2016年12月

谷津憲郎 @yatsu_n           
海兵隊の「戦略ビジョン2025」。改めてですが、嘉手納以南の返還によって、海兵隊は「新しく、最新式の、効率的な施設によって恩恵を被る」と書かれていて、なにも「不便をしのんで沖縄のために返します」ということではない、という現実を。

「海兵隊の”戦略ビジョン2025”には『ほとんど使用できない北部訓練場の51%は返還される』とある」というくだり。原文はこれ(

「GOJへのさらなる沖縄ランド収益は、来たるべき10年を通して起こります。 ほぼの間使えない北訓練空域(NTA)の51%は、GOJ(さらなる利用できるトレーニング)に返されます。可能な所で、土地は開発されます。そして、MCIPACの有限土地土地の完全な利用をします。」
谷津憲郎氏は朝日歌壇…

   長ったらしいタイトルになってしまったが。内容を紹介しようとすればこんなことになるのだろうか?
  序章から第Ⅱ部の「内乱・蜂起をめざした革共同の敗北」の第Ⅳ章「三里塚…」までは時代と世代を加味して、同世代にも若者にも読める展開になっている。時代を髣髴とさせる。
   全体を大きく生きいきと描く工夫、折々の描写と節々での総括点の提示は、自分自身と重ね合わせながら読み進むことができる。さしあたりこのあたりまでは多くの人と共有し、ともに総括する土台にしたい。ここまででもぜひ一読の価値ありだ。

  三里塚で「3人の大隊長(現地指導部)」の1人だったという尾形さん。71年渋谷暴動でも作戦予定としては星野さんらの部隊と合流してその指揮を執るはずだったという。(関係者の証言から)
   そして「軍」として関西・芦屋で逮捕される。関西では「1人住まい」のアジト生活。そしてやはり聴くところによると、関西では「非公然」のまま、地区党の会議に参加していたという。このへんは東の軍と西の軍そして地区党のありようの差異が大きかったということも始めて耳にした。
   だからこそ人一倍「内戦・軍」と沖縄と「星野」にこだわり、離党後も星野陣形や沖縄陣形にこだわり、関わり、さまざまな援助をし続けたのだという。希少な人材だったと人は言う。いいかえれば、残された党にはそういう人格がいなかったかまれにしかいなかったことの結果でもありそうだ。(この辺は荒川・荒木氏らの存在感とつながりそうだ)

   尾形氏は獄中生活をかなり描いていて、そこでの問題意識も語られている。文中には無いが、浅草橋戦闘の後、獄中被告への指導や援助が長く途切れていたときがあったそうだ。そんな時、同じ獄中から、若者たちに親身になって指導し世話役を買って出た数人の1人として語り継がれているという話も聞いた。「何であれ、切ってはならない人」だったという。(つづく)
 

同じく『資料蒐集』から
尾形さんが荒川碩哉さんとともに、出てくるので参考までに。
「甘糟との会談の記録」として公表されたものだ。
荒川碩哉事件の最初の顕在化ということとしても改めて参考になる。

 【13年】5月8日に荒川は拘束された。坂木【政治局員、労対議長】、有岡【内田透、東京西部地区委員】、新井(中島)【東海地方委員会議長】、坂井【東京西部地区委員長】が自宅に来た。最初は、自宅に上がり込んで尋問してそのまま自宅に置いておくようだったが、(荒川)みどりが都合が悪いと断ったため、ハワイ(杉並区上高井戸の事務所)に移動した。荒川は、11日に沖縄で尾形【尾形史人。1997年離党】と会う予定だった。みどりには、そのことは告げてあった。」
「11日に沖縄にいる尾形から甘糟に電話があった。『荒川が来ないのだが、どうなったのか?』と。自分は、『荒川のことだから日時をまちがえたのではないか』と答えた。その翌日会う約束をしていた星野暁子が尾形に電話してきた。『党中央から、尾形と会うなと言われた』と。【尾形からその連絡を受けて、】それで、自分としては、荒川が拉致・査問をされているのだろうと考えた。」

