2014年05月

道交法関連で役に立つ事例やHPをまとめていきたいと思います。
 
①(powered by RJQ.JP)
      http://rules.rjq.jp/
 

車を運転する誰もが一番身近でもっとも知っておかなければならない交通違反・交通事故(人身事故)に関する基礎知識を解説します。
テーマとして点数制度、交通違反に課せられる点数一覧表、交通事故などに伴う付加点数表、行政処分、反則金と罰金の違いと主な相場金額、人身事故をしてしまった後の免許上の処置制度、簡単な速度取り締まり対策方法を挙げます。
http://rules.rjq.jp/items/point1.gif当ページの主旨
 当ページは原則として不注意などにより交通違反による取り締まりに遭遇した場合における今後の処置に関する刑事処分・行政処分について述べたものであり、検挙後の違反履歴の抹消方法や異議申し立てなどの手段などは説明しておりません (他のWebサイトではこれら異議申し立てについて記述された優秀なサイトがたくさんあります)。当サイトでは違反を認めた場合(違反切符にサインした場合)における今後の道路交通法に基づく処置方法に限定した内容となっております。
http://rules.rjq.jp/items/point1.gif一般的資料
 ページ内の点数一覧表(1)(2)、付加点数は交通 違反関係の資料を参考にして作成しましたので、どこかに載っているはずです。でもわざわざ資料を探すのが面倒な人たちのために掲載しました。これらの内容は転載は無断でしていただいて構いません。
http://rules.rjq.jp/items/point1.gif資料等には載っていない情報
 点数制度、反則金と罰金、行政処分は、実体験や皆様からの報告をもとに作成しております。基本的に資料には載っていない情報ですので参考にして下さい。点数制度のページは意外と知っているようで誤解の多い分野でもあります。点数制度をもう一度正確に理解するといろいろな面で役に立つはずです。反則金と罰金は自分が検察庁に出頭したときに得た情報です。行政処分のページは自分が万が一行政処分に該当してしまったときに目を通して下さい。行政処分に関しては知らない状態で出頭する場合と理解して出頭する場合と比較した場合、知っていて損はないと思われる情報も掲載したつもりです。
これらの一般に公開されていないページについては原則として転載は禁止しております。希望される方はご面倒でも必ず当方へご一報お願いします。転載については各ページの左 部にてその旨を表記しております。
http://rules.rjq.jp/items/point1.gif免許制度の大原則 (刑事処分と行政処分は別管轄)

68年3・20だったっけ?
 
 反対同盟の村ぐるみ参加の解散集会に、機動隊がなだれ込んできた。
 市役所近くの谷あいに作られたグランドに、坂をかけ下ってくる機動隊。
 
 当日も機動隊とゲバ棒で激しく激突したあとのことだ。
 集会に参加した「3派系」の学生たちは、すでにゲバ棒を処理して素手・無防備だった。
 しかも、反対同盟=農民を中心にした集会だ。
 
 警棒を振り回して無差別に殴りかかる機動隊に、集会参加者は逃げまどい、大混乱に陥った。
 
 ここで書きたいのは、権力の怒りではない。
 逃げまどい、ぶつかり合い、倒れ・よろめく仲間たちを押しのける学生たちの姿だ。
 
 会場の周囲には、鉄条網が張り巡らされていて、出口は少なく狭かった。
 
 出口に殺到し、逃げまどう人々の中には、明らかに農民たちが交じっていた。おじさん・おばさん、おじいちゃん・おばあちゃん。押しくらまんじゅうの末、数人が転べば折り重なって窒息しそうだ。
 
 そんな中で、学生たちも、互いを押しのけ、農民を押しのけて、ぶつかりあう。
 修羅場だ。
 
 私は逃げる道を失った。
 かといって反撃に転ずるなど考えもできない。
 シンガリを担えるような状況でも無い。
 
 必死の勢いで鉄条網にしがみつき、ひっぱり・揺らして逃げ道を確保しようとした。
 何人かが同調して、ようやく逃げ延びた。
 後ろに取り残された人々は、学生であれ、反戦であれ、そして農民であれ、したたかに叩きのめされていった。
 
