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仮釈不許可と医療センターへの移管や手術ほか
【以下転載】

追悼投稿

青羽玲音 @aoba_lain 18 時間18 時間前

① 昨日の21:44に星野文昭同志が逝去されました。星野同志は沖縄闘争に連帯して渋谷暴動闘争に参加し、そこで機動隊員が1人死亡したことの「実行犯」として冤罪を被り、デタラメな「証言」や「証拠」を元に無期懲役となり、獄中に44年いたことになります。まずは哀悼の意を表したいと思います。

② 星野同志は昨年初めから体調を崩していました。昨年の8月22日、激しい腹痛と血が逆流するような感覚に陥って倒れたそうです。しかし徳島刑務所の医師は「胃けいれん」と診断しただけでまともな検査も行わず、星野同志は以降、体重が減少し食欲がなく、酷い疲労感を感じるようになっていったそうです。

③ 家族・弁護団・救援会が医療データの開示や検査などを何度も要求しましたが、徳島刑務所は無視し続けました。体重が6キロも減少した今年3月4日になってやっとエコー検査が行われましたが、刑務所は検査結果を星野同志に伝えず、家族や弁護士に対しても隠し続けたのです。

④ 結局肝臓ガンだったわけですが、星野同志自身も「ガンかもしれない」と危機感を吐露していました。家族・弁護団は更生保護委に、「星野さんの健康状態を責任もって調査し、重篤な病気ならば解放し、信頼できる病院で検査・治療ができるようにすべきだ」と懸命に訴えてきました。

⑤ 徳島刑務所は星野同志がガンであると知りながら、仮釈放させないためにそれを押し隠し、治療の機会を奪ったのです。そして仮釈放の不許可が決まった直後の今年4月18日に徳島刑務所から東日本成人矯正医療センターへ移監されました。ここでガンであることが伝えられたのです。

⑥ 医療センターでは食事なども徳島刑務所より良くなり、ある程度体調も回復したようですが、今月28日にガンの手術を行ったそうです。手術自体は成功したようですが、29日の朝から容態が悪化し、出血が止まらなくなり、意識も失ってしまったようです。星野暁子さんも「面会」したそうですが、たった10分。

⑦ その後も星野同志は懸命に生きようとしましたが、昨晩9時44分、逝去されました。 本当に悔しく、悲しいことです。

⑧ そのうえでまず、星野同志は無実であること。これは事件当時の写真や証言で「犯人」とされた人物と星野同志の服装がまったく違うこと等々で明らかです。権力がでっち上げた「証拠」だけで有罪になってしまったのです。更に権力は都合の悪い証拠を隠しているので、こちらは全証拠開示を求めていました。

⑨ そして次に、今回の星野同志の死亡は国家権力による虐殺だということです!重いガンであることを知りながら放置した徳島刑務所と更生保護委員会の態度が原因です。手術した翌朝に体調急変ということもあり、明らかに対応の遅れが引き起こしたものであり、断じて許すことはできません。

⑩ 私たちは偉大な革命家、しかしながら無実であった星野文昭同志を虐殺した国家権力を絶対に許しません。更にこれは星野闘争だけの問題ではありません。今までどれだけの「受刑者」が医療を受けられずに亡くなっていったのかということです。
【注】「宝の山」さんは私にとっては正体不明ですが…全国再審連絡会議や『前進』の記事などの要旨をまとめてくれています。

新藤 健一(元共同通信)
釈放請求の星野文昭さん肝臓がんで死去 
移送先の医療センターで
1971(昭和46)年11月14日、東京 渋谷で沖縄返還協定に抗議するデモで中核派が投げた火炎ビンで機動隊員1名が死亡した。
...
この事件で現場を指揮していたとして当時、高崎経済大学の学生 星野文昭さんが逮捕された。星野さんは一貫して無罪を主張してきたが殺人罪などで無期懲役が確定した。徳島刑務所での獄中生活は45年近くになった。
今年4月18日、星野文昭さんは突然、東京都昭島市の横田基地近くにある「東日本成人矯正医療センター」に移監された。前夜 家族には徳島刑務所から「エコー検査に異常があったので移監する」と連絡があり、翌朝護送車など3台の車を連ね、手錠、捕縛のまま移動し、トイレも車内で済まされるなどして夕方医療センターに着いた。
28日同センターで肝臓がんの手術を行い成功の報。
だが翌29日未明から容態が急変し危篤状態にあった。
30日夜、医療センターから妻の星野暁子さんに「星野文明さんは同日午後9時44分、死去した」と連絡があった。

