岩本本②の続き=転載分……… ……… ………
③の続き
言いたいことは、80年代の中核派は、「革命軍戦略」という「単一路線?」であり、三里塚基軸論=排他的・単一基軸(路線)論で押し通してきたことだ。ここでは「準基軸」ともいえる課題として、杉並区議選・動労千葉・部落解放運動=同志会・解同荒本支部があったのも事実だ。
しかし動労千葉に関しても、その評価の軸は、反対同盟との「労農同盟」を担う、ジェット燃料輸送阻止を闘う動労千葉、と言う面をほぼ一歩も出ないものだった。「反合闘争」「高石闘争」などへの共感や国鉄労働運動や民間労組への共感など、動労千葉がいくら語っても帰ってこない。そんな「政治主義・路線主義」の延長上にしかなかった。少なくとも「党員大衆」の世界では!労働者党員にとっては、情けない屈辱の日々?もちろん、それに従わない少なからずの人もいたことも忘れられない。
そんなことを前提にして書いてくれたらね!ま、これも分量が溢れるけど。
④最後に一番言いたいこと
「いつまで『党が党が』と言ってるんだよ!」
「正しい党」なんてどの面下げて言うのかね?
本多さんはとっくにいない。あれからもう50年近くになる。レーニン?百年前の話だ。
「革命党」とは究極は「武装蜂起の党」であり、「内戦・国際戦争」に勝ち抜き、権力を奪取するために何が何でも生き残る「党」のこと。
残念ながらそんな党を私はもはや構想できない。
せいぜい、10数年、大衆に溶け込み、世俗的にも複雑な判断と対策を立てられる運動が出来たらと、想いを巡らすだけだ。
⑤そして結論
なぜ中核派は真っ向から党内論争・党内闘争ができなかったのか?
どのように、でもいい。
なぜ中核派はまっとうな「分裂」がなかったのか?
下記の部分に、ひとまず10次に渡る中核派の「分裂史」を紹介します。
加えて06年3/14からの関西派と九州はの分裂と「血債主義者」の排除、最後に東北地方委員会のEL5派を入れると十数次の分裂・粛清を重ねてきたことになりそうです。
言いたいことは、どちらが正しいかとか、という前に、主張ややり方や体質が折り合えず、共存できなくなったら分裂するしかない、ということ。その気になったら、後でまた合流すれば済むことでもある。
もう一つ。党派闘争も党内闘争も「カンパニア」「囲い込み」は不可欠だということ。
それぞれの「私」がどちらを選ぶ、ということが「原則中の原則」のはずだ。
しかし現実には、「排他的囲い込み」が先に立つ。この「囲い込み」は多くの知恵と努力の結実でもある。そして「暴力的」だ。
実際の分裂を見ると、一方を選んだ人が、時を経て他方に鞍替えするということは極めて少ない。難儀なのだ。
政治指導部ですらそうで、ましてや「末端や現場」の人にとっては、「結婚相手の選択」も「離婚の自由」もない、というのが実情か?
じゃあどうする?「自立した共産主義者の結集体」。絵空事か???
「生きる知恵」…かも?
……… ……… ………
以下の項目に関連事項が入っています。当ブログの記事です。
2017年01月13日 小川登さん(竹中意見書と9条改憲阻止の会)
竹中意見書に言及したものから
意見書 「神奈川型」をめぐって
③の続き
言いたいことは、80年代の中核派は、「革命軍戦略」という「単一路線?」であり、三里塚基軸論=排他的・単一基軸(路線)論で押し通してきたことだ。ここでは「準基軸」ともいえる課題として、杉並区議選・動労千葉・部落解放運動=同志会・解同荒本支部があったのも事実だ。
しかし動労千葉に関しても、その評価の軸は、反対同盟との「労農同盟」を担う、ジェット燃料輸送阻止を闘う動労千葉、と言う面をほぼ一歩も出ないものだった。「反合闘争」「高石闘争」などへの共感や国鉄労働運動や民間労組への共感など、動労千葉がいくら語っても帰ってこない。そんな「政治主義・路線主義」の延長上にしかなかった。少なくとも「党員大衆」の世界では!労働者党員にとっては、情けない屈辱の日々?もちろん、それに従わない少なからずの人もいたことも忘れられない。
そんなことを前提にして書いてくれたらね!ま、これも分量が溢れるけど。
④最後に一番言いたいこと
「いつまで『党が党が』と言ってるんだよ!」
「正しい党」なんてどの面下げて言うのかね?
本多さんはとっくにいない。あれからもう50年近くになる。レーニン?百年前の話だ。
「革命党」とは究極は「武装蜂起の党」であり、「内戦・国際戦争」に勝ち抜き、権力を奪取するために何が何でも生き残る「党」のこと。
残念ながらそんな党を私はもはや構想できない。
せいぜい、10数年、大衆に溶け込み、世俗的にも複雑な判断と対策を立てられる運動が出来たらと、想いを巡らすだけだ。
⑤そして結論
なぜ中核派は真っ向から党内論争・党内闘争ができなかったのか?
どのように、でもいい。
なぜ中核派はまっとうな「分裂」がなかったのか?
下記の部分に、ひとまず10次に渡る中核派の「分裂史」を紹介します。
加えて06年3/14からの関西派と九州はの分裂と「血債主義者」の排除、最後に東北地方委員会のEL5派を入れると十数次の分裂・粛清を重ねてきたことになりそうです。
言いたいことは、どちらが正しいかとか、という前に、主張ややり方や体質が折り合えず、共存できなくなったら分裂するしかない、ということ。その気になったら、後でまた合流すれば済むことでもある。
もう一つ。党派闘争も党内闘争も「カンパニア」「囲い込み」は不可欠だということ。
それぞれの「私」がどちらを選ぶ、ということが「原則中の原則」のはずだ。
しかし現実には、「排他的囲い込み」が先に立つ。この「囲い込み」は多くの知恵と努力の結実でもある。そして「暴力的」だ。
実際の分裂を見ると、一方を選んだ人が、時を経て他方に鞍替えするということは極めて少ない。難儀なのだ。
政治指導部ですらそうで、ましてや「末端や現場」の人にとっては、「結婚相手の選択」も「離婚の自由」もない、というのが実情か?
じゃあどうする?「自立した共産主義者の結集体」。絵空事か???
「生きる知恵」…かも?
……… ……… ………
以下の項目に関連事項が入っています。当ブログの記事です。
2017年01月13日
コメント
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白土
が
しました