴りつけ、それをきっかけにARが供述を始めたことに対し、「公安部の検事としてARの人間性を立ち直らせたと自信を持った」「こういうおかしな人間に対して、まともな人間にさせるために検事になった。ARを反省させられた」と暴力的な転向強要を自慢。
黙秘権を侵害する違法行為ではないかと弁護団に詰め寄られると「考えないね、そんな」「おかしいじゃないかというが、これは僕の人間性。ARのため、ARの父親のため」と開き直りました。検察庁で取り調べるのではなく、自ら警視庁地下取調室に出向き、警察の調べに続いて深夜に取り調べを行ったことを「サービスだ」と主張するなど、拷問的取り調べの実態とでっち上げを是とする国家権力の本性が中津川の証言を通して赤裸々に暴かれました。
もっとも許せないのは、弁護団がこうした拷問的取り調べの実態を具体的事実を突き付けて追及するや逆切れし、大坂さんに対して「正義の味方の中村巡査が殺された。生きていること自体が、正義の味方として私の正義感が許さない」と暴言を吐いたことです。無実の星野さんや大坂さんをでっち上げておきながら、何たる言い草でしょうか。でっち上げの下手人=中津川を絶対に許さないぞ!
M証人が中津川のでっち上げ手法を厳しく弾劾
第16回公判は、中津川にでっち上げ調書を作られたMさんが証人として出廷しました。
青年労働者だったMさんは社会の矛盾を感じ、中野社研で学習会を重ね、反戦青年委員会の仲間と11・14闘争に参加しました。
翌年1月に事後逮捕され黙秘しますが、最大で1日18時間に及ぶ拷問的取り調べを受け、意識がもうろうとする中、でたらめな供述を強要されました。
証言台に立ったMさんは「黙秘が認められず、拷問的取り調べをうけ、うその証言をさせられた。知らない人を、捜査官に言われるまま認めた。信念を曲げて供述してしまい、今でも悔しい。無実のKさんに迷惑をかけ、50年間いつも負担だった」と涙ながらに訴えました。厳冬の1月に取調室の窓を開けっぱなしにされたり、わざと手錠を外さないといった拷問の実態や、知らない人を特定する「写真面割」のでっち上げ手法が法廷で暴露されました。
両日とも、権力への心の底からの怒りがあふれる証人尋問でした。傍聴していた若者が「見ごたえがあった」と興奮して友人と語り合うなど、権力のでっち上げは完全に暴かれました。
第26・27回公判 弁護側立証、無実の証言続く
裁判は弁護側立証に入り、大坂同志の無実を明らかにする証人の登場で権力のでっち上げが一層明白となっている。
証言台に立ったのは、元東京南部地区反戦の◯氏、元工学院大のY同志、元東京西部地区反戦の I*氏、ら。
第26回公判 「工学院に大坂はいなかった」
当時工学院大学の学生リーダーとして11・14闘争を闘ったY同志が証言台に立った。
Y同志は
「群馬の奥深山幸男さんから、デモで使う旗ざお作りを手伝うと連絡が入った。彼らは数日前から東京に来て、デモの準備をしていたようだ」
「工学院は三多摩全学連の拠点校。三多摩の仲間は出入りするが、群馬の学生が来たのは初めて。千葉の大坂さんは工学院大学に来たこともなければ、来なければならない理由もなかった。皆、各地区で闘争への参加を全力で組織していた」
と真実を突きつけ、権力のでっち上げストーリーを破綻に追い込んだ。
群馬の学生らのでっち上げ調書に繰り返し登場する「工学院大学の責任者」Y同志の毅然とした法廷証言に、検事は反対尋問で事実関係について全く触れることができなかった。ひたすら「あなたは革共同集会に参加しているか」「昨日行われた星野・大坂集会に参加したか」「裁判の内容を熟知しているのではないか」と、証言の信用性に少しでも傷をつけようとケチ付けを試みたが、まったく迫力を欠いた。「工学院で見た男が殴っていた」「それは大坂だ」という権力のでっち上げストーリーは完全に崩壊した。
第27回公判、反戦労働者が殴打現場の証言
第27回公判では渋谷闘争に反戦青年委員会の労働者として地域の仲間をまとめる立場で参加したI 証人が、殴打現場に大坂同志と似た身長・体格の人物がいなかったことを明快に述べた。
「殴打していた人は大柄で、横幅もあった。体格からして大坂さんとは別人」
「当時の私の身長は178センチ。大坂さんの手配書の記載と一緒。私と同等の身長の人は、警察官を取り囲んだ集団の中にはいなかった」
「私は殴打現場を取り囲む輪にいて事態を目撃したが、部隊をまとめるためにデモ隊の総指揮者である星野さんに注目していた。
星野さんは殴打現場ではなく、そこから離れた十字路にいた」
と証言し、殴打現場に大坂同志がいなかったことのみならず、故・星野文昭同志の無実もまた明らかにした。
第28回公判 「殴打者は大坂さんではない」 共に闘った労働者が堂々と証言
東京南部地区反戦青年委員会の労働者として11・14闘争に参加したHさんが証言した。
H証人は
「隊付きレポという役を命じられ、デモ隊に並行して動き機動隊の動向を報告するように求められた。だが、いてもたってもいられず仲間と共に闘い、東急本店前で現行犯逮捕・起訴された」
「取り調べでは『殴打現場にいただろう』『神山交番に放火しただろう』と追及され殺人罪でっち上げも覚悟した」と、自らの闘いを明らかにした。
そして
