2024年03月

【お詫び】長くなったので【白土メモ】は別記事に移しました。
 岩本本⑤三つの「血債論」【白土メモ】イデオロギーと運動と
http://yuigadokuson999.livedoor.blog/archives/24356208.html
 
 岩本氏の『党はどこへ行ったのか』についての書評の紹介をもう一つ。

新刊紹介 : 岩本愼三郎著『党はどこへ行ったのか 私と革共同』

赤松英一

 ウクライナ、パレスティナ、ミャンマーなどの激しい戦乱と抵抗・解放の闘い、アメリカ、ロシア、中国などの奥深い混迷と危機、自民党政権の底知れぬ腐敗と悪政などを見るにつけ、(欧米における新たな社会運動の広がりと対比しても)日本における社会運動の長い低迷に心が重くなります。

 もちろん、そんな中でも沖縄(辺野古や南西諸島前線化)や原発さらにパレスティナなどの政治課題や身近な社会的課題に少数でも声を上げ、行動を続ける人々が存在していることは確かであり、心から敬意を表します。

 と同時に、60年代後半から70年代初頭までの時期、日本でも青年・学生を中心に、その世代における意識的部分の主流が革命を目指す運動を激しく展開しながら、それが敗北・挫折し、発展させられなかったことの総括が必要であることを強く感じます。【以下略】
以上、レイバーネットからの転載です。

   新刊紹介 : 岩本愼三郎著『党はどこへ行ったのか 私と革共同』

 
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『党はどこへ行ったのか』に見る「血債論」
 全部で2頁程度なのですが、ひとまずはおおむね4割分くらいを引用する。
 段落は当ブログでつけました。漢数字と混在してしまいましたがご愛嬌。

【以下引用】……… ……… ………
第Ⅰ部 光と影の幾歳月
 第2章70年安保・沖縄闘争という挑戦
  7・7自己批判と血債の思想 (40ページ)
 安保・沖縄問題を中心に70年闘争を見てきたが、7・7自己批判問題については追加する必要がある。
 七〇年七月七日の盧溝橋事件(日帝の中国侵略戦争への全面突入)から33年目の日に、在日中国人青年らの組織である華青闘(華僑青年闘争委員会)が、革共同をはじめとする70年闘争に参加している新左翼党派に対する糾弾闘争に立ち上がった。
 直接のきっかけは革共同の1メンバーの発言だったが、中身は要するに、お前たちは日帝のアジア侵略の歴史を本当に分かっているのか、在日中国人、在日韓国・朝鮮人の置かれている困難な現状、その法的地位、入管問題の大きさを分かっているのかという深刻なものだった。
 このとき本多は破防法で獄中にいたが、残された革共同指導部は清水を先頭に全力で、誠実に自己批判した。革マル派の「被抑圧民族迎合主義」などという悪罵をはねのけて、革共同は70年闘争を視力をつくして戦い抜いたからこそ、このような在日の糾弾を受けたのであり、これに対して徹底的な自己批判を貫徹しえたのである。

 在日、特に在日韓国・朝鮮人は、戦前は「帝国臣民」だったが、戦後は一切の権利を奪われ、47年5月2日、つまり新憲法施行の前日に出された最後のポツダム勅令・外国人登録令によって「外国人」にされた。戦後憲法・戦後民主主義は、沖縄に続いて在日を排除し、以降在日中国人を含め、これを過酷な入管体制のもとにおくのである。

 革共同はこの批判に応えて「入管決戦」方針なども出すが、求められていたのそうした政治カンパニア方針ではなく、地域的・持久的・陣地戦的な闘いの方針だった。
 そしてこの入管問題の焦点化を突破口に、部落、沖縄、障がい者、女性などの諸戦線が革共同内に構築されていった。

