【白土メモ】
①在日韓国・朝鮮人と在日中国人の法的・社会的地位を同一に表現しているが、不正確だ。
「戦勝国民」と「敗戦国民」と「第3国人」という国際法的な概念は欠かせない。これは故石原慎太郎が悪意に満ちてまき散らした言葉でもあり、「必須の知識」でもある。
ひとまず 台湾人日本兵 - Wikipedia
林歳徳 - 検索 (bing.com) ★⇦【ブログ補足】
②イデオロギーや思想の次元での自己批判の論理
このレベルでは、『党はどこへ行ったのか』と直近の『前進』論文は、ほぼ同様な視点に立っている。関西派の入管論の総括論文も、長大であるがほぼ似たような感じがする。
③「求められていたのは地域的・持久的・陣地戦的な闘いの方針…」こそもう一つの核心だ。当ブログで繰り返しこだわってきた「第2の7・7自己批判」と「地域入管闘」の問題だ。『党はどこへ行ったのか』という活字化された著書の中で表現されたことはことさら大きいと思う。中央派・清水氏はけして語ろうとしない領域だ。私はこれこそが「血債の思想」に関わる分岐点・分水嶺だと思ってきた。
④突破口に、諸戦線が構築(略)いわば中核派の世界観の転換=「コペ転」の起点と言える。
⑤さて、そうであればあるほど『党はどこへ行ったのか』への絶望的批判は深い。
清水氏が「…階級的倫理性の問題ですらある。…」とまで言いながら、90年代も相も変わらず地域入管闘という実践的・「陣地戦」的課題の解消・凍結を変えることなく過ごしたこと、このことへの片言隻句の批判すらない。これではせっかくの③も意味をなさない。
とは言え、本『党はどこへ行ったのか』の中やその他で、本多延嘉氏の、幻の『党の堅実で全面的発展』論文の再評価・高い評価を論じている場面もあるので、それに任せて「端折った」と言われるのかとも思えない訳ではない。これもまた、「分量」の問題???とは言え…
⑥この辺について、いくつかの声を紹介してきたい。
元入管闘「元台湾人日本兵の支援を続けて来たけど、大事なことは生活、仕事の斡旋だったんだよな。法政の守衛を繋いでみて初めて分かった」
韓国人女性と結婚した元同志「白土よ、お前の書いた”地域入管闘”の”世話役”の話はホントだよ」「神奈川の入管担当の六月もよく勉強しているけど、今回はぜんぜん使い物にならなかった」「結局は俺自身で調べて、俺自身で出向いて、やっとのことでたどり着いた」「途中で挫折しかかった」
元神奈川 「90年代に関東地方委員会(KC)で、激しい”労働運動論争”があった。こちらは「現場を踏まえて、現場からの声を引き出して」にこだわった。対するは地方委員長の木崎ほかだった。「いわばこちらが『労働運動派』、木崎らが『血債主義派』みたいに言われた」。「だいぶ後で中野路線」が力を持つと、木崎も一変して労働運動派=動労千葉特化路線に豹変した。立場がなんか入れ違ってしまった。けども、全体を通して変わらなかったのは、「上からの」「天下り」の路線か「現場重視」かだったんだよね。
⑦韓国スミダに対する支援への制動…
90年代、日本でも電機労働者の女性たちを先頭に、多くの労働者・労組が支援・連帯に立ち上がった。
この時、入管闘を仕切っていた「高山」の通達が衝撃を生んだ。
事実上政治局からの指導として「メンバーが運動に関与する時はそのつど詳しい報告書を提出しろ。
上からの許可なしに韓国人労働者との接触をするな」という「指導」だったという。
指導的メンバーから話を聞いた時は耳を疑った。理由や口実はいろいろある。当時の韓国の政治情勢、中核派の公安との「死闘」…。いずれにせよ、中核派のメンバーは、韓国労働者とも在日とも連帯・接触するな、と。⇓ 民主労総との連帯運動を詠う昨今、変われば変わったものだ。昔日の感。
ひとまずのまとめとして、今日「血債の思想」を語る人たちにもいくつかの決定的違い・対立を含んだスタンスがあると言うことがわかると思います。
【ブログ補足】……… ……… ………
①関連部分です 当ブログから。技術上の都合で一貫した表現になっていませんが。……… ……… ………
「第2の7.7」と地域入管闘 横浜南部では、私は「地区入管闘」の一員でもあった。70年7・7の華青闘 (華僑青年闘争委員会) による糾弾に、革共同は「7 … 「地域入管闘」という小見出しを探してください。
