カテゴリ: ☆☆社会と政治

【ブログ注】尾上さんのメールを転載します。

【狭山ヨタヨタ白杖記】

1)第59回三者協議(4月中旬)は狭山第三次再審請求審の流れを変えるチャンス

だ。家令和典裁判長に弁護団が一時間のプレゼンテーションを実施する。3月25日

の狭山全国活動者会議での報告にびっくりした。新しい裁判長に弁護団が狭山事件の

経過と課題を説明したらどうかと提案したのは大野勝則前裁判長だと報告された。第

58回三者協議(2月27日)での弁護団のプレゼン実施提起に検察官は持ち帰って意

見を言うと反対したが、裁判所は前任者の提案を前提に実施の方向で話はすすめたい

としたという。報告の内容もびっくりだが、何よりも三者協議での裁判官の息遣いが

聞こえる気がしたことにびっくりで、うれしかった。私は三者協議での裁判官の息遣

い、顔つき、ふるまいなどが知りたいのだから。これだけでも大阪に出てきたかいが

あった。この前例を大切にしてくださいと弁護団にお願いしたい。

 今回の狭山全国活動者会議は狭山再審無実の実現に向けて重要な時期と課題をテー

マにすべき会議だった。なぜなら次回・第59回三者協議で家令裁判長に弁護団が一

時間のプレゼンテーションを実施するのだ。第三次再審請求審の18年間で、10人

の裁判官が担当したが、プレゼンは初めてではないのか。18年間弁護団は191点

の証拠開示を勝ち取り、269点もの新証拠を提出し、事実取調請求を行い、石川一

雄さんの記者会見、52万筆の署名、マスコミでの取り上げなど狭山は動き始めた感

触がある。だが、裁判所の動きはっ全く分からなかった。裁判所は何の動きも見せな

かった。見せたのかもしれないが、私は知らなかった。今回の家令和典裁判長のプレ

ゼン決定は18年目にして、ようやく裁判所の動きが表に出たのだ、この機会を黙っ

て見過ごすことなど絶対にできない。いいプレゼンを準備したい。狭山闘争にかかわ

ってきた人々のすべての知恵と力と思いを結集して、家令和典裁判長のみならず、誰

もが納得するプレゼンを作成できないだろうか。

 プレゼンで家令和典裁判長の心が動くとしたら、それは家令裁判長がこのプレゼン

に社会・世論が注目していることを知るときだ。プレゼンが裁判所で実施されるのみ

ならず、それが公開され、石川一雄さんは無実だと誰もが納得したときだ。国家とマ

スコミと地域が部落差別をあおり、利用し、加担し、無実の石川一雄さんを殺人犯に

でっち上げた部落差別事件なのだと誰もが納得した時だ。世論がプレゼンの無実・部

落差別の真実を訴える迫力を感じた時ではないだろうか。そのためにはプレゼンの内

容をどうするのか、プレゼンをどうやって社会に知らしめるかが問題になる、このこ

とが今回の全国狭山活動者会議で議論される課題ではなかったろうか。

 

2)プレゼンの内容をどうするか。まず、第三次再審請求審はこれまでの二次の再

審請求審と決定的に違う。それは検察が隠し持っていた証拠の開示を勝ち取り、無実

の新証拠が明らかになったのだから。とりわけ万年筆インク資料鑑定は鑑定人の意見

を裁判所が聞くだけですまされるのではなく、科学的に白黒の決着がつくのだ。イン

クの色の違う万年筆を同一のものとした寺尾確定判決に重大な疑義が出てくる。再審

を開始しなければならないのは当然だ。この新証拠による石川さん無実の証明は弁護

団が全力を尽くして明らかにされるであろう。真実は必ず明らかになるのだ。

 さらに狭山事件の大きな特質のひとつに、警察の被差別部落への見込み捜査、新聞

報道での予断と偏見による部落差別の煽り立て、地域住民の加担がある。黒川みどり

著「被差別部落に生まれて 石川一雄が語る狭山事件」から引用する。

 

◇『朝日新聞』埼玉版(一九六三年五月二四日)は、「「底知れず不気味な」石川 

善枝さん殺し」との見出しで一雄逮捕を書き立てており、『東京新聞』も、「犯罪の

温床四丁目部落-善枝さん殺しの背景」「善枝さんの死体が、四丁目に近い麦畑で見

つかったとき、狭山の人たちは異口同音に「犯人はあの区域だ」と断言した」と記す

。被差別部落は犯罪の温床であるとの偏見を根底に持った一連の新聞報道は、一雄を

即座に犯人と結びつけ、さらに人びとの被差別部落に対する差別意識、恐怖意識を煽

り立てていった。以下は、当時の『埼玉新聞』(一九六三年五月二六日)の記事であ

り、こうしたものは枚挙に暇がない。石川の住む「特殊地区/環境のゆがみが生んだ

犯罪-用意された悪の温床」石川の住む”特殊地区”には、毎年学校からも放任され

ている生徒が一〇人ぐらいいる〔中略〕こんどの事件の捜査の過程で、同じような犯

罪を犯す危険性を持つ多数の若者達の存在が浮き彫りにされた(『埼玉新聞』一九六

三年五月二六日、『狭山差別裁判』第三九五号、二〇〇六年二月)。ー黒川みどり著

「被差別部落に生まれて 石川一雄が語る狭山事件」の35頁から36頁からの引用

 

◇さらに同紙の同日(『埼玉新聞』一九六三年五月七日)。のコラム「ヤブにらみ」

は、「八日までに犯人を捕えよ」という見出しでこのように記す。吉展ちゃん事件、

埼玉県の女高生誘かい殺人事件など、たび重なる捜査当局のミスに批判の目が向けら

れているので、篠田国家公安委員長は六日午前緊急国家公安委員会を招集した。委員

会ではさっそく二つの事件についての捜査の手ぬかりが追及されたが、篠田委員長は

「八日の参院本会議で事件の捜査経過を報告する予定になっているから、それまでに

犯人を捕えよ」と警察当局を督励していたが、委員会が終わって間もなく所沢の捜査

本部から「現場近くに住む”犯人らしい男”が自殺した」という情報がはいった。こ

れを聞いた篠田委員長「こんな悪質な犯人はなんとしても生きたままフンづかまえて

やらねば……」と歯ぎしりをしていた。ー同情83頁、84頁から引用

 

 そして5月11日に死体発見場所の近くの麦畑から発見されたスコップが何の証拠

もなしに死体埋設に使われ、石田養豚場から盗まれたものと断定され、被差別部落青

年への見込み捜査が強化され、石川っ一雄さんの別件逮捕につながっていく。

 別件逮捕から一か月近く頑強に否認していた石川一雄さんが、再逮捕後に「自白」

させられた。狭山事件を知った方々の大半が必ず、やってもいないのになぜ「自白」

したのだろうかと質問される。無実の石川さんは警察と検察に部落差別によって教育

をうばわれた結果の「無知」に付け込まれ、刑事のウソで弁護士への不信をかきたて

られ、お兄さんを犯人だと信じ込まされ、10年で出してやるからと狡猾なウソに載

せられてしまった。家の大黒柱をとられては一家は破綻する、自分が身代わりになり

、10年我慢すればと「自白」してしまったのだ。石川一雄さんは「短歌に託して④

」で

「泣くだけ泣いても癒えることでなし 怒りの渦は 日夜 坂巻く」

と詠っている。この短歌の読んだ思いを石川さんは

「だんだんいろんなことがわかってきて、私は警察官にだまされたことを確信した。

私をだました3人の警察官に復讐心がわいてきた。首を覚悟して死刑囚である私に、

文字を教えてくれる若い看守さんに、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)という漢字を教

わった。大きく書いて、部屋の中に貼った。だまされたことが悔しくて悔しくて、い

つも臥薪嘗胆をみて自分の心を奮い立たせた。」(短歌に託してから引用)

 プレゼンにこの短歌と石川さん自身の生の声を取り込んでほしい。

 

