カテゴリ: ☆☆続『狂おしく悩ましく』

【ブログ注】1月27日の記者会見

ひとまず時系列のメモにしました。要旨はほぼ正確です。特に最後のほうのやりとりは充分膨らまして起こしました。

●●はニュアンスが大事で、まとめるのが難しい。大事なところです。

くり返し聴くために作りました。再生のタイミングによって1分弱のずれが出る?

 

司会挨拶 石田        0分~

秋月書記長あいさつ

マスコミでは「組織の引き締め」などという。警察の下世話な話。しかしすべての同志は、「人間が人間らしく生きられる社会」、つまり共産主義を目指して自らの意志で結集したものだ。

 

公然化の理由について

   19年の革共同全国委員総会で、7回大会=旧政治局の指導の誤りをはっきりさせた。

「党の労働運動」論を批判した。

清水議長の自己批判の貫徹をかけ、議長として先頭に立って闘うためだ。

   公然化できる力関係を獲得した

内ゲバやテロ・ゲリラうんぬんと言い、暴力を認めるのかと言いうが、必要なものは…、

明治維新の最初の首相の伊藤博文はテロや殺人を行使した。

清水議長が壇上に      733秒~

51年ぶりの登壇について。

革命情勢が到来している。

新自由主義 コロナと掛け合わせることで…マスコミも認識して欲しい。

小学生の時の2・1ゼネストの体験。

格差。

革共同が立たねばならない。

  労働運動の力…

7回大会の誤りに(手を貸した)ことに自己批判した。

 全国委員総会で突き付けられて、はっきりした。

質疑応答     3101秒~

【文化放送】                       3101秒~

Q1 71年渋谷暴動について、Q2亡くなられた方の家族に対して。

 

【日仏共同チャンネル】         3507

Q内ゲバ133人の死者、やむを得なかったのか?

A1.70年闘争に対して…。KK連合が分からないと…。

Q.(秋月も言及した)中国の覇権主義への対応は?

    A.反スタ

Q.重ねて

    A.中国の労働者階級の存在。必ず決起する。連帯する。

Q.革命のビジョンは?

A.資本主義と対決する革命。それ以外に無い

              国家をつぶす、ひっくり返す。三労組共闘、労働運動の復権だ。

 

【東京新聞・田原牧】            5237

Q.12001年の6回大会では革マル派への勝利宣言を出した。革マル派存在している。矛盾?

Q1-2.水面下の手打ち?

Q.75年先制的内戦戦略は取り下げられた?秋月発言でも「ゼネスト・軍隊を味方に」と革命軍への言及がないが?

Q.かつての政治局員はもういない。80歳を越して何で?後進は育っていない?

   今でも多数は108から70年世代(多くの人が離れたが)。印刷局の女性差別事件もあったが?議長が痛々しい。                                    5543

A1.ただね、革マルが革マルたるゆえんは、暴力的に我々を一掃する点にある。そういうものでない革マルは死んでいる。

A.革命運動は変化に富んでいる。その時々に整理した形で我々の考え方を戦略的に提起する。放棄なんてしていない。状況が違う。ああいうことが起こったら、同じようなことが起こったら、そういうことは無いと思うけど、やる。(田原記者との断片的やりとりで)                ●●

A3.不徳の至り。共産主義者の生き方…。そうじゃなくちゃ生きている価値がない。

 

【毎日新聞】                     5825

Q1.71年渋谷暴動、抵 抗があるならば殺害してもいい?抑圧の相手方を。そういう指示や関与は?

A1.そりゃないですよね。弾圧をはねのけろ、デモを貫徹しろ、そういう事を言った。

Q2.横須賀・緑荘事件で、巻き添え死の遺族に対して今言葉をかけるとしたら?

A2.「…。ま無いですね

Q3.迎賓館ロケット弾事件や…大坂被告など、非合法。これらの指示や支援は?

A3.政治局としては指示したんでしょうね。個々は答えない。政治局として「妨害をはねのける」ということで。

Q3.2広義の暴力と狭義の暴力があるが狭義の暴力は

A3-2他人を傷つける、なんて目的にしたことは一回もない」「(血が流れるのは)しょうがない」1時間328

【秋月がフォロー】(革共同の基本的見解は、)渋谷暴動の一切の責任は国家権力にある

 

【朝日新聞】                     1時間455

Q1.51年間?

            A1.思った以上に多くの支援を受けて守られてきた…しっかりした生活…運動ができた。感謝している。

Q2.革マル派が潜伏生活について言っているが?

            A2.革マルはトンチンカンなことを言ってる。

Q3.潜伏生活の実際…?

            A3.答えない。これからもあるから。

Q4.会見のもっとも大きい理由は?

            A4. 指導部が団結して労働運動の再生に命をかける。それを分かってもらうため。

Q5.議長は一線を降りる?

            Å5.革共同が理性的に解決する。笑いながら

【秋月のフォロー】人事については大会で決定する。

 

【時事通信】                              1時間93

Q1.成田闘争の振り返りと見通しを

            A1.三里塚闘争は必ず勝利できる。全力でと討議している。

Q2.記者会見は初めて?

            A2.こういう形では初めて。

 

【論座 樋口】                    1時間1149

Q1.労働運動路線とは…革命のイメージは武装蜂起ではなくてゼネスト?

Q2.「新自由主義」という用語ばかりで「帝国主義」という言葉を使わない理由は?

Q3.黒田寛一や松崎明をテロするチャンスがあったがやらなかったという話があるが?

A1.ゼネストと武装蜂起はマルクス主義では矛盾しない…。ゼネストをやって何らかの武装蜂起はある。

Q1-2.(田原記者の質問に答えがなかったが)革命軍は存在する?

A1-2.ちょっとね、そういうもんじゃないんですよね。今から準備するとか…

【秋月フォロー】そういうのを「空論主義」

【清水】うん、空論主義

A2.新自由主義とは末期の帝国主義の(えーと?秋月がフォロー)絶望的延命形態。同じことを言っている。

Q2-3.最近『前進』に「帝国主義ということばがないが、同じことを言ってると?

A2-3.うん。

【秋月のフォロー】(略)

A3.松崎、そんなん答えるわけない。愚問ですね。

 

【日仏共同チャンネル ②】  1時間1650

Q1.ふだん野党の取材をしているが。安倍政権―菅政権の評価は?

            A.どういったらいいのかな?(歴代の政権に比べて?)低水準、幼稚、もろい。(秋月がフォロー)

Q2.革命の展望は?あと何年?存命中には?

            A2.何年とは言えないが、できればね…。そうしたい…。

Q3.若い人が生まれている。杉並の洞口、東大4年の全学連代表も…

            A3.いいことだ。

Q3-2.彼らにかける言葉は?

    A3-2.頑張ってくれることは重要。

Q3-3.「『前進』チャンネル」の配信。Uチューブは見ている?

         A3.あまり見ていない(笑い)

 

【東京新聞 田原②】             1時間2111

Q1.塩川派(関西派)との対立は「帝国主義打倒が全てか、労働運動もか」が一つある、だったのではないか?

Q2.かつての新左翼とは、政治闘争・帝打倒の政治闘争、7・7は「プロレタリアートは即自的には革命的ではない」論だったと思うが?それが社共との違い。

Q3.「7・7」や反差別を切り捨てた?06年以降の党内闘争とは?清水さんは労働運動をとるという、そういうところに踏み込んじゃった、という印象だが、そういうこと?

A1.…難しい質問。(ふ―っ)労働運動とか政治闘争とか、そういう形では問題にならない。労働運動をということは政治闘争をしないという、そういうことですか?

Q1-2.(中野さんの路線か塩川さんの路線か、があった…)

A1-2.…塩川さんの路線とはよくわかんないな … 労働運動をやんないで?

Q1-3.(労働運動をやるにしても政治闘争が基軸だった。安保沖縄闘争もそうだった。反天皇、、三里塚も政治闘争としての三里塚だった)かつての中核派は政治闘争。清水さんは労働運動に踏み込んじゃった?

 

Q1-3.まあね、別の形で答えれば、労働者階級の闘いは革共同にとって非常に大きい存在になっている。大したことはないって言われるかも知れないけれどもやっぱり労働者運動の中でも相当の闘いを積み重ねて来てると…それはやっぱり非常に大きい。それを発展させることが党にとっての大きさがある。政治闘争なんてものはね党派である以上やんないなんてことはあり得ない。重要な政治闘争はどこにもまして徹底的に闘いますよ。

A.    労働者階級が職場生産点で闘っていることをベースにして

B.    例えばかって学生の闘いを中心にして展開してきたのとははっきり違ったあらわれ形をするっていうことはある。労働者階級が主力であることがはっきりしてくれば来るほど労働運動を基軸にしてその力で政治闘争を組織していく。ということになる。

         [秋月がフォロー]

     もともとマルクス主義。……一貫して変わっていない。労働者階級をとことん信頼していく。ここが揺らいで行くときに今の労働者階級では闘えないとか、差別にまみれているとか、だから労働者階級はまず糾弾されなければいけないとか、それが極端に行ったのが塩川一派。

     7・7を取り消すのでなく、資本による基づく差別を無くしていくのも労働者階級。その労働者階級を絶対的に信頼して、労働者階級の解放を基軸に据えて、労働者階級を解放していく。そこに矛盾はない。

[清水】えっとねぇ。

Q4.それはかつて日共が言っていたこととどう違う?