①在日韓国・朝鮮人と在日中国人の法的・社会的地位を同一に表現しているが、不正確だ。
「戦勝国民」と「敗戦国民」と「第3国人」という国際法的な概念は欠かせない。これは故石原慎太郎が悪意に満ちてまき散らした言葉でもあり、「必須の知識」でもある。
ひとまず 台湾人日本兵 - Wikipedia
林歳徳 - 検索 (bing.com) ★⇦【ブログ補足】
②イデオロギーや思想の次元での自己批判の論理
このレベルでは、『党はどこへ行ったのか』と直近の『前進』論文は、ほぼ同様な視点に立っている。関西派の入管論の総括論文も、長大であるがほぼ似たような感じがする。
③「求められていたのは地域的・持久的・陣地戦的な闘いの方針…」こそもう一つの核心だ。当ブログで繰り返しこだわってきた「第2の7・7自己批判」と「地域入管闘」の問題だ。『党はどこへ行ったのか』という活字化された著書の中で表現されたことはことさら大きいと思う。中央派・清水氏はけして語ろうとしない領域だ。私はこれこそが「血債の思想」に関わる分岐点・分水嶺だと思ってきた。
④突破口に、諸戦線が構築(略)いわば中核派の世界観の転換=「コペ転」の起点と言える。
⑤さて、そうであればあるほど『党はどこへ行ったのか』への絶望的批判は深い。
清水氏が「…階級的倫理性の問題ですらある。…」とまで言いながら、90年代も相も変わらず地域入管闘という実践的・「陣地戦」的課題の解消・凍結を変えることなく過ごしたこと、このことへの片言隻句の批判すらない。これではせっかくの③も意味をなさない。
とは言え、本『党はどこへ行ったのか』の中やその他で、本多延嘉氏の、幻の『党の堅実で全面的発展』論文の再評価・高い評価を論じている場面もあるので、それに任せて「端折った」と言われるのかとも思えない訳ではない。これもまた、「分量」の問題???とは言え…
⑥この辺について、いくつかの声を紹介してきたい。
元入管闘「元台湾人日本兵の支援を続けて来たけど、大事なことは生活、仕事の斡旋だったんだよな。法政の守衛を繋いでみて初めて分かった」
韓国人女性と結婚した元同志「白土よ、お前の書いた”地域入管闘”の”世話役”の話はホントだよ」「神奈川の入管担当の六月もよく勉強しているけど、今回はぜんぜん使い物にならなかった」「結局は俺自身で調べて、俺自身で出向いて、やっとのことでたどり着いた」「途中で挫折しかかった」
元神奈川 「90年代に関東地方委員会(KC)で、激しい”労働運動論争”があった。こちらは「現場を踏まえて、現場からの声を引き出して」にこだわった。対するは地方委員長の木崎ほかだった。「いわばこちらが『労働運動派』、木崎らが『血債主義派』みたいに言われた」。「だいぶ後で中野路線」が力を持つと、木崎も一変して労働運動派=動労千葉特化路線に豹変した。立場がなんか入れ違ってしまった。けども、全体を通して変わらなかったのは、「上からの」「天下り」の路線か「現場重視」かだったんだよね。
⑦韓国スミダに対する支援への制動…
90年代、日本でも電機労働者の女性たちを先頭に、多くの労働者・労組が支援・連帯に立ち上がった。
この時、入管闘を仕切っていた「高山」の通達が衝撃を生んだ。
事実上政治局からの指導として「メンバーが運動に関与する時はそのつど詳しい報告書を提出しろ。
上からの許可なしに韓国人労働者との接触をするな」という「指導」だったという。
指導的メンバーから話を聞いた時は耳を疑った。理由や口実はいろいろある。当時の韓国の政治情勢、中核派の公安との「死闘」…。いずれにせよ、中核派のメンバーは、韓国労働者とも在日とも連帯・接触するな、と。⇓ 民主労総との連帯運動を詠う昨今、変われば変わったものだ。昔日の感。
韓国の労働者と日本の連帯者の人生を変えた闘争 : 文 …
【まとめ】幾多の「血債論」の存在とその変貌ひとまずのまとめとして、今日「血債の思想」を語る人たちにもいくつかの決定的違い・対立を含んだスタンスがあると言うことがわかると思います。
【ブログ補足】……… ……… ………
①関連部分です 当ブログから。技術上の都合で一貫した表現になっていませんが。……… ……… ………
新年号論文①「血債論」のリサイクル 【改定】 ...