3)プレゼンで弁護団にぜひとも重視していただきたいのは寺尾確定判決を楽差別

判決として批判することだ。鎌田慧さんはその著作「狭山事件 41年目の真実」で

寺尾確定判決を「寺尾正二裁判長による完全犯罪」と指摘されている。寺尾判決から

50年目の今日、それが現実になりかねない危機感を抱いている。寺尾正二裁判長の

、いや司法と国家がもくろむ「完全犯罪」を打ち破る道はただ一つだ。それは寺尾確

定判決を部落差別判決として批判し、狭山事件が国家による部落差別事件、権力犯罪

だということを誰もが納得するように明らかにすることではないか。そこで寺尾確定

判決を部落差別判決として批判する要点を書く。

 寺尾判決は

① 自白を離れて存在する7つの証拠と5つの秘密の暴露が石川さんと関係がある。

② 石川さんの自供は、それを聴取した警察官青木が法廷で、自分は供述のまま記述

しており、石川さんはすらすらと自供したと証言したことは信用でき、供述は任意に

なされたものである。

③ 自供と証拠の食い違いがあるが、これは石川さんが命惜しさにウソをついている

と言う。弁護団は、①は新証拠として批判し、②は再審請求の理由の追加として裁判

所に提した。寺尾判決の問題は③の石川さん嘘つき論にある。

 寺尾確定判決は、裁判で人を裁くことができる根拠を経験則からなんの確証もなく

断定した。人が人を裁くことができる根拠をわずか数行の経験則論でだ。現在の民主

主義でも人が人を裁くことができる経験則など「発見」していない。だからこそ、真

実は徹底して証拠に依存し、熟慮に熟慮を重ねて、絶対に誤判をしないが原則なのだ

。誤判の恐れが少しでもあればそれは無罪にということだ。

ところが、寺尾正二は徹底した証拠への依存でも。誤判を絶対に起こさないでもない

裁判官の「全人格的能力による合理的思考」をもってすれば真実を発見できるとする

。この思考方法は弁証法的思考をもってするから正しいという。寺尾正二は真実は徹

底して証拠に、現実に依存することから見いだされるのではなく、裁判官の頭の中で

生み出されるというのだ。この転倒した思考は狭山事件の再審請求から57年間、一

度も証拠調べをすることなく、再審請求を棄却した裁判所の姿勢そのものではないか

 

 寺尾確定判決の核心は石川さん嘘つき論にある。その論をでっちあげるために、人

はどんな状況にあっても必ずウソをつく、ましてや滞在を犯したものであれば、命欲

しさにウソをつくと論じる。寺尾は自供と証拠の矛盾を自供の不自然さの追及ではな

く、部落民だからウソをつくのだというとんでもない偏見と予断をもって正当化して

いる。寺尾確定判決は直接的に部落差別に触れてはいない。だが、寺尾確定判決の中

に部落差別を容認し、その予断と偏見に満ちた証言を採用し、石川さん有罪の証拠の

ひとつにした。それは内田幸吉証言だ・

寺尾確定判決は

「同証人が中田栄作方を訪ねて来た不審な男のことを、事件後直ちに警察へ届け出な

かった理由について、同証人が原審及び当審で供述しているところは、結局届け出る

ことによって事件とかかわりを持つことが恐ろしく、わずらわしいということに帰す

ると解され、そのような考えで届出をためらい、後になって漸く届出をするに至った

心情も理解できないことではない。所論は、隣人が被害にかかっているならば、直ち

に犯人と思われる訪問者の人相、風体、年齢その他を警察に届けるはずだと主張する

が、一般世人の人情を理解しない見解と評せざるを得ない。」

 この内田証言の寺尾判決の部分は悪質な部落差別だ。内田の「事件とかかわりを持

つことが恐ろしく」とは部落は怖いという部落差別感情そのものであり、それを寺尾

裁判長は「一般世人の人情」として理解できるというのだ。しかもそれを殺人事件の

重要目撃証言として採用している。寺尾正二の言う「裁判官の全人格的能力による合

理的思考」とは部落差別を「一般世人の人情」として認め。おのれ自身もその片棒を

担ぎ、部落差別を積極的に容認し、その証言を採用し、石川一雄さんに有罪判決を出

したのだ。

4)最後に。

① 第59回三者協議の終了後に、記者会見を行ってください。その記者会見でプレ

ゼンを公開してください。プレゼンの内容は必ず世論を動かす。狭山再審請求は世論

を動かすことにかかっていると誰もがいう。記者会見こそその重要な手段の一つでは

ないか。

② 523日比谷野音での狭山集会に参加しよう。地方からの上京の困難さは狭山闘

争が生み出した現地調査のための物資販売などの知恵と経験に学び、クリアーしよう

。せっかく地方から上京するのだから、デモ終了後に、東京高裁前にいき、東京高

裁前の歩道を「地べたの法廷」として、家令和典裁判長にアピールしましょう。(2

024年3月28日 尾上光)
……… ……… ………

【追】2月26日、NHK総合テレビ「おはよう日本」の番組の中で、朝7時過ぎに再審制

度問題に関係して、狭山事件が報道されました。

以下にその録画を貼り付けます。

是非ご覧になってください。

 

NHK(20+) 動画 | Facebook

【白土メモ】
①在日韓国・朝鮮人と在日中国人の法的・社会的地位を同一に表現しているが、不正確だ。
 「戦勝国民」と「敗戦国民」と「第3国人」という国際法的な概念は欠かせない。これは故石原慎太郎が悪意に満ちてまき散らした言葉でもあり、「必須の知識」でもある。
 ひとまず 台湾人日本兵 - Wikipedia
      林歳徳 - 検索 (bing.com) ★⇦【ブログ補足】
②イデオロギーや思想の次元での自己批判の論理
 このレベルでは、『党はどこへ行ったのか』と直近の『前進』論文は、ほぼ同様な視点に立っている。関西派の入管論の総括論文も、長大であるがほぼ似たような感じがする。

③「求められていたのは地域的・持久的・陣地戦的な闘いの方針…」こそもう一つの核心だ。当ブログで繰り返しこだわってきた「第2の7・7自己批判」と「地域入管闘」の問題だ。『党はどこへ行ったのか』という活字化された著書の中で表現されたことはことさら大きいと思う。中央派・清水氏はけして語ろうとしない領域だ。私はこれこそが「血債の思想」に関わる分岐点・分水嶺だと思ってきた。

④突破口に、諸戦線が構築(略)いわば中核派の世界観の転換=「コペ転」の起点と言える。

⑤さて、そうであればあるほど『党はどこへ行ったのか』への絶望的批判は深い。
 清水氏が「…階級的倫理性の問題ですらある。…」とまで言いながら、90年代も相も変わらず地域入管闘という実践的・「陣地戦」的課題の解消・凍結を変えることなく過ごしたこと、このことへの片言隻句の批判すらない。これではせっかくのも意味をなさない。

 とは言え、本『党はどこへ行ったのか』の中やその他で、本多延嘉氏の、幻の『党の堅実で全面的発展』論文の再評価・高い評価を論じている場面もあるので、それに任せて「端折った」と言われるのかとも思えない訳ではない。これもまた、「分量」の問題???とは言え…

⑥この辺について、いくつかの声を紹介してきたい。
 元入管闘「元台湾人日本兵の支援を続けて来たけど、大事なことは生活、仕事の斡旋だったんだよな。法政の守衛を繋いでみて初めて分かった」
 韓国人女性と結婚した元同志「白土よ、お前の書いた”地域入管闘”の”世話役”の話はホントだよ」「神奈川の入管担当の六月もよく勉強しているけど、今回はぜんぜん使い物にならなかった」「結局は俺自身で調べて、俺自身で出向いて、やっとのことでたどり着いた」「途中で挫折しかかった」
 元神奈川 「90年代に関東地方委員会(KC)で、激しい”労働運動論争”があった。こちらは「現場を踏まえて、現場からの声を引き出して」にこだわった。対するは地方委員長の木崎ほかだった。「いわばこちらが『労働運動派』、木崎らが『血債主義派』みたいに言われた」。「だいぶ後で中野路線」が力を持つと、木崎も一変して労働運動派=動労千葉特化路線に豹変した。立場がなんか入れ違ってしまった。けども、全体を通して変わらなかったのは、「上からの」「天下り」の路線か「現場重視」かだったんだよね。