なお星野文明さんの再審を求めてきた岩井信弁護士(通知人)は次のような「通知書」を医療センターに送った。
▼徳島刑務所の責任は重大
 通知人やその家族、弁護人らは徳島刑務所の段階から、本人の体調がすぐれないことを、長らく、また繰り返し、具体的な症状をもって指摘し、適切な検査を求めてきました。当職らも何度も書面を送付してきました。にもかかわらず、肥大化した患部を有する進行癌が突然発見され、突然貴医療センターに移監されたことは、徳島刑務所の医療措置に重大な過誤があったことを示すものです。
 
特に仮釈放審理において「心身の状況」は調査事項であり(犯罪をした者及び非行のある少年に対する社内における処遇に関する規則第18条4号)、同事項に変動があった場合には刑務所長には保護観察所長への通知義務があります(同規則第7条8号)。
 この点、遇知人は3月4日、エコー検査を受けています。エコー検査は、超音波を発する装置を当て、音波のはね返る様子を画像にすることで体内の状態を観察する検査であり、結果は直ちに判明するものです。
特に、患部の大きさは肝臓の半分ほどで非常に肥大化していたのですから、刑務所は少なくとも検査直後に直ちに患部を認識、把握していたはずです。
▼仮釈放の意図的な妨害行為
通知人は4月17日の移監前夜になってはじめて、徳島刑務所の医務担当からエコー検査の結果、肝臓に問題があり、医療施設での検査が必要という結論になったことを知らされました。3月14日には、四員会の井坂委員長が通知人と直接をじていますが、その際にもエコー検査の結果には言及されず、ことさら体調についても話題になっておらず、同検査結果を把握していなかったと思われます。
 
仮釈放審理の結果通知の直後に突然、貴医療センターに移送するほどの病気の疑いが告知されたことは、通知人に進行癌の疑いがあるという「心身の状況」について徳島刑務所が隠蔽したか、もしくは適切に報告せず、その結果、仮釈放を認めさせないように画策した疑いがあります。仮に徳島刑務所において通知人の「心身の状況」について正確な報告がなされていなかったとすれば、仮釈放をしないという四国地方更生保護委員会の判断の前提に誤りがあったとの重大な疑いが生じています。
 また移監方法も、手錠をしたまま徳島から昭島まで1日かけた車での移動によるものであり、トイレも車内での簡易トイレを強要されました。貴医療センターの医師の説明によれば、最悪、何らかの衝撃で破裂する可能性もあるほど患部は肥大化していたのであり、車での1日かけた移動は、およそ進行癌の疑いのある患者に対する配慮がない極めて非人道的なものです。
釈放請求の星野文昭さん肝臓がんで死去 
移送先の医療センターで
1971(昭和46)年11月14日、東京 渋谷で沖縄返還協定に抗議するデモで中核派が投げた火炎ビンで機動隊員1名が死亡した。
...
この事件で現場を指揮していたとして当時、高崎経済大学の学生 星野文昭さんが逮捕された。星野さんは一貫して無罪を主張してきたが殺人罪などで無期懲役が確定した。徳島刑務所での獄中生活は45年近くになった。
今年4月18日、星野文昭さんは突然、東京都昭島市の横田基地近くにある「東日本成人矯正医療センター」に移監された。前夜 家族には徳島刑務所から「エコー検査に異常があったので移監する」と連絡があり、翌朝護送車など3台の車を連ね、手錠、捕縛のまま移動し、トイレも車内で済まされるなどして夕方医療センターに着いた。
28日同センターで肝臓がんの手術を行い成功の報。
だが翌29日未明から容態が急変し危篤状態にあった。
30日夜、医療センターから妻の星野暁子さんに「星野文明さんは同日午後9時44分、死去した」と連絡があった。
なお星野文明さんの再審を求めてきた岩井信弁護士(通知人)は次のような「通知書」を医療センターに送った。
▼徳島刑務所の責任は重大
 通知人やその家族、弁護人らは徳島刑務所の段階から、本人の体調がすぐれないことを、長らく、また繰り返し、具体的な症状をもって指摘し、適切な検査を求めてきました。当職らも何度も書面を送付してきました。にもかかわらず、肥大化した患部を有する進行癌が突然発見され、突然貴医療センターに移監されたことは、徳島刑務所の医療措置に重大な過誤があったことを示すものです。
 
