2026年01月

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2026年現在、日本共産党とレフ・トロツキー(およびトロツキズム)との関係は、歴史的な

対立と批判の枠組みにあります。

日本共産党は公式にトロツキズムを厳しく批判しており、両者の間には深い溝が存在します。 

1. 日本共産党によるトロツキズム批判

日本共産党は、トロツキスト(トロツキーの支持者)を「革命を破壊する反革命集団」として長年批判してきました。

  • 「トロツキスト」の定義: 日本共産党は、いわゆる「新左翼(過激派)」の諸団体を、トロツキーの思想を直接引き継いでいるかどうかにかかわらず、一括して「トロツキスト」と呼び、激しく批判してきました。
  • 批判の理由: トロツキストが主張する「世界革命論」が、各国の具体的条件を無視した極左的・冒険主義的なものとみなされていることや、暴力的な手段を肯定する傾向があることが主な理由です。 

2. 歴史的背景と対立

  • スターリンとの対立の延長: ロシア革命後のソ連におけるスターリンとトロツキーの権力闘争において、当時のコミンテルン(国際共産党)がスターリン支持を打ち出したため、その日本支部であった日本共産党もトロツキーを批判する立場を鮮明にしました。
  • 戦後の新左翼との対決: 1950年代後半以降、日本共産党の指導部に反発して離脱した若者たちが「日本マルクス主義学生同盟(マル学同)」などの新左翼組織を結成し、トロツキーを再評価しました。これに対し、党中央は彼らを「トロツキスト」として排除・攻撃しました。 

3. 現在の状況(2026年)

  • 党の公式方針: 2026年現在も、日本共産党は自らを「唯一の前衛党」と位置づけており、議会民主主義を重視した「野党共闘」の路線を歩んでいます。一方、トロツキズムを掲げる小規模な団体は、依然として共産党の議会主義を「日和見主義(妥協的)」として批判し続けています。
  • 理論的差異: 日本共産党が「二段階革命論(民主主義革命を経て社会主義革命へ)」を維持しているのに対し、トロツキズムは「永続革命論(一段階での社会主義化)」を提唱しており、戦略面でも根本的に異なります。 

現在、日本共産党の公的な文書や機関紙「しんぶん赤旗」において、トロツキー個人が話題に上ることはほとんどありませんが、組織的な系譜としては依然として相容れない敵対関係にあります。

トロツキーまたはトロツキズムについての評価は日本共産党でも変わりました。いつ、どこで、誰が

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日本共産党によるトロツキーおよびトロツキズムへの評価は、

2004年の党綱領改定の際に公式に変化しました。

1. いつ・どこで・誰が?

  • 時期: 2004年(平成16年)1
  • 場所: 23回党大会(於:静岡県熱海市・伊豆学習会館)
  • 人物: 当時の幹部会委員長であった不破哲三(ふわ てつぞう)氏が、綱領改定の報告者として主導しました。 

2. 何が変わったのか?

それまでの党綱領には、トロツキストを「反革命の群れ」や「スパイ・挑発者の集団」と断定する激しい批判的記述がありましたが、2004年の改定でこれらが全面的に削除されました。

  • レッテル貼りの解消: 過去のスターリンによる大粛清において、トロツキーが「帝国主義のスパイ」という偽の罪名で排除された歴史的経緯(モスクワ裁判の虚偽性)を認め、党としてそのレッテル貼りを引き継がない姿勢を明確にしました。
  • 「トロツキスト」連呼の終了: 以降、党の公式文書において、反対派や新左翼(過激派)を十把一絡げに「トロツキスト」と呼んで攻撃する手法は取られなくなりました。 

3. 現在の評価(2026年時点)

ただし、これはトロツキーの理論(永続革命論など)を肯定したわけではありません。

  • 理論的対立は継続: 日本共産党が掲げる「段階的発展」の革命論と、トロツキーの「永続革命」は依然として相容れないものとされています。
  • 現状: 「反革命スパイ」という非科学的な非難は撤回されましたが、2026年現在も、日本共産党はトロツキズムを「誤った理論」として退ける立場を維持しており、組織的な友好関係はありません。

『スターリン秘史巨悪の成立と展開』第1巻を語る - 日本共産党

日本共産党

第20回党大会/日本共産党綱領の一部改定についての報告

日本共産党

不破氏死去 共産党を現実路線に 理論的支柱 - 日本経済新聞

日本経済新聞

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  1. 【余談】

    小川さんと三里塚=成田空港・反対同盟

    県議時代の小川さんの「成田=三里塚闘争」への関りは最近知りました。

群馬での三里塚集会には出席し、あいさつでは「こんな時にしか父とは会えないんですが」みたいな感じだったとか。

   父親が「全国農民会議」の共同代表で、今も、わが千葉県内の匝瑳市で農業を営んでいるという話も。
   「令和の農民一揆」,あのトラクターデモでも大いに関与しているらしい。

 昨年は、「学生=全学連を排除しろ」と実力行使にまで走る中核派の「中央派」(政治局派)の暴走で、三里塚全国集会が中止になるという大波乱もありました。昨年来の中核派(中央派)の分裂のあおりが…

   今年26年の反対同盟((故)北原派)の新年会も心配されていましたが、中核派=中央派が(形ばかりの)謝罪をすることで、ひとまずは分裂した全学連」も参加でき、開催できました。三里塚闘争破壊」への批判を押しのけても突っ走る中核派(中央派)にブレーキをかけた一人が「父親さん」ではないか、と。(これは希望的推測ですが)

小川晶市長の父親は三里塚闘争の活動家?「政治は土から …

2025年9月26日 · 特に、日本の戦後史においても大きな出来事である「三里塚闘争」との関わりは、
彼の生き方を語る上で欠かせません

  教師をしていたという母親の話もあり、「自立と社会正義とタフな心」は、彼女の特性だとも。

 


 

  1. 「全学連」の話は、私のブログの『狂おしく悩ましく』https://yuigadokuson999.livedoor.blog/でもいくつかアップしています

「」を付けたのは、いまどきそんな看板にしがみつくな、と言いたいから。

「若者の反乱」として。

「最後の過激派」の惨憺たる姿、今や産経新聞と公安警察以外にニュースに扱ってくれない…

朝鮮人慰霊の碑

 小川さんは弁護士開業にあたって角田儀一さん(故人)の薫陶を受けたという。角田氏は群馬では有名な「人権派弁護士」で元衆院議員⇒民主党。

「群馬の森」からの「朝鮮人強制労働に絡む「朝鮮人追悼碑」の強制撤去に対しては、師弟ともに反対の声を挙げた。
 さあ、いよいよ全開!! とはいえ、ですが……… ……… ………


 

 


私の知る前橋


 前橋市は、私が離れた頃の(当時でも古ぼけた)概念では、いくつかに分けられます。


 ㋑前橋城のご城下を中心とする「旧市街」。「繁華街や盛り場」。本町商店街のアーケードなど、元々の繁華街や「場末」ほかを含む。

 歴史上の「城付き領」としては、近場の「農村」を含みます。面積としては今の前橋市の2∼3%。今では閑古鳥が鳴く、シャッター通りにも。


 ㋺そして私の育った町はずれの「新市街」。小さな田んぼで旧市街とは区切られていました。


 ㋩さらには「旧郡部」。広瀬川の北・東と利根川の西。それとたぶん両毛線を隔てた地域など。かっては、田んぼや桑畑が広がる地でした。今では集客施設の整った「ケヤキウォーク」がある。旧市内からの転居や市外や他府県からも。新たな工場地区も。

 

 東京などの大都会に若者を出しながら、山間地他からの移住者や、他府県出身者でアナを埋める…。もちろん大合併も?


