『争論』にアップされた7月2日付の群馬I氏の「反論」は、「荒川s疑獄」だけでなく、実は奥深山さんの葬儀の事情にも及んでいる。群馬I氏が反論を送付
桜 はじめに葬儀の経緯を整理しておこう。
桜 6月、ご家族から遺骨返還の要請。奥深山さんの遺骨は分骨され、2か所に葬られた。一方は青柳さんの安養院(前橋市笂井町、駒形)に、「親族の許しを得て」(分骨として)安置、という形になった。
桜 いずれ別の機会に。ひとまず遺骨が親族のもとに帰ったということで…。
その後も続く疑問と批判に対して、群馬I氏の反論と釈明が続く。
ここでは奥深山問題について、経緯だけを整理しておこう。
奥深山さんの逝去と葬儀
2月7日 奥深山さんの逝去
2月14日 告別式(13日に通夜)
事実上、革共同葬(同盟葬)となった。天田書記長ほか奥深山農園には姿を見せなかった「そうそうたる」人たちが全体を取り仕切り、 そのため、多くの同窓生や病友は出席できずだった(葬儀実行委員長は群馬I氏)。奥深山さんの近い友人の多くには知らせもなかった,という。知らせを受けた人の多くも「同盟葬」という形の前に列席を見合わせた人が多かった。
ご家族との関係
竹 葬儀の場では「(実家のご家族は)ご苦労の中で今では全員が鬼籍に入っています」と説明されたという。だから「同盟葬」なのだと。
梅 うん。そんなこともあるのかも?とは思ったけど。
竹 主治医も葬儀に参加していない。あの人が…。葬儀の連絡もなかったのか?
竹 事実は兄さん姉さんたちが存命していた。きょうだいへの日常的な連絡も報告もなしに「支援」していたのかと驚いた。
荒川さんの欠席と隔離
桜 「星野・奥深山」に一番心を注いできた荒川さんの不参加はとても大きい。奥深山さんにとっても大切な身近な人だ。本来ならば「友人代表」であるべき人だ。
竹 高経大OBの会合も奥深山さんにとっても大事な場所だった。学生時代の仲間の空間はだれにとっても、自分を取り戻すかけがえのないものだ。まして奥深山さんにとって…。けれども「荒川スパイ事件」以降、奥深山さんの参加は閉ざされてしまった。「スパイ説」の説明不足への不信感が「スパイ規定」そのものへの疑惑に進む中、奥深山さんの隔離・欠席に進む。
梅 なんという…。むごい。
竹 奥深山さんの「病気」も、70年-71年当時の奥深山さんの実像や時代と高経大の空気をともに吸った人でないと共有・共感できない面がある。
遺骨の返還
桜 5月に入って高経大の関係者が長兄夫妻を訪ねて、「幸男の死亡など初耳だ」と驚かれたそうだ。きょうだいが親族会議をもって対応を決めたという。
山 中核派に長くいたけど、そんな対応ってあったかな?まずは家族・親族優先が普通だったと思う。ただ、荒川さんへの対応(水谷文書の同封)を含めて、とても群馬I氏の独断や独走とはおもえない。
竹 「事件」から46年、周囲も様変わり、世代替わりもある。そんな中での本人の苦闘や葛藤も計り知れない。献身的に支えてくれた人々には心から感謝する。ただ諸結末は理解の限度を超えてもいる。
山 うーん?対Y戦時代も、獄中からの書簡はまず救対あてに送り、点検の上で家族に再送されるということもあったね。その逆も。ただその後、あまりにもひどいと、廃止になったはずだけど…。うーん?
海 一連の経緯には中央の直接指揮が有りそうだ。天田体制ってそういうものなんだと思う。残念だけど「違和感」はない…。
桜 スパイ事件も、その真偽をおいて、「ていねいに説明する」義務、「理解してもらうための努力義務」が中核派にはあったはずだ。それが「奥深山さんの支援」ではなかったのか…。片手間ではなく、群馬I氏の範囲を超えて、だ。
海 そう。それは星野・奥深山全体的にかかわる。いわば「戦略的課題」でもある?根深い不信の連鎖…。
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