韓国スミダに対する支援への制動
 90年代、日本でも電機労働者の女性たちを先頭に、多くの労働者・労組が支援・連帯に立ち上がった。
 この時、入管闘を仕切っていた「高山」の通達が衝撃を生んだ。
 事実上政治局からの指導として「メンバーが運動に関与する時はそのつど詳しい報告書を提出しろ。
 上からの許可なしに韓国人労働者との接触をするな」という「指導」だったという。
 指導的メンバーから話を聞いた時は耳を疑った。理由や口実はいろいろある。当時の韓国の政治情勢、中核派の公安との「死闘」…。いずれにせよ、中核派のメンバーは、韓国労働者とも在日とも連帯・接触するな、と。⇓ 民主労総との連帯運動を詠う昨今、変われば変わったものだ。昔日の感。

 韓国の労働者と日本の連帯者の人生を変えた闘争 : 文 …

ウェブ2022年8月6日 · //ハンギョレ新聞社. 1989年、日本のスミダ電機の子会社は韓国の工場に1枚のファックスを送り、450人の解雇を通知する。 これに怒ったチョン・ヒョンスク、パク・ソンヒ、チョン・スンレ、キム・スンミの4人の労組幹部は、8カ月にわたる日本のスミダ本社前での …

【まとめ】


【まとめ】幾多の「血債論」の存在とその変貌
 ひとまずのまとめとして、今日「血債の思想」を語る人たちにもいくつかの決定的違い・対立を含んだスタンスがあると言うことがわかると思います。


【ブログ補足】……… ……… ………

①関連部分です 当ブログから。技術上の都合で一貫した表現になっていませんが。……… ……… ………

 新年号論文①「血債論」のリサイクル 【改定】  ...

岩本本②の続き=転載分……… ……… ………
③の続き
 言いたいことは、80年代の中核派は、「革命軍戦略」という「単一路線?」であり、三里塚基軸論=排他的・単一基軸(路線)論で押し通してきたことだ。ここでは「準基軸」ともいえる課題として、杉並区議選・動労千葉・部落解放運動=同志会・解同荒本支部があったのも事実だ。
 しかし動労千葉に関しても、その評価の軸は、反対同盟との「労農同盟」を担う、ジェット燃料輸送阻止を闘う動労千葉、と言う面をほぼ一歩も出ないものだった。「反合闘争」「高石闘争」などへの共感や国鉄労働運動や民間労組への共感など、動労千葉がいくら語っても帰ってこない。そんな「政治主義・路線主義」の延長上にしかなかった。少なくとも「党員大衆」の世界では!労働者党員にとっては、情けない屈辱の日々?もちろん、それに従わない少なからずの人もいたことも忘れられない。
 そんなことを前提にして書いてくれたらね!ま、これも分量が溢れるけど。

④最後に一番言いたいこと
 「いつまで『党が党が』と言ってるんだよ!」
 「正しい党」なんてどの面下げて言うのかね?

 本多さんはとっくにいない。あれからもう50年近くになる。レーニン?百年前の話だ。

 「革命党」とは究極は「武装蜂起の党」であり、「内戦・国際戦争」に勝ち抜き、権力を奪取するために何が何でも生き残る「党」のこと。
 残念ながらそんな党を私はもはや構想できない。
 せいぜい、10数年、大衆に溶け込み、世俗的にも複雑な判断と対策を立てられる運動が出来たらと、想いを巡らすだけだ。

⑤そして結論
 なぜ中核派は真っ向から党内論争・党内闘争ができなかったのか?
 どのように、でもいい。
 なぜ中核派はまっとうな「分裂」がなかったのか?

 下記の部分に、ひとまず10次に渡る中核派の「分裂史」を紹介します。
 加えて06年3/14からの関西派と九州はの分裂と「血債主義者」の排除、最後に東北地方委員会のEL5派を入れると十数次の分裂・粛清を重ねてきたことになりそうです。

 言いたいことは、どちらが正しいかとか、という前に、主張ややり方や体質が折り合えず、共存できなくなったら分裂するしかない、ということ。その気になったら、後でまた合流すれば済むことでもある。
 もう一つ。党派闘争も党内闘争も「カンパニア」「囲い込み」は不可欠だということ。
 それぞれの「私」がどちらを選ぶ、ということが「原則中の原則」のはずだ。
 しかし現実には、「排他的囲い込み」が先に立つ。この「囲い込み」は多くの知恵と努力の結実でもある。そして「暴力的」だ。
 実際の分裂を見ると、一方を選んだ人が、時を経て他方に鞍替えするということは極めて少ない。難儀なのだ。
 政治指導部ですらそうで、ましてや「末端や現場」の人にとっては、「結婚相手の選択」も「離婚の自由」もない、というのが実情か?
 じゃあどうする?「自立した共産主義者の結集体」。絵空事か???
 
 「生きる知恵」…かも?
 ……… ……… ………
 以下の項目に関連事項が入っています。当ブログの記事です。
 2017年01月13日

  2017年01月21日

 

 

 (この項終わり)

関西派の橋本利明氏の書評を転載する。特に長いものではないので最初から全文を読んだ方が良さそうです。全文は下記の「未来」をタップしてください。
ここでは気になる所だけを抽出します。
末尾にメモをつけたのが長くなりました。分けて読んでくれた方がいいかも?

【以下転載】……… ……… ………

未来

8面

書評
『党はどこへいったのか~私と革共同~』岩本慎三郎 社会評論社2023年12月刊
     革共同の総括と路線的深化のために
     橋本利昭

岩本愼三郎著『党はどこへ行ったのか ~私と革共同~』は、いい意味で物議を醸す本である。この本とぶつかり、学び、吸収しつくし、われわれの再出発としたい。

3・14決起断固支持

岩本さんは本書で、2006年3月14日の党改革を求めた関西の決起を支持している。「官僚主義と権威主義と印籠政治の弊害を…実力で打ち破る闘い」と。また3・14で打倒された「Y*は生まれた時から腐敗していたのではなく、革共同が生み出し、つくりだした」ものであると、主体的・内在的に総括している。(【ブログ注】Y* 当時政治局員兼部落戦闘同志会の代表でもあった)

それに対して革共同中央は、「Yの腐敗を生みだした責任は関西にある、部落解放運動にある血債とか7・7というものの考え方にある」とすり替えた。3・14決起を簒奪し、改竄するためである。岩本さんはそれに抗議し、2008年冒頭の基本会議で反対を貫き、処分を受けて党を離脱したことを今回明らかにした。(略)

3全総と対カクマル認識

岩本さんは、いわゆる「内ゲバ」と称する左翼内部での暴力行使には抑制的であるべきと反省している。同感である。しかしカクマルについては、「バリケードの向こう側に移行した政治カルト」と規定し、対カクマル戦を支持する。カクマルを、運動組織路線における「サナダムシ路線」と批判する。自ら階級闘争全体に責任を取らず、他の運動に寄生してそれを食い散らして自らの糧とする在り方である。ここから党派闘争の自己目的化、自己中毒化を生む、「永遠の今」「のりこえの論理」「革命的暴力論」に至るカクマルの立場を本多延嘉さんは、「召還主義と解党主義」と規定したことを紹介している。

岩本さんは、カクマルとの決定的分岐をなした革共同3全総を重視している。そして3全総の3つの軸として、反戦闘争・選挙闘争・労働運動を挙げ、労働運動の要点として、戦闘的労働運動の防衛と地区党建設を挙げている。私の理解としては、3全総のもう1点重要な点は統一戦線であると思う。統一戦線戦術は階級(闘争)全体に責任を持つあり方であって、単なる学生戦線の方針であったり、政治術策ではない。

