カテゴリ:☆☆社会と政治 > 一隅を照らす 自分的には


前橋市長選のAI分析 AIの回答のコピペ

 勝敗を分けたのは小川晶さんの本丸でもある市街地の若い女性・男性と、旧町村部の高齢の女性。

 大票田の吉岡などの農村では、婦人会や介護・福祉のネットワークなどの力も゙。これが攻防のヤマ。

 あまりの小川バッシングに,一時は離れた小川支持層が戻ったとも。

 2年間の実績は大きい。諸政策の「受益層」はやはり中心市街地だとか? 

 いろんな町名が出て来ます。前橋市を知る人のためのページです。

 以下転載


自民党支持層の動き

 市内全体での自民党支持層の動きは、今回の前橋市長選の出口調査で最も重要なポイントのひとつでした。報道で確認できる事実を起点に、そこから読み取れる構造を多層的に整理します。


自民党支持層で起きた「分裂」が最大の特徴


 読売新聞の出口調査では、自民党支持層の約
4割が小川氏に投票したと報じられています。

 これは地方首長選としては極めて大きな分裂で、選挙結果に直結したと考えられます。


自民支持層の投票行動を分解すると見える
3つの層

 自民支持層は一枚岩ではなく、今回の選挙では次の3つの層に分かれて動いたと推測できます。


1.
伝統的保守層(高齢・地域コミュニティ中心)

主に旧町村部・郊外住宅地  不祥事への倫理的反発が強く、丸山氏へ流れやすい

ただし「批判が過剰では」という声も後半に増え、一定割合が小川氏へ戻った


2.
都市型保守層(中心部・若年〜中年)

本町・千代田町・城東町・新町など中心部

経済・市街地再生の評価が強く、小川氏支持が多い

「自民支持だが市政は小川でよい」という“分離投票”が顕著


3.
中間的保守層(会社員・子育て世帯)

天川・朝倉・若宮・紅雲など住宅地

3050代男性は批判票と同情票で揺れた

女性は出口調査で小川氏に戻る動きが強かった


自民支持層が割れた背景

出口調査と報道内容から、分裂の理由は次の3点に集約されます。

1. 倫理性への批判(丸山氏へ)

  不祥事への不信感は確かに存在し、特に高齢保守層で強かった。

2. 「叩かれすぎでは」という反発(小川氏へ)

  知事・議会・メディアからの強い批判が、逆に同情票を生んだと報じられている。

3. 市政評価の高さ(小川氏へ)

  中心部の商業者・若年層を中心に、市街地再生や子育て施策への評価が強かった。

  小川氏は前回より得票を増やし、丸山氏に約1万票差で勝利

特に中心部と若年層の自民支持者が小川氏を支えた

三つの地域分類での投票行動

 公式の地域別得票は公表されていませんが、報道の分析と人口構造・投票行動の傾向から、矛盾なく再構成できます。


🏙 中心市街地(前橋中心部)

中心市街地は若年層・女性層が比較的多く、今回の選挙では小川氏が最も強い地域と推定されます。

若い世代の比率が高く、女性市長への期待が強い

「叩かれすぎでは」という反発が強く、同情票が戻りやすい

行政サービスの受益感が高く、現職の政策浸透度も高い

  → 小川氏が安定して優位。

中心市街地の地域特性と投票行動


🏙 中心市街地の地域特性(少し詳しく)

 中心市街地(本町・千代田・城東・住吉など)は、前橋市の中でも次の特徴が際立ちます。

㋑ 若年層・女性の比率が高い • 単身世帯・共働き世帯が多い

公共交通・行政サービスの利用頻度が高い。市政の“受益感”が強く、現職の政策が届きやすい

㋩メディア接触が多く、情報更新が早い

この構造が、今回の選挙での投票行動に直結しています。

🗳 中心市街地の投票行動の特徴

  選挙戦後半で無党派層の“戻り”が最も顕著だったと推定される。


特に 商業中心エリア(小川氏が最も強いゾーン)

本町・千代田町・城東町・住吉町

若年層・単身世帯・DINKSが多い

公共交通利用者が多く、市街地再生の恩恵を感じやすい

「叩かれすぎでは」という反発が強く、同情票が戻りやすい

無党派女性の比率が高く、出口調査の“女性票回帰”と一致

(政党支持 × 性別 × 年代)

 中心市街地で最も動いた層を三軸で立体的に見ると、次のような構造になります。

無党派 × 女性 × 2040代(中心市街地の“核”となる層)

「叩かれすぎでは」という反発が最も強い。女性市長への期待が継続

SNS・メディア情報の更新が早く、情勢変化に敏感。期日前投票の増加にも寄与

小川氏の最強基盤。

自民支持 × 女性 × 4050代 → 自民支持層の4割が小川氏へ流れた現象の中心

無党派 × 男性 × 3050代  批判票と同情票が拮抗

最終的に「叩かれすぎ」への反発で小川氏へ 郊外よりも“戻り”が早かった層

中心市街地の“中間層”として重要。

🧭 中心市街地の総合構造

つまり中心市街地は、

「女性中心の都市型リベラル層」+「自民支持の中年女性の離反」という二重構造で小川氏を強く支えた地域です。


郊外住宅地の特性

🏘 郊外住宅地(上泉・朝日・元総社・南部など)

郊外住宅地は子育て世代・働き盛りが多く、今回の選挙で最も票が割れた地域と考えられます。

倫理性・行政の安定性を重視する層が多く、丸山氏への批判票が流れた

一方で「市政の継続性」を評価する層も一定数おり、小川氏にも戻る票があった4050代の「揺れる層」が多く、出口調査でもこの層が最も分裂したとされる

  → 小川氏・丸山氏が拮抗した地域。


旧町村部


🏞 旧町村部(富士見・粕川・宮城・大胡・桂萱など)

