2015年11月21日 山下徹氏 初代?障解委の代表。 『前進』編集局に移籍した。 私のEB生活初期の同僚でもある。 フェイスブックでは多くの多彩な「友達」をもち、それぞれの記事やシェアをシェアしている。 https://www.facebook.com/toru.yamashita.984?fref=hovercard 8・6広島にも呼びかけ人? タグ :#練習用
2015年11月21日 松尾真氏の「栄村復興への歩み」 元中核派全学連の委員長。 京都精華大学を解雇されて以降も、栄村に住み続け、NOO法人の理事として活動しているとのこと。 なお、長野県栄村は、東日本大震災で被災し、復興へ苦闘している。 栄村復興への歩み http://sakaemura-net.jugem.jp/?eid=2041%E3%81%A7%E3%81%99 フェイスブックも https://www.facebook.com/mmatsuo.sakae?fref=ts 松尾氏が栄村の村議に当選 … … … … … … … … 【以下フェイスブックから引用】無投票当選となりました - 2016.04.19 Tuesday 本日、私が立候補した栄村村議補選は、「選挙すべき数3名」に対して、午後5時締切までの立候補届出者が3名となり、無投票となりました。 同時に告示の村長選は3名が立候補し、24日投票となります。 このため、当選の確認を行なう選挙会の開催、当選証書の交付等の手続きは、村長選翌日の25日になる予定です。 村議補選当選者の任期は、前任者の残任期間ですので、来年春までの約1年間です。 議員の職務は上記のことから4月25日からとなるものと思われますが、今回の立候補の直接的契機である森集落の水道問題の根本的打開をめぐっては、震災からの全経過の整理等の作業を明日から始め、議員職務開始早々から動けるように準備していきます。 タグ :#長野県
2015年11月15日 『敗北』本メモ⑤ 与田という人 与田氏の人物像や関西の実像も欲しかった。もちろん「兵庫」問題も。 私は与田氏とは一度会ったか無かったか程度だ。 澤山氏へのテロで潜って久しく90年前後に浮上した人だと思う。 公然面での前指導部を押しのけて、トップに復帰した。後の解同全国連の指導者でもある。 関西の幾多の成功と活動家の疲弊の責任をともに負う人だ。 『敗北』本によれば「左派」の要、実態的に大黒柱だ。その彼が中野さんに屈して「右派」の尖兵として別の「右派」への攻撃を強めたのが発端であり、その2面性が同時に左右の怨嗟の標的になったということらしい。 関西前進社の彼の部屋には黒田著作選が揃っていたという。 白井さんが住まいを中央に襲われて逃避行を続けていたころ、一時、荒本に匿われていたこともあるという話は聞いた。度量の大きい反骨の人でもあったということか?そんな人物が陥ったアナ。そういう視角からも検証が必要なのだと思う。 与田氏の「罪状」それ自体にも水谷さんらは深く触れようとはしない。「財政・私財・私腹の腐敗」「3日4日生活」「浅尾スパイ問題で政治局は腐っていた」等々、とは触れる。けれども「与田腐敗問題は口実にすぎなかった」というのが結論だ。 その結論の妥当性はおいて、浅尾スパイ問題(04年に発覚)とは関西の構成員のほとんどが実名とともに公安につかまれていたという事実に発する。関西に3人のスパイがいることなども暴露されていた。 『公安調査庁マル秘文書集―市民団体をも監視するCIA型情報機関』(2001/2)で 「第2章 左翼諸団体の動向と調査」 第4 革共同・中核派の組織と実態 [革共同中核派組織系統図] 第5 革共同・中核派関西地方委員会の組織と構成員 [平成6年度年報用] 「聖と俗」。「黒猫も白猫も…」。使い古した言葉だけれど、政治学・「革命論」にあって欠くことのできない一分野であることを改めて感じ入る。清水さんの「俗物的大きさ」に切り捨てられた両氏にとっても不可欠のテーマであるはずだ。 タグ :#政党、団体
