カテゴリ: ☆☆続『狂おしく悩ましく』


岩本本=『党はどこへ行ったのか』関連で紹介しておきます。関西派の『未来』から。
【ブログ補足】ついでに堅実全面発展論文の見出しだけを別に紹介します。これも『未来』から。
 革命闘争と革命党の事業の堅実で全面的な発展のために
 
 本論文は、一九七三年八月『前進』に発表された。革命的情勢への過渡期の成熟に備え、革命党の三つの義務をうちだし、二重対峙・対カクマル戦の革命的対峙段階戦取の展望をあきらかにした画期的な論文である。
 
 

一 革命闘争と革命党の事業の堅実で全面的な発展のために…
タイトルからして、いかにも清水丈夫氏が大嫌いな表現にも思えます。

 革命闘争と革命党の事業の堅実で全面的な発展のために
 
 本論文は、一九七三年八月『前進』に発表された。革命的情勢への過渡期の成熟に備え、革命党の三つの義務をうちだし、二重対峙・対カクマル戦の革命的対峙段階戦取の展望をあきらかにした画期的な論文である。
 
 
 第一章 あらゆる面にわたる革命闘争と革命党のたたかいの堅実な前進
 ((A)早稲田解放闘争の全人民的な発展 (B)沖縄におけるたたかいの前進と定着化 (C)労働戦線における逆拠点化のたたかい (D)政治闘争と経済闘争での戦略的な前進 (E)あらゆる面での党建設の堅実な発展)

 第二章 戦後世界体制の解体的危機と革命的情勢への過渡期の成熟
 第一節 戦後世界体制の崩壊的危機のふかまりと世界革命の現実性((A)戦後世界体制の特質 (B)戦後世界体制の崩壊的危機のいっそうのふかまり (C)反帝・反スタ世界革命の現実性)/第二節 日帝の統治形態の反動的転換の攻撃と大衆の政治的活性化((A)日帝のアジア侵略と侵略体制の攻撃の全面的激化 (B)小選挙区制とあらゆる面での反動攻勢 (C)七〇年代階級闘争の革命的、内乱的発展)/第三節 革命的情勢への過渡期の成熟とそれに応じた党の三つの義務 ((A)レーニンの革命的情勢の規定の問題 (B)革命的情勢に応じた革命党の三つの義務の問題 (C)七〇年代中期の高揚と爆発の展望とわれわれの任務)

 第三章 革命の本格的な準備、二重対峙・戦略的前進・党建設のたたかいの一体的な推進
 第一節 基本戦略――総路線の物質化のたたかい((A)反帝国 主義・反スターリン主義の基本戦略のために (B)七〇年代革命の総路線の現実的な勝利 (C)基本戦略――戦略的総路線についての指導上の問題)/第二節 二重対峙・戦略的前進・党建設のたたかいの一体的な推進((A)二重対峙・対カクマル戦の革命的対峙段階の戦取 (b)基本戦略――戦略的総路線の物質化めざす戦略的前進 (c)革命的情勢に応じた党の独自の建設 (D)当面する秋のたたかいの圧倒的勝利めざして前進しよう)
 

ついでにその全体像も
本多延嘉著作選全七巻総目次
(2009/10/01)
 
第一巻目次
 
 (『前進』600号、601号、1972年9月11日、18日、大幅加筆『共産主義者』24号、1973年1月)
 
Ⅱ 革共同全国委員会に結集せよ
 
Ⅲ 三全総の旗のもとに
 
Ⅳ 中国文化大革命批判
 
Ⅴ 10・8羽田闘争から七〇年代激動へ
 
 
第二巻目次
 
Ⅰ 戦争と革命の基本問題
 
Ⅱ カクマル反革命打倒 反ファッショ解放戦争勝利へ
 
Ⅲ 中間主義党派批判
 
Ⅳ 天皇制・天皇制イデオロギー粉砕
 
 
 
第三巻目次
 
Ⅰ 戦略的総反攻を宣言する
  1 1・24精神を爆発させ、あらたな報復戦に決起せよ(『革共同通信』7号1974年3月4日)
  2 3・22狭山闘争の大爆発かちとり、春期大攻勢に総決起せよ(『革共同通信』9号1974年3月18日)
  3 赤色テロルの嵐で春期大攻勢の本格的激化かちとれ(『革共同通信』13号1974年4月15日)
  4 反革命虐殺者に血の復讐を(『革共同通信』18号1974年5月20日)
  5 報復戦のあらたな高揚へ(『革共同通信』22号1974年6月17日)
  6 カクマル印刷所ホヲトクついに崩壊(『革共同通信』28号1974年7月29日)
  7 機関紙戦争の完全勝利を突破口に反革命中枢機関を解体せよ(『革共同通信』41号1974年10月28日)
  1 『武装』の発刊にあたって(『武装』創刊号1974年2月5日)
  2 前進社第二ビルの革命的開設に際しての革共同政治局の訴え(『革共同通信』33号1974年9月2日)
  1 吉川文書にみるカクマルの惨状(細川耕一の筆名にて(1)『革共同通信』8号1974年3月2日(2)同10号 3月25日 (3)同12号 4月8日 (4)同15号 4月29日 (5)同18号 5月20日 (6)同21号 6月10日)
  2 「松井文書」にあばかれた反革命カクマルの腐敗(『革共同通信』42号1974年11月4日)
 
Ⅱ 狭山闘争の歴史的な勝利のために
 
Ⅲ 中ソ論争と現代革命の展望
 
Ⅳ 紀元節複活と日本帝国主義の危機
 
Ⅴ 書評
 
 
 
第四巻目次
 
Ⅰ 戦略的総反攻―その勝利の展望
 
Ⅱ 安保闘争論
 
Ⅲ 東欧におけるスターリン主義の没落
 
 
 
第五巻目次
 
I 勝利の武装進撃を
 
Ⅱ 革命的共産主義運動の理論と歴史(第一篇)
 
Ⅲ 革命的共産主義運動の理論と歴史(第二篇)
 
Ⅳ 日本共産党批判
 
Ⅴ 国際論評
 
 
 
第六巻目次
 
Ⅰ 戦争理論の深化のために
 
Ⅱ 反帝・反スターリン主義世界革命戦略
 
Ⅲ 第三回大会への同盟の歩み 
 
Ⅳ 六七・十・八羽田闘争へ――党建設と諸闘争
 
Ⅴ 大学闘争論
 
 
 
第七巻目次
 
Ⅰ 七〇年代・革命の時代
 
Ⅱ レーニン主義党組織論
 
Ⅲ 現代革命と史的唯物論の再建
 
Ⅳ 安保体制にかんする覚え書
 
Ⅴ 十・八羽田から六八年新宿騒乱へ
 
Ⅵ 破防法裁判闘争
 
 

【白土メモ】
①在日韓国・朝鮮人と在日中国人の法的・社会的地位を同一に表現しているが、不正確だ。
 「戦勝国民」と「敗戦国民」と「第3国人」という国際法的な概念は欠かせない。これは故石原慎太郎が悪意に満ちてまき散らした言葉でもあり、「必須の知識」でもある。
 ひとまず 台湾人日本兵 - Wikipedia
      林歳徳 - 検索 (bing.com) ★⇦【ブログ補足】
②イデオロギーや思想の次元での自己批判の論理
 このレベルでは、『党はどこへ行ったのか』と直近の『前進』論文は、ほぼ同様な視点に立っている。関西派の入管論の総括論文も、長大であるがほぼ似たような感じがする。

③「求められていたのは地域的・持久的・陣地戦的な闘いの方針…」こそもう一つの核心だ。当ブログで繰り返しこだわってきた「第2の7・7自己批判」と「地域入管闘」の問題だ。『党はどこへ行ったのか』という活字化された著書の中で表現されたことはことさら大きいと思う。中央派・清水氏はけして語ろうとしない領域だ。私はこれこそが「血債の思想」に関わる分岐点・分水嶺だと思ってきた。

④突破口に、諸戦線が構築(略)いわば中核派の世界観の転換=「コペ転」の起点と言える。

⑤さて、そうであればあるほど『党はどこへ行ったのか』への絶望的批判は深い。
 清水氏が「…階級的倫理性の問題ですらある。…」とまで言いながら、90年代も相も変わらず地域入管闘という実践的・「陣地戦」的課題の解消・凍結を変えることなく過ごしたこと、このことへの片言隻句の批判すらない。これではせっかくのも意味をなさない。

 とは言え、本『党はどこへ行ったのか』の中やその他で、本多延嘉氏の、幻の『党の堅実で全面的発展』論文の再評価・高い評価を論じている場面もあるので、それに任せて「端折った」と言われるのかとも思えない訳ではない。これもまた、「分量」の問題???とは言え…

⑥この辺について、いくつかの声を紹介してきたい。
 元入管闘「元台湾人日本兵の支援を続けて来たけど、大事なことは生活、仕事の斡旋だったんだよな。法政の守衛を繋いでみて初めて分かった」
 韓国人女性と結婚した元同志「白土よ、お前の書いた”地域入管闘”の”世話役”の話はホントだよ」「神奈川の入管担当の六月もよく勉強しているけど、今回はぜんぜん使い物にならなかった」「結局は俺自身で調べて、俺自身で出向いて、やっとのことでたどり着いた」「途中で挫折しかかった」
 元神奈川 「90年代に関東地方委員会(KC)で、激しい”労働運動論争”があった。こちらは「現場を踏まえて、現場からの声を引き出して」にこだわった。対するは地方委員長の木崎ほかだった。「いわばこちらが『労働運動派』、木崎らが『血債主義派』みたいに言われた」。「だいぶ後で中野路線」が力を持つと、木崎も一変して労働運動派=動労千葉特化路線に豹変した。立場がなんか入れ違ってしまった。けども、全体を通して変わらなかったのは、「上からの」「天下り」の路線か「現場重視」かだったんだよね。

