【ブログ注】前回の文が読みずらいとのことで、設定を変えてアップし直しました。末尾の【ブログ注】をだいぶ補強しました。
【以下引用】……… ……… ………
発行日: 2024年1月 1日 第3325号 主張/理論
週刊『前進』08頁(3325号05面01)(2024/01/01)
岸田打倒!侵略を内乱へ
侵略と虐殺の帝国主義を倒せ!
中国侵略戦争―世界戦争阻止
沖縄闘争、反戦・反基地闘争の爆発を
(写真 全学連を先頭に機動隊とぶつかって闘い抜いた昨年5月のG7広島サミット粉砕闘争)
【ブログ注】
24年新年号巻頭論文を項目別に紹介するために、まずは全体像を紹介します。
まず今回は、「血債論」の紹介に止めます。
岸田打倒!侵略を内乱へ 侵略と虐殺の帝国主義を倒せ! 中国侵略戦争―世界戦争阻止 沖縄闘争、反戦・反基地闘争の爆発を
はじめに
―Ⅰ―
「連帯し、侵略を内乱へ!」の本格的闘いの開始と11月集会
⑴3労組と大行進を先頭にガザ大虐殺への怒りと結合
⑵G7サミット粉砕闘争を跳躍点に反戦闘争へ総決起
―Ⅱ― 中東、ウクライナ、全情勢を規定する米帝の中国侵略戦争
⑵帝国主義の対ロシア戦争=ウクライナ戦争の泥沼化
⑶米帝大没落と米中対立の非和解的・非妥協的な激化
⑷腐敗極め中国侵略戦争に突き進む日帝・岸田打倒を
―Ⅲ― 7・7路線の現代的再確立と反帝反スタ世界革命論の深化
⑴10・7蜂起=民族解放・革命戦争を断固支持し闘う
⑶帝国主義世界支配の危機と新植民地主義体制の問題
―Ⅳ― 帝国主義打倒する反戦闘争の大衆的・内乱的爆発かちとれ
⑴全面的な戦争国家化狙う日帝への怒りを解き放つ時
⑵沖縄―全国で中国侵略を阻む実力闘争復権させよう
⑶帝国主義打倒の反戦闘争基軸に闘う労働運動再生を
⑷差別・排外主義と対決し階級分断攻撃を打ち破ろう
清水丈夫議長の「反戦闘争としての反戦闘争」略して「反戦反戦論」は組織内外でも不評なようだ。 新年号論文と『前進』3号での清水アピールは、その意味で、あくまで「反戦反戦論」を押し通そうとするかたくなな意志を感ずる。
特徴は記事の順を追って
① 「連帯し、侵略を内乱へ!」論という埃だらけの古証文をどこからか引き出してきたこと。(1章)
②「中東、ウクライナ、全情勢を規定する米帝の中国侵略戦争」と何よりも「中国侵略戦争」を環(かん)とした世界戦争戦略が発動されている、というもの。この場合字ずら通りに読む限り、「中国侵略」とは中国大陸そのものへの侵攻を意味しそうだ。
ここでも「中国スタを誘い込む」論。「台湾への武力侵攻」を呼び起こしたい、というのかと思うが、ただこの辺は言葉を濁して押し通している。言いっぱなし。未来を直視する予言者特有のあいまいさだ。
言い換えれば、米帝はこの“3正面”と同時並行に戦争を仕掛け、それがまた可能であり現実的、という情勢論・世界認識(2章)
③ 同じ2章では、どう読んでもウクライナの敗北=ロシアの勝利待望論が語られている。ついでに中国は「残存スタ」という言葉以外に何もない。アメリカ一極集中は不変だと。皮肉に言えば「反米=親プーチン・親習近平」。「反帝・反スタ」の立場と実践論はどこに?
