2025年12月

三里塚中止は中央派の横車に抗した反対同盟の選択
三里塚10.2現地集会の中止の原因は、中央派(中核派)による横暴へのやむにやまれぬ拒否の対応だったという事が「公に」なった。


0.関実 三里塚中止は中央派
 










































以上は関実・三里塚から ……… ……… ………

 その後も一貫して全学連の実力排除を名言

 三里塚闘争の長い歴史の中で、反対同盟は、「来るものは拒まず」を一貫して守り続けてきた。07年の中央派・関西派の分裂にも双方を受け入れた。他党派の「内内ゲバ」の最中でも、現地での暴力的対立を禁じて、支援の統一行動を要請してきた。  
 その「掟」を破った、中央派の暴走が三里塚闘争自体を聴きに追い込んだのだ。
 その後もことあるごとに、「石田反革命」が三里塚に参加することを”許さない””叩き出す”と明言し続けている。反対同盟は従来通り、諸団体の要請が有れば応じて参加・発言する姿勢だ。
 以下は『前進』の引用
 

10・20三里塚蜂起戦40年 反対同盟との血盟にかけ三里塚闘争 ...

2025年10月20日 · 石田反革命は革共同の内部から生み出された反革命であり、この反革命が三里塚闘争や動労千葉、11月労働者集会に介入することを阻止し粉砕することは、革共同の責任 …発行日: 


 さて、来たる26年元旦の反対同盟旗開き、どんなことになるのか?
 注目するしかない。中央派がどこまでも三里塚闘争を破壊しようとするのか?
 三里塚闘争を守る力がどこから発揮されるのか?

「石田反革命」を口実にした三里塚闘争破壊をやめよ - 正道 ...


その後も一貫して全学連の実力排除を公言

 三里塚闘争の長い歴史の中で、反対同盟は、「来るものは拒まず」を一貫して守り続けてきた。07年の中央派・関西派の分裂にも双方を受け入れた。他党派の「内内ゲバ」の最中でも、現地での暴力的対立を禁じて、支援の統一行動を要請してきた。  
 その「掟」を破った、中央派の暴走が三里塚闘争自体を聴きに追い込んだのだ。
 その後もことあるごとに、「石田反革命」が三里塚に参加することを”許さない””叩き出す”と明言し続けている。反対同盟は従来通り、諸団体の要請が有れば応じて参加・発言する姿勢だ。
 以下は『前進』の引用
 このような石田反革命が、三里塚闘争に介入することなど断じて認められない。
 
この三里塚闘争に、革命的女性解放闘争に敵対する石田一派のような反革命が入り込む余地は1ミリたりともない。
 この三里塚闘争と革共同の60年の血盟、共闘関係の中でつくり出してきたものと石田反革命とが絶対に相いれないことはあまりにも明白である。

10・20三里塚蜂起戦40年 反対同盟との血盟にかけ三里塚闘争 ...

2025年10月20日 · 石田反革命は革共同の内部から生み出された反革命であり、この反革命が三里塚闘争や動労千葉、11月労働者集会に介入することを阻止し粉砕することは、革共同の責任 …発行日: 


 さて、来たる26年元旦の反対同盟旗開き、どんなことになるのか?
 注目するしかない。中央派がどこまでも三里塚闘争を破壊しようとするのか?
 三里塚闘争を守る力がどこから発揮されるのか?

 

以下、転載します。
……… ……… ………
ガザに心を寄せている皆さん!

 

お元気ですか。

12月13日、ブログ「合言葉はハヤートナ」に藤永香織さんが「昨冬よりはできる

ことがあるはず」に加え、ガザからの写真と動画をアップしました。ご覧ください。

 

合言葉はハヤートナ:https://ameblo.jp/hayaat-na0518/

ハヤートナホームページ:https://www.hayaat-na.org/

 

▽ ▽ ▽ ▽ ▽

 

昨冬よりはできることがあるはず(2025-12-13

 

やっとマワシの写真と動画が届きました。

息子たちが到着した時には残ってはいませんでしたが、雪も降ったのだそうです。

洪水、水没、厳しい冷え込み、凍死

ネットにはいくつもの記事が並び、私は連絡を待ちながら悶々としていました。

 

テントが劣化していると浸水や雨漏りを防ぐことが難しい。

劣化しているテントは、早い時期からマワシで避難生活を送っている人達が多い。

最初はトイレをテントのそばに作っていて、そのため大雨の時に汚水として溢れる。

そして、より海岸に近い、つまり少し土地が低い場所だったりすると洪水のようにな

りやすい……なのだそうです。

 

つまり、テントを新しくするだけでは不十分で、

場所を移らないとまた同じことが起こるのは容易に想像がつきます。

でも、一体どこへ?

「これはもう、国連機関や政府が動くしかない事態だよ。被害が大きすぎる」

息子たちの言葉に、頭では頷いています。

 

でも、何かできないかと考えることを止められないのです。

今、いちばん必要な物は何だろう?

テントが劣化している家庭は「テント」と答えるでしょう。

まだテントが劣化していない家庭は「防寒着」と答えるかもしれません。

例えば

子どもの冬服は6070シェケル

ナイロンシートは100130シェケル

(値段は変動するので参考程度です)

テントは高価で手が出ないけれど、シートで補強であれば私たちにも可能です。

 

息子たちと話し合い、まずはマワシの学校の人達に協力してもらって、

そのネットワークで被害に苦しんでいる人の要望を聞くことにしました。

できる範囲、必要な物を必要な家庭に届けたい。

そして、少しでも移れる街の空きスペースがないか探して交渉してみる。

とにかくやってみよう、と決まりました。

 

「支援」というより「住民同士の助け合い」です。

もしかしたら、1枚のシート、1着の防寒着が生死を分けるかもしれません。

私たちハヤートナは小さな力ですが、

非力だからと、無駄だからと何もせずにいたら。

作冬も子どもや若者の凍死が続きました。

空爆続く中、私たちにできたのは、要望があった子ども達に冬服を届けることだけで

した。

「停戦」中の今、昨冬よりはできることがあるはずです。

そのためにも、皆様どうか力を貸してください。

 