特に仮釈放審理において「心身の状況」は調査事項であり(犯罪をした者及び非行のある少年に対する社内における処遇に関する規則第18条4号)、同事項に変動があった場合には刑務所長には保護観察所長への通知義務があります(同規則第7条8号)。
 この点、遇知人は3月4日、エコー検査を受けています。エコー検査は、超音波を発する装置を当て、音波のはね返る様子を画像にすることで体内の状態を観察する検査であり、結果は直ちに判明するものです。
特に、患部の大きさは肝臓の半分ほどで非常に肥大化していたのですから、刑務所は少なくとも検査直後に直ちに患部を認識、把握していたはずです。
▼仮釈放の意図的な妨害行為
通知人は4月17日の移監前夜になってはじめて、徳島刑務所の医務担当からエコー検査の結果、肝臓に問題があり、医療施設での検査が必要という結論になったことを知らされました。3月14日には、四員会の井坂委員長が通知人と直接をじていますが、その際にもエコー検査の結果には言及されず、ことさら体調についても話題になっておらず、同検査結果を把握していなかったと思われます。
 
仮釈放審理の結果通知の直後に突然、貴医療センターに移送するほどの病気の疑いが告知されたことは、通知人に進行癌の疑いがあるという「心身の状況」について徳島刑務所が隠蔽したか、もしくは適切に報告せず、その結果、仮釈放を認めさせないように画策した疑いがあります。仮に徳島刑務所において通知人の「心身の状況」について正確な報告がなされていなかったとすれば、仮釈放をしないという四国地方更生保護委員会の判断の前提に誤りがあったとの重大な疑いが生じています。
 また移監方法も、手錠をしたまま徳島から昭島まで1日かけた車での移動によるものであり、トイレも車内での簡易トイレを強要されました。貴医療センターの医師の説明によれば、最悪、何らかの衝撃で破裂する可能性もあるほど患部は肥大化していたのであり、車での1日かけた移動は、およそ進行癌の疑いのある患者に対する配慮がない極めて非人道的なものです。
【注】新藤健一さんは星野署名の賛同人でもあり「新藤健一意見書」を作成した人でもある。
画像に含まれている可能性があるもの:1人、スケッチ

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(1)明日、八王子へ行くんだよ!
    ほぼ三〇年ぶりに一緒に暮らす
(2)自分の歳も分からなくなった
(3)「家族だろうが、どこだろうが、何を言われてもいい」
(4)転倒して骨折

【注】ちたさんは武の母。裕子による介護記録。
     武によれば「嫁と”認知症ばあさん”との、奮闘記」
  156頁
 頒価500円

『争論』にアップされた7月2日付の群馬I氏の「反論」は、「荒川s疑獄」だけでなく、実は奥深山さんの葬儀の事情にも及んでいる。群馬I氏が反論を送付
 その後も続く疑問と批判に対して、群馬I氏の反論と釈明が続く。
 ここでは奥深山問題について、経緯だけを整理しておこう。

奥深山さんの逝去と葬儀

 はじめに葬儀の経緯を整理しておこう。
 2月7日 奥深山さんの逝去
 2月14日 告別式(13日に通夜)
 事実上、革共同葬(同盟葬)となった。天田書記長ほか奥深山農園には姿を見せなかった「そうそうたる」人たちが全体を取り仕切り、 そのため、多くの同窓生や病友は出席できずだった(葬儀実行委員長は群馬I氏)。奥深山さんの近い友人の多くには知らせもなかった,という。知らせを受けた人の多くも「同盟葬」という形の前に列席を見合わせた人が多かった。