韓国スミダに対する支援への制動
 90年代、日本でも電機労働者の女性たちを先頭に、多くの労働者・労組が支援・連帯に立ち上がった。
 この時、入管闘を仕切っていた「高山」の通達が衝撃を生んだ。
 事実上政治局からの指導として「メンバーが運動に関与する時はそのつど詳しい報告書を提出しろ。
 上からの許可なしに韓国人労働者との接触をするな」という「指導」だったという。
 指導的メンバーから話を聞いた時は耳を疑った。理由や口実はいろいろある。当時の韓国の政治情勢、中核派の公安との「死闘」…。いずれにせよ、中核派のメンバーは、韓国労働者とも在日とも連帯・接触するな、と。⇓ 民主労総との連帯運動を詠う昨今、変われば変わったものだ。昔日の感。

 韓国の労働者と日本の連帯者の人生を変えた闘争 : 文 …

ウェブ2022年8月6日 · //ハンギョレ新聞社. 1989年、日本のスミダ電機の子会社は韓国の工場に1枚のファックスを送り、450人の解雇を通知する。 これに怒ったチョン・ヒョンスク、パク・ソンヒ、チョン・スンレ、キム・スンミの4人の労組幹部は、8カ月にわたる日本のスミダ本社前での …

【まとめ】


【まとめ】幾多の「血債論」の存在とその変貌
 ひとまずのまとめとして、今日「血債の思想」を語る人たちにもいくつかの決定的違い・対立を含んだスタンスがあると言うことがわかると思います。


【ブログ補足】……… ……… ………

①関連部分です 当ブログから。技術上の都合で一貫した表現になっていませんが。……… ……… ………

 新年号論文①「血債論」のリサイクル 【改定】  ...

【お詫び】長くなったので【白土メモ】は別記事に移しました。
 岩本本⑤三つの「血債論」【白土メモ】イデオロギーと運動と
http://yuigadokuson999.livedoor.blog/archives/24356208.html
 
 岩本氏の『党はどこへ行ったのか』についての書評の紹介をもう一つ。

新刊紹介 : 岩本愼三郎著『党はどこへ行ったのか 私と革共同』

赤松英一

 ウクライナ、パレスティナ、ミャンマーなどの激しい戦乱と抵抗・解放の闘い、アメリカ、ロシア、中国などの奥深い混迷と危機、自民党政権の底知れぬ腐敗と悪政などを見るにつけ、(欧米における新たな社会運動の広がりと対比しても)日本における社会運動の長い低迷に心が重くなります。

 もちろん、そんな中でも沖縄(辺野古や南西諸島前線化)や原発さらにパレスティナなどの政治課題や身近な社会的課題に少数でも声を上げ、行動を続ける人々が存在していることは確かであり、心から敬意を表します。

 と同時に、60年代後半から70年代初頭までの時期、日本でも青年・学生を中心に、その世代における意識的部分の主流が革命を目指す運動を激しく展開しながら、それが敗北・挫折し、発展させられなかったことの総括が必要であることを強く感じます。【以下略】
以上、レイバーネットからの転載です。

   新刊紹介 : 岩本愼三郎著『党はどこへ行ったのか 私と革共同』

 
'――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『党はどこへ行ったのか』に見る「血債論」
 全部で2頁程度なのですが、ひとまずはおおむね4割分くらいを引用する。
 段落は当ブログでつけました。漢数字と混在してしまいましたがご愛嬌。

【以下引用】……… ……… ………
第Ⅰ部 光と影の幾歳月
 第2章70年安保・沖縄闘争という挑戦
  7・7自己批判と血債の思想 (40ページ)
 安保・沖縄問題を中心に70年闘争を見てきたが、7・7自己批判問題については追加する必要がある。
 七〇年七月七日の盧溝橋事件(日帝の中国侵略戦争への全面突入)から33年目の日に、在日中国人青年らの組織である華青闘(華僑青年闘争委員会)が、革共同をはじめとする70年闘争に参加している新左翼党派に対する糾弾闘争に立ち上がった。
 直接のきっかけは革共同の1メンバーの発言だったが、中身は要するに、お前たちは日帝のアジア侵略の歴史を本当に分かっているのか、在日中国人、在日韓国・朝鮮人の置かれている困難な現状、その法的地位、入管問題の大きさを分かっているのかという深刻なものだった。
 このとき本多は破防法で獄中にいたが、残された革共同指導部は清水を先頭に全力で、誠実に自己批判した。革マル派の「被抑圧民族迎合主義」などという悪罵をはねのけて、革共同は70年闘争を視力をつくして戦い抜いたからこそ、このような在日の糾弾を受けたのであり、これに対して徹底的な自己批判を貫徹しえたのである。

 在日、特に在日韓国・朝鮮人は、戦前は「帝国臣民」だったが、戦後は一切の権利を奪われ、47年5月2日、つまり新憲法施行の前日に出された最後のポツダム勅令・外国人登録令によって「外国人」にされた。戦後憲法・戦後民主主義は、沖縄に続いて在日を排除し、以降在日中国人を含め、これを過酷な入管体制のもとにおくのである。

 革共同はこの批判に応えて「入管決戦」方針なども出すが、求められていたのそうした政治カンパニア方針ではなく、地域的・持久的・陣地戦的な闘いの方針だった。
 そしてこの入管問題の焦点化を突破口に、部落、沖縄、障がい者、女性などの諸戦線が革共同内に構築されていった。

 差別と排外主義との闘いがその後たえす課題となり緊張を生んだ。ここには行き過ぎが生まれ、混乱も、過ちも生じた。組織内外における「糾弾主義的」な言動である。
しかしそれは徹底した討議で正していけばよかった。この自己批判=「血債の思想」の重要性について革共同は、その後も長く再確認し、反芻し続けてきた。例えば清水は、98年10月に書いた論文(清水著作選第2巻序文)の中で次のように書いている。
 「…階級的倫理性の問題ですらある。…」【以下略】【以上引用】

【ブログ注】
 【白土メモ】は紹介記事などを含めるとあまりに長いので、以下は別途記事に移すことにしました。

岩本本②の続き=転載分……… ……… ………
③の続き
 言いたいことは、80年代の中核派は、「革命軍戦略」という「単一路線?」であり、三里塚基軸論=排他的・単一基軸(路線)論で押し通してきたことだ。ここでは「準基軸」ともいえる課題として、杉並区議選・動労千葉・部落解放運動=同志会・解同荒本支部があったのも事実だ。
 しかし動労千葉に関しても、その評価の軸は、反対同盟との「労農同盟」を担う、ジェット燃料輸送阻止を闘う動労千葉、と言う面をほぼ一歩も出ないものだった。「反合闘争」「高石闘争」などへの共感や国鉄労働運動や民間労組への共感など、動労千葉がいくら語っても帰ってこない。そんな「政治主義・路線主義」の延長上にしかなかった。少なくとも「党員大衆」の世界では!労働者党員にとっては、情けない屈辱の日々?もちろん、それに従わない少なからずの人もいたことも忘れられない。
 そんなことを前提にして書いてくれたらね!ま、これも分量が溢れるけど。

④最後に一番言いたいこと
 「いつまで『党が党が』と言ってるんだよ!」
 「正しい党」なんてどの面下げて言うのかね?

 本多さんはとっくにいない。あれからもう50年近くになる。レーニン?百年前の話だ。

 「革命党」とは究極は「武装蜂起の党」であり、「内戦・国際戦争」に勝ち抜き、権力を奪取するために何が何でも生き残る「党」のこと。
 残念ながらそんな党を私はもはや構想できない。
 せいぜい、10数年、大衆に溶け込み、世俗的にも複雑な判断と対策を立てられる運動が出来たらと、想いを巡らすだけだ。

⑤そして結論
 なぜ中核派は真っ向から党内論争・党内闘争ができなかったのか?
 どのように、でもいい。
 なぜ中核派はまっとうな「分裂」がなかったのか?

 下記の部分に、ひとまず10次に渡る中核派の「分裂史」を紹介します。
 加えて06年3/14からの関西派と九州はの分裂と「血債主義者」の排除、最後に東北地方委員会のEL5派を入れると十数次の分裂・粛清を重ねてきたことになりそうです。

 言いたいことは、どちらが正しいかとか、という前に、主張ややり方や体質が折り合えず、共存できなくなったら分裂するしかない、ということ。その気になったら、後でまた合流すれば済むことでもある。
 もう一つ。党派闘争も党内闘争も「カンパニア」「囲い込み」は不可欠だということ。
 それぞれの「私」がどちらを選ぶ、ということが「原則中の原則」のはずだ。
 しかし現実には、「排他的囲い込み」が先に立つ。この「囲い込み」は多くの知恵と努力の結実でもある。そして「暴力的」だ。
 実際の分裂を見ると、一方を選んだ人が、時を経て他方に鞍替えするということは極めて少ない。難儀なのだ。
 政治指導部ですらそうで、ましてや「末端や現場」の人にとっては、「結婚相手の選択」も「離婚の自由」もない、というのが実情か?
 じゃあどうする?「自立した共産主義者の結集体」。絵空事か???
 