今回の選挙で最も注目されたのが旧町村部。

、出口調査コメントでは想定より拒否感が弱まり、支持が回復したと報じられています。

本来は丸山氏が優位になるはずの地域で、小川氏が“想定以上に善戦”したことが再選の決定打。


 公開されている出口調査コメント・陣営関係者の証言・人口構造・過去選挙の傾向から総合すると、「富士見」「粕川」「宮城」の三つが特に大きく動いたと再構成できます。

 その中でも、最も“票の戻り”が顕著だったのは 富士見地区 と考えるのが最も整合的です。

 富士見。人口規模が大きく、旧町村部の中で最も影響力が強い。婦人会・自治会ルートでの口コミが強力(地縁ルートの復活


【補】旧町村部での女性票の動きの特徴

 旧町村部(富士見・粕川・宮城など)での女性票の動きには、年齢構造・地域ネットワーク・心理要因が重なって生まれる、都市部とはまったく異なる特徴があります。 ここでは、前橋市長選の文脈で明らかになった構造を、世代別・地域別に整理して立体的に示します。

旧町村部の女性票に共通する三つの軸

  旧町村部の女性票は、次の三つが重なったときに大きく動きます。

  • 地縁ネットワークの強さ民生委員・自治会・婦人会など、女性中心の地域ネットワークが強固。高齢化率の高さ 6080代女性が人口の中心

    都市部よりも“情理”が票に反映されやすい。一気に地域全体へ波及します。

  • 旧町村部で最も顕著だったのは 「自民支持 × 6070代女性」 の動きです。
       (うーん⁈私と同世代?)


職業別


 以下は、職業別の投票行動の復元です。


 小川が強い職業  自営業 ,学生・若年層,女性会社員,女性公務員

 丸山が強い職業 • 農業,高齢無職,男性会社員の一部

 割れた職業• 公務員全体•会社員全体(特に3050代男性)


最期に市内全域の共産党支持層について


共産党支持層の基本構造

前橋市の共産党支持層は、主に次の3つの層に分かれます。

中心市街地の都市型リベラル層(若年〜中年)

旧市街地・住宅地の高齢左派層

福祉・教育関係の職業層(公務員・医療・介護)

   これらの層は、全国的にも共産党支持層の典型的な構造と一致します。


市内全域での共産支持層の総合構図(再構成)

店橋(共産推薦)→ 共産党支持層の“核”が支持。特に高齢左派層・福祉系職業。

小川→ 都市型リベラル層・若年層の一部が流入。→ 市街地再生の恩恵を感じる層。

丸山→ 倫理性重視の一部の高齢左派層が流入。→ ただしごく少数。                               


【補足】
  i都市再生や「受益」の温度差は、中心市街と郊外で差があることを…

  前橋市の今と昔の地図を思い浮かべながら読みました。


QA 福祉系とは

  • 公務員系 安定した支持基盤 ・地域包括支援センターなどを通じて高齢者ネットワークが強い ・選挙では「組織票」として動きやすい

  ・  民間の福祉事業者・社会福祉法人系

  • 介護施設(特養・老健・デイサービス) 障害者支援施設・グループホーム 社会福祉法人

  その特徴

  • 介護・障害福祉の現場職員が多く、若年〜中年女性が中心

  • 労働環境の厳しさから労組系の動きと接点が生まれやすい

  • 地域密着で口コミ・横のつながりが強い


  【以上】


山本一太知事とホントの余談


 カタキは山本一太知事。安倍首相時代に、安倍派の側近としてSNS配信の代筆までしていたという。根っからの「排外主義者」でもある。

 
「一太先生、お客様」事件

どうでもいい話ですが、タクシー運転手の時代に一度、山本一太を載せたことがあります。

国会議事堂前、議員会館に付けていた時のこと。

飛び込んで来たのが彼でした。「東京駅へ!」という指示に従って発信。

丸の内に入って、直進。ekini右折して突き当たって右折して最寄りの丸の内南口に付けようとしたところ、「まっすぐ行って!」

この間、東京駅は改修のために長い間、車には不自由な制限があり、「真っ直ぐ侵入は禁止」の掲示が出ていました。例外は駅ホテルのお客だけ。

で、「お客さん、無理です!」、「いや、行けるから真っ直ぐ!」

「客の無理押しは法律と同じ」と「掲示はルール」という二つのルールに挟まれて、ついには強引な客に従う始末。

駅ホテルの脇に付けて、…。

幸いこの時はホテル前にはボーイの姿が無く、事件にはならずに収まりました。


いたら?怒鳴られるか?最悪の事態では、「東京都タクシーセンター」に通報されるか?

ま、私自身はしょっちゅう問題ばかりで、通報されても平身低頭するか、最悪でも、休み明けにセンターに出頭して、寝ぼけまなこで怒られるかでしたけどね。

印象としては「チャラいやつ」  「知ったかぶり」

ホントにどうでもいい話でした。  ……… ……… ………


ついでに、群馬県 高崎・前橋の質問コーナー(一部訂正)

新幹線が停まるのはどちらでしょうか?
人口が多いのは?
ヤマダ電機の本社は?
戦前の陸軍「連隊本部」が有ったのは?
正月名物・だるま市が始まるのは?

戦後に「総理大臣」を出したのは?

名物・赤城おろしが直撃するのは?
群馬県庁が有るのは?

反原発の初期のリーダーのひとり・高木仁三郎さんの育った地は?


 

高木仁三郎 - Wikipedia




記事の構成を大幅に変えました。
趣旨やデータはほぼそのまま。
私の知る前橋、など、主観を増やしました。

【ブログ注】
 自民や保守の選挙もやってきた人。
 長いし、「読みたくもない」人はパスして次へ。
   ……… ……… ………
今日公示となった前橋市長選において、
小川晶候補を応援する理由を少し詳しく述べたいと思います。

 昨年9月24日に第一報が報じられた「ラブホ通い」については正直「あの小川さんがまさか?!」でした。記事とその後の追い情報を見るとどんな行動が繰り返されていたのか詳細に隠密取材されていました。それを受けての緊急会見やその後の前橋市広報と市政記者会が開く説明・釈明会見もつぶさに拝見しました。
 そこで話し合われた相談ごととして大きな意味を持つ御母堂の逝去とご家族のことなどについてはそれ以前に…小川さんご自身の心痛ぶりは承知していました。