④こうした流れの中で、3章は「7.7路線の現代的確立」がタイトルになる。第2節⑵反スターリン主義を貫く7・7路線と「血債の思想」が語られる。
でも何にも語っていない。
――「血債論」「血債の思想」。まずは中央派・中央の議論としては懐かしい「禁句」が突然現れてきた。
今回はこの部分を抽出して、アップしておきたい。
新年号論文全文は13.000字ほど。400字詰め約78枚。A4で22頁くらいになります。この部分は実際にはA42枚程度に収まります。少し枝葉をつけたのでとばしてお読みください。
他の部分も機会を改めて紹介したいと思います。
【以下転載】……… ……… ………
はじめに
2024年は、世界戦争か世界革命かの歴史選択を問う世界史的分岐点であり、この時代を生きる労働者階級人民の一人ひとりに「いかに生き、闘うか」を問う一年となる。すでに青年世代をはじめ多くの人々がこの革命的激動期の到来を自覚し、陸続と闘いに立ち上がっている。
決定的な衝撃を与えたのは、昨年10月7日、イスラム抵抗運動ハマスを主力とするパレスチナ解放勢力が決行した蜂起である。民族解放の血叫びを全世界にとどろかせたこの10・7蜂起に対して、イスラエルがアメリカ帝国主義をはじめ全帝国主義の擁護のもと、ガザへの恐るべき大虐殺と侵略戦争をもって応じたことは、全世界人民の空前の弾劾と決起を呼び起こした。このような暴虐をもたらす帝国主義の世界支配など、もはや一時も我慢がならないと、世界の根底的変革と全人間解放を求める闘いが拡大しているのだ。
中東・パレスチナで民族解放闘争圧殺のための戦争が続く一方で、開戦からまもなく2年となるウクライナ戦争も、これまで以上の激化・泥沼化の局面を迎えている。そして東アジアではさらなる大戦争、すなわち米日帝国主義の中国侵略戦争が今にも火を噴こうとしている。第2次大戦後の世界に基軸国として君臨してきた米帝が、今やその世界支配を維持し続ける力を失うほどに没落を深め、そこからの巻き返しと延命をかけて「世界第2の大国」=中国との戦争に突き進んでいるのだ。この米帝の中国侵略戦争―世界戦争への突入が世界を揺るがし、今日の世界戦争情勢を規定しているのである。
だからこそ、この戦争と革命の世界史的激動のただ中で米日帝の中国侵略戦争を阻止する日本階級闘争、とりわけ沖縄闘争をはじめとする反戦・反基地闘争は極めて重大な位置を占めている。今こそ「闘うアジア人民・被抑圧民族人民と連帯し、日本帝国主義の侵略戦争を内乱に転化せよ!」のスローガンを高く掲げ、腐敗を極める日帝・岸田政権打倒の24年決戦へ総決起しよう!
…【中略】…
―Ⅲ― 7・7路線の現代的再確立と反帝反スタ世界革命論の深化
⑴10・7蜂起=民族解放・革命戦争を断固支持し闘う(略)
⑵反スターリン主義を貫く7・7路線と「血債の思想」
⑴ 革共同が10・7蜂起に対して、以上のような断固支持と連帯の立場をとることを可能にしたのは、70年決戦過程で確立した「7・7自己批判路線」(7・7路線)、「闘うアジア人民(被抑圧民族人民)と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」の綱領的路線を堅持してきたからである。
米帝大没落と戦後世界体制の最後的崩壊の過程は、米帝・帝国主義の中国侵略戦争―世界戦争の過程として進行している。同時にそれは、帝国主義の世界支配の矛盾の集中点としての中東・パレスチナをはじめ、新植民地主義体制の崩壊と民族解放・革命戦争の爆発を不可避的にもたらす。
帝国主義の侵略戦争・世界戦争を内乱に転化し、プロレタリアートの根底的解放を実現する世界革命は、この民族解放・革命戦争との結合をかちとることによってこそ勝利する。帝国主義国・抑圧国におけるプロレタリアートの革命的蜂起と植民地=新植民地主義体制諸国における民族解放の革命的蜂起の結合によるプロレタリア世界革命=反帝・反スターリン主義世界革命に向かって、総決起すべき時を迎えているのである。7・7路線について、あらためて再確認し、現代的に再確立することが、今日極めて重要な課題になっている。
⑵「7・7自己批判」とは、直接には1970年7・7集会(「7・7盧溝橋33周年・日帝のアジア再侵略阻止人民大集会」)を在日朝鮮・中国―アジア人民との共同の闘いとして準備する過程で、華僑青年闘争委員会(華青闘)から革共同の70年決戦に対して「入管闘争の取り組みの不十分性」「抑圧民族としての立場の自覚の欠如」という点で批判がなされ、それに対して差別的言辞をもって応えてしまったことに対する自己批判である。革共同は、華青闘からの批判とそれを受けての自己批判を通して、日本プロレタリアート人民であるわれわれが、侵略される側のアジア人民の立場に立ち、彼らの現実の存在と闘いを措定し、学び、連帯していくことを、日本におけるプロレタリア自己解放闘争、革命的共産主義運動の根幹に据えた。ここから「闘うアジア人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」の綱領的路線が確立され、71年11月決戦に至る革命的内乱的爆発をかちとっていった。