 「生きる知恵」…かも?
 ……… ……… ………
 以下の項目に関連事項が入っています。当ブログの記事です。
 2017年01月13日

  2017年01月21日

 

 

 (この項終わり)

関西派の橋本利明氏の書評を転載する。特に長いものではないので最初から全文を読んだ方が良さそうです。全文は下記の「未来」をタップしてください。
ここでは気になる所だけを抽出します。
末尾にメモをつけたのが長くなりました。分けて読んでくれた方がいいかも?

【以下転載】……… ……… ………

未来

8面

書評
『党はどこへいったのか~私と革共同~』岩本慎三郎 社会評論社2023年12月刊
     革共同の総括と路線的深化のために
     橋本利昭

岩本愼三郎著『党はどこへ行ったのか ~私と革共同~』は、いい意味で物議を醸す本である。この本とぶつかり、学び、吸収しつくし、われわれの再出発としたい。

3・14決起断固支持

岩本さんは本書で、2006年3月14日の党改革を求めた関西の決起を支持している。「官僚主義と権威主義と印籠政治の弊害を…実力で打ち破る闘い」と。また3・14で打倒された「Y*は生まれた時から腐敗していたのではなく、革共同が生み出し、つくりだした」ものであると、主体的・内在的に総括している。(【ブログ注】Y* 当時政治局員兼部落戦闘同志会の代表でもあった)

それに対して革共同中央は、「Yの腐敗を生みだした責任は関西にある、部落解放運動にある血債とか7・7というものの考え方にある」とすり替えた。3・14決起を簒奪し、改竄するためである。岩本さんはそれに抗議し、2008年冒頭の基本会議で反対を貫き、処分を受けて党を離脱したことを今回明らかにした。(略)

3全総と対カクマル認識

岩本さんは、いわゆる「内ゲバ」と称する左翼内部での暴力行使には抑制的であるべきと反省している。同感である。しかしカクマルについては、「バリケードの向こう側に移行した政治カルト」と規定し、対カクマル戦を支持する。カクマルを、運動組織路線における「サナダムシ路線」と批判する。自ら階級闘争全体に責任を取らず、他の運動に寄生してそれを食い散らして自らの糧とする在り方である。ここから党派闘争の自己目的化、自己中毒化を生む、「永遠の今」「のりこえの論理」「革命的暴力論」に至るカクマルの立場を本多延嘉さんは、「召還主義と解党主義」と規定したことを紹介している。

岩本さんは、カクマルとの決定的分岐をなした革共同3全総を重視している。そして3全総の3つの軸として、反戦闘争・選挙闘争・労働運動を挙げ、労働運動の要点として、戦闘的労働運動の防衛と地区党建設を挙げている。私の理解としては、3全総のもう1点重要な点は統一戦線であると思う。統一戦線戦術は階級(闘争)全体に責任を持つあり方であって、単なる学生戦線の方針であったり、政治術策ではない。

直面する革共同の課題

岩本さんは、「階級的労働運動路線」「新指導路線」「動労千葉特化論」などによる反戦政治闘争の放棄を一番問題にしている。そして、最近、革共同全国委員会機関紙『前進』が、「今や革命の時代だ、反戦闘争としての反戦闘争が重要だ」と言い始めたことに、「遅すぎる」「総括がない」、「総括をする主体性・感受性を失った集団になり果てた」(p.367)と言う。
革共同を自称する今日の革共同全国委員会は、遅すぎる、総括がないだけではない。世界認識・現状認識が根本的に間違っている。プーチン・ロシアによるウクライナ侵略を侵略でないと言い、「戦争を内乱へ」をウクライナにおけるゼレンシキー打倒に帰結させている。

またパレスチナ問題についてもアメリカ帝国主義の戦争というのみで、シオニスト国家イスラエルによる侵略、パレスチナ人民への迫害を弾劾しない。台湾問題について、軍事的強制併合で恐喝する習近平・中国指導部のスターリン主義そのもののあり方を批判しない。それ以上に一切をアメリカ帝国主義の戦争とし、台湾問題を利用して対中国包囲、戦争挑発を図る日本帝国主義・岸田を正面から問題にしない。
 同書は、事ここに至った責任が一番ある清水丈夫(現革共同議長)をあまり批判していない。革共同にとって「議長」とはお飾りではないはずだ。清水が非合法場面にいたことは言い訳にならない。革共同の変質、今日まったく闘えない「前衛」詐称集団に変質させた元凶は清水丈夫にある。党内で意見が相違する者を「スパイ」規定してきたのも、真剣に党改革を試みる者を「分派」として追放してきたのも、清水である。

日本革命・世界革命にかけたわれわれ共通の思いを実現するため、岩本さんには『党はどこへ行ったのか』の続編を、『党はここにあり』として清水批判をぜひ執筆してもらいたい

戦略的総路線の深化のために

革命的左翼が、60年安保闘争も70年安保・沖縄闘争も日帝を正面の敵として見すえて闘ったという認識に賛成である。今日の革共同全国委員会が、「万年米帝一極支配」論のもと、日本共産党以下の日帝免罪路線をとっていることを徹底弾劾して進まなければならない。

国鉄闘争について、1047名の「和解」について、中野洋の国鉄闘争への絶望の結果という認識に改めて蒙を啓かれる思いである。この点を明らかにした岩本さんの功績は大きい。ただ85年11・29浅草橋戦闘については、清水丈夫と中野洋の具体的責任をぜひ明らかにしてほしい。この戦闘を「信じがたい愚行」と言うだけでは、現場で担いぬいた国鉄労働者や青年労働者・学生は報われない。

30年間に及ぶ武装闘争と非合法・非公然活動の期間については、「党による軍事の一人歩きはダメ」ということに真剣に同意し、反省します。それと同時に、「官僚主義」や「印籠政治」が非合法・非公然活動の中で始まったという理解では済まないと思う。

軍事や非合法活動に手を染めなかったらよかったのか、防衛的性格の軍事活動に限定すべきだったのか、である。回答は、労働者大衆自身の武装や非合法活動をどう形成するのか、そこにおける党と党の軍の役割ということになる。蜂起の軍隊はロシア革命における赤衛隊に見られるごとく、大衆自身の武装を基礎に発展させたものである。代行主義など問題にもならない。


若干の経験と見分に基づいて提起すると、次のような点である。
(1)労働者人民自身が武装と武装闘争の主体であることを貫き、兵たんを人民自身が担いぬく人民の海の組織化における発想の転換が必要である。
(2)戦闘における軍令の絶対性と準備や計画における白熱的討論を保障し、組織すること。
(3)戦士共同体におけるコミューン原則、1人も排除しないあり方、である。

 

【以上転載】……… ……… ………
 
【白土メモ と評】長くなりましたが。
 ①岩本氏についての『前進』紙上での言及は以下。
 故・岸及び水谷両氏の『敗北本』に岩本氏が参画していたという嫌疑によるもので『スパイ』と断罪している。
 革命運動史上最大のスパイ分子に転落した岸・水谷・岩本を 打倒せよ 革命的共産主義者同盟政治局

5月、2006~08年の「党の革命」で打倒・追放された岸宏一と水谷保孝、岩本慎三郎は階級闘争史上、最も極悪で腐敗にまみれた反革命スパイ本を出版した。...
福島に敵対し反原発運動分断する 最大のスパイ岸・水谷・岩本打倒を 革共同東北地方委員会

 岩本氏によれば “事実無根。俺は敗北本にはノータッチ。まったくの無実・無関係“ だそうな。

 ただ敗北本では、「松本意見書」やその処分の経緯の一部については、岩本氏の観点から書かれていることも事実。離れたもの同士、その程度の交流はあったらしい。その上で、「岸・水谷に近い」とか「やはり参画者」として「断罪するのはあまりにも乱暴」というに尽きる。

 本書では「松本意見書」を契機に08年1月に離党した経緯も書かれている。別な見方からすれば、処分・除名への経緯でもある。

②ある意味で、唯一?の「革共同の歴史・正史」でもある。
 革共同の創設から革マルとの分裂、そして「70年闘争」、血債の思想の誕生、…。それぞれ現場感覚とともに描かれていて、それはそれで生き生きとしている。古い人、若い人、中核派系の人、他党派の人、改めて新鮮な想いで振り返ることもできる。後日への遺産?

 この辺は、できることならぽつぽつと引用しながら論じたい。
 ただ難点は、橋本氏の書評にあるように、例えば「浅草橋」についての論評が「片言隻句」で終わるなど、食い足りない。それは多くの論点で共通している。ま、それをやると軽く5割増しの分量にはなるだろうけれど。そして集中砲火を浴びるかも?

「改憲阻止百万人運動」と国鉄闘争への重心の置き方

 もう一つの特徴としては、これらの大闘争・大運動にその中心近くで関わった人として、90年代の課題やその意義を大いに語っていることだ。

 「うっ?!」という反応は私だけではないと思う。
 この時期すでに本社を出て、中核派を辞めていた私にとっては、「あの中核派が、そんなテーマに関わることがあるのか?」という感慨が当時の感覚だった。
 90年の「転換」を経て、90年代中頃は、現場組織やメンバーたちは、「先制的内戦戦略」の「継続か解消・召喚か」で互いに階級的と向かい合うような混乱とにらみ合いのような中で葛藤していたと聞く。
 岩本さんはそんな中で重責を担って上記の「大運動」に参画していたのだそうな。
 私自身とすれば、「それは正しいだろうが、そんなの中核派じゃねえよ」「俺の知ってる革共同じゃねえよ」とうめくしかない。

 「上が決めたのだから、残っていたら率先して関わるかもしれないけどね」
 「でもまた変わって召喚しろと言われたら、またそれに従って、『ナンセンス』と言うのかな」
【ブログ注】
 あまりに長いので、以下は(続く)にしました。26日公開の「党??」にそのまま転載します。

 【ブログ注】
 順序を入れ替えて、清水アピールを紹介します。
 あまり長いものではないので、ひとまず読んでください。
【以下引用】……… ……… ………

清水丈夫議長の新年アピール 「侵略を内乱へ」の闘いに 真っ向から決起しよう!