ご家族との関係
 葬儀の場では「(実家のご家族は)ご苦労の中で今では全員が鬼籍に入っています」と説明されたという。だから「同盟葬」なのだと。

 うん。そんなこともあるのかも?とは思ったけど。
 主治医も葬儀に参加していない。あの人が…。葬儀の連絡もなかったのか?
 事実は兄さん姉さんたちが存命していた。きょうだいへの日常的な連絡も報告もなしに「支援」していたのかと驚いた。

荒川さんの欠席と隔離
 「星野・奥深山」に一番心を注いできた荒川さんの不参加はとても大きい。奥深山さんにとっても大切な身近な人だ。本来ならば「友人代表」であるべき人だ。
 高経大OBの会合も奥深山さんにとっても大事な場所だった。学生時代の仲間の空間はだれにとっても、自分を取り戻すかけがえのないものだ。まして奥深山さんにとって…。けれども「荒川スパイ事件」以降、奥深山さんの参加は閉ざされてしまった。「スパイ説」の説明不足への不信感が「スパイ規定」そのものへの疑惑に進む中、奥深山さんの隔離・欠席に進む。

 なんという…。むごい。

 奥深山さんの「病気」も、70年-71年当時の奥深山さんの実像や時代と高経大の空気をともに吸った人でないと共有・共感できない面がある。

遺骨の返還
 5月に入って高経大の関係者が長兄夫妻を訪ねて、「幸男の死亡など初耳だ」と驚かれたそうだ。きょうだいが親族会議をもって対応を決めたという。

 6月、ご家族から遺骨返還の要請。奥深山さんの遺骨は分骨され、2か所に葬られた。一方は青柳さんの安養院(前橋市笂井町、駒形)に、「親族の許しを得て」(分骨として)安置、という形になった。

 中核派に長くいたけど、そんな対応ってあったかな?まずは家族・親族優先が普通だったと思う。ただ、荒川さんへの対応(水谷文書の同封)を含めて、とても群馬I氏の独断や独走とはおもえない。

竹 「事件」から46年、周囲も様変わり、世代替わりもある。そんな中での本人の苦闘や葛藤も計り知れない。献身的に支えてくれた人々には心から感謝する。ただ諸結末は理解の限度を超えてもいる。

 うーん?対Y戦時代も、獄中からの書簡はまず救対あてに送り、点検の上で家族に再送されるということもあったね。その逆も。ただその後、あまりにもひどいと、廃止になったはずだけど…。うーん?

 一連の経緯には中央の直接指揮が有りそうだ。天田体制ってそういうものなんだと思う。残念だけど「違和感」はない…。

 スパイ事件も、その真偽をおいて、「ていねいに説明する」義務、「理解してもらうための努力義務」が中核派にはあったはずだ。それが「奥深山さんの支援」ではなかったのか…。片手間ではなく、群馬I氏の範囲を超えて、だ。
 そう。それは星野・奥深山全体的にかかわる。いわば「戦略的課題」でもある?根深い不信の連鎖…。

 いずれ別の機会に。ひとまず遺骨が親族のもとに帰ったということで…。

『前進』紙上の二つの記事を転載。

先ずは2月14日の「告別式」の記事。
親族が一人も参加しない事実上の「革共同の党葬」だった。
”親きょうだいはすべて鬼籍”と説明されたらしい。しかし、事実はその後明らかになる。今回は記事の照会だけ。

奥深山幸男同志が急逝 遺影に「星野奪還」を誓う
2017223日 『前進』
 

星野文昭同志とともに1971年の11・14渋谷闘争を闘い、「殺人罪」で起訴され公判手続き止中だった奥深山幸男(おくみやま・ゆきお)同志が、2月7日の夕刻、誤嚥(ごえん)による急性呼吸不全で緊急搬送され、気道切開のかいもなく、無念にも同日午後10時8分に逝去した。
 2月14日、前橋市内で行われた告別式には前日の通夜式とあわせ約100人の人びとが参列し、奥深山同志の早すぎる逝去を悼んだ。奥深山免訴弁護団の山本志都弁護士には、仙台から通夜式に駆けつけていただいた。