 今回のラブホ問題において事の核心は「男女関係があったか否か」になりますが、それが外形的に推察されるも当該職員の奥様も「心よく思わない」としながら認めて当事者が完全否定している限りその言を信用することが友人としての当然の態度だと思っています。

 相談場所として…完全に店員等とは完全非接触なスペースとしてホテルが職員から提案されたという説明も頷けます。
 正直に言えば…事務員も伴って小川さんの個人事務所ではどうだったのか?とも思います、あとになってみればですが。

 結果的に確かに選択した場所は間違いだった、それは本人も痛切に悔悟されていることで、提案した職員もそれを以て「地方公務員法第三十三条上の信用失墜行為(職務上の地位を利用した不適切な行為)」という理由で定職6ヶ月という懲戒免職に次ぐ重い処分が下されご本人は依願退職されました。
 市長本人としては任期中の給与半減(それをベースとする賞与・退職金も対象、総額3千5百万円余減額)の条例案が、私自身も一般市民として傍聴した前橋市特別職報酬等審議委員会で了承され、11月議会に上程される予定でした。

 一方でかつて大澤知事が副知事公舎を知人女性との宿泊を含む密会場所として乱用した際には知事給与1ヶ月分を育英資金に寄付して事を収めるという軽微なペナルティーしかありませんでした。

 その市議会において議会7会派からの不信任案提出が既定路線となる中で、開会初日の11月27日に小川市長(当時)は辞職を申し入れ、全会一致でそれが了承されて退職になりました。
 これについては市長側も…補正予算案やこども基本条例の制定を完徹する代わりに自らの職を賭した部分と、市長の辞職願いを認めず免職とする強硬手段を取らずに収めるという双方の誠意が合致する議会だったと承知します。

 結果、出直し市長選挙となったわけですが、出馬を決意するまでの逡巡は察して余りあるものです。散々悩んだことでしょう。

 ここで私自身と小川晶さんとの交友を少しだけお伝えしたいと思います。
 最初の直接的な出会いは県議一年生時代、とある公共事業の反対運動からでしたが、その聡明で親しみ易い人柄でとても信頼できる議員さんだなという印象でした。
 特別私的なお付き合いはありませんが、群馬弁護士会主催の講演等でご一緒したり、もうだいぶ前になりますが私が偽ネットショッピングで詐欺に遭った際被害届を提出する警察署に同行してもらったりもありました。私からしたら二回り以上歳下ですが、いつでもフラットにお付き合いできる友人だと思っています。
 
 そしてその後一番悩んだのが前回の市長選挙でした。当時現職の山本龍君とは高校時代(前橋高校)からの付き合いです。彼が県議を辞して挑戦した群馬県知事選挙(保守分裂)にはそれこそ丸々1年かけて全力で応援しました。
 その落選を経ての前橋選挙区時代の県議選も当然スタッフとして関わったし、高木市政(保守)を糾弾する前橋市長選も選挙運動に力を注ぎました。当時珍しかったネット上のライブ配信や街宣の運動員もやりました。
 今でも知事選当時からの仲間は大切な友人です。その後2期目3期目の選挙も熱心に応援したつもりです。しかし小川さんが立候補した二年前の市長選挙は正直股裂状態でした。
 
 どちらを応援するか悩みました。結局その時の判断基準は「前橋市長」に必要とされる熱意の差でした。県知事挑戦時代、現職小寺候補の多選批判を運動の中心としていた龍ちゃんが「権不十年」を超える12年をピリオドとしなかったこと、また意気込みも得意とするマニフェストも熱量が失せていることを長年の付き合いから感じ取れました。
 「もう世代交代すべきではないか?」「リーダーとしての力量は不足しているが、新しい空気を前橋市役所に送るべきではないか?」ということで小川候補を支持する意思を固め、僅かながら選挙も手伝いました。

 大差で当選した小川市長はよくあるチャブ台返しのようなことをせず、前任者の良い部分の市政は継承しブラッシュアップして成果を見せました。龍ちゃん自身も本音では「他の誰かではなく小川さんで良かった」と感じていたはずです。
 それをベースとして、次年度からは未熟さを感じさせずに小川カラーを発揮しながら子育てや教育分野の充実、元々が農家の娘として土に親しみのある個性を活かしながらの農政等、期待を上回る手腕を発揮しています。
 しかしまだまだ道半ばです。だからこそ、昨年の不祥事は相当に悔いて、いくら丁寧に説明しても畳み掛けてくる様々な苦情・誹謗中傷に相当に落ち込んだことでしょう。今回思い悩んだその上で挑む「マイナスからの挑戦」には決死の覚悟で臨んでいると思います。

 逆に思えば、これほど市民一人ひとりに向き合い触れ合い前橋市民の優しさ温かさも一方で感じる選挙をできる幸せも身に染みて感じているのではないかと思います。

 ReHacQ
の3候補の動画も全編見ました。
 前橋100%の公開対話のアーカイブも最後まで観ました。
 対立候補がどうだとか、保守系市議県議がどうだとか、ここでは関係ありません。
 私はたったひとつのスキャンダルで前橋市のイメージが毀損されたとかは思いません。私たちが住む前橋は遥かに心豊かで寛容な都市です。

 朔太郎が、

 きのふけふ
 ある甲斐もなきわが身をばかくばかり
 いとしと思ふうれしさ
 たれかは殺すとするものぞ
 抱きしめて抱きしめてこそ泣くべかりけれ。

と謳った利根川

 …と謳った広瀬川

 …と歌った赤城山

 この美しい都会を愛するのはよいことだ
 この美しい都会の建築を愛するのはよいことだ
 すべてのやさしい女性をもとめるために
 すべての高貴な生活をもとめるために
 この都にきて賑やかな街路を通るのはよいことだ
       『青猫』(1923)より

これが、前橋。

長文失礼します。

……… ……… ………
 こんな人が陣営に「乗った」ことが、小川再選の力でもあり、今後の流れを左右する。
 別に群馬だけの話ではなく、東京・杉並でも共通するのでは?
 中央派はもともと、「維新・大阪維新」などには何らの関心もなさそうだ。杉並だけでこじんまりとやっていれば満足なら、「どうでもいい話」。でも、「労働者階級・人民」は大都会にも山間・「中山間」にもいる。三里塚や関西生コンが対象にしているのも、そんな人々。
  「こんな田舎者」が今の都会の人々の源流であり、「その心の内」の底に沈殿して根付いている?


