2025年09月

矢嶋さんとともに排除された人びとのかつての「自己紹介」を改めてみておきたい。

……… ……… ……… 【以下『前進』から引用】……… ……… ………

85回定期全国大会(202491213日)にて選出

 矢嶋 尋Yajima Hiro委員長/学習院大学(文

自己紹介

 2020年の秋から全学連で活動しています。(略)機動隊と生身でぶつかりあう経験を全学連は最先頭で積み重ねてきました。(略)私たちを抑圧する国家暴力や資本家を蹴散らす革命運動の楽しさ、解放感、展望をより多くの人に経験してほしいです。

 私は99年生まれで、物心ついた時から新自由主義と不況の時代を生き、資本主義下で「勝ち組」になることが何ら自己の解放に繋がらないことを身をもって体感してきた世代です。そして戦争が始まり、「兵力」や「労働力」として青年・労働者が無数に使い捨てられていく今の現実を前にして、座して死を待つより立って闘おうと、同年代の皆さんに訴えたいと思います。

 (略)女子学生が解放的に実力闘争を闘う姿が、また新たな女子学生の決起を生み出し団結が拡大しています。(略) そういう内実をもった闘いを全学連がつくってきたということは、新しい中央執行委員会の人事にも多分に表現されていると思います。ウクライナ戦争以降に全学連に結集した若い仲間たち、そして女性、セクシュアル・マイノリティー、この人たちが本当に反戦闘争の主体になって、リーダーになって、顔と名前を出して闘っていく。このことが、本当に新たな爆発的決起を引き出していくことは間違いないと思います。 (以下略)。85回定期全国大会 委員長就任あいさつより

 

齋藤 晴輝Saito Haruki書記長/東京都立大学(法)

自己紹介

私がどんな人間なのか知りたいという方は、ぜひデモや集会に来て声をかけてください。

亀井 陽慧Kamei Hitoshi副委員長/京都大学(経済)

自己紹介

 15年安保国会のとき、中学生だった自分は「これは絶対許してはならない」と思ってテレビにかじりつき、巨万の民衆が怒りに燃えて国会を包囲する映像に「本当に止められるんじゃないのか」とドキドキしていました。しかし、ひとたび参議院中継を見てみると、野党議員が「あなたたちに武士の情けはないのか」と安倍に命乞いをし、国会突入をよびかけるでもなくみすみす安保法成立を許すという現実がありました。
 こういう既成左翼どもの裏切りにたいする絶望と怒りから、本気で闘う全学連に結集して闘うべく京大に入学しました。22年より書記次長となり、今年から副委員長を仰せつかります。15年安保の雪辱を果たす内乱的実力闘争を実現し、中国侵略戦争を阻止するため、逮捕・投獄覚悟のうえ、全力で頑張ります。

 

陳悠生Chin Yusei副委員長/広島大学(経済)

自己紹介

 私はG7広島サミット闘争から参加しました。5日間で7波のデモ、しかも24千人もの警察権力を動員される中での、今でも一番大変なデモでした。その過程で、自分の仲間が目の前で不当逮捕されることありました。反戦反核の闘い、帝国主義を打倒する闘いは、必然的に国家権力からの弾圧と対決しなければならない闘いでもあります。逮捕されるリスクは当然あります。しかし、私は反戦潰しを狙った不当逮捕、その奪還闘争をきっかけに、その狙いを粉砕して、更にたくさんの人が反戦運動の決起するのを見てきました。支配階級は、私たちの反戦反核の闘いを根本的に潰す力は持っていないのだと思いました。

"
私たちが完黙・非転向で闘えば必ず勝てる、それどころか更なる闘いの爆発を作ることが出来る"、そう確信して闘っています。

【ブログ注】ここからは横の枠を拡大するかスライドしてご覧ください。

池之端 紗衣Ikenohata Sae書記次長/京都大学(文)

自己紹介

  私はほんの数年前まで、女性として差別・抑圧を受けながら生きていかねばならない未来に
絶望していましたが、全学連の闘いと出会い、今はここ日本で女性という立場で仲間と共に闘
えることを心から幸運に、そして誇りに思っています。 

女子学生は、中国侵略戦争阻止の反戦闘争に立ち上がろう!一緒にスクラムを組もう!あな
たの決起を待っています。

西村 凌風Nishimura Ryoga書記次長/筑波大学(人文・文化)