直面する革共同の課題

岩本さんは、「階級的労働運動路線」「新指導路線」「動労千葉特化論」などによる反戦政治闘争の放棄を一番問題にしている。そして、最近、革共同全国委員会機関紙『前進』が、「今や革命の時代だ、反戦闘争としての反戦闘争が重要だ」と言い始めたことに、「遅すぎる」「総括がない」、「総括をする主体性・感受性を失った集団になり果てた」(p.367)と言う。
革共同を自称する今日の革共同全国委員会は、遅すぎる、総括がないだけではない。世界認識・現状認識が根本的に間違っている。プーチン・ロシアによるウクライナ侵略を侵略でないと言い、「戦争を内乱へ」をウクライナにおけるゼレンシキー打倒に帰結させている。

またパレスチナ問題についてもアメリカ帝国主義の戦争というのみで、シオニスト国家イスラエルによる侵略、パレスチナ人民への迫害を弾劾しない。台湾問題について、軍事的強制併合で恐喝する習近平・中国指導部のスターリン主義そのもののあり方を批判しない。それ以上に一切をアメリカ帝国主義の戦争とし、台湾問題を利用して対中国包囲、戦争挑発を図る日本帝国主義・岸田を正面から問題にしない。
 同書は、事ここに至った責任が一番ある清水丈夫(現革共同議長)をあまり批判していない。革共同にとって「議長」とはお飾りではないはずだ。清水が非合法場面にいたことは言い訳にならない。革共同の変質、今日まったく闘えない「前衛」詐称集団に変質させた元凶は清水丈夫にある。党内で意見が相違する者を「スパイ」規定してきたのも、真剣に党改革を試みる者を「分派」として追放してきたのも、清水である。

日本革命・世界革命にかけたわれわれ共通の思いを実現するため、岩本さんには『党はどこへ行ったのか』の続編を、『党はここにあり』として清水批判をぜひ執筆してもらいたい

戦略的総路線の深化のために

革命的左翼が、60年安保闘争も70年安保・沖縄闘争も日帝を正面の敵として見すえて闘ったという認識に賛成である。今日の革共同全国委員会が、「万年米帝一極支配」論のもと、日本共産党以下の日帝免罪路線をとっていることを徹底弾劾して進まなければならない。

国鉄闘争について、1047名の「和解」について、中野洋の国鉄闘争への絶望の結果という認識に改めて蒙を啓かれる思いである。この点を明らかにした岩本さんの功績は大きい。ただ85年11・29浅草橋戦闘については、清水丈夫と中野洋の具体的責任をぜひ明らかにしてほしい。この戦闘を「信じがたい愚行」と言うだけでは、現場で担いぬいた国鉄労働者や青年労働者・学生は報われない。

30年間に及ぶ武装闘争と非合法・非公然活動の期間については、「党による軍事の一人歩きはダメ」ということに真剣に同意し、反省します。それと同時に、「官僚主義」や「印籠政治」が非合法・非公然活動の中で始まったという理解では済まないと思う。

軍事や非合法活動に手を染めなかったらよかったのか、防衛的性格の軍事活動に限定すべきだったのか、である。回答は、労働者大衆自身の武装や非合法活動をどう形成するのか、そこにおける党と党の軍の役割ということになる。蜂起の軍隊はロシア革命における赤衛隊に見られるごとく、大衆自身の武装を基礎に発展させたものである。代行主義など問題にもならない。


若干の経験と見分に基づいて提起すると、次のような点である。
(1)労働者人民自身が武装と武装闘争の主体であることを貫き、兵たんを人民自身が担いぬく人民の海の組織化における発想の転換が必要である。
(2)戦闘における軍令の絶対性と準備や計画における白熱的討論を保障し、組織すること。
(3)戦士共同体におけるコミューン原則、1人も排除しないあり方、である。

 

【以上転載】……… ……… ………
 
【白土メモ と評】長くなりましたが。
 ①岩本氏についての『前進』紙上での言及は以下。
 故・岸及び水谷両氏の『敗北本』に岩本氏が参画していたという嫌疑によるもので『スパイ』と断罪している。
 革命運動史上最大のスパイ分子に転落した岸・水谷・岩本を 打倒せよ 革命的共産主義者同盟政治局

5月、2006~08年の「党の革命」で打倒・追放された岸宏一と水谷保孝、岩本慎三郎は階級闘争史上、最も極悪で腐敗にまみれた反革命スパイ本を出版した。...
福島に敵対し反原発運動分断する 最大のスパイ岸・水谷・岩本打倒を 革共同東北地方委員会

 岩本氏によれば “事実無根。俺は敗北本にはノータッチ。まったくの無実・無関係“ だそうな。

 ただ敗北本では、「松本意見書」やその処分の経緯の一部については、岩本氏の観点から書かれていることも事実。離れたもの同士、その程度の交流はあったらしい。その上で、「岸・水谷に近い」とか「やはり参画者」として「断罪するのはあまりにも乱暴」というに尽きる。

 本書では「松本意見書」を契機に08年1月に離党した経緯も書かれている。別な見方からすれば、処分・除名への経緯でもある。

②ある意味で、唯一?の「革共同の歴史・正史」でもある。
 革共同の創設から革マルとの分裂、そして「70年闘争」、血債の思想の誕生、…。それぞれ現場感覚とともに描かれていて、それはそれで生き生きとしている。古い人、若い人、中核派系の人、他党派の人、改めて新鮮な想いで振り返ることもできる。後日への遺産?

 この辺は、できることならぽつぽつと引用しながら論じたい。
 ただ難点は、橋本氏の書評にあるように、例えば「浅草橋」についての論評が「片言隻句」で終わるなど、食い足りない。それは多くの論点で共通している。ま、それをやると軽く5割増しの分量にはなるだろうけれど。そして集中砲火を浴びるかも?

「改憲阻止百万人運動」と国鉄闘争への重心の置き方

 もう一つの特徴としては、これらの大闘争・大運動にその中心近くで関わった人として、90年代の課題やその意義を大いに語っていることだ。

 「うっ?!」という反応は私だけではないと思う。
 この時期すでに本社を出て、中核派を辞めていた私にとっては、「あの中核派が、そんなテーマに関わることがあるのか?」という感慨が当時の感覚だった。
 90年の「転換」を経て、90年代中頃は、現場組織やメンバーたちは、「先制的内戦戦略」の「継続か解消・召喚か」で互いに階級的と向かい合うような混乱とにらみ合いのような中で葛藤していたと聞く。
 岩本さんはそんな中で重責を担って上記の「大運動」に参画していたのだそうな。
 私自身とすれば、「それは正しいだろうが、そんなの中核派じゃねえよ」「俺の知ってる革共同じゃねえよ」とうめくしかない。

 「上が決めたのだから、残っていたら率先して関わるかもしれないけどね」
 「でもまた変わって召喚しろと言われたら、またそれに従って、『ナンセンス』と言うのかな」
【ブログ注】
 あまりに長いので、以下は(続く)にしました。26日公開の「党??」にそのまま転載します。

【ブログ注】尾上光さんからの要請を以下転載します。
……… ……… ………

ガザに心を寄せていただく皆さんへ

藤永香織著「ハヤティ・パレスチナ 夢をつなぐカフェ」復刻版が皆さんのご支援で
ようやく発行にたどり着きました。
ご支援に感謝します。

本書の[復刻にあたって]で、藤永香織さんは以下のように書き出しています。

「アンネ・フランクを偲ぶイスラエルへの旅で、パレスチナに出会った。ガザ地区に
魅せられ、パレスチナ人の自立を目指し共に歩みたいと思った。その第一歩として、
縁あって結婚したパレスチナ人の夫と、地元ガザ市でカフェを開業したが、店は戦車
やミサイルに破壊され、焼き討ちに遭うなど、苦難の連続だった。でも何度この店を
壊されても、この想いは変わらない。…そう信じていた。

[あれから20年。本書に登場した彼らのほとんどはもう、この世にいない。病死や自
死で亡くなった娘達。行方不明や生死不明の息子達。兄も姉も弟も妹も、従兄弟たち
も、親友も。「天井の無い監獄」が着々と完成していったこの20年は、私たちにとっ
て世界がぼろぼろと欠けていく日々だった。そしてとうとう、ガザで共に夢を繋いで
くれていた夫の心が壊れた。」