  1. グローバル Web アイコン

    《前橋市長選》小川氏が自民の4割に食い込む 「子育て …

    2024年2月4日 · 群馬・前橋市長選での有権者の投票行動を探るため、上毛新聞は2~4日の3日間、出口調査を行い、計434人から回答を得た。 期日前投票所2カ …




共産党の論調ですが
  1. グローバル Web アイコン

共産党、棚橋氏の擁立について
 小川晶前市長の辞職に伴う前橋市長選(2026年1月5日告示、12日投開票)をめぐり、共産党系の市民団体「民主市政の会」は9日、新人の元市議で同党前橋地区委員長の店橋世津子氏(64)の擁立を発表した。無所属で立候補し、共産党が推薦する予定。市長選では新人で弁護士の丸山彬氏(39)が無所属での出馬を表明しており、選挙戦が確実となった。
市街地再開発事業を見直し
 店橋氏は記者会見で、市長選の最大の争点を「中心市街地の再開発事業」と強調、「220億円もの市税の投入を市民は望んでいるのか」と事業の見直しをマニュフェストに掲げた。
 前橋テルサ、群馬県民会館の存続、上下水道料金の値上げ中止、大学、専門学生向けの給付型奨学金制度創設も盛り込んだ。
 小川氏については学校給食の無償化を評価する一方、上下水道料金の値上げを批判。辞職につながった既婚の市男性職員とのラブホテルでの密会については、「市民の利益が損なわれた」と不快感を示した。

前回は小川氏を支持
 民主市政の会は前回、2024年2月の市長選で独自候補を取り下げ、小川氏を実質的に支持した。
 小川氏が既婚の男性市職員とラブホテルで10回以上にわたって会っていた問題が発覚すると、小川氏に対して公開質問状を送り、真意を質した。小川氏からの回答書には不満を示した。
 共産党は前橋市議団の中でいち早く小川氏に対する辞職勧告決議案を議長に届け出るなど、厳しく対応していた。
 店橋氏は前橋市立女子高―群馬県立保育大学校卒。 保育士を経て2001年の市議選で初当選し1期務めた。2020年の市長選に出馬した。共産党前橋地区委員長。
  共産党は前橋市議団の中でいち早く小川氏に対する辞職勧告決議案を議長に届け出るなど、厳しく対応していた。……… ……… ………

しがらみと田舎
 
前橋市議会を2分する中曽根系と福田系(ともに元首相で故人)…
「高志会」最大会派に 6人増、勢力逆転 前橋市議会 /群馬
毎日新聞 2025/3/5 地方版

 2月の前橋市議選後初の同市議会定例会が4日開会した。保守系二大会派のうち、改選前に第2会派だった「前橋高志会」が7人から13人に増えて最大会派に躍り出て、最大会派の「前橋令明」は10人から9人に減って第2会派になった。令明は山本龍前市長を支持する与党派として発足した経緯があり、山本氏が市長選で落選したのが一因との見方もある。

 両派は、保守分裂選挙となった2020年の市長選で、最大会派の旧新政まえばしが分かれて結成。故福田赳夫元首相系の山本氏支持議員が令明、故中曽根康弘元首相系で、次点となった元自民県議の岩上憲司氏の支持議員が高志会をつくった。24年の市長選では野党系の小川晶現市長に対し、両派とも山本氏を支援したが、岩上氏の支持者の一部が小川氏に流れたという。
 【ブログ注】ここでは小渕派(元首相)などは歯牙にもかけない

県議会議長は1年ごとにたらい回し
  戦後(1947年=28代~2025年=99代)78年に72人 50年代以降は毎年定期に交代。
  ま、田舎でなくとも杉並ほかの都会でも「みんな同じ」。

「村長の仕事は、票を集めて、国や県の補助金をもらって来ること」
 だいぶ前ですが、友人の父親の、村の有力者に伺ったこと。当時は現役の中核派だった私を知りながら、率直に、飾らず、温かく応接してくれました。
 「では、共産党のムラでの役割は?」とも質問してみました。
 「うん、青年団と同じかな?」
 「元気よく、年寄りに文句を言う。これは大事だね」
 「はー??」…。
 そういえば、私の父の兄は、農協の専務でした。戦後の、農村も荒廃しきった時期に、荒れ果てた「部落」の用水路を再開するために、若者たちで青年団を組織して、難工事をおして「功績」を果たしました。真田幸村の郷の真田町から数キロの○○村、今では上田市になりましたが。

 【注】つい少し前までは、この田舎では「集落」のことをフダンは「部落」と呼称していました。

 青年団は、公務員や教師を除いた「若者組」だったとか。当時では、中卒・高卒の、農家や零細の自営業が中心だったようです。今でも地元に残るのは、そんなオトコたち。今でも農家の最大の懸案の一つは「嫁不足」とか?
若い女性はより多く、都会に出ていくのが常らしい。
 
 「農村の近代化を阻むもの」は「社会的理由」だけでなく、色々ですね…。イナカの、今では高齢者になった同級生たち、そして私の世界では、「親しい同級生」や「いっしょに遊んだ近所の元悪ガキ」「にも入らなかった人々」が、前橋を変えた。……… 感無量。

  小川再選市長がふるさと・匝瑳市の市長選挙に応援!
 もちろん反・現職で。「ひたすら謝罪」の「ミソギ」を終えて、いざ、真正面から!!



