3・15「本多延嘉追悼50年」、126名で熱気あふれる集い
集会実⾏委員会事務局
1975年3⽉14⽇未明、反⾰命カクマルによって虐殺された本多延嘉⾰共同書記⻑(享年41。破防法被告)の死から今年は50年⽬。3⽉15⽇(⼟)、東京・御茶ノ⽔にある連合会館にて「本多延嘉追悼50年の集い」が開催されました。
集会を企画したのは、⾰共同を離党、除名された者、分裂独⽴した⼈々。呼びかけ⼈を全国から募り、23⼈の呼びかけ⼈による集会です。
参加者の数は、当初の予想を⼤きく上回り、定員72名の会場に126名が参集、極めて熱気のある集会としてかちとられました。また集会の後は近くの中華料理店で懇親会を持ち、あちこちが何⼗年ぶりかの再会を喜び、旧交を温める場となりました。
午後1
時から受付開始。参加者⼀⼈ひとりが本多さんの遺影に献花、DVD『怒りをうたえ
ダイジェスト版』(50
分)上映の後、午後2
時から「追悼の集い」が開始されました。冒頭、事務局の東條守さん(⽇⼤全共闘)の説明でDVD『思い出の本多延嘉−−勝利に向かっての試練』(約3
分)が上映されました。
【注 以下の見出しは当ブログによる】 ……… ……… ………
前半の発言 石川一雄さんの遺影も
司会には結柴誠⼀さん(元東京都杉並区議会議員、横浜国⼤全共闘議⻑)。司会から、本⽇、本多さんのご遺族からのメッセージとご参加があることが紹介されました。全員で正⾯左に置かれた本多延嘉⾰共同書記⻑の遺影に黙祷。本多さんの遺影の隣には去る3 ⽉11⽇に急逝された狭⼭冤罪事件の⽯川⼀雄さんの遺影が置かれました。
開会の挨拶は、元⾰共同東京⻄部地区委員会委員⻑の向井拓治さん。続いて呼びかけ⼈の岩本愼三郎さんから、本⽇の追悼の集い開催にあたっての経過と報告「〈党と世界観〉―本多さんは何をめざしていたのか」が20分近くなされました。岩本さんはマル学同中核派書記⻑、「前進」編集⻑、破防法研究会などを担ってきました。それを受けて、呼びかけ⼈から制限時間3分の発⾔が続きました。まず⻑崎県壱岐の島から参加された斎藤政明さん。横浜市⼤出⾝で多数の同窓と共に参加。⽇⼤の今章さん(⽇⼤全共闘組織部⻑)。⽇⼤全共闘の皆さんも多数参加されていました。元全国部落⻘年戦闘同志会の楠⽊吉秀さん。⽯川⼀雄さん急逝に慟哭の弔辞を読まれました。⾰共同再建協議会、元広⼤全共闘議⻑の川嶋澄夫さん。反戦共同⾏動・福岡の北原⼤樹(ひろき)さん。「未来への協働」の茂⽊康さん。横浜国⼤出⾝、⼥性解放戦線を担ってきた槇(⽔⾕)けい⼦さん。元マル学同副委員⻑の⾚松英⼀さん。元⾰共同関⻄地⽅委員会幹部の⼭本清次さん。
元「破防法研究」編集・発⾏⼈の江村信晴さん。
後半でも諸発言 連れ合い・恵子さんのメッセージも
休憩時間を挟んで、午後4 時、再開。参加者からの発⾔が続きました。元ブンド⾚軍派の⾼原浩之さん。元全逓労働者の⽅。ジャーナリストの⼩林哲夫さん。
破防法弁護団だった辻恵さん。元東⼤闘争被告団の⼟⽥正昭さん。本多さんが虐殺された当⽇、本多さんの⾞のドライバーとして⾏動をともにしていました。⽇⼤全共闘副議⻑の酒井杏郎(きょうろう)さん。⾰共同再建協議会、元全学連副委員⻑の橋本利昭さん。川崎市⺠の会の喜多村憲⼀さん。元在⽇朝鮮⼈・中国⼈細胞のキャップであった李徹(リ・チョル)さん。他の在⽇同志の⽅たちも参加。
