【ブログ注】尾上さんのメールを転載します。

【狭山ヨタヨタ白杖記】

1)第59回三者協議(4月中旬)は狭山第三次再審請求審の流れを変えるチャンス

だ。家令和典裁判長に弁護団が一時間のプレゼンテーションを実施する。3月25日

の狭山全国活動者会議での報告にびっくりした。新しい裁判長に弁護団が狭山事件の

経過と課題を説明したらどうかと提案したのは大野勝則前裁判長だと報告された。第

58回三者協議(2月27日)での弁護団のプレゼン実施提起に検察官は持ち帰って意

見を言うと反対したが、裁判所は前任者の提案を前提に実施の方向で話はすすめたい

としたという。報告の内容もびっくりだが、何よりも三者協議での裁判官の息遣いが

聞こえる気がしたことにびっくりで、うれしかった。私は三者協議での裁判官の息遣

い、顔つき、ふるまいなどが知りたいのだから。これだけでも大阪に出てきたかいが

あった。この前例を大切にしてくださいと弁護団にお願いしたい。

 今回の狭山全国活動者会議は狭山再審無実の実現に向けて重要な時期と課題をテー

マにすべき会議だった。なぜなら次回・第59回三者協議で家令裁判長に弁護団が一

時間のプレゼンテーションを実施するのだ。第三次再審請求審の18年間で、10人

の裁判官が担当したが、プレゼンは初めてではないのか。18年間弁護団は191点

の証拠開示を勝ち取り、269点もの新証拠を提出し、事実取調請求を行い、石川一

雄さんの記者会見、52万筆の署名、マスコミでの取り上げなど狭山は動き始めた感

触がある。だが、裁判所の動きはっ全く分からなかった。裁判所は何の動きも見せな

かった。見せたのかもしれないが、私は知らなかった。今回の家令和典裁判長のプレ

ゼン決定は18年目にして、ようやく裁判所の動きが表に出たのだ、この機会を黙っ

て見過ごすことなど絶対にできない。いいプレゼンを準備したい。狭山闘争にかかわ

ってきた人々のすべての知恵と力と思いを結集して、家令和典裁判長のみならず、誰

もが納得するプレゼンを作成できないだろうか。

 プレゼンで家令和典裁判長の心が動くとしたら、それは家令裁判長がこのプレゼン

に社会・世論が注目していることを知るときだ。プレゼンが裁判所で実施されるのみ

ならず、それが公開され、石川一雄さんは無実だと誰もが納得したときだ。国家とマ

スコミと地域が部落差別をあおり、利用し、加担し、無実の石川一雄さんを殺人犯に

でっち上げた部落差別事件なのだと誰もが納得した時だ。世論がプレゼンの無実・部

落差別の真実を訴える迫力を感じた時ではないだろうか。そのためにはプレゼンの内

容をどうするのか、プレゼンをどうやって社会に知らしめるかが問題になる、このこ

とが今回の全国狭山活動者会議で議論される課題ではなかったろうか。

 

2)プレゼンの内容をどうするか。まず、第三次再審請求審はこれまでの二次の再

審請求審と決定的に違う。それは検察が隠し持っていた証拠の開示を勝ち取り、無実

の新証拠が明らかになったのだから。とりわけ万年筆インク資料鑑定は鑑定人の意見

を裁判所が聞くだけですまされるのではなく、科学的に白黒の決着がつくのだ。イン

クの色の違う万年筆を同一のものとした寺尾確定判決に重大な疑義が出てくる。再審

を開始しなければならないのは当然だ。この新証拠による石川さん無実の証明は弁護

団が全力を尽くして明らかにされるであろう。真実は必ず明らかになるのだ。

 さらに狭山事件の大きな特質のひとつに、警察の被差別部落への見込み捜査、新聞

報道での予断と偏見による部落差別の煽り立て、地域住民の加担がある。黒川みどり

著「被差別部落に生まれて 石川一雄が語る狭山事件」から引用する。

 

