タグ:がん・腫瘍

【以下転載】

昨日(30日) 午後9時44分星野文昭さんが逝去されました。
医療センターから星野暁子さんに連絡がありました。
暁子さんは、昨夜対面した後一度戻り、本日、明日朝9時に医療センターに行きます。
手術が成功したと聞いて心から喜んだだけに、本当に残念です。詳細は後日掲載します。

星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議

星野受刑者が収容先で死亡 渋谷暴動事件で無期確定

 1971年、東京・渋谷の沖縄返還協定反対闘争で警察官を殺害したとして、殺人罪などで無期懲役が確定した星野文昭受刑者(73)が30日、収容先の東日本成人矯正医療センター(東京都昭島市)で死亡したことが分かった。関係者によると、5月に肝臓がんの手術を受けていた。
 事件は71年11月14日に発生。米軍駐留を認めた沖縄返還協定の調印に反対する学生らのデモ隊が暴徒化し、東京・渋谷で、機動隊や派出所を火炎瓶や鉄パイプで襲撃した。新潟県警の巡査が死亡、同県警の別の警察官3人も重傷を負った。
 星野受刑者は無罪を主張したが、87年に最高裁で無期懲役が確定した。
(共同)

直前の経緯
星野さん、肝臓がん切除 容態急変し暁子さんが面会
5月28日、星野文昭さんの肝臓がん切除が、東京・昭島市の東日本成人矯正医療センターで行われた。手術時、家族のセンター内での待機を要求したが、矯正医療センターはこれを認めず、暁子さんと支援はセンター門前の車で待機し続けた。途中から暁子さん、いとこの星野誉夫さんら家族はセンター内に入ることができた。5時間の大手術後、主治医は星野暁子さんに「手術は無事終わった。病巣は全部取った。現在、星野さんも意識が戻って病室にいる」と告げた。

ところが翌朝8時前、矯正医療センターから暁子さんに「周術期出血に伴う急性肝不全で重症状態です。すぐ来てください」と電話が入り、暁子さんと誉夫さんが急きょセンターへ。再審弁護団の和久田修弁護士、全国再審連絡会議の狩野満男共同代表、三多摩・救う会、革共同も門前に駆けつけた。

 午前11時、暁子さんと誉夫さんが病室に入り、文昭さんと対面した。文昭さんは呼吸が荒く苦しそうだったが、しっかりと目を開き、暁子さんの呼びかけにうなずいた。2人が86年9月に結婚して33年、初めてのアクリル板なしの「会話」だった。

その後、主治医と面談、「手術中に出血が多かったが止まった。しかし、午前5時に血圧が下がり、ショック状態に陥った。出血が続いていたということだろう。肝機能、腎機能が不全に向かっている。現在、輸血、輸液、昇圧剤で手当てしている」というのだ。血圧も100まで回復、文昭さんの生きるための闘いが続いた。「絶対に死なせるわけにはいかない。こんないい人がなぜこんな目に会うのか」と暁子さん。

しかし夜になって、再び矯正医療センターから呼び出しがあり、暁子さんは文昭さんの元へ。暁子さんが手を握ると、文昭さんは最大の力を込めて強く握り返した。急を聞いた岩井信弁護士、杉井吉彦医師、三多摩・救う会、婦人民主クラブ全国協など30人が門前に駆けつけた。

 30日午前7時、センター内の待合室で文昭さんの回復を祈りながら一夜を明かした暁子さんが、文昭さんの元へ。暁子さんの手を握り返した手には、前夜ほどの力はなかった。しかし、文昭さんは必死に生きようとしている。暁子さんは声をかけ続け、身体をさすり、熱く抱きしめた。なんとしても文昭さんの命を守らなければならない。

 星野文昭さんはでっち上げ逮捕から44年、非人間的な拘禁状態にありながら誇り高く生きてきた。「誰もが人間らしく生きることができる社会を」と呼びかける星野さんの解放は、沖縄を始め全労働者民衆の声だ。
星野さんの命を守ろう!