寺子屋も放課後おやつクラブ(子ども食堂)も、皆様のご支援で成り立っています。

一緒に子ども達を守ってくださることに心から感謝です。

そこに重ねてのお願いで心苦しいのですが、よろしくお願いいたします。

(ハヤートナ 藤永香織)

 

ご支援の送り先:

  銀行:西日本シティ銀行 

  支店:西新町支店 

  口座:普通 3184916

  名義: ハヤートナ

 

     

 

 ガザに戻れず、日本で癌闘病中の藤永香織さんの夫はイスラエルの攻撃で心が破壊

され、七人いた子どもたちは二人が死亡、三人は行方不明、今は四男ムハンマドと五

男マッスーシの二人だけがハンユニスで避難生活を送っています。今回の攻撃が始ま

ったとき二人は「自分たちは殺される順番を待つだけの人生はいやだ、ガザから出た

い」とくり返していました。昨年、大きな転機がありました。

 マッスーシが離れ離れで殺されるより一緒にいたいという思いで婚約・結婚したの

です。

 二人に大きな変化を生み出しました。

 自分たちのコミュニティで、ガザで助け合いながら生きていきたいという思いです

 居場所と学びの場を奪われている子どもたちのために「寺子屋、子ども食堂、おや

つクラブ」を避難先のハンユニス、ガザ市、マワシと転々としながらも始めました。

 今はマワシ地区のテントでの放課後のおやつクラブを続けながら、ハンユニスでの

寺子屋を再開しています。

 ハンユニスでの寺子屋の再開は感動的でした。

 

 ハヤートナ(私たちの人生)の思いはガザで生活している人たちが、お互い助け合

い、みなさんの援助を梃子に、自分たちのコミュニティを自分たち自身で作っていく

ことです。援助の隙間に放り出されている若者や女性に仕事を、子どもたちに学びの

場と本を!と取り組んでいます。今回のガザの自然災害ではない大洪水と冬の寒さを

しのぐためには裁く仕様ではない頑丈なテント、仮設住宅、元住んでいた場所に戻れ

ることが必要です。しかし、イスラエルは「停戦」下でもそれを認めません。

 できることはあるはず、この思いで取り組みます。

 ご支援をお願いします。(ハヤートナ事務局 尾上光)

 今回は、フェミニズムが生まれ、この日本で台頭した私たち「70年世代」の女性たちの風景を1人の男の眼から振り返ってみた。人付き合いの鈍い私にも見えたりしたことども…
飛ばしてもらってもいい…
  

羽田・東大・日大闘争~70年代初期、あの時代の風景・世相

三里塚集会でのトイレの大行列
 「女は飯炊き」ーあまりに有名な女性たちの糾弾の時代の言葉。それはそれとして、三里塚現地集会でも「トイレの大行列」は隠された大問題だった。
 数千人の集会が、反対同盟農民の農地で開かれる。当然、反対同盟=現闘は仮設の「便所」を作り上げた。穴を掘り、蓆で囲い…。でも男女合わせて各3つ?4つ?長い長ーい大行列が伸びた。
 そんなこんなを男女で入り混じって本社内で語り合ったのは、それから10年もしてのこと。
 「オトコは何とか立ちションできたけど、女はどうだった?」「辛かった!」。「で?」「あたしは野ションした」。「えっー」
 「山に入り込んで、やった」。「えっー」。「小さな小山に灌木が生えてるでしょ?草も茂っている」
 「うん、千葉だから『山じゃないヤマ』だけど。ゲー!あそこで?」「で、どうだった?」
 「うん、気持ちよかった~。立ちションの味を知った!」。とは言え。
 
 対革マル戦争での「解散戦争」も、時には2時間もかけて、最後は千葉の山の中で解散したこともあった。多くの人はもう膀胱が満タン。その上、街頭もないような暗い山道で突然「サン!(解散)」。知らない土地を駅らしい方向に走る。「痴漢」の恐怖に襲われながら、女性たちは男たちの数倍の恐怖感に襲われながら、さまよった。「漏れる、漏らした」な…どの話は男女の会話には上らなかった。「聞いてはいけない領域」、「タブー…」
 能登地震の被災者に「生理用品を配ろう」という提起、ガザの女性たちに生理用品を、という提案も、つい最近の気がする。
 政治局派のX(ツイッター)では、全学連派の「アウティング」という批判に反発して(切り返して)、「じゃあ、沖縄の少女暴行事件の公表と世論喚起はどうなんだ!」というのが出た。赤嶺元委員長が「沖縄では最低限必要な彼女への防御をしている」という反批判。政治局派は逃げた。

②ジャズとサイケとジュリー
 私たちの時代、学生運動にはまる人たちは、ロックやジャズこそ正統、と思い込んでいた?
 ツイストが流行ったのは70年代前半までだろうか? 活動の傍ら、自治会やサークルでスケートや踊りにも行く。すし屋で酒を飲んで「オトナになった気がした」。女性たちには「ジュリー!」と叫ぶ活動家も多くいた。
 新宿地下でのフォークゲリラも同じ流れか?。

③恨み節
 教師や工場、公務員になる人たちが次々に生まれた。ある女性は、新入社員歓迎のコンパ=飲み会で「恨み節」や「夢は夜開く」を歌ったと言う。「昨日マーボウ、今日トミー、明日はジョウージかケンボウか」。「夜な夜な別の男と?」先輩や年配のおじさんたちは目を白黒させたことだろう?
 演歌からも新しいものが… 

④暗がりや居酒屋でキス
 
「▲△で〇〇さんがキスをしていた」。仲間が私の寮の部屋に゙飛び込んで来た。
 ◯◯や居酒屋で「オトナになった、大人の世界に仲間入りした」人も少なくない?

