2026年02月

山本一太知事とホントの余談


 カタキは山本一太知事。安倍首相時代に、安倍派の側近としてSNS配信の代筆までしていたという。根っからの「排外主義者」でもある。

 
「一太先生、お客様」事件

どうでもいい話ですが、タクシー運転手の時代に一度、山本一太を載せたことがあります。

国会議事堂前、議員会館に付けていた時のこと。

飛び込んで来たのが彼でした。「東京駅へ!」という指示に従って発信。

丸の内に入って、直進。ekini右折して突き当たって右折して最寄りの丸の内南口に付けようとしたところ、「まっすぐ行って!」

この間、東京駅は改修のために長い間、車には不自由な制限があり、「真っ直ぐ侵入は禁止」の掲示が出ていました。例外は駅ホテルのお客だけ。

で、「お客さん、無理です!」、「いや、行けるから真っ直ぐ!」

「客の無理押しは法律と同じ」と「掲示はルール」という二つのルールに挟まれて、ついには強引な客に従う始末。

駅ホテルの脇に付けて、…。

幸いこの時はホテル前にはボーイの姿が無く、事件にはならずに収まりました。


いたら?怒鳴られるか?最悪の事態では、「東京都タクシーセンター」に通報されるか?

ま、私自身はしょっちゅう問題ばかりで、通報されても平身低頭するか、最悪でも、休み明けにセンターに出頭して、寝ぼけまなこで怒られるかでしたけどね。

印象としては「チャラいやつ」  「知ったかぶり」

ホントにどうでもいい話でした。  ……… ……… ………


ついでに、群馬県 高崎・前橋の質問コーナー(一部訂正)

新幹線が停まるのはどちらでしょうか?
人口が多いのは?
ヤマダ電機の本社は?
戦前の陸軍「連隊本部」が有ったのは?
正月名物・だるま市が始まるのは?

戦後に「総理大臣」を出したのは?

名物・赤城おろしが直撃するのは?
群馬県庁が有るのは?

反原発の初期のリーダーのひとり・高木仁三郎さんの育った地は?


 

高木仁三郎 - Wikipedia




記事の構成を大幅に変えました。
趣旨やデータはほぼそのまま。
私の知る前橋、など、主観を増やしました。

【ブログ注】
 自民や保守の選挙もやってきた人。
 長いし、「読みたくもない」人はパスして次へ。
   ……… ……… ………
今日公示となった前橋市長選において、
小川晶候補を応援する理由を少し詳しく述べたいと思います。

 昨年9月24日に第一報が報じられた「ラブホ通い」については正直「あの小川さんがまさか?!」でした。記事とその後の追い情報を見るとどんな行動が繰り返されていたのか詳細に隠密取材されていました。それを受けての緊急会見やその後の前橋市広報と市政記者会が開く説明・釈明会見もつぶさに拝見しました。
 そこで話し合われた相談ごととして大きな意味を持つ御母堂の逝去とご家族のことなどについてはそれ以前に…小川さんご自身の心痛ぶりは承知していました。

 今回のラブホ問題において事の核心は「男女関係があったか否か」になりますが、それが外形的に推察されるも当該職員の奥様も「心よく思わない」としながら認めて当事者が完全否定している限りその言を信用することが友人としての当然の態度だと思っています。

 相談場所として…完全に店員等とは完全非接触なスペースとしてホテルが職員から提案されたという説明も頷けます。
 正直に言えば…事務員も伴って小川さんの個人事務所ではどうだったのか?とも思います、あとになってみればですが。

 結果的に確かに選択した場所は間違いだった、それは本人も痛切に悔悟されていることで、提案した職員もそれを以て「地方公務員法第三十三条上の信用失墜行為(職務上の地位を利用した不適切な行為)」という理由で定職6ヶ月という懲戒免職に次ぐ重い処分が下されご本人は依願退職されました。
 市長本人としては任期中の給与半減(それをベースとする賞与・退職金も対象、総額3千5百万円余減額)の条例案が、私自身も一般市民として傍聴した前橋市特別職報酬等審議委員会で了承され、11月議会に上程される予定でした。

 一方でかつて大澤知事が副知事公舎を知人女性との宿泊を含む密会場所として乱用した際には知事給与1ヶ月分を育英資金に寄付して事を収めるという軽微なペナルティーしかありませんでした。

 その市議会において議会7会派からの不信任案提出が既定路線となる中で、開会初日の11月27日に小川市長(当時)は辞職を申し入れ、全会一致でそれが了承されて退職になりました。
 これについては市長側も…補正予算案やこども基本条例の制定を完徹する代わりに自らの職を賭した部分と、市長の辞職願いを認めず免職とする強硬手段を取らずに収めるという双方の誠意が合致する議会だったと承知します。

 結果、出直し市長選挙となったわけですが、出馬を決意するまでの逡巡は察して余りあるものです。散々悩んだことでしょう。

 ここで私自身と小川晶さんとの交友を少しだけお伝えしたいと思います。
 最初の直接的な出会いは県議一年生時代、とある公共事業の反対運動からでしたが、その聡明で親しみ易い人柄でとても信頼できる議員さんだなという印象でした。
 特別私的なお付き合いはありませんが、群馬弁護士会主催の講演等でご一緒したり、もうだいぶ前になりますが私が偽ネットショッピングで詐欺に遭った際被害届を提出する警察署に同行してもらったりもありました。私からしたら二回り以上歳下ですが、いつでもフラットにお付き合いできる友人だと思っています。
 
 そしてその後一番悩んだのが前回の市長選挙でした。当時現職の山本龍君とは高校時代(前橋高校)からの付き合いです。彼が県議を辞して挑戦した群馬県知事選挙(保守分裂)にはそれこそ丸々1年かけて全力で応援しました。
 その落選を経ての前橋選挙区時代の県議選も当然スタッフとして関わったし、高木市政(保守)を糾弾する前橋市長選も選挙運動に力を注ぎました。当時珍しかったネット上のライブ配信や街宣の運動員もやりました。
 今でも知事選当時からの仲間は大切な友人です。その後2期目3期目の選挙も熱心に応援したつもりです。しかし小川さんが立候補した二年前の市長選挙は正直股裂状態でした。
 
 どちらを応援するか悩みました。結局その時の判断基準は「前橋市長」に必要とされる熱意の差でした。県知事挑戦時代、現職小寺候補の多選批判を運動の中心としていた龍ちゃんが「権不十年」を超える12年をピリオドとしなかったこと、また意気込みも得意とするマニフェストも熱量が失せていることを長年の付き合いから感じ取れました。
 「もう世代交代すべきではないか?」「リーダーとしての力量は不足しているが、新しい空気を前橋市役所に送るべきではないか?」ということで小川候補を支持する意思を固め、僅かながら選挙も手伝いました。

