2015年01月

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○名護市ふるさと納税のご案内
http://www.city.nago.okinawa.jp/5/4969.html

ふるさと納税制度は平成20年5月からスタートしました。
ふるさと納税制度は生まれ育った“ふるさと”を応援したい、貢献したいという思いを寄附の形で実現する制度です。寄附先は生まれ育ったふるさと以外でも、応援したいと思う都道府県、市町村を選ぶことができます。寄附をした場合、お住まいの自治体の住民税などから控除されます。

◎少し詳しく
  http://www.soumu.go.jp/main_content/000254926.pdf

○沖縄タイムス
  沖縄タイムス | ふるさと納税 名護市が寄付総額1位

http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-01-04_43522

 ふるさと納税(寄付金)の総額が、2008年5月の制度開始から12年度上半期(9月)までの4年4カ月の間に、県内41市町村で4億5209万3435円に上ることが分かった。県のデータによると、住民1人当たり換算では離島自治体が上位を独占し、寄付額最多は米軍普天間飛行場の移設先とされる名護市だった。離島苦や高齢・過疎化に直面するふるさとへの思いと、基地政策に抵抗する市長の全国的知名度など、沖縄特有の…



○住民税などからの控除額
 ふるさと納税の額が所定の範囲なら、住民税との合計は、+手数料「2000円」に収まるように設計されている。
 ただし対象は住民税だけだ。給与所得者の表しか見つからない。年金生活者の場合、もともと控除額が違うのでそれが反映しそうだ。

○給与所得者の上限額のモデルケースの一覧表
(給与収入のみ。住宅ローン控除等を受けていない)
(上限を超えると現住所での住民税からの控除が減る)
(注 表の見方)※ 「夫婦」とは、寄附者の配偶者に収入がないケース。(寄附者本人が配偶者控除を受けている場合。)
(注)※ 「共働きと」は、寄附者本人が配偶者(特別)控除の適用を受けていないと仮定。(配偶者の給与収入が141万円以上の場合。)
(注)※ 高校生は「16歳から18歳の扶養親族」を、大学生は「19歳から22歳の特定扶養親族」を指す。(単位:円)

 表の関係で以下の区分けがある
   崙反函廚箸脇反繁瑤篭ζき。扶養する子はいない。
  ◆峭盥酸1人」とは共働きで子1人(高校生)
  「大学生1人」とは共働きで子1人(大学生)
  ぁb高校生1人」とは夫婦+子1人(高校生)
  ァ峪劭何諭廚箸篭ζきで子2人(大学生と高校生)
  Αb夫婦子2人」とは夫婦+子2人(大学生と高校生)
    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥△鉢い龍菠未分かりづらいけれど…
          

給与収入 独身  高校1 学生1 b高校1 2人 b子2人 
300万円  16,000 12,000 10,000  8,000  6,000 3,000
400万円  24,000 20,000 18,000 16,000 13,000 9,000
500万円  34,000 30,000 27,000 24,000 22,000 17,000
600万円  43,000 39,000 37,000 35,000 33,000 27,000
700万円  59,000 55,000 53,000 44,000 42,000 38,000
800万円  71,000 66,000 64,000 61,000 60,000 55,000
900万円  82,000 77,000 76,000 73,000 71,000 66,000

 ま、手数料二千円を払うと、人によって3千円から8万円くらいの応援はできそうだ。

ちなみに、1千万円以上の所得者の場合は以下
1千万円 9万4千 9万 8万8千 8万5千 8万3千 7万9千
2千万円 28万3千 27万7千 27万5千 27万2千 26万9千 26万4千
3千万円 52万3千 51万6千 51万4千 50万9千 50万7千 50万
5千万円 92万3千 91万6千 91万4千 90万9千 90万7千 90万
1億円 192万余 191万余 191万余 190万余 190万余 190万余
 カネのあるやつはカネで

○特典
 http://www.citydo.com/furusato/list/prf47.html
 沖縄県や他の市町村には特典が用意されているけれど、名護市には無いらしい。

