「草の根政治運動」「草の根分けても」の逸話。
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感想や議論をあれこれ書いてみたいと思ったのだけれど、「血債の思想」云々で喚き散らして後が続かない。
それに、他の人が色々書いてくれてもいるので、まとまったことを書くのは止めようと決めたい。
その上で、断片的に諸々を書き留めて置こう。それぞれ「事実か否か」についての検証は未完なまま、あえて今回公開したい。
ついでに?元編集局の大先輩の話。
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①三全総とはのまとめ 選挙を加えた三つの柱
一般に言われているのは「戦闘的労働運動の防衛」と「地区党建設」だ。
しかし三全総の柱は「三つ」であり、「選挙=政治闘争」だと岩本さんは言う。
中野体制の下での政治闘争を排除した「階級的労働運動路線」への批判も込められていそうだが、実際に黒田選挙ほかを如何に重視したか、当時の歴史的再検証の姿勢としても面白い。
この問題は、水谷・江村氏の、本多延嘉 3・14虐殺死を超えて四五年 での向井卓司さんの発言を重ねるといっそう浮かび出る。
75年3・14、本多書記長虐殺の直後、東京・西部地区委員長の向井さんは直近の杉並選挙をネグレクトすることなく取り組もうと中央=北小路・清水丈夫氏らに申し入れたのだという。そして渋る政治局を動かして「内戦下の選挙戦」を戦う道筋を作り出した。
『前進』や集会で北小路さんが「カクマルの脳天にバールを!」と絶叫していた時だ。現場では、「何をイマドキ選挙だ!」という声も溢れた。当時私も「杉並はどうなるのかな?」などと呟いて、指導部に罵られた覚えもある。上記の本では「中核派=三全総」として語られているが、一応従来の表現で「二つの柱」に収まっている。今後三全総が語られる時には「三つの柱」が共通語になるのだろうか?
ちなみに向井さんは富山県委員会の創立者でもあり、7〇年の法大会戦の現場での陣頭指揮をとった人でもある。古参中の古参だ。
②同じことだが、90万を超えた改憲阻止の百万人署名運動の意義と顛末を書き記している。
いわば「草の根政治運動」とでもいえるだろうか?
残念なのは、運動の意義と結末などはよく描かれているが、「指令塔」という高みに立った議論と見識にとどまることだ。
動労千葉の物販運動や百万を現場で支えた人の話を聞いた。
「駅から離れた山奥の職場を指定されてね。バスの本数も少ないから、田舎道をテクテク歩いてようやく職場に着くと埃だらけだったよね。でもアポは取ってあるからやめるわけにもいかない。で、とにかく挨拶すると、『良く、こんなところに来てくれたね。普通は来ないよね』と歓待された」
「で、さっそく口上を言うと進んで署名してくれて、同僚たちにも回してくれる。」
「そういう職場はさらにまた山奥の職場を紹介してくれて、時には電話をしてくれる。で、何時いつのアポも取れる。時間帯によってはそのまま行けるけど、出直すこともある」
「全逓のルートで回った時は、昔、神奈川の本多さんの支部学習会に参加した、という人もいた」「楽しい学習会だったね」「だけど2回や3回で終わるんじゃなくて、ずーっとそばにいて欲しかったね。現場の話ももっと聞いて欲しかったね」と言われてジンとした。
百万の大方針で、そんなにもあった。「今にして思えば、この中核派にいて、やっぱりあり得ないエピソードだったのかね」
山のかなた、地の果てまでも、草の根を分けて、耕し、種を撒く。
そんな膨大な「無」を重ねた日々もあったのだと…。
少し遡るが、90年代初期?の『前進』紙上に長期連載された〈分割民営化と闘う北海道各地の現場から〉??を思い出す。筆者は後に「権力に情報を売っていた」として水谷・岸氏らのKGBによって長期にわたって「査問・思想闘争」の対象となった編集局員・元関東交通労連事務局長の人だ。
「労働者・市民の党」になるということは、こんなことの積み重ねでもあるのかと、想いを新たにする。
それにしても、「地べたを這いずり回ることなしに、天空から大地を見下ろす見識」というものも
「あるんだな~」と改めて感じさせられた。ただ、私の知る中核派(特に本社と学生)との断絶はあまりにも大きすぎて、目もくらむ。
「殿上人と地下人」という見出し付きでの小文はいかにも男爵らしく笑える。
「9 知識人がスターリン主義の元凶?」P252(略)