「殴打現場を至近で目撃した。のちに大坂さんの指名手配写真を見て、絶対に間違っていると一瞬で確信した」
「沖縄闘争を憎悪する権力によるでっち上げ弾圧だ」
と権力を弾劾した。
「殴打者はガタイのいい男だった。大坂さんとは全然違う体つきだった」と言い切った。
検事は「証人が目撃した殴打者の身長は170㌢か、171か、それとも172か」など、実にくだらない反対尋問で傍聴席の失笑を買った。また「証人は革共同政治集会に、渋谷暴動事件の証人自身の裁判が終わった後、42回も参加している」など、証言の信用性を傷つけようとしつこくケチ付けを続けた。
だが「星野さんの虐殺は許さない。大坂さんへのでっち上げを許さない」という証人の固い決意と真実の証言の迫力が権力を圧倒した。
証人尋問の後、審理計画についての手続きが行われた。6月の残りの公判期日をすべて取り消し、次回第29回公判は7月6日(午前10時 東京地裁)に行うことが決まった。
裁判所は、弁護側が求めていた免訴に関する証拠調べ請求を、すべて却下する暴挙を断行した。半世紀以上前の事件の裁判が「違法ではない」と開き直り、免訴について審理すら行わないと言い放ったのだ。
裁判所による「奥深山幸男の公判停止が35年以上の長期にわたったとしても、大坂被告人に許容しがたい不利益が生じたものということはできない」「裁判所の判断に刑事法の研究者の知見が必要であるとは言えない」との決定は、怒りに堪えない。
大坂裁判判決公判
12月22日(金)午後2時 東京地裁429号法廷
※傍聴券配布のため、1時間前集合
【以上転載】……… ……… ………
【ブログ注】 これが全てでは全くないけれど、東京南部のHさんと東京西部・杉並(とは書いていないけど)のⅠさんが、自ら神谷町の現場にいたと証言し、”そこにいたのは大坂氏ではない”と断言したということ。
腹を決めた2人の証言には、身が震える。「決定的な証言」でもあるが「偉大な決起」ともいえる。
以上
【補足】弁護側証人の3人は、それぞれ革共同(中核派)の「常任」を務めた人だ。工学院大学→本社、東京南部・千葉。
後者の2人はすでに「同志」ではないらしい。年月の経過を思い知る。同時に、大坂裁判も、「元同志」たちの決起に支えられていることをはっきりさせた。
私がパレスチナと出会ったのは2008年年末です。イスラエルのガザ攻撃に、意を決して、福岡市天神の繁華街で座り込みを始めたヤスミンさんを知ったのです。
福岡生まれの彼⼥はガザに住むパレスチナ⼈と結婚し、七⼈のこどもの⺟親になりました。が、イスラエルはビザを出さず、⼊国を拒否、それ以来、毎晩の携帯電話の通話がお互いの⽣存確認となったのです。詳しいことは「ハヤティ・ パレスチナ 夢をつなぐカフェ 」(新風舎)を読んで下さい。
ヤスミンさんは福岡市で「ヤスミン・ライブラリー」を⽴ち上げ「パレスチナのこどもに本を。⼤⼈に仕事を」を掲げ、パレスチナ問題の後援会、映画会、アラブ料理の試⾷会などに取り組んできました。私もそれを⼿伝いながら、ガザなまりのアラビア語を学びました。
挨拶程度しか話せませんが、ガザに住む彼⼥の家族に会うために彼⼥と友⼈たちとパレスチナにも⾏きましたが、ラファ検問所で追い返され、それはかないませんでした。 それ以来15年間、イスラエルの攻撃をはじめ、占領・封鎖・虐殺のガザの⽣活を、間近に感じながら闘ってきました。
今回の攻撃は今までとは次元が違います。 ガザの⼦どもたちの「ヒカル=光、攻撃を⽌めるために何かして」のメールに福岡市での集会やデモに参加しています。私⾃⾝の思いを知ってもらい、11⽉19⽇に福岡市天神の街頭で訴えた内容等を記します。
「イスラエルはガザの⾚ちゃん、病⼈、住⺠を殺すな!爆撃やめろ!」のボードを掲げ、当初の予定をオーバーして2時間のスタンディング街宣を福岡市でやりました。駆けつけてくれたのは2⼈、本当にお疲れさまでした。
イスラエルはシファ病院を攻撃し、電気も切断し、保育器の⾚ちゃん、病気と闘っている病⼈、医療スタッフ、南部に避難できずシファ病院に避難していたガザ住⺠を殺した。⾚ちゃんや彼らが何をしたというのか。⽣まれたばかりの⾚ちゃんを殺した。まだ始まったばかりの⼈⽣だ。この世でやったことは呼吸だけなのに。イスラエルは⾚ちゃんにも死刑宣告を突きつけ、執⾏した。
その「罪」はガザでパレスチナ⼈として⽣まれたからだ。ガザで⽣まれた、パレスチナで⽣まれた⼈間は皆殺しにしている。イスラエルはシファ病院にハマスの指揮所を発⾒できず、第⼆段階として、南部を攻撃し始めた。
ブッシュが「イラクは⼤量破壊兵器を所持している」として、イラク侵略戦争に突⼊した時と同じだ。侵略者の⼝実はいつも同じだ。イスラエルはハマスが⼀⼈でもいるところは攻撃する、ハマスを⼀⼈残らず殺すといっている。これはパレスチナで⽣まれたパレスチナ⼈は全員殺すということと同じだ。
両親を、きょうだいを、⼀族をイスラエルに殺されたパレスチナ⼈の⼦どもはその仇を討つと⼼に誓う。当たり前のことだ。
なんの「罪」を犯したから殺されたのか。イスラエルが暴⼒で「建国」した⼟地に先祖代々住んでいただけだ。それだけの理由で殺されている。ハマスは消滅しても、パレスチナ⼈は次のハマスを組織するだろう。北部を爆撃し、死体とがれきの⼭にしたイスラエルは次は南部を死体とがれきの⼭にするのだ。