2015年11月15日 女・エロス 中核派の女性解放論 中核派の現状と総括の中で、いろんな会話があった。 ①ある女性は、「婦民からの分裂で良かったのは最初の一カ月だけだった」と述懐する。 女性運動の実際の交流から断たれて、日々起こっていることや大事なイベントがまったく伝わらなくなったという。 もちろん色んな情報は脇からは得ることができる。 けれども大事なことは問題意識や公開されない色んな思いや実態でもある。 女性たちのネットワークから飛び出したということはそんなことだったのだ。 そう。婦民からの統制の背景には、3・8分裂と第4インターへのテロへの批判があったことも自明だ。革マルもチャンスとばかりに婦民を追い詰める。そんな中での処分と分裂だったということもはっきりさせるべき時だろう。追い詰められたのは婦民全国協だけではなかったということだ。 ②ある男性同志の述懐から。 「田島論文が出て、喜び勇んで知り合いの女性のところに行ったんだよね」 「で、『前進』やイストを渡して代金ももらった」 そしたら、相手の女性が何冊かの俺に本を渡して言ったんだ。 私の文も載っているから参考までに読んで。それから本の発行日を観て! ただでもらって読んでみてびっくりした。 田島論文の肝心なところはその本の引用だった。 「参考文献欄があったかどうかは当時のことだから気にもしなかったけれど、引用したならちゃんと『引用』くらい入れるのが筋だと思った」 そう『女・エロス』だったよね。 話の前段では、私の中核派の女性解放論の経緯についての記憶の述懐があった。 私の印象では、中核派の女性解放論は、時間的にブントにはるかに遅れている。 フェミニズムもリブもオピニオンリーダーたちは私たちよりも5歳か10歳くらい年上だったと思う。 前後して私も『女・エロス』などを読みふけった。 衝撃だったし、何よりもそう、「エロス」を語っていたことだ。 読んでいて引きずり込まれるものに満ちていた。 怒りや悲しみや何やかんや、とにかくほとばしる魂のようなものがあった。 「中核派はどんな文章の中でも『女性』以外の用語を使わない。でも色んなフェミニズムは時として『おんな』を使うのが特徴だった」「おんなたちから女たちへ」とか言うようにね。時としてアナーキーな叫びだったよね。それが心を動かしたのだけれど。 田島論文の特徴は、女性解放であれ婦人運動であれ、マルクス・レーニン主義の枠に収まることを結論とするためのものだった。叫び(エロス)を抑制し、ブルジョア社会(資本)への対決を打ち出して、こんにち体感的に求められている「解放」の中身を脇に置く。そう、予定調和に収まることを前提としてその線に沿って、前衛党派として女性解放に立ち上がろうというのが趣旨だったと思う。 被青同の『君は明日生きるか』に比べても、心へのインパクトの不足は否めなかった。 ま、当時そんな感じももちながら、決戦論は不動という方針に従ったのだけれど。 こんなことを書くと、いつものことだけれど、自身のいい加減さを吐露しているようで嫌になる。とは言えやはり書かなければならない。 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 資料として 『女・エロス』社会評論社 女・エロス No.1 特集:婚姻制度をゆるがす1973 女・エロス No.2 特集:反結婚を生きる1974 ほか 「女・エロス」編集委員会 アマゾンのHPから http://www.amazon.co.jp/s?ie=UTF8&field-author=%E3%80%8C%E5%A5%B3%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%80%8D%E7%B7%A8%E9%9B%86%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A&search-alias=books-jp&text=%E3%80%8C%E5%A5%B3%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%80%8D%E7%B7%A8%E9%9B%86%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A&sort=relevancerank タグ :#人類学と考古学