発行日: 2024122日 第3328 主張/理論

週刊『前進』04頁(33280102)(2024/01/22


 戦後の階級闘争はすでに70年以上を経て、日本の労働者人民は「再び戦争を起こしてはいけない」と誓ってきたわけですが、現実には今まさに戦争が起こっている。実際に戦争が始まり、恐るべきスピードで事態が動いている。ウクライナ戦争、中東・パレスチナでの戦争、さらには対中国という形で急切迫する帝国主義の侵略戦争を前に、階級闘争はますます厳しくなっていると思います。しかし、それを乗り越えていく力が労働者階級の中にはある。今の状況を直視してひるまない、たじろぐことがないということが、われわれにとって重要です。その点を最初に確認したいと思います。
 やはり重要なことは、戦後の世界体制が崩壊を開始したこと、その中でアメリカ帝国主義の中国に対する侵略戦争の時代が始まったということです。アメリカの中国に対する戦争ということは、世界戦争です。世界の中心基軸をなしてきたアメリカの世界支配がガタガタになり、この状況を乗り切るためにはどうしても中国を抑えなくてはいけない。アメリカが帝国主義として生き残るために中国を抑えて打倒すると、戦略的に完全に踏み切っているのです。台湾に対して軍事援助を強め、あるいはアメリカの政府・軍の高官がどんどん訪ねていって独立派を全面的に支援しています。アメリカによる対中国の侵略戦争が避けられなくなり、実際にこれが進行しているというのは大変な情勢です。世界がひっくり返る、地球が吹っ飛ぶような大戦争です。これに対して猛烈な強力な反戦闘争を展開していかなくてはいけないと思います。

進むべき道示した11・19集会の成功

 ところがこの情勢下で、これまで「いざとなったら戦争に反対して闘う」と言ってきたはずの既成の平和運動の勢力は、まともに戦争に反対して闘っていません。特に日本共産党がひどい転向をしている。米帝・日帝とともに「民主主義を守るためにウクライナを勝たせることが必要なんだ」と言い、中国に対してはもっとすごい排外主義的な態度をとっている。平和運動だなんだと言っていた勢力が、今はコロッとひっくり返っている。われわれはこうした現実を乗り越え、弾き返して進まなければならないと思います。
 その意味で、昨年の1119は非常に重要な意義をもった集会として大成功したと思います。3労組を中心にして3千人規模で結集した労働者人民が、「連帯し、侵略を内乱へ」の立場に立ちきり、この戦争に対して真っ向から闘うということを全世界にはっきり表明し、また日本の労働者階級人民全体に対してもこのように闘おうではないかということを示した。日本の労働者階級が今の戦争と真っ向から対決し、これをひっくり返して革命に転化する、そういうことを可能にする力を持った階級だということをはっきりと示したのが1119だったと思います。1119を出発点として、自信をもって24年決戦を闘いましょう。

全帝国主義政府が「噴火山上」にある

 今の自民党の「裏金問題」が何を意味しているかといえば、もう自民党が立ち行かなくなり、党としての崩壊的な状況にあるということです。ここでまずおさえておきたい点は、自民党がグラグラしているから戦争はやれそうもないのかと言えば、そんなことはないということです。

 その上で、レーニンが革命情勢とはどういうものかを言う時に、政府が今まで通りの政治をやっていけなくなっている、すべての帝国主義国の政府がグラグラで噴火山上にあるということを、革命情勢の一つの指標として挙げています。こうした事態は今、日本でもどぎつく進行していますが、アメリカはもっとひどいことになっている。内乱扇動の容疑で大統領選の出馬資格を(州最高裁に)剝奪された人物に対し、当時は現職大統領だったから罪に問われないとして連邦最高裁が出馬を認めるかもしれない。事実上内乱的な状況に入って、大統領選挙がまともにできるかどうかということが問題になるような国になってしまっている。噴火山上なんてものではなく、もう噴火しているということです。
 他の国を見ても、イタリアでは極右政党の党首が首相になっている。イギリスも大混乱を極めている。ドイツも今後のロシアとの関係をどうするかをめぐって大混乱している。中国はどうかというと、アメリカを脅かすほどの大国になったのだから立派かと言えば、そんなものではない。スターリン主義の矛盾が極端に進行し、若い労働者の3~4割が失業しているような状況です。巨大なビルやマンションをたくさん造って誰も住む人がいない、しかしそれをやめるとなったら景気が一気に後退してしまう。そういう危機がどんどん深まっていくわけです。

 だからこそ習近平は、中国は数千年の歴史をもつ大帝国であり、それを引き継いでいるのが今の中国共産党の政権であるようなことを言って、排外主義・愛国主義をあおっています。特に、台湾を「解放」し中国を統一するためなら武力行使も辞さない、ということを強調しています。しかし、中華民族の統一をかちとるというなら、台湾の労働者を獲得できるような革命的な民族解放闘争の路線を提起して、アメリカ帝国主義の台湾支配を根底から覆す、そういう革命運動を起こすような方向で闘わなければいけない。しかし習近平は、実際にはこのような革命運動に敵対する形で、台湾に対して武力行使も辞さないということを強調している。これがアメリカ帝国主義の格好のえじきにされている。中国がそういう態度ならこれは「民主主義と覇権主義の戦い」なんだと、そういう口実をアメリカに与えてしまっている。要するに、中国も噴火山上にあるんです。

 このように世界は非常に大変な革命的な情勢となっており、それに対する労働者階級の怒りもどんどん蓄積されている。1119はその先頭に立つ闘いだと言えると思います。「連帯し、侵略を内乱へ」。ひるまないで真っ向から、真面目に全身をもって、革共同として労働者人民の先頭に立って闘い抜きましょう.フォームの始まりフォームの終わり


【以上、全文を転載】……… ……… ………

 【ブログ注】岩本本『党はどこに行った』への感想で、本アピールを改めて評したいと思います。
 内容的には大したものではありません。

  「革命的な情勢」論の再確認がテーマと言えそうだ。年1回の毎年スケジュール化された「11月(労働者)集会」の「成功」が勝利の指標だ、という。ま、「清水議長」の議長としてのダメ押しが全てかも?
……… ……… ………
新年号巻頭論文と併せて、以下。

 ひとまずは「血債論」と「連帯し、侵略を内乱へ」論の復活とは何か?ということ?
 清水氏に倣ってひたすら乱暴に書きなぐって見ました。

 ①「若手の」新執行部ではやはり「革共同」の看板が重すぎる。そしてわずかに残った「60年代の古参」たちがおおむね本社を去って隠居組に収まってしまった現在、「良くも悪くも」本社にはシミタケしか残っていない、ということ。そんな現状の中で、シミタケが ”喜び勇んで”しゃしゃり出てきた、ということか?
 ②「本多を超える」。
 この間復活の様相を呈してきた「三全総」や「堅実・全面発展」論を「直面する正面の敵」としたいという思惑が透けているようにも感じる。
 せっかく「本多延嘉」的なものを最悪の敵として排除して、せっかく「先制的内戦戦略論」を発明して「一点突破⇒全面展開」論と「党への集中・専制的中央指導」と排他的路線を実現してきたのだ。せっかくかつての3派=新左翼連合を破壊して、「中核派根性」と「信念的信念」を打ち固め、「唯一無二の正しい左翼」として反体制・非体制の諸運動に殴り込みをかけようという時だ。新年号アピールはそんな「躍動感」に満ちている。
  ようやく「中野洋」への屈辱的関係を終えて、羽ばたける時だ。
  中野的「労働運動路線」「階級的労働運動論」「動労千葉特化⇒動労総連合」路線とはもはや決別はしきれないが、後景化し、同じ「党のぶん回し」は引き継いで、「政治決戦」論=「反戦反戦論」…。
  中核派内外の、清水へのこの50年間の総括と自己批判を求める洪水も時とともに関心を失いだした。自身もけして体調がいいわけではない。けれどこの「シミタケ浮上」への「飽きと無関心と同世代の高齢化」という絶好の秋に、…。
  本多延嘉氏の言葉として「あいつはすぐ敵を作りたがる」とかいう話があったそうな。
  その意味では心の中の最大・最強の敵打倒へ、今こそ「一矢を報いる」最後の闘いへ!?!清水氏を信じて、中身はどうであれ、いざっ!!??