自己紹介

  2004年生まれの大学3年生(大会時点)です。トランスジェンダーとして幼少期から抑圧されて
きたことへの怒りを原点に闘っています。


 青年・学生のすべての怒りを結集し、反戦闘争の内乱的爆発を実現するために闘います。とも
に隊列を組んで戦争と差別の元凶=帝国主義を打倒しましょう。

渡辺 祥英Watanabe Shoei書記次長/中央大学(理工) tanabe Shoe(理工

自己紹介

 高校生の時、教師から「大学入ったら自由だから、今は頑張れ」と言われ無邪気に信じていま
した。そんなとき、全学連の人が東洋大でビラを配ったら逮捕されたこと、「リベラル」が大学への
ビラ配りへの大バッシングを行っていたこと、全学連は逮捕された仲間を絶対に見捨てなかった
ことを見て、活動に参加し始めました。


趣味は音楽で、60-70sフォークやソウル、ブルースが好きです。

全学連メールニュース(05/23) - 全日本学生自治会総連合(矢嶋委員長)

https://zengakuren.jp/

 

『前進』の記事の続報

石田反革命許さず革命的女性解放闘争の前進を 革共同関西地方委員会・蜂起者Ⅱ

まず初めに、石田を絶対に許さない!
全ての権力を振りかざし、数々の女性差別・性暴力、抑圧を行ってきたことを開き直っている! そして34全総も提起したのにも関わらず、自らが背反し、全てを裏切った。石田! 死んでもお前を許さない!

私は関西組織問題の当該であり、35全総で表れた石田反革命に対して、34全総の実践として最先頭で闘い抜いた蜂起者の一人です。【ブログ注】Tweetをタッチすると続きが読めます。

女性同志の命がけの決起に肉薄し党の変革へ闘い抜く

革共同東京都委員会

 革共同東京都委員会は、反革命・石田真弓を白日の下に引きずり出し、完全粉砕することを宣言する! 革命党内で石田反革命を内包させてきたことを自己批判し、血の海に沈めるまで闘い抜くことが、労働者階級に対する革命党の使命である。石田よ! お前を絶対に許さない!!
 石田は、政治局の一員であり、女性解放組織委員会の指導部でありながら、自らの変革を脇において、実に4年以上にもわたって告発者に対して女性差別・性暴力を行い、隠蔽し続けてきた。しかも、石田は中央学生組織委員会議長という立場を利用して行っていたのである。だが石田は、自己批判に専念するための政治局解任決定に従わず、自らの保身のために、「作戦memo」を作って自らは後ろに隠れながら告発者と学生グループをたきつけ前面に押し立て、35全総と革命党そのものを破壊しようとしたのである。未来永劫(えいごう)許されない極悪の反革命の所業である!【以下略】
 この35全総の石田反革命との闘いの先頭に立ったのが、34全総での関西女性同志を先頭にした蜂起者の闘いに続けと決起した全国の女性同志、労働者同志である。34全総は、党の生まれ変わりとして、真の女性解放こそ共産主義革命の核心をなすものであることを明確にさせ、党中央への自己批判を強制することで、文字通り党変革、革命的女性解放闘争の再出発となった。【以下略】
 さらにこの闘いを支え抜いたのは、党内の性暴力・女性差別・抑圧に対し「こんな党で、革命などできるか!」と三十数年にわたり党中央に対し突きつけ変革を強制してきた女性同志の存在だ。東京都委員会は、この共産主義者としての党変革の命がけの闘いに肉薄し、34全総の地平をとことん発展させ石田反革命を完膚無きまでに粉砕し抜くことを誓う。………以下略

 以下は『前進』紙上での「特集」です。ゆとりが有ればその特徴や特徴的な言葉を並べてみたいとは思いますが。

石田反革命粉砕アピール

   
   
   

それぞれタッチすればジャンプして読めます。「全党的な上からの忠誠運動」という言い方もちらほらですが画一的なコピー感が否めない。
 さしあたり関西の「蜂起者Ⅰ,Ⅱ」東京都委員会の記事は学生たちと正面から激突した人たちの”参考書・あんちょこ”…?。
 昔話ですが、編集局では年に一度の政治局へのレター提出が義務付けられていました。私自身は毎回、水溶紙で2、3枚書きました。ある人は、数十枚も書いていました。本題に入る前ぶりとして、新年号論文のコピーのようなものを10余枚。後日、ある人に「読まされる方が可哀そうだったよな」というと「いや、それでいいんだ。忠誠度と『前進』の学習内容がよく分かる」とか。…。「なるほど!」。特集はまだまだ続きそう。
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「前進社長野支局の投稿」ここまで言うか!