2010年04月14日 : 『狂おしく悩ましく』
「第2の7.7」と地域入管闘 横浜南部では、私は「地区入管闘」の一員でもあった。70年7・7の華青闘 (華僑青年闘争委員会) による糾弾に、革共同は「7 … 「地域入管闘」という小見出しを探してください。
第5章 革命軍戦略の下で
血債主義 VS 労働運動主義 90年代半ばの ...
政治集会基調③ 妥協と抗争と折衷の40年史? - 争論 中核派 ...
知る・考える 用語解説 血債主義/「オールジャパン」 - 『前進』
『展望』(関西派・再建協議会)の総括提案と「血債の思想 ...
【まとめ】 いくつかの変貌する血債論の存在
私自身は「あえて言えば」「白井朗派≒白井系」の1人として、「第2の7・7自己批判」に重きを置く。
つまりは「地域・日常生活次元での関り」論、と言えば分かりやすいでしょう。
本来ここでは「イデオロギー的次元でのコペルニクス転換」も含まれていると思いますが、詳述は避けましょう。
今回は詳述するのは止めておきますが、中野洋さんのように「労働者は差別しない」論も「血債論の一つ」とも言えるでしょう。上記の『前進』用語集では、「革命党以外は血債の思想に敵対する」論を分かりやすく断じています。つまりは現に差別排外と現場で対峙している人たちも皆、差別主義者であると断じること…。昨今の中核派・清水氏の血債論の特徴は、中野氏や「労働者階級への階級移行」論をも継承し、新たな相貌・腐臭をも漂わせているとも感じます。中野氏の問題は、「06年の3・14」で打倒された狭義の血債主義者たちが、「血債」を掲げて、労働運動への取り組みを阻んできたこと,に端を発したものと言えそうですがここでは略しましょう。
中野氏はもともと、現場の闘いに身を捧げてきたゴリゴリの共産主義者。ゴリゴリの革命党員だったこと、そのことをはっきりと前提に据えて、岩本さんの指摘があることも確認したい。
もう一つは「反戦反戦論で決戦を」と言えばあらゆる運動や生活課題やを中断して(召還して)中央での「1日カンパニア決戦」に駆けつけ、「原発決戦」と言えば同じく「政治決戦」に走り、「関生決戦」のはずが当日近くになって突然「○○決戦」に旗を書き換える。「
決戦・決戦」でスケジュールをこなす。
今回の「決戦」に駆けつけない人には「体制内」「○○擁護派」とあてつけて毎度なじる。
それぞれのもしかしたら、より「国民的決起の種火」や決戦の戦場になるかもしれない諸課題を踏みにじる「路線」「決戦論」も、よく言ってドン・キホーテ、悪く言えば「中核派の革マル化」でしょう。党中央を心から批判しながら終生を党にささげた共産党員の恩師や先達に思いをはせる日々です。(血債の項は終わります)
コメント