【ブログ注】前回の文が読みずらいとのことで、設定を変えてアップし直しました。末尾の【ブログ注】をだいぶ補強しました。
【以下引用】……… ……… ………

発行日: 20241 1 3325 主張/理論

週刊『前進』08頁(33250501)(2024/01/01


革共同政治局の2024年1・1アピール


 岸田打倒!侵略を内乱へ
 侵略と虐殺の帝国主義を倒せ!
 中国侵略戦争世界戦争阻止
 沖縄闘争、反戦・反基地闘争の爆発を

全学連を先頭に機動隊とぶつかって闘い抜いた昨年5月のG7広島サミット粉砕闘争


















(写真 全学連を先頭に機動隊とぶつかって闘い抜いた昨年5月のG7広島サミット粉砕闘争)

【ブログ注】
 24年新年号巻頭論文を項目別に紹介するために、まずは全体像を紹介します。
  まず今回は、「血債論」の紹介に止めます。

目次

革共同政治局の2024年1・1アピール.............................................................................................. 1

岸田打倒!侵略を内乱へ  侵略と虐殺の帝国主義を倒せ!  中国侵略戦争―世界戦争阻止  沖縄闘争、反戦・反基地闘争の爆発を

目次

はじめに
―Ⅰ― 「連帯し、侵略を内乱へ!」の本格的闘いの開始と11月集会

⑴3労組と大行進を先頭にガザ大虐殺への怒りと結合

7サミット粉砕闘争を跳躍点に反戦闘争へ総決起

―Ⅱ― 中東、ウクライナ、全情勢を規定する米帝の中国侵略戦争

帝国主義の対ロシア戦争=ウクライナ戦争の泥沼化

米帝大没落と米中対立の非和解的・非妥協的な激化

腐敗極め中国侵略戦争に突き進む日帝・岸田打倒を

―Ⅲ― 7・7路線の現代的再確立と反帝反スタ世界革命論の深化

⑴10・7蜂起=民族解放・革命戦争を断固支持し闘う

反スターリン主義を貫く7・7路線と「血債の思想」

帝国主義世界支配の危機と新植民地主義体制の問題

―Ⅳ― 帝国主義打倒する反戦闘争の大衆的・内乱的爆発かちとれ

全面的な戦争国家化狙う日帝への怒りを解き放つ時

沖縄全国で中国侵略を阻む実力闘争復権させよう

帝国主義打倒の反戦闘争基軸に闘う労働運動再生を

差別・排外主義と対決し階級分断攻撃を打ち破ろう

―Ⅴ― いま革共同に求められている党建設と指導部建設の課題

 

【ブログ注】

 清水丈夫議長の「反戦闘争としての反戦闘争」略して「反戦反戦論」は組織内外でも不評なようだ。      新年号論文と『前進』3号での清水アピールは、その意味で、あくまで「反戦反戦論」を押し通そうとするかたくなな意志を感ずる。

 特徴は記事の順を追って

  「連帯し、侵略を内乱へ!」論という埃だらけの古証文をどこからか引き出してきたこと。(1章)


「中東、ウクライナ、全情勢を規定する米帝の中国侵略戦争」と何よりも「中国侵略戦争」を環(かん)とした世界戦争戦略が発動されている、というもの。この場合字ずら通りに読む限り、「中国侵略」とは中国大陸そのものへの侵攻を意味しそうだ。
 ここでも「中国スタを誘い込む」論。「台湾への武力侵攻」を呼び起こしたい、というのかと思うが、ただこの辺は言葉を濁して押し通している。言いっぱなし。未来を直視する予言者特有のあいまいさだ。
 言い換えれば、米帝はこの3正面と同時並行に戦争を仕掛け、それがまた可能であり現実的、という情勢論・世界認識(2章)

  同じ2章では、どう読んでもウクライナの敗北=ロシアの勝利待望論が語られている。ついでに中国は「残存スタ」という言葉以外に何もない。アメリカ一極集中は不変だと。皮肉に言えば「反米=親プーチン・親習近平」。「反帝・反スタ」の立場と実践論はどこに?


④こうした流れの中で、3章は「7.7路線の現代的確立」がタイトルになる。第2反スターリン主義を貫く7・7路線と「血債の思想」が語られる。
 でも何にも語っていない。


――「血債論」「血債の思想」。まずは中央派・中央の議論としては懐かしい「禁句」が突然現れてきた。

今回はこの部分を抽出して、アップしておきたい。
 
 新年号論文全文は13.000字ほど。400字詰め約78枚。A422頁くらいになります。この部分は実際にはA42枚程度に収まります。少し枝葉をつけたのでとばしてお読みください。

他の部分も機会を改めて紹介したいと思います。

 

【以下転載】……… ……… ………

 

はじめに

 2024年は、世界戦争か世界革命かの歴史選択を問う世界史的分岐点であり、この時代を生きる労働者階級人民の一人ひとりに「いかに生き、闘うか」を問う一年となる。すでに青年世代をはじめ多くの人々がこの革命的激動期の到来を自覚し、陸続と闘いに立ち上がっている。
 決定的な衝撃を与えたのは、昨年10月7日、イスラム抵抗運動ハマスを主力とするパレスチナ解放勢力が決行した蜂起である。民族解放の血叫びを全世界にとどろかせたこの10・7蜂起に対して、イスラエルがアメリカ帝国主義をはじめ全帝国主義の擁護のもと、ガザへの恐るべき大虐殺と侵略戦争をもって応じたことは、全世界人民の空前の弾劾と決起を呼び起こした。このような暴虐をもたらす帝国主義の世界支配など、もはや一時も我慢がならないと、世界の根底的変革と全人間解放を求める闘いが拡大しているのだ。

 中東・パレスチナで民族解放闘争圧殺のための戦争が続く一方で、開戦からまもなく2年となるウクライナ戦争も、これまで以上の激化・泥沼化の局面を迎えている。そして東アジアではさらなる大戦争、すなわち米日帝国主義の中国侵略戦争が今にも火を噴こうとしている。第2次大戦後の世界に基軸国として君臨してきた米帝が、今やその世界支配を維持し続ける力を失うほどに没落を深め、そこからの巻き返しと延命をかけて「世界第2の大国」=中国との戦争に突き進んでいるのだ。この米帝の中国侵略戦争世界戦争への突入が世界を揺るがし、今日の世界戦争情勢を規定しているのである。

 だからこそ、この戦争と革命の世界史的激動のただ中で米日帝の中国侵略戦争を阻止する日本階級闘争、とりわけ沖縄闘争をはじめとする反戦・反基地闘争は極めて重大な位置を占めている。今こそ「闘うアジア人民・被抑圧民族人民と連帯し、日本帝国主義の侵略戦争を内乱に転化せよ!」のスローガンを高く掲げ、腐敗を極める日帝・岸田政権打倒の24年決戦へ総決起しよう!

【中略】

―Ⅲ― 7・7路線の現代的再確立と反帝反スタ世界革命論の深化

⑴10・7蜂起=民族解放・革命戦争を断固支持し闘う(略)

反スターリン主義を貫く7・7路線と「血債の思想」

  革共同が10・7蜂起に対して、以上のような断固支持と連帯の立場をとることを可能にしたのは、70年決戦過程で確立した「7・7自己批判路線」(7・7路線)、「闘うアジア人民(被抑圧民族人民)と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」の綱領的路線を堅持してきたからである。

 米帝大没落と戦後世界体制の最後的崩壊の過程は、米帝・帝国主義の中国侵略戦争世界戦争の過程として進行している。同時にそれは、帝国主義の世界支配の矛盾の集中点としての中東・パレスチナをはじめ、新植民地主義体制の崩壊と民族解放・革命戦争の爆発を不可避的にもたらす。
 帝国主義の侵略戦争・世界戦争を内乱に転化し、プロレタリアートの根底的解放を実現する世界革命は、この民族解放・革命戦争との結合をかちとることによってこそ勝利する。帝国主義国・抑圧国におけるプロレタリアートの革命的蜂起と植民地=新植民地主義体制諸国における民族解放の革命的蜂起の結合によるプロレタリア世界革命=反帝・反スターリン主義世界革命に向かって、総決起すべき時を迎えているのである。7・7路線について、あらためて再確認し、現代的に再確立することが、今日極めて重要な課題になっている。

 「7・7自己批判」とは、直接には1970年7・7集会(「7・7盧溝橋33周年・日帝のアジア再侵略阻止人民大集会」)を在日朝鮮・中国アジア人民との共同の闘いとして準備する過程で、華僑青年闘争委員会(華青闘)から革共同の70年決戦に対して「入管闘争の取り組みの不十分性」「抑圧民族としての立場の自覚の欠如」という点で批判がなされ、それに対して差別的言辞をもって応えてしまったことに対する自己批判である。革共同は、華青闘からの批判とそれを受けての自己批判を通して、日本プロレタリアート人民であるわれわれが、侵略される側のアジア人民の立場に立ち、彼らの現実の存在と闘いを措定し、学び、連帯していくことを、日本におけるプロレタリア自己解放闘争、革命的共産主義運動の根幹に据えた。ここから「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」の綱領的路線が確立され、7111月決戦に至る革命的内乱的爆発をかちとっていった。

 7・7路線は、単に「被抑圧民族や被差別人民の闘いを重視しよう」というものではない。帝国主義の支配下での「マイノリティー尊重」のような、ブルジョア民主主義の徹底を要求するようなものでは断じてない。それは、プロレタリアートの自己解放闘争は抑圧されたすべての人民を解放する闘争としてのみ成り立つという共産主義の原理を徹底的に貫く路線であり、帝国主義の排外主義、差別主義による人民分断と侵略への動員攻撃との闘いの決定的意義を自覚させるものだった。
 スターリン主義によってゆがめられ、破壊されてきたプロレタリア国際主義を帝国主義国・抑圧国におけるプロレタリアート人民の中によみがえらせるものであり、反スターリン主義の革命的貫徹そのものでもあった。

 そしてこの7・7路線は「血債の思想」を打ち立てた。それはスターリン主義の裏切り的指導のもとで、日本プロレタリアートが日帝の排外主義と侵略への動員攻撃に敗北し続け、その結果もたらされた2千万アジア人民の犠牲、さらに戦後も侵略と抑圧を許してきてしまったその「血債」を、自らの血を流して日帝を打倒する闘いをもって「弁済」するという立場に立つものだった。