2015年11月15日 『敗北』本メモ④ 「3・14Ⅱの真相」を語れ 松 「本当のこと」を何一つ語っていない。 竹 うーん。書かれていることの大半は事実なんだろうけれど。 松 「左派」とか「正論」とか「テロは許せない」とか、言葉だけが浮いている。 梅 「肝心なこと。へそになる事実」から逃げている、ということかな? 第一部の「3・14Ⅱ」について。 桜 2006年の関西の行動の実際の背景とは何か? もともと当日の関西支社での政治集会は、今の関西派につながる人々をたたき出す場として仕組まれていたという話だ。これが事実かウソか?まずしっかりと語ってほしい。「兵庫問題」とは何か?共闘や統一行動の中で協会派と親しくなったことが、清水さんや与田の怒りを買ったともきく。水谷・岸の両氏は、だからこそ「腐敗の問題ではない」「路線問題だ」と「正論」を声高に叫んでいたのではないか? 松 事件がなければ、当日か直後には反対側の「テロ・リンチ」が予定されていたといってもいい。 清水氏のその後の自己批判をみても、清水さんを筆頭とした「会議における暴力性」は限度をはるかに超えるものだったことが分かる。 参考までに(水谷さん主宰とチマタでいわれる)「現代革命論争資料蒐集」から。 政治局会議Ⅱへの提起(清水丈夫)1(2006年7月) 梅 筆者らのキーワードは「テロはいけない」「路線問題」「対峙」「元に戻せ」「正論」などか? 戦闘同志会が荒本に拠ってクーデタと「対峙」していたと何度か強調している。 では「対峙」や「元に戻せ」とはどういうことか? 関西支社に突入して再占拠(奪還)する。反乱分子を残らず捕捉し叩きのめし、「元に戻す」。監禁-追放する。 うまく行けば反乱分子はあきらめて無抵抗で開城するだろうけれど、でなければ、大阪・京都・兵庫などの拠点で篭城する。素手になるか鉄パイプまで発展するかは不明にしても、一個の「大戦争」も想像された。 これが「テロはいけない」論? ことの正否はおいて、何か民青の「正常化」みたいな表現だ。 桜 「暴力に対する暴力の応酬」。素朴にはそんなことではないのか、否か?自らが黙々と屈していった日々を振り返って中核派の「組織的本性」は分かっていたという。自ら担ってきた「組織的本性」だ。02年、白井朗さんや角*さんへのテロを企画・実行したのはだれか?「左派」であることは今や自明だ。 「正論」の中身があまりに乏しくて、肝心なこと、筆者らの立場が隠蔽されていること、これが最大の問題だ。 そう、「政治的な卑劣さ」というべきか? 竹 関西のそういう力による「強訴」「対峙」、が中野さんたちを動かすバネになったことはたぶん間違いなさそうだ。 桜 直後の「しばらく様子を見よう」という中野さんの対応は、それ自体としてはそういう「戦争的」事態への、ま、順当な判断ともいえる。 梅 そうだ。仮に「東西の全面戦争」にでもなったら収拾がつかない。それどころではなく、政治力学的には「左派・武闘派」の奪権にも直結しかねない。世間的にも「内ゲバから内内ゲバの復活・回帰」と受け止められたろう。いわば岸武闘派政権の誕生か?つまりは「左派」によるカウンター・クーデタ?? 桜 そうだ。著者らにはその辺を語って欲しかった。 松 同じことだが自称「左派」と「二つの右派」論。 中身の解説がなくてさっぱり分からない。 「左派」が何と対峙し、何に拠ったのか? 竹 後の中央派の『50年史』によると問題は「血債主義」と「政治決戦主義」だという。 後者は「万年決戦主義」批判を超えた「無条件の、反『政治闘争主義』」ともいえそうだけれど、その背後には「内戦による組織の極限的疲弊」がある。