 差別と排外主義との闘いがその後たえす課題となり緊張を生んだ。ここには行き過ぎが生まれ、混乱も、過ちも生じた。組織内外における「糾弾主義的」な言動である。
しかしそれは徹底した討議で正していけばよかった。この自己批判=「血債の思想」の重要性について革共同は、その後も長く再確認し、反芻し続けてきた。例えば清水は、98年10月に書いた論文(清水著作選第2巻序文)の中で次のように書いている。
 「…階級的倫理性の問題ですらある。…」【以下略】【以上引用】

【ブログ注】
 【白土メモ】は紹介記事などを含めるとあまりに長いので、以下は別途記事に移すことにしました。

岩本本②の続き=転載分……… ……… ………
③の続き
 言いたいことは、80年代の中核派は、「革命軍戦略」という「単一路線?」であり、三里塚基軸論=排他的・単一基軸(路線)論で押し通してきたことだ。ここでは「準基軸」ともいえる課題として、杉並区議選・動労千葉・部落解放運動=同志会・解同荒本支部があったのも事実だ。
 しかし動労千葉に関しても、その評価の軸は、反対同盟との「労農同盟」を担う、ジェット燃料輸送阻止を闘う動労千葉、と言う面をほぼ一歩も出ないものだった。「反合闘争」「高石闘争」などへの共感や国鉄労働運動や民間労組への共感など、動労千葉がいくら語っても帰ってこない。そんな「政治主義・路線主義」の延長上にしかなかった。少なくとも「党員大衆」の世界では!労働者党員にとっては、情けない屈辱の日々?もちろん、それに従わない少なからずの人もいたことも忘れられない。
 そんなことを前提にして書いてくれたらね!ま、これも分量が溢れるけど。

④最後に一番言いたいこと
 「いつまで『党が党が』と言ってるんだよ!」
 「正しい党」なんてどの面下げて言うのかね?

 本多さんはとっくにいない。あれからもう50年近くになる。レーニン?百年前の話だ。

 「革命党」とは究極は「武装蜂起の党」であり、「内戦・国際戦争」に勝ち抜き、権力を奪取するために何が何でも生き残る「党」のこと。
 残念ながらそんな党を私はもはや構想できない。
 せいぜい、10数年、大衆に溶け込み、世俗的にも複雑な判断と対策を立てられる運動が出来たらと、想いを巡らすだけだ。

⑤そして結論
 なぜ中核派は真っ向から党内論争・党内闘争ができなかったのか?
 どのように、でもいい。
 なぜ中核派はまっとうな「分裂」がなかったのか?

 下記の部分に、ひとまず10次に渡る中核派の「分裂史」を紹介します。
 加えて06年3/14からの関西派と九州はの分裂と「血債主義者」の排除、最後に東北地方委員会のEL5派を入れると十数次の分裂・粛清を重ねてきたことになりそうです。

 言いたいことは、どちらが正しいかとか、という前に、主張ややり方や体質が折り合えず、共存できなくなったら分裂するしかない、ということ。その気になったら、後でまた合流すれば済むことでもある。
 もう一つ。党派闘争も党内闘争も「カンパニア」「囲い込み」は不可欠だということ。
 それぞれの「私」がどちらを選ぶ、ということが「原則中の原則」のはずだ。
 しかし現実には、「排他的囲い込み」が先に立つ。この「囲い込み」は多くの知恵と努力の結実でもある。そして「暴力的」だ。
 実際の分裂を見ると、一方を選んだ人が、時を経て他方に鞍替えするということは極めて少ない。難儀なのだ。
 政治指導部ですらそうで、ましてや「末端や現場」の人にとっては、「結婚相手の選択」も「離婚の自由」もない、というのが実情か?
 じゃあどうする?「自立した共産主義者の結集体」。絵空事か???
 
 「生きる知恵」…かも?
 ……… ……… ………
 以下の項目に関連事項が入っています。当ブログの記事です。
 2017年01月13日

  2017年01月21日

 

 

 (この項終わり)

関西派の橋本利明氏の書評を転載する。特に長いものではないので最初から全文を読んだ方が良さそうです。全文は下記の「未来」をタップしてください。
ここでは気になる所だけを抽出します。
末尾にメモをつけたのが長くなりました。分けて読んでくれた方がいいかも?