 大差で当選した小川市長はよくあるチャブ台返しのようなことをせず、前任者の良い部分の市政は継承しブラッシュアップして成果を見せました。龍ちゃん自身も本音では「他の誰かではなく小川さんで良かった」と感じていたはずです。
 それをベースとして、次年度からは未熟さを感じさせずに小川カラーを発揮しながら子育てや教育分野の充実、元々が農家の娘として土に親しみのある個性を活かしながらの農政等、期待を上回る手腕を発揮しています。
 しかしまだまだ道半ばです。だからこそ、昨年の不祥事は相当に悔いて、いくら丁寧に説明しても畳み掛けてくる様々な苦情・誹謗中傷に相当に落ち込んだことでしょう。今回思い悩んだその上で挑む「マイナスからの挑戦」には決死の覚悟で臨んでいると思います。

 逆に思えば、これほど市民一人ひとりに向き合い触れ合い前橋市民の優しさ温かさも一方で感じる選挙をできる幸せも身に染みて感じているのではないかと思います。

 ReHacQ
の3候補の動画も全編見ました。
 前橋100%の公開対話のアーカイブも最後まで観ました。
 対立候補がどうだとか、保守系市議県議がどうだとか、ここでは関係ありません。
 私はたったひとつのスキャンダルで前橋市のイメージが毀損されたとかは思いません。私たちが住む前橋は遥かに心豊かで寛容な都市です。

 朔太郎が、

 きのふけふ
 ある甲斐もなきわが身をばかくばかり
 いとしと思ふうれしさ
 たれかは殺すとするものぞ
 抱きしめて抱きしめてこそ泣くべかりけれ。

と謳った利根川

 …と謳った広瀬川

 …と歌った赤城山

 この美しい都会を愛するのはよいことだ
 この美しい都会の建築を愛するのはよいことだ
 すべてのやさしい女性をもとめるために
 すべての高貴な生活をもとめるために
 この都にきて賑やかな街路を通るのはよいことだ
       『青猫』(1923)より

これが、前橋。

長文失礼します。

……… ……… ………
 こんな人が陣営に「乗った」ことが、小川再選の力でもあり、今後の流れを左右する。
 別に群馬だけの話ではなく、東京・杉並でも共通するのでは?
 中央派はもともと、「維新・大阪維新」などには何らの関心もなさそうだ。杉並だけでこじんまりとやっていれば満足なら、「どうでもいい話」。でも、「労働者階級・人民」は大都会にも山間・「中山間」にもいる。三里塚や関西生コンが対象にしているのも、そんな人々。
  「こんな田舎者」が今の都会の人々の源流であり、「その心の内」の底に沈殿して根付いている?


『前進』463号(70年)11 9[1]
 
 【ブログ注】末尾に長い脚注あり

滝沢同志虐殺事件にかんする権力の謀略を打ち破れ

未曾有の暴挙、被害者○○君の逮捕を糾弾し、権力の手先小野田譲二一派を断罪せよ

 

(1) 去る918日早朝、芝浦工業大学大宮校舎においてわが滝沢紀昭同志を虐殺し7名の学生に重軽傷を負わせたテロ事件にかんして埼玉県警捜査本部は1210日、埼玉大学の反戦連合系学生23[2]」にたいする「殺人、同未遂、凶器準備集合、暴力行為、建造物侵入」容疑の逮捕状をとり、その執行に乗り出した。

その一方で同県警は、こともあろうに、テロによって重傷を受けた被害者の1人である都立大学学生[3]○○君を、15日夜、「建造物侵入」の名目で逮捕し去った。この「建造物侵入」とは、○○君が芝浦工大大宮校舎に「大学当局の許可なく立ち入った」ということである。断じて許すことができない。

 

(2) すでにわれわれが暴露したように、滝沢同志虐殺事件は、敵権力が仕組んだ凶悪な謀略事件である。

日共民青と共謀のうえ(告訴事件=前掲)

他方で「中核派内部の対立=内ゲバ」説[4]を執拗にいいふらし、

 

(3) こうした事態のなかで、いま県警が「埼大反戦連合」にたいする逮捕活動に乗り出したことは、いまやついに県警が下手人をかばいきれぬところにまで追い込まれたことを示している。「埼大反戦連合」がこのテロの下手人であること、ないしは下手人のなかに含まれている[5]ことを、県警は事件後83日目にして認めざるをえなくなったのである。

 「埼大反戦連合」とは、小野田譲二によって集められた腐敗堕落分子の集団である[6]。腐敗ゴロやわが同盟からの脱落分子をかき集めて。「埼大反戦連合」の動きは、敵権力によって巧妙に利用され、あやつられる[7]ところとなったのである。

 

(4) だがしかし、埼玉県警は、このテロ事件を中核派弾圧に転化するという当初の企図をまだ少しも放棄してはいない[8]

「中核派内部対立=内ゲバ」説が崩壊したのにかわって、今度は「前夜の埼大内における中核派の攻撃に反戦連合が復讐した」[9]という筋書きがデッチあげられようとしている。

 

 しかし、いま「中核派内部対立」説によるでっち上げに失敗した埼大県警は、

小野田譲二一派のみを下手人とすることによって事件に介在した権力の動きを抹消すると同時に、

小野田譲二一派にたいする取り調べという形をとおして、埼大内における中核派の活動の一端を事件の原因にすりかえ、それを口実として中核派をたたき、

あわせて小野田譲二一派の罪状を軽減しその救済の道をひらく、

 

という一石3鳥の謀略に乗り出しているのだ。[10]

 

このことは、小野田譲二一派の逮捕にまつわる不審な動きによっても、明らかに看取される。

。今後のわれわれの反撃がもし不十分なものに終わるならば、再び「中核派」内部対立説が作り出される可能性すら、なしとしないのである。

 

(5)

事態は重大である。

とくに、11月決戦後の事後弾圧攻撃[11]のさなかに、埼玉県警がこうした挙に出てきたことにたいして、われわれは厳重な警戒心を固め、ただちに反撃の活動を強化しなければならない。

滝沢同志虐殺と、それを利用した中核派への弾圧によって11月決戦をくじくという権力の当初の狙いは、たしかに失敗した。

滝沢同志虐殺の真相と本質をさらに広範に暴露し、中核派にたいするいっさいのデッチあげ弾圧を阻止せよ!

小野田譲二一派を憤怒をこめて徹底的に断罪し、放逐せよ!

 

 

 

脚注 やはり、私はこの記事を読んでいない。

東京拘置所の墨塗のゆえか?

