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当社では今、毎日の朝礼で、「違法な駐禁をしません」と斉唱させられている。
さらに駐禁でつかまったら、直ちに会社に報告が義務付けられている。
一度目は掲示板に名前を張り出され、2度目以降は「乗務停止○日」の懲戒処分が出る。
 
駐禁の検挙数が所有台数の1割に達すると、運輸省による「車両停止処分」がくるので、会社も必死だ。とはいえ、まともな対策が出されるためしはない。
すべて乗務員に転嫁してすむという事なかれ主義。
いっこうに違反が減りそうにない。
 
私も付け待ちをするほうだから、自分で自分を守るほかない。
 
去年と今年の検挙基準は大きく変わった。
去年は「一斉摘発」が多かったけれど、今年はなくなった。
一斉摘発は、「交差点の近く」に先頭車両がいたら、後続すべてを摘発するというもの。
今年は「交差点・横断歩道から5メートル以内」「停車禁止場所(赤ペンキなど)」それと「交差点内」に限られている。
 
多分去年、一斉摘発で捕まった人が、大騒ぎをして摘発の違法性が暴かれたのかもしれない。とすれば改めて異議を申し立てれば、あるいは面白いことになるかもしれない。
 
とはいえ常々思う。
付け待ちの先頭になった車の多くが、今でも、横断歩道にぎりぎりのところに進んで客待ちをすることが常態になったままだということだ。
 
当社で少し策のある人々は、先頭になっても「5メートル」空ける人が増えている。
後ろから「」ぷっぷっ」と警笛を鳴らされても動かない。
時には後ろに「分かっているよ」と合図して、動かない。
そうして自分を守っている。
 
確かに、従来の常識から言えば、詰めるのが乗務員間のマナーだ。
隙を見れば割り込んでくるハゲタカたちを許さないためにも、必要なことだった。
横断歩道の真ん中に停めて割り込む奴らに隙を与えたくないのはお互い様だ。
けれども今は諦めるしかない。
 
人によっては、歩道の真ん中に停めている車の会社に電話でチクリを入れる人もいる。
昔なら降りて行ってたたき出す元気のある人が多く、それで秩序が保たれていたものだけれど、最近はそんな元気のある人も少なくなった。
とすれば、チクリも仕方のない選択かもしれない、とも思う昨今だ。
じっさいに、電話の効果は大きいのだし‥。
 

08年のタクシー問題懇談会の「減車方程式」です。(会長は飛鳥交通社長)
 
08年3月の都内の法人車両は、3万2958台。
充足率は82.2%だといっています。
つまり17.8%も乗務員が不足していたのです。
懇談会はここから、約3分の2に減らそう(ー35.6%)と提案していました。
 
国土交通省の進める「20%減」はちょうど人員不足分ということになります。今後も減らすことを検討するとはしていますが、現状ではここまでで打ち止め、となる気配です。
 
「20%減でも大きな一歩」とする自交総連や全自交など産別労組中央の主張は、「結局は会社の一人勝ち。総取り」を賛嘆しているに過ぎません。何を言っているのか。いつものことですが。(運動の成果ということ自体をすべて否定するものではありませんが、‥)
 
実際には「会社側」というより、人員を確保していた大手が減車し、車が遊んでいる新規や零細や悪徳・無能な会社が救われたというべきでしょうか。「劣悪会社の淘汰」など絵空事です。
 
ちなみに、上記提案では、それぞれの会社の稼働率から、個々の減車台数を割り出して従わせるという提案だったようです。
けれどもどんなよい提案もいったん役所の枠に入ってしまえば、身もフタもないものになってしまうという典型かもしれません。
 
短い文ですから是非一読を。
 

黄色のタクシーは「大手4社」と呼ばれています。
「4社」を核とした事業協同組合としてチケットや無線を扱っています。
お上や大企業のチケット営業に群を抜いていて、1台当りの営業収入は同業他社に比べてダントツです。
 
この協同組合は別名「大日本帝国」といわれます。
大和(だいわ)・日本交通(N)・帝都・国際(KM)の4社の略です。
 
最初は「悪い冗談だ」と思っていたのですが、実際には悪い歴史そのものだったことを知りました。
実際の大日本帝国の時代に、戦時下の産業報国会運動の中で生まれ、戦後も生き続けてきたものでした。
 
タクシーはもともと、「個人タクシー」から出発しています。
それが統制経済に向けた国策で少しづつ統合され、数次の統合の末に上記4社にまとまった。国策のままその1字づつを与えられてできた名前・体制そのものでした。
 
戦後もこの4社と並んで雨後のタケノコのように生まれた個人や中小のグループが、やくざを交えた、あるいはやくざもどきの合従連衡の抗争を繰り返して、戦後の興隆の時代を生み出していったのです。
労働運動も、「青春の門」のような荒々しく生身の人間くさいものでした。
 
私の群馬でも戦時下、生糸や紡織その他の協同組合が続々生まれたことが語られています。
 
見方を変えると、日本資本主義の形成史が浮かび上がります。
俗に「護送船団方式」と呼ばれ、「官営企業の払い下げ」で形成されたとされる日本資本主義は、実際には「上からの形成」には成功せず、良くも悪しくも中小・零細の「無政府的発展」が広く豊かな裾野を形成したことが知られています。
「上からと下からの対立的・矛盾的発展」とでもいうべき要素があってこそ、「発展」があったことを確認したいと思います。
 
大正デモクラシーのうたかたの夢は、その辺を反映したものだとしておきましょう。
歴史と現在を生き生きと多面的にみる訓練、色んなレベルから多次元的に考える訓練を積みたいと思います。
 
ただ実際の乗務員にとっての「4社」は、「金にはなるがやたらとうるさい風紀委員」だというだけです。
黄色いタクシーを見たら、そんなことも思い出してください。

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