【ブログ注】これは正真正銘の『前進社 長野支局』によるもの
 の後に「お前は練炭だったな 練炭はちゃんとテープを貼らないとしねないよな」と続く。

@zenshin_nagano | X



矢嶋さんの「恐怖」の現実感覚

 私がなぜ、自分の悩みを綴って政治局と女性同志を信頼して渡した文書を勝手にバラ撒かれたことに激怒して抗議したのかといえば、このような女性差別への怒りなどみじんもない人間の手に「弱み」が握られることへの恐怖でした。私は必ず生き続けて、一から青年・学生・女性の党を作ります。
 pic.x.com/uEMkO3guWN

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矢嶋尋(全学連委員長)@toshobin

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【ブログ注】
カラスさん ほんとに残念ですが、ひどすぎる 女性差別反対とか血債とか言ってるのがいかにうわっつらなのか。でもこれは党中央、関西の声明が呼び起こしてしまっているのだと思います。即座の反革命規定-除名、本社からの叩き出しを蜂起と称揚し、地獄へ行けと言っているわけで、こういう感情が引き出されちゃう…

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「長野支局」続報

 昨日Xにおいて前進社 長野支局名で投稿されたダイレクトメッセージについて、「人として最低」「自殺未遂を何だと考えてるんだ」「性被害者になんてこと言っているんだ」と、支局に集う仲間からも、また長野支局以外の仲間からも、激しい批判が寄せられ、許されない差別的暴言で
あったことに気づきました。撤回し、謝罪させていただきます。今回このような差別的暴言をしてしまった背景について、投稿者自身の極限的腐敗があったと思います。長野支局内外の皆さまからの多くの批判を受け止め、厳しく自己を点検し、自己批判を深めていきます。………以下略
  1. 前進社 長野支局 on Twitter: "RT @zenshinibaraki: ..

   大論文というか長ーい報告記事というか、衝撃的な文章だ。
 ただ、激情的な支離滅裂な文章がで近いしずらい。

 書いていることを整理するのも難儀なので、ひとまずは『産経』に頼って眼目を理解してみたい。
(マスコミで取り上げているのは産経だけのようだ。今回はその第2報 ?)

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中核派除名幹部の妻は全学連委員長 夫の女性差別を告発したら「頭越しで処分決定」と非難

配信

産経新聞

石田による私党化と党破壊を粉砕 女性解放闘争と反戦 …

2025年9月11日 · 石田は34全総において、党内女性差別事件に対する政治局としての自己批判と総括を提起した本人であり、その階級的犯罪性・裏切り性は …

  1. 第35回革共同全国委員会総会を開催 石田による私党化と党破壊粉砕 女性解放闘争と反戦闘争の爆発へ  革命的共産主義者同盟政治局

    1. 2025年9月15日 · 第35回革共同全国委員会総会を開催 石田による私党化と党破壊を粉砕 女性解放闘争と反戦闘争の爆発へ 革命的共産主義者同盟政治局 9月初め、革命的共産主義者同盟は … 石田は34全総において、党内女性差別事件に対する政治局とし提ての自己批判と総括を提起した本人であり、その階級的犯罪性・裏切り性は …

      ❶と❷はともに『前進』の同じ記事だが、前者のZNNは前進ブログで後者とはアップに4日先駆けている。今回は当事者以外ではこれが第1報となったので、あえて二つ並べた。

      その意訳。「要旨」というには遠いが。
      ㋑全体として中央派政治局の激甚な反応ぶりがよく分かる。
      ㋺「告発者(実は全学連の矢嶋委員長)」の石田(政治局員・元全学連委員長)への糾弾・告発の文章を手に入れて、石田氏の査問?を開始。性暴力などを認定し、政治局員からの解任??と活動停止、「自己批判に専念」させることを決定。石田氏も従った。
      ㋩石田氏は関西の女性差別事件を受けて政治局を主導し、昨年の34全総を主導した人物であり、いわば「その罪、万死に値する」
      ㊁ところが「石田氏へ処分を受けて動揺した告発者を取り込んで、被告発者=石田氏が「政治局打倒」に打って出て、35全総の場を「蜂起」の場とした。首謀者は石田本人。
      ㋭石田私党と堕した全学連・SOB(学対=学生組織委員会)を弾劾し、会場から実力でたたき出した。さらに、前進社からもたたき出した。「女性解放が分かっているのは全学連だけ」という労働者蔑視が許せない、とか。
      ㋭総会の場でのSOB側のヤジなどで「名誉男性」や「アウティング」ほかのフェミニズムやほかの言辞・用語が有ったが、まったく共産主義者の言ではない。唾棄すべき。
      ㋬たたき出した先頭に立ったのは、関西女性差別事件を糾弾して蜂起した「蜂起者」・総会出席者・常任。告発をめぐり途中までは全学連に寄り添っていた首都圏の女性たちもたたき出す側に立った。

