47年生まれ。早稲田大学(2浪?)。一時は法政大学に寝泊まりして(革マル派制圧下の)早稲田に。68年~69年?
 同世代には当時の彼女を知る人も少なくない。彼女のファンも少なくないらしい。
 山崎プロジェクトの発起人の一人。
 ウィキペディアには「1980年、全共闘運動に関わった学生時代を歌った歌集『無援の抒情』を 発表し、第25回現代歌人協会賞を受賞する。」とあるが…中核派そのもの。

「道浦母都子」の検索結果は以下。

都はるみの「邪宗門」作詞

同「枯れ木灘残照」

◎以下はアマゾンのレビューから転載。
道浦母都子は、安保闘争において過激派と呼ばれる一派に属して、真摯に闘争を行った。あの時代の空気をとてもよく伝えてくれる。正直、私は、短歌と言うものにはなじめなかったが、この無援の抒情の短歌はすべて読み通せた。最初のページを電車の中で開いて

「迫りくる盾怯えつつ確かめている私の実在」
「「今日生きねば明日生きられぬという言葉想いて激しきジグザグにいる」

 の2首を読んで思わず本を閉じてしまった。「あっ、泣くな」と思ったからである。それほど、いきなりあの時代の空気が突入してきた。また、安保闘争が政治闘争というよりも、個人の実存の戦いであったことを明確に示してくれる。忘れかけていた時代の空気である。あの、時代を真摯に生きた世代に読み継がれるべき本である。また、あの時代を知らない若者にとって「無援の抒情」はどのように写るであろうか。まさに、あれは「時代」であった。安保闘争のうねりは、時代のうねりであった。若者たちは、時代のうねりに身を預けたのである。

以下は同じくレビューからの転載

  わが縫いし旗を鋭く震わせて反戦デーの朝を風吹く
  確かめ合うスクラム弱く震えいてわれらのインター歌声低き
  火炎瓶も石も尽きしか静まりし塔に鋭き夜気迫りゆく
  炎あげ地に舞い落ちる赤旗にわが青春の落日を見る

しかしそれは全共闘のためのプロパガンダではない。全共闘の時代を真摯に生きた女性の叫びである。

  稚き手白き手選びてビラ渡すその手がつかむものを信じて
  恋う人は同志なるかと問う友に向かいて重たき頭を振りぬ
  お前たちにわかるものかという時代父よ知りたきその青春を
  眠られぬ夜を明かして又想う苦しき今を今を生き抜け

 思いつくままに幾つか拾ってみたが、これらが私の一番のお気に入りだというわけではない。何故一番のお気に入りを挙げなかったのかというと、それらは巻末に載せられた後藤正治氏の「我が世代を歌う――道浦母都子小論」に取り上げらているからである。実はこの小論が素晴らしいのだ。しかしこれを最初に読んでは絶対いけない。あまりに素晴らしいものなので、本文を読んでいる時知らず識らず氏の選んだ歌を探しているような気持になってしまうからだ。

朝日歌壇で名前はよく目にしていたが、全共闘世代の歌人とは知らなかった。今回彼女の歌を始めて読んで、やはり歌で人生は詠めるけど、歌で思想は語れないのだと思った。
 お気に入りの歌
 「会議果て帰る夜道に石を蹴る石よりほかに触るものなく」
 「ヘルメット灰皿にしている君の部屋「反帝・反スタ」逆さに泣いてる」
 「異常が日常に溶け込む際の一瞬を青年の眼よ見逃すなかれ」
 「寂しさに耐えきれず来てシャガールの抱擁の絵の前に佇む」
 「生きていれば意思は後から従きくると思いぬ冬の橋渡りつ」
 「全存在として抱かれいたるあかときのわれを天井の花と思わむ」
 「大男ひとり眠らせその後をわれもぬばたまの闇となるべし」

以上、転載

【補足】道浦さんは『黒ヘル』だったよ」という人もいる。ま、深くは詮索すまい。