 この7・7路線と「血債の思想」は、すべての被差別・被抑圧人民と連帯し、全人民の解放を自己の解放として闘うことができるプロレタリアートの階級的誇り、帝国主義の排外主義に屈し続けてきたスターリン主義を根底から乗り越えようとする革命的共産主義者としての自覚と歴史的使命感を燃え立たせるものであり、党と階級の力を爆発的に引き出していったのである。

 7・7路線、「血債の思想」の根底にあるものは、帝国主義の支配を打ち倒す以外に自らの解放を実現することができない階級であるプロレタリアートの革命性に対する無限の信頼である。
 日本のプロレタリアートは、闘うアジア人民、在日朝鮮・中国アジア人民と連帯し、日帝の侵略を内乱に転化し、日帝打倒を必ずやり遂げることができる革命の主体である。このことへの揺るぎないマルクス主義的確信である。

 これに対し、かつて革共同の一部指導部に発生した血債主義・糾弾主義は、プロレタリアートの無限の革命性に対するマルクス主義的な確信から出発するのではなく、それへの根本的な不信と絶望から出発するものだった。
 彼らは「血債の思想」を「帝国主義国の労働者は排外主義・差別主義にまみれており、そのままでは革命の主体にはなれない」という階級不信の思想にねじ曲げ、階級的労働運動路線に敵対した。

 血債主義はカクマル反革命との内戦を経て、労働運動や大衆運動における後退を余儀なくされた過程で党の指導部の一部を占めることになったが、労働者階級の党としての革共同を決定的に再生させる「党の革命」(2006~07年)によって打倒された。この血債主義の打倒は、「7・7路線」を帝国主義国におけるプロレタリアートの自己解放の路線として据え直し、真に貫徹しようとするものだった。
 事実、反戦闘争を軸とする階級的労働運動とは、何よりも排外主義と闘い、自国帝国主義=日帝の侵略戦争を阻止する闘いとして提起され、実践されてきた。だからこそ、日帝の植民地だった南朝鮮・韓国の民主労総と日本の動労千葉、11月集会に結集する労働者人民とが「瞬時にして」結びつき、激しい排外主義と分断の攻撃が吹き荒れた新自由主義の20年の過程を通して、その階級的・国際的団結をますます強化するという「奇跡」を実現してきたのである。

 10・7蜂起の衝撃とこれに対する米帝(帝国主義)=イスラエルの凶暴な虐殺戦争の展開は、われわれ帝国主義本国の抑圧民族プロレタリアート人民の闘い、その現状について今のままでよいのか、闘う被抑圧民族人民との連帯とはどうあるべきかということを突きつけ、世界のプロレタリアートの革命的意識を一気に覚醒させた。
 われわれは10・7蜂起闘うパレスチナ人民と連帯する質をもった反戦闘争、侵略を内乱に転化する反戦闘争を闘い抜くことが、革命的共産主義者とその党の全存在をかけた義務であることを強烈に自覚した。8回大会―31全総路線に、「7・7路線」「闘うアジア人民・被抑圧民族人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」の綱領的路線を決定的に据えつけて闘うことが明確になったのである。

帝国主義世界支配の危機と新植民地主義体制の問題

―Ⅳ― 帝国主義打倒する反戦闘争の大衆的・内乱的爆発かちとれ

(略)

―Ⅴ― いま革共同に求められている党建設と指導部建設の課題

 

【中略】 革共同を青年・学生の党として建設し、「連帯し、侵略を内乱へ」を切り開く24年決戦へ進撃しよう。

 

【以上転載】……… ……… ………
【ブログ注】
 ①
「血債主義者」の一掃とはなんだったのか?
 その後の長い間の「血債を語るのは血債主義者であり、反党・反革命」としてきた経緯を頬かむりする欺瞞をまずは感ずる。いやそもそも「血債」をめぐる議論以外でもすべてをいっしょくたにして「血債主義者」に仕立て上げてきたように見える。その挙句の果ての「血債の思想」の復権だというのだ。
 かつて共産党も、不破委員長の時代に、トロツキーや旧ソ連指導部を「復権」し「名誉回復」させた。60年代、70年代に新左翼や全共闘運動に関わった人たちにとっては、開いた口が塞がらない。他方「トロツキスト暴力集団」論や「トロツキスト=帝国主義の手先論」で武装して「民主化棒」を振り回してきた共産党・民青の諸君たちも愕然としていると聞く。
 その同じ伝ではないのか?

②血債の思想思想とは何だったのか?
 ここでは当初から、中核派の中でも不一致があったと思える。私は何度か書いても来たが
「第2の7・自己批判」と地域入管闘の陣形を欠いた血債論など問題にもならない。(別途、書いてみたい)
 そしてまた、70年代~80年代、三里塚と並んで「狭山・入管」は特に新たな若者・青年たちが左翼・中核派に結集する大きな思想的・精神的な核であったことも大事だ。革マルとの内戦に踏み切る学生たちにも譲れぬ一線として「後背の陣」になったと思う。

 私から言えば、鉄パイプやロケット弾のための「政治思想」として、中核派諸個人を追い込む方便に転落していたと思う。
 いずれにせよ、巻頭論文ではこの大事な領域で、応える・深める展開はない。

③「7・7路線」という言葉も唐突だ。『前進』の過去の記事を検索しても、実はほとんど出てこない。
 「7・7路線」などというものはありうるのか?「路線=思想」などという等式はありうる      のか?路線で思想を代替するなどという言辞が許されるのか?
 これってスタの論理ではないのか?
 私自身がこの言葉に違和感があって、無視していたのかもしれないが、いつから「定式化」されたのだろう?そうそう、定式化の中身は??
 こんなことは60年代ー70年代前半の新左翼界では許されないものだったのではないのか?
 
④もともと、「7・7の衝撃」とは何だったのか?
 「血債の思想」とは何だったのか?
 確かに、華青闘の告発を受けて当時の中核派全学連のトップが居直ったことは事実らしい。
 そして清水氏が「まずい、まずい」と前進社に飛び込んで来たのも事実だろう。
 つづいて政治局で深刻な議論が重ねられた。その仮の結論が「7・7自己批判」だと聞く。
 戦後も進んで、在日や華僑が国内政治に登場する可能性や現実性など、私の世界にはなかった。それ自体が唐突だったのだ。

⑤反スタの再構築・再点検
 私が思うに、反スタにせよ、三全総にせよ、血債の思想とはまだまだ程遠い。
 60年代末の沖縄闘争は、活動家たちには唐突だった。本多さんは「一冊でもいいから関連本を読め」と言った。
 人によっては「なぜ沖縄に取り組まないのか」と不満を抱えてきた人もいよう。しかし学生や若者たちには…。「砂川・横田などで勝ち取った闘いの成果が、実は沖縄への基地移転でもあった」という事実をも突きつけた。そもそも「本土復帰闘争」にどう向かい合うかなど、遡上にも上っていなかった。(古参中の古参たちは「正確に語れ」と怒るかも知れないが)

 「血債の思想とは関係ないことを言うな」、と言われそうだが、私は言い続けよう。
 よく言われる「地図を逆さまにしたら何が見えるか?」ということ。
 あえて言えば、東大闘争では「置換可能性」という言葉も生まれていた。
 
 思想とは諸個人の感じ方や生き方を規定するものであること。
 思想的深化や形成は、党派や政治選択には直結しない領域のものであること。ごやまぜにしてはいけない。
 そして「血債の思想」は既成の反スタの世界認識のあり方や、関りをコペ転するものであったのだと思う。女性解放・障がい者解放…。大江とサイードの往復書簡として知られるもの。「ポストコロニアリズム」という世界認識の切り口。
 反スタを繰り返せば終わり、ではない。反スタだけが専売特許を取れるわけでもない。

 「白井朗派≒白井系」の1人として、もっと多くを書きたいのだけれど、いつか、別の機会に譲りたい。

ひとまずお知らせだけ


後日、何らかの感想を書いてみたいなと思ってます。
お世話になった模索舎のページからコピペしました。以下引用
… … ………… ……… ………


党はどこへ行ったのか 私と革共同

142694

[2023年12月/四六判/374頁/]
《RED ARCHIVES 05》
著=岩本愼三郎
発行=社会評論社


目次:
第I部 私と革共同-光と影の幾歳月
第1章 革共同全国委員会の出発-六〇年安保闘争と三全総
第2章 七〇年安保・沖縄闘争という挑戦
第3章 いわゆる「内ゲバ」について
第4章 三里塚二期攻防と先制的内戦戦略
第5章 国鉄分割・民営化と「戦後政治の総決算」
第6章 国鉄一〇四七名闘争始末期-革共同の失われた三〇年(1)
第7章 安保再定義と百万人署名運動-革共同の失われた三〇年 (2)

第II部 革共同の諸問題
第1章 共産主義的政治をとりもどす-松本意見書 No.1
第2章 革共同全国委員会の歴史と教訓-松本意見書 No.2
第3章 迷走する「綱領草案-あるいは革共同の墓標
第4章 二重の敗北としての国鉄一〇四七名「和解」
第5章 党はどこへ行ったのか-「党の革命」「党の階級移行」という茶番劇について

第III部 現代社会を読む-『ピスカートル』からの抜粋
「太陽をとらえた」近代科学の果てに
経産省前テントをめぐる裁判闘争
原子力ムラの闇を照らした光
東京都知事選挙の悲劇と喜劇
憲法と戦争と沖縄
国家緊急権と立憲主義の死
人智をこえた人災から何を学ぶか
菅政権という末期症状
コロナ敗戦と亡国五輪
連合べったりで自滅する立憲
泥沼化するウクライナ戦争と世界大戦の危機
化けの皮が剥がれた自民党政治
GAZA 大量虐殺の果てに