 「県内第
2の都市の高崎」にははるかに追い越されてもいる。

  前橋は歴史上、新潟・長野・山梨出身者が多く、それぞれが「県人会」を作り、就職や結婚の斡旋も請け負っていた、と聞きます。ちなみに私は、「長野県人会の子ども」。長野の繭・生糸の縁で職を得たと聞いています。


 戦後の前橋では「よそ者の眼」が少し入っています。「常識も」「味噌汁かしょうゆ汁か」という食生活も
 「もちろん方言の標準的理解も」たぶん、基礎からずれている。

 とはいえ、今では、「単一・無機質な都会の常識理解」に染まり切っている、という気もします。 


ついでに、群馬県
 高崎・前橋の質問コーナー

①新幹線が停まるのはどちらでしょうか?
②人口が多いのは?
③ヤマダ電機の本社は?
④戦前の陸軍「連隊本部」が有ったのは?
⑤正月名物・だるま市が始まるのは?

⑥名物・赤城おろしが直撃するのは?

⑦戦前・戦後に「総理大臣」を出したのは?

⑧群馬県庁が有るのは?

⑨反原発の初期のリーダーのひとり・高木仁三郎さんの育った地は?

お騒がせしました

わが前橋市民に快哉・小川晶さんの再選

改訂版 図表を改定し、増やしました。論評も一部改めました。




保守の地盤を突き破った前橋市民

小川晶さんの「再選」を果たした前橋市民に乾杯です。

元前橋市民としては、この1年の中でも気分がスカッとする話。


前橋市長(群馬県)    
      当 62893 小川  晶 無前
  52706 丸山  彬 無新
  8150  店橋世津子 無新(共産)
  2100  高橋 聡哉 無新
   495  海老根 篤 無新    〔共同〕 118344

【注】投票率は47.32%で、2024年の前回選を7.93ポイント上回った。

市によると、任期は13日から、1期目の残り282月まで。


【参考までに

202424日執行前橋市長選挙の得票結果

60,486  小川 晶

46,387    山本龍 …投票率 39.39% 107千票
前回事実上に支援し、今回は離脱した共産票は約8千。

つまりは新たに投票した人の内、1万票を上積みした。   



マスコミも県知事の山本一太も、「ラブホ」うんぬんとくり返しでした。

 ひとまずは「ラブホ」の大洪水に多くの前橋市民が、「そんなの関係ねえ」と決めた、という事でもありそうです。

 「不倫って、望ましくはないが、『社会的に責められるべきもの」、ではない」というのが大原則。

 

 「ラブホ市長」「エロイ女性市長」などの言葉も溢れたようですが、その点では上州空っ風の風土や「判官びいき」が「逆風」への反撃を呼び起こしたのか?

 「アッシには関係ござんせん」 「オトコはヤクザ、女は『カカア天下』」。たくましく『働き者』で手収入を持つ女性たち、と言い直しましょうか? 

 昔から「マユ作り➡生糸=商業化」、桑畑の広がる近代の歴史の風景。町中には製糸工場の三角屋根と煙突がニョキニョキ。それが消えた今も、どっこい、根付いている??

  最後まで「男女の関係」を否定し続けたことが大事だった気もします。

 ことがここに及んだ時、お相手の家族を考えた時、「ウソを貫く」のは、「最後の務め」。

 あえて言えば、「不倫」はお相手のこと。小川さん自身ではない。


 「性的関係を白状しろ」と攻め続けた保守派陣営への女性・市民の反発が勝ったのではないか?

 何よりも前回市長選挙で、保守王国の壁を突き破ったことは、記憶にも新しい。

「それ見ろ女が…」のおっさんたちの攻撃は、そのまま、彼女を押し立てた女性たちへのバッシング。
  「まがりなりにも県都・前橋」、保守の逆風には、名物・空っ風で応酬した。

 
 また、任期中の子育て支援策などの実績は大きかったらしい。
 学校給食の無償化などの福祉政策…。


 キーワードとしては

  ㋑「もう許そうよ」
  選挙戦の中盤に、小川候補をヤジリ倒そうとする敵対派の嵐に対抗して、この声が生まれ、やがて圧倒。

  選挙戦が始まってから、小川さんは中小の集会を開いて、たった一人で「謝罪行脚」。言い訳もせず、ここぞとばかりの反対陣営の罵倒の嵐に耐えました。

 そして…。投票日に向かって、「もう許そうよ」の声が急速に広がった。街角で、ネットで?

 
女性、とくに子育て中の女性の支持。「学校給食」の実績

 合併合併をくり返して、前橋市は「ドーナツ化」がいっそう進んでいる。


  ㋩保守派の動きは鈍かった

 群馬の保守をもう80年も2分する福田・中曽根。
ともに元の中選挙区では「群馬3区」。(~96年)

「平成の大合併」以来はともに高崎市だが、小選挙区では、高崎市を分区して、周辺地域を含めて分け合ってきた。

  ここでは「属領」の前橋市、双方が互いにけん制し合っているとのこと。「足の引っ張り合い。」小渕や競艇のドンの笹川はここではらち外。

 加えて、今回の保守は、候補者の「タマ」が悪かった、とか。

 小川批判では「給食の無償化なんてどこでもやっている」とかの賜ったらしい。でも、歴代の自民党市長は実際には振り向きもしなかった。

 あえていえば、財源豊富な東京都では、「余裕で」やれても、地方都市で同じことをやるには「革命」が必要だった、ということか?


