【ブログ注】事件の前後の諸問題は別途。先ずは、前夜の襲撃と未明の転落死までに絞る。

            その実像だけでも長いので、冒頭部分や一部を除いて、ひとまずはその「目次」だけにする。

            赤字はくり返し出てくる名前の索引替わり。

            今回は調書の正確な引用をせず、要旨のみ書いた。
★★私事だが、体調不良と技術上の問題で、全体像と詳細を分かりやすく論ずる力が無い。
で、ひとまずはこれをアップして、おいおいより充実した中身にしたい。
一部では訂正も必要になるかもしれないが、大枠は抑えた。

 

【1】     前夜の襲撃(79年9月17日夜)

㋑この日は後期期末試験の最中だったらしい。

北浦和の文理キャンパスのバリケード封鎖を受けて、大学当局は当初の下大久保キャンパスへの全面移転計画をさらに前倒しにし、2年生はもちろん、ほとんどの学部学生たちも下大久保キャンパスに移っていた、らしい。以下はほぼすべて、文理キャンパスでの話。(北浦和キャンパス・常盤キャンパスともいう)。ほかに下大久保キャンパスと、経済学部キャンパスがある。

 

㋺経闘委部屋の襲撃

事件のあった「経闘委部屋」(教養部長室=事務棟)では、この夜、広義の反戦連合などのメンバーが数人、テレビを見ながら談笑していた。バリケード封鎖した本部棟にはここしかテレビが無いので自然とみんなが集まる場所になっていた。

夜の21時頃か?「56人」とされるメンバーがこの部屋を急襲した。

「見慣れないヘルメット」と角材や鉄パイプで、脅しをかけるが、初めは「悪質な冗談」かと思ったが、じきに「襲撃」を体感した。侵入者が殴りかかった。

テレビの画面を鉄パイプで突き破り、

○○はいるか?」「××はいるか」と糾問する。

それぞれの名は、反戦連合のリーダーやリーダー格とみられる学生の名前だった。

 

リーダーの重尾氏は、とっさに2階の窓から飛び降りた。ズデンドウとモンドリ撃ったがなんとか立ち直った。重尾氏は元埼大中核派キャップ。民青執行部を打倒して、自治委員総会で全学執行委員会の委員長になり、副委員長の私とタッグを組んだこともある。

リーダー格の武闘派君は、「お前は誰だ。名前を言え」という糾問に「オレは○○」と偽名で応じたが、自分が狙われていることを知って、重尾氏に続いて2階の窓から樋に伝って、するすると脱出し、下に降りた。

同じくリーダー格の教養学部委員長の反スタ君は、偽名を答えて誤魔化した。彼は私と同学年だが、中でも最初にマル学同に加盟した人物だ。

 

「経闘委部屋が襲われたらしい」という報に、学内にいて駆け付けたやはりリーダー格の東大全共闘君(以下東大君)は部屋の外の見張りに「お前は誰だ」と問われて「東大だ」と答えて、「お前が東大か」と部屋の中に連れ込まれた。

東大君は先に名前をあげられた一人だった。

 

同じ階の別室で仮眠していた、直近まで中核派だった離脱君は襲撃と見張りを見て、あわてて向かいの文理3番棟に逃げた。

 

㊁この時、文理キャンパスには6人くらいの埼大中核派メンバーも居たが事態は知らずだ。うち4人は理工学部。

 

㋭その一人のの免許証君はノンセクトの黒ヘル君と中庭にいた。事務棟と文理3番棟のあいだの中庭で、バリケードのゴミなどを燃やしながら焚火に当たり、雑談していたらしい。

 

㋬早稲田革マルの偽装?

 

㋣東大君の拉致

 

【2】】深夜の緊急集合

 

1時間後の22時頃には、事態を知った学生たちが駆けつけてきた。30人から40人ほど。

埼大生たちは、襲撃者が去った後、活動家や元活動家などの下宿を訪ねて事態を知らせた。喫茶店では会議をしていた東大闘争の被告団10人ほどが話を聞いて駆けつけた。何人かが「内ゲバ」に嫌気がさして消えた。ほかの数人がやはり数か所の下宿を訪ねた。

 22時頃には経闘委部屋に数人が、0時頃(1時?)には30人か40人ほどが集まってきた。この時点では襲撃者は、民青かどこかの右翼か?という推論があった。「早稲田の革マル派」を疑う声も強くあった。ごく一部には「中核派も疑わしい」という声もあった。

負傷者たちに同行して深夜に近くの診療所に行く人もいた。

 

㋷「中核派による襲撃」が明るみに

   2階の窓から飛び降りた重尾氏が戻ってきて、「中核派説」が確定した。

   

彼が飛び降りた時、暗闇の中から滝沢紀昭さんが飛び出してきて襲い掛かり、数百約メートルにわたって、叫びながら追いすがったという。

この直前、異常を感じた黒ヘル君が焚火から離れて駆けつけると、滝沢さんに「捕まえろ」と指示されて、抱き着いた相手が旧知の重尾氏だったので、あわてて離した、という。

ただ彼は、「中核派の襲撃」と知って免許証君ほかに「襲ったのは中核だ」と言い捨てて憤然としてキャンパスから帰ってしまった。結果としては中核派以外には話は伝わらずにいた。

 

ただ、すでに、東大君の拉致の事実は知れ渡っていて、「救出」が喫緊の共通の課題になっていた。

 

深夜0時頃(1時頃?)には事務棟と文理3番棟の間の中庭には埼大学内の反民青・新左翼系の党派・グループの全てが集まっていた。

 

㋦埼大中核派が各々「自己批判書」

 

【3】東大君の奪還工作

㋸現役中核派の責任者が前進社に工作電話

㋾「拉致・監禁は芝工大か?」

㋻現役の免許証君が芝工大に

経済学部キャンパスで待ち伏せ工作

㋕免許君たちの責任感

 

【4】未明の芝工大突入

㋵「埼大の全勢力」が救出に突入

㋵❷滝沢さんの転落死と他大学中核派3人の転落・重傷

㋟前進社での幹部による「指導」=「権力責任」説

㋹突入当事者たちが、当夜の通夜と翌日の「全学葬」

 

【5】下大久保キャンパスでの追悼集会と陶山氏の発言

㋞陶山健一氏の追悼発言

㋡埼大中核派

 

【6】転落した4人の学生

㋧死亡した滝沢さん以外の3人。慶大生は記憶喪失。都立大生は1215日に逮捕。芝工大生は「行方不明」

 

【7】12月、一連の一斉逮捕

㋤超広義の「反戦連合」(埼大の反日共系全勢力)の一斉逮捕

㋶関連する中核派の逮捕も

㋰マスコミの報道と『前進』

㋒裁判とその結果――被告たちのその後

 

【8】仮の結論

㋼もし、拉致事件が無かったら?

㋨生死の分かれ目。 もし、未明で無かったら???

 もし、未明で無かったら? もし、下がコンクリートでなかったら? もし、 もし、 もし、

㋔「権力の大謀略」論という世界とは?

㋗その後の「広大、勝共の謀略」論、ほか

https://yuigadokuson999.livedoor.blog/archives/316173.html
【以上】