 【荒川は星野裁判闘争の重要な一角をしめ、獄中の星野も信頼しており、連れ合いの暁子とも運動上の関係が強かった。星野裁判闘争の性格上、沖縄の位置が大きく、関係者はしばしば沖縄に行っている。沖縄には尾形がいる。5月11日には荒川が沖縄に行って尾形と会い、星野暁子も翌日合流することになっていた。この三人の沖縄での会合が党中央によってつぶされたと受け止めた甘糟は、非常事態が起こったと推定した。荒川が密かに反中央の動きをしていたことを知っていた甘糟は、拉致・査問と察知した。なお、なぜここで党から逃亡した尾形が出てくるのか、筆者らは疑問に思っている。】

資料:甘糟との会談の記録(※27日に甘糟が読んで朱入れした記録文書)

   この時点では甘糟氏はすでに年末には反党フラクで除名?。
たしかに星野裁判になぜ尾形がという疑問は蒐集サイドからは「疑問」だろう。
   ここでは「逃亡・離党」後もなお、尾形氏が荒川氏とともに、星野闘争と暁子さんを支え続けてきたということを指摘するにとどめよう。
 
  なお「星野裁判闘争」という表記には「蒐集」側の立場・思惑の表明もありそうだ。「裁判闘争」が適切なのか?それとも「星野再審」なのか?それとも…?
  ちなみに全国連絡会のHPは「再審」とともに「星野さんに自由を! 星野さんと共に歩もう!」というタイトルだ

   また、2016年6月19日「星野文昭さん解放全国集会」もある。https://www.youtube.com/watch?v=USrOWYcPIes

   「ただちに釈放を」という表記もある。
      


  ここでは二つだけ。
 第Ⅰ部「七〇年世代」としての私の歩み  は「私史」中の「私史」。その第一〇章「離党へ」の「ある労働組合との出会い」は尾形氏にとってある意味「新たな原点」といえなくも無い。
  離党後に出会った「競争労働組合」という競馬・競輪などの馬券売り場の女性たちの争議を支援するという経験をした話だ。
「80年代は全競労の発展期であった。ちょういど七五年のゼネストが限界にぶつかり、総評に体調局面が到来していたころ、彼女たちは実力闘争で次々と権利を勝ち取っていたのである。…私の個人史において、この経験は三十余年間の革命人生を総括するものであった。…離党後の体験とはいえ、私の人生の新しい境地を切り開くような大きな位置を占めている」
  この辺の感覚は私にとっての荒本体験ややはり離党後の職場組合役員の経験に通底する。ま、私の場合は生活そのものに「ズブズブ」にはまった結果でもあるのだけれど。

  第Ⅲ部の第二章「沖縄奪還」論再考 も氏の沖縄移住後の沖縄体験から得た思いが濃密に語られている。

  こんな体験や思いが「離党後」にしか得られなかったという現実認識こそ「総括」の出発点なのだと思う。尾形氏も「白井A」を経て出発点に立った。まずはそのことだけを共有したい。
 
   

『資料蒐集』の「荒川自白文書(抜き書き)」には以下の項がある。
白井新党問題。
(荒川氏は次のように「自白」したという)
「新党構成メンバーを記したメモが発覚して、尾形史人が書記長になる人事案があると藤本か甘糟から聞き、人に漏らしたところ、水谷に伝わり「誰から聞いたのか」と追及され「川添」と答えたことがある。「他言無用」と注意された。
〔権力は〕白井新党には強い関心を持っていた。「同調者はいるのか」
尾形に直接ただしたところ、「何度か会ったのは事実。法大の先輩後輩ということが最初。新党構想は知らない。白井が勝手に書いたもの。いかにもメモ魔の白井さんらしい」
これらのことも〔公調に〕当然話したと思う。