      以上はあくまで「意訳」であって、「要旨」ではないことにご注意を。

       ひとまずは軽く流してあまり考えずに読み飛ばしたい。なお「蜂起者」の文章は『前進』に同時掲載されている数本の一つ。その次号には全国からの翼賛が多数寄せられている。
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    つづいて全学連のHPでの矢嶋委員長による逆の立場からの「弾劾声明

  2. 35全総を前後する革共同政治局・全国委員による女性差別への弾劾声明 

     2025年9月21日  toshobin
     冒頭部分のみ【以下引用】
     はじめに、今回の件についての声明発表が、大幅に遅くなったことを、心ある革共同の同志や共闘団体各位、支援してくださっている皆さんにお詫び申し上げます。この間、学生の仲間たちに対する党からの暴力的襲撃が続発し、生活手段・活動手段の大部分が革共同本部・前進社に奪われた中で、2024年12月京大集会を理由とした2学生への逮捕弾圧への救援活動および全学連定期大会を闘ってきました。
     とりわけ私たちを支持し共に闘うことを決意してくれた方々との丁寧な内部的な討論には時間が必要でした。やっと今日、国家権力からの防衛上の問題も検討した上で、今回の声明を発表することができる所まできました。
      
    革共同第35回全国委員会総会(以下「35全総」)に関連して「石田による私党化と党破壊」などと革共同政治局が表現している事態の一連の流れを概略的に述べます。今年7月、私は夫である石田真弓の政治と生活の両面における女性差別的ふるまいを批判する文書を本人および信頼できる同志数名に提出しました。以降、約1カ月半にわたって討論の場を組織的な確認の下に複数回もち、9月初週の段階で、石田の転換は私として承認できる所まで進んできました。しかし、この最終過程で政治局が強権的に介入し、重大な問題が発生しました。


    それは、
    ①政治局会議(831)における私の完全な頭越しでの石田処分の決定
    ②政治局による石田自己批判討論の破壊
    ③私と石田が書いていた文書のごく一部のみを私に無断で大量配布・拡散することによる印象操作=「石田の悪魔化」工作
    ④これらに抗議した私に対する、「[石田]*問題をめぐる討議」と称して数時間にわたる恫喝・女性差別暴言を浴びせ屈服を迫る「会議」の開催(94)
    ⑤私の絶対反対の意思を完全に無視する形で35全総にて「石田の女性差別問題」を明らかにし処分決定するという旨の一方的通知
    35全総当日(96)、私および共に闘った学生の仲間たちに対する女性差別的・暴力的襲撃と前進社からの即日の実力行使での全員叩き出し
    9.11革共同政治局声明による私たち学生有志の蜂起の捻じ曲げと自らの女性差別行為・組織規律破壊の隠蔽
    ⑧私を含む蜂起に賛同した学生の仲間たちへの追撃的暴力襲撃・分断工作、党内外問わず現在も継続する情報拡散による私への二次加害の拡大
    ・・・というものでした。………【以下略】

    【ブログ注】矢嶋さんの文章はじつに落ち着いている。心を鎮めて自身の一番言いたいことを的確に表現している。
     私事だが私はいま、まとめようとしながら壁に当たっていることがある。彼女の姿勢はその私にとっても大いにヒントと導きの糸になりそうだ。
      余計な一言。矢嶋さん、もう乗馬はまったくやれていないのかな?
     私は無料券や時にはお金を払って何度かやった。鼻面をなでなでし、腹をけり、この一体感がたまらないね。千葉県市原の象の家では鼻にぶら下がり、背中のゴワゴワした太い毛を足でこすると象の息吹が体内に入ってくる感じ…。
      こんな時にナンだけど、こんな時だからこそ、人生を謳歌したい。

「現代の理論」

1970年代障碍者解放運動の私的総括(上)」筑波大学名誉 ...

1970年代障碍者解放運動の私的総括(下)」筑波大学名誉 ...


1.学園闘争から諸課題へ

2.京大難聴問題研究会の結成

3.全国障害者解放運動連絡会議第3回全国大会(以上本号)

4.関西テレビ「橋のない川の世界」(以下次号)

5.「誇り」とは何か 

6.障碍者であることは誇り得るのか

本稿は、2021年2月13日、茨城県つくば市所在の「つくば自立生活センター ほにゃら」が主催した職員研修「自立支援を自分ごとにするための連続レキシ講座」の第2回として実施されたものに、大幅に加筆修正したものである。「ほにゃら」は千本が筑波大学で学生諸君とともに30年近く継続した「筑波大学部落差別問題研究自主ゼミナール」の初期の参加者が、知人たちとともに設立し、現在、NPO法人として手広く、堅実に障碍者の自立生活の後ろ盾として活動している。若いスタッフが多く、彼らは障碍者とかかわることを賃金労働と捉えているが、ある学生スタッフが、1970年代に「健全者手足論」が唱えられたことに関心を持った。