同棲時代
 
ある時物理の同級生の男女が自転車の2人乗りで登校してきた。それが毎日の風景になる。
 「同棲してるんだ」。ま、物理学科には3浪・4浪の猛者もいた。現役入学の私には「人生経験の差」を感じさせる人も多い。そしてあそこでも、ここでも「同棲」が生まれてくる。

 大信田礼子 / 同棲時代 - YouTube

 同棲時代 (1973)大信田礼子--------------------------
  【同棲時代】#

昭和のQチャンネル・同棲時代・その3・沢田研二・タケハルと一緒に観ませんか
19:52
昭和のQチャンネル・同棲時代・その3・沢田研二・タケハルと一緒に観ませんか
視聴回数: 5826 回9 か月前
YouTube昭和のQチャンネル

同棲時代 - Wikipedia

『同棲時代』(どうせいじだい)は、 上村一夫 により 双葉社 『漫画アクション』において、1972年3月2日号から1973年11月8日号まで80回連載された 漫画。


就職差別 「埼玉県では自治会役員への就職差別が横行している」。民青全学連の「祖国と学問のために」が書いている。自治委員=クラス委員になった人たちの名簿が採用側に出回る。
 じっさい、私の知る女性も家からはるかに遠い市に「ここからは出さないぞ」という条件付を飲む形で初めて採用された。新左翼・民青を問わずだ。
 活動家だけでなく「寮生・下宿生も゙同様か準ずる」という。
 こんな情報=問題提起はさすがに民青=共産党しかできない。民青情報は世間を知るためにも必要不可欠だ。
 ではなぜ寮生・下宿生もなのか?
 正確には同じ下宿でも「賄い付きで無い下宿」らしい。「親御さんに任されたおばさん」がいない下宿。後にはアパートや長屋の住人ということになる。

 「親の監視がない」。

 下宿生活は、確かに左翼活動には好条件ではある。

 地域保守の女性観
 けれども保守の世界ではそれ以上に寮生や下宿する女子学生への不信の念がある。
 …「婦人の貞操」「キズモノの女性」に地域の保守は「アカ・共産党」以上に鋭敏だ。
 地域の保守にとっては、「キズモノの女性が生まれる」ことこそが、身近で深刻な問題だったのらしい。
 「親御さんに預かった娘たちをキズモノにしない」
 そして教育委員会やPTAは「キズモノの女教師に子どもたちを任せられるか?!」とタッグを組む。
 新しく教育短大を作り、地元出身の女子短大生を優先的に採用する。

 埼玉大学の教育学部の女性たちは県内出身者が多い。そしてひとまずは県内採用を望む。しかしそんな風潮で、都内に逃げ、あるいは当時は活動家にももっとおおらかだった横浜に逃げる。

 民青には「婦人問題研究会」(婦問研)ほかが運動としてもあった。
 けれども新左翼にはそんなものはない。😂
 新左翼系の一部の女性たちは民青の婦問研に入る。他の一部は自分たちで細々と会を作っていたらしい。


「婦人の自立」
 
こんな言葉を初めて知ったのは高校2年生の時だった。
 同じ前橋市の女子高の新聞会が編集した記事が回ってきた。
 「自立したい」「職に就いて社会で生きたい」「そのための結婚社会は?」。
 そこには働く女性の比率やその実像も描かれていた。
 進学し、就職するのは当たり前の男子高校生にとって、初めて異世界を垣間見た。
 ただ、「死闘の7か月」の時期には、そんなことは忘れていた。

 東大闘争の頃か?その筆者と喫茶店で会ったが、彼女は民青になっていた。「自立して生きる」ためには新左翼系ではダメだったらしい。「オトコ中核」の時代だ。
 後日の田島論文でも「働く女性」の統計が示されていたが、あまりにも数字が違う。田島論文では自営業や農家の主婦が外されていたようだ。たぶん同じ共産党系の統計なのだろうが、「婦人労働者」の流れで、読み替えたのだろう。「付け焼刃、下らねえ」

⑧便所からの解放、リブ派の衝撃
 リブ運動…これが今回の最大のテーマなのだけれど、ここでは略。
 「女性であるが故の『息苦しさ』『生き難さ』」へのどうしようもない不感症。
 「自立し解放を求める女性たち」への男たちの「性のはけ口」観。「誰とも話す女性」「開放的な女性」「奔放な女性」に投げつけられたのが「共同便所」という悪罵・欲情からの言葉だった。
 神奈川反戦での女性たちによる糾弾の集会でも、言葉としてはその頃私も読みふけっていたリブ系の糾弾の言葉が延々と続いた。
 リブは、そんなことどもをくり返し、いろんな角度から叩きつけていた。
 「セックスが目的で、オンナを見ていない」
 「お前は女を視姦している」「ウーン、そう言われればそうだけど、じゃあ、どうすればいい?」
 「そんなの自分で考えろ!」

⑨女子学生たちの憤激
 運動の中心は、生活を投げうてる男たち。サークルの中心も男たち。有能な女性も指導部に入れない。いや、女性の問題意識やそのあり様を、ハナから排除している。
 67年、埼大の全学自治委員総会。副議長は教育学部民青の女性だった。わが中核派の対案や諸動議をバッサバッサと切り捨てる。党派性丸出しでアタマに来た。
 だがその切れの良さに゙は感嘆した。負けた後で「タマちゃんカッコ良かったな〜」「え~っ、敵を褒めたらまずいジャン!」


 … … … … … …
(注)ここからは少し長く、ややこしい議論か続きます
。飛ばしたほうが
⑩『女嫌いな男たち』

 最近読んだ上野千鶴子さんの本のタイトルには「ン?」だった。
 「最近、レス=セックスレスとかの話題もあるけど?」「異性愛への拒絶?」???
 いや、そうではないらしい。「異性愛」の「普通の」男たちのことだという。
 ひとまずは「女好きのヒヒ爺、森喜朗」みたいなやつ。けれどももっと本命は、「紳士的」だが女性との日常的な付き合いができないやつ、を指すらしい。「男社会での評価」を価値観の基準とする立ち振る舞い。付け足しとしての大の「女好き」。
 そして「名誉男性」の概念の誕生。