「ゲリラ・パルティザン」路線の行き詰まりをめぐる形を変えた抗争が、意味不明な論争やにはまり込んだとも思える。 岸氏も自身が責任者となった杉並選挙ではこれを意識して「総力動員」による方式を改めたとしてはいる。とはいえ(清水さんに直接口説かれて)三里塚担当になった岸氏の自己批判には、現地責任者として自らこだわった三里塚基軸主義の継続もある。 そんなことを踏まえてなお、「70年代-80年代の蜂起の陣形」と組織のあり方-その継続と変革の問題をめぐって、収拾のつかないような混乱・矛盾が山積していたことが分かる。 桜 ここでの無定義な「左派」とは(その方向が何であれ)「変える」ことへの抵抗、安住、既得権の護持--以外の何を意味するのだろうか? そもそも清水さんに提起されるまで、断末魔の「極限的疲弊」の認識が2人には無かったのか?ま、なかったらしい。 梅 少なくとも、70年代には青忠さんと組んで首都圏委員会で激論し、意見書を出して「謹慎処分?」を受けたという(初めて聞くが)岸氏には、その辺の見識はあって良さそうとも感じるのだけれど。 竹 ところで中央派によって「血債主義者」に名を連ね、二人の著者に加えて「著者」とされる岩本さんやその後反党フラクションを理由に除名された甘粕氏はここではどういう態度だったのか? 梅 岩本さんは「関西を支持」、甘粕氏は「保留」かな?当時は政治局員の山森氏は、「左派」だったけれど、降格で許された。荒川スパイ事件では「銀行ギャング」事件の現場で逮捕されている。 粛清の穴埋めに?鈴木たつお氏ら60年世代が復活している。 タグ :#政党、団体
2015年11月15日 『敗北』本メモ③ 二つの戦争での清水さん 大事なことも少なくないけれど、ここではパスして見出しだけ。 「軍」の関係者の証言が衝撃的だ。内容とともに、証言したという事実自体には敬意と賞賛を惜しまない。「軍の内戦史」こそ本当に求められているものだけれど、あまりに激しかった実績と(人民のでなく)「党の軍隊」の狭い世界からはなかなか課題が浮かび上がらない。 タグ :#政党#団体
2015年11月07日 『敗北』本メモ② 清水政治局は「打倒された」 Ⅰ.「政治局は打倒された」 一連の政治局会議でのもうひとつのキーワードはこの言葉だ。 与田氏の腐敗の数々、それを事実上容認し続けて、放置し続けてきた清水さんと政治局。 絵としては、事件への対応をめぐって「動労千葉を取るか、全国連を取るか」を清水さんに迫って〈決起した〉中野(故人)・天田さんの姿が浮かびあがる。 「打倒された」にはとりあえず3つの意味がありそうだ。 ①関西の決起によって、いわば桎梏以外の何者でもないことが鮮明になった党中央、それが本質的に打倒された。積年の党員の不満と怒りが全党的に噴出した。「俺も含めて打倒された」(天田さん)というのは、単にカラ文句だけではなく実感でもありそうだ。 ②実態的には塩川派(後の関西派)の捨て身の決起。展開しだいでは中央派と同志会によって戦争的に打倒・一掃されていた? ③中野・天田さんらの「動労千葉を取るか?」という決起によって清水議長とその政治局(左派)が実際に打倒された。 現状としては打倒されきってはいない。清水さんや清水政治局があり、攻防の先行きはあまりに不透明だ。「打倒された」「党の革命」を旗印に泥沼の抗争に突入する。清水さんは「3年でひっくり返す」と水谷さんらを抑えて再起を画策する。 Ⅱ.追い詰められた中野動労千葉路線 中野さんの動きの分析はいまいちだ。 『敗北』本から抽出すると、大きくはこんな図式になりそうだ。 90年代始めの反戦共同行動での小西さんとの蜜月。 同時期には秋山さんの〈自滅的〉ゲリラ戦争が火を噴いている。(清水さんの「左」ぶれ) 95年、中野さんの政治局入り、97年副議長。 ここから98年、「11月全国労働者集会」路線が始まる。けれども前年来の安保ガイドラインをめぐる「20労組」運動が大規模の発展すると中野さんの〈中核派主導・基軸〉の構図としては空洞化する。 