そういえば、本多さんも、同じ? ただ、葉山弁護士などの「弁護士接見」は私に比べれば、はるかに数も時間も看守の立会い問題も



[1] 11 =新年号。前年末の月曜日かその前の月曜日に発行する。年末の地区や支部=細胞の冬季学習会・総会用に使われる。

 

[2] 埼玉大学の反戦連合系学生23 年末から、芝工大事件に関連した一斉逮捕が始まった。「23名」はその後全員起訴された。この時点で、芝工大事件は「内ゲバ」であることが言い逃れのできない事実であることがはっきりする。しかし、…。

 

[3] 都立大学学生 1215日のこと。その後、不起訴・釈放。

 

[4] 「中核派内部の対立=内ゲバ」説 読んでもらえば分かるが、狭義の反戦連合は、埼大では元中核派を中心に結成された。この意味で「内部対立・内ゲバ」。しかし、「中核派に分派や分裂の歴史は無い、許さない」のが「正統派の中核派歴史観」でもある。

 

[5] 「埼大反戦連合」がこのテロの下手人であること、ないしは下手人のなかに含まれている 「反戦連合」が一斉逮捕が進んでいることを実際には歓喜し、「もっとやれ。…」この辺は共産党の『赤旗』を読んでいるような気持がする。おぞましくて、不気味で。

 

[6] 腐敗堕落分子の集団である そう! 「中核派から離れた奴らはみな、腐敗し堕落し、権力の懐に飛び込むのだ!」 でも実際は、ほとんどの活動家は、活動して2,3年で、疲れ切って、分からなくなって、離脱してきた。残されたほんのわずかな「精鋭」が歴史と栄光をわが手にする。…そして誰もいなくなった。

 

[7] 県警が下手人をかばいきれぬところにまで追い込まれたことを示している。 「権力による謀略」論の枠内での手直し?

 

[8] 当初の企図をまだ少しも放棄してはいない  「謀略論への疑問や批判を持ったり口外するヒマはない!!」

 

[9] 前夜の埼大内における中核派の攻撃に反戦連合が復讐し マスコミなどで「前夜の襲撃」が取りざたされる。その記事を一部引用して「事実」を間接的に。

  ただこの語り口は、

ネトウヨか高市の語り口に似ている。相手の言葉を引用しながら「事実ではない」と言う、またはあざ笑う手法。

反戦連合メンバーの「拉致」は削られている。「拉致されたメンバーの奪還」のためにこそ、他党派や他の集団や、現役の埼大中核派メンバーも動いたのだ。

  後述するように、1月に入って、現役の埼大中核派のメンバーも逮捕される。

  社会的にあるいは左翼の内部世界では、「内ゲバか権力の謀略か」が第一義。下に続く。

 

[10] 一石3鳥の謀略 中核派による「謀略論の改定・手直し」というべきか?

 ここまでやるのか?

主導したのは誰?たぶん陶山さんだ。書いたのはだれか?

 

『前進』を読んだ人たち、読まなかった人たち。くり返し読んで自身を鼓舞し、叱咤激励した人たち。

決戦を前にして居場所を失った人たち。

決戦を終えて、消えていった人たち。

弾圧との攻防で必死だった人たち。

 

 

[11] 11月決戦後の事後弾圧攻撃のさなかに うーん?「決戦っていろんなことが同時多発するもんだ!!」 「決戦って何?」「聖戦って何?」

 改めて色んな人の顔が浮かぶ。

 「深紅の革共同旗」「中核旗」という「弔旗」に包まれるのはゴメンダ。「英霊」にはなりたくない!

 【ブログ注】
 ①記事が乱れて読めないとの指摘。ほぼ原文のまま再投稿します。後日、本来の12月24日付けに移動します。
 ②X(ツイッター)が読めない人向け、慣れない人向けに、処理しています。共に11月時点での投稿です。(無断再投稿)


【7月提起ー8・28文書ー9・4事件のそれぞれの意味】
 …であれば7月提起を読んで「しかしマユミは『元気』だね〜、うちはレスで…」などとからかう態度を取り続けていた〇同志が自己批判しなければ「7月提起と8月28日文書は同じ」ということと整合性がつかないし、「8月28日文書くらい簡単になるまで痴話喧嘩だと思ってました」と言ってるも同然では?

 8月28日文書の最大の特徴は7月提起を女性同志2人に陳腐に扱われた恐怖からより広く共有するにあたって「誰でも理解できる事件」として極端に単純化したことにあり、何人もの政治局員や全国委員も「7月提起の抜き書き、同じ内容は7月提起にもある(から7月提起の検討は不要)」と言っているわけですが、彼・彼女らに伝わるようなレベルに7月提起を8月28日文書まで自ら貶めたことが私の決定的な失敗。  この8月28日文書を他人が振り回して女性差別男達も元気に石田を糾弾する展開に「ちょっと待って」をかけるため文書の撤回を申し出たら、取り囲まれて恫喝を受けたのが私が問題としている9月4日事件。
 7月の文書に書いたことを、8月28日文書で「事件」のようにまで大幅要約してようやく党は私が何かを訴えていることを認識して、一気に叩き潰しに走った。  私が吐きながら書いた7月文書を読んだ女性同志Mの感想は「ほっこりする」、Rは「赤裸々だね」…私が問題にしている「水準」はただこれです。

 沖縄米兵による少女暴行事件と闘い、デモ飛び入り参加者による強姦未遂事件と闘い、運動指導部による性暴力事件と闘い、党は女性差別「事件」と闘うことはできた。しかし女性に育児と家事を押し付けて男性活動家が活動に専念している現実や、女性の性的客体化などの日常的課題を切開できていなかった。
「家族ぐるみ」のぬるま湯のようなコミュニティと化した革命党が、個人・組織としての変革を拒否し、逆に女性解放闘争を叩き潰すための襲撃に走ったのが35全総。 自らと無関係な「事件」として開き直り「闘う」ことは容易い。

「人間として生きようとすれば革命の中にしか自己の生きる道を見いだしえないことを自覚し決起した女性が、革命運動と革命組織そのものの内部で、革命の名によって女性が差別され蔑視され、自らもまた、その中で敗北的意識に甘んじてきたことへの自己批判を踏まえた糾弾の開始によって、(略)

未来・第426号 五井洋子さんの投稿 

5面 投稿 五井洋子 未来・第426号(2025年11月20日発行)

http://miraikakukyodo.jp/mirai25426.htm

 全学連矢嶋委員長声明を読みました。非常に感銘をうけています。そして同時にかつて共に革共同に所属して党を作ってきた者として、私たちもまた責任を負っていることを踏まえなければなりません。

 性的関係の人間的再生と奪還は、女性解放の基底をなすものであり、またマルクスが言うようにその社会が人間的であるか否かを測る基準でもあります。

 矢嶋委員長は、差別が被差別者においても内面化することから、そのかかった靄を視界から取り除くことが必要であると自覚されています。そして連れ合いの石田さんへの差別糾弾と獲得に起ち、同時にこの闘いを党組織の差別的現実の変革をもめざす立場で貫こうとされました。全く正しい立場だと思います。