〔この「白井新党問題」についての記述が事実だったとして、これをまとめなおしてみると、白井朗(最古参PB、のちに自己批判を拒否して逃亡)が、どういう意図でか「新党」を構想し、その人事案を書いたものが、不用意に露呈して問題になった、ということ。これだけでは不明瞭としか言いようがない。〕


*  文中の「川添」は岸氏のこと。文書は荒川氏の監禁中の「自白」と打ち出されてはいるが、「会話」の時期は02年の白井さん襲撃・テロ直後のことに違いあるまい。略奪した手帳やメモが元になる会話だといっていい。[ ]内は蒐集サイトの加筆らしいが、引用自体を含めて白井さんへの憎悪を全面にしている。
   ひとこと、「白井を襲撃して奪取(略奪)した文書」程度のことをなぜ言えないのか?襲撃当時は「かん口令」があったとはいえ、襲撃を企画・実行したKGBの当人が「知らない」はずがない!「両氏」が分析を担ったと見るのが普通でもある。
  「白井新党」をはじめ、「反党分子」の動きについてはまったく実情を分からず右往左往していたように見える。逆に離党した人々には中央の動きや情報が手に取るように分かっていた時期もあった。…のだそうだ。
 * とりあえず、「書記長」は残念ながら無かったという話。


  岸・水谷両氏の『敗北』本で荒川碩哉s事件が再録され、尾形氏の名前も出ていた。
  無視を決め込んでいたのだけれど、『50年私史』も出たので、さわりだけ。

  同じ「白井派」同志だが、実は余り面識が無い。
  むしろ70年の学生書記局関係者が多くを知っている。また神奈川の常任時代を知る人は少なくない。、人物論としてはいおいそんな話が出てくればと思う。

  じつは「白井派」は存在したことが無い。
  白井さんの『中核派民主派宣言』もあり、白井さんも一時は「白井派」の旗揚げを希求したこともあったのだろうが…。
 
  ここでは親白井グループとか白井系とか白井ネットとでも言うものがあったというだけにしておこう。
  尾形さんは白井A、私は白井Bとでもしておこう。C、Dくらいまではありそうだ。
  その関係性や形態・時期の差異によってそれぞれ別々だ。同じ白井Bも実は色んな思いの寄せ集めだといっていい。残念ながら長い党生活を経て、みんな「党」への異常なほどの嫌悪を内在していたし、後ろ向きの総括をぼちぼちしながら、自分たちがしてきたこと、信じてきたことの全体像をつかむにはあまりに道が遠すぎた。
  それぞれが別の道を歩みながら時々寄り集まって語り合うのが最大の課題だったといっていいのではなかったろうか。もちろん、ひとそれぞれの思いを抱えてだ。
  それぞれが別の人脈や運動やグループ・個人に関わってもいたから、それを抜きにして「白井系」の肩書き・レッテルを第1義とするのも正確ではない。
 
   尾形『50年私史』は、その意味で「白井系」が共通して抱えてきた課題に果敢に挑戦したイツブツだといってもいい。その成否・正否について語る前に…。ま、「白井系の云々」というとせっかく彼の遺志を善しとする多くの人と距離を開けそうだから、元中核派の多くの諸氏の思いを共有するとしておこう。
    (多くの人が白井さんとの交流を大事にしていたという点では、元中核派に絞る必要もなさそうだが)
      

知人からの要請を転載します。【以下引用】

2016秋~冬期カンパのお願い 現在毛布・寝袋、冬物衣料、カイロが最も不足しております
<<   作成日時 : 2016/09/27 16:01  

こんにちは。以下、山谷労働者福祉会館活動委員会からの2016年秋~冬期カンパの呼びかけです。どうぞよろしくお願いします。

 これまでに物資・現金両面でカンパを寄せていただいた多くの皆さん、どうもありがとうございました。送っていただいた物資・食材により、多くの仲間が寝場所を守り食事をすることができました。野宿の仲間をとりまく厳しい状況は続きます。これからも私達は野宿を強いられる人々を支える取り組みを行っていきます。毎週日曜日には共同炊事(食事の支援)で毎回250食前後の食事を作り、また、貧しい人々を公共空間から追い出す役所などの動きに反対・抗議し、仲間たちのささやかな寝場所を守る取り組みを続けています。これらの取り組みを支える物資とお金の寄付の呼びかけです。応援を、どうぞよろしくお願いします。