レッド・アーカイブス 顛末記 | 川口 顕 
¥3,300

【ブログ注】
⑴著者紹介から 
1940年生まれ
 59年 東京工業大学に入学 その後に革共同全国委員会に加盟
2008年 革共同を離党
⑵私(白土)の記憶の断片から
革マル派との分裂で中核派を選んだ数少ない人の1人
私が1年生の時、1966年の年末に1か月だけの「マル学同臨時書記局員」として
参勤した時に、親しくお目見えした。秋山全学連の直前の話。
78年に私が『前進』編集局員になった時、たしか岩本さんが編集長だった。あるいはその直後か?
要町の本社2階の狭いながらも2室を使ったEB室で生活を共にした。ま、本命の水谷保孝氏が下獄中
でその臨時代行みたいな感じ?
後に『破防法研究』編集長。
松本意見書はぜひとも
 
時間切れでひとまずアップします。後日改めて追加予定。


【ブログ注】大坂裁判の判決公判が12月22日に迫っています。以下、『前進』その他から駆け足で転載。ひとまずは裁判の現段階を、『前進』記事の抜粋から共有しよう。71年渋谷暴動闘争は、私たちが共有し、生きてきた歴史的体験なのだから。少し長いがこの際…

【以下転載】……… ……… 以下は「アーカイブ」(過去記事のカテゴリー 弾圧との闘い、などから)……… ……… ………

 

 第15~16回公判(3月7、9日)でっち上げ供述調書の破綻

 

★★大坂救援会★★

 「星野、奥深山、大坂が死亡した警察官を殴打していた」とするでっち上げ供述調書を多数作成した当時の取調検事・中津川彰の証人尋問が第15回公判で行われました。体調不良を理由に1月の公判に不出頭だった中津川ですが、弁護団・支援の強い怒りに追い詰められ、ついに法廷に引きずり出されました。

違法な取調を「正義」と開き直った中津川 第15回公判

 検察官は「中津川元検事は高齢であり、事件に関して何も覚えていない」と主張し、星野裁判での公判調書の採用を求める策略でした。中津川もこれに乗っかり、自らの年齢さえ大きく間違えるほどでしたが、弁護団の反対尋問に追い詰められ、次第に本性をむき出しに開き直り始めました。

 父親が取調室でARを殴りつけ、それをきっかけにARが供述を始めたことに対し、「公安部の検事としてARの人間性を立ち直らせたと自信を持った」「こういうおかしな人間に対して、まともな人間にさせるために検事になった。ARを反省させられた」と暴力的な転向強要を自慢。

 黙秘権を侵害する違法行為ではないかと弁護団に詰め寄られると「考えないね、そんな」「おかしいじゃないかというが、これは僕の人間性。ARのため、ARの父親のため」と開き直りました。検察庁で取り調べるのではなく、自ら警視庁地下取調室に出向き、警察の調べに続いて深夜に取り調べを行ったことを「サービスだ」と主張するなど、拷問的取り調べの実態とでっち上げを是とする国家権力の本性が中津川の証言を通して赤裸々に暴かれました。

 もっとも許せないのは、弁護団がこうした拷問的取り調べの実態を具体的事実を突き付けて追及するや逆切れし、大坂さんに対して「正義の味方の中村巡査が殺された。生きていること自体が、正義の味方として私の正義感が許さない」と暴言を吐いたことです。無実の星野さんや大坂さんをでっち上げておきながら、何たる言い草でしょうか。でっち上げの下手人=中津川を絶対に許さないぞ!

M証人が中津川のでっち上げ手法を厳しく弾劾

 第16回公判は、中津川にでっち上げ調書を作られたMさんが証人として出廷しました。 

 青年労働者だったMさんは社会の矛盾を感じ、中野社研で学習会を重ね、反戦青年委員会の仲間と1114闘争に参加しました。
 翌年1月に事後逮捕され黙秘しますが、最大で1日18時間に及ぶ拷問的取り調べを受け、意識がもうろうとする中、でたらめな供述を強要されました。

 証言台に立ったMさんは「黙秘が認められず、拷問的取り調べをうけ、うその証言をさせられた。知らない人を、捜査官に言われるまま認めた。信念を曲げて供述してしまい、今でも悔しい。無実のKさんに迷惑をかけ、50年間いつも負担だった」と涙ながらに訴えました。厳冬の1月に取調室の窓を開けっぱなしにされたり、わざと手錠を外さないといった拷問の実態や、知らない人を特定する「写真面割」のでっち上げ手法が法廷で暴露されました。

 両日とも、権力への心の底からの怒りがあふれる証人尋問でした。傍聴していた若者が「見ごたえがあった」と興奮して友人と語り合うなど、権力のでっち上げは完全に暴かれました。


2627回公判 弁護側立証、無実の証言続く

 
裁判は弁護側立証に入り、大坂同志の無実を明らかにする証人の登場で権力のでっち上げが一層明白となっている。
   証言台に立ったのは、元東京南部地区反戦の◯氏、元工学院大のY同志、元東京西部地区反戦の I*氏、ら。

    闘争前日の工学院大学の学生が1人、神谷町の現場から2人の反戦派労働者、そして…


第26回公判 「工学院に大坂はいなかった」 

 大坂同志を全く知らない群馬の学生たち(少年含む)が、死亡した警察官を殴打していた人物を「事前に見かけた」とされている場所が、デモの準備で訪れた工学院大学(新宿)だ。


 
当時工学院大学の学生リーダーとして1114闘争を闘ったY同志が証言台に立った。
 
   Y同志は
「群馬の奥深山幸男さんから、デモで使う旗ざお作りを手伝うと連絡が入った。彼らは数日前から東京に来て、デモの準備をしていたようだ」

  「
工学院は三多摩全学連の拠点校。三多摩の仲間は出入りするが、群馬の学生が来たのは初めて。千葉の大坂さんは工学院大学に来たこともなければ、来なければならない理由もなかった。皆、各地区で闘争への参加を全力で組織していた」

と真実を突きつけ、権力のでっち上げストーリーを破綻に追い込んだ。


 群馬の学生らのでっち上げ調書に繰り返し登場する「工学院大学の責任者」Y同志の毅然とした法廷証言に、検事は反対尋問で事実関係について全く触れることができなかった。ひたすら「あなたは革共同集会に参加しているか」「昨日行われた星野・大坂集会に参加したか」「裁判の内容を熟知しているのではないか」と、証言の信用性に少しでも傷をつけようとケチ付けを試みたが、まったく迫力を欠いた。「工学院で見た男が殴っていた」「それは大坂だ」という権力のでっち上げストーリーは完全に崩壊した。


 
 
27回公判、反戦労働者が殴打現場の証言
 
 第
27
回公判では渋谷闘争に反戦青年委員会の労働者として地域の仲間をまとめる立場で参加したI 証人が、殴打現場に大坂同志と似た身長・体格の人物がいなかったことを明快に述べた。


 「殴打していた人は大柄で、横幅もあった。体格からして大坂さんとは別人」
 「当時の私の身長は178センチ。大坂さんの手配書の記載と一緒。
私と同等の身長の人は、警察官を取り囲んだ集団の中にはいなかった

 「
私は殴打現場を取り囲む輪にいて事態を目撃したが、部隊をまとめるためにデモ隊の総指揮者である星野さんに注目していた。
 星野さんは殴打現場ではなく、そこから離れた十字路にいた

と証言し、殴打現場に大坂同志がいなかったことのみならず、故・星野文昭同志の無実もまた明らかにした。


 

 28回公判 「殴打者は大坂さんではない」 共に闘った労働者が堂々と証言

 東京南部地区反戦青年委員会の労働者として1114闘争に参加したHさんが証言した。

  H証人

「隊付きレポという役を命じられ、デモ隊に並行して動き機動隊の動向を報告するように求められた。だが、いてもたってもいられず仲間と共に闘い、東急本店前で現行犯逮捕・起訴された」

「取り調べでは『殴打現場にいただろう』『神山交番に放火しただろう』と追及され殺人罪でっち上げも覚悟した」と、自らの闘いを明らかにした。
 
 そして
「殴打現場を至近で目撃した。のちに大坂さんの指名手配写真を見て、絶対に間違っていると一瞬で確信した」
「沖縄闘争を憎悪する権力によるでっち上げ弾圧だ」
と権力を弾劾した。

「殴打者はガタイのいい男だった。大坂さんとは全然違う体つきだった
」と言い切った。

 検事は「証人が目撃した殴打者の身長は170㌢か、171か、それとも172か」など、実にくだらない反対尋問で傍聴席の失笑を買った。また「証人は革共同政治集会に、渋谷暴動事件の証人自身の裁判が終わった後、42回も参加している」など、証言の信用性を傷つけようとしつこくケチ付けを続けた。

 だが「星野さんの虐殺は許さない。大坂さんへのでっち上げを許さない」という証人の固い決意と真実の証言の迫力が権力を圧倒した。

 証人尋問の後、審理計画についての手続きが行われた。6月の残りの公判期日をすべて取り消し、次回第
29
回公判は7月6日(午前10時 東京地裁)に行うことが決まった。

免訴の証拠調べを却下する暴挙

 裁判所は、弁護側が求めていた免訴に関する証拠調べ請求を、すべて却下する暴挙を断行した。半世紀以上前の事件の裁判が「違法ではない」と開き直り、免訴について審理すら行わないと言い放ったのだ。

