28 攻防の中で[1]
86年、東京サミットを爆砕する横田・迎賓館への迫撃砲。爆弾闘争も始まった。皇居・警察・自衛隊・成田。
革命軍万才運動
本社中にステッカーが貼られている。「革命軍は人民の味方だ」「革命軍万才!」――いったい何だ、これは。学生を中心に、キャンパスや街頭に貼っているのだという。「何を奇妙な事を」、私は思う。
「革命軍軍報」はそのつど大衆的に撒かれている。『前進』や大学のビラでそれを「転載」すると言う形式で「合法性」を担保する。軍報で、その政治目的や暴露は十分できている。マスコミがそれを報道する。ここはフィリピンでもタイでもないのだ。詳しく知りたければ、前進社や、中核派が支配する大学の自治会室に行けばいい。そこで十分討論もできる。何かトンチンカンなステッカーだ。
責任者は梶さんと松尾らしい。梶さんは「半地下」の人だ。裏と表をつなぐパイプであり、清水さんの代理人でもある。どうも中央そのものが取り組んでいるらしい。
「刈谷さんちょっと来て」。声を潜めたOさんに呼ばれる。編集室の隣の、破防法研究会の小部屋に籠って話が始まった。「これ見てどう思う?」。新聞に大きく、「中核派が住民に脅迫電話。その数、数万か」……だったと思う。「うーん」、即答できない。Oさんは事件の全体像を知っていた。この電話作戦に動員された、誰それ達。その責任体制も、彼女は掴んでいた。
「迫撃砲」戦闘の直後から、作戦は始まった。個人名の載る電話帳を切り分けて、1人1人に配る。そして、発射地点周辺の地名にある住民宅へ、片っ端から電話して「説得」する。「私は、中核派革命軍です。革命軍は人民の味方です。日本帝国主義国家権力に、手を貸さないで下さい」。
目撃証人になるな、という「説得」だ。これに、例のポスターを張り巡らせば、その効果は数倍になる。住民の生活のすぐそばに、革命軍の眼が光る。まるで赤い暴力団だ。証人宅を被告暴力団の組員が戸別訪問して「説得」に当たれば、立派な脅迫ではないか。まして内ゲバの中核派、暴力団さえ舌を巻く凶暴さは誰もが知っている。
「住民を敵に回した脅迫よ」、彼女が断定して憤る。「……」。「他人に言っちゃだめよ」と再び「指示」されて、席に戻る。
フィリピン新人民軍なら、この作戦の企画者は、革命的に処刑されるだろう。しかも公開の場で。
転向のすすめ
1986年、岩手で圧力釜爆弾関連で6人が逮捕された。爆発物取締罰則の重罪適用に衝撃が走る。5戦士は完黙で闘い抜くけれど自白・転向もでた。続く12月には「地下」を支える名義人名簿を、ゴッソリ権力に奪われる事件が起こる。事件は党の内部でも秘密にされ、現場の成員には知らされず、名義人などへの弾圧から初めて明るみになった。名義提供やその候補者に上げていた人々には、謝罪と対応で多くの人が動いた。私も旧知・友人に頭を下げて廻るはめに落ち入った。
対応の指針は「自白・転向のすすめ」にあった。警察が来たら私の名前を挙げ、関係を断つと明言する事。それ以外に無い、という指導だった。彼らに転向を求め、私たちは「非転向」で闘う。友人たちの困惑と怒りの顔を忘れる事が出来ない。彼らは、中核派による暴行を受けてなお、協力してくれた人だ。
他にも、名簿と巨額な金品が奪われる事件が続いた。現に名義人となっている人、そして、「依頼の可能性」を持つ人々の名簿が、敵の手に渡ってしまった。
新たな名義を作るため、中核派性や左翼性を押し隠した名簿作成の為の「友達運動」もあったが、さしたる成果を生まなかったに違いない。「革命的詐欺」など成功するはずがない。
今この時、何人が住居を失い、何人が住居を持つか、私は知らない。しかしいずれ早晩、多くのメンバーが逃げ疲れて、地上に浮かぶに違いない。
ガサも日常化し、労働者・シンパ宅・知人宅へより広がる。本社では女性を標的に、全裸にして「身体検査」をする攻撃との死闘が続く。
[1] 「踏まえ踏みにじる」。革マルの議論の仕方を中核派がやゆした言葉。「○○という痛苦な現実を否定的現実として踏んまえ、△△に向けて革命的に前進するのでなければならない」。踏まえて、党作りにいそしむ、何もしないで居直る。
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