 あえて言えば、私自身も物事を考えたり感じたりするときには、「半ば意識的に」この基準を脇に携える。会社であれ、組織であれ、この基準からあまりに外れれば、排除され、転落するのは必至だ。
 それは「本社対現場」との感覚にも似ているが、少し違う。「あまりにも子ども過ぎる」男社会の「常識」
 「育メン」男性の姿が珍しくない時代にはなった。微笑ましくもありうらやましくもある。その背後には一人ひとり、企業や同僚との計り知れない苦闘の痕もありそうだ。「イクメン宣言」には、周囲を変えることが不可欠だ。男同士の会話や付き合いでも、ずいぶんと…
「育メンパパの会」の誕生まで行くととりあえず一休み?

 「やっぱりあんたもおんなじオトコ」「多少わかってはいても、大差ない」
 で、こんな形で「女嫌い」と言われ続けるのは人生としてもったいない、と思う。本物の「異性愛」「女好き」でありたいと切望する。

⑪時代について
 この頃盛り上がっていた「主婦願望」批判、嫌悪感が重要な要素であった、という話もある。
 そして何よりも、「日に日に豊かになる高度成長」もあった。
 「3種の神器」と呼ばれる家電時代は「家事」をずいぶんと楽にしてくれた。朝晩、水汲みに追われる生活から、多くの人が解放された。洗濯が楽になった。中学・高校時代はそんな変化の日々だった。それらは色んな批判や批評の題材ではあるが、それはそれ。

⑫時代⓶ そして生協

 進学率も上がり、「金の卵」と言われた中卒採用から、高卒・大学・短大進学も急速に増えた。ついついミンナ大学進学したような錯覚にも襲われる。そして私たちは「戦争を知らない子供たち」の初代に近い。ウーマンリブやフェミニズムの初期の世代は私たち47年生まれよりも少し年上の戦中派だ。
  ……… ……… ………
⑫あるテーゼ
 「時代の反動が色んなうねりや運動を引き起こす」という古いテーゼはここでもあてはまらない。
 社会全体の活性化が私達の活性化の土壌にあったことは否定できない。この辺はむしろ、トロツキーが好きだ。
 少し遅れて「豊かさとは何か」が問われた。「安い」を売りにした生協運動に代わり「少しは高くても安全な食品を」と、新しい新左翼系・市民運動系の生協運動が台頭した。

  アイスランドの映画「女性の休日(スト)」を見ても思うのは、「中産階級」が大量に生まれたという時代背景とも関係しそうだ。そして地域の「保守派」との交流。「活力ある社会」こそ、社会変革の基礎なのだとつくづく思う。ただそれは画一的・計画的統一性として現れるものではない。

 新左翼系も含めて、生協運動の活発な動きは実に大きなものだったらしい。
 私自身は、東大阪選挙への動員で初めて知った。公務員住宅郵政宿舎、「文化住宅」で女性たちが応対してくれる。その人たちが同時に生協の「活動家」でもあった。数人の利用者たちでポストを作り、生協の配送者から荷物を受け取り、配布する。注文も同じ。すべて自前の体制だ。ある人は当番になるとパートを休んでひたすら専念するという。そしてその人たちがまた、PTAや地域活動に参加していく。年に一度は広島行動に参加する。この時代、「労働運動」だけではない。

……… ……… ………
 では、今の時代はどうなのか? 
 難しい問題だ。ただ、ある地域、ある世代、ある社会層にとって、あるテーマでの活力が高まり、新たなうねりのベースにはなり得ると思う。その一つの可能性を「新たな全学連」は秘めているのではないか?過去、せっかくのシールズの安保関連法との闘いの創生に反発して、足を引っ張った中核派とも決別して、新鮮な感性で社会と向き合って欲しい。

 時代の「閉塞感」が「失われた数十年」の間にいっそう深刻化し、「孤立」への恐怖や「指示待ち世代」を生み出しているという。それは左翼にとっても共通すると思う。むしろ、「上意下達」の組織や「正しいことを言え」というあり方の中でいっそう醸成される。(スターリン主義あるいは「きわめて日本的な建前と権威主義」)

⑬「違和感」
「不条理」「息苦しさ」を掘り起こし、一つ一つ検証していきたい。「個人的なことは社会的なこと」ではあるが、「個人的なこと」を直ちに「既成の社会批判」に飛躍することは避けたい。「個人的なこと」を「より多様な側面から・多様な場面から」想像することは「実存」という言葉でも言い表せられる。

⑭ボーボワールと実存主義 女性解放論の一つの原典ともされるボーボワールの「第2の性」は実存主義の書でもある。
 「先行する諸形態」も「国家の起源」もダーウィンの進化論の発表に大いに励まされ、取り込んで、書かれたという。ダーウィン学派の後継者たちが、「進化論」の発展を推し進める中で、「進化論」の個々の結論や叙述は大幅に書き換えることを必要とされていると聞く。NHK「ダーウィンが来た」を見ると、50年前の常識ですら今や常識外れだということをつくづく実感させる。
 道具を作るサル、言葉を駆使するトリ、愛情を豊かに持つ個体差。

 「カタカナ言葉を使うな」と叫んだという政治局派の人びと。ま、私も都知事や首相のカタカナ言葉好きには同じ言葉を言いたくなる。ただ同じように「マルクスやレーニンの言葉にしがみつくな」と思う。
 ドイツ語やロシア語に堪能で、それぞれの国の社会や党の歴史を読める人なら話は別かもしれないが、でなければ、「自分の言葉で語れ」。
 ソ連崩壊後に膨大な資料集が売りに出された。レーニンの時期〃〃の資料はその気になれば手に入るだろう。同じ訓詁学を語るなら、その程度の研究に人と時間と金を使ったらどうか?
 実存、生活者その他、左翼が捨て去った言葉?が懐かしい。
 必要な場面では、それにピッタリなカタカナ語を使おう。
 