「ほにゃら」設立スタッフは50歳代にさしかかり、かつての障碍者解放運動と現在の賃労働としての介助の双方を知っているが、若者たちにとって、障碍者解放運動は想像力の外にある。そのため、「ほにゃら」開設メンバーが、わたしに1970年代の経験を語れと企画を持ち込んだのである。そのため、1970年代の京都の運動の総括どころか、スケッチにさえなっていないが、障碍者の自立生活をめぐる状況は大きく変化しており、当時の一活動家が何を考えていたのかが、若者たちの参考になればと引き受けた次第である。なお当日は6日、13日の2回とも、zoomで数十名が参加した。(筆者)

自分と障碍者との関係を自分ごととして考えるということが、今回設定されたテーマです。そこで、タイトルを「わたしと障碍者と差別」としました。「わたし」、「障碍者」、「差別」という三つの言葉について、ひとことずつふれておきます。

「自分ごと」ということは、理屈だけではなくて 自分自身のことをさらけ出 すということになりますから、そこのところは、 ご容赦いただきたいと思います。

「障碍者」の「碍」、この字を書いているのは、 平仮名で書くよりも意味が通るのかなと思ったり、ただ、「障碍」が「健全者」に近づくことを妨害しているということになって、この「碍」を書くと発達保障理論になってしまうのかなと思ったり、迷ってはおります。

差別ということばは、さまざまな意味で使われます。どの使い方が正しいということはないのですが、多様であることによって、開き直りや茶化すことに使われたりもします。 差別とは何かということの捉え方が、人によっておおきく違うということでもあります。たとえば、老人差別。実際に、老人差別はあるのですが、議論をする場合や差別の原因を探究する場合には、前提としてことばの意味を限定しなくてはなりません。差別を「本人の責に帰さない属性を理由に特定の人物や集団が生涯にわたって不利益を受け続けること」とすれば、不幸なことがなければ、誰でも老人になるからここで限定する差別には当てはまらない。

いじめはその責任が全面的にいじめる側にあるという面は差別と共通していますが、転居や、いじめる側の恣意によって、突然いじめの対象でなくなる場合があるので、差別とは異なっています。いじめの「きっかけ」をいじめの原因と混同して、「いじめの原因はいじめられる側にもある」という人もいますが、どのようなきっかけであったとしても、それを理由にいじめることは許されません。「いじめのきっかけ」と「差別の原因」の違いについては、深い考察が必要でしょう。

抑圧や収奪も差別とは関連しますが、別の概念です。資本家による労働者の搾取も差別とはいいません。あえていえば、弱肉強食は差別ではありません。個人や集団が持っている資質を、別の不当な理由で評価されないことが差別です。もちろん、弱肉強食が良いといっているわけではありません。だから反差別と反抑圧のふたつの闘いが必要なのです。

そのように差別の意味を限定すると、差別に含まれるものは、民族差別、部落差別(わたしは「部落間差別」と言っています)、女性やセクシュアルマイノリティに対する性差別、そして障碍者差別が主なものです。 人種差別ということばがありますが、学問的には、今、人種という概念が存在しませんから、とりあえず民族差別にふくめておきます。

他にもたとえば、HIVウイルスキャリアに対する差別のように新しく生まれる差別もありますが、科学の発展によって解消する場合もあります。

もうひとつ、区別と差別の問題です。江戸時代には、区別と差別のことばの意味の違いは、ほとんどありませんでした。区別と差別ということばが別の意味を持ってきたのは明治維新以降です。江戸時代の身分制と明治維新以降の差別は同じなのか、違うものなのかという議論も続いてきました。江戸時代は、平人(武士や公家でも、「賤民」でもない人びと)と被差別民は異なった身分として差別的に共存してきましたが、明治維新の、いわゆる「解放令」、賤民廃止令によって「身分、職業とも同一」だとされたことによって、一般の人々が「自分たちをあいつらと一緒にするな」と差別するようになったのが 明治以降の差別です。

現在でも区別することが差別を生むんだという 趣旨の発言をする若い人たちがたくさんいるんですけれども、区別というのは絶対に必要なことです。まず、赤ん坊が自分と母親とは別個の存在だという認識をする、これは最初の区別ですよね。区別というものがないと、一人ひとりの主体性というのは確立できない。そういう意味で区別と差別は全く違う。