 差別への糾弾は、あくまでも糾弾者の主体的格闘を原点に進んでいくものです。
 そしてその共有を政治局と諸同志に求めたことは全く正しい事でした。それは、多忙な活動の中で強いられる「無家庭状態」をいかに克服していくのかという問いでもありました。
 革共同が長年念仏のように唱えてきた「家族問題の革命的解決」の空疎さが今さらながらあぶり出されたともいえるでしょう。性的関係、家族関係形成への格闘を放棄するのかという、連れ合いの石田さんに向けられた矢嶋さんの人間的な怒りと問いが原点でした。
 そしてそれにとどまらず、差別的現実の上に安穏と開き直る男性指導部、政治局への突きつけでもありました。

 ところがあろうことか政治局は糾弾主体当該である矢嶋委員長を無視し、彼女の頭越しに「石田反革命」規定をおこない、石田さんの除名・追放で事足れりとしました。自らが問われていることに頬かむりして開き直り、「正義の鉄槌を振りおろした者」として登場しようとしたのです。最もあくどいのは、矢嶋同志とその糾弾そのものをつぶそうとしたことです。

 こうして革共同は、政治局を筆頭とする組織内の女性差別を、時に政治主義的に利用もしながら温存してきました。野島、中野・・・性暴力・性差別加害者の名は枚挙にいとまがありません。党組織とその成員も、帝国主義の女性差別と無縁ではなく、絶えず自らを問い返さなければ腐敗の沼に転落していくほかはありません。


 政治局は、学生たちに差別襲撃を繰り返すに至っています。そして、この官僚組織は、常に政治局への無批判な追従者を作り出します。関西地方委員会の我が元同志たちもまた、「石田反革命」という無内容な旗印の下、学生たちに襲いかかり、相も変らぬ醜態をさらしています。どこまでも政治局と一緒に泥舟に乗って沈んでいくのでしょう。

 全学連の今回の決起は、ある日突然起こったのではなく4・28差別事件への当該を中心とする格闘、真摯な総括の過程をさらに一歩進めようとする主体的闘いの中で生じました。
 そこで形成されてきた女性解放・人間解放を目指す思いと確信はかけがえのないものです。それが政治局の欺瞞を見抜き批判し乗り越えるまでに至っています。私たちはこの階級的財産である矢嶋委員長と全学連の闘いを守りたいという思いでいっぱいです。

 革共同は、エンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』を元に「女性解放理論」を創ってきました。
 しかし、女性差別の現実の中で、多くの女性が苦しみ起ち上がっていることには冷淡でした。
 大衆運動を「帝国主義打倒がない」「革命がない」となで切りし、そこから学ぼうとはしませんでした。

 例えば、あれほどの高揚をみたリブ運動は「便所からの解放」を掲げ、「母でも便所でもない私を生きる」という人間宣言ともいうべき内容で女性解放の新たな地平を切り開きました。
 優生保護法改悪阻止闘争の中で障がい者たちから批判された「『産む産まないは女が決める』というスローガンは障がい者差別だ」という問いにも、今から思えば不十分なところもありますが、必死に受け止め答えようとする立場を持っていました。しかし、革共同は女性たちの苦闘に無関心で悪罵を投げつけるだけでした。

 そもそも革共同は大衆運動に対しては、「党の同心円的拡大」論という利用主義でしか接近せず、革命の主体が大衆自身であるという根本を否定する傲慢な党至上主義、一種のエリート主義また代行主義に陥っていました。ここから統一戦線も自己利害だけに基づく極めて貧弱なものでした。

 「無謬の党」などはありえません。永い歴史をもつ差別を構造的に組みいれた差別社会である帝国主義国家の下で生きている以上、私たちは例外なく差別の影響を色濃く持っています。
 そして「革命を起こし帝国主義国家権力を打倒したら自動的に差別はなくなる」というのは嘘です。
 権力奪取は被差別者の解放の前提条件を作るものでしかなく、被差別者当該を先頭とした人類の長い闘いの全過程を経て初めて実現できるものでしょう。
 この時、被害者、被差別者の加害者への糾弾を軸としながら、加害者の獲得の闘いもまた重要です。
 全てを除名・追放的あり方で解決できないことであるからこそ、民間の心ある専門家たちが、加害者のケアをしその再生への道を支えているのです。
 性暴力事件の再発を防ぐ有効な方法として性教育とともに世界各国で実践されています。それでないと極端にいえば、人類の半分である男性のほとんどを抹殺しないといけなくなるでしょう。

 組織による権利停止等の一定の処分は必要な時があるかもしれません。しかし、核心は少なくとも反省の立場に立つ加害者の再生に、組織は自らも生み出した責任があるものとして同質の自己批判をして、関わり続けることではないでしょうか。
 

 
私たちもまた自らの組織で起こった性加害の加害者と党の自己批判の渦中にいます。被害者にいまだ謝罪できていない段階で公表はできません。しかし必ずや解決する覚悟です。

 今、高市政権の下で日本帝国主義はすさまじいスピードで侵略戦争に突き進んでいます。先日タイ人の少女が性奴隷として人身売買されたことが、本人の必死の助けを求める言動によって明るみに出ました。
 これが日本帝国主義とその下で蠢く日本人男性の性暴力の実態です。植民地人民を虫けらのように扱い、性奴隷としてほしいままに強姦する日本人男性のおぞましさは、戦前の皇軍と何ら変わりません。戦争と女性差別の嵐に抗し、階級性を守らなければなりません。
 矢嶋委員長と全学連の方々の闘いに心からの拍手を送ります。(11月8日、記)
  

 未来第418号

  1. グローバル Web アイコン

    《前橋市長選》小川氏が自民の4割に食い込む 「子育て …

    2024年2月4日 · 群馬・前橋市長選での有権者の投票行動を探るため、上毛新聞は2~4日の3日間、出口調査を行い、計434人から回答を得た。 期日前投票所2カ …




共産党の論調ですが
  1. グローバル Web アイコン

共産党、棚橋氏の擁立について
 小川晶前市長の辞職に伴う前橋市長選(2026年1月5日告示、12日投開票)をめぐり、共産党系の市民団体「民主市政の会」は9日、新人の元市議で同党前橋地区委員長の店橋世津子氏(64)の擁立を発表した。無所属で立候補し、共産党が推薦する予定。市長選では新人で弁護士の丸山彬氏(39)が無所属での出馬を表明しており、選挙戦が確実となった。
市街地再開発事業を見直し
 店橋氏は記者会見で、市長選の最大の争点を「中心市街地の再開発事業」と強調、「220億円もの市税の投入を市民は望んでいるのか」と事業の見直しをマニュフェストに掲げた。
 前橋テルサ、群馬県民会館の存続、上下水道料金の値上げ中止、大学、専門学生向けの給付型奨学金制度創設も盛り込んだ。
 小川氏については学校給食の無償化を評価する一方、上下水道料金の値上げを批判。辞職につながった既婚の市男性職員とのラブホテルでの密会については、「市民の利益が損なわれた」と不快感を示した。