今、ガザ南部地区は⾷料が尽きた。ミサイルに当たらなくても飢えて殺される。ガザの夜の寒さは厳しい。
⾬期に⼊り先⽇も冷たい⾬が降った。ミサイルに当たらなくても凍え死ぬのだ。電気はない、⽔がない。トイレが機能しない。WHOは感染症の蔓延と犠牲者の続出を警告している。ミサイルに当たらなくても、感染症で死んでいく。
イスラエルは占領・封鎖で⼈間がどの程度まで⾷料不⾜に耐えられ、電気も、⽔道もどこまでぎりぎりに抑えられるか、ガザ地区のパレスチナ⼈は⽣きていけるかを75年間⾒続けてきた。
パレスチナ⼈はミサイルで殺されなくても、オスロ合意(1993年)後の⾒せかけの独⽴で気⼒も失い、⼈間の尊厳を奪うような、真綿で⾸を絞められ、とうとう⽣きる気⼒も体⼒も尽き果てている。
⾃殺を禁じるムスリムのパレスチナ⼈に、⾃殺者が急増している。 ヤスミンさんはガザの⼦どもたちにハマスになってはいけないと厳しく⾔ってきたが、「今では、もう仕⽅がないね。」と思っている。
2023年10⽉7⽇を忘れるな、とイスラエル⾸相ネタニヤフはいう。また、ハマスの暴⼒はいけないとパレスチナを語る評論家は⾔う。
ちょっと待ってほしい。ハマスの⾏動を評価、批判する前に2023年10⽉7⽇の前⽇のニュースを⾒てほしい。75年前まで、さかのぼってニュースを調べてほしいとは⾔わない。数⽇前、1か⽉前、半年前まででもいい。パレスチナのヨルダン川⻄岸地区の⼈が何⼈殺されているのか、占領しているイスラエルの⼊植者が銃を持ちどれだけのパレスチナ⼈を殺したか、イスラエル軍がどれだけのパレスチナ⼈を殺したかを知るだろう。
そしてイスラエルは強盗の論理で、その都度、責任はハマスにあるとしてガザを空爆してきた。ミサイルと真綿で⾸を絞め殺す⼆つのやり⽅でどれだけのパレスチナ⼈が殺されてきたことか。パレスチナに⽣まれたパレスチナ⼈という理由だけで殺され続けている。
「ヤスミン」とガザで呼ばれてきた日本人女性の彼女はその著書「ハヤティ・パレスチナ 夢をつなぐカフェ」(新⾵舎)で、⽬隠しされ、⼝をふさがれ、⼿⾜と体を縄でぐるぐる巻きにされ、転がされているパレスチナ⼈が最後の抵抗で⾜を振り回したことに、暴⼒はよくないとだれが⾔えるのかと書いている。
イスラエルの攻撃はどうしたら⽌められるのか。国際世論の⼒も⼤切だ。しかし、イスラエルは国連の決定を無視し続けてきた国だ。それでも⽇本を含む国際世論の声と⾏動は重要だ。
決定的にカギを握るのはイスラエル社会と政治だ。
イスラエルの⼈々がネタニヤフ政権を打倒し、せめて中道左派の政権ができれば停戦は可能だ。 その契機はイスラエルにある。10.7で殺され、また⼈質にとらわれた⼈たち。その⼈たちの家族、⼀族、友⼈の悲しみは何を持ってもかえることはできない。愛する⼈を失った⼈の悲しみを⾒ることほど⾟いことはない。かける⾔葉もない。
そのあなたが味わっている苦しみをパレスチナ⼈は75年間味わってきた。あなたが悲しいことはパレスチナ⼈も悲しい。⾟いことは同じように⾟い。ここに⽴てば何かが変わり始めるはずだ。
今まではイスラエルの攻撃は停戦が成⽴すると⼀段落したものだ。国際政治は⽇本も含めてガザ復興資⾦の供与を約束し、停戦に⼊る。この復興資⾦は⼝約束だけで終わり、それと踵を接して国際社会はパレスチナを、ガザを忘れる。私はいつもそれを、またかと感じてきたが、今回は違う。
⼈道の回廊でガザに住むパレスチナ⼈は、シナイ半島の砂漠の新しい難⺠キャンプに閉じ込められる。もしも、ガザの⼈々が⼀⼈でも⽣き延びていたらの話だが、もう復興などは夢物語になる。停戦は新たな占領と封鎖と虐殺の始まりだ。
【ブログ注。アラブ諸国、パレスチナ人の強制移住に反対 イスラエル・ガザ戦争めぐる首脳会議で -
BBCニュース】
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昨⽇、何週間ぶりにかヤスミンさんは、ガザの家族と話ができた。わずかな時間だ。彼らは南部ハンユニスに避難している。運よく屋根の下にいる。パンは⾏列に並んでも買えない。冬物はもって出る暇はなかった。寒い。インターネットはそもそもバッテリーが⾼価でだめ。電話の途中で、ミサイルの爆発⾳がした。
電話は、「ぼくたちのことは⼼配しないで、ママの病気がよくなることを祈ってる」で切れた。 2023.11.19
【以上転載】……… ……… ………
【ブログ注】
「
「あなたが悲しいことはパレスチナ⼈も悲しい。⾟いことは同じように⾟い。」
この言葉をしっかりと心にとめて行きたい。
イスラエル軍の南部侵攻が始まっているいま、「甘い」と言えば甘い。
虐殺と破壊の末の占領統治の意図もあまりにもあけすけだ。
さらにまた、「停戦・終結」で何も終わらないことも見え見えだ。
けれども「今後はけしてパレスチナを忘れない」という言葉も虚しさが付きまとう。
けれど、けれど、だからこそ、どんな場合でも上の言葉を忘れまい。他には代えられない。
【追伸】家族たちはいま現在は「元気だ」とのこと。
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(前略)
3。 「アルアクサ洪水作戦」は、なぜ起きたのか?