[秋月]日共は差別の問題を「どうでもいい」とした。     「(東京新聞)日共はどうでもいいとは言ってない」

     けども自分たちの党派の利害に…従属させてきた。

7・7労働者階級の解放を に貫かれる…●●

【清水】「77」をはき違えたものがある。

     元々7・7は…差別糾弾闘争がすべてだと言っているものではない。

もともと「7・7自己批判の時」、労働者階級を解決するには資本主義を打倒することぬきに問題を解決することはないとはっきりさせて立ち上がった。資本主義を倒す立場から徹底的に糾弾するといったのが7・7の路線。

そういう意味では7・7の路線はは生き生きと生き続けている…

【秋月】 あらゆる差別は労働者階級を分断するためにある。資本・国家権力からの階級分断の攻撃に対して…徹底的にはっきりさせて団結をつよめる。そういう立場です。

 

【新潮社】                                1時間3138

Q1.西部邁の死

            A1.かつては親友…感じるものはあった。そんなに研究する対象でもなかった…

Q2.会うべき親友に会えなかったとか、長い潜伏中での後悔は?

            A2.(略)

 

【司会の石田】                          1時間350

Q.最後に。革命運動の中で亡くられた方への想いは?樺さん、山崎さん、本多書記長…

            A.ちょっとよくわかんない?

Q1-2. 革命運動の中でなくなった同志への想い、星野同志…

そりゃあまあ、星野なんてすごいもの。彼の何十年、(秋月 獄中…)獄中42年(秋月 44年)あっ44年。転向とか革共同から逸れて行くようなことではなくて、ますます歳を越せば超すほど磨きがかかってくるていうか、獄中で革共同が突き進む道を指し示してくれた。他の人も多くの人、内ゲバの話も出ましたけど、

本多さんなんか、やられたlっていうことは、僕なんか非常に近い存在だったわけですから、ものすごい衝撃を受けたわけですけども、やはりああいう犠牲を受けてですね頑張った。

そういう人はいっぱいいる。そういうことを考えて、今この情勢の中で革共同が本格的に成長して革命運動に前進するということを怠ったら彼らに顔向けできない、という風に思いますね。そういう点で彼らは我々を導いてくれている、そういう実感をもっています。               1時間38分終了

 

【ブログ注】
  1月27日、多くの人が「何かを期待した」かもしれないが、ま、「ブザマ」。
「麒麟が来る」の明智光秀か、関ヶ原の石田三成か?
 ある人は、森喜朗(五輪組織委員会)の「謝罪=居直り会見」を思い起こすという。
 
 最後の方では東京新聞の記者の的確な質問に言葉をつまらせた。
 何度も「暫定書記長」のフォローに支えられた。
 「革命情勢」論を虚しくした。
 その声にかつての力はない。

 地に墜ちた偶像は何を語ったのか?
 元中核派のある人は、暫定政治局への忠誠の誓いとみる。

 中核派に対するさまざまな想いを、あらためて整理する時が来た。
 以下はそのライブ動画です。心置きなく堪能を。
 
51年も非合法・地下潜伏!革命の神が遂に表舞台に降臨!ゴーマンかますゾ90分ライヴー清水丈夫「中核派」議長、記者会見 2021 01 27 - YouTube

51年も非合法・地下潜伏!革命の神が遂に表舞台に降臨!ゴーマンかますゾ90分ライヴー清水丈夫「中核派」議長、記者会見 2021 01 27

4,672 回視聴
2021/01/28
チャンネル登録者数 4.48万人
 場所は千代田区日比谷図書文化館 | 千代田区立図書館 
 プレスセンターの向かい。徒歩数分。経産省前テント村(現・座り込み)からもすぐでした。
 コメントは後日あらためて。感想・意見はコメント欄にどうぞ。
 メール yuigadokuson007@yahoo.co.jp


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【ブログ注】
 記事「私の発言」の続編です。見出しは当ブログで付けました。当ブログの判断で未完のフルネームにしました。
【以下引用】……… ……… ………


伊藤隆×さんの発言(メモから。要旨)

☆略歴
 
1951年生まれ


19703月に麻布高校を出て、大学受験せず704月に大企業に正規入社し、同時に杉並反戦青年委員会に入って活動を開始。1975年に「裏」=非公然活動に移行。

3回全国指名手配を受ける。

1回目の手配は75年3・6に革マル派の難波力(「解放」発行責任者)が完全せん滅された事件。

「車を準備してくれ」と上から言われ、私の実家の車を借りて持って行ったところ、その車が逃走過程で検問絡みで乗り捨てられ、私が手配された。当時は盗難車の技術がまだ無かった。

2回目の手配は80年10・30事件で、革マル派学生5人が東工大の付近で××された事件で、中核派5人が指名手配された。非公然活動をしていたということで私も手配されましたが、私はまったく関係していません。
   (【ブログ注】××=バツバツと読む テロまたは「せん滅」の意。この場合、 「完全せん滅」=死亡の意) 
 1992年2月に潜伏場所にガサ入れがあり逮捕されたが1か月後に不起訴釈放。
 3回目の手配は1982,3年頃に革マル派労働者が重せん滅された事件で、私は部屋から一歩も外に出ない生活だったが指名手配されたというもの。

 

1992年後半に表に浮上した後、千葉県党の常任として活動。2000年頃にあった杉並都議選選対への「出向」を拒否したところ、千葉の常任を外され「本社あずかり」となる。

その後、白井朗政治局員と親交があったが、白井さんが中核派による襲撃を受け、白井さんのワープロに私の名前があったことから、革共同との関係は断ち切られた。

 「除名」でも「党員資格はく奪」でもなく、清水丈夫氏独断によるものと考えています。


「内ゲバ」と戦争への思い 

私は俗に言われる「内ゲバ」―中核対革マル対解放派の党派闘争は、全面的に間違っていたと強く思っています。100人を超す活動家が命を落としました。その中に本多延嘉書記長もいます。

先日東京新聞のコラム記事に「内ゲバ死者100人超。暴力団の抗争、山口組対一和会でも死者は30人位」とありました。

70年代以降、日本の新左翼運動はずっと低迷しているわけですが、党派闘争=内ゲバに一般学生、労働者が恐怖し、「活動したくても怖くてできない」という状況を作り出してしまった、1960年代、70年代世代の私たちの責任はとても重大だと考えています。

死者が出るような闘争のやり方、あり方には心の底から反対します。

戦争にはすべて反対です。侵略戦争にはもちろん反対ですが、民族解放革命戦争にも、今は反対する立場を取ります。

死者が何十人、何百人から、数十万人、数百万人出る「戦争」に対して、徹底して反戦運動、反戦闘争を対置して生きて行こうと考えています。

――以上―― 
  2020年10月25日㈰ 虐殺死から45年 本多延嘉書記長追悼の集い にて

 

 【ブログ補足】   以下は飛ばしても可です。
 当日の発言者のほとんどが「学生運動出身」という中で、高校から職場に飛び込んだ「異色の人」でもある。ただ、実は、こういう経歴の人は当時の中核派にはけして少なくなかった。
 もちろん「ふつうに」高卒で就職してから結集した人、学卒ではあるが本格的な結集は就職後という人も多い。「内ゲバ=対革マル戦」とその後の「ロケット砲」=「
対権力の革命軍戦略」の時代、そうしたひとびとの存在すら忘れたような時代が続いた、と私は思う。

 当日の司会の1人も同様な経歴のようだ。

 ②略歴2ー「3回の指名手配」
  「10・30」は極めて重罪適用の手配であり、本人たちはもちろん、中核派にとって死活的な課題となった。
  同時期に逮捕された人と時効切れで浮上した3人の計5人は、その後の党生活の中で全員離れた。事件は違うが高田武さんの著作『
地下潜行/高田裕子のバラード (レッド・アーカイヴズ 04) 』が出されている。

 れんだいこさんのサイトにも当時の雰囲気が出ている。
  http://www.marino.ne.jp/~rendaico/gakuseiundo/history/history10_1.htm

 ③思い
 伊藤さんの発言=想いに私も共鳴する。
 自らの「ふたつの戦争の体験的総括」をはじめ、ロシア革命での「内戦」を描いたトロツキーの著作や、中国革命の実態を知るにつけ、少なくとも、「安易に」「革命的戦争」に与することには激しい躊躇を覚える。
 「党内闘争」・
「党派闘争」そのもの、掘り下げれば「党派」というもの…。

 より一層、深い議論を呼びかけるものだ、と思う。

 

           

【ブログ注】
  


革命勝利へ党の飛躍を 革共同議長・清水丈夫同志に聞く 青年・学生の決起が歴史動かす

発行日: 20211 1日 第3176主張/理論

週刊『前進』05頁(31760102)(2021/01/01

http://www.zenshin.org/zh/f-kiji/2021/01/f31760102.html
革命勝利へ党の飛躍を
 革共同議長・清水丈夫同志に聞く
 青年・学生の決起が歴史動かす

(写真 全学連活動家の石田真弓さん(左)と清水丈夫革共同議長)


 昨年9月6日の革共同政治集会で51年ぶりに演壇に立ち、公然活動に復帰した革共同議長・清水丈夫同志に、2021年決戦の展望と革命党の果たすべき役割について大いに語ってもらった。聞き手は、前進チャンネルキャスターで全学連活動家の石田真弓さん。(編集局)

時代の要請に応えぬく決意

 ----まず、約半世紀ぶりとなる公然活動への復帰にあたっての決意、そして2021年を迎えての革共同議長としての考えを聞かせてください。
 いま、
〈コロナ×大恐慌〉情勢の底知れぬ泥沼化が進行し、コロナ対応を口実として未曽有の大合理化攻撃が展開され、労働者階級の解雇撤回、低賃金粉砕、総非正規職化阻止の闘いが、職場生産点からの階級的労働運動の再生の闘いとして組織されつつあります。昨年の11月労働者集会は3労組の闘い、医療・福祉労働者の闘いを先頭に歴史的前進が始まっていることを鮮明に示しました。
 私は、2015年の革共同第7回大会の「左翼空論主義」の誤り、その根底にある階級的日和見主義について、旧政治局指導部(議長)として、自分自身の問題として真っ向から自己批判しました。なによりも一共産主義者として、資本と権力、資本家階級に対する根底的怒りを爆発させ、職場生産点で資本・権力と闘っている同志たち、階級的団結と労働組合的団結を強化するために全力で闘っている革命的労働者たちと共に闘いぬきたいと思っています。これが、私が今回、公然化の道を選んだ第一の理由です。
 今ひとつの理由は、今日の〈コロナ×大恐慌〉情勢の歴史的重大性の問題です。
コロナも大恐慌も、帝国主義の絶望的延命形態である新自由主義の行き詰まりと破綻として引き起こされたものです。そして、この二つとも、新自由主義を死のふちに突き落とすものとしてあります。この二つのからみ合いをしっかりと確認することが大切だと思います。
 