◎運動の観点から
「故郷納税 名護市」で検索すると色んな呼びかけが見える。参考まで。
 
http://search.yahoo.co.jp/search?fr=slv1-tbtop&p=%E6%95%85%E9%83%B7%E7%B4%8D%E7%A8%8E%E3%80%80%E5%90%8D%E8%AD%B7%E5%B8%82&ei=UTF-8

1月に書いて、未完のまま「非公表」にしていたものを、書き足せないままアップすることにした。
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 風刺画とテロをめぐるニュースと論議が進んできた。

 当初はフランス式言論の自由一般が語られた。
 構図としては、「マフラー論議」がそのまま蒸し返されていたのだと思う。

 さらにそれに対置するものとして、「アラブやムスリムの視点」そして欧州へのムスリムの広がりと疎外が語られた。

 続いて今は、フランス式の「二重基準」が見えてきた。
 ナチスに対する一定の規制、そしてテロへの共感への規制。
 コメンテイターの尋問・逮捕事件は(少なくとも)読売・サンケイには報じられなかったと思うが、同じ「カリカチュア」への正反対の対応には改めて驚いた。

 改めて少しフランスの勉強をしてみたらまた少し見えてきた。

 フランスもまた、「アルジェリア戦争」の歴史を抹殺し続けてきたということ。
 近年少し変化があるようだけれど、大局的には変わらない。
 直訳すると「事変」であり、「戦争」ではなかった、そうな。
 そして「フランスはアルジェリアで良いこともした」論がやはり主流だということ。

 振り返れば、あのベトナム戦争だ。
 とくに第一次インドシナ戦争でディエンビエンフーでの敗退を引き継いで、フランスはアルジェリアで侵略戦争を続け、そして敗退した。
 アルジェリアの独立を認めざるを得ない時点で、現地フランス軍が「コロニー(植民者)による別の独立」をめざし、本国との対峙のもとで時を経て、いざフランス本国に侵攻する(スペインの内乱)のような事態に陥った。

 その時再び出てきたのがあのドゴール。
 極反動的な政治家にして、「計画経済」や社会政策も試行する、左右両極の間に立ち内戦を抑え込んだ「ザ・フランス」
 1960年を挿んだこの期間は、黒田寛一(当時は革共同)の著作にもあった。
 本多さんの「ボナパルティズム論」も、このドゴール(ゴーリズム)をも射程に入れたものだったはずだ。

 さらにさかのぼれば、第2次大戦での新独「ペタン政府」。法的・「民主主義的に」振り返る限り、ペタン政府こそフランス正統政府だったし、ドゴールの臨時政府など、何らの正統性も実態も無いものだった。フランス国は実態として、独仏伊の敗戦国だったことを改めて振り返る必要がありそうだ。
 「フランスの自由」論議は、重層的な諸問題から逃げ、隠ぺいして成り立つ「フランス人の平和」のための議論だということが浮かび上がる。

 そう振り返ってみると、「フランスの自由」とは、1789年のフランス革命の伝統だけでなく(今も強大なカソリックの影響…)、ゴーリズムに集約される(植民地や国内少数民族への)同化主義が開き直り的に語られてきたものだということになる。「栄光のフランス」を集約環とした「フランス人のためのフランス」論だと言えそうだ

 フランス左翼にとってもなかなかやっかいなタブーを議論にするためにもやはり歴史を生き生きと踏まえなければと思う。片言隻句をただ対置するだけでも無く…。


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 サイード氏らによる「オリエンタリズムとは何か」が語りだされて久しいが、私自身にとっては、すでにフィリピンの歴史に学んだ民族解放にかけた思想史でとうに語られていたものでもある。本としても分厚く豊かだった。