今、パレスチナでは大規模な戦争が起こっています。攻撃を開始したハマスは、「アルアクサ洪水作戦」と呼んでいます。日本ではハマスの攻撃と言いますが、ガザの解放勢力が一致団結してこの作戦に参加しています。ハマスのアル・カッサム旅団、ファタハのマルワン・バルグーデイを指導者と仰ぐアルアクサー旅団、PFLPのアブアリ・ムスタファ旅団、イスラミックジハードなど、が一丸になっています。
何故こうした大規模な作戦に踏み切ったのでしょうか? パレスチナの生存の闘争が臨界に達するほど人種差 別、民族浄化政策が続いたからです。その結果なのです。
洪水作戦はアラブ民衆に決起を呼びかけ、民衆の連帯でイスラエルや、アラブ政府や国際社会の現状を変える戦いを復権しようという意図もあります。
①去年12月末にネタニヤフ政権が成立し、これまで以上に極端なパレスチナ人への民族浄化が続きました。「イスラエルの歴史上最も過激な人種差別主義の右派政権」と西側報道が報じるほどの政権です。ネタニヤフは汚職で起訴されており、有罪になっても首相の免責特権を持てるように右派の要求を受け入れてやっと政権を作り上げ、司法改革を目指しています。
②この政権の特徴は、国際法も国連決議も無視して「占領地」と「イスラエル」という区分けを取っ払い全部イスラエルの領土としてパレスチナ人への侵略と弾圧を進めていることです。
③「ユダヤの力」党首ベングビールを、新設された国家安全保障相に抜櫂し、イスラエル国内ばかりか、これまで国防省が管轄してきた占領下の西岸地区や国家警備隊が管轄した東エルサレムの治安維持を含めて、ベングビールに全土一括統制下に置く権限を与えました。就任直後からのイスラーム聖地への挑発、扇動で入植者と軍の一体となったパレスチナ人弾圧が続きました。
④占領地併合を主張してきた「宗教シオニズム党」のスモトリッチは、財務相と、占領下パレスチナ人の出入国をも含む社会生活を統制する民生局をも管理する大臣を兼務することになりました。入植地の拡大併合、自治政府に代わって占領下パレスチナ人の税の代理徴収した財産をパレスチナ側に渡すのを停止しました。パレスチナ人の生活潰し追放を日々悪化して来ました。またイスラーム教徒にとって神聖なエルサレムのアルアクサモスクのこれまでの取り決めを無視して行動し、ユダヤ教の祝祭の場に替えようとして来ました。スモトリッチは4月、欧州で公然と「パレスチナ人など存在しない。パレスチナ人の言語、通貨、歴史や文化もない。何もない」と断じていました。こうした大臣たちが入植者を鼓舞して挑発扇動を繰り返してきました。その結果、激しい民族浄化、人種差別の弾圧挑発殺害が日々深刻化していました。
⑤ネタニヤフ政権は司法改革に対するイスラエル国民の激しい反対にも直面し、その批判をかわすべくパレスチナ人への弾圧が益々激しく続きました。この間だけでも、7月にはジェニーンでの難民キャプヘの大規模攻撃が反撃されてアパッチヘリを投入して殺戮を繰り返したり、入植者が何百人も押し寄せて村ごと破壊追放しようとしたり、パレスチナ人の集合住宅を違法だと難癖をつけて爆破したりと激しい民族浄化が繰り返され、すでに260人が殺されていました。
ネタニヤフは9月 国連総会で「新しい中東」として地図まで掲げて勝利宣言のように演説しました。この地図のイスラエルには西岸パレスチナ自治区もガザも抹殺されてありません。シリアゴラン高原も含めて併合済みの大イスラエル地図が国連の場で堂々と掲げられました。サウジアラビアを含むアラブ諸国がアブラヒム合意を基礎にイスラエルと経済関係国交を開く「新しい中東」を作ると。(「パレスチナ問題の解決なしにイスラエルと国交を結ばない」というのがアラブ連盟の原則でしたが、イスラエルは逆に「アラブ諸国と平和条約を結びパレスチナ問題を解決する」と主張してきた長い歴史が、サウジを巻き込んで終わるという宣言でした。しかし、イスラエルと和平を結んだどの国の国民も、パレスチナ問題抜きの和平を認めていません。だから「アルアクサ洪水作戦」で各国民衆の反シオニズムの意思を力として各国政府に働きかける契機とする意図もあったと思います)
4、 イスラエルは何故パレスチナ勢力に敗北する事態を招いたのでしょうか。
おごり高ぶった入植者とネタニヤフ政権は、パレスチナ人、アラブ人を蔑視し、その結果、ハイテクと最強を誇る諜報機関も役に立たず、一方的に非国家主体に敗れました。現地の報道では、エジプトが1週間前にハマスの攻撃をイスラエル側に通報していたようです。モサドも情報を得ていたと考えるのが自然です。結局ネタニヤフが、ハマスらの攻撃を望んだとみるのが妥当だと思います。どうせ手も足も出ないガザにいるパレスチナ人なんかに何が出来るのか、飛んで火に入る夏の虫、とばかりにハマスに暴れさせてそれを口実に根絶やしにしてやろうと、高をくくっていたのだと思います。
ところがパレスチナ解放勢力側は、50年前の中東戦争を記念する日を選び、あの第四次中東戦争を思わせる規模の大攻撃をやってのけました。ネタニヤフ政権は、大慌てで遅れてハマスを根絶やしにすると大虐殺をはじめています。ガザを封鎖し、水、食料、電力も完全停上しました。この封鎖は2006年にハマスが選挙でファタハに勝利して以降、ガザヘの集団懲罰の如くずっと制裁封鎖は今に至るまで続いてきましたが、さらにもっと徹底的です。 (つづく)
未来第378号 (miraikakukyodo.jp) 8面
4、(承前)京都市の40数パーセントにしかならない土地に230万人がおしこまれて暮らすガザ地区は「天井の無い牢獄」と言われてきました。イスラエル国防相は、パレスチナ人を「ヒト型動物」と非難しましたが、それはナチスがユダヤ人を非難した言葉であり、地上戦がこれから正当化されようとしています。パレスチナ人の命をどうでも良いと考えているイスラエルの指導者に、人質を大切にする考えはありません。米欧の政府がハマスを非難し、イスラエル支持の大合唱をしている限り、更に空爆、地上戦による戦争犯罪を繰り返すでしょう。
わたしは、パレスチナの友人たちと共に闘い、生と死の命を日々見つめる中で生きてきました。
私たちは戦いの中で、無関係な民間人を巻き込み危険に晒し被害を与えた過ちも犯して来ました。だから自分たちの反省としても今こそ訴えたい。どんな戦時下でも武器を持たない人の命を奪うことは許されないと。
自らの反省としても、どの、誰の命も奪い合って欲しくないのです。イスラエルの音楽祭など、武器を持たない民間人を殺したり、人質とすることも、ガザの無辜の住民たち民間人をシステマチックに無差別に虐殺することも、唯憎悪を広げ解決を遠ざけるということを、私は自らの闘いの教訓として訴えたいのです。特に、イスラエルは、こうした戦争犯罪、国際法無視の占領政策が日々、パレスチナ人を解放勢力に育てていることを知らないのでしょうか。
私がPFLPにボランティアとして戦い始めた記録の一部は、去年出版した『戦士たちの記録』(幻冬舎刊)で記しています。(その中で述べているように、イスラエルや西側のメデイアは私がリッダ闘争を企画したり関与した様に印象操作をしていますが、私はリッダ闘争に具体的には何も関与していません。しかし占領に抵抗するPFLPのリッダ闘争を支持し、義勇兵として戦った仲間たちの、決然としたパレスチナ解放に命を捧げた献身を心から敬愛しています。又、日本赤軍は民間人を盾にしたり間違った戦い方をしましたが、人を殺したことはありません。これも印象操作されていますのでひと言付記します。)
ハマスなどパレスチナ勢力を非難する前にまず考えてほしいのです。だれが占領者なのか?