1.学園闘争から諸課題へ

わたしは障碍者運動と部落解放運動の両方から、たくさん考える材料をいただきました。 わたしは、高校生の頃から、ベトナム反戦運動には関わっていたわけですが、京都大学に入学した1969年には、そこにはもうすでにバリケードがありました。 学園闘争に没入し、そし当時の、3つの大きな課題と言われていた、狭山、三里塚、沖縄闘争にも参加しました。三里塚(成田空港建設反対闘争)にも何度も行きましたが、わたしが一番考えさせられたのは、狭山闘争と沖縄闘争でした。全国的には、学園闘争と70年安保闘争の敗北後、学生たちは、地域闘争、反差別闘争へと運動を移していきます。

京大はガラパゴスといわれたぐらい、70年代、80年代になっても学園闘争が続きますし、わたしも学内課題にこだわりますが、仲間たちは外にも出ていきました。たとえば工学部闘争委員会の人たちが、伊方原発へ行って支援を始めたというのが、 外部の人間が反原発運動の地域闘争に参加していくスタイルの最初でした。 それが全国に広がっていくわけです。農学部闘争委員会の人たちが中心になって『地域闘争』という雑誌を出して、 現在でも、タイトルを変えて続いています。

もうひとつの分野が反差別闘争です。ウーマンリブといわれるフェミニズムの前の段階の運動が起こったり、狭山闘争も1969年から非常に大衆的になっていきました。わたしは69年から入管闘争に参加していましたが、1970年の7月7日、盧溝橋事件が起こった日の東京の集会で、華僑青年闘争委員会(華青闘)が、新左翼も入管闘争やってるというけれども、本当に差別の問題をわかっているのかという告発をしました。これが非常に大きな影響を新左翼に与えたわけです。そのなかから、被差別者以外は全部差別者なんだという発想が広がってきます。これは、後で出てくる「健全者」は障碍者にとって敵である いうこととも、共通してくる問題でもあります。

同じ1970年、日本脳性マヒ者協会青い芝の会が、 5項目の行動綱領を発表しました。

1.われらは、自らが脳性まひ者であることを自覚する。
われらは、現代社会にあって「本来あってはならない存在」とされつつある自らの位置を確認し、そこに一切の運動の原点を置かなければならないと信じ、且つ行動する。

1.われらは強烈な自己主張を行う。
われらが脳性まひ者であることを自覚した時、そこに起るのは自らを守ろうとする意志である。 われらは強烈な自己主張こそ、それを成しうる唯一の路であると信じ、且つ行動する。

1.われらは愛と正義を否定する。
われらは愛と正義のもつエゴイズムを鋭く告発し、それを否定することによって生じる人間凝視に伴う相互理解こそ真の共生であると信じ、且つ行動する。

1.われらは健全者文明を否定する。
われらは健全者の作り出してきた現代文明が、われらの脳性まひ者を弾きだすことによってのみ成り立ってきたことを認識し、運動及び日常生活の中からわれら独自の文化を創り出すことが現代文明への告発に通じることを信じ、且つ行動する。

1.われらは問題解決の路を選ばない。
われらは安易に問題解決を図ろうとすることが、いかに危険な妥協への出発であるか、身をもって知ってきた。 われらは次々と問題提起を行うことのみが、われらの行いうる運動であると信じ、且つ行動する。

われらは以上五項目の行動綱領に基き、脳性まひ者の自立と解放を掲げつつ、すべての差別と闘う。

ちょっと時間的なずれはあるんですけれども、合わせるとこの5項目です。愛と正義を否定するとか、問題解決の道を選ばないというような、いわゆる良識者から見ると、 なんだこれはと思われるような内容です。

1960年代に日本母親大会と、日教組教研全国集会障害児教育分科会を母体として、 全国障害者問題研究会が設立されていました。障碍児を養護学校などに分離して、専門家である教師や医者が障碍を取り除くことによって障碍者を健全者に近づけるという、発達保障理論を唱えました。専門家による障碍者のための運動に対し、自分たち障碍者こそが解放運動の主体なんだという宣言をしたということです。

わたしがこれを知ったのは1975年に 障碍者運動に参加するようになってからです。 健全者文明を否定するとか、自己主張を行なうというのは分かりやすいんですが、愛と正義を否定するとか問題解決の道を選ばないということは 自分ではわかったとしても、それを他の人に説明しきれるのかと言われると、自信がないというような状態でした。

それとほぼ同じ時期になるのですが、部落解放同盟の3つの命題、というのがあります。1960年代から1970年頃に確立しました。第1命題が部落差別の本質について、第2命題が部落差別の社会的存在意義、第3命題が社会意識としての部落民に対する差別観念です。第1命題と第2命題は、表現としても理論的にも不十分であると指摘されているのですが、 わたしは第3命題が非常に重要だと思っています。