 


 私事などにより、動きに全く追いつけていない。
 私の混乱の一つの理由は、「タイムラグ」だ。

テロリズムの勝利? 
 「中核派で✖✖」のニュースはけっこう早くから友人たちから届いた。
 『前進』紙上で「石田反革命」を弾劾する政治局声明と、それぞれけっこう長いいくつかの記事が出され、すべてを読み切ろうとするうちに、頭と気持ちが疲れてしまった。「石田作戦memo」も読んだ。X(ツイッター)も読めるようにした。

 だいぶ遅れて矢嶋さんの弾劾声明が出されたころには、政治局派の発信するゴミの山に埋もれて、苦闘していた。矢嶋声明を流し読みしながら、政治局派との対比や時系列を整理しながら、頭の中には双方を「公平に理解しよう」としていた。
 しかし実際には「公平さ」を求めることこそが最大の難点・迷い道への道筋だった。

 その意味で政治局派による全学連の学生の排除と、前進社からも即刻たたき出した集団的暴力行為は、(こと私に関する限り)見事に功を奏した、と言えそうだ。2000年代に入って以来、3つの?「党内テロ」とゲリラ以降、(中野氏の存在に規定され)封印されてきた中央派のテロは確かに実効性をもって発動されたと言えそうだ。「テロリズム万歳!!!」
    ……… ……… ……… 
政治局派のレベル
 それはそれとして、「女性解放」に対する「政治局派のレベルの低さ」には驚くしかない。
 はっきり言えば「関西・蜂起者」の女性達も、ここでは同じ。

 私は話題の前橋市出身だ。私が前橋市民なら、ほぼ無条件に新人女性市長に「肩入れ」したいと思っていた。保守が圧倒的な議会に対抗して、立ち上がって勝った人だ。

 世間は「何かというとセクハラだとか何とか云っ少数派・ニューフェイスを落とし込める風潮」に顔をしかめる人たちがいる。実際には入り組んだ話だが、その風潮に準ずるような「断固たる反差別」に簡単に迷い込んだ人たちは確かにいる。デマや曲解に、簡単に乗った人たち(政治局派=35全総派=中央派)の姿が見える。 

 とはいえ、政治局派の言動には、昨今、世間的にはようやく力を得てきた「差別」「家庭内暴力」「男の育休」「男社会への異議申し立て」などの概念や「新常識」への無知と嫌悪が見透かされてくる。
 「アウティング」ほかの「カタカナ言葉を使うな」…。「名誉男性」とは何だ!「フェミニズム」へのむき出しの憎悪が堂々と語られる。ま、「自分の言葉」でなくても良いから、せめて日常的・常識的レベルまで「アップデート」したいものだ。

 

女性の休日の上映スケジュール・映画情報|映画の …

2025年10月25日 · 1975年10月24日、アイスランド全女性の90%が仕事や家事を一斉に休んだ前代未聞のムーブメント“女性の休日”のドキュメンタ …


  

10・12三里塚現地集会の中止の翌週の『前進』記事です。

10・20三里塚蜂起戦40年 反対同盟との血盟にかけ三里塚闘争勝利まで闘う 革命的共産主義者同盟   発行日:  

 …【前略】高市反革命の登場、中国侵略戦争への突入という決定的情勢を迎えている。この時にわが革共同の内部から石田反革命を生みだしたこと、それにより三里塚芝山連合空港反対同盟に「10・12全国集会中止」という「苦渋の決断」をさせることになってしまったことについて、革共同は、反対同盟ならびに三里塚闘争を闘うすべての人々に謝罪します。そして石田反革命を完全に打倒し、反対同盟との血盟にかけて三里塚闘争の勝利=日帝打倒の革命の勝利まで闘いぬく決意をあらためて固めたい。

  
このような石田反革命が、三里塚闘争に介入することなど断じて認められない。(…略)

 三里塚闘争は革命的女性解放闘争の結集軸となってきた。大木よねさん、婦人行動隊の闘いは、農村で抑圧されてきた女性たちが、文字どおり政治と暴力を奪還し、国家権力・機動隊に真正面から実力闘争を挑んだ闘いだった。この闘いに多くの女性労働者・学生・人民が感動し、三里塚闘争に自らの解放をかけて結集し闘った。この三里塚闘争に、革命的女性解放闘争に敵対する石田一派のような反革命が入り込む余地は1ミリたりともない

【ブログ注】  どう読んでも、現地闘争はもちろん、裁判闘争も含めて暴力的衝突の予告だ。「闘う人民結集の砦=三里塚」を抹殺しても「石田反革命」=全学連への襲撃を貫徹する、という以外に読めな



11月労働者集会の結末
   中央派が年に一度の中央総決起=根こそぎ動員を図ってきた「11・2労働者集会」は1250人の参加と公表された。
 昨年(「3000人」という概数のみ)に比べても大幅減だ。
 形式としても、「3労組共闘」が破綻し、また全学連の若者たちを排除して無味乾燥なものになった。
 全学連は、第1回に続いてその後の集会実行委員会からも排除?
 当日の「11・2」にまとまって出席しようとしたが、会場入り口で、「主催者(=動労千葉のこと?)の要請で参加をお断り」と拒否されて、大人しく引き下がったという。
 3労組共闘の破綻についてはについては略。

 

2025年 11.2全国労働者総決起集会/改憲・戦争阻止!1万 ...

2025年9月30日 · 集会へのご参加・ご協力ありがとうございました。 11月3日、日比谷野外大音楽堂に3000人が集まり集会・デモを行いました報告集が完成しました戦争を止め、社会を変 




  1. 写真速報】11・2全国労働者総決起集会 中国侵略戦争阻止 ...