まず大恐慌情勢について言えば、2008年リーマン・ショックとして爆発した恐慌は、1929年型の世界的な金融大恐慌としてあります。これ以後アメリカ帝国主義は、財務省とFRB(連邦準備制度理事会)が膨大な財政投入、超低金利政策をとめどなく展開し、経済の金融バブル化を繰り返すことでかろうじて延命してきたのです。したがって、言うまでもなく、大恐慌を不可避とした「過剰資本・過剰生産力」は基本的に整理されないままです。つまり、果てしなくバブルを繰り返すしかない。問題は大恐慌情勢のこうした局面でコロナ・パンデミックが発生したことです。バブルの繰り返しで延命してきた米帝経済は経済封鎖的危機に陥り、29年恐慌をはるかに超える年率換算でマイナス三十数%といったGDP(国内総生産)の下落を強制されました。これはしかし、本来、バブル崩壊で生ずる危機を先取りして出現させたものにほかならない。しかも、今起きているのは歴史的な大パンデミックであり、新自由主義的グローバル化によってコロナは全世界化したのであり、変異を繰り返しながら数年以上続くでしょう。
 コロナを解決することは新自由主義のもとでは絶対にできず、また新自由主義のもとで経済を立て直そうとすればコロナはますます蔓延(まんえん)する。アメリカの状況がまさにそうですが、ブルジョアジーは新自由主義のもとでコロナを撃退できないまま、我慢ができなくなって経済活動を再開する。そうすると1日20万人もの人々が感染するような事態になり、それがまた経済にもはね返ってくる。コロナと新自由主義は相互に影響し合い、矛盾を深めているのです。その一切が労働者階級人民に押し付けられる。このことが、全世界で巨大な怒りの爆発と階級的激突を生み出し、
革命的情勢を本格的に成熟させています。
 このような情勢だからこそ、私自身も現場で闘う同志たちと固く団結し、日常的に問題意識を共有しながら、党の飛躍をかけて一緒に奮闘しなければならないと考えました。何よりもそれが、公然活動への復帰を決断した理由です。

革命的情勢が到来

 このように、いま現在、コロナ・パンデミックと08年以来の大恐慌の展開のからみあいによって、国家債務が限りなく積み上げられ、「百年に一度」どころかそれ以上の経済的社会的危機と破綻が不可避となってきているのです。この事態におびえきった敵階級は、一切の矛盾を、一方では感染拡大として、他方では、大量解雇、賃下げ、総非正規職化といった形で労働者階級に押しつけようとしています。もうこんな新自由主義をのさばらせておくわけにはいかない。新自由主義を終わらせ、資本主義そのものを打倒するしかない。文字通り待ったなしの革命的情勢が到来したのです。
 革命的情勢を本物の革命に転化することは容易なことではありません。
 一つは、革命的情勢が到来したこと、プロレタリア革命以外にはないことを全労働者階級、全人民に訴え、全力で
階級意識の鮮明化をかちとることです。今ひとつは、それだけではなく、革命主体としての労働者階級が、資本と権力に対する職場生産点からの闘いに立ち上がり、革命党がその先頭に立って闘うこと。党と労働者階級との切っても切れない結合をつくりあげること。そして階級的労働運動の強化をかちとることが必要です。
 先ほども述べた7回大会問題の総括の核心は、「空論主義」に逃げるのではなく、革命情勢を革命に転化するために目下不可欠な決定的任務として、階級的労働運動の強大化をかちとるということにあります。そして、11月労働者集会で確認したように、3労組共闘を中心とする階級的労働運動の火を、全国でつくりだし、大きな力にしていくことです。この闘いは医療・福祉、合同労組をはじめ全産別で力強く推進されつつあります。
 こうした闘いの先頭に立つのは、やはりマルクス主義青年労働者同盟の同志たちだと思います。マル青労同は70年決戦において決定的な役割を果たしました。青年労働者の決起こそが階級的労働運動の帰趨(きすう)を決めます。

60〜70年の大激動期を闘う

 ----ここで清水さんの歩み、特に1969年に非公然活動に入るまでの闘いについて聞かせてください。
 60年安保闘争は全学連書記長として、また共産主義者同盟(ブント)全学連グループの一員として闘いましたが、60年5月20日の国会・首相官邸デモの件で6月4日に逮捕され、8月に出獄した時にはすでにブントは崩壊していました。その後、旧ブントのメンバーの多くが革共同に入りますが、私は革共同への合流に最後まで強硬に反対した者の一人でした(笑い)。
 革共同加盟の決断までには苦しみに苦しみました。60年安保闘争を全力でやったという自負はありましたが、ブントの小ブル急進主義的傾向は正しくないし、またプロレタリア党建設の立場がないという革共同からの批判は当たっていると考えるに至りました。意を決して加盟書を書き、本多延嘉書記長(当時)と会いました。この時、本多同志は一読して「わかった」と言って快諾してくれました。そして「すぐに政治局に入ってくれ」と言われてびっくりしました。すごいオルグ力でした。
 その後、学生戦線から東京北部地区委員会に移りました。65年日韓闘争の時に北部地区反戦青年委員会ができましたが、その拠点の豊島郵便局には橋本秀次郎さんを中心に多くの活動家がいました。それから東大付属病院分院の看護師たちの闘いがありました。オリジン電気の組合からは青年部活動家の大半が反戦青年委に結集しました。地区活動は非常にいい経験になりました。
 6710・8羽田闘争の直前頃は学生戦線に呼び戻されたような状態でした。日韓闘争時は東京の学生のデモも100人くらいで、機動隊に一方的に抑え込まれていたけど、それを転換させたのが10・8闘争です。ベトナム反戦闘争の一環で、当時の佐藤栄作首相の南ベトナム訪問を阻止するための羽田デモですが、計画的・意識的に準備して武装デモを決行し、こん棒と石で機動隊を蹴散らして装甲車を乗っ取るところまで徹底的にやったんです。この時、京大1回生の山崎博昭君が機動隊に虐殺されたことも、巨大な怒りの爆発を巻き起こしました。
 続いて68年1月に長崎県の佐世保で、米原子力空母エンタープライズ寄港阻止闘争がありました。私はその直前に現地入りして、日放労長崎分会長だった鈴木達夫同志に佐世保闘争の構想を話して、デモコースを一緒に下見して「基地に突入するならあそこがいい」と教えてもらいました。それから三菱長崎造船社会主義研究会の人たちが全面的に協力してくれました。そして当時の全学連委員長だった秋山勝行同志が現地で全責任をとってくれた。佐世保をあれほどの大闘争にしたのは当時の学生同志の力だったと思います。
 ----日大・東大闘争との関わりはどうでしたか?
 6811月に東大本郷キャンパス銀杏並木で、日大闘争と東大闘争の共同集会をやりましたが、その準備過程で東大全共闘議長の山本義隆君と喫茶店で会談しました。われわれは日大闘争に深く関わっていたので、日大中核派を代表するような形で話をして、集会を行うことを確認しました。東大の闘いはそこから一気に全国化しました。当時の運動の力が日大・東大の合流を実現したのだと思います。

破防法で非公然へ

 ----そういう闘いを経て、69年4月から非公然活動に入るわけですが、当時の状況や決意はいかなるものでしたか?
 沖縄闘争に対する破防法弾圧が直接の契機となるのですが、当時はベトナム戦争の出撃拠点とされている沖縄で本土復帰・基地撤去を掲げて闘いが高揚していた。10・8以来の闘いを全力で担ってきた私たちも沖縄闘争を闘う立場が問われました。他党派は「沖縄解放」などと言っていたが、沖縄の人々が本土復帰を求めて総力で決起している時、本土のスローガンがそんな抽象的で中途半端なものでいいのか。革共同は、沖縄の本土復帰闘争に全力で連帯し、共に闘って沖縄を奪還するという意味で「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」を掲げ、果敢に実力闘争を展開しました。これが本土でも沖縄でも一気に広がった。
 その突破口となった4・28闘争の直前に、本多さんが破防法弾圧で逮捕された。革共同をつぶし、安保・沖縄闘争を圧殺するという国家権力の意思が明確になる中で、このまま指導部を全員表に出しておくわけにはいかない。破防法下でも断固闘争を継続する、そのために党の非公然指導部をつくることが絶対に必要だった。それで私が潜行することになったのです。
 そして70年闘争後も非公然の指導部を堅持したことで、対カクマル戦争や80年代の三里塚決戦、国鉄決戦、天皇代替わりの儀式を直撃した90年天皇決戦まで、労働者階級の広範かつ根本的な支援・支持に支えられてとことん闘い抜くことができました。国家権力は何度も破防法の革共同への団体適用を狙いましたが、それをやったらもっと闘いが爆発するんじゃないかと恐れ、結局できなかったんです。
 こうした勝利の上に91年5月テーゼを出した。それまでの闘いの単なる延長ではなく、労働戦線の闘いに圧倒的に重心を置き、労働運動・大衆運動の展開と労働者細胞の建設に全力を挙げることを確認したのです。