集会終盤に、本多さんのご遺族、闘病のため⽋席された連れ合いの恵⼦さんのメッセージが、⼩林智⼦さん(横浜国⼤出⾝、10・8 ⼭﨑博昭プロジェクト事務局)によって代読されました。とても毅然とした、聴く者の胸を打つ感動的なものでした。そして、埼⽟の地から杖をついてお越しになった本多さんの妹御の善⼦さん(88 歳)がご挨拶されました。なお、集会後、善⼦さんから「集いの熱気に圧倒されました。皆様の⻘春時代が映画のように映りました」とのご感想が寄せられました。最後に、事務局からの本多さん墓参りの提案と閉会のあいさつを元⾰共同政治局員の⽔⾕保孝さんが⾏いました。
なお参加者にはパンフレット「本多延嘉年譜」(8ページ)と都合が悪く⽋席した呼びかけ⼈などのメッセージが配布されました。以下の9通です。
本多さんが命をかけた沖縄闘争(⼀瀬敬⼀郎)、狭⼭とパレスチナと沖縄と(尾上光)、本多さんの思い出―追悼50年、最後のお別れにあたって(楠⽊吉秀)、当初の思いは今も消えることなく(新城せつこ)、テレビも⾒ず、新聞も読まずに(たかだたけし)、戦争前夜情勢が切迫する沖縄で(宮城正明)、本多書記⻑がもし⽣きていたら(掛川徹)、本多延嘉追悼50年の集いへのメッセージ (滝本洋⼀)、「3・15本多延嘉追悼50年の集い」参加にあたって(⾼原浩之/⾚軍派)、⽯川⼀雄さんのご逝去にさいして 慟哭のことば(楠⽊吉秀)。
懇親会が満席に
懇親会には76⼈が参加し、集いの熱気をさらに盛り上げました。
⾚松さん提供のワインがふるまわれ、司会をその⾚松さんが務め、マイクを回しながら、集会で発⾔しなかった呼びかけ⼈や当⽇参加の⼈たち10数⼈が発⾔しました。元⾰共同東京⻄部地区委員会の伊藤隆明さん、元全学連副委員⻑の廣瀬健⼀さん、元⾰共同富⼭県委員⻑の村⼭和弘さん、⾰共同再建協議会、「未来」編集⻑の松⽥耕典さん、元関⻄⼤学全共闘議⻑の板倉元朝さん、元「前進」編集局の湯本憲⼆さん、「未来への協働」の掛川徹さん、東北⼤出⾝の渡部義就さん、元破防法裁判闘争を⽀える会の川⼝顕さん、元ブンドの垣沼真⼀さん、元⾰共同神奈川県委員会の杉⽥勝⽣さん、元⾰共同東京⻄部地区委員会の⻑尾由美⼦さん、元⾰共同秋⽥県委員⻑の⽜越(李)国昭さん、ほか。
懇親会は午後9 時過ぎまで、数⼗年ぶりの再会、交流が続きました。
墓参り。振り返り、命ある限り
本多さんの墓参りが4⽉14⽇(⽉命⽇)におこなわれ、これをもって「本多延嘉追悼50年」の事業の締めくくりとしました。
本多延嘉追悼50年を全国から呼びかけ、3・15に集いを実現できたことは、発起⼈、呼びかけ⼈、参加された皆さんにとって、ひとつの振り返りと前進の節⽬となったことと思います。全国からやってよかった、来てよかった、会えてよかったとの⾔葉が寄せられています。また、ある⼈は「⻑⽣きをしてください。55年、60年、可能な限り続けましょう」と⾔っています。命のある限り闘い続ける強靭な意志表明です。ともに前に進みましょう。
3・15「本多延嘉追悼50年の集い」の実⾏事務局にご協⼒いただき、ありがとうございました。会場設定等の準備不⾜など多々問題がありましたが、有意義な集いを実現できました。ありがとうございました。
2025年4⽉26⽇
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