社会意識ということばはちょっと難しいのですけれども、この中のことばを使って説明してしまうことになるんですが、本人が意識するとしないにかかわらず、空気を吸うように社会から持たされてしまっているものです。差別観念というのも難しい。よく差別意識ということばが使われますが、差別意識というのは、自分で意識しているものです。あいつらは 自分より劣った存在だという風に、意識してしまっているのが差別意識です。しかし、 自分は差別してない、自分は差別を許さない人間だと思っている人も、実は差別観念を持たされてしまっている。

これを若い人たちに気づいてもらうのは割と簡単なんです。 結婚差別のドラマを見たりすると、自分は部落民でなくてよかった と思ってしまう。その瞬間に、わたしも差別しているんだと気づいてくれる。差別意識を含め、自分が意識していないことも含めて差別観念というわけです。

第3命題の最初です。「部落民に対する社会意識としての差別観念は、その差別の本質に照応して、日常生活の中で伝統の力と教育によって、自己が意識するとしないにかかわらず、客観的には空気をすうように一般大衆の意識の中に入り込んでいる。 」空気を吸うように、意識するとしないに関わらずというところ、それから、伝統の力と教育によってというようなところが大事なわけです。

差別の問題について話をするときに、一人ひとりの意識の持ち方、気持ちの持ち方が大事なんだという発言をする人がよくいます。「一人ひとり全員」という意味なら分かるのですがひとりで自分の意識を変えようと思っても、そう簡単に変わりません。社会からそういう意識を強制されてしまっているので、そういう差別構造を持つ社会を変えないと、自分ひとりでは差別観念を克服することはできないのです。

部落解放運動が、狭山闘争を軸にして広がってきますと、部落解放同盟の活動家の皆さんがいろんなところで講演をする ということがありました。その中で必ずというほど使われることばが、 自分たちは五体満足なのになんで差別されるんだという発言でした。これが、当然障碍者運動の側から批判を受けるわけです。 1975年ごろ、京大へ解放同盟の方が来て講演をされた時に、全くそれと同じ発言がありました。 その時はわたしから問題提起をさせてもらいましたけれども、障碍者運動からの批判によって、見事にぴたりと部落解放運動の中でのそのセリフ、 五体満足なのになぜ差別されないといけないのかという発言は止まりました。

部落解放運動のなかで、そういえば被差別部落には障碍者が多いぞ。劣悪な生活環境だから障碍者がふえるのかということに気がついて部落解放運動が障碍者運動に合流してくるのが1970年代後半の動きでした。その中で部落解放同盟は、被差別統一戦線、差別されたものが 自らの解放を勝ち取ろうとする運動の統一戦線というようなことを提唱するんですけれども、それはもう非常に短期間で終わります。 そして反差別共同闘争という展開のしかたに変わりました。この違いは非常に重要だとわたしは思います。被差別統一戦線というと、差別される人たちだけの統一戦線です。反差別共同闘争というのは、差別と戦う 人たちみんなの共同闘争で、差別する側に置かれている人たちも参加できるわけです。ここのところが今回の 健全者手足論の問題とも関わってくることでもあります。

2.京大難聴問題研究会の結成

そういうなか、1975年ごろ、難聴問題研究会というのを作ることになりました。わたしが大学院生として所属していた文学部の現代史学研究室に、難聴の学生が3回生として進学してきたのです。そこで彼の授業参加の保障を勝ち取ろうということになりました。こういう、日常生活における 要求闘争は、わたしたちはあんまりしたことがなく、教育研究の内容についての問いかけや、政治的な課題ばかりやってたものですから、 お金で解決することならというのが文学部当局の本音だったのかもしれません。ひとつの教室の天井に、アンテナを張りめぐらせて、マイクや アンプなどいろんな機器を購入し、彼が参加する授業は、できるだけその部屋に固定するとか、いろんな配慮を勝ち取りました。

そのうちに、哲学の大学院生にも難聴者がいるという 情報が入ってき ました。現代史の学生は、伝音性難聴で音を大きくすれば理解できる。ところが、哲学の院生は、感音性難聴で、音を大きくしても聞き取れない。だから彼女は口話法、口と顔の表情、その人物全体の雰囲気で、相手の話を理解するという方法でやっていました。ところが、それはものすごく集中力が必要で、飲み会へ行くともうダメなんです。集中力が途切れてしまってコミュニケーションできない。じゃあ 手話をやってみようよということで、手話サークルもやりました。飲み会でも話せるようになったのです。