前回は小川氏を支持
 民主市政の会は前回、2024年2月の市長選で独自候補を取り下げ、小川氏を実質的に支持した。
 小川氏が既婚の男性市職員とラブホテルで10回以上にわたって会っていた問題が発覚すると、小川氏に対して公開質問状を送り、真意を質した。小川氏からの回答書には不満を示した。
 共産党は前橋市議団の中でいち早く小川氏に対する辞職勧告決議案を議長に届け出るなど、厳しく対応していた。
 店橋氏は前橋市立女子高―群馬県立保育大学校卒。 保育士を経て2001年の市議選で初当選し1期務めた。2020年の市長選に出馬した。共産党前橋地区委員長。
  共産党は前橋市議団の中でいち早く小川氏に対する辞職勧告決議案を議長に届け出るなど、厳しく対応していた。……… ……… ………

しがらみと田舎
 
前橋市議会を2分する中曽根系と福田系(ともに元首相で故人)…
「高志会」最大会派に 6人増、勢力逆転 前橋市議会 /群馬
毎日新聞 2025/3/5 地方版

 2月の前橋市議選後初の同市議会定例会が4日開会した。保守系二大会派のうち、改選前に第2会派だった「前橋高志会」が7人から13人に増えて最大会派に躍り出て、最大会派の「前橋令明」は10人から9人に減って第2会派になった。令明は山本龍前市長を支持する与党派として発足した経緯があり、山本氏が市長選で落選したのが一因との見方もある。

 両派は、保守分裂選挙となった2020年の市長選で、最大会派の旧新政まえばしが分かれて結成。故福田赳夫元首相系の山本氏支持議員が令明、故中曽根康弘元首相系で、次点となった元自民県議の岩上憲司氏の支持議員が高志会をつくった。24年の市長選では野党系の小川晶現市長に対し、両派とも山本氏を支援したが、岩上氏の支持者の一部が小川氏に流れたという。
 【ブログ注】ここでは小渕派(元首相)などは歯牙にもかけない

県議会議長は1年ごとにたらい回し
  戦後(1947年=28代~2025年=99代)78年に72人 50年代以降は毎年定期に交代。
  ま、田舎でなくとも杉並ほかの都会でも「みんな同じ」。

「村長の仕事は、票を集めて、国や県の補助金をもらって来ること」
 だいぶ前ですが、友人の父親の、村の有力者に伺ったこと。当時は現役の中核派だった私を知りながら、率直に、飾らず、温かく応接してくれました。
 「では、共産党のムラでの役割は?」とも質問してみました。
 「うん、青年団と同じかな?」
 「元気よく、年寄りに文句を言う。これは大事だね」
 「はー??」…。
 そういえば、私の父の兄は、農協の専務でした。戦後の、農村も荒廃しきった時期に、荒れ果てた「部落」の用水路を再開するために、若者たちで青年団を組織して、難工事をおして「功績」を果たしました。真田幸村の郷の真田町から数キロの○○村、今では上田市になりましたが。

 【注】つい少し前までは、この田舎では「集落」のことをフダンは「部落」と呼称していました。

 青年団は、公務員や教師を除いた「若者組」だったとか。当時では、中卒・高卒の、農家や零細の自営業が中心だったようです。今でも地元に残るのは、そんなオトコたち。今でも農家の最大の懸案の一つは「嫁不足」とか?
若い女性はより多く、都会に出ていくのが常らしい。
 
 「農村の近代化を阻むもの」は「社会的理由」だけでなく、色々ですね…。イナカの、今では高齢者になった同級生たち、そして私の世界では、「親しい同級生」や「いっしょに遊んだ近所の元悪ガキ」「にも入らなかった人々」が、前橋を変えた。……… 感無量。

  小川再選市長がふるさと・匝瑳市の市長選挙に応援!
 もちろん反・現職で。「ひたすら謝罪」の「ミソギ」を終えて、いざ、真正面から!!

  •  タクシーの乗客になった倍賞千恵子が語る生活史。若き日を演ずる蒼井優。仕方なく付き合うキムタク。のっけから下町大空襲の話。
  •  初の恋人は在日朝鮮人。歴史的な「帰還運動」。そして、DV男の夫。
  •  DV夫を見ていて「オトコは敷居を跨げば7人の敵」という言葉が私の中に湧いてくる。
  •  ①「オトコは不自由だ」。
  •  確かに「この世は男たちのもの」だが、その男たちは、上も下も「男社会の約束事」にがんじがらめだ。
  •  そして、「政治も会社も」「社会も世間も」その戒律にはまることで生きることを許される?
  •  オトコもまた、「オトコになる」。それ以外の選択肢はそんなに広くない。「女嫌いのオトコたち」になれば、比較的自由で、敵も減る。攻撃の矛先が鈍る。リアリズム。
  •  ②彼女はDV男を薬で眠らせて、たぎり立つ熱湯を「あそこ」にぶっかける。
  •  ウーマンリブが日本でも始まった時代、でも判決は酷いもの。「高橋お伝」。
  •  ③そんなこんなで彼女の人生はあった。「昔は」なのか「今でも」なのか?
  •  ④「キムタクの演技はいつもキムタク」だが、ここでのキムタクは彼女を受け止める。素敵だ。
  •  そして、そして……… ……… ………。
  •  ⑤余談中の余談
  •  年寄りの繰り言を聴くタクシー運転手。
  •  ところで、皆さん、「運転手さん」は良いが、今の時代「運ちゃん」はご法度だという事を分かっている?
  •  「付き合い上、素知らぬ顔」?「カゲで言う」? 「世俗の会話」? 少しは分かっているネ。
  •  私は不快感を押し隠して…。感性の問題か? 世知の乏しさか? 人生経験の偏りか? ま、お互いさまの話。世の中、「お互いさま」だからネ。
  •  ⑥若者でもときどき、年寄りの話が聴ける人がいる。聞いてくれる、「昭和好きの若者」たち。それだけでもう「少数派」?ま、「多様性」とは「誰でも少数派」。それでいい。
  •  ⑦ストーリーの中で、「信号無視」で捕まる場面がある。
  •  経験者として思わず身に染みる。
  •  彼女がウソでその場を収めようとする。
  •  許せば「規律違反」。その警官の結論は…? ……… ……… ………
  •  ◎山田洋次監督の遺言書??