    11・2全国労働者総決起集会&改憲・戦争阻止! 1万人大行進が11月2日、東京・芝公園に2150人を結集して闘い取られ、中国侵略戦争阻止―高市政権打倒へ号砲を上げた。



    余禄】更新が止まっているもの
    『国際労働運動』 (zenshin.org)

    1. 矢嶋全学連の資料集 発行     
      模索舎
      @mosakusha
      【模索舎新入荷】 『9
      1. ・6蜂起関連資料集』(発行=全日本学生自治会総連合(矢嶋委員長))入荷しました。(E)https://mosakusha.com/?p=12477


        ……… ……… ………
        相次ぐ閉鎖や廃刊

        ★①前進チャンネル
        前進チャンネルは9年1日の記事(ユーチューブ)を最後に閉鎖さ
        れた。政治局側の確保していたアカウントらしい。
      2. 全て記事が過去も含めて見られなくなった。9月6,7日頃。
        なお、外部の他者がコピーしてアップしているものは一部ある。
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    2. ★出版物
      出版最前線 - Enpedia (rxy.jp)関連
      『国際労働運動』


        1. 概要[編集]

          2015年3月に設立された出版社。2011年11月に「新自由主義と対決する総合雑誌」として創刊された雑誌『序局』を、2015年5月の第9号から「有限会社アール企画」に替わって発行している。

          「設立のご挨拶とお願い」では、「『序局』の精神と実績を土台として、ロシア革命から100年、第2次世界大戦から70年という世界史の転機において、自己解放を求めてやまず、生きかつ闘う労働者階級人民とともに最前線で出版活動を担います」、「労働者階級人民の実践に依拠し、マルクス主義の思想と理論を復権し、時代と対決する武器となる単行本…(略)…を企画しております」として、マルクス主義の立場にあることを明らかにしている[1]

          所在地は東京都港区新橋2-8-16 石田ビル4F[2]。かつて『序局』の発行元だった「有限会社アール企画」と同じビルの同じ階にある。

          『序局』[編集]

          中核派は、定期刊行物として前進社から『前進』『共産主義者』、出版最前線から『序局』『国際労働運動』を出版している[3]

          『序局』は、破防法研究会が編集、出版最前線が発行、星雲社が発売している年3回刊の雑誌。2011年11月の創刊号から2015年1月の第8号までアール企画が発行。2014年まで年2回刊。

          1969年に創刊され1992年に廃刊した『破防法研究』の後継誌にあたり、「新自由主義と対決し、世界を根底的に変革する理論的武器」(葉山岳夫弁護士の巻頭言)を目指してスタートを宣言した[4]

          『国際労働運動』[編集]

          『国際労働運動』は、「星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議」が編集、出版最前線が発行、星雲社が発売している月刊誌。

          1974年に『武装』(革命的共産主義者同盟全国委員会編、発行:前進社)として創刊され、1993年11月に『コミューン』(編集・発行:前進社)、2009年3月に『国際労働運動』(発行:前進社)に改題した。リニューアル化した2015年10月の v. 1から国際労働運動研究会が編集、出版最前線が発行、星雲社が発売している。2017年4月の v. 20から「星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議」が編集している。

          武田崇元曰く、vol.17『トランプ情勢とアメリカ革命』は、「米左派系労組と繋がる革共同シンクタンク?ならではの分析。…(略)…オバマ大好きリベラル、トランプ大好き陰謀論の底浅とは真逆の知的読み物としても面白い」とのこと[5]

【ブログ注】たたかうあるみさんが経緯をまとめてくれている。

 22:55

全学連・矢嶋委員長の提起を受け止め、革共同政治局を弾劾しよう!

 革命的共産主義者同盟全国委員会(いわゆる「中核派」)が、9月に分裂した。党内の差別問題についての根源的な問いかけに答えることができず、逆に声をあげた「全学連」を党から追い出したのである。
 全学連・矢嶋委員長の弾劾正明
35全総を前後する革共同政治局・全国委員による女性差別襲撃への弾劾声明 2025年9月21日
 この声明によれば、長い「全学連」の歴史の中で初の女性委員長となった矢嶋 尋さんが、自分の「つれあい」…当然、いっしょに家庭生活を送っている…でもあり学生戦線を指導するSOB(政治局員)の石田氏に対して「政治と生活の両面における女性差別的ふるまいを批判する文書」(弾劾声明より)を提出したことから始まる。なお「女性差別的ふるまい」ではあるが、矢嶋氏も「拒絶の意思表示を無視した文字通りの暴力的・強制的「性暴力」や、私との関係が始まって以降の時期に不倫されたという事実はなく、石田に対する糾弾の中でもそのように「被害」を主張したことはありません」と書いているように、あからさまな性暴力やセクハラ・破廉恥行為が行われたわけではない。とりあえず、弾劾声明には、このように書かれている。
 今年の7月中旬、私は夫への批判を通して、個人にあらわれた組織・運動内における女性差別的なあり方の変革を迫る問題提起を行いました。具体的には、家庭領域を「忙しいから仕方ない」という論理でないがしろにしてきたことへの怒り、17年前の女性との関係(女性側の離婚が成立していない段階での交際)を第三者から聞いて知ったことへの怒り、さらに「グルーミング」や「性的同意」の概念と実態を学ぶ中で湧き上がった問題意識がありました。それはこの社会で生きる限り、恋愛/夫婦関係に〈性暴力〉性がはらまれることから逃れられないことについて、私たちがいかに考えるべきかを問うものでもありました。
 このような根源的な問いを、夫である石田氏と同時に、党・政治局につきつけたのである。「家庭領域」の話だから、家庭内で解決せよ!というわけにはいかない…プロレタリアートの解放、女性の解放を掲げる「共産主義者」の党として、この問題をどう考えるのですか?ということが問われたわけである。ある意味「分かりやすい」強制性交・性暴力やあからさまなセクハラをしたヤツを糾弾し、自己批判させることよりも難しい課題であろう。
 石田氏はこの過程で自己批判の作業をすすめ、矢嶋氏も「私の要請に関係者が応じる形で私個人としては彼の転換・変革を「承認」できるところまで到達してきていました。」と書いているよう、一定のところまで自己批判は進んでいたのである。ところが革共同中央の政治局は、この問題をまともに取り扱うことができず、ただただ石田氏が悪いと「悪魔化」し、ぐっちょんぐっちょんにすることで”解決”しようとした。それは「8・31政治局決定」の中に「(矢嶋)同志への4年以上ものおぞましい性暴力、女性差別」という文言で表されている。

(略)続きは以下から

全学連・矢嶋委員長の提起を受け止め、革共同政治局を弾劾しよう!