7・7路線は、単に「被抑圧民族や被差別人民の闘いを重視しよう」というものではない。帝国主義の支配下での「マイノリティー尊重」のような、ブルジョア民主主義の徹底を要求するようなものでは断じてない。それは、プロレタリアートの自己解放闘争は抑圧されたすべての人民を解放する闘争としてのみ成り立つという共産主義の原理を徹底的に貫く路線であり、帝国主義の排外主義、差別主義による人民分断と侵略への動員攻撃との闘いの決定的意義を自覚させるものだった。
スターリン主義によってゆがめられ、破壊されてきたプロレタリア国際主義を帝国主義国・抑圧国におけるプロレタリアート人民の中によみがえらせるものであり、反スターリン主義の革命的貫徹そのものでもあった。
そしてこの7・7路線は「血債の思想」を打ち立てた。それはスターリン主義の裏切り的指導のもとで、日本プロレタリアートが日帝の排外主義と侵略への動員攻撃に敗北し続け、その結果もたらされた2千万アジア人民の犠牲、さらに戦後も侵略と抑圧を許してきてしまったその「血債」を、自らの血を流して日帝を打倒する闘いをもって「弁済」するという立場に立つものだった。
この7・7路線と「血債の思想」は、すべての被差別・被抑圧人民と連帯し、全人民の解放を自己の解放として闘うことができるプロレタリアートの階級的誇り、帝国主義の排外主義に屈し続けてきたスターリン主義を根底から乗り越えようとする革命的共産主義者としての自覚と歴史的使命感を燃え立たせるものであり、党と階級の力を爆発的に引き出していったのである。
⑶7・7路線、「血債の思想」の根底にあるものは、帝国主義の支配を打ち倒す以外に自らの解放を実現することができない階級であるプロレタリアートの革命性に対する無限の信頼である。
日本のプロレタリアートは、闘うアジア人民、在日朝鮮・中国—アジア人民と連帯し、日帝の侵略を内乱に転化し、日帝打倒を必ずやり遂げることができる革命の主体である。このことへの揺るぎないマルクス主義的確信である。
これに対し、かつて革共同の一部指導部に発生した血債主義・糾弾主義は、プロレタリアートの無限の革命性に対するマルクス主義的な確信から出発するのではなく、それへの根本的な不信と絶望から出発するものだった。
彼らは「血債の思想」を「帝国主義国の労働者は排外主義・差別主義にまみれており、そのままでは革命の主体にはなれない」という階級不信の思想にねじ曲げ、階級的労働運動路線に敵対した。
血債主義はカクマル反革命との内戦を経て、労働運動や大衆運動における後退を余儀なくされた過程で党の指導部の一部を占めることになったが、労働者階級の党としての革共同を決定的に再生させる「党の革命」(2006~07年)によって打倒された。この血債主義の打倒は、「7・7路線」を帝国主義国におけるプロレタリアートの自己解放の路線として据え直し、真に貫徹しようとするものだった。
事実、反戦闘争を軸とする階級的労働運動とは、何よりも排外主義と闘い、自国帝国主義=日帝の侵略戦争を阻止する闘いとして提起され、実践されてきた。だからこそ、日帝の植民地だった南朝鮮・韓国の民主労総と日本の動労千葉、11月集会に結集する労働者人民とが「瞬時にして」結びつき、激しい排外主義と分断の攻撃が吹き荒れた新自由主義の20年の過程を通して、その階級的・国際的団結をますます強化するという「奇跡」を実現してきたのである。
10・7蜂起の衝撃とこれに対する米帝(帝国主義)=イスラエルの凶暴な虐殺戦争の展開は、われわれ帝国主義本国の抑圧民族プロレタリアート人民の闘い、その現状について今のままでよいのか、闘う被抑圧民族人民との連帯とはどうあるべきかということを突きつけ、世界のプロレタリアートの革命的意識を一気に覚醒させた。
われわれは10・7蜂起―闘うパレスチナ人民と連帯する質をもった反戦闘争、侵略を内乱に転化する反戦闘争を闘い抜くことが、革命的共産主義者とその党の全存在をかけた義務であることを強烈に自覚した。8回大会―31全総路線に、「7・7路線」「闘うアジア人民・被抑圧民族人民と連帯し、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」の綱領的路線を決定的に据えつけて闘うことが明確になったのである。
⑶帝国主義世界支配の危機と新植民地主義体制の問題
―Ⅳ― 帝国主義打倒する反戦闘争の大衆的・内乱的爆発かちとれ
(略)
…【中略】… 革共同を青年・学生の党として建設し、「連帯し、侵略を内乱へ」を切り開く24年決戦へ進撃しよう。
【以上転載】……… ……… ………
【ブログ注】
①「血債主義者」の一掃とはなんだったのか?