  • TOKYOタクシー : 作品情報・キャスト・あらすじ - 映画.com

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    2025年11月21日 · 本作が91本目の監督作となる名匠・山田洋次が、倍賞千恵子と木村拓哉を主演に迎え、2022年製作のフランス映画「パリタクシー」を原作に、人生の喜びを描いたヒューマンドラマ …

  • 映画『TOKYOタクシー』大ヒット上映中! - 松竹

    木村拓哉の顔、その年輪に同じ時代を生きてきたよなあ、と思う。 「TOKYOタクシー」は三人の長い年月の結晶だ。 山田洋次監督『TOKYOタクシー』は94歳 …


    TOKYOタクシー | 山田洋次 Official Site - 松竹

  • 前橋市長選挙では、たくさんの修正を重ねています。

    最新
     ④小川さんの父親の肩書は「全国農民会議」が正解でした。



    ③「小川陣営の戦略の勝利」。
     関連して、いつか、別項で書いてみたいけど。

    ②タイトル名「❤小川晶 (改定)」は削除しました。もともとメモ用で公開を予定していなかったものです。失礼しました。

    ①公明党は、反小川=県政与党でした。修正途上です

    芝工大事件 追悼葬

    滝沢紀昭君虐殺抗議 母校の埼大で 怒りこめて追悼葬

    『前進』452号(929日付け)
    【ブログ注】前回と同じ

    27日午後、「虐殺講義・滝沢紀昭君追悼葬」が滝沢同志の母校埼玉大学の下大久保校舎体育館で[1]行なわれ、約1800人の参列者が、暗殺者への深い怒りと日本革命への厳しい決意をこめて、花輪と数十本の弔旗にはさまれた滝沢君の遺影にわかれを告げた。

    主催は別稿のよびかけ人16人とよびかけ団体11団体による実行委員会。

    葬儀は、滝沢君の先輩であり同志である宗像啓介氏の司会で始まり、まず実行委員長として全国全共闘書記局員・全学連副委員長の林○○君があいさつしたのち、滝沢君と同じ埼大経済学部でともに闘い、現在全学連三里塚現闘本部長をしている前田○○[2]の発声で1分間の黙禱が捧げられ、同君によって生前の滝沢君の紹介がなされた[3]

    虐殺された18日夜結成された滝沢紀昭君虐殺真相究明調査団の葉山岳夫岳夫弁護士は、事件の謀略的性格を詳しく暴露する真相報告を行ない
    滝沢君をよく知っていながら12時間も「身許不明」と強弁しつづけたこと
    遺族・友人・学校側のだれも立ち合わないまま解剖を強行し
    ただちに火葬に付そうとしたこと
    滝沢君と同時に重傷を負った友人に対する死を待つかのごとき処置および取り調べ
    解剖後の遺体から判断される転落以前の重傷
    殺人事件にしては現場の保存、交通規制などあまりにもズサンであること、
    などを指摘し、大謀略の疑惑の根拠を説き、事件の性格が大衆的に確認された。

    つづいて各界からの追悼の辞にうつり、全学連委員長の金山克己君、救援連絡センター代表の水戸巌氏、武蔵野三鷹救援会のもののべながおき氏(代読)、全国全共闘連合の高島○○君、埼玉県反戦の岩田○○氏、第4インター日本支部の中沢氏、社会主義青年同盟解放派の狭間氏、共産主義労働者党の永井氏、マルクスレーニン主義者同盟の東間氏、革命的共産主義者同盟の陶山健一氏、

    故山崎博昭君長兄の山崎○○氏、埼玉大学経済学部自治会委員長の大島○○君の獄中からの弔辞代読、芝浦工業大学全学闘の鈴木○○君、埼玉大全学反戦会議の○○△△[4]がつぎつぎと正面の滝沢君の遺影にむかって追悼と闘いの決意を述べた。

    金山全学連委員長は「滝沢君の死は白色テロによるものであり、権力ないしその手先による11月決戦を前にした大謀略である」と述べ、その復讐を11月決戦の爆発、街頭戦と砦死守戦闘争の結合によってはたすことを誓った。
    さらに11月決戦の基軸として武器が全くなくとも己の肉を玉として闘う手に入るものは何でも使う一人になっても闘う死を恐れず闘うことを全参加者とともに誓い、自分自身も先頭に立って闘うことを誓った。

     

    革共同の陶山政治局員は、「滝沢同志の肉体は抹殺されても、それを幾十倍、幾百倍も上回る闘いがこれにこたえることを、われわれが不死鳥であることを権力は忘れている。わが同盟は君が先頭に立つその部署も決まっていた11月決戦を1021から1か月間の闘いとして戦い抜くことを決定したことを霊前に報告したい。全同盟が君の弔旗を掲げ、君を奪った敵に対する、幾百倍もの敵の血をもって、君の死にこたえることを誓う」とわかれを告げた[5]

     葬儀は各界からの弔電をうけたのち、最後に滝沢君の尊父光人氏のメッセージ(代読)をうけ、全員が「同志はたおれぬ」の唄をくりかえし歌う中を、埼大の友人を先頭に遺影に対する献花をして幕を閉じた。

    追悼葬は、国家権力の大謀略と「内ゲバ」宣伝による戦線破壊という狡猾で陰険な攻撃に対して、これを革命的左翼全体に加えられた攻撃として、全党派による滝沢君追悼が行なわれ、11月にむけての共同の決意が固められたことは、「内ゲバ」のデマを打ち破り、革命的統一戦線をより強固に鍛えるものであった。

    2に、滝沢君を追悼する最良の方法は、11月決戦に勝利すること、敵権力の幾百倍の血をもって報いることであることが追悼の辞をおくったすべての人々と全参列者によって確認されたことである。それこそが闇の中で殺害された滝沢君にこたえる唯一の方法である[6]。(4面に関連記事=陶山発言)

    滝沢君追悼葬のよびかけ人・団体(個人は略)。救援連絡センター、反戦青年委員会、全国全共闘連合、8政治組織


    【脚注】

    [1] 下大久保校舎 余談を交えて。

    北浦和駅からはバス。徒歩で40分?最寄りはJR埼京線「南与野駅」

    体育館でという事は、大学当局も使用許可を出したということか? 当時の埼大教授会の度量の広さを感じさせる。学部長?があえてご尊父に面談して「謝罪」も。あるいは当時の「大学の自治」の中でも、埼大執行部が他大学に比して、かなり際立っていたことをも示す。

    この年の12月にこの事件で「超広義」の「反戦連合」が一斉逮捕・起訴されたが、翌年末の判決後を含めて、一人の処分者も出ていないことにも示される。それは私も同じだ。4・28沖縄闘争で事後逮捕されて14か月後に保釈出所した私も、なんの処分も受けていない。前年の王子でも起訴されたが同じ。

    さらには、弔辞を代読された◯◯君などの東大安田講堂被告たちも、埼大では何の処分もなかった。

    当時の日大生・東大生や多くの学生たちは、たぶん気がついていないかも??。

     