㋥共産党の離脱も有ったが…。
 
 他方で、前橋市長選挙では、前回小川さんを担いだ共産党が離脱。

  「万年候補」の棚橋氏を推して、惨敗。ま、前回参院選比例での得票とほぼ同じ、らしいから、言い過ぎなのかもしれないが。

  ただ、ここ一番の「選挙」としては、市民の想いを読めず、取り込めず。「素人」に後れをとった?市政では「小川与党」の地位を自ら失った…。

  

㋬「小川陣営の戦略の勝利」という深読みも一部で語られています。(前述)

  
㋣もとはと言えば、前回の小川さんの勝利は、官製談合事件や「政治とカネ」などの相も変らぬ市政・県政への怒りだ。「現職の強み」・「自公連携」に対する積年の怒り。

 変らぬ政治を変えようという人々の心が形になった。

【参考までに

25720 参議院比例代表選挙
最新の国政選挙から。比例区の政党・個人を合わせた得票数です。
下のバーをスクロールすると全部見えます。

「小川系」はひとまずは、支持を受けた連合系の立憲・国民とれいわ・社民の合計。

「丸山系」は、自民、参政、公明、保守、維新、「みらい他」の合計。
  「みらい他」は社民未満のごく少数政党。


得票数

自民

   参政

   立憲      

  国民

  公明

  れいわ

    共産

   保守

   維新

   社民

  みらい他

 合計

  小川系

 丸山系

前 橋市

35,022

21,546

18,385

  16,457

11,516

9,397

8,431

6,167

5,376

2,996

4,492

   139,785

  58,751

  72,603

県計

218,422

  129,012

 104,437

 96,991

 75,038

  58,078

  41,243

 35,192

 29,730

1 7,158

   866,410

841,638

 

 


得票%

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前橋

25

15

13

12

8

7

6

4

4

2



41

51

以上の数字からすると、小川晶さんの「基礎票=組織票」は丸山より1万少ない。

……… ……… ………


【マスコミから】

日本経済新聞

https://www.nikkei.com › article

前橋市長選挙、小川晶氏が初当選 自公推薦の現職破る(前回選挙の記事から)

橋市長選は4日投開票の結果、無所属新人で野党系の元群馬県議、小川晶氏(41)が、4選を目指した無所属現職の山本龍氏(64 ...

bin › news

 · 1

  小川晶氏再選 擁護の女性増えた訳

 · 4 日 · on MSN

出直し前橋市長選挙、小川晶氏はなぜ勝利できたのか… 自民支持層の4割近くが小川氏支
JBpress · 10

ラブホ密会”小川氏の前橋市長再選で見えた自民党の弱点 ...

アエラ 小川晶 に関するニュース

bing.com › news


ラブホ問題”の小川晶前市長が再選 批判に大きく振れた女性たち ...

前橋市の小川晶前市長(43)が出直し市長選で再選した。カギを握ったのは女性有権者たちだった。
再選が決まり、笑顔をみせる小川晶氏 *** 「私は失敗をしてしまって迷惑をかけた。完璧なリーダーではなかったかもしれない。でも、誰よりも失敗することのつらさを知っている。助け合う社会の大切さを知っている。そんなリーダーになれると …


  · 9 日 · on MSN 【前橋市長選ルポ】小川晶前市長の「優勢」報道は本当か ...

上毛新聞社https://www.jomo-news.co.jp › articles

《前橋市長選》小川氏が自民の4割に食い込む 「子育て …

202424日 · 群馬・前橋市長選での有権者の投票行動を探るため、上毛新聞は24日の3日間、出口調査を行い、計434人から回答を得た。 期日前投票所2カ …




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 タイトル名で始まる記事の補足や訂正の経緯をここに集約します。
 補足などで更新したものを、時系列に沿って掲載します。
 この記事の「公開日時」は、日々、直近の更新や補足などに合わせて変更されます。
… … … … … …


アップしたつもりが、操作ミスだったらしい。
「草の根政治運動」「草の根分けても」の逸話。
… … … … … …

 感想や議論をあれこれ書いてみたいと思ったのだけれど、「血債の思想」云々で喚き散らして後が続かない。
 それに、他の人が色々書いてくれてもいるので、まとまったことを書くのは止めようと決めたい。
その上で、断片的に諸々を書き留めて置こう。それぞれ「事実か否か」についての検証は未完なまま、あえて今回公開したい。
 ついでに?元編集局の大先輩の話。

……… ……… ………
①三全総とはのまとめ 選挙を加えた三つの柱
 一般に言われているのは「戦闘的労働運動の防衛」と「地区党建設」だ。
 しかし三全総の柱は「三つ」であり、「選挙=政治闘争」だと岩本さんは言う。
 中野体制の下での政治闘争を排除した「階級的労働運動路線」への批判も込められていそうだが、実際に黒田選挙ほかを如何に重視したか、当時の歴史的再検証の姿勢としても面白い。

 この問題は、水谷・江村氏の、本多延嘉 3・14虐殺死を超えて四五年 での向井卓司さんの発言を重ねるといっそう浮かび出る。
 75年3・14、本多書記長虐殺の直後、東京・西部地区委員長の向井さんは直近の杉並選挙をネグレクトすることなく取り組もうと中央=北小路・清水丈夫氏らに申し入れたのだという。そして渋る政治局を動かして「内戦下の選挙戦」を戦う道筋を作り出した。
 『前進』や集会で北小路さんが「カクマルの脳天にバールを!」と絶叫していた時だ。現場では、「何をイマドキ選挙だ!」という声も溢れた。当時私も「杉並はどうなるのかな?」などと呟いて、指導部に罵られた覚えもある。上記の本では「中核派=三全総」として語られているが、一応従来の表現で「二つの柱」に収まっている。今後三全総が語られる時には「三つの柱」が共通語になるのだろうか?
 ちなみに向井さんは富山県委員会の創立者でもあり、7〇年の法大会戦の現場での陣頭指揮をとった人でもある。古参中の古参だ。

 
②同じことだが、90万を超えた改憲阻止の百万人署名運動の意義と顛末を書き記している。
 いわば「草の根政治運動」とでもいえるだろうか?

  残念なのは、運動の意義と結末などはよく描かれているが、「指令塔」という高みに立った議論と見識にとどまることだ。
  動労千葉の物販運動や百万を現場で支えた人の話を聞いた。

 「駅から離れた山奥の職場を指定されてね。バスの本数も少ないから、田舎道をテクテク歩いてようやく職場に着くと埃だらけだったよね。でもアポは取ってあるからやめるわけにもいかない。で、とにかく挨拶すると、『良く、こんなところに来てくれたね。普通は来ないよね』と歓待された」
 「で、さっそく口上を言うと進んで署名してくれて、同僚たちにも回してくれる。」
 「そういう職場はさらにまた山奥の職場を紹介してくれて、時には電話をしてくれる。で、何時いつのアポも取れる。時間帯によってはそのまま行けるけど、出直すこともある」

 「全逓のルートで回った時は、昔、神奈川の本多さんの支部学習会に参加した、という人もいた」「楽しい学習会だったね」「だけど2回や3回で終わるんじゃなくて、ずーっとそばにいて欲しかったね。現場の話ももっと聞いて欲しかったね」と言われてジンとした。
 百万の大方針で、そんなにもあった。「今にして思えば、この中核派にいて、やっぱりあり得ないエピソードだったのかね」
 山のかなた、地の果てまでも、草の根を分けて、耕し、種を撒く。
 そんな膨大な「無」を重ねた日々もあったのだと…。
 
 少し遡るが、90年代初期?の『前進』紙上に長期連載された〈分割民営化と闘う北海道各地の現場から〉??を思い出す。筆者は後に「権力に情報を売っていた」として水谷・岸氏らのKGBによって長期にわたって「査問・思想闘争」の対象となった編集局員・元関東交通労連事務局長の人だ。