と。イスラエルが占領者であり、パレスチナ人が占領された土地に住む被占領者、被害者であるということ。この前提を抜きにした発言が横行してきたことが、平和解決をここまで損なってきました。ガザの「人道危機」ではなく、ガザのパレスチナ人に対するイスラエルの「戦争犯罪」なのです。まず占領者が裁かれ、占領をなによりも終わらせるべきなのです。占領者と被占領者の暴力を同列に置いてどっちもどっちと論じるのも欺瞞です。パレスチナ側は被害者なのです。占領に対して、人間の尊厳を掲げて戦うことは国際法、国連決議でも認められてきました。世界人権宣言に基づく権利を勝ち取る抵抗権は世界の人びとの奪われてはならない権利です。まず国際社会がこぞって占領をやめさせる方途を作るべきでしょう。
そしてあの京都市の40数パーセントの土地に230万人のパレスチナ人が押し込められ、出入りを許されない監獄と化したガザに対する停戦と包囲解除を訴えることが火急の問題なのです。ウクライナでロシアの侵略に抗議して戦っているウクライナ人が英雄なら、イスラエルの占領に対して70年以上戦っているパレスチナ人も英雄です。テロリストではありません。
パレスチナ、中東情勢はこれからどうなるでしょうか。
今年9月はイスラエルとPLOアラファト議長の間で合意した「オスロ合意」から30年目に当たりました。合意したイスラエルのラビン首相は暗殺され、ネタニヤフ登場によって変わりました。パレスチナに不利なオスロ合意に基づく和平交渉さえも拒否し続けたのがネタニヤフ政権でした。
そして臨界に達したパレスチナ人の怒りは、「アルアクサ洪水作戦」となって爆発しました。イスラエルは、敗北に衝撃を受けてパレスチナ人の生存を更に狭め、民族浄化の徹底的な暴力支配をこれまで以上に続けるでしょう。アラブ諸国も国際社会も目先だけのパレスチナ問題解決の見直しを問われるでしょう。アブラハム合意を結んだ国々を含めて、どの国のアラブ民衆もパレスチナの大義を支持し支援して共にある以上、アラブ諸国政府はイスラエルと足並みをそろえることが難しくなるでしょう。今、占領者の側にたって、平和や民主主義を語る米国の二重基準を、ウクライナと比べてみて欲しい。また「すべての当事者に最大限の自制を」という日本政府の呼びかけも、これまでそうであったようにイスラエルの占領と国際法無視を批判し抜くことなしに解決することが出来ません。
今こそ、この戦争を中東情勢の平和的解決への転換のチャンスとして、パレスチナ問題の解決を求めます。それは、イスラエルの占領地からの撤退、パレスチナ人の民族自決、難民問題の解決を目指す国際社会のイスラエルに対する包囲からはじまる公正なアプローチこそが問われています。世界が忘れている国連決議181号に立ち返ることが、公正な解決の道だと私は思います。あえて私は国連決議181号を訴えたい。
1947年の決議181号では、ユダヤの国とパレスチナアラブの国、2つの国を作ること、エルサレム地区は国連が管理することを決定しました。それを無視してイスラエルが占領を続けていること、それを米国が無条件に支援してきたことが戦後秩序を歪め破壊してきたといえるからです。ガザのパレスチナ人の命を護る戦い、人質を護る戦いは、ウクライナ、パレスチナ含む戦争を停止させ反戦平和を闘いとることと一つです。
イスラエルの戦争犯罪を告発する戦いは既に世界各地でパレスチナ人に連帯して広く行われています。こうした世界の動きに目を向け想像し世界とつながる日本を描いて欲しいのです。これから厳しいイスラエルのパレスチナ人への弾圧が続くでしょう。更にイスラエルはレバノン、イランヘの侵略を射程に入れています。でも私は悲観しないで連帯します。民衆のシオニスト・イスラエルヘの闘争心は更に深まるのを知っています。
パレスチナの友人が言っていました。「希望を持ち続ける限り希望は消えない」と。もう一人の友人が言いました。1990年代のことですが、「今世紀は負けても、次の世紀には必ず勝つ」と。世界は最早、米欧諸国の二重基準で壊れた国際秩序をあてにしていません。国家レベルですがBRICSでは、
サウジアラビア、UAE、イラン、エジプト、という中東の四カ国を含む6カ国が新たに来年から加わります。世界のエネルギーの6割を掌握し、脱ドル体制を目指すでしょう。8月キューバで開催されたG77プラスチャイナは既に34カ国が加盟しており、首脳が集まりました。議長国として登壇したキューバ大統領は、途上国は不平等な貿易や気候変動問題などで先進国の犠牲となってきたと批判し、「われわれグローバルサウスが、何世紀もの間続いてきたゲームのルールを変える必要がある」と主張しています。
世界は資本主義の一元的文明ではなく、自然な流れとして多極的な多文明の社会を求めています。50年、百年先を考えればよくわかります。
日本が今のままでは心配です。自民党の米国政府追随の戦争政策、立ち遅れた家父長的文化を変革して、アジアと善隣友好的に立つ日本を生き延びさせましょう。国内の暮らしの中からの反戦の行動とともに、国境を越え、二重基準を排した、より公正な世界秩序を求めるパレスチナを含む人民連帯の行動と結び合って、何としてでも日本の戦争への道を押しとどめたいと願っています。(おわり)
イスラエルによるガザ地区への軍事侵攻は、止まることを知らない凶暴さだ。今すぐ撤収しろ!