  1. 【余談】

    小川さんと三里塚=成田空港・反対同盟

    県議時代の小川さんの「成田=三里塚闘争」への関りは最近知りました。

群馬での三里塚集会には出席し、あいさつでは「こんな時にしか父とは会えないんですが」みたいな感じだったとか。

   父親が「全国農民会議」の共同代表で、今も、わが千葉県内の匝瑳市で農業を営んでいるという話も。
   「令和の農民一揆」,あのトラクターデモでも大いに関与しているらしい。

 昨年は、「学生=全学連を排除しろ」と実力行使にまで走る中核派の「中央派」(政治局派)の暴走で、三里塚全国集会が中止になるという大波乱もありました。昨年来の中核派(中央派)の分裂のあおりが…

   今年26年の反対同盟((故)北原派)の新年会も心配されていましたが、中核派=中央派が(形ばかりの)謝罪をすることで、ひとまずは分裂した全学連」も参加でき、開催できました。三里塚闘争破壊」への批判を押しのけても突っ走る中核派(中央派)にブレーキをかけた一人が「父親さん」ではないか、と。(これは希望的推測ですが)

小川晶市長の父親は三里塚闘争の活動家?「政治は土から …

2025年9月26日 · 特に、日本の戦後史においても大きな出来事である「三里塚闘争」との関わりは、
彼の生き方を語る上で欠かせません

  教師をしていたという母親の話もあり、「自立と社会正義とタフな心」は、彼女の特性だとも。

 


 

  1. 「全学連」の話は、私のブログの『狂おしく悩ましく』https://yuigadokuson999.livedoor.blog/でもいくつかアップしています

「」を付けたのは、いまどきそんな看板にしがみつくな、と言いたいから。

「若者の反乱」として。

「最後の過激派」の惨憺たる姿、今や産経新聞と公安警察以外にニュースに扱ってくれない…

朝鮮人慰霊の碑

 小川さんは弁護士開業にあたって角田儀一さん(故人)の薫陶を受けたという。角田氏は群馬では有名な「人権派弁護士」で元衆院議員⇒民主党。

「群馬の森」からの「朝鮮人強制労働に絡む「朝鮮人追悼碑」の強制撤去に対しては、師弟ともに反対の声を挙げた。
 さあ、いよいよ全開!! とはいえ、ですが……… ……… ………


 

 


私の知る前橋


 前橋市は、私が離れた頃の(当時でも古ぼけた)概念では、いくつかに分けられます。


 ㋑前橋城のご城下を中心とする「旧市街」。「繁華街や盛り場」。本町商店街のアーケードなど、元々の繁華街や「場末」ほかを含む。

 歴史上の「城付き領」としては、近場の「農村」を含みます。面積としては今の前橋市の2∼3%。今では閑古鳥が鳴く、シャッター通りにも。


 ㋺そして私の育った町はずれの「新市街」。小さな田んぼで旧市街とは区切られていました。


 ㋩さらには「旧郡部」。広瀬川の北・東と利根川の西。それとたぶん両毛線を隔てた地域など。かっては、田んぼや桑畑が広がる地でした。今では集客施設の整った「ケヤキウォーク」がある。旧市内からの転居や市外や他府県からも。新たな工場地区も。

 

 東京などの大都会に若者を出しながら、山間地他からの移住者や、他府県出身者でアナを埋める…。もちろん大合併も?


 「県内第
2の都市の高崎」にははるかに追い越されてもいる。

  前橋は歴史上、新潟・長野・山梨出身者が多く、それぞれが「県人会」を作り、就職や結婚の斡旋も請け負っていた、と聞きます。ちなみに私は、「長野県人会の子ども」。長野の繭・生糸の縁で職を得たと聞いています。


 戦後の前橋では「よそ者の眼」が少し入っています。「常識も」「味噌汁かしょうゆ汁か」という食生活も
 「もちろん方言の標準的理解も」たぶん、基礎からずれている。

 とはいえ、今では、「単一・無機質な都会の常識理解」に染まり切っている、という気もします。 


ついでに、群馬県
 高崎・前橋の質問コーナー

①新幹線が停まるのはどちらでしょうか?
②人口が多いのは?
③ヤマダ電機の本社は?
④戦前の陸軍「連隊本部」が有ったのは?
⑤正月名物・だるま市が始まるのは?

⑥名物・赤城おろしが直撃するのは?

⑦戦前・戦後に「総理大臣」を出したのは?

⑧群馬県庁が有るのは?

⑨反原発の初期のリーダーのひとり・高木仁三郎さんの育った地は?

お騒がせしました

ガザに心を寄せていただいている皆さんへ

 

藤永香織さんからのメッセージです。

 

藤永香織と申します。パレスチナ・ガザ地区に家族がおります。今日は、ガザの家族

からのメッセージを読ませていただきます。

「日本の皆さん、こんばんは。僕たちはマッスーシーとムハンマド。今はハンユニス

郊外に逃げています。

 

近隣はドローンが飛ぶくらいですが、ラファヘの攻撃音が聞こえてくる毎日です。こ

れまで、爆撃音に怯えながら、明日も生きていられますようにと祈り、朝、目が覚め

たら生きていることにホッとする。

 

こんな生活が8か月以上も続いています。

 

ガザの人間というだけで、僕たちは殺されても仕方がないのでしょうか。僕たちは死

にたくありません。殺されたくありません。

一日も早く停戦してほしい、どうか皆さんの助けが必要です。僕たちがこれ以上殺さ

れる前に、どうか助けて下さい。」

 

電話が繋がった時、彼らの声のすぐ後ろにドローンの飛行音が大きく迫って聞こえる

ことがあるのですが、今にも子どもたちが撃たれるのではとドキドキします。

 

逆に、近所の子どもたちが遊びまわる甲高い声が聞こえると、活き活きとした命のざ

わめきが電話の向こうに満ちているようで嬉しくなります。

 

けれど、今この瞬間にも命を奪われている人がいるかもしれないと思うと、胸が苦し

くなります。

 

彼らが殺されていい理由など、どんなに探しても見つかりません。

 

もう、誰にも死なないでほしいです。イスラエルの人質も含めてです。そのためにも

、一日も早い停戦が必要です。

 

どうか、ガザに寄り添って下さい。あなたの助けが必要です。

あなたの関心が、あなたの行動が、ガザの誰かの命を救うのです。 一刻も早い停戦

の実現の為に、どうかあなたの力を貸してください。

 