 
 負けた時、勝てない時にもまた、逃げるための「人としての在りよう」が問われるのだろうと思う。
 そしてまた、「逃げるための力」も同じ。
 
 機動隊と何度も何度も激突し、勝ったり負けたりを繰り返す中でしか、そんな力もつかないのかもしれない。
 傷つき倒れるか、なんとか続けられるかの境目もあろうが、「修羅場を踏む」ことなしに、「強いゲバ」は育たない。
 同時に「平時」に力を着けることもやはり大事な要素なのだろう。農民を突き飛ばして逃げるくらいなら、「今回は参加しない」のも一つの選択だ。逃げ足の訓練、状況判断の訓練…振り返れば日々の生活の中にある幾多の選択肢…。
 
 武装とは何かを改めて振り返ってみたい。
 
 

かつては駅や会社などには必ずと言っていいほど、仕切る人間がいた。
今では、数少なくなった。
 
A.上野駅の仕切り屋
 京成上野には、改札の外(不忍池側)にタクシー乗り場がある。
 成田空港から直行したお客が、大きなトランクを引きずってくるには、階段を使わずに済む利点がある。
 
 昔の話だけれど、私も「おいしいところ」と聞いて、わざわざ付けてみた。
 
 外の待機場所に並ぶと、胡散臭そうな連中が顔を出してくる。
 「初めてなんだけど」と挨拶すると、仏頂面だ。
 「ここは良い客なんかいねえよ!」
 それでも素知らぬ顔で並び続けると、あきらめて車に戻る。
 
 順番が来て、構内の待ち場に着くと今度は身長180くらいの太った男がやってきた。
 「トランクを開けてみろ!」。しぶしぶ開けて見せる。
 「余計な荷物があるじゃねえか。これじゃ荷物を載せられねえぞ。出直して来い!」
 
 一見筋が通ったような、でもそのボス面に、「おー分かった。次からはそうしよう!」と投げ返す。
 一瞬にらみ合ったけれど、幸いすぐに客が来た。
 とはいえ、しばらくは、ほとぼりが冷めるまで、行くのを見合わせた。
 
 上野に詳しい同僚に聞くと、「あそこは○○が仕切ってるからな」という。
 「下手をしたら5,6人、すぐに集まってきてフクロだよ。ま、良かったね」
 
 他の同僚も、同じ京成上野の道路側の常連だ。
 数台から降りてきた運転手がたむろして顔を突き合わせているのも、何度も見た。
 ガタイの大きい連中ばかりで、見るからにやくざっぽい。
 「あれじゃ、客が逃げちゃうよな」と言ってみると、「多分ね」と笑う。
 彼は、やくざっぽいのが好きなのだという。生い立ちを聞いて納得もした。
 
 「日本語もしゃべれねえ中国が乗ってきてよ」という会話を紹介する。
 「あんまりわかんねんで、遠回りしてやった」とかいう会話だ。
 話半分なのか、本音なのかもよく分からない。
 とはいえ、昔堅気の運ちゃんの、仕切り屋がいることは確かなようだ。
 
 最近また、続きの話を聞いた。
 バブルのころ、実においしいポイントだったのは確かだ。
 2,3万の客はざらにいた上に、「ご指名客」を何人も抱えて分け合っていたらしい。
 月の売り上げも軽く百万を超え、チップも合わせれば、百万を超える月収だった。
 
 「交通違反や事故の時でも、調べに来た警官が名前を聞くと最敬礼するんだよね」ともいう。
 何か起これば、手下や仲間が何人も飛んでくる。時には警官を数十人で囲んで脅す。
 「怖いもの知らずだったよね」。
 警官もビビって、「なしにする」こともあったらしい。
 相手が一般人なら、土下座して謝って、財布を渡して逃げ出す一般人もあったとか…。
 