◇『朝日新聞』埼玉版(一九六三年五月二四日)は、「「底知れず不気味な」石川 

善枝さん殺し」との見出しで一雄逮捕を書き立てており、『東京新聞』も、「犯罪の

温床四丁目部落-善枝さん殺しの背景」「善枝さんの死体が、四丁目に近い麦畑で見

つかったとき、狭山の人たちは異口同音に「犯人はあの区域だ」と断言した」と記す

。被差別部落は犯罪の温床であるとの偏見を根底に持った一連の新聞報道は、一雄を

即座に犯人と結びつけ、さらに人びとの被差別部落に対する差別意識、恐怖意識を煽

り立てていった。以下は、当時の『埼玉新聞』(一九六三年五月二六日)の記事であ

り、こうしたものは枚挙に暇がない。石川の住む「特殊地区/環境のゆがみが生んだ

犯罪-用意された悪の温床」石川の住む”特殊地区”には、毎年学校からも放任され

ている生徒が一〇人ぐらいいる〔中略〕こんどの事件の捜査の過程で、同じような犯

罪を犯す危険性を持つ多数の若者達の存在が浮き彫りにされた(『埼玉新聞』一九六

三年五月二六日、『狭山差別裁判』第三九五号、二〇〇六年二月)。ー黒川みどり著

「被差別部落に生まれて 石川一雄が語る狭山事件」の35頁から36頁からの引用

 

◇さらに同紙の同日(『埼玉新聞』一九六三年五月七日)。のコラム「ヤブにらみ」

は、「八日までに犯人を捕えよ」という見出しでこのように記す。吉展ちゃん事件、

埼玉県の女高生誘かい殺人事件など、たび重なる捜査当局のミスに批判の目が向けら

れているので、篠田国家公安委員長は六日午前緊急国家公安委員会を招集した。委員

会ではさっそく二つの事件についての捜査の手ぬかりが追及されたが、篠田委員長は

「八日の参院本会議で事件の捜査経過を報告する予定になっているから、それまでに

犯人を捕えよ」と警察当局を督励していたが、委員会が終わって間もなく所沢の捜査

本部から「現場近くに住む”犯人らしい男”が自殺した」という情報がはいった。こ

れを聞いた篠田委員長「こんな悪質な犯人はなんとしても生きたままフンづかまえて

やらねば……」と歯ぎしりをしていた。ー同情83頁、84頁から引用

 

 そして5月11日に死体発見場所の近くの麦畑から発見されたスコップが何の証拠

もなしに死体埋設に使われ、石田養豚場から盗まれたものと断定され、被差別部落青

年への見込み捜査が強化され、石川っ一雄さんの別件逮捕につながっていく。

 別件逮捕から一か月近く頑強に否認していた石川一雄さんが、再逮捕後に「自白」

させられた。狭山事件を知った方々の大半が必ず、やってもいないのになぜ「自白」

したのだろうかと質問される。無実の石川さんは警察と検察に部落差別によって教育

をうばわれた結果の「無知」に付け込まれ、刑事のウソで弁護士への不信をかきたて

られ、お兄さんを犯人だと信じ込まされ、10年で出してやるからと狡猾なウソに載

せられてしまった。家の大黒柱をとられては一家は破綻する、自分が身代わりになり

、10年我慢すればと「自白」してしまったのだ。石川一雄さんは「短歌に託して④

」で

「泣くだけ泣いても癒えることでなし 怒りの渦は 日夜 坂巻く」

と詠っている。この短歌の読んだ思いを石川さんは

「だんだんいろんなことがわかってきて、私は警察官にだまされたことを確信した。

私をだました3人の警察官に復讐心がわいてきた。首を覚悟して死刑囚である私に、

文字を教えてくれる若い看守さんに、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)という漢字を教

わった。大きく書いて、部屋の中に貼った。だまされたことが悔しくて悔しくて、い

つも臥薪嘗胆をみて自分の心を奮い立たせた。」(短歌に託してから引用)

 プレゼンにこの短歌と石川さん自身の生の声を取り込んでほしい。

 