 「労働者・市民の党」になるということは、こんなことの積み重ねでもあるのかと、想いを新たにする。

 それにしても、「地べたを這いずり回ることなしに、天空から大地を見下ろす見識」というものも
「あるんだな~」と改めて感じさせられた。ただ、私の知る中核派(特に本社と学生)との断絶はあまりにも大きすぎて、目もくらむ。

「殿上人と地下人」という見出し付きでの小文はいかにも男爵らしく笑える。

「9 知識人がスターリン主義の元凶?」P252(略)

【ブログ注】芝工大事件に関する初報中、革共同声明を切り取ってAIによる解析を試してみました。
 元になる記事(JPG)は粒子が荒くてワード化が難しかったのですが、AIはそれなりにしっかり読んでくれて解説も出来ました。一部読み取れないで誤読も見られます。やむを得ず、その部分は補充・修正しました。茶色の小文字は、私の質問部分です。
……… ……… ……… ……… ……… ……… 以下 gosub

芝工大 
AIの回答

提供された画像は、

革命的共産主義者同盟(革共同)マルクス主義学生同盟中核派(中核派)による、1970年代の滝沢紀昭同志虐殺事件に関する機関紙の紙面のようです。記事では、滝沢氏の略歴や事件の詳細、当局の対応、そして「11月決戦に進撃せよ」というスローガンなどが日本語で書かれています。


要点まとめ

  • 発行元: 革命的共産主義者同盟、マルクス主義学生同盟中核派、マルクス主義青年労働者同盟。

  • 内容: 滝沢紀昭同志の虐殺に抗議し、糾弾する内容。権力者の大謀略をはねのけ、鉄の団結をもって11月決戦に進撃せよと主張しています。

  • 集会情報:

    • 行事名: 虐殺抗議 滝沢紀昭“追悼集会”

    • 日時: 927() 午後2

    • 場所: 埼玉大学下大久保校々舎

    • 主催: 実行委員会(全国全共闘、反援会など多数参加予定)

  • 事件の性質: 当局による権力的な謀略的殺人事件であり、一般に言われる「内ゲバ」ではないと強く主張しています。 

 この機関紙が発行された特定の正確な日付について、さらに詳しく調査しますか? はい、または「事件の背景について教えて」のように短く答えてください。

AI は不正確な情報を表示することがあるため、生成された回答を再確認するようにしてください。

過去の『共産主義者』の全目録(1号から154号)


中核派『前進』ホームページ



 謀略的殺人事件であり、一般に言われる「内ゲバ」ではないと強く主張している点を、原文から抽出してください


 ご指定の箇所と思われる原文を抽出し、以下に示します。この文章は、この事件が一般に言われる「内ゲバ」ではなく、権力による「謀略的殺人」であると主張する核心部分と考えられます。


抽出箇所 
(原文の右側中央あたりより)

「われわれはこ のテロルが、権力者の手にあやつられたきわめて重大な謀略的殺人であることについて、諸君が厳重な警戒心をたかめ、 毅然たる態勢をもってその謀略を打ち砕う訴えるものである。」


「このことは、いま十一月決戦をまえに、未曾有の闘争圧殺に狂奔しつつある敵権力が、ついには「松川事件」にも比すべき大謀略にすら訴えて、わが革命的共産主義運動の隊列に襲いかかろうとしていることを意味する。十一月決戦の主軸をなす中核派とわが同盟にたいするかかる攻撃は、同時に十一月戦の全隊列にたいする攻撃でありすべての闘う労働者、農民、学生市民にたいする攻撃である。」


「さらにこの事件の謀略的性格は、現在
(九月二十二日)までの段階で判明した警察当局の動きにまつわる次のような諸事実によって、明らかに看取することができる」
「脳や内臓をぬきとられたは遺体とは対面させぬわけにはいかなくなったのである。 県警が遺体損傷状況についての「何か」隠滅したがったことは明らかであろう」


「さらに第三に、われわれ弁護士、医師、学友たちが、ようやく解剖後の遺体に接して、それを調べた結果、そこには転落によると思われる傷のほかに、明らかに刃物によって受けたと推定できる相当深い傷が、背中と手に発見された」

「あの十・八羽田闘争で、警視庁が警官隊による山崎博昭君虐殺をひたかくしにするために、 いちはやく「学生ひきころし」という謀略的キャンペーンを張ったことを想起させるものがある」

この主張に関する背景にある歴史的な論争について、さらに詳しく調査しますか?


はい


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滝沢紀昭事件は、1970年代の日本の学生運動において、その死因や責任の所在を巡って大きな論争となった事件です。

事件の背景

1960年代後半から1970年代にかけて、日本の大学では激しい学生運動が展開され、新左翼の各党派が対立していました。この時期、異なる党派間での抗争は「内ゲバ」(内部ゲリラ、内部暴力の略)と呼ばれ、多くの死傷者を出していました。
 

「内ゲバ」か「謀略的殺人」か

この事件の核心的な論争点は、まさにユーザーの質問にあった通り、事件をどう定義するかという点にありました。

  • 「謀略的殺人」という主張(中核派の視点):
    画像内の機関紙を発行した中核派は、この事件が一貫して警察権力や国家権力による「大謀略」の結果であると主張しました。記事では、遺体の扱いの不自然さ、当局による情報隠蔽、マスコミ操作などの点を挙げ、「内ゲバ」というレッテル貼りは、権力
    による弾圧を正当化するためのキャンペーンであると強く非難しています。彼らにとって、これは革命運動に対する国家権力の介入であり、組織内部の問題ではありませんでした。

    【ブログ注】
    一部の文字が緑になるのは当方の設定ミスなのだろうと思いますが、「解」が分かりません。

  • 内ゲバ」という視点:
    一方、警察当局や一部の報道、対立する他の新左翼党派などは、この事件を党派間の暴力抗争、すなわち「内ゲバ」の一つとして認識しました。実際、中核派が主張するような国家権力による直接的な殺人であるという主張は、一般社会や他の政治勢力からは広く受け入れられず、多くの「内ゲバ」事件のリストに含められることも少なくありません。 

 要するに、同じ一つの出来事に対して、関与した当事者(中核派)は「権力による政治的な謀殺」と位置づけ、外部の視点では「学生運動内部の暴力的な抗争」と見なされるという、認識の大きな乖離が存在したのです。

 この事件は、当時の学生運動が直面していた激しい対立や、権力に対する極端な不信感を象徴する出来事の一つです。

 この時代の他の学生運動の事件や背景について、さらに詳しく調査しますか?