【以下転載】……… ……… ………

未来

8面

書評
『党はどこへいったのか~私と革共同~』岩本慎三郎 社会評論社2023年12月刊
     革共同の総括と路線的深化のために
     橋本利昭

岩本愼三郎著『党はどこへ行ったのか ~私と革共同~』は、いい意味で物議を醸す本である。この本とぶつかり、学び、吸収しつくし、われわれの再出発としたい。

3・14決起断固支持

岩本さんは本書で、2006年3月14日の党改革を求めた関西の決起を支持している。「官僚主義と権威主義と印籠政治の弊害を…実力で打ち破る闘い」と。また3・14で打倒された「Y*は生まれた時から腐敗していたのではなく、革共同が生み出し、つくりだした」ものであると、主体的・内在的に総括している。(【ブログ注】Y* 当時政治局員兼部落戦闘同志会の代表でもあった)

それに対して革共同中央は、「Yの腐敗を生みだした責任は関西にある、部落解放運動にある血債とか7・7というものの考え方にある」とすり替えた。3・14決起を簒奪し、改竄するためである。岩本さんはそれに抗議し、2008年冒頭の基本会議で反対を貫き、処分を受けて党を離脱したことを今回明らかにした。(略)

3全総と対カクマル認識

岩本さんは、いわゆる「内ゲバ」と称する左翼内部での暴力行使には抑制的であるべきと反省している。同感である。しかしカクマルについては、「バリケードの向こう側に移行した政治カルト」と規定し、対カクマル戦を支持する。カクマルを、運動組織路線における「サナダムシ路線」と批判する。自ら階級闘争全体に責任を取らず、他の運動に寄生してそれを食い散らして自らの糧とする在り方である。ここから党派闘争の自己目的化、自己中毒化を生む、「永遠の今」「のりこえの論理」「革命的暴力論」に至るカクマルの立場を本多延嘉さんは、「召還主義と解党主義」と規定したことを紹介している。

岩本さんは、カクマルとの決定的分岐をなした革共同3全総を重視している。そして3全総の3つの軸として、反戦闘争・選挙闘争・労働運動を挙げ、労働運動の要点として、戦闘的労働運動の防衛と地区党建設を挙げている。私の理解としては、3全総のもう1点重要な点は統一戦線であると思う。統一戦線戦術は階級(闘争)全体に責任を持つあり方であって、単なる学生戦線の方針であったり、政治術策ではない。

直面する革共同の課題

岩本さんは、「階級的労働運動路線」「新指導路線」「動労千葉特化論」などによる反戦政治闘争の放棄を一番問題にしている。そして、最近、革共同全国委員会機関紙『前進』が、「今や革命の時代だ、反戦闘争としての反戦闘争が重要だ」と言い始めたことに、「遅すぎる」「総括がない」、「総括をする主体性・感受性を失った集団になり果てた」(p.367)と言う。
革共同を自称する今日の革共同全国委員会は、遅すぎる、総括がないだけではない。世界認識・現状認識が根本的に間違っている。プーチン・ロシアによるウクライナ侵略を侵略でないと言い、「戦争を内乱へ」をウクライナにおけるゼレンシキー打倒に帰結させている。

またパレスチナ問題についてもアメリカ帝国主義の戦争というのみで、シオニスト国家イスラエルによる侵略、パレスチナ人民への迫害を弾劾しない。台湾問題について、軍事的強制併合で恐喝する習近平・中国指導部のスターリン主義そのもののあり方を批判しない。それ以上に一切をアメリカ帝国主義の戦争とし、台湾問題を利用して対中国包囲、戦争挑発を図る日本帝国主義・岸田を正面から問題にしない。
 同書は、事ここに至った責任が一番ある清水丈夫(現革共同議長)をあまり批判していない。革共同にとって「議長」とはお飾りではないはずだ。清水が非合法場面にいたことは言い訳にならない。革共同の変質、今日まったく闘えない「前衛」詐称集団に変質させた元凶は清水丈夫にある。党内で意見が相違する者を「スパイ」規定してきたのも、真剣に党改革を試みる者を「分派」として追放してきたのも、清水である。

