2024年08月

☆革命的共産主義運動の略年表
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【前史】

1955年7月 日本共産党6全協
1956年3月 ソ連共産党20回大会で「スターリン批判」/10月 ハンガリー革命
1957年1月 革命的共産主義者同盟創立
1958年~59年 東大、早大など日共大学細胞で、スターリン主義との闘いに次々勝利
1958年夏 第1次分裂。トロツキー教条主義との闘い/12月 共産主義者同盟(ブント)結成

  【革共同全国委員会の歴史】

1959年8月 第2次分裂。トロツキー教条主義と闘い、革共同全国委員会結成/9月 全国委員会機関紙『前進』創刊
1960年4月 マルクス主義学生同盟結成。ブントとともに安保闘争の先頭に立つ
1961年1月 マルクス主義青年労働者同盟結成/3月 ブントの革命的部分が革共同に結集/夏 革共同第1回大会
1962年9月 革共同第3回全国委員会総会(3全総)。戦闘的労働運動の防衛と創造、地区党建設、革命的統一戦線について決定。動労千葉労働運動の原点/年末から翌春 3全総にたじろぎ、黒田と松崎らカクマル派が逃亡
1964年 原子力潜水艦横須賀寄港阻止闘争
1965年 日韓闘争(日韓条約批准阻止闘争)/8月 反戦青年委員会結成
1966年8月 革共同第3回大会
1967年2~7月 砂川基地拡張反対闘争/10月 10・8羽田闘争。羽田、佐世保、三里塚、王子の「激動の7カ月」 
1968年10月 米軍タンク車輸送阻止の新宿闘争(騒乱罪適用)
1969年1月 東大安田砦攻防戦。68年以降、日大・東大など全国大学闘争が高揚/4月 沖縄闘争(破壊活動防止法扇動罪適用。本多書記長ら逮捕)/10、11月「第1の11月決戦」。「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」を掲げて学生と労働者が武装闘争に決起
1970年6月 安保闘争。革命的左翼が社・共を上回る大衆的な決起/7月 闘う中国人青年からの糾弾を受け「連帯戦略」を形成(7・7自己批判)
1971年2~9月 三里塚軍事空港粉砕の土地強制収用阻止闘争/11月 沖縄返還協定批准阻止の「第2の11月決戦」(再度の破防法適用)。11・14渋谷暴動闘争で、後に星野文昭同志にデッチあげ殺人罪で無期懲役攻撃(現在獄中35年)/12月 関西でのカクマルの武装襲撃で中核派の2学生虐殺(12・4反革命)。二重対峙・対カクマル戦に突入
1973年9月 革命的報復戦の開始
1975年3月 カクマルによる本多延嘉書記長虐殺(3・14反革命)。3・14報復戦に突入。「先制的内戦戦略」を確立
1977年8月 動労千葉地本がジェット燃料貨車輸送阻止闘争に突入
1979年3月 動労千葉が動労本部から分離独立
1981年 第5回大会。先制的内戦戦略フェーズⅡ(第2段階)に転換。国鉄・三里塚決戦に全面的に突入
1985年10月 三里塚2期着工阻止決戦/11月 国鉄分割・民営化反対で動労千葉がスト突入。中核派が11・29浅草橋戦闘
1986年5月 迎賓館ロケット弾戦闘。権力は革共同壊滅の「5・7宣言」体制発動/10月 「10月の挑戦」と爆取弾圧粉砕の闘い
1989年7月 長谷川英憲氏が都議に当選
1990年 天皇・三里塚決戦
1991年5月 5月テーゼ路線への転換
1994年6月 マルクス主義基本文献学習シリーズの刊行開始
1995年秋 19全総
1997年12月 20全総。清水丈夫議長―天田三紀夫書記長の最高指導体制を公表
1999年11月 闘う労働運動の新しい潮流の形成へ3労組呼びかけの11月労働者集会始まる
2001年 第6回大会。黒田=カクマル完全打倒の勝利宣言
2003年 新指導路線/11月 日韓米の国際連帯闘争始まる/12月 新生マルクス主義青年労働者同盟結成
2006年3月 関西の労働者同志を先頭に「党の革命」に突入
2007年1月 階級的労働運動路線打ち出す/7月 7月テーゼを発表/秋 塩川一派が7月テーゼと階級的労働運動路線に敵対し革共同から逃亡/12月 新生関西党員総会を開催、労働者指導部を軸に新体制確立
2009年7月 サンフランシスコ国際労働者会議/9月 25全総開く
マル学同1000人、マル青労同1000人建設へ、世界革命勝利へ驀進中!

ガザに心を寄せていただいている皆さんへ

 

藤永香織さんからのメッセージです。

 

藤永香織と申します。パレスチナ・ガザ地区に家族がおります。今日は、ガザの家族

からのメッセージを読ませていただきます。

「日本の皆さん、こんばんは。僕たちはマッスーシーとムハンマド。今はハンユニス

郊外に逃げています。

 

近隣はドローンが飛ぶくらいですが、ラファヘの攻撃音が聞こえてくる毎日です。こ

れまで、爆撃音に怯えながら、明日も生きていられますようにと祈り、朝、目が覚め

たら生きていることにホッとする。

 

こんな生活が8か月以上も続いています。

 

ガザの人間というだけで、僕たちは殺されても仕方がないのでしょうか。僕たちは死

にたくありません。殺されたくありません。

一日も早く停戦してほしい、どうか皆さんの助けが必要です。僕たちがこれ以上殺さ

れる前に、どうか助けて下さい。」

 

電話が繋がった時、彼らの声のすぐ後ろにドローンの飛行音が大きく迫って聞こえる

ことがあるのですが、今にも子どもたちが撃たれるのではとドキドキします。

 

逆に、近所の子どもたちが遊びまわる甲高い声が聞こえると、活き活きとした命のざ

わめきが電話の向こうに満ちているようで嬉しくなります。

 

けれど、今この瞬間にも命を奪われている人がいるかもしれないと思うと、胸が苦し

くなります。

 

彼らが殺されていい理由など、どんなに探しても見つかりません。

 

もう、誰にも死なないでほしいです。イスラエルの人質も含めてです。そのためにも

、一日も早い停戦が必要です。

 

どうか、ガザに寄り添って下さい。あなたの助けが必要です。

あなたの関心が、あなたの行動が、ガザの誰かの命を救うのです。 一刻も早い停戦

の実現の為に、どうかあなたの力を貸してください。

 

以上転載です
転載・紹介が遅れて申し訳ありません。
パレスチナ・ガザ/時を共に、遥かなる空の下で - gooブログ

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