【ブログ注】
 あるみさんの紹介は当該ページからどうぞ。
 私自身は一時期、「筆者は女性?」と思い込んでいた。
 ある集会で受付の女性に「彼女は…」と言いかけたら、「あるみさんは男性ですよ」と訂正された。「えっー?」と驚くと、「まあそうですね。鉄道娘とか面白い記事も色々書いていますからね」
 「えっー。男? 今後は気持ちを入れ変えなけりゃいけないな!」などと話していると、そばで聞いていた男性が
「オトコでもオンナでも関係ないでしょ」と非難めいて…。
 受付女性が「そりゃあ、女か男かでは全然違いますよね」と助け船。
 非難した男性は渋い顔をして引っ込んだ。は、は、は

 のちに三里塚現地集会でボランティアのようなカメラマンに出会った。
「いまどきニコン?大昔みたいに?」「いや、ニコンでも電子カメラですよ」
 後で思い出したらあれがあるみさんだったに違いない。

 【ブログ注】X(ツイッター)が読めない人向け、慣れない人向けに、処理しています。共に11月時点での投稿です。


【7月提起ー8・28文書ー9・4事件のそれぞれの意味】
 …であれば7月提起を読んで「しかしマユミは『元気』だね〜、うちはレスで…」などとからかう態度を取り続けていた〇同志が自己批判しなければ「7月提起と8月28日文書は同じ」ということと整合性がつかないし、「8月28日文書くらい簡単になるまで痴話喧嘩だと思ってました」と言ってるも同然では?

 8月28日文書の最大の特徴は7月提起を女性同志2人に陳腐に扱われた恐怖からより広く共有するにあたって「誰でも理解できる事件」として極端に単純化したことにあり、何人もの政治局員や全国委員も「7月提起の抜き書き、同じ内容は7月提起にもある(から7月提起の検討は不要)」と言っているわけですが、彼・彼女らに伝わるようなレベルに7月提起を8月28日文書まで自ら貶めたことが私の決定的な失敗。  この8月28日文書を他人が振り回して女性差別男達も元気に石田を糾弾する展開に「ちょっと待って」をかけるため文書の撤回を申し出たら、取り囲まれて恫喝を受けたのが私が問題としている9月4日事件。
 7月の文書に書いたことを、8月28日文書で「事件」のようにまで大幅要約してようやく党は私が何かを訴えていることを認識して、一気に叩き潰しに走った。  私が吐きながら書いた7月文書を読んだ女性同志Mの感想は「ほっこりする」、Rは「赤裸々だね」…私が問題にしている「水準」はただこれです。

 沖縄米兵による少女暴行事件と闘い、デモ飛び入り参加者による強姦未遂事件と闘い、運動指導部による性暴力事件と闘い、党は女性差別「事件」と闘うことはできた。しかし女性に育児と家事を押し付けて男性活動家が活動に専念している現実や、女性の性的客体化などの日常的課題を切開できていなかった。
「家族ぐるみ」のぬるま湯のようなコミュニティと化した革命党が、個人・組織としての変革を拒否し、逆に女性解放闘争を叩き潰すための襲撃に走ったのが35全総。 自らと無関係な「事件」として開き直り「闘う」ことは容易い。

「人間として生きようとすれば革命の中にしか自己の生きる道を見いだしえないことを自覚し決起した女性が、革命運動と革命組織そのものの内部で、革命の名によって女性が差別され蔑視され、自らもまた、その中で敗北的意識に甘んじてきたことへの自己批判を踏まえた糾弾の開始によって、(略)


 全学連矢嶋委員長声明を読みました。非常に感銘をうけています。そして同時にかつて共に革共同に所属して党を作ってきた者として、私たちもまた責任を負っていることを踏まえなければなりません。
 性的関係の人間的再生と奪還は、女性解放の基底をなすものであり、またマルクスが言うようにその社会が人間的であるか否かを測る基準でもあります。
 矢嶋委員長は、差別が被差別者においても内面化することから、そのかかった靄を視界から取り除くことが必要であると自覚されていますそして連れ合いの石田さんへの差別糾弾と獲得に起ち、同時にこの闘いを党組織の差別的現実の変革をもめざす立場で貫こうとされました。全く正しい立場だと思います。  差別への糾弾は、あくまでも糾弾者の主体的格闘を原点に進んでいくものです。そしてその共有を政治局と諸同志に求めたことは全く正しい事でした。それは、多忙な活動の中で強いられる「無家庭状態」をいかに克服していくのかという問いでもありました。革共同が長年念仏のように唱えてきた「家族問題の革命的解決」の空疎さが今さらながらあぶり出されたともいえるでしょう。 
 性的関係、家族関係形成への格闘を放棄するのかという、連れ合いの石田さんに向けられた矢嶋さんの人間的な怒りと問いが原点でした。そしてそれにとどまらず、差別的現実の上に安穏と開き直る男性指導部、政治局への突きつけでもありました。