その後の長い間の「血債を語るのは血債主義者であり、反党・反革命」としてきた経緯を頬かむりする欺瞞をまずは感ずる。いやそもそも「血債」をめぐる議論以外でもすべてをいっしょくたにして「血債主義者」に仕立て上げてきたように見える。その挙句の果ての「血債の思想」の復権だというのだ。
かつて共産党も、不破委員長の時代に、トロツキーや旧ソ連指導部を「復権」し「名誉回復」させた。60年代、70年代に新左翼や全共闘運動に関わった人たちにとっては、開いた口が塞がらない。他方「トロツキスト暴力集団」論や「トロツキスト=帝国主義の手先論」で武装して「民主化棒」を振り回してきた共産党・民青の諸君たちも愕然としていると聞く。
その同じ伝ではないのか?
②血債の思想思想とは何だったのか?
ここでは当初から、中核派の中でも不一致があったと思える。私は何度か書いても来たが
「第2の7・自己批判」と地域入管闘の陣形を欠いた血債論など問題にもならない。(別途、書いてみたい)
そしてまた、70年代~80年代、三里塚と並んで「狭山・入管」は特に新たな若者・青年たちが左翼・中核派に結集する大きな思想的・精神的な核であったことも大事だ。革マルとの内戦に踏み切る学生たちにも譲れぬ一線として「後背の陣」になったと思う。
私から言えば、鉄パイプやロケット弾のための「政治思想」として、中核派諸個人を追い込む方便に転落していたと思う。
いずれにせよ、巻頭論文ではこの大事な領域で、応える・深める展開はない。
③「7・7路線」という言葉も唐突だ。『前進』の過去の記事を検索しても、実はほとんど出てこない。
「7・7路線」などというものはありうるのか?「路線=思想」などという等式はありうる のか?路線で思想を代替するなどという言辞が許されるのか?
これってスタの論理ではないのか?
私自身がこの言葉に違和感があって、無視していたのかもしれないが、いつから「定式化」されたのだろう?そうそう、定式化の中身は??
こんなことは60年代ー70年代前半の新左翼界では許されないものだったのではないのか?
④もともと、「7・7の衝撃」とは何だったのか?
「血債の思想」とは何だったのか?
確かに、華青闘の告発を受けて当時の中核派全学連のトップが居直ったことは事実らしい。
そして清水氏が「まずい、まずい」と前進社に飛び込んで来たのも事実だろう。
つづいて政治局で深刻な議論が重ねられた。その仮の結論が「7・7自己批判」だと聞く。
戦後も進んで、在日や華僑が国内政治に登場する可能性や現実性など、私の世界にはなかった。それ自体が唐突だったのだ。
⑤反スタの再構築・再点検
私が思うに、反スタにせよ、三全総にせよ、血債の思想とはまだまだ程遠い。
60年代末の沖縄闘争は、活動家たちには唐突だった。本多さんは「一冊でもいいから関連本を読め」と言った。
人によっては「なぜ沖縄に取り組まないのか」と不満を抱えてきた人もいよう。しかし学生や若者たちには…。「砂川・横田などで勝ち取った闘いの成果が、実は沖縄への基地移転でもあった」という事実をも突きつけた。そもそも「本土復帰闘争」にどう向かい合うかなど、遡上にも上っていなかった。(古参中の古参たちは「正確に語れ」と怒るかも知れないが)
「血債の思想とは関係ないことを言うな」、と言われそうだが、私は言い続けよう。
よく言われる「地図を逆さまにしたら何が見えるか?」ということ。
あえて言えば、東大闘争では「置換可能性」という言葉も生まれていた。
思想とは諸個人の感じ方や生き方を規定するものであること。
思想的深化や形成は、党派や政治選択には直結しない領域のものであること。ごやまぜにしてはいけない。
そして「血債の思想」は既成の反スタの世界認識のあり方や、関りをコペ転するものであったのだと思う。女性解放・障がい者解放…。大江とサイードの往復書簡として知られるもの。「ポストコロニアリズム」という世界認識の切り口。
反スタを繰り返せば終わり、ではない。反スタだけが専売特許を取れるわけでもない。
「白井朗派≒白井系」の1人として、もっと多くを書きたいのだけれど、いつか、別の機会に譲りたい。
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