終わりに
中核派の風通しの悪さ、私のポジション、私自身の触覚の鈍さ――自分でやった事の意味や結果も、知らない事ばかりだ。今でも友人には、「刈谷は昔から、競馬ウマだったからな」と笑われる。「前しか見えない、前しか走れない」。
おかげで仕事中、いろんなミスやトラブルを生んでしまった。頭のモードが切り替わらないと「地図・コース」が浮かばない。迷惑をおかけしたお客さんには、ごめんなさいと言うしかない。
私を中核派から、「前へ」引き離してくれた友人・知人には感謝したい。特に白井さん、Wさん、そして「女性の視線」をくり返してくれた女性たち。また元中核派の多くの人々。
「党」の1員として私自身が関わって来た犯罪、――私はまだ答えられない。私が立ち上がる時、私は「答」を出さなければならない。果してどんな答えがあるだろう。
しかしまた、私は私の歩んできた道を悔いてはいない。たとえ誤った道であったとしても、そこには他に得難い、熱い日々があった。やはり巨大な歴史ではあったのだ。私は「フランスの内乱」のマルクスに習いたい。パリ・コミューンがたとえ無謀な闘いであったにせよ、その限りない教訓を学ぶ。そうありたい。
私はここ十余年、葛飾区四つ木に住んでいる。知る人ぞ知る四つ木。知らない人には墨田区の社会教育会館で、丸1日つぶす事をお勧めする。仮に私が無為のままここで終えたとしても、この地に生きたという事、それ自体として意味はあるのかもしれない。これも会縁(えにし)だ。今しばらくは、己の足下を掘り続けよう。いつの日か「私の言葉で世界を凍らせてみせる」。
私がしてみたいテーマは「警察社会主義」だ。警察とそのOBたちの政治的・社会的役割を捉えてみたい。中曽根臨調を支えた後藤田、そして動労革マル・松崎を「弟分」と呼んだ秦野がいる。近年では建設族のドンであり、「死刑廃止」の亀井がいる。私の住む葛飾は、平沢勝栄が牛耳っている。
平沢は「パチンコ議連」「日朝議連」「日韓議連」のボスだと聞く。朝鮮総連の本部事件での元公安の役割と、平沢の立ち位置はどう結びつくか?在日や被差別、底辺労働者と全般的に向い合うのは、警察や暴力団だけか、という思いが消えない。
「中核派」は、今でも私の心の故郷だ。「故郷は遠きにありて思うもの」、いい詩だ。 2009・6・1
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