以下、転載します。

テント日誌7月31日(日)
経産省前テントひろば1785日
 
緊急連絡 最高裁の決定(高裁判決支持)が出た模様です。詳細は
後にお知らせします。緊急記者会見。8月2日、13時から。テント前
広場(M
 
【ご案内】経産省前テントひろば緊急記者会見
~最高裁上告棄却を受けて~2016年8月1日 経産省前テントひろば
 8月1日、テントに更に残念な報が届きました。
最高裁判所第一小法廷が、東京高等裁判所「土地明渡請求及び参加申出事件」について、上告を棄却し、テント側の敗訴が確定しました。
 2011年9月11日の設置後もうすぐ4年11カ月を迎えようとしている経産省前テントひろばに対して、テント撤去と損害賠償などが政府による強制執行が心配される中で、緊急記者会見を開催し、『声明』を読み上げ、経産省前テントひろばと弁護団から今後の対応について説明します。
 多くの記者さんにお出かけいただきたくご案内申し上げます。

日時:2016年8月2日(火) 13時~14時
主催:経産省前テントひろば
場所:経産省前テントひろば
経産省前テントひろば〒100-0013東京都千代田区霞が関131
電話:070-6473-1947 メール:tentohiroba@gmail.com 
ブログhttp://tentohiroba.tumblr.com/
発言:
(脱原発テント弁護団)河合弘之団長(確認中)、大口昭彦、一瀬敬一郎
(テントひろば上告人兼申立人)正清太一、淵上太郎、寺崎明子、高瀬晴久
(応援)落合恵子さん(依頼確認中)
黒田節子さん(原発いらない福島の女たち)、亀谷幸子さん(被災者)

博識の乱さんの話は面白かった
 
今日はいつもより少し早く家を出て都知事選の投票を済ませてテントへ。
投票場はガラガラだった。期日前投票した人が多かったのかな?
いつもより少し遅れてサイクリングの二人が寄って下さり、やはり話題は都知事選。しばらく雑談して記念写真を撮り、また皇居の方へ走って行かれた。
今日は「辺野古新基地建設断念を求める全国交流集会」があったので泊り明けのSさんもそちらへ出かけ、座り込む人がいつもより少なかったので乱さんが残ってくれた。
 
朝から黒い雲があって怪しげだったが12時過ぎにやはりにわか雨がきた。
激しい降りだったので仕方なくテントにこもり博識の乱さんの話を聞く。
東京湾のあたりに氷室を作り雪国から除雪したものを保存して夏の暑さ対策に利用すればよいとか次々色々なアイディアが出てくるので面白かった。
訪れる人はなかったが、通りがかりに良いことやっていますね。
頑張って下さいと声をかけてくれる人もいて嬉しい。
 
2時過ぎ三上さんが来てくれたのでやっと乱さんが帰れた。
その後毎日来て下さるM子さんも現れた。
彼女の脱原発・反戦にかける情熱には脱帽です。
2テントのHさんも来て人数が増えたので私は安心してテントを離れた。
(I・K)
 
元気が出ない夜のテント
 
テントの蚊帳の中で仮眠しながら、都知事選の結果を携帯で検索していると、何と投票終了時刻になる前なのに、小池圧勝、益田、鳥越負けの画面がみつかった。そして、8時になるとNHKラジオニュースでもすぐに同結果を出口調査からと報道。がっくり。
 
【以下略】
(K・M)

同じメールの後半ですが。【以下引用】
三反園訓鹿児島県新知事、川内原発の停止要請へ 権限なく異例
【三反園訓鹿児島県新知事、川内原発の停止要請へ 権限なく異例】
毎日新聞2016729日東京朝刊

http://mainichi.jp/articles/20160729/ddm/002/010/107000c

 鹿児島県知事に初当選した元テレビ朝日コメンテーターの三反園訓(みたぞのさとし)氏(58)728日、新知事に就任し、国内で唯一稼働している九州電力川内(せんだい)原発1、2号機(同県薩摩川内市)の一時停止と点検を、8月下旬から9月上旬に申し入れる考えを表明した。知事に稼働中の原発を止める法的権限はないものの立地自治体の要請を一蹴することは困難とみられ、政府や九電は苦しい判断を迫られそうだ。
【杣谷健太、遠山和宏、門田陽介】

 「熊本地震があり、原発は本当に大丈夫かという不安が県民の間にある。九電に強く(一時停止を)申し入れる」。停止を選挙公約に掲げていた三反園知事は就任記者会見で明言した。九電の3号機増設計画についても「今の状況では難しい」とし、「原発に頼らない社会に一歩でも二歩でも近づける」と述べた。