イスラエルの占領・植民地政策は止まることを知らない。そして状況は「最終戦争」の様相を呈している。「ジェノサイド」―かつてはユダヤ人大虐殺に使われたこの言葉がイスラエルの行動に向かって叩きつけられようとしている。
ただ私個人の情況は思うように任せない。
ここで現状を論じたりするのは書くのは荷が重い。で、「もう一度、どう考えたらいいのか」の資料を整理するにとどめたい。
特に、二つのインティファーダを挟んで、ガザやヨルダン川西岸様変わりしているようだ。
振り返れば私自身と言えば、パレスチナ問題を知ったのと、イスラエルのキブツを知ったのはほぼ同時の1960年代末。20歳になるかどうかのころ。そして現地ではイスラエル「建国」以来まだ20年。まだまだ「イスラエル国家の消滅」の可能性は充分ありそうに見えた頃だった。
時を経て、どうか?
世界が一回り二回りすれば、その可能性もゼロではない。
とはいえ、とはいえ、だ。情況から目を離さずに、あらゆる角度から、あらゆる可能性を探るしかなさそうだ。
【ブログ注】.あえて「ヨルダン川西岸の現状」から始めることにした。パレスチナそのものも、元はと言えば中東・アラブ社会の一部ということで、あえてこの地図もつけてみた。
【ブログ注⓶】見出し部分を右クリックするとリンクが開けます。
【ブログ注③】技術上の限界で、図がダブったり予定外の場所に飛んだりしています。あまりに時間と精神力を費やしたので、これで良しとします。
「1948年、イスラエルの建国宣言を受けて第1次中東戦争が勃発しました。 200以上の村が破壊され、70万人以上のパレスチナ人が故郷と家を失いました。
これを、パレスチナでは「ナクバ」(破局)と呼んでいます。 周辺諸国に逃れたパレスチナの人々は、以来「故郷への帰還」を切望しながら、70年以上にわたり難民として生活してきました。
当初70万人だった難民は、避難先で三世代、四世代目となり、 今や約560万人に達して世界で最も大きな難民グループとなっています。
UNHCR(国連高等難民弁務官事務所)」
……… ……… ……… ……… ……… ………
ユダヤ人・イスラエルによるパレスチナ占領の歴史を地図で表示する↑。
区画としての「パレスチナ」とはイギリスが勝手に決めたものだが、当事者も便宜上これに従っているようだ。
ひとまずここでは、このパレスチナを「パレスチナ全土」としよう。
オレンジがパレスチナ側。緑茶がイスラエル側
① イスラエル建国以前の1946年。英国の委任統治の領域としてのパレスチナ。パレスチナ人の土地は、全土の94%を占めていた。ユダヤ人入植はすでに始まっているがまだ6%ほど。
⓶ 同47年の国連分割決議ではパレスチナ側の「領土」は全土の43%に縮小された。半分以上をイスラエルの「領土」とされた。
③ 48-67年の中東戦争の結果、さらに25%に。
④ そしてヨルダン川西岸でのイスラエルによる占領と植民の結果、今ではその支配地域は全国土の8%に縮小。イスラエルが92%を占領支配しいるという。
類似する地図はいろいろとありそうだが、色分けと合わせてパレスチナ側の地域区分を % で示した「パレスティナのこどもたち」から引用した。第3次中東戦争以来、実はヨルダン川西岸地区でのユダヤ人入植地は虫食い的に恐ろしい勢いで拡大している。
西岸地区を細切れに分断する「エリア」
パレスチナへの旅を振り返って(その2) 辻信一 (sloth.gr.jp)ヨルダン川西岸を訪ねる者が行ってすぐに覚えなきゃいけないのが、a・b・c というエリアの区別です。これを覚えないと自分がどこで何をやっているか分からない。
2010年現在、ヨルダン川西岸地区は統治者によって、3分されている。
1. A地区…パレスチナ政府が行政権、警察権共に実権を握る地区。2000年時点で面積の17.2%[3][4]
2. B地区…パレスチナ政府が行政権、イスラエル軍が警察権の実権を握る地区(警察権は、パレスチナ政府と共同の地区も含む)。2000年時点で面積の23.8%
3. C地区…イスラエル軍が行政権、軍事権共に実権を握る地区。2000年時点で面積の59%。2018年現在で面積の「60%以上」[5]
現在でも(2020年)ヨルダン川西岸地区の主な統治者はイスラエルであり、パレスチナ人住民はイスラエル国防軍軍律によって統制されている(ユダヤ人入植者は、原則としてイスラエル国内法が適用される)。また、C地区はA地区、B地区を包囲し、さらに細かく分断するように配置されている[6]。
さらに、C地区でのパレスチナ人の日常生活は大幅に制限されており、家屋・学校などの建築、井戸掘り、道路敷設など全てイスラエル軍の許可が必要となる[7]。特に住居建設の許可が下りる事はほとんどなく、イスラエル軍は違法建設の住居を撤去し、罰金を課する。国連によると、2010年だけで少なくとも198の建造物が撤去され、300人近くのパレスチナ人が強制移動を強いられた[8]。
2018年5月9日、イスラエル国防軍は「ユダヤ・サマリア」に命令1797を布告した。これは、イスラエル軍が「違法」となった新築建造物(未完成または竣工6ヶ月以内または居住30日以内の建造物)を、司法手続きを省略して、96時間以内に異議申立が無ければ撤去できる内容である。命令自体は、ユダヤ人入植者も対象となる。
OCHA(国際連合人道問題調整事務所)によると、イスラエル軍によるパレスチナ人所有の建造物の撤去は、2017年は月平均35件、2018年は月平均38件であったが、2019年は52件と増加した。2020年は、新型コロナウイルス感染症流行初期の1-2月は、月平均45件に減少したが、3-8月は月平均65件と、2017年からの4年間で最も多くなった。OCHAは、命令1797によって建造物の迅速な撤去が可能になり、所有者が異議申立の手続きを取れなくなっていることを懸念している[9]。
続く ……… ……… ………
下線のあるのが…
ガザ地区たこ揚げで東日本大震災の被災者激励
2016/3/13 20:53 MAINICHI PHOTOGRAPHY
「お互い様」ですね。東日本大震災では、何も米軍だけでなく、実に多くの国や民衆から励ましをもらったことを改めて知りました。
パレスチナ問題はなぜ世界でもっとも解決が難しい紛 …
パレスチナ問題は宗教対立じゃない? 複雑な事情をやさしく解説
イスラエル支配の完成図の崩壊
揺らぐ米の中東政策・世界戦略
米欧のユダヤ人問題・アラブのユダヤ人
「ポスト植民地主義」の視点
「社会主義革命こそ」?まずは「どんな?誰とだれが主人公?」