以上転載です
転載・紹介が遅れて申し訳ありません。
パレスチナ・ガザ/時を共に、遥かなる空の下で - gooブログ

野球部の想い出① 宝塚歌劇団から

下級生への「締め」ケジメの行事 中学時代の想い出

ジャニーズの性加害や宝塚歌劇団のパワハラなどが話題になっている。

ともにエンタテイナーの世界だし同根とも言える。ただ背景には幾分かの違いもありそうだ。

ここでは私の昔の忘れられない記憶。「縦社会」「上下のケジメ」

 

中学に入ってすぐ、私は野球部に入った。

当時は部活は義務制。運動部か文化部のどちらかに入れと指導された。

ま、実際には名目だけの入部で実際には「帰宅部」という幽霊部員も多かった。

私自身は進んで入った。小学校時代に楽しみにしていた町内会の野球大会が何かの都合で中止にされたこともあって、ぜひともやりたかった。

1学年100人の男子のうちほぼ半分、50人近くが野球部を選んだ。

ただ、数か月もしないうちに大半が辞めて他の運動部に移ってしまった。1年生では10数人が残った。運動神経が良かったり、独立心の比較的強い連中がバスケや水泳や陸上部に行ったようだ。選択肢が広がったのだ。

2-3年生はほぼ10人程度だったから、例年のことのようだった。

1年生は基本、球拾い。練習場もさほど広くも無いから、手が空けば半腰で「ガッチコーゼ」「ナイスバッティング」などと叫ぶのが「練習」。

それに加えてマラソンとダッシュ。立教野球部などに行った先輩たちがしょっちゅう顔を出して締める。腹筋とうさぎ跳びなどが際限なく続く。練習とは苦行か?で、みんな嫌になってしまったのだ。

 

当時の3年生の部長は○○興業の社長の息子。運動神経もずば抜けていたがそれ以上にイタヅラ・やんちゃ坊主だった。

大学の先輩たちの姿が見えると「オーイ!体育館の陰に隠れろ!」などと指令して全員一目散に走ったりした。そして全員無事に逃げおおせたりもした。

この学年は強かった。夏の市内大会には優勝。県大会でも3位に食い込んだ。

その夏の大会が終わって3年生が引退し、2年生がトップになる。

忘れもしない。部室に一人ひとり呼び出されて、後輩への『指導』が始まった。私は何番目かに呼び出された。部室の電気は消されている。2年生たちが暗がりに広がり、囲んでくる。「オメエ、××」「テメエ△△」。雨あられと周り中から罵声・非難の声が飛んでくる。「謝れ」「反省しろ!」

ついには「キサマ、生徒会の役員をいいことにして練習をさぼりやがって」「すこし成績がいいからと言ってでかい面しやがって」

尊敬していた先輩たちから投げつけられた罵詈雑言の数々に、涙が止まらなくなった。泣きながら抗議した。「先輩のみなさん、俺のことを理解して応援してくれているとばっかり思っていたのに、なんで突然そんなことを言うんですか!」。「オレは本当に、一人ひとりに家族のような気持ちでいたのに!」

ワンワン泣きじゃくりながら、抗弁し続けた。

「もう良い、分かったら今後気をつけろ」の一言で帰された。

そして次のメンバーが呼び出された。

 

憤然として帰ってきた同級生もいたし落ち込んでうつ向いていた友もいた。ただ、泣きながら抗弁したのは私だけだったらしい。

それが附中野球部の連綿と続く伝統であり、2年生の天下を確立するための代替わりのシメの儀式だったことはすぐに分かった。
  この学年は市内大会の3位だった。

 ***

その1年後、同じころ、私達も同じ儀式をやることになった。

私もその一員に加わった。新部長が音頭を取り、「外交担当の」主任の私もそれなりの役目を負った。

ただ、今度は同じようには行かなかった。1年生のリーダー格が激しく反発して収拾がつかなくなったのだ。「泣かせろ」「泣くまでやれ」。でも泣かないで抗弁を続ける。「分かった。帰れ」

そして数日後、1年生全員が「退部届」を出してきた。「2年生が卒業するまで、野球部には戻らない!」と宣言したリーダー格の高●たちは、徒党を組んでどこかで自主練を始めたらしい。春になり、新1年が入ってくると、彼らもまた新2年生たちに引き込まれて、すぐに退部してしまった。

 

夏の大会に向かって、新3年生は10人だけで練習する羽目に陥った。私は当初、ピッチャーに指名された。まずは足腰を鍛えろと、マラソンや50メートルダッシュを繰り返す。捕手の平●が付き添ってくれると、残りは8人。バッティング練習も守備練習もままならない。直前には1人が転校して定員ギリギリだった。そしてボロボロのままで市内大会は予想通り緒戦敗退となった。

 

敗退の翌日には、12年生が復帰してのびのびと練習を始めた。あの高●、今でも頭が上がらない。前高時代も同じ高校だったのだろうと思うが、想い出に浮かんでこない。たぶん私のいる所には顔を出さなかったのかもしれない。
  それにしても私自身の記憶では、その後に「号泣」したことも「涙なみだ」になったことも他にない。「泣けない体質」はどこから来たのだろうか?

 

【追伸①】3年生の大会1か月前くらいか?突然、新ショートが開眼した。下手の代表格でやる気のなさを絵に描いたようなグレが、とつぜんファインプレーを続発し続けた。「何が起こっているのか?」。…70歳を超えた同窓会で、積年の疑問をぶつけてみた。「フクが家に来てくれたんだ。話し込んだ。それで…。あいつは俺の命の恩人だ」。ふーん?そんな奇跡のようなことがあるんだ?人間って捨てたものじゃないね。

【追伸⓶】ⓐ野球部を嫌った同級生たち

ⓑ部活を嫌って私営の卓球場に通ったもっちゃん

©少年チームを拒否して自前のチームを作ったカミさん

東国原英夫氏 宝塚歌劇団は「上下関係はたけし軍団より凄い .

「詰める」の使い方は?

締める(シメル)とは? 

「自由と民主主義」?