内ゲバ - Wikipedia


Wikipedia

1960年代日本の学園闘争 1968-69年 東京大学でなにが起きたか


Goethe-Institut


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AI モード

69年9月22日(月)付け『前進』452号1面 革共同などの3同盟声明から

【ブログ注】

①『前進』紙上の一部のひらがな表記が、漢字になっています。当時の『前進』は漢字だらけを避けるために一定の語字をひらがな化していました。作業の都合でその点はパスしました。

⓶数字の表記も同じです。明らかな誤字誤植は訂正しました。

③見出しを赤にした。また、「謀略」に関連する部分は赤か青・茶色で表示した。
 ④記事中の個人名は、基本的には○○君、または仮名にした。フルネームは避けた。今後もほぼ同様。

⑤「狂奔」など、数年後には「差別用語」とされる用語もあるが、この時点では「普通」。

⑥段落が長いので、いくつかの段落に分けた。この際、新段落で一字下げの無い形にした。
 ⑦今後は、「革共同声明」「革共同などの声明」「革共同などの3同盟声明」「3同盟声明」などとする。

 ⑧(補)声明の最後に文末脚注をつけました。

革共同などの声明

69922日(月)付け『前進』452号(事件の初報)  1面 「革共同などの3同盟声明」

滝沢紀昭同志同志虐殺を痛憤込めて糾弾する
 権力者の大謀略はねのけ、鉄の団結もって11月決戦に進撃せよ
                                                                     革命的共産主義者同盟
                                                                     マルクス主義学生同盟中核派
                                                                     マルクス主義青年労働者同盟



 全国の同志諸君、支持者諸君!すべての闘う労働者、農民、学生、市民諸君!
 九月十八日未明、全学連中央執行委員、マルクス主義学生同盟中核派の指導者、革共同の同盟員、埼玉大学学生、滝沢紀昭同志は、芝浦工業大学大宮校舎構内において、憎むべきテロ集団の襲撃によって虐殺された。滝沢紀昭同志の生命を奪い去ったテロ集団は、さらに、居合わせた中核派学生、芝浦工業大学の中川○○君、慶応大学の沢崎○○君、東京都立大学の山崎○○君の三名に重傷を負わせた。とくに沢崎君は重体である。

 このテロ襲撃は、埼玉県における中核派=革命的学生運動の最高指導者であった滝沢同志を計画的に狙い打ちした残虐きわまる暗殺事件外の何ものでもない。
 
われわれは、テロ集団に対する満身の憤怒をこめて、プロレタリア解放闘争の若き戦士、滝沢同志のの非業の死を悼む。これほど残忍で、これほど痛憤の死が、わが革命的共産主義運動の創設以来かつてあっただろうか。

 しかも同志諸君、支持者諸君!労農学市民諸君! われわれはこの暗殺テロルが、権力者の手にあやつられたきわめて重大な謀略的攻撃であることについて、諸君が厳重な警戒心をたかめ、毅然たる態勢をもってその謀略を打ち砕くよう訴えるものである。
事件にたいする警察当局の対処の仕方は、当初から数々の重大な疑惑につつまれている。当局は、ことさらに事実の隠蔽、歪曲をはかり、その一方で、中核派と全国全共闘にたいする、いわれなき「内ゲバ」 宣伝を張りめぐらしているばかりか、さらに下手人捜査に名をかりて中核派とわが同盟にたいする破壊攻撃を画策する兆しがあらわれている。

このことは、いま十一月決戦をまえに、未曽有の警察非常体制をもって、闘争の圧殺に狂奔しつつある敵権力が、ついには「松川事件にも比すべき大謀略にすら訴えて、わが革命的共産主義運動の隊列に襲いかかろうとしていることを意味する。十一月決戦の主軸をなす中核派とわが同盟にたいするかかる攻撃は、同時に十一月決戦の全隊列にたいする攻撃でありすべての闘う労働者、農民、学生市民にたいする攻撃である。

われわれは、虐殺の下手人=テロ集団はもとより、この事件を仕組みあやつった者すべての正体をあばき出し、それを完膚なきまでに断罪するために、徹底的に事件の真相追求をすすめるとともに、何よりも、十一月決戦への断固たる総決起を貫徹することこそ権力の大謀略を粉砕し、滝沢同志の死に報いる道であることを確固として確認し、鉄の隊列をうちかためて、進撃しなければならない。


このテロ襲撃が、きわめて巧妙に計画的に的に同志滝沢を狙った暗殺事件であったことは、 まず次のような埼玉県における滝沢同志をめぐる政治状況からみて明白である。  


滝沢同志は埼玉県の中核派=革命的学生運動の偉大な最高指導者として。 その埼玉全県下の運動を一手に掌握し、七〇年安保闘争の十一月決戦にむかって不衡堯不屈の活動を続けていた。埼玉県における革命的学生運動の発展に恐怖した権力にとっては滝沢同志を倒すことが、その学生運動を制圧する要となっていたのである。

そこで埼玉県警は日共=民青の告訴に基づくいわゆる「6.12埼大傷害事件[i]によって滝沢同志を指名手配し、その行方を執拗に追及していた。 しかし、それにも関わらず、滝川同志はその追及の手を巧みにかいくぐり、埼玉大学、芝浦工業大学を始め、県下全域を日夜飛び回り、積極的にその活動を貫きつつあった。 どうしても彼を捕えるほどことのできない県警は焦りに焦っていた。 そこに起こったのが今回の事件である。

しかも埼玉県警は埼玉大学生をはじめとする右翼、日共、革マルさらには我が同盟からの脱落者[ii]等の腐敗分子と長年に渡って接触を重ね、 膨大なスパイ、情報屋挑発者の群を養ってきていた。 滝沢同志は、それらの全てを敵に回して敢然と闘い続けてきた。

その彼が殺されたことは死んでも死にきれぬ口惜しさである。

 さらに、この事件の謀略的性格は、現在(922日)までの段階で判明した警察当局の動きにまつわる次のような諸事実によって明らかに看取することができる。

1埼玉県警は、事件発生後12時間にも渡って「死者の身許」が「不明」であると強弁し通した。 しかし滝沢同志は埼玉県警の指名手配を受けていた身であり、3か月にわたってその行方を追求し続けていた県警が「死者」を一見してそれが滝沢同志だと識別できぬはずはない。にも関わらずなぜ県警は滝沢同志の名前をかくも長い間伏せ[iii]つづけなければならなかったのか。

 しかも2に、その12時間の間に県警は滝沢同志の遺体を異例の早さで司法解剖に付したばかりか、その遺体を直ちに焼却するために死後24時間以降でなければ許されぬはずの火葬を強行しようとした。しかも、たまたま偶然にも火葬場が満員であったため、それはやむなく延期された。 一方、われわれは弁護士、医師、学友を派遣して遺体解剖に立ち合わせるよう要求したが当局はそれを拒否した。 しかし、火葬が延期となったため、その解剖後の脳や内臓を抜き取られた遺体とは対面させぬわけにはいかなくなったのである。県警が遺体損傷状況についての「何か」隠したがったことは明らかであろう。

さらに3に、我々の弁護士、 医師、学友たちが、ようやく解剖後の遺体に接して、それを調べた結果、そこには転落によると思われる傷のほかに明らかに刃物によって受けたと推定できる相当深い傷が、背中と手に発見された。 また重体の沢崎君の場合も転落によって生じた傷ばかりでなく、刃物らしい凶器によって作られた傷が存在している。 このことは他にも転落による場合以外の重大な内傷または外傷があったにも関わらず、それが極秘裏の解剖によって抹消されたのではないかとの疑いすら抱かせるものである。