 裁判所による「奥深山幸男の公判停止が
35
年以上の長期にわたったとしても、大坂被告人に許容しがたい不利益が生じたものということはできない」「裁判所の判断に刑事法の研究者の知見が必要であるとは言えない」との決定は、怒りに堪えない。


大坂正明同志は無実 第32回公判 「私は殴打していない」

 
 作業時間の都合で略。右クリックしてください。


大坂裁判判決公判

 12月22日(金)午後2時 東京地裁429号法廷
 ※傍聴券配布のため、1時間前集合

【以上転載】……… ……… ………

【ブログ注】 これが全てでは全くないけれど、東京南部のHさんと東京西部・杉並(とは書いていないけど)のⅠさんが、自ら神谷町の現場にいたと証言し、”そこにいたのは大坂氏ではない”と断言したということ。

 腹を決めた2人の証言には、身が震える。「決定的な証言」でもあるが「偉大な決起」ともいえる。

 

 以上

【補足】弁護側証人の3人は、それぞれ革共同(中核派)の「常任」を務めた人だ。工学院大学→本社、東京南部・千葉。

後者の2人はすでに「同志」ではないらしい。年月の経過を思い知る。同時に、大坂裁判も、「元同志」たちの決起に支えられていることをはっきりさせた。

2

【ブログ注】ひとまずはコメント抜きで全文紹介します。「反戦反戦論」というそうです。

週刊『前進』

革共同第31回全国委員会総会 清水丈夫議長の発言 反戦闘争としての反戦闘争を断固として実践しよう

週刊『前進』04頁(3312号02面02)(2023/09/25)


革共同第31回全国委員会総会
 清水丈夫議長の発言
 反戦闘争としての反戦闘争を断固として実践しよう


 革共同は8月、第31回全国委員会総会(31全総)を開催し、政治局報告(3309号に全文掲載)と全国委員の活発な討論を経て「反戦闘争の爆発で11・19へ」の路線・方針を決定、直ちにその実践に突入した。総会討論での清水丈夫革共同議長の発言を紹介します。(「共産主義者」217号にも掲載。編集局)

権力打倒へ行き着く闘い

 今回の総会で戦争が始まっているということを、厳密な意味で確認しました。ただ戦争に突入している階級闘争というのは、戦後のわれわれには経験がない。もちろん、ベトナム戦争、古くは朝鮮戦争における階級闘争はありました。けれども今、帝国主義の中心と旧スターリン主義ロシアのような大国が、正面からぶつかるような世界史上から言っても考えられないような大戦争が現実となっている。今回、党として整理した反戦闘争論の内容で断固進んでほしいと思います。
 その上で、さらに進んで言うと、日本自身が戦争の主体となるような世界戦争がウクライナ・中国で始まっているということについて、党の確認としてだけではなく、全労働者人民のものにしていく努力が絶対に必要だと思います。要するに、戦争下の反戦闘争がどんどん発展していけば、必ず国家権力とぶつかるわけです。今回、「反戦闘争としての反戦闘争」ということが強調されているゆえんはそういう点にあるわけです。
 つまり、戦時下の反戦闘争とは権力とぶつかっていく、あるいは権力打倒に行き着く以外にないものなのです。この反戦闘争は、党が本気になってやれば、どこまでも発展するし、どこまでも大きくなる。そういう点で、この反戦闘争のもっている権力との激突は、闘争の全過程にわたり、最後的には内乱に勝利するまで発展する。革命に勝利するところにまで行き着くような闘いを、われわれは今から始めるんだということについて、一人の共産主義者として、厳粛に確認しないといけない。
 いま世界戦争が迫って、労働者をまき込もうとしていることについて、共産主義者はどういう態度をとるのか。党や組織と言うまえに、一人の共産主義者として、「絶対に許せない」という精神を確立する必要がある。これを完全に組織的にがちっと固めて、敵階級をぶっとばす、そういう力にしていかないといけない。

「平和的状態」から脱却を

 だから、ひっくり返して言うと、「反戦闘争としての反戦闘争」という提起について、ストレートに断固やるというふうにはなかなかいっていない現実もあります。もちろん、それはそれぞれの苦闘や格闘の中から来る、さまざまな言葉となって表現されています。
 しかしやはり、この提起は、まず反戦闘争——反戦のデモ・反戦のストライキをやらなければならない、という問題としてとらえないといけない。その点は党が命がけで闘うという場合に、少しでもあいまいさや迷いがあったら絶対に闘えないからです。
 このことは、日本では戦後の長い間、平和的な状態が続いてきたことも影響しています。70年以上にわたって、日帝が直接戦争に参戦しない状態が続きました。共産主義者とはいえ、われわれも、長い間、ある意味で「戦後の平和的状態」に慣れ切ってきたということがあるわけです。
 だけど、ここまで日帝が踏み込んできた以上、われわれは覚悟して進んでいかなければならない。戦争に反対する闘争というのはガチガチに尖(とが)っているんですよ。
 また、別の角度から言うと、『何をなすべきか』でレーニンが言っていることをよく学ぶ必要があります。結論的に言えば、労働者階級というのは、戦争と決定的に闘える階級なんだということです。戦争の情勢が動いているということについてよく分かっていて、政治的にすぐれた階級なんです。労働者階級は、反戦闘争を決定的に闘える唯一の階級なんです。
 それが同時に、反戦闘争というのは、労働者以外のありとあらゆる階層、極端に言えば、ブルジョアの個人であってもごりごりに議論すれば味方に引き入れられる。反戦闘争とは、一方で幅が広く、大統一戦線を形成することができる運動なんです。今日、いろいろな議論がありましたが、行動の統一、つまり実際に行動に移して、デモ・スト、その他のいろいろな運動をやるということが必要です。これらの点を確認してほしい。

戦争の根源は米帝大没落

 もう一つは、この「反戦闘争としての反戦闘争」を徹底的に闘うためには、党員全体が「どうしてこの戦争が起きているのか」「誰のために、誰の利益のために行われているのか」、それを一人ひとりがきちっと確認することです。そのことを運動の中で生かしていくことが必要です。
 そういう点では、「現代の世界戦争」とわれわれが言う場合には、まずアメリカ帝国主義の危機を決定的に確認しなければならない。アメリカ帝国主義の力量は戦後史の中で最もボロボロになっていて、「世界の帝国」としての力を発揮することもできないようなところに来ていること。これを一人ひとりが実感して確認してほしい。
 その上で、今の米帝の危機の深さはどこにあるのか。戦後、帝国主義とスターリン主義の相互対立がずっと展開してきたわけですが、その中身が変わってきている。もはや基軸国としてのアメリカが基軸国としての役割を果たせなくなっている。歴史的に見れば、戦後の特異な発展も帝国主義の基本矛盾の爆発を避けられず、1974~75年恐慌と2008年リーマンショック以降の恐慌、この二つの大恐慌に襲われたのです。これを米帝は、どういう形で乗り切ってきたのか。
 端的に言えば、経済の金融バブル化(財政・金融の超緩和政策)なんです。これを軸にして、前期においてIT産業とか、後期になると、五つの大会社(GAFAM)、情報通信関係を中心とした重要な産業が登場する。それが言わば種になって、金融バブルがそれ以上に産業的な発展も含めて、経済成長を支えるというような力を発揮して乗り切ってきました。
 しかし今や、IT産業も過剰資本・過剰生産力の壁にぶつかってしまった。二つの恐慌からの乗り切り策としては金融バブル化と一対のものとして、グローバリゼーションということが重要な役割を演じます。これは新自由主義のもう一つの側面なんです。
 新自由主義(最末期帝国主義の絶望的延命形態)においては一方で、労働者階級に対しては搾取の自由ということでメチャクチャな合理化を行い、失業者がどれほどたくさん出ようが構わないという資本攻勢がかけられる。こういうような精神で、国内階級闘争に向かうわけです。もう一方では、グローバリゼーション、つまり資本がもうかるところでもうけていいというような攻撃がかけられる。そこで問題になったのが中国市場でした。

中国侵略戦争の超重大性

 二つの恐慌を乗り切る過程で起こったことは、帝国主義が中国(スターリン主義)市場に乗り込んでいく。そのことをとおして中国から利益を吸い上げることでした。その結果として、中国は米帝に続いて世界の経済大国になってしまった。グローバリゼーションは中国を思わぬ経済大国にした。さらに言えば、軍事大国にしてしまった。この結果、アメリカもふき飛ばされる危険性さえ出てきてしまった。
 中国市場に依存してアメリカが延命するというやり方は、もう続けられない。このままいったらもっと大国化する、アメリカも手が付けられなくなってしまうかもしれない。もし、米帝がこのままの状態を続けたら、世界の帝国主義として、ほとんど存立不可能なところにまで追い込まれたということなんです。これが、新自由主義の行き着いた先の大破綻なのです。
 その結果、アメリカの軍部を中心に、「今のうちに中国をたたかなかったら戦争に勝てない」「逆にやられてしまう」という声が出てきたのです。いまやアメリカ帝国主義支配階級、軍部は帝国主義の生き残りをかけた戦争として中国侵略戦争を実際に計画し、軍事演習を激しく展開しているのです。
 中国侵略戦争というのは、アメリカ帝国主義の生き残りをかけたものすごい攻撃として展開している。これらのことをはっきりさせて、われわれはこれと全力で闘う。ぜひとも、この反戦闘争の重要性、大きさを確認してほしいと思います。

【ブログ注】以下はしばらくは『前進』関連です。

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