 大国間の論理

ロシアのウクライナへの軍事侵略に日々、想いが掻き立てられている。

日々のニュースに一喜一憂する。

そしてまたさまざまな場面や人々を前にして「立場・立ち位置」が日々揺れる。

「千々に乱れる」そんな毎日だ。

ただ、はっきりしているのは「ロシアの軍事侵略とウクライナ側の自衛戦争」こそすべての起点である、ということだ。
 一般に大規模な地域紛争「低列度紛争=LIW」に向かい合う場合、攻撃されている「弱小国」をひとまずは「主語」から外して大国間の論理を見極めるべきことが大事と考えられている。「自衛戦争」の側のあれこれに引き込まれると、大局観を見失う、という意味だ。第1次大戦下でのレーニンのサラエボ事件=バルカンに対する視点は有名だ。そしてその視点は(いくつかの保留込みで)いまも不可欠な視点だと思う。
 そこではこの戦争は
 ①火点はロシアの侵略開始に置かれるべきだ。さらにはそのロシア侵略軍の想定を超えた残虐性も付加される。ウクライナ側の対ロシア・ソ連の歴史は大事だ。
 ②米欧の「兵器に絞った援助・介入」は、かつて私たちの知らないほどの大規模・激しさを伴っている。その情報戦も「情報のかつてないほどの公開」だ。そしてまた
「経済制裁」は「ロシアをソ連崩壊時に追い込むようなかつ、長期に及ぶ」と宣言された。そもそもが米欧の事実上の対抗的軍事介入という形自体が、ほぼ前例がない。ある人は、スペイン内戦 を想起するという
  問題の大きさはこのロシアと米欧の側の「前例のないほどの」、「ほぼ対抗的な軍事発動」が世界や私たちも巻き込んで、色んな形での「当事者性」を付与されていることだ。もちろん「核使用の恫喝」も「本当の当事者は中国」ということも見逃せない。
  この辺の全体的な認識は今回も「ピスカトール」に学びたいとも思うし、関連して中央派の「『前進』春季特別号論文と、分裂の定着以来初めてとも思える関西派による批判も近く参照したい。

「防衛戦争」の論理

 初期において多くの情報を公開したというアメリカの情報戦略が功を奏した。今や「事実の森にウソを隠す」戦略が大手を広げて展開される。

アメリカの情報と立場・方針に即して(日本政府の政策にも即して)語られる場合も多そうだ。
 そんな「専門家」たちの話では、米欧の軍事援助が功を奏して、ロシア軍はひとまずは全土制圧を目指した攻勢を阻まれたが、戦局はいっそう泥沼化と長期化に向かっているそうだ。
 米欧の帝国主義を意味する「国際世論」に乗って「自由と民主主義の戦争」論が幅を利かせている。しかしながらそれ自体はあまりにも的外れだ。
  以下、「防衛戦争」の議論のために大きく迂回しながら始めたい。
  ひとまずの結論は、「防衛戦争」はそれ自体として擁護されるべきテーマであり、民主化他のその中身の可否はいわば「上乗せ・相乗部分」だということだ。
資料
ウクライナ概観 在ウクライナ日本大使館作成
ウクライナのオリガルヒ - Wikipedia
アゾフ連隊
 
ベトナム反戦世代として
  私は(私たちは)
70年をはさむベトナム戦争(アメリアのベトナム侵略戦争)の世代だ。だからあえてその認識をベースにする。

さらに私たちの父母は太平洋戦争(朝鮮植民地化と中国侵略戦争)の世代だ。「あの歴史を繰り返してはならない」という想いがあの激しい闘争の時代を作った。それは直接運動に加わらなかった同世代の多くの人にも共有された。そしてまたさまざまな課題と運動を派生・前面化した。
 ここでは「戦争世代」の人々の「平和のための軍事問題研究」の意義を再確認しておきたい。

米軍の沖縄配備のあれこれも日本の再軍備の実像も、彼らの営為なくして的確な認識や対応は無かったと思う。

戦時下の人の生き死に、戦争と青春・戦争と青春の領域は小説やドラマで繰り返されても来たけれど、総体としてまだまだ不十分だ。そして「だから戦争はいけない」んだけれど「けれど、不条理の中で生きるということ」自体、ある意味でより普遍的なテーマでもあるはずだ。
  「
アポリア」(解決困難な難題)という言葉が重い。

4 「対革マル戦争」(内ゲバ)の体験者として

同じことを私たち「内ゲバ世代」も担うべきだと思う。

けれども内ゲバも内内ゲバも外ゲバも、真正面から総合的にとらえ直す努力は一部を除いて乏しい。

「正義」や「不正義」や「巻き込まれて」云々は確かに不可欠な要素だが、「戦争の論理」「内ゲバの論理」を生き生きととらえ直すことは、同じことを繰り返さないためにも大事だし、それはそれで「倫理的にいけない」だけでない「生きるという問い」「闘うということ」に迫ろうとする一つの道だ。


 なぜこの場でこんなことを言うのか?

その一つは、「正義と不正義の限定性」だ。「正義の為にはどんなことも許される」という「無制限・無制約の…論」とは決別したい。「卑怯者、去らば去れ」の英雄主義も時と場合による。というよりも「正義」の名による最悪の選択を私たちはあまりに多く体験しすぎて来た。
  それが(大局的には)正義であれ不正義であれ、それぞれの個々人や、それぞれの場所ヾでの実相ははるかに違った様相を呈している。話を広げれば、「正義の中の不正義」や「不正義の中の正義」という話はじつに有り余るほどで、歴史を振り返れば振り返るほど「実りある」振り返りのテーマでもあるはずだ。

 「最前線で戦ってきた戦士たち」が、その後次々に粛清の憂き目にあってきた「革命党」の歴史もあいまいにはできない。中核派では良きにつけ悪しきにつけ大事な局面局面で歴史を体現した人々が次々に追放され離反した歴史を土台としている。
 さらにまた「負けること」「逃げること」「降伏すること」をも、現実の闘いの場では、あらかじめ起こりうる一つの選択肢として備えて欲しいからだ。
 敗北への備えなどあるかという話もあろう。しかしまた、人は折々の選択をそんな風にして重ねてきたのだとも振り返る。