    [2] 前田○○ 滝沢さんの前の経済学部執行委員長。

    全学連三里塚現闘の初代本部長かと思っていたが、「初代は俺だ」と川口顕さん。ともに「雑巾がけができる」「長靴がよく似合う奴」とは故今井さんの言。その後、北富士忍草母の会に乞われて、北富士現闘の初代本部長。埼大時代は、蒼玄寮・悠元寮という600人?の寮生運動の「反対派の」リーダーでもあった。この世代では少なくない「高民」(高校民青)出身。学生時代はアルバイトで生計と自宅への送金もまかなっていた。

     

    [3] 「葬儀は、」以下。 よびかけ団体は当時の新左翼系知識人と8派共闘の諸団体。≒全国全共闘。

     

    [4] 埼玉大学全学反戦会議の○○君 1年生。反戦会議は、埼大中核派。

    滝沢さんたちが求めた「埼大全共闘」の結成が拒絶され、いわば中核派の対外的な看板として旗揚げされた。経済が中心。理工が続く。
     この時期、経済学部は各クラスで選出する自治委員選挙で多数派を奪われた。

    民青とバリ・無期限ストに反発する「保守派=自己保身」の多数派による「でっち上げ」経済自治会の成立で、消耗して、活動力を失った。のち、旧執行部も解散宣言。理工もほぼ消滅した。

    加えて、中核派による「前夜の襲撃」と滝沢さんの死で、混乱・憔悴。ご尊父の訪問への応接などに忙殺されて「『前進』など読んでいられなかった…」らしい。「白色テロとも言ってたね」

     

    [5] 全同盟が君の弔旗を掲げ、君を奪った敵に対する、幾百倍もの敵の血をもって、君の死にこたえることを誓う」  陶山発言のすべてのキモ

     

    [6] 滝沢君にこたえる唯一の方法 上と同じ。「唯一無二」と迫る。友人や全参列者にも??

     

    芝工大事件の『前進』記事 453

    陶山健一 革共同政治局員 の追悼の辞

    君の弔旗を掲げ屍をこえて11月へ進撃することを誓う

    2=453埼大キャンパスでの「滝沢紀昭追悼葬」での発言)

    【ブログ注】 []音声文字変換を使った。

    脚注も付けたが、前回の「革共同声明」に比べてあまり意味がない。

    「追悼の辞」は、個々の「謀略論の立証」よりも、思想的・哲学的歴史論的な意味合いを真正面から論じているのが特徴か??!!

    ‘――――  ――――  ――――  ――――  ――――

    革命的共産主義者同盟を代表してわが同盟のすぐれた同志であり日本革命運動の若き戦士であった滝沢紀昭君に最期の別れの辞(ことば)をのべたいと思います

    初めての新しい敵

     私たちは君が918日の未明、真暗やみの中で、わが革命的共産主義運動がおそらくはじめて敵対したであろう新しい姿の敵に対して、共産主義者として最期まで毅然たる態度で闘ったことを推定し、君がたおれ、君と共に闘った沢崎君[]が今なお意識不明の状態の下で、残念ながらその確証を、詳しく確認することはできないけれども、われわれの革命運動にとってもっとも英雄的な死の瞬間を遂げられたことを確信している。

     と同時に、君が11月決戦を前に、我々の11月軍団の最先頭に立つことをすでに予定されており、そのことを深く心に決意し、連日そのための準備に飛び回っていながら、その意志を実現することをみることなく、敵の手にたおれたことをこの上なく無念に思う。

     我々が君がスターリン主義者の不当な告訴[]によって権力から逮捕状をもって追われることに対しては充分、君とともに、それをはねのけ戦いの武装をしてきた。しかし、我々は君に対し暗殺者がさしむけられ、生命を奪われることは予測することはできなかった。 そしてついに敵の手に、兇徒の手に君を奪われたことをここに深くお詫びをしなければならない。

     

    しかし、滝沢同志。君の死が残した 新しい経験は我々日本の革命的主義共産主義者運動をさらに一段と飛躍させてくれた。 その第は、我々の戦いが、もはや日常つねに権力と我々との命をかけた戦いの段階にはいったことを、君が身をもって全人民の前に示してくれたことである。これまで我々は山崎同志を失い、和井田同志を失い、また樺同志を失い、 多くの犠牲者を出してきた。 しかし、そのいずれもが戦場における戦いの死であった。

     日々が戦いの瞬間

    だが、権力は11月決戦を前に,君がその勇姿を戦場に登場させたならば、すでに敗北することを予期し、事前に君を倒した[]。埼玉県の学生運動において滝沢紀昭が占めている位置が日本の国家権力のにとって[]いかに恐るべきものであったかは君自身よく熟知していた。権力は君を逮捕し、11月を前に獄中に奪い去ろうとしていた。 しかし、君はそれを軽々とはねのけ、着々と戦いの準備をしてきた。 そうなった時、彼らが行使した手は、まさに戦場に至る前に、君を消し去ることであった。

     

     我々は日本階級闘争が、燃え上がる新しい段階をもって帝国主義者を追い詰めつつあり、そして帝国主義者たちは政治をもって我々を破ることができず、具体的な戦いにの場において我々を破ることができないがために、[]今や事前に卑劣な陰謀をもって我々を倒してでも彼らの危機を逃れようとしてる段階に至ったことを君の死によって確認し、このことを全人民の前に告げ、そして今や1ひとりが日々を戦場とし、日々を闘いの瞬間として生き抜くことを改めて使いたい[]

     2に、我々は残念ながら今なお、君は死に至らしめた直接の下手人を具体的に 特定することはできない。 しかし、これが権力の常とう手段であり、階級闘争に加えられるもっとも卑劣で、陰惨な方法であることについては、万全の確証[]を持っている。

    このことは、我々に階級闘争の厳しさと革命運動の複雑さ、そして我々がそれに心しなければならないより多くの教訓を与えている。

     

     権力が君自身を殺すためにおそらくかなり高度の陰謀を企んだと思われる。 暗やみの中で君が最期まで命を賭けて戦った相手が誰だったか、 そして権力が将来、その犯人が誰であると発表すると否に関わらず、真犯人が権力とその手先であることは間違いない[] 権力は自らの姿を持って人民の前に当時登場するだけではない。 彼らは自分がその制服や武器を持って出るだけではない。 私服や右翼はもちろん時には我々の仲間の姿をし[10]、あるいは我々とともに戦う党派の姿をしあるいは我々から去っていった様々なものの姿をとってでも、その目的を遂げるために登場するものであるということを、我々は君の死によって深く心しなければならない

     