是非お読みになってください。
本書の売り上げは必要経費を除いてガザへ送金します。

香織著「ハヤティ・パレスチナ 夢をつなぐカフェ」復刻版の購入は
① 購入される冊数とお届け先を下記のいづれかにお知らせください。すぐに発送し
ます。

◇ ℡ 09066342973(おのえ、ヤスミン・ライブラリー)
◇ 〒814-0002福岡市早良区西新2ー5ー15ー101
  ヤスミン・ライブラリー(尾上光)
◇ yasmeen_library@yahoo.co.jp
  duster705@yahoo.co.jp (おのえひかる)

② 本が届いたら下記に代金を振り込んでください。
◇ 銀行名 西日本シティ銀行
◇ 支店名 西新町支店
◇ 店番号 204
◇ 口座番号 1559729
◇ 普通
◇ 口座名義 藤永香織(ふじながかおり)

よろしくお願いします。

ヤスミン・ライブラリー(尾上光)
……… ……… ……… ……… ……… ………
関連する記事を以下、

藤永香織著『ハヤーティ・パレスチナ 夢をつなぐカフェ ...

https://www.jrc.or.jp/international/news/2023/1110_036323.html?fbclid=IwAR1-lpKGx1eiAdQ74rRz2Ylszv64a1juXLG4yFubuGEjyoJ8MKTuzYIO0tU

ひとまずお知らせだけ


後日、何らかの感想を書いてみたいなと思ってます。
お世話になった模索舎のページからコピペしました。以下引用
… … ………… ……… ………


党はどこへ行ったのか 私と革共同

142694

[2023年12月/四六判/374頁/]
《RED ARCHIVES 05》
著=岩本愼三郎
発行=社会評論社


目次:
第I部 私と革共同-光と影の幾歳月
第1章 革共同全国委員会の出発-六〇年安保闘争と三全総
第2章 七〇年安保・沖縄闘争という挑戦
第3章 いわゆる「内ゲバ」について
第4章 三里塚二期攻防と先制的内戦戦略
第5章 国鉄分割・民営化と「戦後政治の総決算」
第6章 国鉄一〇四七名闘争始末期-革共同の失われた三〇年(1)
第7章 安保再定義と百万人署名運動-革共同の失われた三〇年 (2)

第II部 革共同の諸問題
第1章 共産主義的政治をとりもどす-松本意見書 No.1
第2章 革共同全国委員会の歴史と教訓-松本意見書 No.2
第3章 迷走する「綱領草案-あるいは革共同の墓標
第4章 二重の敗北としての国鉄一〇四七名「和解」
第5章 党はどこへ行ったのか-「党の革命」「党の階級移行」という茶番劇について

第III部 現代社会を読む-『ピスカートル』からの抜粋
「太陽をとらえた」近代科学の果てに
経産省前テントをめぐる裁判闘争
原子力ムラの闇を照らした光
東京都知事選挙の悲劇と喜劇
憲法と戦争と沖縄
国家緊急権と立憲主義の死
人智をこえた人災から何を学ぶか
菅政権という末期症状
コロナ敗戦と亡国五輪
連合べったりで自滅する立憲
泥沼化するウクライナ戦争と世界大戦の危機
化けの皮が剥がれた自民党政治
GAZA 大量虐殺の果てに

レッド・アーカイブス 顛末記 | 川口 顕 
¥3,300

【ブログ注】
⑴著者紹介から 
1940年生まれ
 59年 東京工業大学に入学 その後に革共同全国委員会に加盟
2008年 革共同を離党
⑵私(白土)の記憶の断片から
革マル派との分裂で中核派を選んだ数少ない人の1人
私が1年生の時、1966年の年末に1か月だけの「マル学同臨時書記局員」として
参勤した時に、親しくお目見えした。秋山全学連の直前の話。
78年に私が『前進』編集局員になった時、たしか岩本さんが編集長だった。あるいはその直後か?
要町の本社2階の狭いながらも2室を使ったEB室で生活を共にした。ま、本命の水谷保孝氏が下獄中
でその臨時代行みたいな感じ?
後に『破防法研究』編集長。
松本意見書はぜひとも
 
時間切れでひとまずアップします。後日改めて追加予定。

駆け足で…
ガザの戦時のただ中で、だからこそ「平時の日常」を振り返っておきたい。

「日常」とは?
 20年前にはガザやヨルダン川西岸から「イスラエル」に多くの人々が出稼ぎに行っていたという。
 けれど今、ガザは分離壁に囲われて、出ることも入ることも困難な年月が続いている。
 ハマスを通じたアラブ世界からの支援や、並行する国連などによる生活支援などは、「飢え死にしない程度」にとどまり、言わば真綿で首を締めるようなもの。イスラエルの空爆被害の写真で見る限り、平屋建ての民家のほかにも低所得者用の集合住宅が立ち並び、家族の空間は成り立っているようだが、明日の希望の持てない日々が当時の青年たちから次の青年たちに引き継がれようとしている。
 ガザを流れる地下水路の上流を支配するイスラエルの入植者がじゃぶじゃぶと気ままに使えばガザはたちまち渇く。
 大人の男たちは、昼は街角で日がな一日あてもなく過ごすのだという。
 ヨルダン川西岸地区もまた、分離壁とともに押し寄せる、年々拡大するユダヤ人の武装植民の村々に押し流される。西岸を緑の豊かな大地にして働くパレスチナ人農民たち…。その農地もそして大事なのみ水・水利もまたとるか取られるかの中。
    パレスチナへの旅を振り返って(その2) 辻信一 (sloth.gr.jp)からの要約。以下も

分離壁ー心の壁

「どうやら、壁っていうのはパレスチナをどんどん追い詰めながら、同時に、パレスチナという存在そのものを呑み込んじゃおうとしている。かつてはあんなに豊富にあった「あいだ」がもうなくなってきている。壁が目指しているのは、こちら側の拡張で、あちら側をなくしてしまう、ということなんですね。


 ぼくの友人で非暴力平和運動のリーダーであるサミ・アワッドは、エルサレムに住んでいたおじいさんを48年の戦争で亡くしている。戦争前、子供だった彼のお父さんはいつも近所でいろんな民族の、キリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒の子供たちと一緒に遊んでいた。互いを区別しながらも、混然と、雑然と生きていた。境界とはそういうものだった。しかし今では、ガザに住むおじさんやおばさんたち親族と、西岸地区に住むサミは、もう何年も会うことすらできない。


 日本にもう40年も住んでいるイスラエル人の元兵士で、家具職人をやりながら熱心に平和活動をしているダニ・ネフセタイという人がいます。彼によると、彼がまだイスラエルに住んでいた頃は誰もが自由に西岸地区やガザに行けた。ユダヤ人でも普通に買い物したり、パレスチナの人々と付き合うことができたって。


 1967年の戦争の後なのに、イスラエルとパレスチナの境界とはまだそんなふうに両者が混じり合う曖昧な領域だった。両者は顔の見える関係だったし、お互い、どんな暮らしをしているかが見えていた。でも、今ではイスラエル人には壁の向こう側にあるパレスチナが見えなくなっている。【以上転載】

 この報告から数年後の「今」を読み解くと、パレスチナ人も、そして特にユダヤ人はなお、互いの顔を忘れて20年、相手を恐ろしい敵・猛獣のように想像して突き放すような20年を過ごしてしまったということになる。生まれたばかりの赤子がハタチになってしまったのだ。
 壁を取り払う、壁の向こうにいる互いの生きた姿を日々垣間見る。そんなことから始めない限り、対話も共存も成り立ちそうもない。


パレスチナ子どものキャンペーン (ccp-ngo.jp)


【報告】サラ・ロイさんと徐京植さんとの対話 ...