 当ブログはそもそも、「2重対峙・対革マル戦」の総括の序(入口)を目指したものですが、やはり主としてその中の出版部分(本体)が我ながら一番生きていると感じます。その中のまとめのまとめが以下になります。

本多延嘉書記長 追悼の集い 私の発言

私たちの世代は、積極的に参加した人も、恐れあるいは嫌悪した人も、70年代からソ連の崩壊・総評・社会党の崩壊時の、それぞれの側からの生き証人なのだろうと思います。

5 原発問題

ロシア軍がウクライナの原発を砲撃し支配したという。

怒りは激しいが、同時に原発を戦場にしての戦闘が長引かなかったことに胸をなでおろす。

ウクライナにとって原発は、国内の電力供給は大事なかなめだという。原発を抑えられたら、経済・社会のインフラそのものが抑えられたと同じだともいえそうだ。ウクライナにとってロシアからの自立・独立の希望の証としての原発という面は大きいという。

胸が痛む問題だが、まずはウクライナ側があまり抵抗もせずに屈したことを喜ぶ。「核戦争」そのものだからだ。

ここでは「国敗れて山河あり」。「日本は負けて良かった」だ。


   6 色んな支援の在り方

いずれの選択にせよ、どんな場合でも可能な限り支えたい。

眼前のその人が「戦う」にせよ「白旗」にせよ。ウクライナ人にせよロシア人にせよ!

戦後の回復はもちろん、難民を難民として。

いろんな支援には、ウクライナのロシア人やロシア国内外のロシア人も当然含まれる。

それぞれの支援も互いに理解し合うことも大事だ。

 今のようなロシアで「反戦」を貫くことには多くの困難が伴いそうだ。私たちもそんな覚悟がいる。その覚悟を支える思いと仲間・制度が要る。それは第一級のテーマだ。

 国際競技からロシア人やベラルーシの選手たちが排除されているそうだ。
 ウィンブルドンテニス ロシア人 - 検索 (bing.com)
 マックの撤収は大いに讃えられているようだけれど、ベトナム反戦時代に「コカ・コーラを飲むのを止めよう」と叫んだ共産党・民青に対して、私たちは不意を突かれながらも大いに笑った。それ以上に、喫茶店や名曲喫茶は私たちのかけがえのないたまり場だった。かつての同志たちと会うと、意外に(?)演劇やバンド出身の人も多い。ロックやソウル…。日大芸闘委は映画だそうだ。
7 当面の結論
 ようやく本題の入り口にたどり着いた。けれども今回はここまでにします。
 さしあたりの結論は、岸田内閣の「防弾チョッキ」を含む軍事支援や介入には反対します。難民の受け入れは、あまりに「人道」を無視した非人間的なものであり、避難・大幅な拡充を求めます。
  危機に乗っかった「軍拡・核共有論」のばっこには全面的な対決が望まれます。
  ただ同時に、「国民に正面から危機と全対策を呼び掛ける」という大胆さを欠いた「無策・乗っかり型」の「自発的従属化」「永続敗戦国」の延長上では「有効な結果」は何一つ生まれないだろうことも自明です。
  参院選後の「与党にとっての黄金の3年」を見据えて、選挙で、国民投票で、何としても…
  コロナと戦争による物価高や「生きずらさ」は待ったなしですし、諸国の内外の分裂の進行もあります。
 当初の予定では以下のような議論を目指しています。
 
 ウクライナの抵抗と「武器」
 9 後発国の選択、第3勢力論の歴史
10 国際反戦闘争
11 『前進』春季論文と『未来』による批判

 日々の生活もその付き合いもある。それはそれで欠かすことはできない。ほとんどなんもできないけれど、それはそれで繋がるものもあることも信じたい。
  当地の駐輪場のお客さんたちは中高齢者が大半だけれど、子育て中の父母・保護者もいる。同じ保育所に通うベトナム人やネパール人、それにごく少数の中国人もいる。在日2世たちが数多く育っていることを実感する。それぞれ色んな課題を抱えながら日々を送っている。そんな関りからも想像力が生まれると期待しています。

 「リアルな現実」と「バーチャル」。
実態・実相に迫れない議論は虚しいと痛感しつつ、…

ウクライナ概観 略史(在ウクライナ日本大使館)歴史とともに、オリガルヒや政治制度と選挙などにも言及しています。ウキペディアも急速に拡充されて来ていますが、信頼性も含めるとこちらの方が良さそうです。

新谷のり子 フランシーヌの場合 歌詞&動画視聴 - 歌ネット


 
 こんなブログで引用・紹介されるのはご本にははた迷惑なのだろうと思いつつ。あえて…
  【ブログ注】誤字誤植だらけでしたので直しました。
 【ブログ注】新谷さんの唄は、近く別の記事に移します。

リトル・パレスティナ 
を観た。まだロシアの侵攻が始まってすぐの頃だ。
 ウクライナの現状とパレスチナの現実。
 状況は似ているのに、「国際世論」も「世論」も雲泥の差だ。
 ここに「国際社会」というものの真の姿が見えてくる。
 
 とはいっても、ウクライナの問題にパレスチナ問題を「ぶつける」のは望ましくない。
 日常の会話で3分、5分「の会話」が限界ならば、世間話や相手の抱えている緊急の用件もある。職場では日常業務の用件や軽口の会話が優先だ。労働現場の要請を知らぬふりして『前進』業務に明け暮れた昔を苦々しく思い出す。
 映画·映像の力は素晴らしい。そこから生まれた想い・想像力こそが「有効性」を発揮できるのだと思う。
 その圧倒的な力も実はちょっとしたヒトコマひとこまの挿入や音とのコラボなどによって心に残る色合いが変わるのだという。
 お茶菓子の有無やその味わいいかんで勉強が進むか否かが決まるとは誰の話だったっけ。

 字幕に追われて画面に追いつけない。少なくとも2回、繰り返しみたい、とおもう。

↑このページのトップヘ