この間の O‘Hanloさんのコメント関連をこの記事に集約しました。いくつか(特に私=白土のコメントが)抜けたりしているようですが「技術上」のこととしてご容赦を。
22年6月5日~12月
【ブログ注】ここに一括して転載しました。O’Hanlonさんの立論は基本的枠組みとして、「ロシアの勝利を支持する」であり、私の結論には合いません。ただ、その論議自体が私としては珍しくもあり、よく勉強されている方だとも感じます。誰かが議論に乗ってくれてもありがたい。一分でO’Hanlonさんの自身での変化も書かれています。ただ、正直言って私の手に余る……… ……… ………
以下、主としてO’Hanlonさんのコメントです。青の下線(リンク)は私がつけました。ちょっと面白いので、一部茶色にしました。以下……… ……… ………
①ウクライナ事態について深く検討すべき問題があると思います。
一部の左翼は、プーチン政権を批判しながらも、ウクライナの政権が西側帝国主義の傀儡政権であるとしてロシア側の勝利を支持しています。
彼らの中には、プーチンの歴史認識への批判はあります。プーチンが昨年公表した論文プーチン大統領の、2021年7月12日の論文 「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」
(a-saida.jp))の中で、プーチンはレーニンやボリシェヴィキを反ロシア的だと非難しています。このことからプーチンはロシア大国主義者であるとみなす一定の根拠があります。しかしマルクス主義陣営においても「民族自決権」や「ウクライナ民族」に対する批判があったことは忘れてはなりません。 2022/06/05
⓶ウクライナやベラルーシは本来ロシアの一部だというのは、ロシア民族主義者の主張ではありますが、ロシア共産党の左派やローザ・ルクセンブルクの主張でもあります。
1917年の10月革命から1922年のソ同盟成立に至る論争史をきちんと研究しておりませんが、ロシア共産党左派も民族自決権に反対であり、またウクライナ民族主義などたわごとに過ぎないと考えていました。
ローザ・ルクセンブルクの有名な『ロシア革命のために』でも、ウクライナが民族であることを明確に否定しています。
2022/06/08
04:32
白土
相変わらず難しい理論上の問題提起ですね。別の機会に議論できたらと思います。
ひとまずはオハンロンさんの結論かそれに準ずる議論を拡げてくれればありがたい。
①ローザの死後、ポーランドが独立したこと。②自決権を歌い上げたレーニンがポーランド侵攻を決断して見事に跳ね返された事実。
トロツキーはその後、「革命は輸出できない」とあらためて痛感したと書かれています。
果たしてレーニンはどうだった?
もしローザが生きていたら、このポーランド侵攻にどういう態度をとったろうか?
あれから百年、民族自決は当然という共通認識が主流になっていますね。
では現代から振り返った時、あれはどういう議論だったのでしょうか?2022/06/29
③>ロシア軍がウクライナの原発を砲撃し支配したという。怒りは激しいが、同時に原発を戦場にしての戦闘が長引かなかったことに胸をなでおろす。【注 >は私からの引用部分。以下同じ】
これはウクライナが核物質を確保することを阻止するための正当な行動です。
ウクライナは核兵器を放棄しましたが、今でも核兵器をすぐに作れるだけの量のプルトニウムがあり、多くの核技術者がいるのです。ロシアとしてはそれを防ぐために原発を確保するのは必要でした。
今回のウクライナ情勢で、ロシアによるウクライナ解放=米帝傀儡政権打倒を支持しない人がいることが理解できません。2022/07/08
④>>3 ルクセンブルクはポーランド社会党を小ブルジョア民族主義者とみなし、ポーランド民族主義を 反動的とみなしていました。しかし第一次世界大戦においてポーランド社会党左派が国際主義を堅持して右派と分裂したことからも、ルクセンブルクの評価は行き過ぎたものでした。
ポーランド独立が成し遂げられたのは、反革命の結果でした。
>自決権を歌い上げたレーニンがポーランド侵攻を決断して見事に跳ね返された事実。
トロツキーは「革命の速度は戦争の速度より遅い」と予測し、それが正しかったわけです。しかしグルジアのメンシェヴィキ政権打倒には賛成しているので、「革命の輸出」を全面否定してはいなかったはずです。2022/07/08
⑤すみませんこれを見落としていました。
>結論かそれに準ずる議論を拡げてくれればありがたい。
ウクライナにおけるロシアの軍事的勝利、そしてРусьの地(ロシア・ベラルーシ・ウクライナ)の再統一を支持します。「ウクライナ民族」は存在しません。2022/07/09
⑥再建協(関西派)について、あまりにもひどすぎる…というのが率直な感想です。「オール沖縄支持」という右転落から、崖を転がり落ちてもはや左翼党派でもなくなったといえます。日共・革マル派・かけはしとどこが違うのでしょうか?
なお、白井朗『20世紀の民族と革命』を読むと、ウクライナ民族の存在を否定したルクセンブルクの立場に全く言及されていませんが、それはなぜでしょうか?2022/07/24
⑦私が「中核派に結集したか強いシンパシーを持」たなかったのは、その東京教育大卒の先生に、「中核派も革マル派もうそつきなんだよ」と教わっていたことも原因です。
1972年に、早稲田大学で川口大三郎が革マル派にリンチ殺害された事件がありました。革マル派は「中核派の川口大三郎がスパイ活動を行っていた」と主張しました。中核派は「全学連戦士・川口大三郎君の虐殺を弾劾し、反革命カクマルに血の復讐を誓う」という声明を出しました。どちらもうそをついていたことになります。2022/07/24
【ブログ注】この件はその後の進行で、ほぼ「ウソ」だったようです。ただ、私自身はまだ断定しきれません。
白土⇒O’Hanlonさん
1,2ともにあまりにも立場の違いがはっきりしました。
沖縄独立武装闘争を主張したひととも思えません。
前にも触れましたが、自分のブログで考えをまとめてから、当ブログに投稿し直してください。2022/07/24
⑧>沖縄独立武装闘争を主張した
誤解があるようですのでこれだけ。
私は「琉球解放」を主張しています。「独立」ではありません。
「琉球解放」は、琉球独立を論理的に排除していませんが、同じではありません。
たとえば琉球反米反日革命が日本革命の導火線となり、日本琉球社会主義連邦ができるということも想定されます。2022/07/30
⑨ものすごく驚いたのですが、清水議長派は中国統一に反対しているんですね?