日本革命・世界革命にかけたわれわれ共通の思いを実現するため、岩本さんには『党はどこへ行ったのか』の続編を、『党はここにあり』として清水批判をぜひ執筆してもらいたい

戦略的総路線の深化のために

革命的左翼が、60年安保闘争も70年安保・沖縄闘争も日帝を正面の敵として見すえて闘ったという認識に賛成である。今日の革共同全国委員会が、「万年米帝一極支配」論のもと、日本共産党以下の日帝免罪路線をとっていることを徹底弾劾して進まなければならない。

国鉄闘争について、1047名の「和解」について、中野洋の国鉄闘争への絶望の結果という認識に改めて蒙を啓かれる思いである。この点を明らかにした岩本さんの功績は大きい。ただ85年11・29浅草橋戦闘については、清水丈夫と中野洋の具体的責任をぜひ明らかにしてほしい。この戦闘を「信じがたい愚行」と言うだけでは、現場で担いぬいた国鉄労働者や青年労働者・学生は報われない。

30年間に及ぶ武装闘争と非合法・非公然活動の期間については、「党による軍事の一人歩きはダメ」ということに真剣に同意し、反省します。それと同時に、「官僚主義」や「印籠政治」が非合法・非公然活動の中で始まったという理解では済まないと思う。

軍事や非合法活動に手を染めなかったらよかったのか、防衛的性格の軍事活動に限定すべきだったのか、である。回答は、労働者大衆自身の武装や非合法活動をどう形成するのか、そこにおける党と党の軍の役割ということになる。蜂起の軍隊はロシア革命における赤衛隊に見られるごとく、大衆自身の武装を基礎に発展させたものである。代行主義など問題にもならない。


若干の経験と見分に基づいて提起すると、次のような点である。
(1)労働者人民自身が武装と武装闘争の主体であることを貫き、兵たんを人民自身が担いぬく人民の海の組織化における発想の転換が必要である。
(2)戦闘における軍令の絶対性と準備や計画における白熱的討論を保障し、組織すること。
(3)戦士共同体におけるコミューン原則、1人も排除しないあり方、である。

 

【以上転載】……… ……… ………
 
【白土メモ と評】長くなりましたが。
 ①岩本氏についての『前進』紙上での言及は以下。
 故・岸及び水谷両氏の『敗北本』に岩本氏が参画していたという嫌疑によるもので『スパイ』と断罪している。
 革命運動史上最大のスパイ分子に転落した岸・水谷・岩本を 打倒せよ 革命的共産主義者同盟政治局

5月、2006~08年の「党の革命」で打倒・追放された岸宏一と水谷保孝、岩本慎三郎は階級闘争史上、最も極悪で腐敗にまみれた反革命スパイ本を出版した。...
福島に敵対し反原発運動分断する 最大のスパイ岸・水谷・岩本打倒を 革共同東北地方委員会

 岩本氏によれば “事実無根。俺は敗北本にはノータッチ。まったくの無実・無関係“ だそうな。

 ただ敗北本では、「松本意見書」やその処分の経緯の一部については、岩本氏の観点から書かれていることも事実。離れたもの同士、その程度の交流はあったらしい。その上で、「岸・水谷に近い」とか「やはり参画者」として「断罪するのはあまりにも乱暴」というに尽きる。

 本書では「松本意見書」を契機に08年1月に離党した経緯も書かれている。別な見方からすれば、処分・除名への経緯でもある。

②ある意味で、唯一?の「革共同の歴史・正史」でもある。
 革共同の創設から革マルとの分裂、そして「70年闘争」、血債の思想の誕生、…。それぞれ現場感覚とともに描かれていて、それはそれで生き生きとしている。古い人、若い人、中核派系の人、他党派の人、改めて新鮮な想いで振り返ることもできる。後日への遺産?