そういうなかでわたしが感じたのは、障碍者を知ることによって世界が2倍に広がったなということです。障碍者という存在を自分は今まで知らなかった、障碍者を数名知っただけで、世界が2倍に拡大したと感じました。

もうひとつは、 他者の発言が終わるまで発言しないということです。 難聴者の場合、集団で議論している時に、複数の人間が発言すると、まったく理解できません。ですから、ひとりの発言が終わるまでは、発言しないということを徹底しました。 わたしは、これは、民主主義の1番の基本だと思います。テレビで有名な討論番組では、 大きな声で他人の発言を封じると、その人のペースで議論が進んでいきます。いわば、最も非民主的な番組だと思いますが、ただこれが、わたしたち仲間の間でも、徹底してない。長話もいけないのですが。

3.全国障害者解放運動連絡会議第3回全国大会

1976年に結成された全国障害者解放運動連絡会議(全障連)の第3回全国大会が京都で開かれることになりました。京大を会場にしたのでわたしがその現地実行委員会の 委員長と言いますか、責任者の役回りを承わることになったので、多くの障碍者との付き合いが広がりました。京都視覚障害者の教育と労働を考える会との交流が始まって、点字を覚えて、 かなり長い文章を点訳したりもしました。

全国精神病者集団も全障連大会には参加しました。障碍者同士の差別も課題になります。身体障碍者同士でも軽度の障碍者と重度の障碍者の間で差別があったり、それ以上に深刻だったのは、精神障碍者と身体障碍者の間での相互差別です。当時非常に重要なテーマでした。

わたしにも親しい精神病者集団の友人がいて、よく一緒に遊んだりもしてたんですが、大学の中でわたしが自転車で走っている時に、彼が2人乗りさせろといってきて、何言ってんだ、お前、体は元気じゃねえかっていうような発言をした後でわたしはドキッとしましたね。あ、こういう風に、まったく意識せずに差別的なことを言ってしまうんだと、自分の中の差別性、差別観念の問題として 意識しました。

わたしはこの全障連大会ではまったく裏方だったので、青い芝が全障連から脱退するということも、後で聞いて知ることになります。青い芝のメンバーを介助していた健全者組織の「ゴリラ」を青い芝が解散させたということもあとで聞きました。京都にもゴリラのメンバーはいました。

それと同時に、京都青い芝の、在宅、あるいは施設にいる会員たちが、 自宅や施設から出て自立生活を始めたいということが相次ぎました。 ゴリラの人びとがほとんど動けない状態のなかで、京大の難聴問題研究会や、それに繋がる人々に介護要請が来ます。そこでわたしも、複数の青い芝の会員の自立生活を実現するための活動に参加しました。

青い芝の全障連脱退やゴリラ解散は、障碍者自身の主体性を回復するためだったと理解しています。介助のために参加している「健全者」が運動の運営に参加すれば運動は効率的に進みますが、それでは障碍者の運動ではない。障碍者のペースで運動を展開して、それで毎年の全国大会が2年に1回しか開けなくても、それでいいではないかということです。そのためには、介助の「健全者」は、障碍者の手足となって、障碍者に言われたことだけをやっていればよいということです。これが「健全者」手足論です。障碍者の主体性を回復するために、健全者の主体性は一切認めません。

わたしは「健全者」手足論には与しませんでしたが、現在の障碍者介助の原則である、介助は障碍者の意思に基づいて行なうという基本姿勢は、ここに出発したといえます。

わたしは介助でかかわる青い芝をはじめとした障碍者に、「喧嘩しようよ」といいました。お互いに理解し合わないと、障碍者と「健全者」の相互理解は進まない、わたしは差別的なことをいってしまうかもしれない、やってしまうかもしれない。それを指摘してほしい。 わたしのなかの差別性というものが表に出ないと指摘してもらえないわけですから、わたしは思ったことをいいます、 という話をしました。 千本は障碍者といつも喧嘩していたのかと受け取られたら困るのですが、実際に喧嘩した記憶はありません。要するに心構えの問題です。

わたしが、喧嘩しようよといえたのは、わたしが付き合っていた青い芝の人たちとの信頼関係と、もうひとつは、彼らが優しく、非常に強い人たちだったからでしょう。どの障碍者にも喧嘩しようといったわけではありません。わたしには、障碍者のために運動に参加しているのではなく、障碍者に対する差別構造に貫かれた社会から、差別観念にとらわれたみずからを解放して差別のない社会をめざすという意識が強かったのです(このあと、日常的な介助の様子や、自立生活実現のための親や福祉事務所との交渉について、紙数の関係で省略する)。 (以下次号)

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