菅打倒の巨大な学生運動を

 ----では最後に、今の若い世代に期待すること、学生運動に求めることをお願いします。
 先ほども話したとおり、革命的情勢の本格的到来を本物の革命に転化するためには、階級的労働運動の再生と発展、とりわけ職場から闘いを組織することに党の全力を集中しなければなりません。
 〈コロナ×大恐慌〉のもとで労働者階級に対する大量解雇、大幅賃下げ、総非正規職化、そして労働組合の根絶といった極限的な新自由主義攻撃が襲いかかろうとしている。これに対して、昨年の11・1集会で非常に豊かに示されたように、階級的労働運動を職場生産点から猛然とつくり上げていくことをもって反撃し、党がその先頭に立って労働者階級とともに闘う。そのことを通して初めて、「革命しかない」ということを労働者の一部ではなく、労働者階級全体の認識として獲得していくことが可能になります。革命情勢を認めるだけではなく、それにふさわしい行動を伴わなければならないし、そのための力量をわれわれが培っていかなければなりません。
 そのような党の基本路線のもとで、学生戦線はどういう任務を受け持つのか。単に「学生も労働者と同じだ」と考えるより、学生が学生らしい闘争を徹底的に闘って強力な運動をつくりだし、労働者階級の解放に向けて闘うということではないでしょうか。学生運動がそういう形で大きく社会的存在として登場することが、何より労働者に歓迎されるし、労働者にとっても力になります。
 そして、やはり学生運動に求められていることは政治闘争を徹底的に闘うこと、政治闘争の本格的発展を先頭に立って切り開くことだと思います。今の京都大学の闘いの意義は非常に大きく、この地平を踏まえて前進することが決定的に重要です。同時に、21年決戦の展望としては、日本の学生が菅政権の数々の悪政や改憲・戦争政策に対して、巨大な学生運動をたたきつける。60年や70年なんかちゃちなもんだと思えるほどの学生運動の爆発で、労働者階級との連帯をかちとる。そのような壮大な展望をもって闘うことが求められていると思います。
 労働戦線でもいま、マル青労同の同志を先頭にして青年労働者の闘いが本格的に切り開かれようとしています。
 ----昨年は本当に肌で革命情勢を感じる年でした。何より自分が10年余り活動してきた中で経験したことのないスピードで新たな仲間が全学連運動・マル学同に結集しています。彼らのエネルギーを引き出し、力ある運動を形成することのできる党へと飛躍できるよう、議長はじめ全党の同志と団結して私も全力で闘いたいと決意を新たにしました。今日はありがとうございました。

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清水丈夫同志のプロフィール
 1937年、神奈川県生まれ。高校生の頃に革命家を志し東大在学中に日本共産党に入党するも、58年に離党し共産主義者同盟に参加。5960年、全学連書記長として安保闘争を指導。61年、革共同に結集。本多延嘉書記長らと共に政治局員として指導的役割を担い、66年第3回大会では第2報告を担当。69年4月、非公然活動へ。97年第20回全国委員会総会で革共同議長に就任。2020年、革共同政治集会で特別報告を行い、公然活動に復帰。著書『清水丈夫選集』全10巻(既刊8巻)。

フォームの終わり




【ブログ注】

コロナ下で昨年も終えました。「地方の疲弊と地方の時代」は進行中。各地の話も伝わってきます。今年は「選挙の歳」でもありそうです。だいぶ時間が経ちましたが、斎藤政明さんの壱岐の島での選挙を載せてみました。

年始あけ、ゆったりした中でお読みください。この時点で斎藤さんは壱岐に移って10年とか。古くからの地元の住民と、島の外からやってきた「若い候補者」という組み合わせも意表を衝いて面白い。「ムラの選挙」ですがそんなところでこそ「何が常識か」じっくりと考えてもみたいところです。「コロナ下で浮き彫りになったこと」「コロナ下で緊急に求められているもの」「コロナ後の暫定的な社会像」もしっかり考えたいときですね。
 『ピスカトール』にも載りましたがもっと詳しい… 。昨年の作です。
 アップまでにだいぶ遅れまして申し訳ありません。

【以下転載】……… ……… ………

 

壱岐の市長選に挑む

67日に森俊介さんを応援した老若男女の手で「壱岐市長選慰労会」が催されます。島民にとってはこの上なく喜ばしいことに、森さんはこれからも壱岐に住み、事業を立ち上げ生活基盤を整え、4年後の市長選に挑む気持ちを固めました。この日の会で、森さんはその意思表明をします。今回の市長選の感想と4年後に向けた取り組みへの私見(メモ)です。老若男女との話し合いのたたき台になればと、彼ら彼女らに配布しているものです。ご紹介致します。斎藤政明拝

2020年4月12日 壱岐市市長選(投票率、約67%)

私たちが推した 森   俊介  7042

4選を目指した  白川 博一  7371

現職・白川(無所属、自公推薦)が森俊介さんに329票差で4

市長選を終えての感想とこれからの行動への私見(メモ)

白川市政がこれからさらに4年も続くことになりました。何とも無念で、やるせない気持ちです。が、ここで立ち止まっているわけにはいきません。この場に集う私たちの手で4年後には必ず森市長、森市政を実現しましょう。その話し合いの糸口になればと、本メモを作成しました。 先ずは、今回の森さん、それに4年前の武原さんの選挙戦で露わになったことをそれぞれ一つ取り上げる。

(A)(1)は、森VS白川の白川の陣形について

(A)(2)は、4年前の武原VS白川の市長選で露わになった壱岐に宿る心情について

 

(A)(1)VS白川の白川の陣形について

白川後援会(白友会)が新聞折り込みと各戸ポステイングしたチラシ「白友会だより」(A3表裏)は、これまでの、これからの、白川の、市政への立ち位置と取り組みのありよう、白川陣営の構造、それらの全てをあからさまにしていた。チラシの裏面には37日の白川の事務所開きでの発言者の氏名(写真入り)、肩書、各発言の要旨が紹介されている。発言者は、自民党壱岐支部長、公明党壱岐支部長、自民党県議、壱岐市議会議長、壱岐医師会会長、壱岐市老人クラブ連合会会長、国境離島民間会議会長、壱岐市漁業協同組合組合長会会長、長崎県建設業協会壱岐支部長の9名。白川の陣形を形作る政党と団体の長がこぞって登場する異様な有様に、今の壱岐の閉塞の状況の構造を、そしてこれからもこの息苦しい状況が続くと見た島民は多い。ちなみに、農協壱岐の会長は国境離島民間会議会長として発言しているので、ここに登場しない壱岐の主要な団体の長は商工会の会長のみといったところである。

壱岐に新しい風をと市長選に挑んだ森俊介さんは否姶なく、3期に渡って続くこの白川陣形に挑み、立ち向かうこととなった。

<余談>このチラシの表の面には、白川がこれから取り組む、論じるほどのこともない諸政策に、「青い海!澄んだ空!未来に残そう 子や孫に」のキャッチコピーが添えられている。社会的地位にある者を並べれば住民は平伏すとの思惑が溢れる紙面に、小学生が作るような(といえば小学生に失礼か)決まり文句を羅列したスローガン。チラシを見るたびに、寒々とした気持ちになる。

 

(A)(2)4年前の武原VS白川の市長選で露わになった壱岐に宿る心情について

4年前の市長選へ挑戦した武原ゆり子さんは、白川陣営の壁に加えて、さらに壱岐に宿る根深い心情とも闘わねばならなかった。 「壱岐日々新聞」に載った(武原さんの立候補を快く思わない同新聞社が作文したとも考えられる)「郷の浦在住の女性の投書」がそれである。大要は「壱岐の女性は日々、農業をし、子を育て、老親の世話をし、また地域の婦人部会員として敬老会の出し物の踊りの練習や地域の祭りの準備をしてきた。この苦労やそこにある楽しみを知らない島外からやって来た女性に壱岐の市政は任せられない」というものである。壱岐への移住は大歓迎するが、市政に口をはさむような活躍までは望まないという心狭い心情に依拠し、(投書の形で)島内の女性を島外出身の女性と闘わせる最悪の手法を用いて、「壱岐日日新聞」は武原さんの挑戦をおとしめる論を展開した。武原ゆり子さんの市政への挑戦は、白川との闘いのみならず、壱岐に横たわるこの根深い心情との闘いでもあった。 次に、(B)(1)~(5)で、上記(A)の状況に森俊介さんが挑戦した、今次市長選の渦中で見えたこと、感じたことをあげておく。

 

(B)()見えたこと、感じたことの全般的感想

今次市長選の感想を一言で言えば、森俊介さんは島の人々の心をしっかりとらえた。これに尽きる。35歳の森俊介さんはあるがままの自分を、それが今の壱岐市政に求められる核心であることを、キッパリと前面に打ち出した。森さんは、よそ者、若さ、会社の起業経験と経営の実績の三点を臆せずに大胆に掲げた。島民はその姿に、国からの種々の補助金を含めた市の年間予算(併せて約250億円を超える)を繰る市長・白川と彼の背後に控える陣形をベースにしたこれまでの市政とは全く異なる、しがらみにない新しい市政を感じ取った。森さんはさらに、白川の壱岐の市政は否定するも、壱岐の良さについては大いに評価し、その資源を生かす構想を高く掲げた。白川の壱岐市政はNOだが、壱岐はYES、これを鮮明に打ち出した。そこに彼の人間的魅力と発信力が加わり、これらの総和が、停滞から後退へとあえぐ壱岐の島民の心を短期間で捉えた。森さんはさらに、森市長、森市政が実現されればこうなるという姿を、島民との「意見交換会」という形で具体的に先取りして示した。2月の後半から島内各所で開いたこの島民の意見を聞く試みは、白川市政にはそもそもないものであった。森さんは、市政のよって立つ基盤は、白川が依拠するような陣形にあるのではなく、住民一人一人にあることを目に見える形で島民に示した。10人から40人の小さな規模で開催した島内4町各所での「意見交換会」を経るに応じて、「森って誰、何者?」から「森、いいじゃやないか」という声が上がり、やがてこの会の出席者を中心に、森さんを応援する行動が生れていった。以下で、その広がりを見ていく。

