タグ:法学

 『争論』記事の主要部分を転載する。

【以下引用】

岸・水谷両氏の「あらかじめスパイ説」の虚構

1『救援』縮刷版による「新事実」

『流砂』に掲載された「Q氏の40年ぶりの新証言」と岸・水谷両氏による補足的「分析」による荒川氏の「あらかじめスパイ」論が崩壊した。

今回明らかにしたい事実は、「荒川氏の保釈は75年前半である」ことだ。

(『救援』縮刷版によると75年前半。75年6月説もあるが、議論としてはこれでも十分過ぎるのでとりあえず75年前半説とする。つまり1月~6月。詳細は後述)
…【中略】

2 両氏の「あらかじめスパイ」説
…【中略】

3 「荒川だけ保釈」云々はデマ
今回明らかになった事実は上記の②の虚構=デマの崩壊だ。
結論は以下のとおり。
 
荒川氏の保釈は、両氏説から3か月~半年以上あとの75年前半である。
 
このとき奥深山氏はすでに出所していたこと。また星野氏は未だ逮捕もされていなかったこと。
よって「同じく起訴され裁判闘争をたたかっている星野文昭さん、奥深山幸男さんと切り離して荒川だけ保釈となったこと」論はまったくの虚構であること。
 
【以下略】

詳細は以下から


とりあえず、メモとして構成と要旨を記しておきたい。
おいおい検討して…

「荒川碩哉 スパイ捏造と財産略奪策動を弾劾する」
模索舎でも販売中
 
(はじめにの部分)
わたしは、わたしをスパイとして除名した党中央(革命的共産主義者同盟)を弾劾する。
わたしは断じてスパイではない。わたしは一人の革命的共産主義者である。スパイ捏造を許さない。しかもこの問題は、わたしの財産の略奪策動と一体である。わたしは白昼公然とした強盗行為を許さない。さらに、わたしと「有無を通じていた」としてスパイ呼ばわりし、機関紙「前進」に名前を公表・列挙した諸氏に対して謝罪せよ。いや、記事そのものの撤回と謝罪を求める。党中央への批判を封殺するための反対派狩りをやめよ。…
 
内部粛清ねらうスパイ捏造
「除名分子・反党分子=スパイ」と規定
「前進」への批判は、事実を語るだけで十分である…。
 
摘発の根拠は党中央への批判
第一に、わたしは内調、公調のスパイであったなどというのは、完全な捏造である。当然にも、発表された文面をいくら読んでも、わたしがスパイだと断定する根拠が何一つ示されていない。

(Ⅰ)決定的なのは、わたしがいったいどこのスパイなのかという核心部分が、まるではっきりしない。主張はこの一点ですでにグラグラである。
スパイと断じた「主要な三つの発表文」をきちんと読めば歴然とする。

(Ⅱ)そこで何が話されたというのかとなると、たちまちにして何一つ具体的ではない。
「党の内部情報から全国の情報、さらに新左翼諸党派、体制内労働運動にいたるまで情報網を張り、情報の分析までやってみせ・・・」
などと一般論になる。スパイと特定できる事実など何ひとつ存在しないのだ。
(Ⅲ)さらに声明にはほとんど具体的事実が書かれていないなかで、唯一例外といえるのはスパイ活動を始めたとする時期の部分である。
(Ⅳ)「膨大な告白文書」についてである。天田の基調報告では「自白文書」に変わっている。「告白文書」というのならば言い得て妙だが、「自白文書」なら大違いである。
 
なぜ銀行内(貸金庫)で三人が逮捕されたのか
 第二に、なぜ三人が逮捕されたのか、また逮捕された場所が銀行の貸金庫だったのか、逮捕劇と貸金庫を巡る事態について、党中央はなぜ沈黙しているのか、についてである。
(貸金庫事件についての詳細な事実経過と思い)