02年から03年の中野さんの「内部崩壊的危機」を経て、「サボタージュ」「ボイコット」「脱党の脅し」の末に、5月新指導方針(路線)への大転換が起こり、3・14Ⅱへの雪崩が始まる。 著書の国鉄決戦認識と中野さんの認識は対照的でもある。 著書によれば、00年国労臨大の演壇占拠と02年8人の逮捕・裁判闘争で展望が開かれた、という。 逆に、荒川氏硯哉氏のパンフ(荒川スパイ事件当該)によれば「01年国労臨時大会で「4党合意」を巡る国労内攻防で反対派が統制処分されていく。この頃から、(中野さんは)国鉄闘争に展望を失っていくのである」 「2003年の新指導路線の核心はなにか。中野洋氏はこの頃から盛んに国際連帯とか四大産別とか青年部運動とか強調を始める。この根底にあるのは国鉄1047名闘争、闘う国労闘争団の獲得に失敗した党中央への失望である。新指導路線から始まり、2007年の党の革命にまでとどまることがない一貫した中野氏の意識は、党中央の解体的出直しであった。」http://arakawa410.blog.fc2.com/blog-entry-1.html 両者の認識の開きはあまりに大きい。切り口の違いとだけはいえない。 こんな中で降って湧いた06年の「3・14」。 中野さんの最後の戦い、乾坤一擲の決起があったということか? 中野さんに関しては、平田氏(九州)の監禁をできなかったことで天田さんを非難するなど、党内権力抗争ならではの他の一面を描いている。やはり内ゲバ党派の最高幹部「副議長」の姿を垣間見せる。 Ⅲ.自信喪失で自壊する清水体制 最大の疑問は、なぜあれほど磐石に見えた清水体制は「簡単に打倒された」のか、だ。 当たり前の党派なら、暴かれた与田氏の罪状は「政治局員全員の引責辞任」に値するかもしれない。けれど、中核派にあってはどうか? 野島さんや秋山さんの(その後に分かった)失脚の直接の犯罪では、すべてを闇にほうむってすんだ。 そうした前例を見る限り、中野さんらの勝算は見えない。 では、かすかなりとも中野さんらには「勝算」は見えたのか? 水谷さんらには見えなかった清水さんの揺らぎや地盤沈下は見えたのか? 中野さんの数度にわたる会議や集会への「ボイコット」。 その過程での清水さんの対応。 組織的には、「政治局」の上に新設された清水さん直轄の「現場労働者を交えたWOB会議」の恒常化もある。これがもう少し描かれていい。 生きた清水さんの実像が中野さんらの前にあらわれ、そのあまりに無残で無知としか言いようが無い姿をくりかえし体感することの中で、中野さんらはある種の確信を強めていた、ということではないだろうか? 「地に落ちた偶像」という言葉がふさわしい。 清水政治局は打倒されたし、いまでは復活の芽もないらしい。(とはいえ…) タグ :#政党、団体
2015年11月07日 『敗北』本メモ① 全体像と著者らの想い? 今回はできるだけ「中立的目線」を意識して書いてみたい。 本書でいいたいことは、ほぼ全体の半分を占める第1部「3・14Ⅱ」だろう。 2006年の関西の3・14(党の革命、3・14Ⅱ)での攻防と敗北、そして失脚がすべてといえる。「路線闘争を腐敗問題にすりかえて与田にテロ・リンチを加えたのは不当だ」というに尽きる。 関西の3・14を受けての中野・天田さんそして清水さんの変貌の前に、いわば「抵抗勢力」として槍玉に挙げられて追放された過程が「本体」になる。 関連する諸事件がそれなりに網羅され、ま、資料としては数少ないまとまったもの、ともいえるかもしれない。 入り口段階で2点の修正と指摘をしておこう。 ①当ブログでの修正。3・14当日の本社での「党内集会」について。 「留守番内閣云々」は誤認のようだ。(修正済み) ②西島文書による「天田と中野があらかじめ仕組んだ3・14」説は、この本では撤回されている。 第1部のなかの「深夜の政治局会議」では、その「決定」の仕方が異様だ。 「書記長と(欠席した)副議長が賛成だから決定だ」とする天田さんに、「反対意見も併記してくれ」とすがる水谷さんら。これが「政治局決定」というものかとあらためて唖然とする。