★★その後の『前進』は「腐敗分子の意図的虐殺」論
その後の『前進』 追悼文は「腐敗分子による意図的虐殺」論を踏襲して10年近く続いて、やがて終わった。
78年に私が『前進』編集局に移行して以来、「滝沢紀昭同志追悼」記事は毎年9月に掲載された。
筆者は毎回持ち回りで、ほぼ「元埼大生」。
私を除いてほぼすべての人が書いていた。
改めて検証しても、事件の69年以来、私の「追悼・哀悼」の文は一つも無い。
★「湯本外し」と私の沈黙
記事を点検し、印刷まで校正する「面担」からも、私は問題なく外されていた。私自身は「ほっとした」。そして沈黙し続けた。当時の編集局長は水谷氏。
【注】「面担」=紙面の各面の担当者。LCが交代して務める各号の総括指導のもとで原稿の校正な面割の責任を持つ。
後に私が本社を去る時の「送別会」の席で、こっそりと「湯本をEB(編集局)に呼んだのは俺だって知ってた?」と水谷氏。私の革共同への加盟書も読んだ、という。
「加盟書」は、埼大から神奈川に移行した時に書き、梶さん(のちに除名)に提出したもの。芝工大事件が前夜の中核派による襲撃によって起こったものとする事実認識と、「意図的虐殺」を否定したはずだ。
さらに、学内政治での反戦連合との関係を「彼らに主導権を渡しても良かったのかも」と総括したものだ。ただこの文章ではたぶん、反戦連合メンバーの前夜の拉致とその救出のための芝工大への突入という重要な事実が認識されていたかは不明。
とはいえ水谷氏も、M先輩(その後、東京都委員長)も、一定の事実関係を知っていたのだ。事件の2年後の「追悼文」が「権力の大謀略論」を変化させたのも、何か関連が有るのかもしれない。(水谷氏は事件当時は獄中)
ただ、今ではその加盟書の全体の流れや個々の「想い」はリアルには思い出せない。対革マル戦争の日々や、その後の日々が、私の記憶や想いをも上書きしている。
編集局長は、水谷氏がその後に下獄した期間を除いて、岩本・藤掛氏(学者さん)がショートリリーフで担ったこともある。その指導は、「キャップの無限の裁量権」を感じさせる。それが「中核派の中核派たる所以」。
★M先輩の声かけ
78年に前進社に移籍してほどなくだと思う。前進社の中でM先輩とすれ違った。
「おう、元気か?」というようなあいさつの後、「ちょっと話さないか?」と先輩の「個室」に呼び込まれた。
「✖✖と会っているそうだな」「うん、会っているよ」。
思わず身構えた私に「いろいろ有ったけど、もう一度会いたいな」。私、「??」
「一度ゆっくり会いたいな」「…」
「ふん、相手が断るだけだ!」。私は部屋を出た。
この時私がもう少し話に応じていたら、その後の何かが変わったのかもしれない。
けれども、この前後も、「権力に金をもらった腐敗分子による意図的虐殺」論は変わってはいない。
その後の『前進』 追悼文は「腐敗分子による意図的虐殺」論を踏襲して10年近く続いて、やがて終わった。
78年に私が『前進』編集局に移行して以来、「滝沢紀昭同志追悼」記事は毎年9月に掲載された。
筆者は毎回持ち回りで、ほぼ「元埼大生」。
私を除いてほぼすべての人が書いていた。
改めて検証しても、事件の69年以来、私の「追悼・哀悼」の文は一つも無い。
★「湯本外し」と私の沈黙
記事を点検し、印刷まで校正する「面担」からも、私は問題なく外されていた。私自身は「ほっとした」。そして沈黙し続けた。当時の編集局長は水谷氏。
【注】「面担」=紙面の各面の担当者。LCが交代して務める各号の総括指導のもとで原稿の校正な面割の責任を持つ。
後に私が本社を去る時の「送別会」の席で、こっそりと「湯本をEB(編集局)に呼んだのは俺だって知ってた?」と水谷氏。私の革共同への加盟書も読んだ、という。
「加盟書」は、埼大から神奈川に移行した時に書き、梶さん(のちに除名)に提出したもの。芝工大事件が前夜の中核派による襲撃によって起こったものとする事実認識と、「意図的虐殺」を否定したはずだ。
さらに、学内政治での反戦連合との関係を「彼らに主導権を渡しても良かったのかも」と総括したものだ。ただこの文章ではたぶん、反戦連合メンバーの前夜の拉致とその救出のための芝工大への突入という重要な事実が認識されていたかは不明。
とはいえ水谷氏も、M先輩(その後、東京都委員長)も、一定の事実関係を知っていたのだ。事件の2年後の「追悼文」が「権力の大謀略論」を変化させたのも、何か関連が有るのかもしれない。(水谷氏は事件当時は獄中)
ただ、今ではその加盟書の全体の流れや個々の「想い」はリアルには思い出せない。対革マル戦争の日々や、その後の日々が、私の記憶や想いをも上書きしている。
編集局長は、水谷氏がその後に下獄した期間を除いて、岩本・藤掛氏(学者さん)がショートリリーフで担ったこともある。その指導は、「キャップの無限の裁量権」を感じさせる。それが「中核派の中核派たる所以」。
★M先輩の声かけ
78年に前進社に移籍してほどなくだと思う。前進社の中でM先輩とすれ違った。
「おう、元気か?」というようなあいさつの後、「ちょっと話さないか?」と先輩の「個室」に呼び込まれた。
「✖✖と会っているそうだな」「うん、会っているよ」。
思わず身構えた私に「いろいろ有ったけど、もう一度会いたいな」。私、「??」
「一度ゆっくり会いたいな」「…」
「ふん、相手が断るだけだ!」。私は部屋を出た。
この時私がもう少し話に応じていたら、その後の何かが変わったのかもしれない。
けれども、この前後も、「権力に金をもらった腐敗分子による意図的虐殺」論は変わってはいない。
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