3)プレゼンで弁護団にぜひとも重視していただきたいのは寺尾確定判決を楽差別

判決として批判することだ。鎌田慧さんはその著作「狭山事件 41年目の真実」で

寺尾確定判決を「寺尾正二裁判長による完全犯罪」と指摘されている。寺尾判決から

50年目の今日、それが現実になりかねない危機感を抱いている。寺尾正二裁判長の

、いや司法と国家がもくろむ「完全犯罪」を打ち破る道はただ一つだ。それは寺尾確

定判決を部落差別判決として批判し、狭山事件が国家による部落差別事件、権力犯罪

だということを誰もが納得するように明らかにすることではないか。そこで寺尾確定

判決を部落差別判決として批判する要点を書く。

 寺尾判決は

① 自白を離れて存在する7つの証拠と5つの秘密の暴露が石川さんと関係がある。

② 石川さんの自供は、それを聴取した警察官青木が法廷で、自分は供述のまま記述

しており、石川さんはすらすらと自供したと証言したことは信用でき、供述は任意に

なされたものである。

③ 自供と証拠の食い違いがあるが、これは石川さんが命惜しさにウソをついている

と言う。弁護団は、①は新証拠として批判し、②は再審請求の理由の追加として裁判

所に提した。寺尾判決の問題は③の石川さん嘘つき論にある。

 寺尾確定判決は、裁判で人を裁くことができる根拠を経験則からなんの確証もなく

断定した。人が人を裁くことができる根拠をわずか数行の経験則論でだ。現在の民主

主義でも人が人を裁くことができる経験則など「発見」していない。だからこそ、真

実は徹底して証拠に依存し、熟慮に熟慮を重ねて、絶対に誤判をしないが原則なのだ

。誤判の恐れが少しでもあればそれは無罪にということだ。

ところが、寺尾正二は徹底した証拠への依存でも。誤判を絶対に起こさないでもない

裁判官の「全人格的能力による合理的思考」をもってすれば真実を発見できるとする

。この思考方法は弁証法的思考をもってするから正しいという。寺尾正二は真実は徹

底して証拠に、現実に依存することから見いだされるのではなく、裁判官の頭の中で

生み出されるというのだ。この転倒した思考は狭山事件の再審請求から57年間、一

度も証拠調べをすることなく、再審請求を棄却した裁判所の姿勢そのものではないか

 

 寺尾確定判決の核心は石川さん嘘つき論にある。その論をでっちあげるために、人

はどんな状況にあっても必ずウソをつく、ましてや滞在を犯したものであれば、命欲

しさにウソをつくと論じる。寺尾は自供と証拠の矛盾を自供の不自然さの追及ではな

く、部落民だからウソをつくのだというとんでもない偏見と予断をもって正当化して

いる。寺尾確定判決は直接的に部落差別に触れてはいない。だが、寺尾確定判決の中

に部落差別を容認し、その予断と偏見に満ちた証言を採用し、石川さん有罪の証拠の

ひとつにした。それは内田幸吉証言だ・

寺尾確定判決は

「同証人が中田栄作方を訪ねて来た不審な男のことを、事件後直ちに警察へ届け出な

かった理由について、同証人が原審及び当審で供述しているところは、結局届け出る

ことによって事件とかかわりを持つことが恐ろしく、わずらわしいということに帰す

ると解され、そのような考えで届出をためらい、後になって漸く届出をするに至った

心情も理解できないことではない。所論は、隣人が被害にかかっているならば、直ち

に犯人と思われる訪問者の人相、風体、年齢その他を警察に届けるはずだと主張する

が、一般世人の人情を理解しない見解と評せざるを得ない。」

 この内田証言の寺尾判決の部分は悪質な部落差別だ。内田の「事件とかかわりを持

つことが恐ろしく」とは部落は怖いという部落差別感情そのものであり、それを寺尾

裁判長は「一般世人の人情」として理解できるというのだ。しかもそれを殺人事件の

重要目撃証言として採用している。寺尾正二の言う「裁判官の全人格的能力による合

理的思考」とは部落差別を「一般世人の人情」として認め。おのれ自身もその片棒を

担ぎ、部落差別を積極的に容認し、その証言を採用し、石川一雄さんに有罪判決を出

したのだ。

4)最後に。

① 第59回三者協議の終了後に、記者会見を行ってください。その記者会見でプレ

ゼンを公開してください。プレゼンの内容は必ず世論を動かす。狭山再審請求は世論

を動かすことにかかっていると誰もがいう。記者会見こそその重要な手段の一つでは

ないか。

② 523日比谷野音での狭山集会に参加しよう。地方からの上京の困難さは狭山闘

争が生み出した現地調査のための物資販売などの知恵と経験に学び、クリアーしよう

。せっかく地方から上京するのだから、デモ終了後に、東京高裁前にいき、東京高

裁前の歩道を「地べたの法廷」として、家令和典裁判長にアピールしましょう。(2

024年3月28日 尾上光)
……… ……… ………

【追】2月26日、NHK総合テレビ「おはよう日本」の番組の中で、朝7時過ぎに再審制

度問題に関係して、狭山事件が報道されました。

以下にその録画を貼り付けます。

是非ご覧になってください。

 

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