(B)世代による多様で活発な動き

(1)40代の「若者」が動いた

今次市長選の住民の動きの中で際立つものは、40代の40人ほどの(壱岐では)「若者」が誘い合って森支援に馳せ参じたことである。彼らは「ここで自分たちが森と動かなかったら壱岐に未来はない」とこもごも語り、集まってきた。彼等と打ち解けた間柄になって聞き知ったことであるが、昨年の12月半ばに森さんに市長選出馬を打診、口説いたのは、何と彼等だった。1月半ばに森さんから「出る」と聞いた一人は「10年に一度あるかないかの感動で体が震えた」と、その時の心情を語った。

話はそれるが、4年前の市長選の際、40代の面識のある「若者」から「自分には希望なんていうものはない。市長が変わっても壱岐は何も変わらない。投票してもしなくても同じ」と

いう言葉を聞いた。彼は農家を継ぎ、さらには現金収入を得るために、時には工事現場に出て働く、壱岐の根っこを支えている典型的な「若者」である。そんな彼の言葉に、これまでの市政は、彼に何の光も感じさせるものがなかったのだと、寂しい思いを抱いたものである。恐らくこの「若者」の気持ちは彼の世代に共通したものであったのであろう。4年前の市長選では彼の世代が選挙の前線に絡む姿を目にすることはなかった。もっと言えば、壱岐が2004年に市になってからの市長選挙で、今回のような「若者」の動きは皆無であったのではなかろうか。

話を戻すと、それが今次市長選では、件の彼の世代が「森と共にここで自分たちが動かねば壱岐の将来はない」と誘い合って立ち上がった。彼らの登場は、何よりも壱岐に宿る未来を感じさせてくれた。 彼らは皆、仕事をもっている。自営者もいれば勤務している者もいるので、事務所に勢ぞろいできるのは平日では夜の9時。その場で彼らは、森後援会のポスター張りから同チラシの全島各戸のポステイングに取り組む、相方、地域分担、それぞれに実施可能の日時を決め、ポスター、チラシを持ち帰り、行動に入った。

公示日の公設掲示板160余ケ所に森のポスターを張る作業は彼らが一手に引き受けた。

40代の活動に加え、20代、30代の男女数人も仕事の合間をぬって駆けつけ、後援会の宣伝カーの運転や事務所内での作業に加わっていたことも印象に残る一事であった。 

土日の事務所には終日、彼ら「若者」の楽しげな笑い声が満ち溢れていた。

 

(2) 女性が動いた

森さんの市長選出馬の名乗りに敏感に反応したのが60歳~70歳世代の女性たちであった。彼女たちの数人は武原ゆり子さんの選挙時の集会で見かけてはいたが、今回のように、女性たちが選挙事務所に大挙して日参し、連日に渡って集団で作業する姿を目にするのは初めてのことであった。都合40人ほどであろうか。この女性たちからも「ここで壱岐を変えなければ壱岐はもう終わり」という言葉を何度となく聞いた。全戸にポステイングするチラシを折り、全戸に郵送する12000通のチラシを封書型にし、公選ハガキ8000枚の住所を書く、これらの作業の8割方は彼女たちの手になるものであった。彼女たちはまた、公示前から投票までの10数日間は、島内の固定電話宅に、森さんの立候補の紹介、森さんへの投票依頼の電話かけをもこなした。選挙にかかわるこの女性集団のパワーの源は、森市政実現を通して壱岐の未来を切り拓こうとする希望にあった。彼女たちの奮闘ぶりを見るにつけ、武原ゆり子さんが先んじてなした挑戦が今ここに確実に受け継がれている、まいた種は見事な花を咲かせたと、感慨ひとしおであった。

 

(3) 70代の男性の奮闘 

選挙の要をなしたのは、ほぼ70歳前後の男性たち。彼らは、初登場の40代の「若者」たちの島内を駆け巡る行動、初登場の女性たちの献身的な実務作業とは一味違った分野で大いに力を発揮した。 

彼らは森さんを同道して、自分が住む地域の全戸の家庭を訪問し、森さんを住民と引き合わせた。地域の人びとから信頼される彼らが森さんを紹介し推薦したことは、地域住民の間に森さん立候補の話題を生み、次には森支持の会話が住民間で交わされる突破口となった。 

森さんの応援に集まった「若者」たちと女性陣をまとめ、その力を解き放ち、また各地の住民を森支持に向けていったのは、吉野誠治さんを始めとした70歳前後の老世代の男性たちであった。彼らは最も奥深いところで森さんの挑戦を支えた。

 

(4) 𠮷野誠治さん、武原ゆり子さんが切り開いた道を今や「若者」が進む。 

以上のB(1)(2)(3)に見る森さんの応援に動いた老若男女は総じて、8年前の市長選では2期目を狙う白川に挑戦した𠮷野誠治さん、4年前の市長選では3期目を狙う白川に挑戦した武原ゆり子さんを支持した、とみて間違いない。 

2氏の挑戦時に比べ、壱岐の人口は年年に漸減を続けており、今日では前2氏を応援した人たちの世代交代が加速しながら進行している。 

森さんの白川への挑戦は、この2氏の挑戦の流れをくむと言えるが、最大の違いは進行する世代交代下の挑戦であったことである。4年後にはこの世代交代はより加速して進む。 

こうした動きの中で今回、前2氏の挑戦時にはなかった、「若者」層が雪崩を打って森支援の行動に出てきたことの意味は計り知れない。森さんは前2氏が切り開いた道を進みながらも、この「若者」たちとさらに新しい道を切り開き、前へ進み、過去を越えたもう一つの世界を作り出した。 

ここに、これからの壱岐の希望を見出したい。森さんにはこの「若者」たちがいる。前2氏を応援した老世代男女は、今はこの「若者」に連なる位置に来た。

 

(5) 補足 コロナ下の選挙

今回の市長選はコロナ情勢下で闘わざるを得なかった。島内では314に最初のコロナ陽性者、45日には6人目の陽性者が明らかとなった。 

これで予定されていた、森さんの「意見交換会」は全て中止せざるをえなくなり、さらに以後は同会の設定そのものが不可能となった。また、3月後半に集中する各地域の公民館で開催される公民館総会、また各地の老人会総会が軒並み中止となったことで、森さんの挨拶の場がなくなった。私の属する老人会、公民館の各総会でも森さんの挨拶を組んでいたが、総会中止となり、それができなかった森さんは、「意見交換会」や各種総会の出席にかける時間とエネルギーを、公示前の戸別訪問に回せたと言えなくもないが、「意見交換会」や各種総会出席での交流が生み出すグループダイナミズムは生み出せなくなった。これは新人候補には痛手であった。 

白川はこの事態を逆手に取った。公示前も後も、島内放送で毎日3回「コロナ対策本部長の市長・白川です」で始まるコロナ対策報告を流した。電波ジャックで白川はコロナと闘う姿を島内全域に流し売り込みを図った。 

彼我ともに制約された選挙活動を余儀なくされた点では同じであろうが、新人候補には特段に重い制約下の選挙であった。 

投票率は前2回の市長選約80%10%強下回った。事前であれ当日であれ、投票所に足を運ばなかった多くは高齢者なのであろうが、この10%強の差がどちらの候補を利したのか。これは読めない。

(C) 2024年には住民の手で森市長、森市政の誕生を

(1)「森俊介さんを壱岐市長に 市民1000人委員会」を立ちあげよう

会の目的と内実はこの名称通りだが、ネーミングは考慮。例えば「森俊介さんと歩む 市民1000人の会」のようなものがいいのか。もっと泥臭い方がいいのか。名称はどうあれ、要は4年がかりで1000人の森支援者を作り、森さんを市長に押し上げる、恒常的な運動を開始しようということである。

*会の立ちあげの準備事項

呼びかけ文()

会員の年会費の確定()

呼びかけ文に添える連絡先(および気付け者の氏名)の確定 

この夏から一斉に署名取りの行動が開始できるペースで。

会員名簿の日常的集約と作成、会費の出入り管理(新規通帳)、それらの各担当者をおって確定などなど

 

(2)老若男女による三層四層の日常的な運動へ、途中に市議選あり

会の基本活動は会員の署名取りであるが、()

*なお、1年余り後の2021年の夏には市議選がある。()

 どの道を通るにせよ、全てのカギは、1000人の署名による森応援団の形成、実現である。

 

(3) 4年間で1000万円の基金を()

(4) いくつもの多様な森さんを囲む会を作ろう()

なお、これらの活動は、コロナの収まり状況のいかんにかかわる。状況に応じた活動が必要になる。

 

(5) 白川による次期市長の座の禅譲との対決 

白川には5期目(72歳になる)はない、白川は指名で市長の座を禅譲する、と見て間違いなかろう。巷間では山本県議に市長の座を譲るとされ、山本の後釜にはX市議ないしはZ市議を充てると噂されている。 私たちにとっては誰が市長選の相手になるかが問題ではない。4年後には、日本全体の劣化、白川市政の下、壱岐の閉塞、劣化はさらに進む。 問われているのは、相手が誰かではなく、深まる閉塞、疲弊する壱岐を変えられるのは森さんであり、森さんしかいないという声を、住民の共通の声にすることである。 

白川から市長選への出馬を指名された者が「出馬しても森には勝てない」という気持ちになる情勢を生み出しておくことである。()

これは必ずできる。森さんには7042票=7042人の人びとから支持が寄せられている。

補足

(1)()

(2)この集まりでは、市長選に際し、森さん、白川がそれぞれ発表した、市政の課題と政策に関しては触れなかったので、両者の政策の違いの核心をここで挙げておく。森さんは、壱岐の厳しい現況、壱岐の有する資源(可能性)を見つめたところから壱岐市政に求められる政策を提起している。対する白川は、国(官僚)が作った一般的な地域振興策のいくつかを援用して壱岐市政の政策にしている。両者の視点は全く異なっている。

 