 フィリピンでもフランス共産党の影響下で「共産主義者」や民族解放闘争が生まれたことは間違いなさそうだ。
 新人民軍を生んだ第二次共産党も、抗日ゲリラを闘った共産党の腐敗をのりこえて再結成された。思想的影響の系譜は、「フランス受けするインテリの思想」を批判しつつも、やはり偉大な先人として尊重する態度が(とくに指導的部分に)色濃かったようだ。
 私もまた、こういう態度を尊重し、守りたいと思う。
 魯迅や孫文を敬愛するように。

 乗り越えるべき先人の全体像をしっかりととらえて、「打倒対象」とする。
 思想や理論の歴史はそうありたいと願う。

  改めて「血債主義」批判について検討してみた。
 ここでの清水さんの結論は、①党絶対化の立場の自己批判と転換
 ②血債主義との闘いへの転換
 といえそうだ。
  ではその中身は何かと言うと、よく分からない「一体化」論と、血債主義との組織・人事での闘いだ。ただ、「イデオロギー闘争」だけの限界というけれど、AかBかの二者択一以外に、より深いイデオロギー闘争(理論闘争)の中身がまったく見えない。あるいは限られた政治局員などでの議論と押しつけ、イデオロギーの強要以外に何も見えないということだ。
 あえていえば、血債主義であれ労働運動主義であれ、それぞれ色んな課題や場面を想定して複層的な議論をしたという形跡は見えない。それは今に至るも同じだ。
 党と左翼世界総体を舞台にした公開の場での豊かな理論闘争・路線=総路線=綱領的・戦略的云々が欲しい。
 
「私は明らかに、党絶対化の立場に立ち、党を労働組合より上に置くという立場に立っていた。労働者自己解放闘争の立場から労働者階級の労働組合的決起を共産主義運動と一体にとらえる立場を踏みはずしていたということである。」(清水議長の自己批判から)
 
 その少し前で清水さんは血債主義派との闘いについて語っている。
  
 私はこのような血債主義派・糾弾主義派について、その誤りは一定認識し、批判もしてきたつもりであった。だが、彼らを組織的に打倒し、中央・地方の指導部から一掃していくことが火急の絶対必須のことであることをつかみきれなかった。
自分は、端的に言えば、彼らをイデオロギー闘争の対象としてしまい、組織内討論をとおして変革できるとしてしまい、彼らを、5月テーゼ路線を現実の階級闘争のなかで妨害し、敵対しているものとしてつかみとることができず、結局その存在を容認してしまった。

http://shiryoshushu.web.fc2.com/images/topimage.jpg

50年史の巻頭論文

(2)5月テーゼ反対派との闘い

 

 末端での話。
 
 課題別だけれど共産党や他党派との新旧の左翼連合も一つの選択に入っている。
 小さな町や職場末端で旗を揚げようとすれば、どうしてもそうなる。

 運動の名義的な代表になってくれる人たちは、元がどうであれ保守や日共も含めた人的ネットワークを持っているから、(指導を放置すると)「ずぶずぶ」の統一戦線=共同行動になっていく。

 日共も今は日共主導であれば地域での「トロツキスト」との共同行動を認める方向にあるから流れとしては「末端共闘」が広がっていきそうだ。

 中核派も「労働運動路線」として、同じ方向にあるといえる。地方や末端で「反戦・平和」や「脱原発」の旗を揚げようとすれば、いまや避けて通れる道ではない。

 「党と労働運動の一体化」は色んな意味で議論の的ではある。
 もともとの「一体化」論は「党物神化」への反省とされているし、その意味で、こうした選択が許されるのもおかげさまと言うところ。
 福島現地や11月集会を個別に提起すれば人によっては目を輝かせて飛びついてくる。
やはり、孤立した小さな運動だけでは持続しないということもある。


 ただ現実はまた少し違う。
 「ずぶずぶ化」を恐れてか、それと並行して「一本釣り」や囲い込みに走ると白けた空気が生まれてくる。
 『前進』の学習会を組織すると日共を頭ごなしに断罪することになるし、「そんなつもりじゃなかった」というシンパや大衆がおかしな党派性を発揮しだしてくる。
 党派性を発揮しようとするとせっかくの運動がおじゃんになりそうだ。
 