●必要な物資 現在毛布・寝袋、冬物衣料、カイロが最も不足しております

【毛布、衣類】
毛布、寝袋、防寒着、ジャンパー、トレーナー、フリース、ズボン、下着(新品)、作業着、靴下、軍手、靴

【布団】
越年闘争の集団野営に使用します。年末までにお願いします。

【食材】
米(精米設備がないため白米をお願いいたします)、調味料(味噌、みりん、和風だし、鶏がらスープ、塩、砂糖、カレールー、カレー粉)
インスタントコーヒー、粉末ミルク、紅茶、日本茶、カップ麺、缶詰、レトルトカレー

【日用品】
洗面用具(タオル、石けん、カミソリ、歯ブラシ、歯磨き粉)
洗剤(食器用、洗濯用)
カバン、テント、テレホンカード、カイロ、風邪薬、胃腸薬、鎮痛剤、マスク、湿布薬

【キャットフード】
(猫の世話をしている野宿の仲間が多いため)
ドライ(カリカリ)とウェット(缶詰など)どちらでもOKですができればウエットをお願いします。

【仕事道具】
安全帯、腰袋、安全靴


物資送り先
〒111-0021 東京都台東区日本堤1-25-11 山谷労働者福祉会館
TEL&FAX 03-3876-7073
*宅配便の配達時間を、『日曜日の12時~14時』と着時間指定にてお送り下さい。
*衣類は、野宿生活に向く実用的なものが必要とされています。
*以下のものは需要がありませんので、送っていただかないようお願いいたします。
〖背広、スーツ、ワイシャツ、女性もの衣類、どてら、かいまき、食器〗

●現金カンパ

【銀行口座などから振り込む際の口座番号・名義】
銀行名 ゆうちょ銀行
金融機関コード 9900
店番 019
預金種目 当座
店名 〇一九 店(ゼロイチキユウ店)
口座番号 0550132
名義 サンヤロウドウシャフクシカイカンウンエイイインカイ

【郵便振替口座】
郵便振替口座:00190-3-550132
口座名義:山谷労働者福祉会館運営委員会
ツイートも参照
こんなツイッターも参考に

【注】いるものと要らないものは意外なところもあります。要注意!


水戸喜世子さんから「一之瀬弁護士」の記事にコメントをもらったので謝礼も込めて。

当ブログでは「水戸巌氏と中核派の反核

ご本人のインタビュー記事もある。
総括としても大事な問題を孕んでいるのでぜひご一読を。

模索舎からコピペさせてもらった。

川口『近過去』
目次:
プロローグ

第1部 君と話しておきたかったこと
1 家族
2 さまよう少年
3 通過儀礼
4 活動家がうまれる

第2部 レクイエムが流れて
1 Kは闘い、人に出会う
2 工場に降りたK
3 Kの処遇は二級に
4 パロルまたは非戦宣言
5 脱藩
6 それから

エピローグ
[2016年8月/四六判/288頁/¥2,000+160] 
《RED ARCHIVES 02》 
著=川口顕 
発行=社会評論社

続いて古書ハンターさん。

投稿者 古本ハンター 投稿日 2016/11/5
元活動家の回顧談と聞くと読む気になりませんが、これはちょっとちがいます。これは戦後70年とほぼ重なる人生を生きた著者の青春の、いささか無防備な主観的記憶の吐露です。時間とともに概念的にしか思い出せなくなっている昔の空気が、実感にあふれた記述に刺激されて蘇ります。必ずしも口当たりのいい本ではなく、ところどころ反発を覚える読者もいるでしょうが、それを含めて何かと考えさせられる、挑発的な本。

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