 5年程前に60才の定年を迎えて、随分まともな年金暮らしに入ったとたん、あっけなく病死してしまった。
 
 「これからっていう時にね」「やっぱり体が強すぎて、無理をしすぎた結果カネ」
 
 映画「青春の門」を思い出す。
 労働運動も、こんな奴らを敵にして、時には配下に組み入れて、抗争し、闘ってきた歴史がある。
 在りし日の、下層社会の原形というべきこの像をもう一度基底に据えて、今の世を見直したい。
 
 「資本主義とは何か?」
 「途上国の運動の知られざる特性とは何か?」
 
 のっぺりした「今の社会」。そしてあまりにひだの無い「社会観」。
 さらに言えば、「法や規範や下手な理屈」に過度に依存した活動家の運動観…。《以上》
 
 
 

会社別の営収は以下の通り。(13年8月)
   (注)1台当たりの隔勤の1日の営収に換算したもの。
 
1位 品川タクシー 62(単位千円)
2位 大井モーター 52
3位以下12位    45以上
   一越、海日、宮城、錨、東京都民、平和、本州、境
13位以下       45未満
   東京太陽 他
35位以下      40未満
   太陽 他
49位以下      35未満
   東京合同、三葉、新東京
 
考察
 ①品川は、場所柄、羽田空港の関係者を抱え込んでいることが大きいようだ。
   無線の活用と会社の「営業努力」としておこう。
   たぶん、4社より良い。
 
 ②規模で言えばの健闘が目に入る。ここも同じような利点を持つのだろうか?
  曲がりなりにもあるチェッカー無線を駆使して、足立を走り回っているのだろうか?
  チェッカー無線は、城東地区が得意のはず。足立あたりは緑の東京無線が主流だけれど、穴場なのかも?
 
 ③同じく東部の雄の太陽は悲惨だ。
  常に最下位10位以内をキープする。
  太陽と子会社の東京太陽の差は、3~4千円。
  昼日勤とナイトの計と隔勤の差はだいたいこのくらい。隔勤では、やはり集中できない、求刑が長くなる、ハンドル時間に制約が生まれる、などの理由がある。
 ただ、最近の太陽は、東京太陽との差が開き、6~8千円になっている。
 
 太陽の悲惨には、理由はいろいろありそうだ
 ㋑有給の取得禁止・妨害の長期化。「バイト出勤の強制」などが、職場の空気を重くしている。
   結果、人員不足に拍車をかけている。
 ㋺北海道本社の強制に従って、稼働率アップのために、内勤にハンドルを握らせる。
   ただ、数字に反映するほどのものでもないはずだけれど。
 ㋩同じく稼働率のために、昼日勤とナイトを別々の車に乗せる。
   多分これが、大きいのかもしれない。計算上、1日当たりの営収は半減する。
   しかも、ナイトは年々希望者が減り、昼日勤のほうが稼働も増えている。
 
余話1
  1.ちなみに、ここ数年、わずかばかりの日勤採用の会社も減っている。
    車を遊ばせても、昼夜の交代番の対応をする内勤の人件費やシステム作りが「面倒だ」。
 
  2.第2次減車が決まりながら、実施の時期も内容もよくわからない。稼働率が反映するといううわさもあり、    「稼働率のための稼働」も少なくない。ずるずると時を待っていることになる。
    「4社なら、とっくに情報を掴んでいるんだろうけど」
    ちなみに、減車が流れになってから、「会社株」「持ち台数」は再び商品価値を回復した。
    「走れない車でも、持っていれば『所有できる台数』になる。カネになる」
 
  3.最下位も固定
    最下位5社の常連は毎月ほぼ同じ。
     東京合同、三葉、新東京の他に東京ヤサカ、小松川など
      
    同じく最下位10社の常連も同じ。
     芙蓉第一、三矢、新東京、日の出第一、太陽など
 
余話2
  4.極小企業では、人集めの広告費を惜しんで、現任(現役)だけの口コミだけに頼るところも多い。
    2種免取得費もかさむので、車を遊ばせた方が目先の支払いが少なくて済む。
    
