昔の友人たちとのメールによる議論を一部削除して転載します。
技術屋さんたちは(年配者は?)反原発アレルギーが激しいのでしょうか?
あるいは私へのアレルギー?
以下
5月7日、2度目の反原発デモ(1万5千人)を呼びかけた「素人の乱」のHPが見つかりました。
■ショップ素人の乱
東京高円寺北中通りを中心に、18?号店舗を数える店です。不思議な品揃えと安さを誇るリサイクルショップ、古着屋、呑み屋/カフェなどをやってます。
http://57nonukes.tumblr.com/
東京高円寺北中通りを中心に、18?号店舗を数える店です。不思議な品揃えと安さを誇るリサイクルショップ、古着屋、呑み屋/カフェなどをやってます。
http://57nonukes.tumblr.com/
今回のデモは、被災地でのボランティア、そして「派遣労働とワーキングプア」の当事者、また敢えていえば「秋葉原」の同世代、つまり20代30代がほとんどらしい。
それとは別に大人たちの大集会もありましたが。
それとは別に大人たちの大集会もありましたが。
さて、ひとまず意見が出揃ったようです。
私はもちろん、原発そのものに反対です。浜岡はもちろん原発の全面廃棄こそがあるべき道だと思っています。
私はもちろん、原発そのものに反対です。浜岡はもちろん原発の全面廃棄こそがあるべき道だと思っています。
①ちょっと考えてみてください。
私はタクシーの乗務員ですが、日々、違反と事故の緊張下にあります。
私はタクシーの乗務員ですが、日々、違反と事故の緊張下にあります。
違反があれば罰金、違反が重なれば免許停止。
免停になれば次の免停の仕切りは低くなりついには剥奪に至ります。
生活や仕事の事情など一切考慮されません。
人身事故なら「刑事裁判」です。
世の中そんなものではないでしょうか?
生活や仕事の事情など一切考慮されません。
人身事故なら「刑事裁判」です。
世の中そんなものではないでしょうか?
②若い人たちの声には、「東京のために福島を犠牲にしたことへの贖罪の念」も聞かれます。
石原慎太郎は事故の前、「原発に反対だといっている連中もいるが、必要なら原発を東京湾に持ってきてもいい」とほざいていました。
同じことをいま言うのなら、それはそれで一つの信念・生き方だと思います。
同じことをいま言うのなら、それはそれで一つの信念・生き方だと思います。
③それはそれとして、いま問題なのは、「現状の原発依存はそれでいいのか」ということのはず。原理的な「必要か反対か」ではありません。
「豊かな電化生活を守りたいのか、否か」ではないはずです。
東電・中部電力の「電力の埋蔵金」は時とともに明らかになりました。
計画停電も、まず千代田区・中央区をはずし、つぎに東京23区をはずし、矛盾を北関東に集中させて実行されました。
計画停電も、まず千代田区・中央区をはずし、つぎに東京23区をはずし、矛盾を北関東に集中させて実行されました。
さらに、「夏の猛暑」を想定した電力不足も、その後の流れで十分な電力供給が可能だとされてきました。
それも「夜の電力」ではなく、昼日中のエアコンが問題だと変わっています。「街灯を暗く」とか夜の店を暗くとかなどもはや関係ないことが明らかです。
過去にも同じような議論がありましたね。
沖縄返還時、「返還されたら沖縄の生活はタロ芋と裸足の生活になる」という「芋と裸足論争」というのがありました。
またあの戦争でも「降伏したら女たちはみな強姦されて殺される」と毒が配られました。竹やりで本土決戦が呼号されました。
またあの戦争でも「降伏したら女たちはみな強姦されて殺される」と毒が配られました。竹やりで本土決戦が呼号されました。
「生活の見直し」や「社会のあり方の再検討」はもちろん迫られている(すでに)としても、ステレオタイプの極論は、議論や思考の停止以外を生みません。
研究者たちが未来のために頑張ることと現実の問題を混同することは‥。
④年金と同じで、矛盾は次の世代に押し付けるのはなんとかしたい。
苦しむのは、幼児たちやその次の世代なのですから。
苦しむのは、幼児たちやその次の世代なのですから。
団塊の世代にとって、いまや家族や孫やひ孫、あるいは、若い夫妻たちとの会話を回復することが先決だという気がします。(私も)
最後に、私たちの同世代の呼びかけを紹介します。
「もう歳だ。被爆しても症状が出るまで生きているとは限らない。志願して原発作業員になり、事故を食い止めよう」
「もう歳だ。被爆しても症状が出るまで生きているとは限らない。志願して原発作業員になり、事故を食い止めよう」
気持ちは同じです。