  
ところが4、県警は滝沢君の死因については、解剖の結果だとして「転落死」とのみ発表している。 転落の際に生じた傷の他に不審な刃物傷があるにも関わらず、それについては口を閉ざし、しかも異常なまでに「転落死」を強調することは、殺人行為を隠蔽し、死因を「転落による事故死」にすり替えて下手人を救済するための伏線だと言えないだろうか。 別の言い方をすれば、「転落」は殺人行為の証拠を消すために取られた処置であったのかもしれないのだ。

こうなると5に、県警が事件発生の当初からマスコミに「内ゲバ説」を流したことは、我々の疑惑を決定的に深めさせるものとならずにはおかない。 県警が死者の「身許」も分からないと言い張っていた時刻に、しかもましてや犯人の特定はできないとされていた時に、県警が「内ゲバ説」を言い立てたのは、一体何を根拠としていたというのか。
そして日が経てばたつほど、 事件は「内ゲバ」による偶発事ではなく、テロ集団による計画的であることが一層明瞭になってきているにもかかわらず、警察当局がいまなお「内ゲバ」説に固執してることは、この事件を「内ゲバ」にしたて上げ、中核派に対する大々的な弾圧の口実をデッチ上げたいという彼らの意図を示すものではないだろうか。

このことは、あの10.8羽田闘争で、警察庁が警官隊による山崎博昭君虐殺をひた隠しにするために、いち早く「学生ひきころし」という謀略的なキャンペーンを張ったことを想起させるものがある。事実、事件発生の瞬間から、警視庁公安部は埼玉県警の「捜査」を事実上指揮する態勢に入ったと言われている。「内ゲバ説」には権力者の高度な政治判断が働いていると見なければならない。

そして、いっそう奇怪なことには警視庁公安第1課長は新聞記者に「中核派の対立」なるものについて述べ、彼らがいかに中核派への破壊攻撃を欲しているかという狙いを暗示するに至ったのである。 だが、言うまでもなく、これまで数限りなく世間に流布されてきた様々の「中核派の内紛」「中核派の分裂」説は我々の絶えざる前進の事実をもって、それらが全く笑うべき願望か、ためにするデマ[iv]に過ぎないことが、ことごとく明白にされてきているのである。

 一方、6に、3名の重傷学生に対する警察当局の不法かつ不当な取り扱いの中にも、今回のテロルの謀略的性格が浮かび上がっている。3人の重傷者といりわけ重体の沢崎君は、頭蓋骨に打撃を受け、脳が露出している状態であったにも関わらず、県警は脳外科医ではなく、整形外医に彼を運び込み、しかも十数時間にわたって有効な手当をすることなく放置した。そればかりか、その間、意識不明の沢崎君を5,6人の刑事が取り囲み、小ずいたりして、供述を引き出そうとするなどということまであえて行い、その一方で彼らは我々の立ち入りを拒んだ。

翌朝沢崎君に生命の危機が迫る中で、われわれは強硬に実力を持って彼を専門の病院に移送しなければならなかったのである。県警は何かを目撃してしまったかもしれない沢崎君は死んだ方が良いとでも言うのだろうか。 さらに県警は、他の2人の重傷学生に対しても「意識不鮮明の状態では取り調べに応じられない」というのに、「供述」を強要し、とくに中川君にたいしては、眠り込んだところを利用して「供述書」の指印を盗み取る、などという暴挙すら行ったのである。

また、山崎君については都立大学の優れた活動家である 彼を「学生情報屋」などと記者に伝え、 しかも「前日、前進社で某幹部が『明日あたり、大宮の芝浦工大内で面白いことが起こるかもしれない』と話していた」などと本人が全く何の供述もしていないデマを、本人から出たものとして流している。 また、滝沢同士と同じ建物にいて襲撃で軽傷を負った被害者である芝工大生4人を「重要参考人」として事情をきいてすぐ釈放したと発表しながら、実は夜11時過ぎまで監禁し取調べを行っている。 しかも、その内容は当日の事件のことではなく、中核派や埼玉大学の「内部事情」に終始しているのである。

7襲撃の手口はあまりにも鮮やかで職業的暗殺者を思わせるものがある。 仮にいわゆる「内ゲバ」[v](革命的戦闘的左翼内部の党派闘争上の衝突)だとすれば、[vi]それは自己批判の要求であり、攻めた党派と、その主張も明白になるのは常であって、今回のように、襲撃されたのが中核派であることだけが分かっていて、攻めた側が分からないなどということはありえないことである。[vii]

8に、総じて、県警の「捜査」ぶりは殺人事件の捜査としてはおよそイロハにも常識にも反した方法だらけであり、我々は、彼らの今後の出方によっては、その詳細な実情を暴露する用意を進めていることを付言しておきたい。

以上のような警察当局の疑惑に満ちた動きは、この事件が最初から権力者の周到な計画的準備によって直接に仕組まれたものか、あるいは、[viii]少なくとも、テロ集団の襲撃を権力者が素早く利用したものか、いずれにしてもそれは計画的な行動であり、それを革命的共産主義運動に対する逆宣伝と弾圧の口実に仕立てあげようと狙ったものだという他はない。

(四)

このテロ襲撃事件は、10.8羽田闘争に始まる日本階級闘争の本格的な質的転換の過程が、さらに一段と進行しつつあることを象徴するものである。

われわれは正面から武装を強化した大量の機動隊の暴力的弾圧に直面し、そして背後からは、スパイ、挑発者、右翼を始めるとする破壊工作につけ狙われている。 そして今回のテロ事件は、今日われわれの肉体的抹殺すらもが日常的に起こり得ることをはっきりと示したのであり、ここに10月非常体制の極反動的 本質が端的に突き出されてると言わねばならない。

 だが、このことは裏を返せば日本帝国主義支配階級がますます存亡の淵に追い込まれ、その体制で危機がいよいよ現実のものとなり始めていることの証左以外の何者でもない。 戦後世界体制の根底的同様のもとでの日本帝国主義の危機が70年安保=沖縄問題に結節される中で支配階級はいかなる手段に訴えても11月佐藤訪米を成し遂げ「72年沖縄返還」=安保の実質的大改訂を取り付ける以外に活路を見出しえないところに立たされている。 十月非常体制こそは、その頼みであり、これの拡充強化に彼らは全てをかけていると言っても過言ではない。

だがしかし、戦後日本帝国主義の議会制に寄りかかった政治支配体制の相対的な弱体性が、今なお帝国主義的強権的体制への再編強化を達成してはいないという状況の中で、この十月非常体制はもっぱら警察のみの突出した体制とならざるを得ず、そこから、これのみに頼って闘争の爆発を圧殺し切れるという自信を、 早くも支配階級は喪失し始めていると言えよう。しかもこの体勢が狂暴に発動されれば発動されるほど、またその必然的な結果として警察の腐敗と横暴が一般的に進めば進むほど、民衆の反警察・反権力の意識と行動はいやがうえにも高まらざるを得ないのである。 それだけにまた支配階級は、十月非常体制の展開にいっそう狂奔し、テロ襲撃さえ含むあらゆる異常な極反動的手段をも、自己のうちに動員していかざるをえない革命と反革命が対決する時代にはテロすら反革命の常套手段となるのだ。