    稼ぎが悪かったり、不祥事が多い乗務員の中で、一定の知名度が上がれば、それも人集めの一つの道     ではありそうだ。行き先がなくなったら、そんな穴場もあることは知っておきたい。
 
  5.他の無線も含めると、東京タクシーは抜群の営収を誇示している。
    羽田・成田のチケット客をつかんでいることが決定的だ。
    会社の規模が小さいこともある。
     
  6.昼日勤のすすめ
    前記のようにナイトに比べて昼日勤の営収は少ない。
    けれどもモノは考えようだ。
    つわものが集まる夜に比べて、昼は、他の会社からの定年退職者や、隔勤やナイトに疲れて移ってくる。
    夜が十分やれる人なら、昼はその体力を生かして働ける。拘束時間の制約も隔勤に比べて長い。
    何よりも、夜の悪質な酔っ払いと付き合わなくて済む。
    「タクシーの運ちゃん」から「ほぼサラリーマン」になれる。
 
    問題は、得意な営業地域が極小化することだ。
    近年とみに減った中長距離客。
    かつては2,3年すれば、客に教えられて都内全域や周辺県が身に付いたけれど、今では不可能だ。
    中長距離の客への期待以上に不安を抱えて働かねばならない。
    
    そして対策は、ない。
    「上客」には「知りません、分かりません」と答える勇気を持たないと、とんだトラブルになりかねない。
    「カーナビ通りに」でも、やれ遠回り、やれ裏口に着いてしまったなどの苦情は覚悟しなければ。
 
  最後に、減車がなったら、今度は人余り。
    会社側の力が回復し、人の集まらない零細が息を吹き返す。
    ま、ゆとりを得た一部の会社では、柔軟な労務政策に転換するところも無いわけではないだろう。
    見方によれば、仲間とカネが一定あれば、新しく会社を興した方がいいのかもしれない。
 
 

 だいぶ前に、本多さん虐殺の真相がアップされていることが判明した。
 とりあえず、転載する。
  私が聞いたこととほぼ合致する。

  運動の中から正面から語られなかったのが残念だ。
  これもまた、もうひとつの「50年史」といえる。


2007年12月31日 (月)

2007

【取材メモ】本多延嘉・中核派書記長「暗殺事件」

〝事件取材〟を長くやっていると、まったく別件の思い掛けない話が飛び込んでくる。都内でも有名な地上げ物件の取材をするため、関係者に会っていた際のことだ。この人は地上げについては肝心なことは何も言わなかったが、何故か急に、俺は学生の頃、中核派だったんだ、と話し始めた。71年11月の「渋谷暴動」(沖縄返還協定批准阻止闘争)で逮捕されたこともあったようだ。この時は、機動隊に攻撃を仕掛ける部隊に配属されたという。
「たまたま、俺は寝過ごして、〝早朝召集〟に遅れてしまったことがある。これは後から知ったことだが、革マルがその時、死んでいる。地下に潜っていた当時の仲間と30年ぶりに最近会ったよ」
周知のように、中核派と革マル派は長期にわたる「内ゲバ」を繰り広げ、その死傷者は1000人に及ぶとされている(現在、両派は公式に表明していないが、実質上、内ゲバを停止した模様)。そうした内ゲバの中でも、「暗殺」と位置付けられているのが、75年3月14日に埼玉県川口市でおきた中核派・本多延嘉書記長に対するテロである。「犯行声明」を出した革マル派が、最初から本多書記長の殺人を目的としていたことは明らかで、このテロは革マル派が組織の総力をあげて実行したものであるとされる。
「革マルは警察を装って本多さんが交通事故にあった、と夫人に電話した。当然、夫人は防衛上の観点から前進社(中核派の公然拠点)などに事実確認の電話をしている。ところが、夫人の電話はすべて革マルのアジトに繋がるように工作してあったのだ。本多さんの身の回りの物を持って出掛けた夫人を、革マルの別動隊が数時間にわたって追尾した結果、本多さんのアジトがわれてしまった」(前同)
この時、本多書記長の所在を知らされていたのは、夫人と極く限られた中核派最高幹部だけだったという。

↑このページのトップヘ