年末には思い出すものですね。

10.8羽田の後の68年ごろでしょうか?
法政の旧友から教わった替え歌は実に面白かった。
「キラリ╮光ったヘルメット
燃えるこの身はデモの中
反帝反スタ~??
その名は 中核全学連」
二番は民青全学連でした。

網走番外地 唄:高倉健 」のメロディです。

旧友は実は経済学部政経のミネ。詠み人知らず。
しかしまぁ、この頃の法政には実に面白い連中がバッコしていましたね。
羽田の時に3派の解放派を叩き出した後も他の諸党派や黒ヘルはまだ学内で活動していました。
サークル活動も活発で、学生運動を支えるの分厚い層を形成していました。
埼玉では活動家はまずクラス代表になり、飲み会その他のイベントを呼びかけて、学生同士の交流の場を作ることに心がけることから始めました。寮生の私たちは、民青主導のスケートや山登り?にも喜んで参加していました。

同じく。
 スーダラ節 植木等 (1961)
の替え歌
「①ちょいと一回のつもりでデモりゃいつの間にか活動家
気がつきゃ全学連の中央執行委員
これじや就職できるわきゃないよ
分かっちゃいるけど止められねぇ」
②「軽いつもりでブンドを造りいつの間にやら????
気がつきゃ革共同に自己批判させられ
これじゃ革命できるわきゃないよ
分かっちゃいるけど止められねぇ」

自虐·自嘲·諧謔·風刺…自分たちをクールに笑うのも、一つのスタイルだったような。そう、ここにも共産党=民青との対比があったような。共産党の「正統派」を唄う黒い歴史はつい先日まで。戦中派や皇国少年がまだ30代の時代。

ついでに女性たちにも人気のあった歌を載せましょう。替え歌ではありません

圭子の夢は夜ひらく 」😃🎵
個人的な想い出もあります
「明日はジョージかケンボウか」

「恨み節」梶芽衣子 」 解説不要ですね。

ジュリーは省略

コロナ下で学生生活もいっそうたいへんだという昨今ですね。「学生を救おう」という運動や世論も起こりました。
お金がなくとも「学生さんだからね」と顔見知りの食堂などは「出世払いでいいよ」と寛大に対応してもらえた世の中も今は昔。
蒼玄寮の先輩の前輝さんなどは三年生頃まではバイトの収入を大阪の実家に仕送りしていました。

時は下って80年代の東北大の寮OBの弁。
「新歓では新入寮生に浴びるほど飲ませた。そのために上級生は巡回班を組織して夜中中各部屋を
廻った」「泥酔した奴には吐かせて、いざという時には…」
近所の人々も病院・個人医もトンペイOBだったりして暖かく見守ってくれていたんでしょうね。

近頃は高齢者の「歌声運動」も再燃しているとか?

ところで、団塊ジュニア世代のある女性のかつての弁が今も印象的です。
「明治大学はいいよ。安いジーンズ一本あればそれで四年間過ごせる。うん、法政も同じだね。
でも上智や慶応じゃあ無理。浮いちゃう」
たぶん我が埼玉も地方の公立として明治に準じる気もするけど、果たして?

さて、今年の紅白の酉はMISIA。
氷川きよし『歌は我が命』は改めて印象に残りました。
「ジェンダー」は日々の隣人や「仲間」付き合いの在り方や自己表出そのものですね。「戦略・綱領」での議論も大事でしょうが、日々の「党生活」の基礎でもありそうです。
               
成人式の頃には徐々に再開したい、そう念じています。

今年もよろしく
白土 

Ps たぶん、この項は後で編集し直すことになりそうです。
【追】改定·増補の③になりました。
【補足】たぶん完成ですが、コメントや助言をもらえれば増補や新章にしたいと思いますのでよろしく。