この暴圧は、体制の客体的危機を階級的危機へと転化する道を開きつつあるわれわれの闘いが不可避的に生み出すものである。 われわれは自己のさらなる鉄の進撃によって、この凶暴さをさらに凶暴化させ、この硬直性をさらに硬直化させ、もって敵支配階級の本質をあますところなく白日のもとに引きずり出しつつ、その根底的打倒=革命の勝利に向かって断固として闘い抜くのみで甘く見てはならない。 敵権力の追いつめられた恐怖の対応に、 もし一瞬でもわれわれたじろぎをがを見せるならば、それはたちまち。 われわれの手痛い敗北につながるであろう。

全国の同志、支持者諸君!労働者市民諸君。

厳重な革命的警戒心をだかめ、闘いの隊列をかため、 沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒、十一月闘争勝利に向かって怒涛の進撃をかちとれ!

それのみが滝沢紀昭同志の痛憤の死を生かし、真の復讐を貫徹する道である。(了)

当ブログによる文末脚注 ……… ……… ………

[1] 6・12埼大傷害事件 この年69年の6・12、埼大の反日共・新左翼系の統一行動は、下大久保キャンパスで「都市の論理」などで著名な「羽仁五郎講演会」を開いた。
 対して北浦和の文理校舎などからは4キロほど離れた下大久保(今の埼大キャンパス)をすでに暴力支配していた全学自治会(=民青系)が会場近くで対抗的に集会を呼びかけ。いわば「自動的に」暴力的衝突になった。
 数では劣る新左翼系は構内で角材ほかを調達して先制攻撃、圧勝し、講演会を堂々と撃ち抜いた。この事件の「被害者」として、日共埼大教職員細胞の代表格の○○教授が告訴。
 指名手配されたのは各学部から計7-8人。滝沢さんもその一人。
  同時に指名手配されたのは、超広義の「反戦連合」など。教養学部や教育学部、理工学部、経済学部などの各闘争委員会。さらに、理工学部反乱会議(構革派系)、物理3年の闘争者連合(代表は反戦連合にも参加)。それぞれ1,2人が手配された。
 以上で当時の埼大新左翼系を網羅することになる(統一行動)。
 理工学部闘争委は私自身で、4・28沖縄闘争=「新橋騒乱」で獄中再逮捕。
 起訴されたのは数人。判決は全員有罪、執行猶予。
 
 別名「埼大日共教授告訴事件」「下大久保事件」。

 

[2] さらには我が同盟からの脱落者等の腐敗分子 これが反戦連合を指すことは自明。692月、早大で「結成集会」。東日本では、早稲田、法政、埼大、東大駒場などの中核派や新左翼の拠点大学で広がった。主な構成員は、元中核派、元解放派、そして新左翼系ノンセクト。リーダーの小野田譲二氏は、67年までマル学同(中核派)を率いる革共同の学生組織委員会(SOB)議長。後の全学連の吉葉忠さん(忠さん改革参照)とともに、都学連➡3派全学連再建を主導した。明らかに「中核派の分裂」だった。

 

   [3]1から第6までの「謀略」の疑いや根拠 事件の実相が明らかになった今日、改めて「よくもでっち上げの『疑いの根拠』を並べたものだ」と呆然とする。ここで展開された議論について、改めて陶山健一さん(政治局員。故)にも釈明を求めたいものだ。陶山さんは当時、前進社の責任者だったと言われる。また、後述の「追悼演説」をした人でもある。

 前夜の埼大バリケード襲撃を決断・指示し人選した学生指導部集団は、どんな思いで記事や追悼演説を聞いたのだろうか。私が現役時代、そしてこんにち「親しい人々」だが、正直、問い詰める気にはなれない。その後の展開や変化について教えてもらえれば幸いです。

 なお、本多延嘉書記長は、この年の「428沖縄闘争」の破防法事前適用(4・27)で拘置所在監。
 ただ、在監中も、弁護士接見などで、自由な情報確認や発信などはできていて、その後の展開には関与できていた、と、思える。
 清水丈夫氏は、4・27を受けて1人、行方をくらまして、数か月は連絡もとれなかった、という。
 前年の羽田闘争の直後には「おれは潜る」と口にして、本多さんに激しく罵倒されて真っ青になって前言を撤回し、弁解したという。「逃げの清水」の本領か?そもそもは、羽田10・8前夜の解放派への度を越したテロ・リンチの実行者であり、3派を破壊した張本人でもある。この年の11月決戦では「地下」から軍団を直接に電話で指揮し、大混乱した、とも聞く。
 ま、清水氏については、事件を「謀略論」として決断した直接の責任は問えなさそうだ。

 

 [4] 「中核派の内紛・分裂」などのためにするデマ  詳細は後日。ひとまずは当ブログでも何度か中核派の分裂の歴史について言及しているが、「革共同の正史」には「分裂」は無い。06年-07年の九州派、関西派、解同全国連(戦闘同志会)も「脱落ほか」?
 69年のこの時期、すでにブント(第2次ブント)は大分裂し、赤軍派も誕生している。時代は「3派全学連の崩壊」に続く、分裂と血みどろの抗争の時代でもあった。

 
 現にある分裂も「ためにするデマ」とする立場とは何なのだろう? 69年は「革共同のボルシェヴィキ化」と11月決戦に向かって「軍団化」が急速に進んだ時でもある。「脇を見るな」「全党は1枚岩になれ」という時に、分派や分裂は直ちに「反革命」や「不敗分子」、「権力への屈服手先化」だった。

 ボルシェヴィズムの「正否」はここではおいて、この日本での歴史的・左翼的世界では、「前衛党」「民主集中制」の強調は、その神話化への必然的流れ、になりそうだ。「神とサタン」?

 

 [5] 仮に「内ゲバ」だとすれば 【註】)に同じ

 

  [6] それは自己批判の要求であり  中核派による前夜の埼大バリケード襲撃では「自己批判の要求」も無かった。ただ「革マルを偽装」したテロと拉致だけが有った(埼大中核派による供述調書から)。

 後で 詳述するが、事件の19日午後には埼大中核派数人が当時の池袋・六つ又ロータリーの前進社に駆けつけて、待機していた前進社の幹部に一部始終を報告し、指示を受けている。

 報告の内容としては、前夜に中核派による襲撃があり、襲撃計画も知らずに外されて学内に残されていた埼大中核派メンバーたちが前進社に電話して、さらに、拉致被害者の奪還のために、芝工大に策略と偵察に赴いて滝沢さんと会い、拉致されたメンバーを奪還する会議にも同席していたこと、などだ(このすべてが正確にすべて、最後まで報告されたかどうかは不詳だが)。 

 

 [7]攻めた側が分からないなどということはありえない に同じ。後で 詳述するが、この『前進』の時点では、県警は事件の早朝に、20人近くの若者がタクシーに分乗して○○駅から芝工大に向かったことを掌握していた。警察のやり口のでたらめさで「謀略論」が成り立つなら、革マルのそれも「真なり」?
 