その他の補足

コロナ情勢他(メールからコピペなど)先日の本多集会は、「帰島したらPCR検査を受ける」ことを条件に、老人会から上京を許されました。さいわい、「陰性」。壱岐島内のコロナ感染者として公表された人数は昨春8名。これでストップしていたが、年明けから7日までに一挙に52名の感染を発表。、半数が市職員とその家族で、彼らの忘年会で広まったのだそうだ。

(市民からは,り患した市職員に対して「だらしない」「高給取り」とささやかれているが、そうではない。市長と市の幹部が1218日に忘年会を開催。これを見て市職員が忘年会を開催、感染につながっている。組織は頭から腐るものである。)

 参考壱岐の地図
https://www.bing.com/images/search?view=detailV2&ccid=%2F83oIWgn&id=5DCFAB261C550253AD96D2BB522167527D8656AF&thid=OIP._83oIWgnzHx1BxqgrIaZ-gHaIL&mediaurl=http:%2F%2Fblog-001.west.edge.storage-yahoo.jp%2Fres%2Fblog-a4-e2%2Fgenkaiya%2Ffolder%2F1739162%2F40%2F16665440%2Fimg_0&exph=1500&expw=1357&q=%E5%A3%B1%E5%B2%90+%E5%9C%B0%E5%9B%B3&simid=608006153726984239&ck=082619FD67A9592F3AE109274FBB5BC6&selectedindex=0&form=EX0023&idpp=overlayview&ajaxhist=0&adlt=demote&shtp=GetUrl&shid=0161ddb0-0a5f-4ed4-bac1-74bebee237a3&shtk=5aOx5bKQ44Gn5pyA44KC5aSa44GP5L2%2F44KP44KM44Gm44GE44KL44Oe44OD44OXICgg6ZW35bSO55yMICkgLSDlo7HlspDjg5bjg63jgrAgLi4u&shdk=QmluZyDkuIrjga4gYmxvZ3MueWFob28uY28uanAg44Gr6KaL44Gk44GL44KK44G%2B44GX44Gf&shhk=TUftN0gN3VuaUX83QGhygm9gqGbZQVxOZyfeMQ2C%2BTw%3D&shth=OSH.hoNA1vaE%252FH8Z2ulSBpLvgQ





1
10月25日 本多書記長追悼の集い 開かれる。

主催者発表では「参加者が46人、メッセージが4人」

詳細はhondanobuyoshi1975(livedoor.blog)

 

私も終わりの方で発言した。原稿を用意していなかったので、記憶によって採録したい。【補足】は今回付けたもので飛ばしても結構です。以下……… ……… ………

 

さっき水谷さんの発言中にヤジを飛ばした二人のうちの1人です。

「湯本」といいます。

〇滝沢さんの項目

まず主催者が用意した「追悼 非業の死をとげた仲間たち」のレジュメについて。

この中の「滝沢紀昭」さんの項目では「…転落死させられる」とありますが、ここから「させられる」の5文字を削ってほしい。

私は元中核派。埼玉大学出身で本社編集局の一員にもなりました。その後はいわゆる「白井朗系」「白井派」。ブログで『狂おしく悩ましく』というものを公開しています。

事件当時は埼大生でした。ま、69年4・28の件でこのころは東京拘置所に入っていました。当時の肩書では、滝沢さんがマル学同埼大支部のキャップで経済学部自治会委員長。私はサブキャップで理工学部委員長、でした。

事件についての中核派の公式的表現では、たしか「突き落とされて、虐殺」だったと思います。襲撃したのは「権力から金をもらって転向したスパイ」といいう感じだったと思います。

それに比べればここでの表現はやや和らいではいる。けれども「中核派の正史」を引きずっています。直前の望月さんの項では「墜落…逝去」です。事件としては望月さんの事件の方がはるかにひどい。けれどそれはおいて、ひとまずそれに近い表記にとどめたい。

事件としては前夜に中核派の首都圏部隊によるバリケードへの襲撃がありました。ま、それ以前には主として反戦連合側からのいざこざ・小競合いがありましたが詳細は省きましょう。とにかくこの「5文字」です。


  【補足】マイクの不調で最初から言い直しましたが、だいぶ省略しました。
    「湯本」ー「10・8世代」の皆さんには「湯本弟」としたほうが分かるかも。
        
「反戦連合」は「反戦連合ほか」に訂正します。発言そのものは変えられないので内容上の訂正です。

    以下の各項目の【補足】は末尾に書きました。

で、「本題」に入ります。

  組織内部からの変質と崩壊

2重対峙=対カクマル戦、そして革命軍戦略、言い換えれば内ゲバとロケット砲の時代です。私も十分な総括はできていません。ただはっきりしているのは、「組織の内部からの変質・崩壊」はずいぶん早くから進行していたという思いです。

そりゃそうです。襲撃され殺されるのも大変ですが、襲撃する、殺すというのはある意味でいっそう大きく跳ね返ってくる。「人の人生を抹殺すること、ひとの命を奪うこと、一つの命を抹殺すること」。今回はこの点を強調したい。現場逮捕・事後逮捕、長期投獄の恐れ。関係者への家宅捜索と「事情聴取」。跳ね返りも大きい。
 組織内での相互の機密保持が第一になる。個々の襲撃の是非もその実相も秘匿するしかない。議論もできない。何一つ「共有」できないままで鵜呑みするしかない。

軍事と軍令が日常活動の基本的な姿、それが日常の基本的な枠組みになる。だから人事と財政はキャップの専権事項になる。議論が起こっても、それが政策や理論の問題でも、この軍令体制に縛られる。複雑なあるいは難しい組織問題でも、抜擢されたキャップの思いつきや無限ともいえる裁量権が横行する。【補足①】

 

  三里塚・沖縄論の「定説」や「認識の深化」

この間三里塚や沖縄での中核派(中央派)の度し難い言動について考えています。…【三里塚については中略】…

沖縄県民がたたかう時、あるいは人として声を上げる時、「沖縄主義者」であるのは当たり前でしょう。常識。その「沖縄主義者」という言葉を、「追放・敵対」を正当化する「罵倒」として使うなどということを私には想像もつきませんでした。

言い訳のできない、どうしようもない裏切りとしか言いようのない数々です。けれどもこれは打倒された中央派旧執行部の腐敗や変質ということに止められない問題だと感じます。しかし60年代末に中核派が「三里塚・沖縄」に全力で取り組んで以来50年、残念ながら「農業・農民問題」も「沖縄・この構造的差別」の問題もなに一つ「論」として真正面から取り組み深めることをしてこなかった。中核派にはそもそも沖縄問題とは何か、ということでの「定説」いわば哲学的深化がなかった。初期の思いも「空洞化」「消失」していた、ということにありそうです。

その「付け」が回ってきたのだと感じます。【補足⓶】

 

  反スタということ

反スタとは何よりもまず、「活動家の主体性」だと思ってきました。「正否の基準」は一人一人にある。そして「指導部が誤ったり裏切ったりしたら、議論を起こし、党内闘争を展開し、時に分派を作り、時には分裂・自立する」というものだったはずです。

私は残念ながら、まともな議論すら起こせなかった。反スタの入り口で失格です。恥ずべき変質・転向=党内転向です。「自由のために闘う共産主義者」ではありえなかった。これが最大の問題です。無念です。

本多さんについては今回は略します。 


【ブログ注】

【補足⦿】〇滝沢さんの項目
 
滝沢さんの事件、言い換えると「芝工大事件」について、私自身は長く内に秘めて個人的な問題として処理してきました。けれど、事件の元被告の友人・知人との信頼と責任のためにも、今改めて積極的に語るべき第一級の課題だと感じています。今回改めてネットを検索すると、想像以上のブログで扱われています。

 
【補足①】   組織内部からの変質と崩壊
 「心のキズ、負担」は実行行為者と、「内部通報者」だけではない。あまりに多
くの人が苦しむことはさけられない。正しいか、必要かとも別の問題です。
 斎藤政明さんの本で、九州支社で革マルの逆襲を受けたときの「総括」をめぐる「中央」とのやりとりがでています。「中央」とはこの時福島平和さん【注 訂正済み】だったとのことですが、斎藤さんなりのリアルな現実認識・視点に対して中央はただ坊主懺悔だけをくり返し求める。「そうなんだろうな」とも思いつつ、中央のレベルですらこんなだったんだ、と思いを新たにしたものです。これが斎藤さんが壊れて離れていくひとつの要因だったようですね。
  https://www.amazon.co.jp/%E5%A5%A5%E6%B5%A9%E5%B9%B3%E3%81%8C%E3%81%84%E3%81%9F%E2%94%80%E7%A7%81%E7%9A%84%E8%A6%9A%E6%9B%B8-RED-ARCHIVES-03-%E9%BD%8A%E8%97%A4/dp/4784592229
 

ともかく「路線云々」前に、「中核派は当時の時点で、戦争できる組織・諸組織でも、諸個人でもなかった。多くの場合、あまりにも『無準備』だった。そして内部から変質した」というしかありません。もちろん、人により、所属により、地位により、その差や違いは大きかったはずです。
 そして「
対等なお互いの関係」の破壊的進行については特に、はっきり言って「上」で胡坐をかいた人には、その後も長いあいだ、自覚すらなかったのではないか?あるいは最後まで?とすら思えます。

【追加】私の発言では、以下の要旨もあったと指摘されました。
「早稲田の革マルによるテロ支配はもちろんですが、明治の解放派、法政の中核派によるそれも…」


 【補足②】   三里塚・沖縄論の「定説」や「認識の深化」
 
沖縄問題で思い出せるのは「同一民族」という言葉だけです。いつだったか今は思い出せません。覚えているのはある日突然『前進』重要論文にこの言葉が使われ、何度か繰り返されながら一度もその意味を語ることが無かったということだけです。「日本は単一民族」という中曽根発言のころでしょうか?