ウクライナで起きている事態と同じように、米帝や日帝の軍事的支援や参戦によって台湾の人民が中国スターリン主義から「守られ」「解放される」ことなど絶対にありえないことをはっきりと訴える。
革共同第29回全国委員会総会 (⑶戦争の階級的本質を暴き米日帝の中国侵略戦争阻め)
これはどう解釈しても中国統一を否定しているとしか読めません。2022/11/14
米日帝国主義が中国統一を阻止し、台湾を独立させることが「中国侵略戦争」でないとすれば、清水派の言う「中国侵略戦争」とはどんな戦争のことなのでしょうか?2022/11/14
【ブログ注】
うーん?賛否を置いて、この意味するところは、「いざ中国軍の台湾進攻・併合」があった場合も、中国=大陸の共産党政権に対して批判や非難をするな」というのが眼目、と読むべきではないでしょうか?「非軍事的手段での台湾への重圧や国民党への肩入れ」なども同様だ、と。
台湾問題は中国の内政問題であり、口出しするな!!?
歴史的には中核派も「二つの中国論反対」でしたね。
間違っても、中国共産党政権への非難や中国大使館へのデモなど許し難い、と。
米日の軍事的対応にのみ、それだけに一途に反対する、ということ
「台湾の政府や人民への支援や連帯」など間違っても口にするな、ということ。
この点では、O’Hanlonさんの読み方とは真逆に、あなたの主張と清水中央派の主張は合致・一致するということです。
さてその後、半年も過ぎたけど、中台問題については「具体的なあるいは細部には明言しない」というのが「原則的原則」であるようで…。「論述の仕方には『転換』」がありそうだ、というコメントもありましたが、よくわからない。
「敵は誰か!米帝・日帝だ!」そして「自国帝国主義打倒論」がすべてだ!
「帝国主義本国での階級闘争がすべてだ!」
「『中国侵略戦争は鉄の必然性』、四の五の言わずに偉大な予言者の言葉を信じろ!」
「大衆や体制内諸党派とまともな言葉を交わそうとすること自体が、日和見主義であり、反革命への道程だ!」
ま、どこかで聞いた言葉ですがね?
で、多少とも自分の言葉でしゃべりたい人たちはみんな、面従腹背に徹し、陰では言いたい放題の自由を謳歌している、ということでしょうかね。
★★ ところで白土自身は、今はもう「台湾独立論」に共感しています。ただ、それを展開するのにはもう少し時間が必要です。
>ソ連時代のハンガリア侵攻だ。
これと今回のウクライナ事態に類似性を見出すのには無理があります。まずハンガリーはスラブ民族の国ではなく、歴史的にロシアに支配されたこともなく、ハンガリー民族主義は歴史的に進歩的でした。
それに対して、ウクライナ「民族」というものが存在したのはガリツィア地方の民族主義者の「ウクライナ版皇国史観」の中においてであり、ウクライナは反革命によって独立国となりました。
…と書きましたが、私は「琉球人は日本人ではない」「ウクライナ人はロシア人の一部である」と自明のように考えていましたが、この2つの命題の両立が難しいことに気付きました。ウクライナ民族主義者の歴史観が歴史学的検討に耐えない「皇国史観」であるとしても、少なくともガリツィア地方にはウクライナ民族は実在したと言えるのではなかろうか。2022/11/19
○○○○
>香港の民主化運動の圧殺
直接関係ないかもしれませんが、「香港の民主化運動」は家族をも引き裂いた例がたくさんあったようです。
愛国心が強い夫婦が、「民主化運動」に参加する大学生の息子に対して、「これ以上祖国に反逆するなら親子の縁を切る。二度と帰ってくるな」と言い渡し、その言葉通り親子の縁を切ってしまったよう。息子は住居費も学費も払えず、大学は中退とのこと。
香港では不動産価格が暴騰しており、まともな部屋に住めないというのが若者の不満の大きな要因でした。一つの部屋を借りる事すらできないので、一つの部屋を鳥かごのようなもので仕切った部屋にしか住めない人が多いのです。この原因は皮肉なことに「一国二制度」にあります。中国中央政府が香港の住宅難解決のために安価な公共住宅建設案を何度も出してきたのですが、香港の財閥が「一国二制度」をたてにこれを阻止してきました。香港の住宅難を何とかするために「一国二制度」を廃絶する必要があるということですね。2022/12/10
>浜 かつてのベトナム反戦や「民族解放=革命戦争論」の息吹は形も見えない。「終わってるね」
これはもしかしてウクライナの「民族解放=革命」ということでしょうか?それなら全く論外であると言わざるを得ません。ウクライナがNATOや米帝のカイライであることを理解できない人がいるでしょうか。ウクライナが民族であると否とを問わずに、「ロシアの勝利」以外の立場は考えられません。
アレクサンドラ・グージョン『ウクライナ現代史 独立後30年とロシア侵攻』(河出新書)を読んで、やはり「ウクライナ民族」なるものは西側の人工的な産物にすぎないと確信できました。著者は完全に「西側の立場」に立っているだけに、それがあらためて浮き彫りになります。2022/12/23
【ブログ注】
近くもう少し書いてみたいのですが、筆が進んでいない。今日はここまでにします。
そうそう、半年以上昔のことだけど
【神回】アベプラでひろゆきvs国葬反対派の洞口朋子「岸田政権が核ミサイル配備を計画、その証拠がある」は一見の価値ありです。ま、がっかりしたい人向けですが!ひろゆきvs 洞口区議 - 検索 (bing.com) 2022年9月9日