【考察 ユダヤ人問題とは?】
  「ユダヤ民族」は民族か?なぜ?いつから?どこから?
  「ユダヤ人」は基本的にはヨーロッパの「インド・ヨーロッパ語族」の一派であることの確認。
    ーーーーイスラエルとは中東に植民した欧州白人国家。
 そして「族外婚禁止」と迫害で生まれた幾多のユダヤ人コロニーの集合体。
 ただ、2000年の歴史は、ユダヤ人の相貌・遺伝子を欧州系に変えてしまった。
  ロシアの祖地とされる「ルーシー」では領主がユダヤ教に改宗して東欧のユダヤ人が誕生したという話もあるそうだ。
  

【ブログから】
 実は今月に入ってインフルエンザにかかってしまいました。
 数日間の微熱と倦怠の後で病院の発熱外来で感染の診断とタミフルを得て、しばらく休みました。
 
 その間に事態はいっそう悪化し、同時に内外の様子も急速に変貌しています。
 私自身は体力・知力の低下も著しい。
 で、当初の計画をあちこちで極端に端折り、このテーマでの論考を終えます。……… ……… ………

 もうろうとしながらですが、テレ東の下記もまた迫力あるものでした。
 今回のブログ記事を終えてその気になったらゆっくりご覧ください。2本、長いです。
豊島晋作のテレ東ワールドポリティクス】
 (8) 「イスラエルの論理」を徹底解説~たとえ世界を敵に回しても戦う理由とは?(2023年11月30日) - YouTube 73分

「パレスチナの論理」を徹底解説~「ハマス憲章」で読み解く”弱者の論理”とイスラム武装闘(2023年12月8日) (youtube) 63分


☆ちょっとした資料や…
イスラエルの国防相が「我々は人間の顔をした動物と戦っている」

   BBC、ハマスを「テロリスト」と説明しない編集方針を擁護 英 ...
 ウェブ2023年10月12日 · BBCは11日、パレスチナの武装勢力ハマスを「テロリスト」と説明しない編集方針を擁護した。 ハマスを「テロリスト」と呼ぶべきか BBC「むしろ理解妨げる . • BBC - 【解説】 9/11から20年、アフガニスタンで学ばなかったか ... • 【解説】 ハマスとは何者か 今イスラエルを攻撃した理由は - BBC • 「9/11」から20年 あの日、何があったのか - BBCニュース 詳細 「ハマスのテロ組織指定解除を」欧州司法裁判所 ... 

【ビッグ・テック(巨大IT企業群)が戦争犯罪に加担】イスラエル ...

2023年12月10日 12:17【以下転載】 

 10月27日『The Grayzone』ワイアット・リード
(左派の調査ジャーナリズム・ウェブサイト『グレイゾーン』記者)翻訳:脇浜義明

パレスチナ支援のアカウントが停止
 イスラエルが米国の容認のもと、パレスチナ人ジャーナリストやアル・ジャジーラのジャーナリストを空爆によって口封じする中で、ビッグ・テック(巨大IT企業群)もそれに協力している。

 10月7日のアル・アクサ洪水(ハマスの反撃)の後、複数のSNSプラットフォームが多数の著名なジャーナリスト、人権活動家、パレスチナ人活動家のネット発信を停止、または無効にした。ネット上のイスラエル批判やシオニズム批判に対する検閲は前々からある。親イスラエルのプロパガンダはOKで、反イスラエルの内容はNG、とする二重基準は非難の的だった。
 10月5日、「パレスチナに目を向けよう」(Eye On Palestine)のアカウントがインスタグラム、フェイスブック、X(旧ツイッター)から消え、600万人以上のフォロワーがガザの現状を直接映像で伝える情報源にアクセスできなくなった。
 これに対してインスタグラムとフェイスブックの親会社メタのスポークスマンは、「この中断は政治的動機によるものでない」と主張し、「アカウントが発信している内容を原因としてアカウントを停止したのではない」と弁明している。
 メタの弁明の嘘は明白だ。これまでにも、メタがイスラエル政府の検閲要請に協力した経歴がある。2016年、政府が「扇動的」と見做すコンテンツをSNSから削除する権限を政府に与える「フェイスブック法案」が承認された後、イスラエルのアイェレット・シャーケド元法務大臣は、「フェイスブックもツイッターも、グーグルも削除命令の70%に従っている」と誇っている。(つづく)

☆現地報告
 日赤 ガザ会見報告 - 検索 動画 (bing.com) 国境なき医師団の報告も一覧に出てきます      長いものは1時間を超えますが短いものは…

     労働党 (イスラエル) - Wikipediaなど
     20世紀初頭からパレスチナへのユダヤ人入植を先導してきた政治勢力である労働シオニズム社会主義シオニズム)の流れをくみ、建国後も長きにわたり与党として社会を主導してきた、イスラエル建国エスタブリッシュメント政党。パレスチナとの融和・共存を掲げる中道左派新政党カディマ結成前は右派リクードと並ぶ、イスラエルの二大政党の一つ。

     
     労働党は、建国以来長らく政権を担ってきた。その中で、キブツなどを重視した社会主義的政策が労働党の中核でもあった。ところが、前述のとおり21世紀を迎えて以降は右派と協調することも多くなり、その中で右派政権の新自由主義政策を追認することもあった。ただ、ヤヒモビッチが党首になってからは、イスラエル国内で急速に増加しているワーキングプアについて警告するなどしており、今後、再び左派政党としての存在感を高められるかどうかが焦点となっている。

    イスラエル、2050年の人口予測を発表(イスラエル) | ビジネス短信 ―ジェトロの海外ニュース - ジェトロ (jetro.go.jp)
  1. 1950年代~60年代には世界からユダヤ人の移民流入が相次ぎ、当初100万人だったイスラエルの人口は、1970年代には300万人台にまで拡大した。さらに、1991年のソ連崩壊前後に旧ソ連圏からのユダヤ人の大量流入が起こり、再度、人口は大きく増加した(下図参照)。
    2020年現在では890万。


続きを読む


【ブログ注】大坂裁判の判決公判が12月22日に迫っています。以下、『前進』その他から駆け足で転載。ひとまずは裁判の現段階を、『前進』記事の抜粋から共有しよう。71年渋谷暴動闘争は、私たちが共有し、生きてきた歴史的体験なのだから。少し長いがこの際…

【以下転載】……… ……… 以下は「アーカイブ」(過去記事のカテゴリー 弾圧との闘い、などから)……… ……… ………

 

 第15~16回公判(3月7、9日)でっち上げ供述調書の破綻

 

★★大坂救援会★★

 「星野、奥深山、大坂が死亡した警察官を殴打していた」とするでっち上げ供述調書を多数作成した当時の取調検事・中津川彰の証人尋問が第15回公判で行われました。体調不良を理由に1月の公判に不出頭だった中津川ですが、弁護団・支援の強い怒りに追い詰められ、ついに法廷に引きずり出されました。

違法な取調を「正義」と開き直った中津川 第15回公判

 検察官は「中津川元検事は高齢であり、事件に関して何も覚えていない」と主張し、星野裁判での公判調書の採用を求める策略でした。中津川もこれに乗っかり、自らの年齢さえ大きく間違えるほどでしたが、弁護団の反対尋問に追い詰められ、次第に本性をむき出しに開き直り始めました。

 父親が取調室でARを殴りつけ、それをきっかけにARが供述を始めたことに対し、「公安部の検事としてARの人間性を立ち直らせたと自信を持った」「こういうおかしな人間に対して、まともな人間にさせるために検事になった。ARを反省させられた」と暴力的な転向強要を自慢。

 黙秘権を侵害する違法行為ではないかと弁護団に詰め寄られると「考えないね、そんな」「おかしいじゃないかというが、これは僕の人間性。ARのため、ARの父親のため」と開き直りました。検察庁で取り調べるのではなく、自ら警視庁地下取調室に出向き、警察の調べに続いて深夜に取り調べを行ったことを「サービスだ」と主張するなど、拷問的取り調べの実態とでっち上げを是とする国家権力の本性が中津川の証言を通して赤裸々に暴かれました。

 もっとも許せないのは、弁護団がこうした拷問的取り調べの実態を具体的事実を突き付けて追及するや逆切れし、大坂さんに対して「正義の味方の中村巡査が殺された。生きていること自体が、正義の味方として私の正義感が許さない」と暴言を吐いたことです。無実の星野さんや大坂さんをでっち上げておきながら、何たる言い草でしょうか。でっち上げの下手人=中津川を絶対に許さないぞ!