白昼公然と銀行強盗を策動  これが「革命党」の行為か
 第三に、ではなぜ銀行強盗などという愚劣な行動に走ったりしたのか。
 監禁・査問の目的が明らかに途中から変わった。わたしの反党分子への共鳴や党中央批判の態度に対して、天田は「再生不能だな」と漏らしたらしい。芋づる式に拡大し続ける反党分子の摘発は、先を見通せない状態まで泥沼化していた。     
 さらには監禁・粛清が続いている党内動向に、権力が注視し、弾圧の機会を狙っていた。すでに監禁・査問の事態は権力の知るところとなっていただろう。術後処置の通院の異常な監視体制と不自然な対応、自宅や監禁場所での出入りや異様な雰囲気が一か月近くも続けば、もはや隠しようがない。査問中も坂木らは極度にガサを恐れていた。硬直した事態の打開が早急に求められていた。そこで財産に着目し、略奪して決着しようとしたのだろう。【中略】
 
 この方針の転換を聞いて脱出をはじめて考えた。財産を略奪したいだけではないか。こうした構想をする人間は天田以外には考えられない。
 
路線なき野合と内部粛清
 第四に、「前進」では「日帝国家権力の狙いとは何か」として、血債主義を国鉄決戦の解体のためだとしたうえで、カクマルも日帝国家権力の革共同の分裂破壊攻撃だったと位置づけた。こういう規定は初めてだ。

(Ⅰ)全体を血債主義派と国鉄闘争派の対峙関係に描いている。
【中略】まず、血債主義派か国鉄労働運動派かの二律背反的選択の不毛さである。
【中略】国鉄決戦の問題については、査問中に坂木と、わたしは激しいやりとりした。
【中略】問題は闘う国労と闘争団の獲得になぜ失敗したのかということである。この過程の事実の隠ぺいと総括のあいまいさこそが、その後の三人組の行動綱領といってもいい。すぐれて党の2000年「四党合意」攻防以来の指導の失敗である。
 
【中略】新指導路線から始まり、2007年の党の革命にまでとどまることがない一貫した中野氏の意識は、党中央の解体的出直しであった。
 
(Ⅱ)スターリン主義を越えて、とかスターリン主義批判を繰り返しているが、これもこれだけでは意味不明である。 三人組批判の核心は、スターリン主義的な党運営をやめよ、ということであった。
(血債主義への異同の論述あり)

(Ⅲ)「プロレタリア革命運動の偉大な勝利」と打ち出している。これも唐突で、これだけでは意味不明である。背景は査問の過程から推しはかることはできる。すべては三人組の自己保身である。
【中略】あの勝利宣言の裏には激しい党中央批判が噴出した事実が隠されている。
 
分解する党、メルトダウンする革命の志

 わたしは1967年「10・8羽田」にはじまる「激動の7か月」に身を投じて以来、半世紀を革共同ともに生きてきた。
【中略】満期出所して、まず目の当たりにしたのは党の惨状だった。とりわけ中央指導部の路線的不一致と私党化は目を覆うものだった。獄中の彼らに対し恥ずかしくないのか、と。
わたしは出所後、「前進」編集部への配属を固辞して、より労働現場に近い労対(WOB)をたたかいの場に選んだ。
【中略】が、道半ばでわたしは病に倒れた。しかし党としてたたかった日々に後悔はない。だが今回の事態に直面して、わたしが人生をかけた党が、こんなもんだったのか、と慚愧の念でいっぱいである。
【中略】「党の革命」で打倒されたのは一部の政治局員だけではない。中央全体が打倒されたのだ。三人組も同罪である。
【中略】「革共同50年史上の最大の勝利」とまで極言する三人組に対して、まともな論議が成り立つとは思われない。権力を守るためには今回以上のデマや捏造に走ることは目に見えているが、慎重な配慮のうえで、疑いを払しょくするために事実の一部を明らかにした。

(注)最後のコメント欄には以下の注が付いている。
 「管理人」だけに連絡したい場合もここに書き込めるということ。
 公開を求めるときにはその旨、か。
 不安な場合は、ためしに冗談絡みで「テスト」と書いてテスト送信してもいい。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

↑このページのトップヘ