 「一体化」とは、「党が労組に」なのか「労組が党に一体化」するのか??
 難しい問題だ。

 普段の共闘ではじっさい、共産党からパクった議論や、反中核か非中核の人士の議論を使う。だから日共と中核の違いも無くなってしまうから、ある日突然日共批判を始めても違和感ばかりが大きくなる。

 何が中核派らしい独自の議論なのか?何が中核派的議論の仕方なのか??何が中核派的な共同行動論なのか??やればやるほど分からなくなる。

 脱原発も格差反対もいわば「後追い的議論」だ。

 「たとえ豊かさを失っても」とか「生活や文化の見直し」とかもある意味では「黒ヘル的」な見識になるのだろうけれど、対抗的に単発的に言っても「はい、はい、はい」と言われるだけだ。思い付きで無い、広く深い見識を育てなければ信用されそうもない。

 

 

メールでの会話の一端ですが。
【同僚40歳くらい】毎日、通りますのでお見かけしてます。あの場所に、何故テントを設置出来るのか?謎です、知っていたら教えて下さい。今年もよろしくお願いします。
 
<私>
を開いて下さい。
いま、4年越しの「明け渡し裁判」が山場です。
経産省は①明け渡し②それまでの使用料の数千万円の支払いを求めています。(民事裁判で刑事裁判にはならない)
 
①警察の管轄する道路ではなく、経産省の敷地だから。
②菅や枝野たちが激励に来たこともある。
③福島の人々に応える拠り所になっている。
など。
 
さて、①アメリカのオキュパイ②香港のパラソルはどうでした?
③祭りやイベントでは、普通、道路使用許可が出され、公共は施設が解放されます。まつりごと(祭り、祀り、政)という連想も一度して…😅
 
私達の時代は、運動でも日常でも普通に近かったのですが😃
そう、○○では点呼室で今も組合活動が行われています。いろんな悶着の末です。これも「占拠」の一種かもしれませんね。

とりあえず三上治さん(味岡修さん)のテント日誌の紹介だけですが。
年末の突然の審理打ち切り宣言から、「最後の攻防」が始まっている。
官邸前の金曜行動に加えて、官邸=国会途上のテントに寄っていくことをお勧めします。
私自身は、仕事中の自主的休憩時間にたまに寄る程度ですが。
5日は、集会と炊き出しに寄って、おいしいあんころモチとトン汁・白菜づけをごちそうになりました。
 
(新左翼系の総合ホームページとでもいえる)「旗旗」にも連載が投稿されていました。
 
テント応援団ほかのホームページもここからいけます。
 
 
テント日誌11日(祝)
経産省前テントひろば1208日商業用原発停止470日
 
困難でも未来を構想することは続けたい
 
昨夜は年末年始の中心企画として紅白歌合戦やカウントダウンなどが行われた。毎年のことだが多くの人が参加して盛り上がったとのことだった。僕の方は別の用事の手が離せなくて参加できなかったが、賑やかであったと聞いてほっとした。九州の川内テントは暴風雨でテントに内に閉じ込められていたとのことだ。強烈な雹や霰に見舞われたらしい。現地のEさんによるとはじめての経験だったとのこと。久見崎海岸の秘められた恐ろしさというか、激しさを実感させられたのであろうか。それでも14日には地元の人たち十数人も参加しての餅つきがあると伝えてきている。ここ経産省前では15日に恒例の餅つきであるが、経産省前と川内と双方での餅つきを今年の闘いの烽火としたいものだ。(後略)
 
 

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「いざダメとなっても何とか生きて行ける自信がある」(byふなっしー withe 阿川)
「ストレイシープの歳、都市。いや年。でも神や仏はいらない。カリスマもいらない。私が小羊」
(たまに期間や範囲の限定付きでいてもいいけど)(by 白土)
 
          2025年元旦 プライベートな年賀状からの転用だらず。ずら。だず。
 

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