 この辺は、できることならぽつぽつと引用しながら論じたい。
 ただ難点は、橋本氏の書評にあるように、例えば「浅草橋」についての論評が「片言隻句」で終わるなど、食い足りない。それは多くの論点で共通している。ま、それをやると軽く5割増しの分量にはなるだろうけれど。そして集中砲火を浴びるかも?

「改憲阻止百万人運動」と国鉄闘争への重心の置き方

 もう一つの特徴としては、これらの大闘争・大運動にその中心近くで関わった人として、90年代の課題やその意義を大いに語っていることだ。

 「うっ?!」という反応は私だけではないと思う。
 この時期すでに本社を出て、中核派を辞めていた私にとっては、「あの中核派が、そんなテーマに関わることがあるのか?」という感慨が当時の感覚だった。
 90年の「転換」を経て、90年代中頃は、現場組織やメンバーたちは、「先制的内戦戦略」の「継続か解消・召喚か」で互いに階級的と向かい合うような混乱とにらみ合いのような中で葛藤していたと聞く。
 岩本さんはそんな中で重責を担って上記の「大運動」に参画していたのだそうな。
 私自身とすれば、「それは正しいだろうが、そんなの中核派じゃねえよ」「俺の知ってる革共同じゃねえよ」とうめくしかない。

 「上が決めたのだから、残っていたら率先して関わるかもしれないけどね」
 「でもまた変わって召喚しろと言われたら、またそれに従って、『ナンセンス』と言うのかな」
【ブログ注】
 あまりに長いので、以下は(続く)にしました。26日公開の「党??」にそのまま転載します。

【ブログ注】尾上光さんからの要請を以下転載します。
……… ……… ………

ガザに心を寄せていただく皆さんへ

藤永香織著「ハヤティ・パレスチナ 夢をつなぐカフェ」復刻版が皆さんのご支援で
ようやく発行にたどり着きました。
ご支援に感謝します。

本書の[復刻にあたって]で、藤永香織さんは以下のように書き出しています。

「アンネ・フランクを偲ぶイスラエルへの旅で、パレスチナに出会った。ガザ地区に
魅せられ、パレスチナ人の自立を目指し共に歩みたいと思った。その第一歩として、
縁あって結婚したパレスチナ人の夫と、地元ガザ市でカフェを開業したが、店は戦車
やミサイルに破壊され、焼き討ちに遭うなど、苦難の連続だった。でも何度この店を
壊されても、この想いは変わらない。…そう信じていた。

[あれから20年。本書に登場した彼らのほとんどはもう、この世にいない。病死や自
死で亡くなった娘達。行方不明や生死不明の息子達。兄も姉も弟も妹も、従兄弟たち
も、親友も。「天井の無い監獄」が着々と完成していったこの20年は、私たちにとっ
て世界がぼろぼろと欠けていく日々だった。そしてとうとう、ガザで共に夢を繋いで
くれていた夫の心が壊れた。」

是非お読みになってください。
本書の売り上げは必要経費を除いてガザへ送金します。

香織著「ハヤティ・パレスチナ 夢をつなぐカフェ」復刻版の購入は
① 購入される冊数とお届け先を下記のいづれかにお知らせください。すぐに発送し
ます。

◇ ℡ 09066342973(おのえ、ヤスミン・ライブラリー)
◇ 〒814-0002福岡市早良区西新2ー5ー15ー101
  ヤスミン・ライブラリー(尾上光)
◇ yasmeen_library@yahoo.co.jp
  duster705@yahoo.co.jp (おのえひかる)

② 本が届いたら下記に代金を振り込んでください。
◇ 銀行名 西日本シティ銀行
◇ 支店名 西新町支店
◇ 店番号 204
◇ 口座番号 1559729
◇ 普通
◇ 口座名義 藤永香織(ふじながかおり)

よろしくお願いします。

ヤスミン・ライブラリー(尾上光)
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