  [8]少なくとも、テロ集団の襲撃を権力者が素早く利用したものか ?????「んっ!」 突然、「内ゲバ説」の可能性????後日のための逃げ道の準備?それとも事実を知る誰かが加筆修正?

 

 

 



『前進』71年芝工大事件.初報(小)【ブログ注】
図を拡大するには、【右クリック➡その他のツール➡画像の拡大】をどうぞ。
 左肩の記事が革共同・マル学同・マル青労同の3者の連名による追悼文です。(9月22日(月)付けの初報)

今回は「公平性」を期するために、1面の主要部分をアップしました。
 近く、この追悼文全文を読める形でアップする予定です。
 さらにおいおい、陶山健一(革共同政治局員)や葉山弁護士物延弁護士の報告も掲載する予定。
  さらにまた当時の新聞記事を掲載し、それから「本題」に入るつもりです。
 ひとまずは「滝沢紀昭同志虐殺を痛憤込めて糾弾する / 権力者の大謀略はねのけ、…」というタイトルだけ確認しておきます。

以下は【ブログの追加】

ばけばけの主題歌 笑ったり転んだり 動画NHK朝ドラですが、いまどきこんなドラマや主題歌って、素敵と言うか、どうしちゃった?みたいな

下線のないものは https: 以下を検索してください。
'――――  ――――  ――――  ――――  ――――
以下は26年1月の追加部分 
「石田反革命」を口実にした三里塚闘争破壊をやめよ - 正道有理さん...

「35全総⑩」の追加部分
【補】故緒方史人さんの「革共同私史」の「書評」に剛田力さんのコメントがありました。


 ともに71年全学連大会で議長団と議運になり、女性たちの糾弾に混乱しながら何とか応えようとして苦しんだ、という事を書いています。当時の関係者はともに70代後半から80代になるはず。
 「想い出の一コマ・断片」を教えてくれれば「歴史」の大事な資料になるでしょう。

 当ブログの「コメント」に投稿してもらっても結構です。

以下は12/14 追加部分 '――――  ――――  ――――  ――――  ――――

矢嶋尋(全学連委員長)
@toshobin
夏季アピールの再録で、第一章総括の4.28事件について記述した一段落が丸ごと消されているとのこと。より正確に言うと、4.28性暴力事件→全学連矢嶋体制発足→11月集会学生1.5倍化→12.1反戦女性集会の記述が全削除。x.com/ZenshinSokuhou...
 
矢嶋尋(全学連委員長)
@toshobin
·
【夏季アピール削除部分再録】 女性差別・性暴力と意識的に闘い抜くことなくして、戦争を阻止し帝国主義を打倒する反戦闘争の内乱的発展をかちとることはできない----このことを決定的に突きつけたのは、昨年の4・28沖縄デー渋谷デモ後に起きた、飛び入りのパレスチナ人男性による全学連女子学生・(4・28性暴力事件のこと、略)
いちごっち🍰 @MY9746190396561 4・28性暴力事件→全学連矢嶋体制発足→11月集会学生1.5倍化→12・1反戦女性集会(新宿)までが全削除されるという事は、私の闘いまでも歴史から消されるという事。 政治局は「除名されたのは石田だけ」などというが、ならなぜ、24年の闘いまで削除したのか。私たちの闘いを消去した政治局に投降はしない

いちごっち🍰 @MY9746190396561 ·11月17日 政治局派MSLとなれば、10・5「石田反革命粉砕」渋谷デモ以前の、24年9月の矢嶋体制確立から25年前半期の闘争をごっそり削っているではないか。こうした歴史修正の中で、4・28性暴力事件の総括まで丸ごと夏季アピールから削除。法大文連・武田は矢嶋体制のもとで一年闘ってきた総括を何も出せてない。

【ブログ注】12月14日現在、『前進』ブログから検索すると、「削除部分」はなさそうに見える。
  『再録』した冊子でのことなのか? 冊子は入手していなので不詳。
……… ……… ………  ……… ……… ………
「35全総」の①から始まる数字をアップ順に書き換えました。(12/8)


①関西の襲撃

全学連公式Xより
不当起訴弾劾のコールを上げる学生(左手前)に、革共同関西地方委員会メンバーら(右奥)は留置センターに背を向け、「反革命帰れ」と罵声を浴びせ、引き倒す、殴る、噛みつくなどの暴行を加えた。
国家権力と一体化し、青年・学生・女性の決起を抑圧する存在へと転落した関西地方委を徹底弾劾する。
 下はそのユーチューブ
https://x.com/Zengakuren/status/1972307322128224503...

暴露と共有のよびかけ
【3】「マル学同」名義で政治局論文??
 この文章はマル学同名義のブログだ。
 当然その主体は「マル学同」のはず。けれども端々に、問わず語りでそうではないことを想起させる。
 筆者は、政治局員か、その監修のもとに書かれた物らしい。
 「革共同・石田反革命対策委員会」とでもいうべきか?
 問題は、このブログが誰によるものかがあいまいなまま、続く、ということ。
 …以上…

しばらくはお休み
 この項目(矢島全学連)はしばらくはお休みします。
 予定よりあれこれ時間を喰ってしまい、ゆとりがありません。
 
 予告していた通り、「芝工大事件・再論」の準備にかからなければなりません。69年「最初の内ゲバによる死者」のうちの一つの埼大生・滝沢さんの死に関する論述です。
 私としては想定外に「謀略論のさきがけ?」となった事件の『前進』初報の発見ほかについて、私自身の総括がかかっています。正月休み中に少しでもはかどればいいのですが。

 ただ、出来ればその途中やその後に、もう一度回帰したいという思いもあります。
 今回の事件は、70年代以来の中核派の女性解放に対する「革命的」「闘争」に名を借りた中核派=いくつかの「田島論文」が影の焦点であることに想いをいたしています。
 女性解放という当時では「新しい領域」の「発見」に際しての関りが、広くは「血債論」「民族論」との重要な関りをもって、さらには「障がい者解放」も含めて、世界観と「党と運動の作風」の「コペルニクス的転換」を要請されたとき、一度は正面から「受け止め」ながら、実際には「変化を拒絶した中核派」の末路なのだという思いです。

文字化け表示
「文字化けのように踊っている」というご指摘があり、点検するとパソコンでもスマホでも予想と表情が変わっていて、読めない、読みずらいことが判明。
 悪戦苦闘中ですが時間がかかりそうです。20代の時に「プログラマー兼オペレーター」をかじった身ですが「進化には追い付けない」。「アップデート」には、助けになる若い人とトモダチになる以外に無いのでしょうね。

 同年代の人々には、お互いに「短い余生」、この貴重な時間を大切にしましょう。

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