 ところがあろうことか政治局は糾弾主体当該である矢嶋委員長を無視し、彼女の頭越しに「石田反革命」規定をおこない、石田さんの除名・追放で事足れりとしました。自らが問われていることに頬かむりして開き直り、「正義の鉄槌を振りおろした者」として登場しようとしたのです。最もあくどいのは、矢嶋同志とその糾弾そのものをつぶそうとしたことです。
 こうして革共同は、政治局を筆頭とする組織内の女性差別を、時に政治主義的に利用もしながら温存してきました。野島、中野・・・性暴力・性差別加害者の名は枚挙にいとまがありません。党組織とその成員も、帝国主義の女性差別と無縁ではなく、絶えず自らを問い返さなければ腐敗の沼に転落していくほかはありません。(…略)
  私たちはこの階級的財産である矢嶋委員長と全学連の闘いを守りたいという思いでいっぱいです。

  
 革共同は、エンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』を元に「女性解放理論」を創ってきました。しかし、女性差別の現実の中で、多くの女性が苦しみ起ち上がっていることには冷淡でした。大衆運動を「帝国主義打倒がない」「革命がない」となで切りし、そこから学ぼうとはしませんでした。
 例えば、あれほどの高揚をみたリブ運動は「便所からの解放」を掲げ、「母でも便所でもない私を生きる」という人間宣言ともいうべき内容で女性解放の新たな地平を切り開きました。優生保護法改悪阻止闘争の中で障がい者たちから批判された「『産む産まないは女が決める』というスローガンは障がい者差別だ」という問いにも、今から思えば不十分なところもありますが、必死に受け止め答えようとする立場を持っていました。しかし、革共同は女性たちの苦闘に無関心で悪罵を投げつけるだけでした。
 そもそも革共同は大衆運動に対しては、「党の同心円的拡大」論という利用主義でしか接近せず、革命の主体が大衆自身であるという根本を否定する傲慢な党至上主義、一種のエリート主義また代行主義に陥っていました。ここから統一戦線も自己利害だけに基づく極めて貧弱なものでした。(略…)

【ブログ注】再建協の分裂の起点ともいえる大阪での女性差別事件に深くかかわる中で深化した議論かも?という声もある。

 投稿の後半部分も一部転載した。リブ運動の”便所からの解放”をごまかしなく再評価する姿勢にも感銘する。私自身も当時、ビラの現物に触れて心が動いた覚えがある最近読んだ上野千鶴子さんの本でも、この辺をフェミニズムの起点とする論述があった。

【補】故緒方史人さんの「革共同私史」の「書評」に剛田力さんのコメントがありました。

 ともに71年全学連大会で議長団と議運になり、女性たちの糾弾に混乱しながら何とか応えようとして苦しんだ、という事を書いています。当時の関係者はともに70代後半から80代になるはず。
 「想い出の一コマ・断片」を教えてくれれば「歴史」の大事な資料になるでしょう。

尾形史人

1950年茨城県土浦市に生まれる。1959年一家でブラジルへ移民。1962年ブラジルから一家で帰国。1966年神奈川県立横浜緑ヶ丘高校に入学。1968年「反戦高協・神奈川県委員会」結成に参加。1969年法政大学法学部政治学科に入学。1971年中核派系全学連・副委員長に選出される。1985年三里塚闘争



未来・第426号 五井洋子さんの投稿 に感銘

5面 投稿 五井洋子 未来・第426号(2025年11月20日発行)

http://miraikakukyodo.jp/mirai25426.htm

「全学連矢嶋委員長声明を読んで 被差別当該を抑圧した革共同」

また3ヶ月も休んでしまった。
 岩本さんの新本『党はどこに行った』への罵詈雑言を重ねているうちに、気持ちがシナってしまった。
 本多さんの「堅実・全面発展」論文についても評して見たかったが、時が経ってしまった。

 そうこうしている内に、中央派の分裂と「うち内ゲバ」が起き、三里塚集会中止という大事件にまで発展した。状況は深刻だし、別な見方としては「新生全学連」への期待もある。
 とはいえそろそろ… … 

 しばらくは事件の趨勢を注目しながらも、当ブログも次へと進みたい。

「最終章」として、書き残した事どもにも場所を与えたい。
大きくは
①最近の諸事件について。
②今まで触れにくかった諸問題を諸問題として書いておきたい。
③「滝沢君虐殺」➨「芝工大事件」の諸問題=実相がその後いろいろ明らかになった。当ブログでの記述も書き直すべきことが出て来た。「大きな、さらに大きなスタンス」としてはそのままとしても、当事者それぞれにとっては…私も「当事者」の1人だ。
④ここ数年間、事件の公判資料を入手した。
⑤試しにと思って当時の『前進』を入手したら「内ゲバではない。権力の巨大な謀略」という無署名論文や当時の表政治局のトップとされる陶山さん(政治局員)の同様な「追悼演説」に目を疑った。
 69年のこの時点で、「同志の死」をこんなデマで扱っていたとは!
 私の記憶でも、なぜか消し去ってしまっていたようだ。その要因についても改めて追及しておきたい。

 ただ、今少し、「35全総」とその後について
 改めて当時の中核派や埼大中核派について、そして「埼大学生運動」と学生生活も振り返っておきたい。埼大=私の「原点」

 残念ながら、正確さを担保できないことも多い。①②についてはそれでも何かを表現しておきたい。
③はそれなりに豊富な立体的な事実で、政治的にも意味あること。

 それにしても、ことしの夏は暑くて長かった!
 私の健康寿命もだいぶ縮まった。これがあと少し続けば、ロウソクの灯も吹き消されそうだ。
 この温暖化が続けば、「高齢化問題」も「少子高齢化問題」も一気に「解決」しそうだ。暑さ・線状降雨帯だけでも充分に「人の生き死に」を左右する。「ハルマゲドンの接近万歳」などと喜んでいる時ではない。…よね!?

 中核派(中央派)との「付き合い」に時間や魂を消耗することはそろそろ終わりにして、自分のやり方・生き方て、残る時間を使いたい。
 そのためにもう少しひと踏ん張り😂



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