M証人が中津川のでっち上げ手法を厳しく弾劾

 第16回公判は、中津川にでっち上げ調書を作られたMさんが証人として出廷しました。 

 青年労働者だったMさんは社会の矛盾を感じ、中野社研で学習会を重ね、反戦青年委員会の仲間と1114闘争に参加しました。
 翌年1月に事後逮捕され黙秘しますが、最大で1日18時間に及ぶ拷問的取り調べを受け、意識がもうろうとする中、でたらめな供述を強要されました。

 証言台に立ったMさんは「黙秘が認められず、拷問的取り調べをうけ、うその証言をさせられた。知らない人を、捜査官に言われるまま認めた。信念を曲げて供述してしまい、今でも悔しい。無実のKさんに迷惑をかけ、50年間いつも負担だった」と涙ながらに訴えました。厳冬の1月に取調室の窓を開けっぱなしにされたり、わざと手錠を外さないといった拷問の実態や、知らない人を特定する「写真面割」のでっち上げ手法が法廷で暴露されました。

 両日とも、権力への心の底からの怒りがあふれる証人尋問でした。傍聴していた若者が「見ごたえがあった」と興奮して友人と語り合うなど、権力のでっち上げは完全に暴かれました。


2627回公判 弁護側立証、無実の証言続く

 
裁判は弁護側立証に入り、大坂同志の無実を明らかにする証人の登場で権力のでっち上げが一層明白となっている。
   証言台に立ったのは、元東京南部地区反戦の◯氏、元工学院大のY同志、元東京西部地区反戦の I*氏、ら。

    闘争前日の工学院大学の学生が1人、神谷町の現場から2人の反戦派労働者、そして…


第26回公判 「工学院に大坂はいなかった」 

 大坂同志を全く知らない群馬の学生たち(少年含む)が、死亡した警察官を殴打していた人物を「事前に見かけた」とされている場所が、デモの準備で訪れた工学院大学(新宿)だ。


 
当時工学院大学の学生リーダーとして1114闘争を闘ったY同志が証言台に立った。
 
   Y同志は
「群馬の奥深山幸男さんから、デモで使う旗ざお作りを手伝うと連絡が入った。彼らは数日前から東京に来て、デモの準備をしていたようだ」

  「
工学院は三多摩全学連の拠点校。三多摩の仲間は出入りするが、群馬の学生が来たのは初めて。千葉の大坂さんは工学院大学に来たこともなければ、来なければならない理由もなかった。皆、各地区で闘争への参加を全力で組織していた」

と真実を突きつけ、権力のでっち上げストーリーを破綻に追い込んだ。


 群馬の学生らのでっち上げ調書に繰り返し登場する「工学院大学の責任者」Y同志の毅然とした法廷証言に、検事は反対尋問で事実関係について全く触れることができなかった。ひたすら「あなたは革共同集会に参加しているか」「昨日行われた星野・大坂集会に参加したか」「裁判の内容を熟知しているのではないか」と、証言の信用性に少しでも傷をつけようとケチ付けを試みたが、まったく迫力を欠いた。「工学院で見た男が殴っていた」「それは大坂だ」という権力のでっち上げストーリーは完全に崩壊した。


 
 
27回公判、反戦労働者が殴打現場の証言
 
 第
27
回公判では渋谷闘争に反戦青年委員会の労働者として地域の仲間をまとめる立場で参加したI 証人が、殴打現場に大坂同志と似た身長・体格の人物がいなかったことを明快に述べた。


 「殴打していた人は大柄で、横幅もあった。体格からして大坂さんとは別人」
 「当時の私の身長は178センチ。大坂さんの手配書の記載と一緒。
私と同等の身長の人は、警察官を取り囲んだ集団の中にはいなかった

 「
私は殴打現場を取り囲む輪にいて事態を目撃したが、部隊をまとめるためにデモ隊の総指揮者である星野さんに注目していた。
 星野さんは殴打現場ではなく、そこから離れた十字路にいた

と証言し、殴打現場に大坂同志がいなかったことのみならず、故・星野文昭同志の無実もまた明らかにした。


 

 28回公判 「殴打者は大坂さんではない」 共に闘った労働者が堂々と証言

 東京南部地区反戦青年委員会の労働者として1114闘争に参加したHさんが証言した。

  H証人

「隊付きレポという役を命じられ、デモ隊に並行して動き機動隊の動向を報告するように求められた。だが、いてもたってもいられず仲間と共に闘い、東急本店前で現行犯逮捕・起訴された」

「取り調べでは『殴打現場にいただろう』『神山交番に放火しただろう』と追及され殺人罪でっち上げも覚悟した」と、自らの闘いを明らかにした。
 
 そして
「殴打現場を至近で目撃した。のちに大坂さんの指名手配写真を見て、絶対に間違っていると一瞬で確信した」
「沖縄闘争を憎悪する権力によるでっち上げ弾圧だ」
と権力を弾劾した。

「殴打者はガタイのいい男だった。大坂さんとは全然違う体つきだった
」と言い切った。

 検事は「証人が目撃した殴打者の身長は170㌢か、171か、それとも172か」など、実にくだらない反対尋問で傍聴席の失笑を買った。また「証人は革共同政治集会に、渋谷暴動事件の証人自身の裁判が終わった後、42回も参加している」など、証言の信用性を傷つけようとしつこくケチ付けを続けた。

 だが「星野さんの虐殺は許さない。大坂さんへのでっち上げを許さない」という証人の固い決意と真実の証言の迫力が権力を圧倒した。

 証人尋問の後、審理計画についての手続きが行われた。6月の残りの公判期日をすべて取り消し、次回第
29
回公判は7月6日(午前10時 東京地裁)に行うことが決まった。

免訴の証拠調べを却下する暴挙

 裁判所は、弁護側が求めていた免訴に関する証拠調べ請求を、すべて却下する暴挙を断行した。半世紀以上前の事件の裁判が「違法ではない」と開き直り、免訴について審理すら行わないと言い放ったのだ。

 裁判所による「奥深山幸男の公判停止が
35
年以上の長期にわたったとしても、大坂被告人に許容しがたい不利益が生じたものということはできない」「裁判所の判断に刑事法の研究者の知見が必要であるとは言えない」との決定は、怒りに堪えない。


大坂正明同志は無実 第32回公判 「私は殴打していない」

 
 作業時間の都合で略。右クリックしてください。


大坂裁判判決公判

 12月22日(金)午後2時 東京地裁429号法廷
 ※傍聴券配布のため、1時間前集合

【以上転載】……… ……… ………

【ブログ注】 これが全てでは全くないけれど、東京南部のHさんと東京西部・杉並(とは書いていないけど)のⅠさんが、自ら神谷町の現場にいたと証言し、”そこにいたのは大坂氏ではない”と断言したということ。

 腹を決めた2人の証言には、身が震える。「決定的な証言」でもあるが「偉大な決起」ともいえる。

 

 以上

【補足】弁護側証人の3人は、それぞれ革共同(中核派)の「常任」を務めた人だ。工学院大学→本社、東京南部・千葉。

後者の2人はすでに「同志」ではないらしい。年月の経過を思い知る。同時に、大坂裁判も、「元同志」たちの決起に支えられていることをはっきりさせた。

「ガザの今」 2023.11.19
福岡・天神から ●● 光 

【ブログ注】メールを転載します。だいぶ時間が経ってしまいましたが。太字の見出しはブログで付けました 。
【ブログ注】細部の機微の訂正ほかで、一時「非公開」にしました。お詫びします【以下転載】
 

私がパレスチナと出会ったのは2008年年末です。イスラエルのガザ攻撃に、意を決して、福岡市天神の繁華街で座り込みを始めたヤスミンさんを知ったのです。

ヤスミンさん

福岡生まれの彼はガザに住むパレスチナと結婚し、七のこどもの親になりました。が、イスラエルはビザを出さず、国を拒否、それ以来、毎晩の携帯電話の通話がお互いの存確認となったのです。詳しいことは「ハヤティ パレスチナ 夢をつなぐカフェ 」(新風舎)を読んで下さい。