     革命運動の純粋化へ

    三鷹、松川、下山の大フレームワークアップ[11] それを必要とした階級情勢をこえた新しい情勢が今や来てやってきている。だからこそ、敵はあらかじめ内ゲバ説によって我々の戦いを二重にも30人も打ち砕く、その謀略として君を殺したとしか思えない。 そして、権力のこうした暴力の手は、我々の周辺。 我々の内部にすら伸びている。敵が内ゲバ説をふりまわし、さまざまな団体をその容疑者にあげていることは革命運動の中でひとたびその思想を少しでもゆるめた場合、権力とはっきり対決していく思想に少しでも隙ができれば敵はそこにつけ入り[12]、それは犯罪者に仕立て我々を討ってくるこの厳しさを我々は確認しておかなければならない

     

    君に詳しく告げる暇がなかったかもしれないが、この埼玉県という土地は[13]我が革命的共産主義者運動が初めてこの世に登場した10年以上も前から権力が執拗に我々の運動の中にスパイを送りこみ、あるいは我々の運動の脱落者を使い、さまざまな形で運動の中から破壊とする陰謀がもっともうずまいてる所であった。埼玉県警は例えば10.8羽大学。羽田以来、これは全国的におこなわれていることであるが、特に露骨にわれわれの運動から耐えきれなくなって脱落していった部分 あるいは我々の運動に敵対することを使命とする党派、そして日共スターリン主義者など我々の運動の周辺を取り巻く、一切のものを利用して、我々の戦列の破壊に狂奔してきたのである。

     

    したがって、我々は滝沢同志暗殺の真の犯人である 権力を徹底的に暴くと同時に、権力者が付け入らんとする 我々のほんの些細なゆるみをも容赦なく打ち倒して進む その意味で我々の党派闘争の厳しさ、君自身がおそらく全国の学生戦線の中で最も先頭に立って戦ってきた革命運動の純粋化のための闘争を、我々は君の死に応えるために一層強くおし進めることを誓いたい。

     

     これが非常体制だ

     さらに何よりも事前に君を消し去り、しかも君の死を我が中核派内部の内紛による暗殺であるかのごとく宣伝です宣伝する権力者の卑劣な陰謀が11月をのりきるためにしいた10月非常態勢そのものであることを第3に確認しておかなければならない。 彼らの10月非常体制は、日本の警察官の7割を動員し、ありとあらゆる権力の手段を動員してでも、沖縄奪還の戦いの大衆的爆発を阻止せんとする攻撃であり、我々にとって確かに容易ならざるものである。 しかし、1角度を変えて考えれば、もはや彼らは政治によって勝つことはできず、むき出しの暴力によってしか我々に勝つことができない。 しかし、我々の運動は、よし君のごとく肉体を抹殺されようとも、そのあとに続くより大きな人民の戦いにひきつがれることによって、まさに不死身の進撃を遂げるのだということを権力は忘れている。 我々を一人殺せば10100倍の新しい戦いが起こり、滝沢を1人殺せば何十人もの滝沢が生まれるということを彼らは忘れている。 そのことが彼らの10月非常体制を必ず打ち破ることができるという保障である。

     

    滝沢同士に最期のわかれにあたって我が同盟は君がその先頭に立つ部署も決まっていた11月決戦を来たる 1021日から1ヶ月間の戦いとして決行する[14]ことをここに報告する。

     

    そして全同盟がまさに君の弔旗を掲げ、君が一人で死ぬまで、権力と戦ったその戦いを君を奪った権力に対する幾百倍もの敵の血をもってこれに報いることを誓って君との最期の別れにしたい。どうかわれわれの闘いを安らかに見ていただきたい。

    われわれは君の屍をこえ、君が自らの死をもってわれわれに示し日本革命運動の新しい段階にふさわしいものに、われわれ自身を越えることを約束して私の最期の辞(ことば)を終わります。

    【ブログ注】 ‘―――――  ―――――  ―――――  ―――――  ―――――  

    ひらがな表記の用法は『前進』に従った。

    日付などの漢数字は、あえて変えた。

    原文には、行替えの時に、句読点を削る慣行がある。これは活字時代の特徴だが、横書きのパソコンにすると読みずらい。で、以降は、あえて、あるべき姿にならった。

    正確な変換ができない部分も多いが、校正などしてできるだけ補った。

    ただ、技術上の結果として、いくつかの用語を置換するのはあきらめた。我々われわれ 戦い闘い

     

    文末脚注  全体の要旨の替りに、キーワードを並べてみた



    [] 初めての新しい敵

     

    []沢崎君 慶応大学学生。回復後、運動から消えた。 

    [] スターリン主義者の不当な告訴 「革共同声明」でも紹介した、別名「下大久保事件」。反日共のほぼすべてのグループno
    メンバーが逮捕された。
     

    [] 事前に君を倒した 

    [] 国家権力にとって 

    [] 今や事前に卑劣な陰謀

     

    [] 改めて誓いたい 

    [] 万全の確証 

    []真犯人が権力とその手先であることは間違いない

     

    [10] 時には我々の仲間の姿をし

     

    [11] 三鷹、松川、下山の大フレームワークアップ 今日でも、戦後史を語る場合には欠かせない。この当時は「白鳥事件」も。ただ、こんな場で引き合いにすると、「歴史を学ぶ必要」を踏みにじることにもなりかねない。

     

    [12] 思想に少しでも隙ができれば敵はそこにつけ入り 陶山発言の「肝=キモ」はこれ!「党を信じよ、中央を信じよ」。11月決戦への「揺ぎ無い確信」。まるでスターリンの党、スターリン主義者の「信念」だ。


     私が今思うに、「反スタ」とは「ほとんどスタ」から「スタの殻を破りつつ9割がたはスタ」ようやく「半分スタ」くらいでとどまってしまった。今や元の中核派の人に「すたとは何か?」「1時間の報告を」と言ったら、こんわくしそうだ。いや、清水丈夫氏そのものが、語れそうにない。それが「白井朗さんへの迫害とテロ」だったのだと、改めて思う。

     

    [13] この埼玉県という土地は 具体的な諸事実には触れていないので、なんとも。
     

    [14] 1021日から1ヶ月間の戦いとして決行する 「11月決戦」までひと月を切った。「死者の屍を乗り越えて」。じつは、芝工大事件そのものが、こんな時だからこそ起こったのだと解る

     

    それはそれとして「6911月決戦」とは、「非合法・非公然の武装蜂起」としては、色んな意味で「ガラス張り」だったのだと思える。①陶山さんほかの政治局員は公然事務所の前進社に陣取り、
     ⓶半年以上前から、「蜂起」を宣言していた。権力次第では、赤軍派のように、事前の一斉摘発もありえた。
     ③とはいえ、それは清水丈夫氏が
    67年羽田の直後に「オレは潜る」発言をして本多さんに激しく責められて真っ青になって撤回したという「党風」にも絡む。本多さんも4・27破防法逮捕ののち、「わずか2年」で保釈出所した。他の政治局員は堂々と公然の場に居座っていた。

    「なぜ?」ひとまずは「それが革共同」「それが時代」だったから!

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