とはいえ「それが中核派の実態」という思いもぬぐえない。片言であいまいな清水メモが場を決する。 天田・木崎が清水さんに激しく噛み付いた瞬間の描写もある。ある種ショッキングな事件だ。「清水打倒」の臨場感があふれる。 清水さんの「3年でひっくり返すから」発言にすがった水谷さんらの沈黙と「違約」。「清水マジック」云々。 政治局に連なる地方や戦線などの3・14Ⅱへの賛否などの一覧は注目に値する。ただ、その色分けが適切か否かはよく分からない。 かつての共産党をも上回る「閉鎖集団」と化した中核派の実像を嫌というほど読まされる。 第2部は、その歴史に沿った検証ということになろうか。 いいかえれば、〈裏切りと変節の清水さん〉の実像に迫る、ということになる。75年の3・14以降を政治局内の目線から描いている。 「清水=中野『密約』説」の当否はおいて、いくつかの誰も知らないビックリ事実も書かれている。「左右の軸足」に乗ってジグザグを繰り返す定見の無い清水さん。91年の5月テーゼ(6月の挑戦-「8・1路線」)のヌエ性ということか? 91年段階の「このままで行くことは党の死」「絶対的飢餓の現実」という清水さんの認識(?虚言?)自体は私も同感だ。 参考までに当ブログから5 革命軍戦略の敗北 問題はこの現状をどうみつめてどう打開しようとしたのか? 本の中で繰り返される90年代以降の「左派」と「2つの右派」の内容・定義が分からない。折に触れてかすかに分かるのは「左派」とは武装闘争の継続路線だということ。「右派」とは「組織拡大唯一主義」と言いたいらしい。ただ、06年のこの時点では、もはや武装闘争は停止または廃棄されている。もちろん対革マル戦争も絶えて久しい。この時点での「蜂起の陣形維持」派とは何か? 中野さんの思惑や路線、折々の揺れの暴露はそれなりに描かれている。 ただ、各地方や産別そして諸戦線での実情や反応が描かれていないので、検証の仕様が無い。動労千葉特化路線の下では、全逓・国労共闘や教労・自治労などの「他の4大産別」との齟齬・あつれきも少なくない。それがまったく描かれていない。 地方や県や地区のキャップを労働者に置き換えて、「担当常任」が書記として仕切る体制への移行などは出てこない。 ある意味で最大の暴露は2つ。松崎せん滅にブレーキをかけた清水さん。そしてスト処分の和解のための亀井静香と中野さんの会談。後者は歯にモノの挟まったような議論で、中途半端だ。この時代、党と権力の関係をどう整理するか?難しい問題だったはずだけれど、スルーしてしまった。 荒川スパイ事件が再録され、栗山スパイ事件が大きく書かれている。 「主張」に近いものとして、三里塚3・8分裂にかかわる第4インターへのテロや67年10・8羽田前夜の解放派へのテロの自己批判などがある。 大事なことだが先行する小西誠さんや白井朗さん、今井公雄さんや小野田譲二さんなど諸人士の総括や自己批判の焼き直しでもある。すでに関西派の〈組織としての自己批判〉もある。2番煎じ・3番煎じとしてはそうした先駆けを受け継ぐという姿勢もほしい。(参考文献とするなど) あとがきでは、「本多正統派」「7・7派」らしき自己主張か。 全体としては、「政治局目線」から描くことでひとつの資料集としての価値はあるのかもしれないが、抜け落ちた重大事案も多すぎる。それに多くの問題は「清水さんの忠臣」としての評価のままであり、実態が伴わない。この一冊だけから何かを得ようとすれば時間の無駄でもある。 結果として、「闇の党首 清水丈夫を仮借なくヒキはがす」のに成功したか否かの判断は人に任せよう。 ただ、清水さんを神か鬼神かのように畏敬した公然政治局員たちの絶望と恨みの心は、あふれるように滲みだしていることは確かだ。「これが当時の、長年続いた中核派の中央の実像だった」ことだけははっきりと分かる。清水さんの崩壊、そして清水体制の政治局員の実像としてはその意味でよく描かれている。 繰り返して読むには味がないかも。まわし読みして流し読み、ていどがふさわしい気もする。 タグ :#政党、団体