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旗旗さんのHPから。
故・戸村委員長の遺作の全文がある。
印刷してじっくり読むのが望ましい。

 第一回 帰郷(1)http://bund.jp/img/kaiko/novel/hyousi1.jpg

 一九四五年八月一五日――ついに日本の敗戦の日が来た。
 木川武治の郷里は芝山町菱田の辺田(へた)部落だった。武治がそこに帰ってきたのは、その年の一〇月二五日だった。

 一〇月といえば農村は農繁期のさなかで、猫の手も借りたいせわしさだった。農繁期の農家はどこを訪ねても空家同然で、留守番といえぱ猫か鶏くらいのものである。
 そんな辺田部落に、彼は何の前振れもなく漂然と帰ってきた。軍隊生活が長く、下士官の肩書まで持っていた彼は、敗戦軍人のうらぶれた姿を、郷里に曝したくはなかった。
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三里塚闘争の実像を記した古典的名著。
「帰郷」は戦場からの復員からはじまる。

啓蟄が過ぎると春の赴きも一段と進む。
暖かい日にはお客も増える。人間も温かくなるとねぐらから這い出てくるものらしい。
 
春の長雨がつづく。
最近気が付くのは、道路の水溜りが少なくなったことだ。
よく見ると、アスファルトが変わっている。
一見ザラザラな、気泡が噴出したようなアスファルト舗装が続く。
なるほど。これが「防音・吸水」のアスファルトか‥。
 
数年前から道路工事の現場に「防音・吸水の工事中」の看板を見るようになった。
駐車場の舗装には早くから始まっていたように思うけれど、こんなに早く都心の主要感染の改修が進むとは思ってもいなかった。
 
趣旨としては大歓迎だ。
水不足であれ大雨の道路冠水であれ、治水の観点からも望ましい。
都心に降った雨のほとんどを下水に流しておいて、長野や群馬にダムを築いて、しかも下流の枯渇を招いて平然とする東京都(そして都民生活)にはうんざりしていた。
夏の暑さの一因に、「アスファルトの罪」があることも明らかだ。
大地にしみこんだ雨水が蒸発して涼を呼ぶ。それを封じ込めた舗装が憎い。
 
けれども試行としての吸水舗装は長く進展しなかった。
しばらく経つと目詰まりしてしまう。道もタイヤも傷み、粉塵が増すなどの失敗を繰り返していたのだと聴いている。
 
それらの難問をクリアーして本格的に改修が進んでいるのだとすればうれしいことだ。
 
けれど、それならそれで、なぜ、自慢げに大々的な広報をしないでこっそりと進めるのだろう。
疑問だ。技術的・採算的に未完成のまま、ゼネコン救済の公共土木の再活性化を狙ってきたのではないかと疑り深くなる。
真正面から、それらの検証をして欲しいところだ。
 
それはそれとして、交通安全の観点からも、大々的な広報が必要に感ずる。
新技法は雨の日のスリップを減らすという点でも良い。
だからこそその事実を十分に熟知しないと逆に思わぬ大事故になる。
スリップしない平面と、スリップするポイントとのギャップが大きくなるからだ。
危険を忘れて雨の中を飛ばすと大変なことになる。
 
道路の真ん中にあるマンホールのフタ。
道路に書かれた白線ほかのペイント。
そして、またまた掘り起こされる水道・ガス工事の跡。ここでは昔どおりの舗装が多い。
さらに坂の谷部分だけが水を十分含んでいる。
 
交通安全の啓発にも、道路工事の許認可にも、重点的に取り組むべきではないだろうか?
 
「良いことは良い」といい切れないこの消化不良。
何とかして欲しいもんだ。
 

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