「同一民族」というゆえんは何か?「だからどうなのか?」何も語られなかったという記憶だけです。時に「重要路線」時には「戦術」として中核派としては「大動員」をかけながら、肝心な「論理」「思想」は空洞化していく一方だったな、と改めて振り返ります。「70年」から50年、この「無思想」「非論理」が続いてきた結果が今なのだ。そう思います。

【補足追加】集会ではすでに公表されている人々のほかに多くの人が発言した。「ゲスト」や自由発言などさまざまで、私としてはこのへんに啓発されるものがありました。

主催者のホームページで採録されることを期待しています。その時はまた、この続きを書きたいと思います。


  

 

だいぶ遅れましたが『試練』から転載します。
 【管理者のコメント】があまりに「水谷節」でかつ長いので、「謝罪文」本体を前に出し、また、解説は取捨選択します。


【以下引用】

2019-10-31 09:29:30 | 日本の新左翼運動と共産主義運動をめぐって


資料:天田三紀夫革共同書記長の「謝罪」文

▲革共同政治集会で基調報告する天田三紀夫氏(2007年7月29日、関西)

……… ……… ………以下、「謝罪文」全文……… ……… ……… 
                       6月11日 熊沢

 KOW同志から報告を受けた時とびあがらなかった自分、さらにコピーの遅れに気がつかなかった自分に、ものすごい危機感をもっています。

 申しわけありませんでした。

 人間的尊厳をかけて決起した〇〇同志に対して心から謝罪します。

 塗炭の苦しみから決起した女性同志に心から謝ります。

 この壁をどう突破していくのか。

 〇〇同志の決起に連帯して闘います。

 労働者階級の現実とともに進むことであると考えます。

 新自由攻撃に対して決起した女性・わかもの共に進むことです。このことをはっきりさせます。

 マルクス主義の研鑽につとめます。

 政治局の組織問題の解決のために全力をあげます。

                      以上あらためて謝罪します。


………【ブログ注】 以上全文。以下は『試練』による註

熊沢=天田三紀夫氏の組織名。

註2:KOW=小岩の略で、鎌田雅志氏の組織名

註3:「報告を受けた時」=女性差別被害を受けて深く傷ついたPさんは、その直後、担当政治局員・鎌田氏に許しがたい差別犯罪を直訴・告発した。その訴えを聞いて、衝撃を受けた鎌田氏は、ただちに黒川(木崎)氏に報告し、「重大な問題である。組織問題にしなければならない」と強調した。Pさんの告発内容を詳しいレポートにして、天田氏と黒川氏に提出した。その鎌田氏にたいして、黒川氏は「山梨は責任をとらせるほどの重要な指導部ではない。処分する必要はない」「たいした問題ではない」と高飛車に逆オルグした。さらに「Pさんが何か変な動きをしないか、監視せよ。逐一報告せよ」と命じたのだった。鎌田氏はすぐさま黒川氏の指示に従った。以後、彼はPさんに監視のプレッシャーを加え続け、告発封殺の直接の先兵となった。

註4「コピーの遅れ」=鎌田レポートを受け取った天田氏は、それをコピーせず、どこにも回さず、隠匿した。それから5年後の今回の追及にたいしても、鎌田レポートを明らかにしていない。つまり、「コピーの遅れに気がつかなかった」というのはまったくの嘘であって、意識的・組織的にPさんへの女性差別犯罪を隠蔽、山梨を擁護、Pさんを弾圧してきたのだった。

註5:「謝罪」=熊沢文書は無題である。なぜなのか。題目に「謝罪」「自己批判」という文言を記すことを意図的に拒否しているとみてよい。実際、本文に「謝罪」ということばはあるが、「とびあがらなかった」「コピーしなかった」ということを謝っているわけで、それしか書いていない。なぜとびあがらなかったのか、なぜコピーしなかったのか、その理由、その思想的根拠を真摯に自己切開するのでなければ、謝罪になるわけがない。「とびあがらなかった」とは何という言い草であるのか。そもそも政治家あるいは組織人が書くような文章ではない。これでは謝罪にはならない。それ以下の文章も、すべて責任逃れに終始している。「マルクス主義の研鑽につとめます」とは、けだし名文句である。マルクス主義の学習が何一つ身につかなかったダラ幹、権力欲のみで生きてきた天田氏の正直な心情吐露であろう。それにしても、あまりにも低水準な、あまりにも軽く、あまりにも拙劣な、およそ一政治組織の書記長たる者が書いた文章とは思えないものである。いや、むしろ、このような書記長を戴いてきた革共同中央派の、これがありのままの思想状況なのである。なお、天田氏はその後、心身ともに組織関係、人間関係に対応しえなくなり、人間崩壊的状態であるとされている。真偽のほどは検証されなければならない。なぜなら、それを理由に、党員の追及から逃れるという、‘天田隠し’がされているからである。

註6:「7月テーゼ」=07年7月、非公然政治局会議に清水議案が提出され、それを天田氏が「これで整理がついた」とした。天田氏に認められることではじめて清水議案が7月テーゼ原文とされた。その清水議案を『前進』用に編集・執筆した中心が坂本千秋氏(当時、副編集長、26全総で政治局員に再任、編集長)である。清水氏はもとより、坂本氏も革共同における7・7自己批判の思想、路線を「7月テーゼ」をもって否定・追放し、自ら排外主義・差別主義集団と化した直接の責任を負っている。


【ブログ注】色んな問題の理解の差はそれとして、事実関係もいくつか具体的なところで違うという話も多い。

……… ……… ……………… ……… ………
【管理者のコメント】 (【ブログ注】…『試練』。冒頭の部分に当たる)


 2019年3月から8月にかけて、革共同(中央派)政治局にたいする党内の批判・追及が燃えあがりました。その動力となったのは、2014年に中央WOBの一員である山梨(神奈川県委員会湘南支部)によって許しがたい暴力的な女性差別を加えられ、しかもその告発を政治局に握りつぶされ、言語に絶する苦しみを強制されてきた前進社本部α部局のPさんの党員としての命がけの決断による渾身の告発でした(2019年3月)。Pさんと連帯する同部局の女性同志たちは、ともに、真正面から政治局と対決したのです。

 それが党本部の全部局に伝わり、強い共感と連帯が生み出されました。政治局とりわけ3人組と呼ばれる書記長の天田三紀夫氏、天田(黒川)純子(=木崎)氏、河村剛(=坂木)氏という政治局員、そしてα部局担当の鎌田雅志氏ら4人の政治局員が一斉に批判され、追及を受けるところとなったのでした。そしてついに、彼らは党本部の党員たちによって政治局員を解任され、自らも辞任を表明しました。

 そのなかで、Pさんへの女性差別犯罪のすべてを承知し、それに加担した天田書記長が、当然にももっとも重大な組織責任を問われました。しかし、天田氏は右往左往するばかりで、問題を見すえることもできず、何をどう謝罪し、何をどう自己切開し、どう自己批判すべきなのかも、わからないありさまだったそうです。

 詳しいことはわかりませんが、天田氏が提出した文章は、現在までただ一つだといわれています。

 その後、革共同第26回全国委員会総会が開かれましたが、そこでは前記4人の政治局員の解任、処分の決定はされていません。指導部の交代といった形がとられています。

 その26全総の後も、天田氏の謝罪・自己批判文は出されていないようです。むしろ、新政治局は天田氏らへの追及を強制終了させているようです。

 26全総決定では、「政治局の中枢指導部がかかわった重大な女性差別事件」「その開き直り、隠蔽」「党中央における思想的腐敗」と記しながら、その問題について何の政治的・思想的切開もしていません。何の責任追及も、一人の処分もしていません。驚くべきことです。

 革共同の歴史上もかつてありえなかった、‘政治局炎上’となった事態であるにもかかわらず、それがなかったかのように党史の偽造が始まっているのではないでしょうか。………以下略

………………………………………………………………………………………………………
https://blog.goo.ne.jp/shiren-shinsayoku/e/8b4b5c2118d3388bb2265d99184a4c9a

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遙かなる一九七〇年代-京都 学生運動解体期の物語の記憶 2017/11/4 300頁 2800円 鹿砦社


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色んな事情でアップするのが遅れてしまった。

先日の927現地・全国集会に久しぶりに参加した。

コロナ下で、成田空港は無用の長物と化している。

 

前回の参加は雨だったこともあり、雨ガッパを頭からズッポり被り、サングラスにマスクだった。

おかげで懐かしい人と隣り合わせても誰も気が付かない。結果、現地をゆったりと堪能できた。

ま、それはそれでいいけれど、今回はマスクも何もせずに参加した。

会場の後方、中央派の後方当りに立っていると色んな顔見知りが行き来する。こちらに気が付いて頭を下げていく人もいる。「おうっ」とか言って立ち止まる人もいる。行き過ぎる後から、「元気?」とか言いながら付いていくこともあった。

デモが出発すると、隊列に入らずに道路側を歩きながら行ったり来たり。本社で編集局の写真班として、デモの時は外から見ることが身についていたので、この方がフィットする。隊列の中から声がかかったり、手を振ってくれる人もいる。かれこれ十人ほど、短い言葉や会話を交わして「満腹感」を味わった。

私の小冊子(当ブログ)を読んでくれた人や、このブログの「読者」という人もいる。時には「友だちつながり」で私のFacebookを訪れた人もいた。

今回言葉を交わしたこのほとんどが「現役の中央派」だった。中には「頭の痛いことが書かれているけどね」とかの感想も寄せてくれた。1人だけ、「まともになりなさい」とお叱りをうけた。「こんなところに顔を出して大丈夫?」とも。けれども、事情はだいぶ変わっているという感をも強くした。

 

