全学連・松尾委員長の離脱の経緯が知らされた。
以下は私が簡略化した経緯だ。
まだ「除名」前、それも06年に失脚する以前の梶さん(高木さん)から聞いた話。
松尾さんが姿を消してから後、「松尾さんはどうして?」と聞いた。
松尾さんはある日突然前進社から姿を消した。
人を介して梶さんに「離脱したい」旨を伝えてきたのだという。
で、何度か、外で、梶さんが会って説得し翻意を促そうとした。
けれど結局は気持ちが変わらずに、最後は清水さんの裁可を得ることになったという。で、清水さんは受け入れた。最後は互いに「良かった良かった」ということになったらしい。
外で会うときも、松尾さんは必ず、約束の時間を遅れて出てきたという。
「拉致されるのがこわくて、周囲の様子を見てから姿を表した、ということだろうね」と梶さん。
「なんで松尾さんは辞めたの?」という疑問には「結局、学者になりたかったんだろうね。そんな夢を捨てられなかったんだろうね」とか。
【注】正確にはいえないが、松尾氏が離脱してから大学に進んだまでにはそう時間差もなかったと思える。今井公雄さんが逃亡してからやはり清水さんと(この場合は)直接面談して「秘密の正式離脱」するにはもう少し時間がかかったと思う。
清水さんの人事にはこういう面もあったのだと、驚きでもある。
ま、指導部や最高指導部には、それだけの裁量権と裁量の幅・ブレがあるというに過ぎないのかもしれない。驚くほうが政治や組織の「幼児性」を自白するようなものか?「政治を語る初歩」を改めて思い知る次第だ。
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