ヤスミンさんは福岡市で「ヤスミン・ライブラリー」をち上げ「パレスチナのこどもに本を。⼤⼈に仕事を」を掲げ、パレスチナ問題の後援会、映画会、アラブ料理の試会などに取り組んできました。私もそれを⼿伝いながら、ガザなまりのアラビア語を学びました。
 挨拶程度しか話せませんが、ガザに住む彼の家族に会うために彼と友たちとパレスチナにもきましたが、ラファ検問所で追い返され、それはかないませんでした。 それ以来15年間、イスラエルの攻撃をはじめ、占領・封鎖・虐殺のガザの活を、間近に感じながら闘ってきました。

 

今回の攻撃は今までとは次元が違います。  ガザのどもたちの「ヒカル=光、攻撃をめるために何かして」のメールに福岡市での集会やデモに参加しています。私⾃⾝の思いを知ってもらい、1119に福岡市天神の街頭で訴えた内容等を記します。

福岡市天神での訴え 「ガザで生まれた罪?」

 「イスラエルはガザのちゃん、病、住を殺すな!爆撃やめろ!」のボードを掲げ、当初の予定をオーバーして2時間のスタンディング街宣を福岡市でやりました。駆けつけてくれたのは2、本当にお疲れさまでした。 


 イスラエルはシファ病院を攻撃し、電気も切断し、保育器の
ちゃん、病気と闘っている病、医療スタッフ、南部に避難できずシファ病院に避難していたガザ住を殺した。ちゃんや彼らが何をしたというのか。まれたばかりのちゃんを殺した。まだ始まったばかりの⼈⽣だ。この世でやったことは呼吸だけなのに。イスラエルはちゃんにも死刑宣告を突きつけ、執した。


 その「罪」はガザでパレスチナとしてまれたからだ。ガザでまれた、パレスチナでまれた間は皆殺しにしている。イスラエルはシファ病院にハマスの指揮所を発できず、第段階として、南部を攻撃し始めた。


  
ブッシュが「イラクは量破壊兵器を所持している」として、イラク侵略戦争に突した時と同じだ。侵略者の実はいつも同じだ。イスラエルはハマスが⼀⼈でもいるところは攻撃する、ハマスを⼀⼈残らず殺すといっている。これはパレスチナでまれたパレスチナは全員殺すということと同じだ。


 両親を、きょうだいを、族をイスラエルに殺されたパレスチナどもはその仇を討つとに誓う。当たり前のことだ。

なんの「罪」を犯したから殺されたのか。イスラエルが暴で「建国」した地に先祖代々住んでいただけだ。それだけの理由で殺されている。ハマスは消滅しても、パレスチナは次のハマスを組織するだろう。北部を爆撃し、死体とがれきのにしたイスラエルは次は南部を死体とがれきのにするのだ。

ガザの夜 

今、ガザ南部地区は料が尽きた。ミサイルに当たらなくても飢えて殺される。ガザの夜の寒さは厳しい。
 ⾬期にり先も冷たいが降った。ミサイルに当たらなくても凍え死ぬのだ。電気はない、がない。トイレが機能しない。WHOは感染症の蔓延と犠牲者の続出を警告している。ミサイルに当たらなくても、感染症で死んでいく。 


 イスラエルは占領・封鎖で
間がどの程度まで料不に耐えられ、電気も、道もどこまでぎりぎりに抑えられるか、ガザ地区のパレスチナきていけるかを75年間続けてきた。
 パレスチナはミサイルで殺されなくても、オスロ合意(1993年)後のせかけの独で気も失い、間の尊厳を奪うような、真綿でを絞められ、とうとうきる気も体も尽き果てている。


 ⾃
殺を禁じるムスリムのパレスチナに、殺者が急増している。 ヤスミンさんはガザのどもたちにハマスになってはいけないと厳しくってきたが、「今では、もう仕がないね。」と思っている。

  

「ハマスが悪い」のか?

202310を忘れるな、とイスラエル相ネタニヤフはいう。また、ハマスの暴はいけないとパレスチナを語る評論家はう。


 ちょっと待ってほしい。ハマスの動を評価、批判する前に2023107のニュースをてほしい75年前まで、さかのぼってニュースを調べてほしいとはわない。数前、1か前、半年前まででもいい。パレスチナのヨルダン川岸地区のが何殺されているのか、占領しているイスラエルの植者が銃を持ちどれだけのパレスチナを殺したか、イスラエル軍がどれだけのパレスチナを殺したかを知るだろう。


 そしてイスラエルは強盗の論理で、その都度、責任はハマスにあるとしてガザを空爆してきた。ミサイルと真綿でを絞め殺すつのやりでどれだけのパレスチナが殺されてきたことか。パレスチナにまれたパレスチナという理由だけで殺され続けている。
 

「ヤスミン」とガザで呼ばれてきた日本人女性の彼女はその著書「ハヤティ・パレスチナ 夢をつなぐカフェ」(新舎)で、隠しされ、をふさがれ、⼿⾜と体を縄でぐるぐる巻きにされ、転がされているパレスチナが最後の抵抗でを振り回したことに、暴はよくないとだれがえるのかと書いている。
  

イスラエルを止められるのは?

イスラエルの攻撃はどうしたらめられるのか。国際世論の切だ。しかし、イスラエルは国連の決定を無視し続けてきた国だ。それでも本を含む国際世論の声と動は重要だ。


カギはイスラエル社会

決定的にカギを握るのはイスラエル社会と政治だ。
 イスラエルの々がネタニヤフ政権を打倒し、せめて中道左派の政権ができれば停戦は可能だ。 その契機はイスラエルにある。10.7で殺され、また質にとらわれたたち。そのたちの家族、族、友の悲しみは何を持ってもかえることはできない。愛するを失ったの悲しみをることほどいことはない。かける葉もない。
 
 そのあなたが味わっている苦しみをパレスチナ75年間味わってきた。あなたが悲しいことはパレスチナも悲しい。いことは同じようにい。ここにてば何かが変わり始めるはずだ。 
 

今まではイスラエルの攻撃は停戦が成すると段落したものだ。国際政治は本も含めてガザ復興資の供与を約束し、停戦にる。この復興資約束だけで終わり、それと踵を接して国際社会はパレスチナを、ガザを忘れる。私はいつもそれを、またかと感じてきたが、今回は違う。

 ⼈道の回廊でガザに住むパレスチナは、シナイ半島の砂漠の新しい難キャンプに閉じ込められる。もしも、ガザの々が⼀⼈でもき延びていたらの話だが、もう復興などは夢物語になる。停戦は新たな占領と封鎖と虐殺の始まりだ。

 【ブログ注。アラブ諸国、パレスチナ人の強制移住に反対 イスラエル・ガザ戦争めぐる首脳会議で - BBCニュース


 ☆ ☆ ☆ ☆

、何週間ぶりにかヤスミンさんは、ガザの家族と話ができた。わずかな時間だ。彼らは南部ハンユニスに避難している。運よく屋根の下にいる。パンは列に並んでも買えない。冬物はもって出る暇はなかった。寒い。インターネットはそもそもバッテリーが価でだめ。電話の途中で、ミサイルの爆発がした。

 電話は、「ぼくたちのことは配しないで、ママの病気がよくなることを祈ってる」で切れた。 2023.11.19
【以上転載】……… ……… ………

【ブログ注】
せめて中道左派の政権ができれば停戦は可能だ。 その契機はイスラエルにある。」
あなたが悲しいことはパレスチナも悲しい。いことは同じように
この言葉をしっかりと心にとめて行きたい。

  イスラエル軍の南部侵攻が始まっているいま、「甘い」と言えば甘い。
  虐殺と破壊の末の占領統治の意図もあまりにもあけすけだ。
   さらにまた、「停戦・終結」で何も終わらないことも見え見えだ。
   けれども「今後はけしてパレスチナを忘れない」という言葉も虚しさが付きまとう。
  
   けれど、けれど、だからこそ、どんな場合でも上の言葉を忘れまい。他には代えられない。

   【追伸】家族たちはいま現在は「元気だ」とのこと。

 

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