デモの終了後は「元」や「非」中央派や元他党派のグループに混じっての飲み会に誘ってもらった。他党派の人は、85年の浅草橋被告を守ろうと苦戦する中で、第4インターへのテロに続く「脅迫電話」を受けて、怒りまくったという。その時は、脅迫電話の主が最後には謝罪したとか。聞いていて苦しくなった。三里塚での中央派の「農民はプロレタリアートに階級移行すべし」発言に異を唱えて除名された闘争会館事務局長氏らのその後の話や、沖縄辺野古での中央派の「オール沖縄反対論」なども話題になった。(当ブログ参照)

三里塚も今、緊迫した情勢だ。市東さんや萩原さんなどは同時に、日々の農作業に精を出しているという。そうそう、市東さんの農地裁判では、「脱落派」と罵倒した青行氏(熱田派)が原告側証人に立っていた。テレビでは別の青行夫妻が現地で農民として生きるたたかいを続けていることも「オンデマンド」でみられるという。

 

山 うーん?かつては「離脱した反党主義者」の元のメンバーがそういうところに顔を出すと、「監視員」や糾察隊に睨まれたり、写真を撮られたりと面倒なことも多かったけど。下手をすれば…。

郷 当時も「人による、時と所による」だっけどね。とはいえ、06-7年の過程でもう一つ変わった。

台 天田氏ら旧政治局(3人組)が崩壊して今は「揺れに揺れている」ことも影響していそうだ。とはいえ、除名・追放された諸個人・諸グループや関西派との関係の再検討に至るものではなさそうだ。労働運動の領域でも、再検証・「名誉回復」と復帰要請が必要なはずだが、そんな動きはないようだ。

 

  結論として、O’Hanlonさんとの「対話」はそろそろ打ち切ろうと思います。

 私たちも悩みながら、彼の提起に応えるために新しくいろいろと議論を重ねてきましたが、この辺が潮時と思います。

 ただ、その前に、 O’Hanlonさんに問いかけたいことがいくつあります。

 「対話の前提」

  白土さんとしては、当初の「問題提起」に充分応えてきたと思えるが、 O'Hanlonさんは「対話」に応じていない。より「研ぎ澄ました」議論に突き進むだけだ。
 当初の「オール沖縄」への断罪は中核派(中央派)に拠っていた。そして辺野古現地の声と那覇市職労の問題を代表的に挙げていた。しかし当ブログが後の二つの当事者の声を改めて挙げたところで、反論も事実や意見の訂正も補充もなかった。
 また、中央派の主張と行動を時系列で整理して、度し難いほどの敵対と動揺と彷徨ぶりが露わになると、中核派は「奪還論」であり、「左翼帝国主義」だとか「体制内勢力だ」とかの議論にすり替えた。ならば中央派によりかかって議論を始めたことを取り消してほしい。

  「体制内」だとかの言葉も、ここでは意味不明だね。私たちは「体制の中」で生きている。闘いもまた「まずは体制内での格闘・葛藤」だ。「体制内勢力」だからいっさい評価や提携の対象外だというような議論の立て方は、あらかじめ現実の生活や運動からの逃避でしかないと感じる。
 「無垢で無謬」を求めて、「選ばれた民や全てを睥睨(へいげい)する神」になろうとしているように思える。「スターリン主義批判」とは、ここから始めることじゃないかと改めて思う。「失敗したっていいじゃないか」「失敗を肥やしにして成長すればいい」…しかないね。

  「失敗」は何であれ、自他それぞれに「一生もん」だけどね。

  「奪還論」否定もここでは唐突だ。いまの中央派はもはやそんな言葉も忘れたように見える。「解放革命」や「革命軍」議論も話を深めるものではない。もちろんそれらも大事な議論になるけれど、いまは「構造的差別」論を深めることのほうが大事に思う。「ていねいな対話」が欲しい。
 
   「プロファイリング」を前提に応えようとした。「あなたの立脚点はどこですか?」とも。
 けれどむしろ、 O'Hanlonさんを「追い詰めてしまっている」という感もある。

 白土 「思い」や「揺れ」を伝えて欲しい、と繰り返したはずだけど、伝わらない。数年前の前回の時にも言ったのだけれど、「思う存分表現し語りつくすために自分のブログを作って。そして時々当ブログに『読んでね』と伝えて来て欲しい。
 
最後にいくつかの要請

 白土  O'Hanlonさん、さしあたって、二つに応えてください。
 ①桜さんのいう「訂正・取消」について。「コメント」をください。
 ②最初は「荒川スパイ事件」から始まったのだけれど、私が荒川さんに「会った」と答えた時点で、話が飛んでしまった。この件の「まとめ」を本人の「肉声」でまとめて欲しい。で、それからしばらくは「お休み」に…

O'Hanlonさんとの応答でお願いします。

 ブログとしてはこの際、『狂おしく悩ましく』での記事をまとめ、「中核派と沖縄」の略史を簡単にまとめたいとお思います。

 O’Hanlonさんのコメント②……… ……… ………


    • 1. O'Hanlon
    • 2020年10月24日 03:26
    • ちょっと驚きました。
      私の立場をまとめて展開しておらず、とぎれとぎれに書き込んだために誤解が生じたのだと思います。

      >①桜さんのいう「訂正・取消」について。「コメント」をください。

      私の立場が大きく誤解されています。

      >当初の「オール沖縄」への断罪は中核派(中央派)に拠っていた。

      そんなつもりは少しもありません。私は私自身で翁長の著書『戦う民意』を読み、翁長が知事になった目的(反基地闘争の破壊)を理解しました。翁長はそれをことさらに隠そうともしなかったのに、翁長を支持した自称左翼の腐敗ぶりには驚くばかりです。
      私の主な情報源は㋺K・サトル(元「赤旗」記者)のブログ「アリの一言」、それに奄美出身で沖縄本島の中学・高校を卒業して日本(「本土」)の大学に進んだ在日琉球人からの情報です。
      https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/e/d13268e7347d1fd3c8125012537fa5ba

      >そして辺野古現地の声と那覇市職労の問題を代表的に挙げていた。しかし当ブログが後の二つの当事者の声を改めて挙げたところで、反論も事実や意見の訂正も補充もなかった。

      特に私に向けられたものとは思いませんでした㋑ー2ので、コメントしませんでした。そのうえであえて言うならば、東村高江の反基地運動弾圧のために警視庁機動隊・大阪府警機動隊(「土人」「シナ人」発言でその本性を現した)の派遣要請をしたのは沖縄県公安委員会であり、翁長は知事として公安委員の任免権があるのだから、反基地運動を弾圧しているのは翁長だったのだと正しく認識してほしかったです。辺野古においても知事は公安委員を罷免して弾圧を許さない公安委員を任命することができたのにそれをしなかったのだから、反基地運動を弾圧しているのは翁長だったのです。
    •  0
    • 2. O'Hanlon
    • 2020年10月24日 03:27
    • 那覇市職労の「オール沖縄」支持は論外㋥㋭です。しかし繰り返しますが、「オール沖縄」支持勢力と「決別」するのではなく、なぜ「オール沖縄」に反対しなければならないかを説き、「オール沖縄」から引きはがす㋣ことが必要だったのです。

      米日帝の不法な占領支配のもとでは選挙に参加しないーーこの原則的立場が求められています。【ブログ注】

      >また、中央派の主張と行動を時系列で整理して、度し難いほどの敵対と動揺と彷徨ぶりが露わになると、中核派は「奪還論」であり、「左翼帝国主義」だとか「体制内勢力だ」とかの議論にすり替えた。ならば中央派によりかかって議論を始めたことを取り消してほしい。

      すみません。「すり替えた」つもりは少しもありませ。私はそもそも「中央派によりかかって議論を始めた」つもりはないので、「中央派の…度し難いほどの敵対と動揺と彷徨ぶり」について私がコメントを求められているとも思いませんでした。
      そのうえでコメントするなら、「中央派の…度し難いほどの敵対と動揺と彷徨ぶり」があったとしても、「オール沖縄」支持への右転落ほどひどいものではないと思います。

      中央派(清水議長派)は、広島差別事件でも破産した勢力ですが、それ以前にも2001年参院選で比例の大田昌秀元知事(社民党)・東京の新垣重雄(沖縄社会大衆党)を支持するなど混乱を極めていました。琉球は日本ではないから日本の選挙には参加しないーーという原則的立場が必要です。

      「荒川スパイ事件」についてですが、私には断定的なことは何もいえません。しかし、間違いなく本人が出した(とおっしゃった)パンフが出ても清水議長派が沈黙しているのは、

      「スパイ」との断定に根拠がない
      「スパイ」との断定に根拠はあるが、明らかにすることができない

      のどちらかでしょう。そして普通に考えれば前者でしょう

      【ブログ注】この項は、[荒川S事件]に転載します。
    •  
       0
    • 3. O'Hanlon
    • 2020年10月31日 12:36
    • この記事を読んで、「オール沖縄」がいかに論外かを再認識してください。

      グアムはかつて日帝の、現在は米帝の不法占拠を受けている軍事植民地です。グアムはチャモロ族の土地です。チャモロ族は日帝に虐殺され、さらに米帝によって「銃剣とブルドーザー」で土地を奪われて米帝の軍事植民地にしたのです。それなのに玉城「知事」は、琉球人とチャモロ族が連帯して米帝と戦うのではなく、「グアム移転」を支持しているのです。
      「グアム移転」を支持する者、そして玉城「知事」を支持する者はいっさい琉球の基地問題について発言する資格はありません。㋾

      「同じ立場だと思っていたのに…」グアムから見た沖縄 デニー知事の姿勢が波紋https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/472041

      「沖縄県知事は、米海兵隊のグアム移転を支持しているのか」と不快感をあらわにした。

       テニアンやグアムの米軍基地を視察した玉城知事が、移転推進派のグアム知事との会談で協力を表明し、米軍幹部やグアム知事と笑顔で並ぶ写真が添えられた報道は、「大国から抑圧されているグアムと同じ立場だと思っていた沖縄は、日米両政府と同じ視点なのだろうか」との疑問をもたらしたようだ。(後略)
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