 日典ラサ前橋のロビーには、奥深山同志との結婚を約束しながら早世した女性との写真など遺品が並べられた。
 びっしり書き込まれたノートと毎年の手帳からは、仲間と談笑し、作句と学習、闘病に立ち向かう同志の姿が浮かび上がって来た。
 午前10時45分に始まった葬儀告別式の始めに、革命的共産主義者同盟の天田三紀夫書記長、「奥深山幸男さんの免訴を実現する会」の大塚正之さん、星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議の狩野満男共同代表が指名焼香をした(全学連の斎藤郁真委員長も通夜式に指名焼香)。高崎経済大学以来の仲間である伊藤成雄葬儀委員長があいさつに立った。
 青柳晃玄氏と青柳晃敬氏の読経の後、弔辞を革共同、奥深山さんの免訴を実現する会、星野再審連絡会議と友人の橋爪利夫同志が述べた。4人の弔辞を聞きながら、参列者は奥深山同志と生前に喜怒哀楽をともにした姿をまざまざと思い出し、涙を抑えることができなかった。
 読経の中、国鉄千葉動力車労働組合や全国の星野救援会、獄中の星野文昭同志からの心のこもった弔電が紹介された。
 最後のお礼のあいさつの後、出棺を見送った参列者は、奥深山同志の遺志をついで、星野同志奪還に全力で決起することを誓った。


奥深山君逝去を聞いて 星野文昭
 奥深山君は渋谷の闘いに参加し、やり切った。彼を支えていたのは、11・14をやり切ったことだった。
 星野の闘いの中に、奥深山の闘いは存在していたし、これからも存在していく。闘いの半ばで亡くなった人たち一人ひとりが、心の中で一緒に生き闘っている。
 星野闘争も含めて、最後の勝利まで、すべての人の解放のために一緒に闘っていこう。

 

   奥深山幸男さんの足跡
1948
614日 長野県佐久市で誕生
1967
4月   高崎経済大学入学
1971
1114  星野さんと共に闘う
1971
11月   学生自治会書記長に就任
1972
2 2日 事後弾圧で逮捕
1972
313日 殺人罪等で起訴
1974
年     この頃幻覚が始まる
1975
626日 保釈決定
1979
1023日 東京地裁懲役15年の判決
1981
715日 公判手続停止の決定
1994
1213日 公訴棄却・免訴を申立
2002
315日 検察官審理再開を申立
2002
917日 山上東医歯大教授が鑑定人
2006
215日 免訴を実現する会請願書
2009
5 7日 山上鑑定不採用
2009
623日 村松慶応大教授に鑑定依頼
2015
415日 免訴を求める会意見書
2016
517日 春日医師の意見書
2016
1015日 転倒して健康悪化
2017
2 7日 太田記念病院で永眠

ずいぶんと休んでしまった。
あれこれの私生活に没かまけて、手付かずの日々を過ごしてきた。
その間、けっこう注目すべき事件や展開があったらしい。

再開するにも手に余ることも多い。
加えてパソコンの不調と買い替えでの諸作業がまだ残っている。
とりあえず、この1,2年に起こった問題を並べて、事実・事象の共有から始めようかと思う。

手始めにと言っては失礼だが、
①岸宏一氏の「遭難」という事実。
②渋谷暴動絡みの諸事件は避けられない。
  ㋑大坂正明氏の逮捕
  ㋺改めて奥深山さんの逝去
  ㋩星野解放に向けての「仮釈放」方針へのコペルニクス的転換
  ㋥荒川s疑獄での新たな動き
    ―――― が、それぞれ大きな事件であるとともに深層・底流で深刻な相互
        連関を伴っていそうだ。
③その他注目すべきいくつかの事件(事象)がありそうだ。
  その一つには、『清水著作選』が久しぶりに刊行されたことも含まれる。
  沖縄、そして米朝の戦争挑発・瀬戸際外交は、一触即発の危機にある。
  「ゼネスト信仰告白運動」の現状と意味合い。
    
④働く現場、生活の現場からの声にこだわりたい。
  そんな中での「闘う現場」の目線と感覚に添える形に近づけたいと願う。

   ま、「近々再開の予告」として私自身を鼓舞するためにこれをアップする、というのが実相に近いといえそうだ。

 【追】三里塚北原反対同盟の北原事務局長の逝去が報じられた。慎んで哀悼の意を表します。

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