 原子炉等規制法では、自然災害で事故が起こる恐れがあるなどの場合、原子力規制委員会が運転停止を命じることができるが知事に権限はなく、三反園知事の要請は極めて異例。一方、首相レベルでは「政治判断」で停止させた例はある。

 東日本大震災から2カ月後の20115月、南海トラフ巨大地震の震源域にある中部電力浜岡原発(静岡県)に対し、菅直人首相(当時)が運転停止を要請し、中部電が受け入れた。浜岡原発はこれ以降、再稼働できないままだ。米スリーマイル島原発事故(1979年)後に、当時の大平正芳首相が、同じ形式の関西電力大飯原発1号機(福井県)の停止を求め、2カ月停止したこともあった。

 三反園知事は会見で「権限のあるなしに関係なく、県民の不安に応えるのが知事の責任だ」と主張。九電は「熊本地震後にも安全性を確認している」(幹部)と、運転停止にすぐに応じる考えはないが、法的な定期検査のため1号機は106日、2号機は1216日に停止する予定。九電は、それぞれ約2カ月後には再び稼働させたい考えだが、計画どおり運転再開できるのかが焦点となる。

 九電内には「知事が運転再開に強硬に反対すれば、ためらわざるを得ない」との声がある一方、「知事の意向で原発が止まる前例を作れば、全国の電力会社に影響する」との懸念もある。政府は平成30年度(2018年度)の電源構成比で、原発の割合を「20%~22%」とする目標を掲げているが、達成には全国42原発のうち30基程度の稼働が不可欠だ。経済産業省も鹿児島県の動きが全国に広がることを警戒する。

 首藤重幸・早稲田大法学学術院教授(原子力行政法)は「法的には、自治体が原発を止めるのは無理かもしれないが、政治レベルでは可能。(住民の安全を守ることを自治体に求める)地方自治法の精神を再認識することが大事だ」と指摘する。
避難計画、鹿児島県が独自調査
 三反園知事は川内原発の安全性や避難計画について県独自で調査する第三者組織「原子力問題検討委員会」(仮称)を設置する方針だ。
 三反園知事が問題視しているのが、川内原発が事故を起こした際の住民の避難計画の実効性だ。政府の指針は、原発から半径5キロ圏の住民は事故の兆候があったら、すぐに避難し、530キロ圏の住民は原則屋内退避して線量が上がれば30キロ圏外に避難する仕組みで、周辺自治体はこの指針に沿って計画を作成している。
 しかし、震度7を2度記録した熊本地震では余震への不安から多くの人が屋外に避難し、高速道路や国道などの避難経路も寸断された。地震と原発事故が同時に起こる複合災害下で、避難計画が有効に機能するのかといった論点が検討委のポイントになりそうだ。
 
鹿児島県だけでなく、立地自治体は避難計画に不安を抱える。福岡市で728日開かれた全国知事会議でも、福井県に隣接する滋賀県の三日月大造知事は「大規模地震が発生した時に、多くの住民が屋内にとどまることに懸念を抱くと思われる」と指摘。島根県の溝口善兵衛知事も「屋内避難といった防護対策の見直しが必要。政府全体で考えるべきだ」と提案した。
 避難計画は国の指針に従って自治体が作る一方、国がその実効性を審査する仕組みはなく、再稼働の要件に含まれていない。避難計画を独自検証する動きが全国に広がれば、今後の再稼働のハードルが上がる可能性もある。
九州電力川内原発を巡る経過と今後の流れ

20149月  1、2号機が原子力規制委員会の審査に合格
   11月  鹿児島県の伊藤祐一郎前知事が再稼働に同意
2015
8月  1号機が再稼働
   10月  2号機が再稼働
2016
710日 鹿児島県知事選で、三反園訓氏が伊藤前知事を破り初当選
     728日 三反園氏が知事就任
 8月下旬〜9月上旬? 三反園氏が九電に1、2号機の停止要請
 10 6日 1号機が定期検査のため運転停止の予定
 1216日 2号機が定期検査のため運転停止の予定

FS
 【以下略】

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